雨の合間に
地震に合われた方々、お見舞い申し上げます。
雨やんでる・・
いまのうちだ散歩に行こうよ!
と犬と外に出てみれば・・
あっ

また鹿が下りてきてる。
多分何度も来てるんだろう。
こちらをうかがいつつも余裕だ。

それ旨いの?
雑草といえどもよく日が当たり耕された畑跡に生えたものの方が山の中の何かより柔らかくてうまいのかもしれない。
でなきゃわざわざこんなとこまで来ないよね?

犬は駄々をこね中・・
本格的な散歩に行けなくて面白くないのと、これから私たちが飯を食いに出かけることを知っているからだ・・
ただでさえ面白くないのに私が鹿に夢中になっているのでもうどうにもやってられないというところ・・
かえるよー
・・・・・・・・・・
そして・・
地図上で近くの住宅地の奥に洋食屋があるのを発見した。
こんなのいつからあったんだろ?
いってみると民家のような作りのお店。
駐車場に車はない。まあ、時間も時間からか・・
嫁さんと写真を撮ったりしてふざけながら・・意外と中から見てるんだよとOPENの札がかかったドアを開け中へ入ると
ほぼ同時に白髪のシェフがいらっしゃいませと言いながら厨房から飛び出してくる・・
あ・・みてた?・・・・・?・・・
シェフはこちらを見るでも無く声をかけるでもなく誰もいない店内へ歩いていく・・
席へ案内してくれてるのかな?
なにしてんのかな?
と思っていると

ぶっきらぼうに窓にかかったOPENの札をひっくり返し無言で戻っていった。
あれじゃまるで「もう終わるつもりだったのに人が入ってきちまったよ・・」みたいだ。
もちろんそんなつもりじゃないんでしょう。そんなつもりだったとしてもそれはそんな札だしとくからなのであって私が気にする必要はない。
いちいち気にしてしまうのは私に劣等感があるからだろうな思う。
自分に自信があり満たされた気持ちがあればこんなもの気にもならないし、色々あっても笑いながら対応できるのではないかと想像したりする。そういう人はそれがまたいいことを呼び、笑顔が定着したような人になるんだよね。
豊かな人生とはそういうものなんじゃないかと思ったりもする。
こんな私にもほんの一瞬そんなことを体験させてもらったことがありました。
あれは何だったんだろうとずっと思っているけれど、神様が何も知らないんじゃその後やりようがないからとあるべき姿を教える意味で設定してくれた期間だったんだろうと今書きながら思った。
しかしそれは今の今まで全く生かされていない訳で、自分の人生を貧祖だと感じているこれか・・これがずっと横たわるうっとおしいものの正体か・・
毎回、いちいち大げさでしょ?
ぱっとしないスープの後
出てきた皿を食べながら・・最近お客さんのところの社員食堂でも凝った料理だしたりしてるんだよなぁ・・なんて考える。
社員食堂みたいだとまではいわないまでも、最近いろんなところで食べてるから価格/内容みたいなものは頭に浮かぶ。
最初の印象が悪いからもう文句ばっかりで・・
フルーツを切っただけのデザートが出てきて
コーヒーも。
嫁さんに言わせるとコーヒーがうまかったそうだ。
じゃいいか。
いろんなお店のレビューなんか見てるといい店なはずなのにぼろくそに書いてあったりしますよね、
逆もある。
相性とか、人によって感じ方はいろいろだし、タイミングみたいなものもあるのかもしれない。
今日私があんまり盛り上がらないこのお店も大好きだという人がもしかするといるのかもしれない。
レビュー全然なかったけど・・新しいからかもしれないし・・
その後もシェフは接客向いてない感を色々だしていた。
逆に勉強になってありがたい。
私が今までさんざん人に嫌われてきた理由の日一つを教えてもらっているようにも思える。
また、がんばろう。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1047&v=kUfPtKoU4PE
メンデルスゾーンの交響曲は3番の「イタリア」と4番の「スコットランド」がクラシック入門曲みたいな超有名曲です。
超人気化は知らないけれど第5番は「宗教改革」という名前を持っていて結構好き。
4番もそうだけど重い第1楽章の後にいきなり妙に明るいスケルツォが来るところが多少ひっかっかる。
ボンボンだから音楽に深みがないなんて批判していた人たちはこういうところも気に入んなかったんじゃないかと思う事が・・
そしてまた3楽章は

暗く沈みこんだ歌となります。
ピアノのために書いた音楽をそのままオーケストレーションしたなと感じたりする。
別に雨の音楽じゃないけれど、なんとなくこの日のイメージ。
買い物をして家へ帰って
さあ今度はちゃんとお散歩に行こ。

ちょっとご機嫌。

鴨も何羽かいると強いのが弱いのをいじめてるのをよく見かける。
どこもかしこもそういうもんなんだろう。
めげずに強く生き抜かなくちゃね。

え?なにが?
雨やんでる・・
いまのうちだ散歩に行こうよ!
と犬と外に出てみれば・・
あっ

また鹿が下りてきてる。
多分何度も来てるんだろう。
こちらをうかがいつつも余裕だ。

それ旨いの?
雑草といえどもよく日が当たり耕された畑跡に生えたものの方が山の中の何かより柔らかくてうまいのかもしれない。
でなきゃわざわざこんなとこまで来ないよね?

犬は駄々をこね中・・
本格的な散歩に行けなくて面白くないのと、これから私たちが飯を食いに出かけることを知っているからだ・・
ただでさえ面白くないのに私が鹿に夢中になっているのでもうどうにもやってられないというところ・・
かえるよー
・・・・・・・・・・
そして・・
地図上で近くの住宅地の奥に洋食屋があるのを発見した。
こんなのいつからあったんだろ?
いってみると民家のような作りのお店。
駐車場に車はない。まあ、時間も時間からか・・
嫁さんと写真を撮ったりしてふざけながら・・意外と中から見てるんだよとOPENの札がかかったドアを開け中へ入ると
ほぼ同時に白髪のシェフがいらっしゃいませと言いながら厨房から飛び出してくる・・
あ・・みてた?・・・・・?・・・
シェフはこちらを見るでも無く声をかけるでもなく誰もいない店内へ歩いていく・・
席へ案内してくれてるのかな?
なにしてんのかな?
と思っていると

ぶっきらぼうに窓にかかったOPENの札をひっくり返し無言で戻っていった。
あれじゃまるで「もう終わるつもりだったのに人が入ってきちまったよ・・」みたいだ。
もちろんそんなつもりじゃないんでしょう。そんなつもりだったとしてもそれはそんな札だしとくからなのであって私が気にする必要はない。
いちいち気にしてしまうのは私に劣等感があるからだろうな思う。
自分に自信があり満たされた気持ちがあればこんなもの気にもならないし、色々あっても笑いながら対応できるのではないかと想像したりする。そういう人はそれがまたいいことを呼び、笑顔が定着したような人になるんだよね。
豊かな人生とはそういうものなんじゃないかと思ったりもする。
こんな私にもほんの一瞬そんなことを体験させてもらったことがありました。
あれは何だったんだろうとずっと思っているけれど、神様が何も知らないんじゃその後やりようがないからとあるべき姿を教える意味で設定してくれた期間だったんだろうと今書きながら思った。
しかしそれは今の今まで全く生かされていない訳で、自分の人生を貧祖だと感じているこれか・・これがずっと横たわるうっとおしいものの正体か・・
毎回、いちいち大げさでしょ?
ぱっとしないスープの後
出てきた皿を食べながら・・最近お客さんのところの社員食堂でも凝った料理だしたりしてるんだよなぁ・・なんて考える。
社員食堂みたいだとまではいわないまでも、最近いろんなところで食べてるから価格/内容みたいなものは頭に浮かぶ。
最初の印象が悪いからもう文句ばっかりで・・
フルーツを切っただけのデザートが出てきて
コーヒーも。
嫁さんに言わせるとコーヒーがうまかったそうだ。
じゃいいか。
いろんなお店のレビューなんか見てるといい店なはずなのにぼろくそに書いてあったりしますよね、
逆もある。
相性とか、人によって感じ方はいろいろだし、タイミングみたいなものもあるのかもしれない。
今日私があんまり盛り上がらないこのお店も大好きだという人がもしかするといるのかもしれない。
レビュー全然なかったけど・・新しいからかもしれないし・・
その後もシェフは接客向いてない感を色々だしていた。
逆に勉強になってありがたい。
私が今までさんざん人に嫌われてきた理由の日一つを教えてもらっているようにも思える。
また、がんばろう。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1047&v=kUfPtKoU4PE
メンデルスゾーンの交響曲は3番の「イタリア」と4番の「スコットランド」がクラシック入門曲みたいな超有名曲です。
超人気化は知らないけれど第5番は「宗教改革」という名前を持っていて結構好き。
4番もそうだけど重い第1楽章の後にいきなり妙に明るいスケルツォが来るところが多少ひっかっかる。
ボンボンだから音楽に深みがないなんて批判していた人たちはこういうところも気に入んなかったんじゃないかと思う事が・・
そしてまた3楽章は

暗く沈みこんだ歌となります。
ピアノのために書いた音楽をそのままオーケストレーションしたなと感じたりする。
別に雨の音楽じゃないけれど、なんとなくこの日のイメージ。
買い物をして家へ帰って
さあ今度はちゃんとお散歩に行こ。

ちょっとご機嫌。

鴨も何羽かいると強いのが弱いのをいじめてるのをよく見かける。
どこもかしこもそういうもんなんだろう。
めげずに強く生き抜かなくちゃね。

え?なにが?