めんこ
ブログ記事、大した内容もありませんがなんとなく何日かかけて書いたりするものもあります。
その内容にはその時の自分の気分や考えが反映するものですが、それが短時間で大きく変動していることに気付いたりして。
ある程度重いものを積んで走ったほうがかえって安定して走れる・・みたいな何かがあると思う。
私は今何もなくてペラペラなんだと思う。風や小さな石で簡単に傾いたりして・・
仕事を一生懸命やってる自分なんて言うのを設定したこともあったけどそんなのいい訳みたいなもんでしかなかった。

いいでしょうこの景色。
黄金色に輝き波打つ麦畑、神社の鳥居、小さな電車。
また出かけてきちゃったんですけどね、
2週連続で平日にどっか行ったりしたら遊び人みたいですけどちゃんと会社員やっています。
ただ休めるチャンスが来たとき周りの顔色をみて俺出ますから・・みたいなのをやめてみた。
多分報復的なへんなのが襲って来るだろう。
・・いやでもそれ違うよ。
昔からの暗示に縛られてるだけ。
そんなだから周りは見透かしていいように扱おうとするだけ。

玩具みたいな電車でしょう・・その下には橋。
長くなるので別にまた書きたいと思うんですが、ここはとある人たちにはかなり有名な場所。
休日にはでっかいカメラを持った人がいっぱいだったりするんじゃないかな?
平日で誰もいないな・・なんて思っていたら後からその手の人が来た。
1人はちゃんと挨拶してくれ・・・でもカメラなんて何も持ってなくてスマホをいじってる私を見て「あれ?」って顔してた。
ちょっと変な感じの人を含めあそこに3人いたんだけれどで一番変なのは私だったのかも。
子供のころから鉄道マニアでオタク的傾向があり、こんなところに来てしまう私は一眼レフのカメラやレンズというのをたくさん持って写真をブログにアップし・・とやっていそうだしやっていないほうがおかしいと自分でも思う。
でも一つも持っていないし、この先も買わないだろう。
幼いころ埋め込まれ、ある時期からは自分で自分にかけてきた暗示がある。
おまえにはできないし、やってはいけない。
なに甘えてんだ馬鹿か!という話ですが、医者へ行けば治るんだろうか?
治るわけないよもとからたたなきゃ。
もうどうにかするにも手遅れだと思いつつ、いつだったら間に合ったんだろうかと考えると出てくるのはこことあの記憶。
物心つくかつかないかという頃に住んだ家の跡・・の前。

あのころ、右側の側溝には蓋がなかった。
嵌って泣いていた思い出もあるけれどどうしても忘れられない思い出が一つある。
近所のお兄ちゃん・・おうわからないけれどガキ大将的な子だったんだろう・・が小さな箱に薄っぺらいものをたくさん入れて持ってきた。
私は初めて見るそれが遊び道具らしいことは理解できたけれど、どうやって遊ぶのかがわからない・・・
そこへ、背後から自分を呼ぶ何かを感じる。
そこでその記憶は終わる。
この記憶は子供のころに夢で何度も見た。
それがメンコというものらしいことは後に知ったけれど、あれで何をどうするのかがわからなかった。
はっきりとした記憶はその後転居をした先で始まるのだけど、公園にみんなが集まってボールが出てくると自分は逃げて一人で遊んでいたような記憶がある。
もうその時点で今へ続く私が確定していた。
自分はメンコで遊ばなかった。
めんこが何かわからない。
きっとあの時めんこでみんなと遊んでいれば、みんなと同じことが同じようにできるようになったはずなのに・・・
多分6歳とかそのくらいからこんな事を考えていた。
こういうのを書くと鍵コメントで短絡的に食って掛かってくる人がいる。
私の方が苦労していてかわいそうです。あなたは私よりましです。わかりましたか?
みたいなの。
あちゃーという感じだけど、私のこのブログもそう見えるんですよねきっと。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=5230&v=HHNXjE-L7BU
ブルックナー交響曲第7番
の第2楽章。
厳粛な感じで始まるこの音楽は、敬愛するワーグナーの死を悼んで書かれた。
夢の中で作曲したんだっけ?
というのと、楽譜に爆発部分で打楽器を使う版と使わない版があり、本意じゃないのに弟子がうるさいからそうしたんだとか、いや本人が書いてんだからそれが正しいだろとかそんなネタが必話題になるんですね。
とっても素朴でいい人だったらしいブルックナーという人の人柄がここで問題になっているような気もするわけですが、
両方聞いて両方楽しめばいいだけなんですよ。
むしろ色々楽しめてありがたいくらいだ。
まあいいかそんなの。
なんというかワーグナーを描いたとか悲しみに暮れて苦悩するとかそんなことじゃなくて、これは祈りの音楽ですね。
私はキリスト教徒じゃないし何だかわからないけれど、こういうとにかく神に向かって報告するみたいな感じはカトリック的なのかな?

この第2主題、私はヴァイオリンがオクターブで歌うと黄金の麦に光が当たって輝いているのを見る気がするんですよね。
この音楽は黄金色に輝く麦畑と明るい日の光、気持ちの良い風・・
そんな光景が思い浮かぶ。
一個人が死のうが苦悩でのたうち回ろうがそんなこととは関係なく、畑に麦は実り、明るい日差しが差してさわやかな風が包む。
それが世の中で、そういうもんなんだろう。
幼い頃から「せめて人並みになれ」という言葉をなげつけられてた。
大袈裟に嘆いて見せ、罵倒する。
時代的にそんなもんなんだろう。
私の頭の中で保護装置が働きそれらの言葉は獣や虫の鳴き声みたいなものとして処理されていた・・
はずだったけど、気が付けば私の中にしみこんでいる。
子供の私はそれをまともに受け取ってしまい、自分には致命的で救いようのない欠陥があり親を落胆させているのだと解釈した。もう一つ刷り込まれたお前は出来損ないだ・・をまともに受け入れてしまっていた。
学校に行けば周りの子と自分を嫌でも比較するから、たしかに何をやってもまともにできないんだなと思った。
昔は先生も「おまえだけだろ!」なんて平気で言ったもんだ。しかしそれはそれでいいと思う。
刷り込まれたものはいまも解けず、私は羞恥心と劣等感の中で生きている。
実際に身体的能力で異常におとった部分を持っているためそれと重なって何もすることができない。
幸い、車の運転はできた。
楽器は・・だめだった。
私は歌も歌えない。
中学の時だったか、自分の体はアルコールを全く受け付けないことを知った。
弱いとは違うんだけどまあいいやそんな話も。
それで実際困ったのはもっと後の話
まだあるけど書いても仕方ないか。
本当に何をやっても人並みにできない自分で笑う。
済んだことを言っても意味がないか。

ボンタンの花
花開いた次の日にはもうおしべとかめしべとかも落として、私受粉してますのよ!みたいな恰好になってる。
はやいな。

こっちはまだアピール中。
私も人間なので結婚すれば子供が生まれて育てて・・という人生が当然あるものだと思っていました。
子供のことは夫婦の問題だから書いちゃいけないとも思う。
本当なら子育てに追われる10年くらいを経て今は経済的に困窮しながら必死で・・と言う頃なのかな。
その本当なってのがいけないんだよ。
今朝も起きたら虚しい気持ちみたいなのが充満してはいますが、生きている以上は生きていきますよ。
私幸せなんでしょう。
わかってますよ。

奇麗でしょこの景色も。
その内容にはその時の自分の気分や考えが反映するものですが、それが短時間で大きく変動していることに気付いたりして。
ある程度重いものを積んで走ったほうがかえって安定して走れる・・みたいな何かがあると思う。
私は今何もなくてペラペラなんだと思う。風や小さな石で簡単に傾いたりして・・
仕事を一生懸命やってる自分なんて言うのを設定したこともあったけどそんなのいい訳みたいなもんでしかなかった。

いいでしょうこの景色。
黄金色に輝き波打つ麦畑、神社の鳥居、小さな電車。
また出かけてきちゃったんですけどね、
2週連続で平日にどっか行ったりしたら遊び人みたいですけどちゃんと会社員やっています。
ただ休めるチャンスが来たとき周りの顔色をみて俺出ますから・・みたいなのをやめてみた。
多分報復的なへんなのが襲って来るだろう。
・・いやでもそれ違うよ。
昔からの暗示に縛られてるだけ。
そんなだから周りは見透かしていいように扱おうとするだけ。

玩具みたいな電車でしょう・・その下には橋。
長くなるので別にまた書きたいと思うんですが、ここはとある人たちにはかなり有名な場所。
休日にはでっかいカメラを持った人がいっぱいだったりするんじゃないかな?
平日で誰もいないな・・なんて思っていたら後からその手の人が来た。
1人はちゃんと挨拶してくれ・・・でもカメラなんて何も持ってなくてスマホをいじってる私を見て「あれ?」って顔してた。
ちょっと変な感じの人を含めあそこに3人いたんだけれどで一番変なのは私だったのかも。
子供のころから鉄道マニアでオタク的傾向があり、こんなところに来てしまう私は一眼レフのカメラやレンズというのをたくさん持って写真をブログにアップし・・とやっていそうだしやっていないほうがおかしいと自分でも思う。
でも一つも持っていないし、この先も買わないだろう。
幼いころ埋め込まれ、ある時期からは自分で自分にかけてきた暗示がある。
おまえにはできないし、やってはいけない。
なに甘えてんだ馬鹿か!という話ですが、医者へ行けば治るんだろうか?
治るわけないよもとからたたなきゃ。
もうどうにかするにも手遅れだと思いつつ、いつだったら間に合ったんだろうかと考えると出てくるのはこことあの記憶。
物心つくかつかないかという頃に住んだ家の跡・・の前。

あのころ、右側の側溝には蓋がなかった。
嵌って泣いていた思い出もあるけれどどうしても忘れられない思い出が一つある。
近所のお兄ちゃん・・おうわからないけれどガキ大将的な子だったんだろう・・が小さな箱に薄っぺらいものをたくさん入れて持ってきた。
私は初めて見るそれが遊び道具らしいことは理解できたけれど、どうやって遊ぶのかがわからない・・・
そこへ、背後から自分を呼ぶ何かを感じる。
そこでその記憶は終わる。
この記憶は子供のころに夢で何度も見た。
それがメンコというものらしいことは後に知ったけれど、あれで何をどうするのかがわからなかった。
はっきりとした記憶はその後転居をした先で始まるのだけど、公園にみんなが集まってボールが出てくると自分は逃げて一人で遊んでいたような記憶がある。
もうその時点で今へ続く私が確定していた。
自分はメンコで遊ばなかった。
めんこが何かわからない。
きっとあの時めんこでみんなと遊んでいれば、みんなと同じことが同じようにできるようになったはずなのに・・・
多分6歳とかそのくらいからこんな事を考えていた。
こういうのを書くと鍵コメントで短絡的に食って掛かってくる人がいる。
私の方が苦労していてかわいそうです。あなたは私よりましです。わかりましたか?
みたいなの。
あちゃーという感じだけど、私のこのブログもそう見えるんですよねきっと。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=5230&v=HHNXjE-L7BU
ブルックナー交響曲第7番
の第2楽章。
厳粛な感じで始まるこの音楽は、敬愛するワーグナーの死を悼んで書かれた。
夢の中で作曲したんだっけ?
というのと、楽譜に爆発部分で打楽器を使う版と使わない版があり、本意じゃないのに弟子がうるさいからそうしたんだとか、いや本人が書いてんだからそれが正しいだろとかそんなネタが必話題になるんですね。
とっても素朴でいい人だったらしいブルックナーという人の人柄がここで問題になっているような気もするわけですが、
両方聞いて両方楽しめばいいだけなんですよ。
むしろ色々楽しめてありがたいくらいだ。
まあいいかそんなの。
なんというかワーグナーを描いたとか悲しみに暮れて苦悩するとかそんなことじゃなくて、これは祈りの音楽ですね。
私はキリスト教徒じゃないし何だかわからないけれど、こういうとにかく神に向かって報告するみたいな感じはカトリック的なのかな?

この第2主題、私はヴァイオリンがオクターブで歌うと黄金の麦に光が当たって輝いているのを見る気がするんですよね。
この音楽は黄金色に輝く麦畑と明るい日の光、気持ちの良い風・・
そんな光景が思い浮かぶ。
一個人が死のうが苦悩でのたうち回ろうがそんなこととは関係なく、畑に麦は実り、明るい日差しが差してさわやかな風が包む。
それが世の中で、そういうもんなんだろう。
幼い頃から「せめて人並みになれ」という言葉をなげつけられてた。
大袈裟に嘆いて見せ、罵倒する。
時代的にそんなもんなんだろう。
私の頭の中で保護装置が働きそれらの言葉は獣や虫の鳴き声みたいなものとして処理されていた・・
はずだったけど、気が付けば私の中にしみこんでいる。
子供の私はそれをまともに受け取ってしまい、自分には致命的で救いようのない欠陥があり親を落胆させているのだと解釈した。もう一つ刷り込まれたお前は出来損ないだ・・をまともに受け入れてしまっていた。
学校に行けば周りの子と自分を嫌でも比較するから、たしかに何をやってもまともにできないんだなと思った。
昔は先生も「おまえだけだろ!」なんて平気で言ったもんだ。しかしそれはそれでいいと思う。
刷り込まれたものはいまも解けず、私は羞恥心と劣等感の中で生きている。
実際に身体的能力で異常におとった部分を持っているためそれと重なって何もすることができない。
幸い、車の運転はできた。
楽器は・・だめだった。
私は歌も歌えない。
中学の時だったか、自分の体はアルコールを全く受け付けないことを知った。
弱いとは違うんだけどまあいいやそんな話も。
それで実際困ったのはもっと後の話
まだあるけど書いても仕方ないか。
本当に何をやっても人並みにできない自分で笑う。
済んだことを言っても意味がないか。

ボンタンの花
花開いた次の日にはもうおしべとかめしべとかも落として、私受粉してますのよ!みたいな恰好になってる。
はやいな。

こっちはまだアピール中。
私も人間なので結婚すれば子供が生まれて育てて・・という人生が当然あるものだと思っていました。
子供のことは夫婦の問題だから書いちゃいけないとも思う。
本当なら子育てに追われる10年くらいを経て今は経済的に困窮しながら必死で・・と言う頃なのかな。
その本当なってのがいけないんだよ。
今朝も起きたら虚しい気持ちみたいなのが充満してはいますが、生きている以上は生きていきますよ。
私幸せなんでしょう。
わかってますよ。

奇麗でしょこの景色も。