最後の歌
大井川の河口で鶏や猫たちの穏やかな世界を見たあと、大井川の堤防にのった道路を地図上に見つけて走っていく。
途中で長い橋を渡って台地の上に上がると一面の茶畑・・霜よけの扇風機・・・向こうに見えるのは空港の管制塔だろう・・
なんとなく心を惹かれ写真を撮ろうという場面もなく・・一度着て見覚えのある地帯へ。
覚えた路地に入って奥へ進んで・・
大代側線。
こういうものに興味のある人ならここがどこだか知っているだろうし知らない人はもともと興味もないはず。
そんな場所だから詳細は省略。

あっ、いた。
夕日に輝くボイラー。あれは蒸気機関車。
公園で眠る機関車とは違う、現役営業線へつながるレールの上に乗った・・生きた・・はずの・・
今乗っているのは自分のボイラーじゃない。
ボイラーの他使える部品を稼働中の別機へ差し出し、ここで静かに休んでいる。
前回来たときは明確な立ち入り禁止の表示時事もなかったのですぐそばで隅々まで観察させてもらった。
外した部品の代わりか添木を番線で固定し・・・戦場で骨折した人が木の枝を括り付けて応急処置したような・・・何とかここまで運ばれてきたという瀕死の様相には泣けた。
しかし、どれだけ雨ざらしになっていても腐るでもなくしっかりと形を維持した削りだしの部品みたいなものに感動したりもした。
この先、何をどう間違っても奇跡の復活というのはありえないんだろう。
数か月前に来た時にはここで2両の電車も静かに最後の時を待っていたんだけど・・
https://www.youtube.com/watch?time_continue=500&v=E4jZ21bLB_c
リヒャルトシュトラウス、4つの最後の歌から。
私はこの曲集がとても好きなのであるけれどその中でこの曲も忘れられません。
最後の眠りにつこうとする人の歌。
私はドイツ語をリアルタイムに理解することはできないのでどうしても歌詞は補助的なものというか言葉も音色の一つとして受け止めてます。
言葉がわからなければ意味不明となってしまうような音楽もある代わりに、言葉がなくても大きなものが伝わってくる音楽というのもあります。
この曲を初めて聴いたのは二十歳くらい。学生の頃。
終曲で夕景と死にゆく人が重なる世界に大きな衝撃を受けたけれど、この曲についてはあまり深いことは考えずただ聴くいていただだった気もする。
まだ死というものは遥か遠くにあってリアリティーはなかった。
どこまで書いていいものか・・
その時、誰もいない可能性の高い私はこの曲のように穏やかな気持ちでいけるんだろうか。
いつかその為に具体的な策を講しなければならないだろう。
いつかじゃなくてもう今なのかもしれない。
最後まで手も打てないかもしれない。
SLもすごいけれど隣の貨車もすごい・・ねじ式連結器のバッファの跡がある・・大正時代から走ってた証なわけで、そんなものは図鑑か博物館にしかないはずだろう・・
あっ!?

向こうに屋根付き建屋が立っている。
架線を受け止めるように見える金具・・なんだあれ!?
近づくと

先日解体待ちの車両が眠っていた辺りは綺麗に片付けられてこんなものが・・
複線のピット完備・・レールはまだ仮置き・・
これなんだろう?
あの朽ちていくSLと古典貨車を救ってくれる?
ネットで検索してもほとんど情報がなく、正式なアナウンスみたいなものはないんだと思う。
一瞬観光展示用施設か!?とも思ったけれどそれなら千頭の駅構内に作ったほうが人目につくしうまくやれば集客に一役買ってくれるかもしれない。
じゃちがう?
検車区みたいなところの裏へいってみる。
17時を過ぎて誰もいない。

2両で解体待ちをしていた京阪テレビカーは1両だけあそこにいる・・やっぱり保存?命拾いできるのかな?

あれはあれでしょ、トーマスってやつだ。
子供に大人気で予約はいっぱいだと聞いた。
稼ぎ頭なんだね。
草むらの中で眠るC11のボイラーやいろんな部品は今あそこにあるあれらしい。
生きていれば楽しいこともあるし、楽しいことがあるのは生きていられる間なはずだよね。
思春期に、あっ俺あの子が好きなのかな?
というのががあった・・書いたはいいけど本当はもう忘れてしまった。
クラシック音楽に対しては間違いなくそんな感じだった。
あっ?俺もしかしてクラシックが好きなんじゃないのか?
なんて目の前の世界の色が変わった瞬間があった。
聴くしかできないんだから片思いみたいなもんなのかもな。
30年もやってるとストーカーみたいか。
その時同時に幼いころから続いてきた鉄道趣味はここで終了するのだと思ったのも覚えている。

なんでこんなとこ来てんだろ?
今日はカフェはいけないね・・
嫁さんがコンビニで菓子でも買って食べられればそれでいいという。
近くのコンビニによってまたあの場所に戻り、チーかまを食いながら夕焼けに沈んでいくC11を眺めたりして。

帰ろう。
また来よう。
途中で長い橋を渡って台地の上に上がると一面の茶畑・・霜よけの扇風機・・・向こうに見えるのは空港の管制塔だろう・・
なんとなく心を惹かれ写真を撮ろうという場面もなく・・一度着て見覚えのある地帯へ。
覚えた路地に入って奥へ進んで・・
大代側線。
こういうものに興味のある人ならここがどこだか知っているだろうし知らない人はもともと興味もないはず。
そんな場所だから詳細は省略。

あっ、いた。
夕日に輝くボイラー。あれは蒸気機関車。
公園で眠る機関車とは違う、現役営業線へつながるレールの上に乗った・・生きた・・はずの・・
今乗っているのは自分のボイラーじゃない。
ボイラーの他使える部品を稼働中の別機へ差し出し、ここで静かに休んでいる。
前回来たときは明確な立ち入り禁止の表示時事もなかったのですぐそばで隅々まで観察させてもらった。
外した部品の代わりか添木を番線で固定し・・・戦場で骨折した人が木の枝を括り付けて応急処置したような・・・何とかここまで運ばれてきたという瀕死の様相には泣けた。
しかし、どれだけ雨ざらしになっていても腐るでもなくしっかりと形を維持した削りだしの部品みたいなものに感動したりもした。
この先、何をどう間違っても奇跡の復活というのはありえないんだろう。
数か月前に来た時にはここで2両の電車も静かに最後の時を待っていたんだけど・・
https://www.youtube.com/watch?time_continue=500&v=E4jZ21bLB_c
リヒャルトシュトラウス、4つの最後の歌から。
私はこの曲集がとても好きなのであるけれどその中でこの曲も忘れられません。
最後の眠りにつこうとする人の歌。
私はドイツ語をリアルタイムに理解することはできないのでどうしても歌詞は補助的なものというか言葉も音色の一つとして受け止めてます。
言葉がわからなければ意味不明となってしまうような音楽もある代わりに、言葉がなくても大きなものが伝わってくる音楽というのもあります。
この曲を初めて聴いたのは二十歳くらい。学生の頃。
終曲で夕景と死にゆく人が重なる世界に大きな衝撃を受けたけれど、この曲についてはあまり深いことは考えずただ聴くいていただだった気もする。
まだ死というものは遥か遠くにあってリアリティーはなかった。
どこまで書いていいものか・・
その時、誰もいない可能性の高い私はこの曲のように穏やかな気持ちでいけるんだろうか。
いつかその為に具体的な策を講しなければならないだろう。
いつかじゃなくてもう今なのかもしれない。
最後まで手も打てないかもしれない。
SLもすごいけれど隣の貨車もすごい・・ねじ式連結器のバッファの跡がある・・大正時代から走ってた証なわけで、そんなものは図鑑か博物館にしかないはずだろう・・
あっ!?

向こうに屋根付き建屋が立っている。
架線を受け止めるように見える金具・・なんだあれ!?
近づくと

先日解体待ちの車両が眠っていた辺りは綺麗に片付けられてこんなものが・・
複線のピット完備・・レールはまだ仮置き・・
これなんだろう?
あの朽ちていくSLと古典貨車を救ってくれる?
ネットで検索してもほとんど情報がなく、正式なアナウンスみたいなものはないんだと思う。
一瞬観光展示用施設か!?とも思ったけれどそれなら千頭の駅構内に作ったほうが人目につくしうまくやれば集客に一役買ってくれるかもしれない。
じゃちがう?
検車区みたいなところの裏へいってみる。
17時を過ぎて誰もいない。

2両で解体待ちをしていた京阪テレビカーは1両だけあそこにいる・・やっぱり保存?命拾いできるのかな?

あれはあれでしょ、トーマスってやつだ。
子供に大人気で予約はいっぱいだと聞いた。
稼ぎ頭なんだね。
草むらの中で眠るC11のボイラーやいろんな部品は今あそこにあるあれらしい。
生きていれば楽しいこともあるし、楽しいことがあるのは生きていられる間なはずだよね。
思春期に、あっ俺あの子が好きなのかな?
というのががあった・・書いたはいいけど本当はもう忘れてしまった。
クラシック音楽に対しては間違いなくそんな感じだった。
あっ?俺もしかしてクラシックが好きなんじゃないのか?
なんて目の前の世界の色が変わった瞬間があった。
聴くしかできないんだから片思いみたいなもんなのかもな。
30年もやってるとストーカーみたいか。
その時同時に幼いころから続いてきた鉄道趣味はここで終了するのだと思ったのも覚えている。

なんでこんなとこ来てんだろ?
今日はカフェはいけないね・・
嫁さんがコンビニで菓子でも買って食べられればそれでいいという。
近くのコンビニによってまたあの場所に戻り、チーかまを食いながら夕焼けに沈んでいくC11を眺めたりして。

帰ろう。
また来よう。