つばめ
朝から小鳥がすごい勢いで鳴いていました。鳴いてるというよりなんかこう演説でもしてるんじゃないかというような・・春ですね。
よく聞いてると同じパターンを繰り返しているからあれ何か意味があって言ってるのかもね。いいねぇ。
鳥の声、作曲家を刺激するらしくいろんな曲にいろんな形で出てきます。腕の見せ所的に萌えるんでしょうね。
虫の声をというのはあんまり出て来ません。
ラヴェルとかR・シュトラウスには出てくるので虫がいないとか興味がないわけじゃないんだろうけど、ある時代までキリスト教的観念で虫けらを芸術作品にのせるのはNGみたいな考え方があったみたい。
ここはたまに時間と場所的タイミングが合うと行くスーパー。
店舗階下の駐車場に車を停めると嫁さんがなんか指さして・・・

つばめの夫婦。
かわいいよねー。
動くわけでも鳴くわけでもなくジーっとしてる。
なんとなく左の一歩前に出て胸を張ってる方が旦那っぽいでしょ?
彼らもこちらを見てなんか思ってるんでしょうね。
貧乏くせー夫婦だなぁとか。
ここに巣を作ろうかと思ってるのかな。もう夜だし今日はここで寝るのかな?
マーラーの大地の歌のフィナーレは夕日が山に沈む辺りから翌朝までの世界ですが途中こんな一説があります。

小鳥たちは静かに小枝へ休み

世界は眠りにつく
鳥たちが鳴いていますが、リアルな鳥描写とはまた違いますね。
絵巻物、掛け軸のなかみたいな象徴的な絵というか・・
フルートが騒めいてハープの下降グリッサンドが出てくるとこなんか魔法がかかってみんなコテッっと眠りにつくみたいですね。
子供のころによく見た藤城清治の影絵みたいなイメージが頭の中に浮かびます。
始めは5連符の頭抜けみたいだったのが最後の騒いでるフルートでは6連符になってたりして・・・、
西洋音楽の拍があってそれを整数できちっと割っていく、同じパターンを使う・・というのとは全然違うファジーというかより自然の側に沿っている感じ・・この感じが鳥の声に限らずこの先も多用されていくんですね。風の音、小川のせせらぎ・・風に揺れる草木・・
この自然のありのままをとらえて尊重しようみたいな感覚は東洋人のものですよね。
この曲見事に中国を感じさせる音楽ですが単に旋律や和声だけじゃなくてそういうところにも秘密があるんじゃないかな。
それはその後の交響曲第9番にも引き継がれていきます。
この後月明りに照らされた美しい世界で一人竪琴を弾きながら・・みたいな素晴らしい場面がまっています。
とてもとても美しいその世界に浸っていると、寝たはずの鳥の声が遠くに聴こえたのをきっかけに長大なエレジーに入っていく。
その先は死の香りも漂う世界だ。
どうも後半に出てくるこの鳥は単なる風景描写じゃなくて、寂しさの象徴みたいな感じがするなぁ・・
それはおまえがそんなだからからそう聞こえるんだろう・・もちろんそうですよ。
音楽は自分の心に映ったものを感じるんだから。
このスーパーは閉店時間が早い代わりに夕刻になると弁当そのほかに半額のシールが貼られるんです。
だからその時間近くにいたときだけ行く。
結構大量の弁当が半額になるんだけど見てるとみんなその時間を狙ってくるのでどんどんはけてくのね。
得した気分で喜んでるけど本当は半額で適正価格なのかな?
厳しい時代だし、みんな必死でいろいろ考えて商売してるんですよねきっと。
得した気で調子に乗ってもう惣菜一品買っちゃたりするから実際食いすぎかも。
でもまぁたまにはいいじゃないなんか楽しくて。
店から出たらつばめの夫婦の姿はありませんでした。
ここよそうよ落ち着かないしとかいう話になったのかな。
つばめも生まれたときからいきなり競争で、天敵を交わし長距離を飛び日本で子育てしにくるようなのは選ばれたアスリートみたいなスーパー夫婦なんだよね。
ほんわか幸せみたいな穏やかな世界じゃないのかもしれない。
でも右側の嫁さんぽいほうがちょっと寄り添うように斜めになってる感じなんかいいよねぇ・・
いいなぁ・・がんばれがんばれ。
よく聞いてると同じパターンを繰り返しているからあれ何か意味があって言ってるのかもね。いいねぇ。
鳥の声、作曲家を刺激するらしくいろんな曲にいろんな形で出てきます。腕の見せ所的に萌えるんでしょうね。
虫の声をというのはあんまり出て来ません。
ラヴェルとかR・シュトラウスには出てくるので虫がいないとか興味がないわけじゃないんだろうけど、ある時代までキリスト教的観念で虫けらを芸術作品にのせるのはNGみたいな考え方があったみたい。
ここはたまに時間と場所的タイミングが合うと行くスーパー。
店舗階下の駐車場に車を停めると嫁さんがなんか指さして・・・

つばめの夫婦。
かわいいよねー。
動くわけでも鳴くわけでもなくジーっとしてる。
なんとなく左の一歩前に出て胸を張ってる方が旦那っぽいでしょ?
彼らもこちらを見てなんか思ってるんでしょうね。
貧乏くせー夫婦だなぁとか。
ここに巣を作ろうかと思ってるのかな。もう夜だし今日はここで寝るのかな?
マーラーの大地の歌のフィナーレは夕日が山に沈む辺りから翌朝までの世界ですが途中こんな一説があります。

小鳥たちは静かに小枝へ休み

世界は眠りにつく
鳥たちが鳴いていますが、リアルな鳥描写とはまた違いますね。
絵巻物、掛け軸のなかみたいな象徴的な絵というか・・
フルートが騒めいてハープの下降グリッサンドが出てくるとこなんか魔法がかかってみんなコテッっと眠りにつくみたいですね。
子供のころによく見た藤城清治の影絵みたいなイメージが頭の中に浮かびます。
始めは5連符の頭抜けみたいだったのが最後の騒いでるフルートでは6連符になってたりして・・・、
西洋音楽の拍があってそれを整数できちっと割っていく、同じパターンを使う・・というのとは全然違うファジーというかより自然の側に沿っている感じ・・この感じが鳥の声に限らずこの先も多用されていくんですね。風の音、小川のせせらぎ・・風に揺れる草木・・
この自然のありのままをとらえて尊重しようみたいな感覚は東洋人のものですよね。
この曲見事に中国を感じさせる音楽ですが単に旋律や和声だけじゃなくてそういうところにも秘密があるんじゃないかな。
それはその後の交響曲第9番にも引き継がれていきます。
この後月明りに照らされた美しい世界で一人竪琴を弾きながら・・みたいな素晴らしい場面がまっています。
とてもとても美しいその世界に浸っていると、寝たはずの鳥の声が遠くに聴こえたのをきっかけに長大なエレジーに入っていく。
その先は死の香りも漂う世界だ。
どうも後半に出てくるこの鳥は単なる風景描写じゃなくて、寂しさの象徴みたいな感じがするなぁ・・
それはおまえがそんなだからからそう聞こえるんだろう・・もちろんそうですよ。
音楽は自分の心に映ったものを感じるんだから。
このスーパーは閉店時間が早い代わりに夕刻になると弁当そのほかに半額のシールが貼られるんです。
だからその時間近くにいたときだけ行く。
結構大量の弁当が半額になるんだけど見てるとみんなその時間を狙ってくるのでどんどんはけてくのね。
得した気分で喜んでるけど本当は半額で適正価格なのかな?
厳しい時代だし、みんな必死でいろいろ考えて商売してるんですよねきっと。
得した気で調子に乗ってもう惣菜一品買っちゃたりするから実際食いすぎかも。
でもまぁたまにはいいじゃないなんか楽しくて。
店から出たらつばめの夫婦の姿はありませんでした。
ここよそうよ落ち着かないしとかいう話になったのかな。
つばめも生まれたときからいきなり競争で、天敵を交わし長距離を飛び日本で子育てしにくるようなのは選ばれたアスリートみたいなスーパー夫婦なんだよね。
ほんわか幸せみたいな穏やかな世界じゃないのかもしれない。
でも右側の嫁さんぽいほうがちょっと寄り添うように斜めになってる感じなんかいいよねぇ・・
いいなぁ・・がんばれがんばれ。