場違い
昨日は体調も思わしくなく、外は雨。
いい歳をした大人が何をするでもなく一日寝そべって、いじけた思考で腐っていた。
夕方くらいからここに具体的な自己批判を書いて何か具体的にまえに進もうとしているような気になってみたりして。
今は月曜の朝。
一晩たつと気持ちも変わる。
自分で書いたものを読んでみるとひどいので慌てて消してみたりして。
そんなに卑屈にならなくてもいいだろう。
人は弱気になったら終わり。
他人からはばかにされるだけ、自分は病気になり、いらん不運を呼び寄せる。
若いころからこのパターンは何度もあるんだけれど、40歳を過ぎたあたりからこの人生は無駄なまま終わってしまうとかもう時間がなく取り返しがつかないというような強迫観念が被るようになってきた。
そもそも一見正しそうなその強迫観念も本当に必要なものなのかどうか。
何の関係もなく、結構前にたまたま寄ってみたカフェ。

ここも新しい民家の1階をお店にしている感じ。
犬同伴可だそうでドックランがあったり、店内は犬にまつわる小物が飾ってあったり・・
奥からは複数の犬の声。
他にお客さんはいなくて私たちだけ。

オーナーさん犬が大好きなんでしょうね。
ソイラテじゃなくて何だっけ・・まぁそれ系の豆乳を使ったラテ。
いいねかわいくて。もったいなくて飲めないよ。
ケーキも飲み物もおいしいし、清潔感もあっていい感じなんだけど何か落ち着かない。
お店はいいんですよ。多分私の気持ちの問題。
ここへうちの犬を連れてきたらどうなるかなぁ・・
うちの一家は犬ともどもおしゃれ空間より野原でパンでも食ってるほうが性に合ってる気がするなぁ

え?
※埋め込みyoutube が真っ黒だった方、これで再生されるようになりましたでしょうか?
なんでこの曲なのか別に理由もないけれど・・・
中学生のころ初めて買ったCDはバッハのオルガン名曲集で、その最後にこの曲が入っていました。
バッハの曲にはBWVという作品番号が付けられ整理されています。
他はみんな500番、600番台なのになぜこの曲だけ作品番号がBWV147なんだろう?なんて思った。
めちゃくちゃ有名なバッハのこの曲はでカンタータという合唱をオケが伴奏するみたいな音楽なんですね。
オルガン名曲集に愛すべきこの曲をあえて入れたのはそんなにコアなリスナーじゃない誰かにも楽しンでほしいというプロデューサーの狙いじゃないかと思う。
その狙いは見事に私に命中して何だかわからない中学生を楽しませてくれました。
これとは全然別な人の別な演奏だけど気に入って何度も何度も聴きました。
協会のオルガニストという職業は芸術家といういう前に宗教的行事の進行を背負う実務的職業だったりするらしいですね。
誰かの編曲を使わなくても

スコアを見ながら即興でオルガンを弾いちゃうなんて朝飯前だったりするんでしょうね。
関係ない私がどうこう言うのも筋違いなんだろうけど。
好きな音楽は?と聴かれて真顔でこれだと答えたりすると、お前ふざけんなよみたいな反応が返ってくると思う。
私からするとそんな世の中のほうがふざけているのではないかと言いたいところだけれど多勢に無勢というか間抜けは黙っとけみたいなところなんでしょう。
だからそんなことは絶対に言わないけど今でも私はこういうのが好き。
私が何が好きなのかは私の勝手で大きなお世話だけれど、思えばありがたいのはあのころ周りの同級生たちはそんな私を邪険に扱わず良くしてくれたこと。
あの時は幸せだったんだな。
最近、かつての同級生たちが飲み会みたいなのに何度も何度も誘いをくれたけれど理由をつけて断り続けた。
なんでというのを書いても仕方ないけれど。
なぜか昨日は一日中居酒屋巡り系のブログを見ていた。
いいなと思いながら。
飲み歩くとかしてみたかった。
バッハの書いたこの美しく優しいオブリガートみたいなのは私が誰だろうがなんだろうがそんなことは関係なくいつでも優しく鳴って聞かせてくれる。
昨日は居酒屋のブログを見ていたら刺激を受けてうまいもんが食いたくなった。
気分も腐ってるしこの際どこかいくかぁ・・でも嫁さんの調子が悪く行けないみたいだ。
私一人じゃ盛り上がらない。
飯なんか何時だって食いに行けるんだからいいか。
嫌な音を聞かせてた雨も止んだ。
晴れてくれば気持ちのいいいい世界が広がってるんだと思う。
私幸せなんですけどね。
幸せですって自分で書いて読んだりしないとわからないときがあるから・・
いい歳をした大人が何をするでもなく一日寝そべって、いじけた思考で腐っていた。
夕方くらいからここに具体的な自己批判を書いて何か具体的にまえに進もうとしているような気になってみたりして。
今は月曜の朝。
一晩たつと気持ちも変わる。
自分で書いたものを読んでみるとひどいので慌てて消してみたりして。
そんなに卑屈にならなくてもいいだろう。
人は弱気になったら終わり。
他人からはばかにされるだけ、自分は病気になり、いらん不運を呼び寄せる。
若いころからこのパターンは何度もあるんだけれど、40歳を過ぎたあたりからこの人生は無駄なまま終わってしまうとかもう時間がなく取り返しがつかないというような強迫観念が被るようになってきた。
そもそも一見正しそうなその強迫観念も本当に必要なものなのかどうか。
何の関係もなく、結構前にたまたま寄ってみたカフェ。

ここも新しい民家の1階をお店にしている感じ。
犬同伴可だそうでドックランがあったり、店内は犬にまつわる小物が飾ってあったり・・
奥からは複数の犬の声。
他にお客さんはいなくて私たちだけ。

オーナーさん犬が大好きなんでしょうね。
ソイラテじゃなくて何だっけ・・まぁそれ系の豆乳を使ったラテ。
いいねかわいくて。もったいなくて飲めないよ。
ケーキも飲み物もおいしいし、清潔感もあっていい感じなんだけど何か落ち着かない。
お店はいいんですよ。多分私の気持ちの問題。
ここへうちの犬を連れてきたらどうなるかなぁ・・
うちの一家は犬ともどもおしゃれ空間より野原でパンでも食ってるほうが性に合ってる気がするなぁ

え?
※埋め込みyoutube が真っ黒だった方、これで再生されるようになりましたでしょうか?
なんでこの曲なのか別に理由もないけれど・・・
中学生のころ初めて買ったCDはバッハのオルガン名曲集で、その最後にこの曲が入っていました。
バッハの曲にはBWVという作品番号が付けられ整理されています。
他はみんな500番、600番台なのになぜこの曲だけ作品番号がBWV147なんだろう?なんて思った。
めちゃくちゃ有名なバッハのこの曲はでカンタータという合唱をオケが伴奏するみたいな音楽なんですね。
オルガン名曲集に愛すべきこの曲をあえて入れたのはそんなにコアなリスナーじゃない誰かにも楽しンでほしいというプロデューサーの狙いじゃないかと思う。
その狙いは見事に私に命中して何だかわからない中学生を楽しませてくれました。
これとは全然別な人の別な演奏だけど気に入って何度も何度も聴きました。
協会のオルガニストという職業は芸術家といういう前に宗教的行事の進行を背負う実務的職業だったりするらしいですね。
誰かの編曲を使わなくても

スコアを見ながら即興でオルガンを弾いちゃうなんて朝飯前だったりするんでしょうね。
関係ない私がどうこう言うのも筋違いなんだろうけど。
好きな音楽は?と聴かれて真顔でこれだと答えたりすると、お前ふざけんなよみたいな反応が返ってくると思う。
私からするとそんな世の中のほうがふざけているのではないかと言いたいところだけれど多勢に無勢というか間抜けは黙っとけみたいなところなんでしょう。
だからそんなことは絶対に言わないけど今でも私はこういうのが好き。
私が何が好きなのかは私の勝手で大きなお世話だけれど、思えばありがたいのはあのころ周りの同級生たちはそんな私を邪険に扱わず良くしてくれたこと。
あの時は幸せだったんだな。
最近、かつての同級生たちが飲み会みたいなのに何度も何度も誘いをくれたけれど理由をつけて断り続けた。
なんでというのを書いても仕方ないけれど。
なぜか昨日は一日中居酒屋巡り系のブログを見ていた。
いいなと思いながら。
飲み歩くとかしてみたかった。
バッハの書いたこの美しく優しいオブリガートみたいなのは私が誰だろうがなんだろうがそんなことは関係なくいつでも優しく鳴って聞かせてくれる。
昨日は居酒屋のブログを見ていたら刺激を受けてうまいもんが食いたくなった。
気分も腐ってるしこの際どこかいくかぁ・・でも嫁さんの調子が悪く行けないみたいだ。
私一人じゃ盛り上がらない。
飯なんか何時だって食いに行けるんだからいいか。
嫌な音を聞かせてた雨も止んだ。
晴れてくれば気持ちのいいいい世界が広がってるんだと思う。
私幸せなんですけどね。
幸せですって自分で書いて読んだりしないとわからないときがあるから・・