花と鹿
休日。
お散歩行こうか・・

寝てら。
そこ暑くないの?
犬種的に特に暑さに弱く、この時期日が出ている時間の散歩は苦手というか無理。
すぐ近くで紫陽花の花が咲いているのでそこまで見に行く?日陰だし・・いこうよ。
なんとか花の場まで来たものの・・

もう帰ろー
え?あとちょっとだけ行ってみようよー
かえるー
そうですか、帰りますか。
ここは木から落ちた大量の梅の実が踏みつぶされ梅の香りが充満していた。
なんだかいいところだった。
花に前後もないとも思うれどたくさんの紫陽花は道路ではなく反対側へ向いています。

40年くらい前に造成された分譲住宅地の公民館がここにあって最近建て替えらました。
そのときみんなで植えたんじゃないかな。
はじめは雑草に埋もれて大丈夫かな?という感じだったのにあっという間にこんなになっちゃって・・
大きな窓からこちらを眺めれば景色になっているんでしょう。
すぐ近くだけど私のところとは別な自治会。同い年くらいの子供がTクさん遊んでいたけれど近寄らなかった。
子供のころからおかしかった。まいいけど。
分譲地が一斉に売りに出されて同じような年代の人たちが一斉に入居したからか、昔からものすごい一体感があるようだ。
昔は1か月くらい毎晩大音響で音楽を鳴らしみんなで盆踊りの練習というのをやったりしていた。
本当にものすごい音量で今だったら苦情ものだと思うけれど。
もうみんなけっこうな歳なんだと思うけれど見ているとしょっちゅう公民館に集まって勉強会とか体操みたいなのなど色々やっているようだ。
楽しい人生を送れているのかもね。
そういうのがかえって嫌だみたいな人もいたかな?
そんな人はいないのか。
子供は独立してここに残らず、盆暮れにちょっと顔を見るだけという人も多いと思う。
盆暮れにはそんな光景も見かけたけれどあれだって何年も続くものじゃないんでしょう?
もうすでに過ぎ去っている人もいるかもしれない。
周りに親しく話せる人がいるという事は大きな財産なんだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=9cERVjJk7M8
シューマン 詩人の恋から
12. Am leuchtenden Sommermorgen
まばゆい夏の朝に
ドイツ語を聴いてもわからないので訳を見てだしハイネやシューマンがどう考えていたのかは知らないけれど、
曲集の中でこの曲には深い意味がある気がするな。
詩人の恋という世界を超えて私は何かを感じさせられる。
そして考えさせられる。
ここはまだ通過点でしかないけれど、ここを通過しないと進まないんだと思う。
曲集の全ての曲苦に意味があって大事だと思うけれど、今私にとってはこの曲が心に来るなぁ。
ちょっと出かけて車で家に帰ってくると・・
あっ!

鹿だ。
こんなところに迷い込んでうろたえているのかと思ったけど、草食ったりして余裕だ。
最近夜に鹿の鳴き声を聞いたりして近くまで来ているなと思ってはいたけれど、ここまで出てきたのを見るのは初めて。
これは自然が豊かだという話とは違うと思う。
何かバランスが崩れてしまった結果で喜ぶよべきことではないはず。
まあいいや。
とりあえず眺める。
車から降りちゃうとびっくりして逃げるだろうなと車の中から写真を・・
折角のこの時間を大事にしたい・・
そこへそんなの知るかと通行人が道を歩いて・・

わ!ひとだ・・
えっ?こっちへくるの?

どうしようどうしよう

あ逃げちゃお・・
どうするのかと思ったけれど、あれくらいの段差は余裕で登れるみたいだ。
奥の柿木畑で柿の葉を食ったりしてまた余裕・・
ちゃんと戻るべき方向はわかっているようで、しばらくあたりを眺めた後ゆっくり戻っていった。
結構大きかったけれどまだ子供なのかもしれない。
また姿を見せてほしいと思う反面、それは間違っている気もする。
鹿はいいけどサルやイノシシがここまで降りてくるようになったらまずいよな。
話し相手になってくれんのかな?なんなそうだな。
鹿がいるのに驚きも立ち止まりもせず平然と歩いていくあのおっさんは実は小中学校の同級生。
でも当時から一度も口を聞いたことはなかった。
俺のこと知っているかな?
知らないかもな。
紫陽花の咲くあの住宅地に2世帯住宅らしきものを建てて住んでいる事を私は知ってる。
子供を呼ぶような声も聞いた。
偶然勤務先の取引先に彼が勤めていて、一度だけ電話で話したことがあったけれど私だとは気づかなかったと思う。
明るく頑張っている感じだった。
昔から体が大きく活発で目立っていたような彼が無心で歩いているような姿を最近よく見かけていた。
最近あった同窓会には来ていなかったと思う。
鹿に無反応で歩いていく様子を見てやっぱりあの人なんかかかえてるんじゃないか?
なんてちょっと思った。
でもそれは自分と同じうまくいっていない人を探そうとする私の悪い癖。
多分彼はうまくいっていて何の問題もない。
昔からいつもそうだろう。
そんなに頻繁に出会って気になるのなら私から話しかけてみればいいわけだ・・
でもそんな気にはなれず。

一日雲に隠れていた富士山は夕暮れ時になって出てきていた。
ここからの写真ばっかりだ。
今犬の散歩が短縮コースで最近急にたくさん建った家がかぶらない場所はここしかないから。
新しい家の若い家族、子供の姿を意識しすぎなのを自分で感じる。
犬が小さな子供に大人気でわらった。
うちの犬は子供が苦手。でもやっと歩けるようになったような小さな子供には
さわってみて・・大丈夫だから・・ほら、大丈夫・・とかやってた。
この犬と自分の子供で散歩する夢を見た日もあったけどな。
まあいいや、綺麗な景色と・・鹿と・・犬と・・・涼しい空気と・・
お散歩行こうか・・

寝てら。
そこ暑くないの?
犬種的に特に暑さに弱く、この時期日が出ている時間の散歩は苦手というか無理。
すぐ近くで紫陽花の花が咲いているのでそこまで見に行く?日陰だし・・いこうよ。
なんとか花の場まで来たものの・・

もう帰ろー
え?あとちょっとだけ行ってみようよー
かえるー
そうですか、帰りますか。
ここは木から落ちた大量の梅の実が踏みつぶされ梅の香りが充満していた。
なんだかいいところだった。
花に前後もないとも思うれどたくさんの紫陽花は道路ではなく反対側へ向いています。

40年くらい前に造成された分譲住宅地の公民館がここにあって最近建て替えらました。
そのときみんなで植えたんじゃないかな。
はじめは雑草に埋もれて大丈夫かな?という感じだったのにあっという間にこんなになっちゃって・・
大きな窓からこちらを眺めれば景色になっているんでしょう。
すぐ近くだけど私のところとは別な自治会。同い年くらいの子供がTクさん遊んでいたけれど近寄らなかった。
子供のころからおかしかった。まいいけど。
分譲地が一斉に売りに出されて同じような年代の人たちが一斉に入居したからか、昔からものすごい一体感があるようだ。
昔は1か月くらい毎晩大音響で音楽を鳴らしみんなで盆踊りの練習というのをやったりしていた。
本当にものすごい音量で今だったら苦情ものだと思うけれど。
もうみんなけっこうな歳なんだと思うけれど見ているとしょっちゅう公民館に集まって勉強会とか体操みたいなのなど色々やっているようだ。
楽しい人生を送れているのかもね。
そういうのがかえって嫌だみたいな人もいたかな?
そんな人はいないのか。
子供は独立してここに残らず、盆暮れにちょっと顔を見るだけという人も多いと思う。
盆暮れにはそんな光景も見かけたけれどあれだって何年も続くものじゃないんでしょう?
もうすでに過ぎ去っている人もいるかもしれない。
周りに親しく話せる人がいるという事は大きな財産なんだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=9cERVjJk7M8
シューマン 詩人の恋から
12. Am leuchtenden Sommermorgen
まばゆい夏の朝に
ドイツ語を聴いてもわからないので訳を見てだしハイネやシューマンがどう考えていたのかは知らないけれど、
曲集の中でこの曲には深い意味がある気がするな。
詩人の恋という世界を超えて私は何かを感じさせられる。
そして考えさせられる。
ここはまだ通過点でしかないけれど、ここを通過しないと進まないんだと思う。
曲集の全ての曲苦に意味があって大事だと思うけれど、今私にとってはこの曲が心に来るなぁ。
ちょっと出かけて車で家に帰ってくると・・
あっ!

鹿だ。
こんなところに迷い込んでうろたえているのかと思ったけど、草食ったりして余裕だ。
最近夜に鹿の鳴き声を聞いたりして近くまで来ているなと思ってはいたけれど、ここまで出てきたのを見るのは初めて。
これは自然が豊かだという話とは違うと思う。
何かバランスが崩れてしまった結果で喜ぶよべきことではないはず。
まあいいや。
とりあえず眺める。
車から降りちゃうとびっくりして逃げるだろうなと車の中から写真を・・
折角のこの時間を大事にしたい・・
そこへそんなの知るかと通行人が道を歩いて・・

わ!ひとだ・・
えっ?こっちへくるの?

どうしようどうしよう

あ逃げちゃお・・
どうするのかと思ったけれど、あれくらいの段差は余裕で登れるみたいだ。
奥の柿木畑で柿の葉を食ったりしてまた余裕・・
ちゃんと戻るべき方向はわかっているようで、しばらくあたりを眺めた後ゆっくり戻っていった。
結構大きかったけれどまだ子供なのかもしれない。
また姿を見せてほしいと思う反面、それは間違っている気もする。
鹿はいいけどサルやイノシシがここまで降りてくるようになったらまずいよな。
話し相手になってくれんのかな?なんなそうだな。
鹿がいるのに驚きも立ち止まりもせず平然と歩いていくあのおっさんは実は小中学校の同級生。
でも当時から一度も口を聞いたことはなかった。
俺のこと知っているかな?
知らないかもな。
紫陽花の咲くあの住宅地に2世帯住宅らしきものを建てて住んでいる事を私は知ってる。
子供を呼ぶような声も聞いた。
偶然勤務先の取引先に彼が勤めていて、一度だけ電話で話したことがあったけれど私だとは気づかなかったと思う。
明るく頑張っている感じだった。
昔から体が大きく活発で目立っていたような彼が無心で歩いているような姿を最近よく見かけていた。
最近あった同窓会には来ていなかったと思う。
鹿に無反応で歩いていく様子を見てやっぱりあの人なんかかかえてるんじゃないか?
なんてちょっと思った。
でもそれは自分と同じうまくいっていない人を探そうとする私の悪い癖。
多分彼はうまくいっていて何の問題もない。
昔からいつもそうだろう。
そんなに頻繁に出会って気になるのなら私から話しかけてみればいいわけだ・・
でもそんな気にはなれず。

一日雲に隠れていた富士山は夕暮れ時になって出てきていた。
ここからの写真ばっかりだ。
今犬の散歩が短縮コースで最近急にたくさん建った家がかぶらない場所はここしかないから。
新しい家の若い家族、子供の姿を意識しすぎなのを自分で感じる。
犬が小さな子供に大人気でわらった。
うちの犬は子供が苦手。でもやっと歩けるようになったような小さな子供には
さわってみて・・大丈夫だから・・ほら、大丈夫・・とかやってた。
この犬と自分の子供で散歩する夢を見た日もあったけどな。
まあいいや、綺麗な景色と・・鹿と・・犬と・・・涼しい空気と・・