気持ちといのち
なんとなくいい天気である。

遠くの山は白く霞んでる・・え?霞んでる?
黄砂のようにえるあの白いもの、よく見ると山の中から煙のように立ち上がっている。
杉の花粉だろあれ・・
車の表面にも恐るべき膜厚で堆積する杉花粉。
ブログには書かないけれど私は身体的欠陥とコンプレックスがあります。
でも花粉症じゃないことは唯一の私のよかったことで誰かに感謝したい。
睡眠時無呼吸症を疑い先月いろいろ測定した結果を聞きに病院へ行きました。
グラフみたいなものをもらったのでのせようかと思ったけど見苦しい気もするのでやめる。
結論的には確かに一晩に数回ほど無呼吸の状態が出ている。ただし回数も少なく軽症なので治療の必要はないとのこと。
最長1分間くらい息をしてないんだって。そりゃ嫁さんも何だこりゃと思うよな。
昔この病院で命を助けてもらった。具体的な治療はもっと大きな病院でだったけれど。
それでここを信頼して通っているんだけど予防も含めて診るというコンセプトだったと思う。
しきりに、ほかに気になることはないか?と聞いてくれる。
ありませんとか言いつつ、精神がずっと憂鬱状態なんですと思ったり。
多分言ってみればかなり真剣な顔で聞いてくれるとは思う。
でも運動したり、趣味のサークルなんか入ってみたらどうですか・・みたいな感じですねきっと。
それやるとおかしくなるんですとか言って困らせても行けないので笑顔で帰る。
ブログに自分が好きですなんて書いてるけどふと、生きていても意味がないんじゃないかという気持ちが差すことがある。ねじ伏せるけれど。
もう癌も冗談じゃすまない年齢に入った。
生きたいという気持ちが低下すると病気というのはあっという間に取りついて自分を滅ぼすと思う。
同い年でそうなった人がもういる。久しぶりに再会したとき、私の名前を読み間違った彼。その後うまくいっていないのを何度か見かけていた。
私がいなくなっても誰も困らないのかもしれないし、私自身何の達成感も満足感えられていないどころか敗北感みたいなのが堆積していく感じだけれどそれだけにまだ死にたくない。
それだとあまりにもみじめな気がする。
マーラーの大地の歌フィナーレの大詰め・・
この楽章実時間も30分程度かかる長大なものですが、美しく月に照らされた夜であると同時に暗黒の夜でもあったこの世界。
色々あった末、小川のせせらぎを聞きながら
私の孤独な魂は安住の場を探している。
心静かにその時をまとう。
そうつぶやくと
光が走ります。
光があたりを埋め尽くすと
優しさに包まれ美しく輝く世界の中で
愛しき大地には花が咲乱れるだろう・・永遠に・・
みたいなことを繰り返し消えていく。
この光は夜明けの光であると同時に、心の闇を照らす光でもあるわけでしょうね。
どこにも死という言葉は出てきませんが
これも人が死を受け入れた瞬間だろう。

フルートの明るい旋律がいろんな楽器に受け継がれつつ弦楽器の光を導いていく。
ここ単純な伸ばしのようでかなり凝ったことになっています。
分奏したヴァイオリンほかいろんなものが絶妙なタイミングで重なっていく。
音もそうだけど、聴きに行くとステージ上の弦楽器の弓の動きからもそれを感じます。
音楽は芽でも聴くものなんですね。
オーディオに気のふれたようなお金と時間を割くのはそれを耳でも聴きとれるようにするためなんだけどそんなの今はどうでもいいか。
とても素晴らしく感動的なこの場面ですが心の底から共感したりしたらまずいだろう。
作者は弟子にこの曲を演奏すると自殺者が出るのではないか?と言ったという。
それは作り話じゃないと思う。
でも私はまだ死にたくないし、死んだ後に花が咲こうが何があろうがそんなの知らない。
まだ死んでいいとは全然思えない。
この後、昼食を取りにとあるカフェレストランみたいなのに行きました。
観光道路沿いにあり好意的なレビュー多数・・経験的にそういうところは・・
行ってみて外れかななんて思ったんだけど、今これを書きながら思うに
心がネガティブでいっぱいになってるからなんでもそう感じるんだろう。
ウキウキしてればあそこもよかったのかもね。
つぎに行った場所は天気も悪いしいろいろあってまたダメ
その次・・

ここは天気もいまいちで結構人もたくさんいたのに
なぜか大丈夫だった。

花のおかげかな?
場所のおかげかな?
天気のいい日にまた来たいと思った。
また行きたいところがあればそれだって生きてる理由になるから。
今朝、うぐいすの声を聴きました。
もう春ですよ。

「・・・・・・」
また弁当買って花見行こうよ。

遠くの山は白く霞んでる・・え?霞んでる?
黄砂のようにえるあの白いもの、よく見ると山の中から煙のように立ち上がっている。
杉の花粉だろあれ・・
車の表面にも恐るべき膜厚で堆積する杉花粉。
ブログには書かないけれど私は身体的欠陥とコンプレックスがあります。
でも花粉症じゃないことは唯一の私のよかったことで誰かに感謝したい。
睡眠時無呼吸症を疑い先月いろいろ測定した結果を聞きに病院へ行きました。
グラフみたいなものをもらったのでのせようかと思ったけど見苦しい気もするのでやめる。
結論的には確かに一晩に数回ほど無呼吸の状態が出ている。ただし回数も少なく軽症なので治療の必要はないとのこと。
最長1分間くらい息をしてないんだって。そりゃ嫁さんも何だこりゃと思うよな。
昔この病院で命を助けてもらった。具体的な治療はもっと大きな病院でだったけれど。
それでここを信頼して通っているんだけど予防も含めて診るというコンセプトだったと思う。
しきりに、ほかに気になることはないか?と聞いてくれる。
ありませんとか言いつつ、精神がずっと憂鬱状態なんですと思ったり。
多分言ってみればかなり真剣な顔で聞いてくれるとは思う。
でも運動したり、趣味のサークルなんか入ってみたらどうですか・・みたいな感じですねきっと。
それやるとおかしくなるんですとか言って困らせても行けないので笑顔で帰る。
ブログに自分が好きですなんて書いてるけどふと、生きていても意味がないんじゃないかという気持ちが差すことがある。ねじ伏せるけれど。
もう癌も冗談じゃすまない年齢に入った。
生きたいという気持ちが低下すると病気というのはあっという間に取りついて自分を滅ぼすと思う。
同い年でそうなった人がもういる。久しぶりに再会したとき、私の名前を読み間違った彼。その後うまくいっていないのを何度か見かけていた。
私がいなくなっても誰も困らないのかもしれないし、私自身何の達成感も満足感えられていないどころか敗北感みたいなのが堆積していく感じだけれどそれだけにまだ死にたくない。
それだとあまりにもみじめな気がする。
マーラーの大地の歌フィナーレの大詰め・・
この楽章実時間も30分程度かかる長大なものですが、美しく月に照らされた夜であると同時に暗黒の夜でもあったこの世界。
色々あった末、小川のせせらぎを聞きながら
私の孤独な魂は安住の場を探している。
心静かにその時をまとう。
そうつぶやくと
光が走ります。
光があたりを埋め尽くすと
優しさに包まれ美しく輝く世界の中で
愛しき大地には花が咲乱れるだろう・・永遠に・・
みたいなことを繰り返し消えていく。
この光は夜明けの光であると同時に、心の闇を照らす光でもあるわけでしょうね。
どこにも死という言葉は出てきませんが
これも人が死を受け入れた瞬間だろう。

フルートの明るい旋律がいろんな楽器に受け継がれつつ弦楽器の光を導いていく。
ここ単純な伸ばしのようでかなり凝ったことになっています。
分奏したヴァイオリンほかいろんなものが絶妙なタイミングで重なっていく。
音もそうだけど、聴きに行くとステージ上の弦楽器の弓の動きからもそれを感じます。
音楽は芽でも聴くものなんですね。
オーディオに気のふれたようなお金と時間を割くのはそれを耳でも聴きとれるようにするためなんだけどそんなの今はどうでもいいか。
とても素晴らしく感動的なこの場面ですが心の底から共感したりしたらまずいだろう。
作者は弟子にこの曲を演奏すると自殺者が出るのではないか?と言ったという。
それは作り話じゃないと思う。
でも私はまだ死にたくないし、死んだ後に花が咲こうが何があろうがそんなの知らない。
まだ死んでいいとは全然思えない。
この後、昼食を取りにとあるカフェレストランみたいなのに行きました。
観光道路沿いにあり好意的なレビュー多数・・経験的にそういうところは・・
行ってみて外れかななんて思ったんだけど、今これを書きながら思うに
心がネガティブでいっぱいになってるからなんでもそう感じるんだろう。
ウキウキしてればあそこもよかったのかもね。
つぎに行った場所は天気も悪いしいろいろあってまたダメ
その次・・

ここは天気もいまいちで結構人もたくさんいたのに
なぜか大丈夫だった。

花のおかげかな?
場所のおかげかな?
天気のいい日にまた来たいと思った。
また行きたいところがあればそれだって生きてる理由になるから。
今朝、うぐいすの声を聴きました。
もう春ですよ。

「・・・・・・」
また弁当買って花見行こうよ。