アートな古民家
訳のわかんない心配で暗くなってるくらいなら楽しく飯でも食いに行った方がいい。
近いと思ってたら高速代が予想以上でへこみながら・・

こういうの大丈夫だと思ってると下の方でガガガ!とかいったりしますね。
あの先を曲がると

古民家って築200年の茅葺で・・とかだと思っていたけど最近はちょっと古けりゃ古民家なんですよね。
どっかのおばあちゃんの家みたいな古民家。
狭いところで切り返して車の向きを変えてたら中の人が出てきてそこでいいですよ・・
あっいい人そうだ・・

外に電気釜があったり・・
陶芸家のアトリエのようです。
カフェもやってますという感じなのかな・・
主人作(夫婦でかな?)の陶芸作品がたくさん展示してある。
素人にも受け入れやすいものもたくさんあってなかなか良かった。
この日は主人がほれ込んだ?らしい現代美術作家の個展をやっているとのことで前衛的な作品が建物の中を埋め尽くしていました。値札もついていて気に入った人は買えるんでしょう。
前衛もいろいろですが正直私にはその良さがわからない感じ。
見返すとあえて避けたようにその写真が一枚もないのが私の素直な感想だと思う。
音楽にも現代音楽みたいな世界があって私には意味不明なことがほとんどです。
しかしこれまで訳の分からないと思っていた音楽の中身が急に見えたりしたことがあります。
そして今はかけがえのない大切な音楽だったりする。
だから目の前にあるものが意味不明であったとしてもそれに意味や価値がないと決めつけてはいけないと思っている。
自身優れたピアニストでもあったらしいスクリャービンというロシアの作曲家がいます。
ラフマニノフと同期かなんかだったと思う。
初めのころの作品は非常にロマンチックでみんな大好きな感じの曲を書いていましたが、ある時期から神秘主義みたいな妙な思想に傾倒したりして作品や音楽家としての活動も変態化していきました。
最後のほうの交響曲かなんかが有名ですがいまのところ私には理解不能です。
ta
ピアノソナタ第10番。
たまたま持っているホロビッツのスクリャービン集に入っているのでなんとなく。
この曲について検索すると作者が言ったという言葉が出てきますが
「私の第10ソナタは昆虫のソナタである。 虫たちは太陽から生まれる。 彼らは太陽の接吻なのである。」
だそうです。
こういうのはちゃんと共感できればいいけれど、訳のわかんないままうなずいたりしたら負けだ。
序奏からいっちゃってる感じがする・・・

序奏の最後出てくるこの怪しく輝く和音とトリルは如何にも後期のスクリャービンだなという気がしますね。
この世に生きる者どもよ聞け!みたいな・・
ここからテンポアップするのでここまで序奏、ここからソナタ形式の提示部に入るよというところなんでしょう。
訳の分かんないい感じのお第一主題の後音楽はトリルにあるれている。
いかれていると思った序奏の大可上げで主部が解りやすく聞けていることに気付いたりもする。
えっこれが第2主題かな?とか思っていると序奏がかえって来てここから展開部だよと分かりやすく教えてくれる。
ぶっ飛んでいる音楽のようで実はベートーベン的なルールをしっかり守っており、ただのいかれたナルシスト芸術家じゃないと感じたりして。
このソナタはトリルソナタと呼ばれているようですがそのトリルはどんどんエスカレートして最後は七色の光が爆発したような世界を見せます。
この世の自然も命も太陽の光も、時間も・・すべての存在はエネルギーなのだ・・それは光だ・・
みたいなことを言ってるんじゃないかと思うんですよね。
音楽って自然や人の恋や生き死にを表すものだけれど、その究極は宇宙を描くことだ。
芸術家が作品を通して描こうとする宇宙と、理論物理学者が数式で表現する宇宙が最終的に一致したらすごいですよね。
俺も調子に乗って何言ってんだ。
玉虫色に輝く神秘トリルがさく裂しクライマックスに達すると

突然あのお告げトリルが登場。
この世の全てのものよ聞け!
そしてまたAllegroに・・
実は聴き手へ解りやすく伝えるための配慮が考されているような気もする。
クラシック音楽をいろいろ聴いていますが、いきなりいいなぁと思える曲ばかりじゃありません。
むしろそんなことはあんまりない。
最初は聴いても訳が分からないものなんですよね。
それは多分クラシックを聴かないか大嫌いな人がクラシックを聞いたときに感じる訳の分からない騒音・・みたいなのほぼ同じです。
私も生まれたときからクラシックが好きだったわけじゃないからそう感じていたことがあります。
でもそこを無理やり聞いていると訳の分からない真っ暗闇の中にぽっと灯台というか目印みたいなものが光って見えることがあるんですね。
そうするとそのあたりは照らされて様子が見えるのでそこだけでも聞こうという気がしてくる。
そんなこととをやっているとそのうちその明かりの間にあった訳の分からない闇に何があるのかが見えてくる・・・
という感じで曲の内容が見えてきて好きになっていったりするんですけどね・・
この曲に関してはまだその途中。
あっもう一回聴いてみようかなと思ったら脈があるかな。
ピアノを弾く人は楽譜を読んでこの音楽はこういうことを言ってるんだというのを感じてそれを表現しよう・・とやるんでしょう。
今じゃ有名曲だけど何のヒントもないときにこれを見て感銘を受け演奏しようとした演奏家たちがいたんですよね・・
すごいよな。
私は知っている曲なら楽譜を眺めて喜べるけど、知らない曲をで眺めても音はならない。
弾けないながらに何か鳴らしてみればこういう曲かな?というのは出てくるけどまず弾けない。
自分が弾けなくても誰かが弾いてくれたのを聞けばいいんだからいいけれど、
自分で感じて弾いてみるというのをやってみたかった。

明り取りの窓っていいな。
天上がないのは昔からかな?
わざと天井を外して演出してる感じの古民家カフェもたくさん見ますよね。
ここはそういうのには関心がなさそうか・・
土壁と・・

どこでも好きな席にといわれたので奥の部屋へ・・
窓の外は竹藪?

お任せランチというのを頼んだら今日はわかめとタケノコのご飯。
うらの裏が竹やぶになっておりましてぇ・・すぐ湯がいたので・・。
これシンプルだけどおいしかった。

豆腐にゴマがかかったのとホタテの吸い物と・・
こういうものばっかり食べてたら心はともかく体は浄化されそうですね。
どうしても肉とか砂糖食っちゃうけど。
帰り際、主人夫婦と少し話す。
車のナンバーでちょっと遠くからなのがわかったらしく
SNSで?と聞かれる。
SNSなんか苦手で全然できないと答えるのも変なのでそうですとか言って・・
どこもかしこもSNSだ。別にSNSが悪いものだなんで少しも思わないけど私は人間とうまくやれないことを突きつけられるのが怖くてやれない。
私には多分SNSもいろんな人と楽しくやるということも一生できないかもしれない。
でも今理解できないスクリャービンの変態曲のいくつかは好きになるかもしれない。
今日も別な作曲家のもやがかかったように思えていたある曲のスコアをみたらパーッと霧が晴れたような気がした。
少しいいこともあるから。
雰囲気的に多分、こちらがその気になればずっと話ができた気もする。
でもちょっと私が逃げ気味で・・
苦労もあるのかもしれないけれど自分のやりたいことをやれる人生は羨ましい。
人を羨んでばかりいると自分は暗くなるのでいけないいけれど。
タケノコおいしかったと言ったら二人ともすごく喜んでくれたのが忘れられない。
やっぱり最高のごちそうは人とのやり取りなんだろうね。
私は苦手だけれど。
近いと思ってたら高速代が予想以上でへこみながら・・

こういうの大丈夫だと思ってると下の方でガガガ!とかいったりしますね。
あの先を曲がると

古民家って築200年の茅葺で・・とかだと思っていたけど最近はちょっと古けりゃ古民家なんですよね。
どっかのおばあちゃんの家みたいな古民家。
狭いところで切り返して車の向きを変えてたら中の人が出てきてそこでいいですよ・・
あっいい人そうだ・・

外に電気釜があったり・・
陶芸家のアトリエのようです。
カフェもやってますという感じなのかな・・
主人作(夫婦でかな?)の陶芸作品がたくさん展示してある。
素人にも受け入れやすいものもたくさんあってなかなか良かった。
この日は主人がほれ込んだ?らしい現代美術作家の個展をやっているとのことで前衛的な作品が建物の中を埋め尽くしていました。値札もついていて気に入った人は買えるんでしょう。
前衛もいろいろですが正直私にはその良さがわからない感じ。
見返すとあえて避けたようにその写真が一枚もないのが私の素直な感想だと思う。
音楽にも現代音楽みたいな世界があって私には意味不明なことがほとんどです。
しかしこれまで訳の分からないと思っていた音楽の中身が急に見えたりしたことがあります。
そして今はかけがえのない大切な音楽だったりする。
だから目の前にあるものが意味不明であったとしてもそれに意味や価値がないと決めつけてはいけないと思っている。
自身優れたピアニストでもあったらしいスクリャービンというロシアの作曲家がいます。
ラフマニノフと同期かなんかだったと思う。
初めのころの作品は非常にロマンチックでみんな大好きな感じの曲を書いていましたが、ある時期から神秘主義みたいな妙な思想に傾倒したりして作品や音楽家としての活動も変態化していきました。
最後のほうの交響曲かなんかが有名ですがいまのところ私には理解不能です。
ta
ピアノソナタ第10番。
たまたま持っているホロビッツのスクリャービン集に入っているのでなんとなく。
この曲について検索すると作者が言ったという言葉が出てきますが
「私の第10ソナタは昆虫のソナタである。 虫たちは太陽から生まれる。 彼らは太陽の接吻なのである。」
だそうです。
こういうのはちゃんと共感できればいいけれど、訳のわかんないままうなずいたりしたら負けだ。
序奏からいっちゃってる感じがする・・・

序奏の最後出てくるこの怪しく輝く和音とトリルは如何にも後期のスクリャービンだなという気がしますね。
この世に生きる者どもよ聞け!みたいな・・
ここからテンポアップするのでここまで序奏、ここからソナタ形式の提示部に入るよというところなんでしょう。
訳の分かんないい感じのお第一主題の後音楽はトリルにあるれている。
いかれていると思った序奏の大可上げで主部が解りやすく聞けていることに気付いたりもする。
えっこれが第2主題かな?とか思っていると序奏がかえって来てここから展開部だよと分かりやすく教えてくれる。
ぶっ飛んでいる音楽のようで実はベートーベン的なルールをしっかり守っており、ただのいかれたナルシスト芸術家じゃないと感じたりして。
このソナタはトリルソナタと呼ばれているようですがそのトリルはどんどんエスカレートして最後は七色の光が爆発したような世界を見せます。
この世の自然も命も太陽の光も、時間も・・すべての存在はエネルギーなのだ・・それは光だ・・
みたいなことを言ってるんじゃないかと思うんですよね。
音楽って自然や人の恋や生き死にを表すものだけれど、その究極は宇宙を描くことだ。
芸術家が作品を通して描こうとする宇宙と、理論物理学者が数式で表現する宇宙が最終的に一致したらすごいですよね。
俺も調子に乗って何言ってんだ。
玉虫色に輝く神秘トリルがさく裂しクライマックスに達すると

突然あのお告げトリルが登場。
この世の全てのものよ聞け!
そしてまたAllegroに・・
実は聴き手へ解りやすく伝えるための配慮が考されているような気もする。
クラシック音楽をいろいろ聴いていますが、いきなりいいなぁと思える曲ばかりじゃありません。
むしろそんなことはあんまりない。
最初は聴いても訳が分からないものなんですよね。
それは多分クラシックを聴かないか大嫌いな人がクラシックを聞いたときに感じる訳の分からない騒音・・みたいなのほぼ同じです。
私も生まれたときからクラシックが好きだったわけじゃないからそう感じていたことがあります。
でもそこを無理やり聞いていると訳の分からない真っ暗闇の中にぽっと灯台というか目印みたいなものが光って見えることがあるんですね。
そうするとそのあたりは照らされて様子が見えるのでそこだけでも聞こうという気がしてくる。
そんなこととをやっているとそのうちその明かりの間にあった訳の分からない闇に何があるのかが見えてくる・・・
という感じで曲の内容が見えてきて好きになっていったりするんですけどね・・
この曲に関してはまだその途中。
あっもう一回聴いてみようかなと思ったら脈があるかな。
ピアノを弾く人は楽譜を読んでこの音楽はこういうことを言ってるんだというのを感じてそれを表現しよう・・とやるんでしょう。
今じゃ有名曲だけど何のヒントもないときにこれを見て感銘を受け演奏しようとした演奏家たちがいたんですよね・・
すごいよな。
私は知っている曲なら楽譜を眺めて喜べるけど、知らない曲をで眺めても音はならない。
弾けないながらに何か鳴らしてみればこういう曲かな?というのは出てくるけどまず弾けない。
自分が弾けなくても誰かが弾いてくれたのを聞けばいいんだからいいけれど、
自分で感じて弾いてみるというのをやってみたかった。

明り取りの窓っていいな。
天上がないのは昔からかな?
わざと天井を外して演出してる感じの古民家カフェもたくさん見ますよね。
ここはそういうのには関心がなさそうか・・
土壁と・・

どこでも好きな席にといわれたので奥の部屋へ・・
窓の外は竹藪?

お任せランチというのを頼んだら今日はわかめとタケノコのご飯。
うらの裏が竹やぶになっておりましてぇ・・すぐ湯がいたので・・。
これシンプルだけどおいしかった。

豆腐にゴマがかかったのとホタテの吸い物と・・
こういうものばっかり食べてたら心はともかく体は浄化されそうですね。
どうしても肉とか砂糖食っちゃうけど。
帰り際、主人夫婦と少し話す。
車のナンバーでちょっと遠くからなのがわかったらしく
SNSで?と聞かれる。
SNSなんか苦手で全然できないと答えるのも変なのでそうですとか言って・・
どこもかしこもSNSだ。別にSNSが悪いものだなんで少しも思わないけど私は人間とうまくやれないことを突きつけられるのが怖くてやれない。
私には多分SNSもいろんな人と楽しくやるということも一生できないかもしれない。
でも今理解できないスクリャービンの変態曲のいくつかは好きになるかもしれない。
今日も別な作曲家のもやがかかったように思えていたある曲のスコアをみたらパーッと霧が晴れたような気がした。
少しいいこともあるから。
雰囲気的に多分、こちらがその気になればずっと話ができた気もする。
でもちょっと私が逃げ気味で・・
苦労もあるのかもしれないけれど自分のやりたいことをやれる人生は羨ましい。
人を羨んでばかりいると自分は暗くなるのでいけないいけれど。
タケノコおいしかったと言ったら二人ともすごく喜んでくれたのが忘れられない。
やっぱり最高のごちそうは人とのやり取りなんだろうね。
私は苦手だけれど。