その後
出先から帰ろうと小田急の券売機を見ていたらロマンスカーの展望席が空いていました。
そういうの好きだから押さえますよそりゃ。
町田で短時間停車後すぐ走り出す。
衝撃もなくスーッと動き出すんだね・・鳩?・・
ドン!!

あれですよね驚きすぎると一瞬記憶が飛ぶんですね。
鳩が飛び上がろうとしてるなという記憶があるけどそこから何があったのかわからない。
よくみるとガラスには羽を広げた鳩の形が・・
目の前に鳩がぶつかった向こうの席の人は反射的に逃げる体制で固まってた・・
ゆっくり事態を理解してもとにもどって・・・
しばらくはドキドキしてた。
ぶつかったハトは無事だろうか?
電車は知り始めでかなりの低速だったから・・
でもあの音・・
この音楽はグレツキの交響曲第3番の第2楽章。
1976年作曲。ポーランドの作曲家による現代音楽なのですが20年ほど前にイギリスのラジオ局が流したところブームのようになりCDもたくさん売れたというもの。
一般人には訳が分からないような前衛作品を書いていていた人ですが何を悟ったのか非常にシンプルで調性らしきものや旋律があって・・
この楽章で歌われる詩はナチス秘密警察の独房の壁で発見されたもので、18歳の少女の署名と1944年に投獄されるという記述があったという。
彼女はだれだったのかと彼女のその後についてはどこを調べてもわかりません。
状況からは耐え難い悲劇が想像される。
スコアの曲頭にはtranquillissimo-cantabilissimo-dolcissimo-LEGATISSIMOと強調形の指示が並べてあります。普通見ないこんなの。
極めて穏やかに、もうほんとに歌うように、とても甘く、極めてなめらかに・・
天国みたいだ。
ピアノにはped sempreとあって普通なら常にペダルをうまく使ってという意味でしょう。
でもこの曲の場合は踏みかえないでずっと踏んどけという意味だと思う。
弦楽器も同様に一度出た音が伸ばしっぱなしにされて重なるように書いてあります。
天からの光がハレーションを起こしてるみたいですよね。
非常に美しいけれどただの古典回帰とは全然違うと思う。

この神の国の光を見たかのような音楽はイ長調っぽい。
昔この曲が流行った時よく癒しの音楽みたいな話になってた気が・・ちょうど癒し系なんてことばが流行ってたころだっけ?
こういうとこだけ聴けばそんな気もするけど、

最後は変ロ短調の闇の中に。
高い音も鳴っているので運命的な闇というよりすぐそばにある空気みたいな印象があるかな。
何度も打ち鳴らされ異様に長く伸ばされるこの音にはsenza dim. al fineとあって消え入るように終わらせず最後までしっかり鳴らし続けることが求められています。
この厳しい状況がその後好転するという希望は全く見えないのだということを言ってるんじゃないかと私は思う。
最初にママと呼びかけるところも変ロ短調。苦しみの底からの声に聴こえる。
天国の光がさしたように感じられたこの場所、でも実際ここを支配しているのは冷たく暗い絶望なんでしょう?
仮に歌詞がなくてもこの終結を聴かされたら、あぁ救われないんだなと思いますよね。
どの音楽を誰がどう聴こうが勝手だしとやかく言うのは大きなお世話だと思う。
あの鳩死んじゃったんだろうなと思った時に私の頭に浮かんだのはこの音楽。
彼女は壁に残したものによって全世界にその存在を知られ、それはもしかすると音楽によって永遠に人の心に刻まれ続けるかもしれません。
でもそんなことより小さく幸せに生きたかっただろうと思う。
無条件で生きていられる私は幸せですよね。
乗ったのはこんなの。

隣のおばさんは買い物帰りで展望席なんかどうでもいいけどたまたまここになったという感じ。
そのおばさんと会話が弾む・・訳はなくていい歳をしたおっさんが1人絶景を見てぼーっとする。
おばさん降りるときテーブルが戻らないとか言ってるからいいんですよそんなのとか言ったりして・・会話じゃないかそれは。
もう忘れちゃったけど子供のころものすごくあこがれ夢見ただろうこの席・・
30年後に夢がかなってるんだろうけどなぁ・・
なんかこう夢見るところここでよかったのかなぁ・・
まあいいか。おっさんになっても芯のほうにあの頃の子供が生きてました。
そういうの好きだから押さえますよそりゃ。
町田で短時間停車後すぐ走り出す。
衝撃もなくスーッと動き出すんだね・・鳩?・・
ドン!!

あれですよね驚きすぎると一瞬記憶が飛ぶんですね。
鳩が飛び上がろうとしてるなという記憶があるけどそこから何があったのかわからない。
よくみるとガラスには羽を広げた鳩の形が・・
目の前に鳩がぶつかった向こうの席の人は反射的に逃げる体制で固まってた・・
ゆっくり事態を理解してもとにもどって・・・
しばらくはドキドキしてた。
ぶつかったハトは無事だろうか?
電車は知り始めでかなりの低速だったから・・
でもあの音・・
この音楽はグレツキの交響曲第3番の第2楽章。
1976年作曲。ポーランドの作曲家による現代音楽なのですが20年ほど前にイギリスのラジオ局が流したところブームのようになりCDもたくさん売れたというもの。
一般人には訳が分からないような前衛作品を書いていていた人ですが何を悟ったのか非常にシンプルで調性らしきものや旋律があって・・
この楽章で歌われる詩はナチス秘密警察の独房の壁で発見されたもので、18歳の少女の署名と1944年に投獄されるという記述があったという。
彼女はだれだったのかと彼女のその後についてはどこを調べてもわかりません。
状況からは耐え難い悲劇が想像される。
スコアの曲頭にはtranquillissimo-cantabilissimo-dolcissimo-LEGATISSIMOと強調形の指示が並べてあります。普通見ないこんなの。
極めて穏やかに、もうほんとに歌うように、とても甘く、極めてなめらかに・・
天国みたいだ。
ピアノにはped sempreとあって普通なら常にペダルをうまく使ってという意味でしょう。
でもこの曲の場合は踏みかえないでずっと踏んどけという意味だと思う。
弦楽器も同様に一度出た音が伸ばしっぱなしにされて重なるように書いてあります。
天からの光がハレーションを起こしてるみたいですよね。
非常に美しいけれどただの古典回帰とは全然違うと思う。

この神の国の光を見たかのような音楽はイ長調っぽい。
昔この曲が流行った時よく癒しの音楽みたいな話になってた気が・・ちょうど癒し系なんてことばが流行ってたころだっけ?
こういうとこだけ聴けばそんな気もするけど、

最後は変ロ短調の闇の中に。
高い音も鳴っているので運命的な闇というよりすぐそばにある空気みたいな印象があるかな。
何度も打ち鳴らされ異様に長く伸ばされるこの音にはsenza dim. al fineとあって消え入るように終わらせず最後までしっかり鳴らし続けることが求められています。
この厳しい状況がその後好転するという希望は全く見えないのだということを言ってるんじゃないかと私は思う。
最初にママと呼びかけるところも変ロ短調。苦しみの底からの声に聴こえる。
天国の光がさしたように感じられたこの場所、でも実際ここを支配しているのは冷たく暗い絶望なんでしょう?
仮に歌詞がなくてもこの終結を聴かされたら、あぁ救われないんだなと思いますよね。
どの音楽を誰がどう聴こうが勝手だしとやかく言うのは大きなお世話だと思う。
あの鳩死んじゃったんだろうなと思った時に私の頭に浮かんだのはこの音楽。
彼女は壁に残したものによって全世界にその存在を知られ、それはもしかすると音楽によって永遠に人の心に刻まれ続けるかもしれません。
でもそんなことより小さく幸せに生きたかっただろうと思う。
無条件で生きていられる私は幸せですよね。
乗ったのはこんなの。

隣のおばさんは買い物帰りで展望席なんかどうでもいいけどたまたまここになったという感じ。
そのおばさんと会話が弾む・・訳はなくていい歳をしたおっさんが1人絶景を見てぼーっとする。
おばさん降りるときテーブルが戻らないとか言ってるからいいんですよそんなのとか言ったりして・・会話じゃないかそれは。
もう忘れちゃったけど子供のころものすごくあこがれ夢見ただろうこの席・・
30年後に夢がかなってるんだろうけどなぁ・・
なんかこう夢見るところここでよかったのかなぁ・・
まあいいか。おっさんになっても芯のほうにあの頃の子供が生きてました。