あさ
あさ、仕事へ出かけようとすると玄関まで犬が出てきてくれた。
久しぶりだな。
昔は毎朝見送りに出てきてくれたし、帰れば必ず玄関で待っててくれたんだけど。
最近は・・まあたまには出てきてくれるか。

出てはきたけどしっぽを振って見送ってくれるわけでもないのね・・・
でも出てきてくれてありがと。
自転車に乗って出かけると

最初の10分くらいは風もさわやか、朝日も綺麗でとてもいい気分。
朝日の当たった田んぼの稲なんかも生き生きしているように見える。
まとっていた雲を振り払って、富士山もさあこれから・・
その後朝日に焼かれて蒸されていく。

写真見ていてこれを思い出した。
北海道の北の方。オロロンラインとかいうんだけれどいいところ・・
霧で辺り一面真っ白でこんな遠くまできて湿気た真っ白ってなんだよと腐っていたらすーっと霧が晴れて・・
天国みたいと言えば大げさだけどこの時のことは忘れられない。
もう一度あの体験をと飛行機の早割りみたいなのを取って・・しかしそれは出発前夜にキャンセルされそれっきり。
発狂した親族にターゲットにされたら、楽しみな気持ちや素振りを一切見せてはいけない。火に油を注ぐような結果が待っている。
発狂というのはよく使われる感情が異常に高ぶるという意味ではなく、裁判所の命令で医者に毒を注射されたとか言いながら役所に押し掛けるとか、タクシーの運転手がスパイだと言い出すとかそういうのだ。
一番の問題は自分がまともだと信じている点で、医者の前ではまともになるので診断がつかず誰にも助けてもらえない。
その後の恐怖と絶望は直面した当事者にしかわからないと思う。
落ち着いて以降もこちらの精神が金縛りにあったような状況となり常に再発におびえることとなる。
そして、自分は楽しんではいけない・・に変わっていく。
今思えば、それは子供のころから繰り返されていた。
直接それを受けていたのは父親であったけれど、父親の理解不能な言動も自覚のないままその反動を私へぶつけてきていたんだろう。
最近、私自身もあの血をもひいているのだと考えることがある。
それはいいとして長期に出張するはいいけれど、呼んでもいないという不安がまたあのスイッチを入れてしまうのではないかという不安に私はさらされている。
実際、行ってみれば何事もなく終わるのかもしれない。
また、その話が出ていて海外行きは避けられないと思う。
スイッチが入っても誰も助けてはくれない。
まあこのブログで愚痴ることができるか。
もし本当にそうなったとき、そんなことでもあるとないとでは大違いなのである。
こんなの読まされる方は不愉快でしょう。
打ち込むべきことがないとこんなことを考え、ネタがないとこんなことを書いてしまう。
これじゃいけないと思う。
思うがやめられない。
うちの朝顔が伸びててきたので棒を立ててみたんだけど・・・

おまえのおせっかいなんかうけねーよと地べたを前進中。
親の心子知らず・・・タネをまいたときは親だったかもしれないけれど、もうその曾孫くらいか。
自分で勝手に流れてきて勝手に芽を出し根をはったんだ意地があるんだね。
そうかがんばれがんばれ。
でも水やってんのうちの嫁さんなんだから・・え?うるせぇ?
メンデルスゾーンの無言歌集第5巻の頭の曲。
5月のそよ風という名がついているらしいですが、作者でなく多分楽譜の出版編集者みたいな人によるもの。
別に5月に聴かなくちゃなんないわけじゃない。
31年前の夏休み、あさラジオで流れているのを録音して繰り返し聞きました。
明るい陽射しとひんやりした空気でとても気持ちの良い朝だったと記憶しています。
新しい、音楽を聴く楽しみを見つけて嬉しかったと思う。
今思えば、13歳の夏休みってそんな老人みたいなことを言ってるのはおかしかったのかもしれないなと思う。
皆のいるところへ行きと言う発想はみじんもなかった。
具体的にどうすればいいのか何もわからなかった。
今もわからない。
これを聴いている間はあの時の穏やかで明るい気持ちを思い出します。
何度も何度もあそこへ戻りたいと考えたことがあった。
もう戻っても全く同じ道をたどることがよくわかりそれも気が済んだ。

今日は椅子の上ですか・・
そこはあれでしょ・・おやつちょうだいとかかまってよとかアピールする場所じゃない?
まだ朝だよ・・・
犬が笑う・・と聞いて考える内容は人によって大きく異なると思います。
そこから始まっていろいろ書いてみたのだけれど行きつく先は何時もの人が苦手、嫌いみたいな内容であった。
あほなことを書いた後、テレビを見ると大雨によって西日本で大変な事になっているのを知った。
生きていられるということは幸せかもしれない。
まじかに迫る死からもう逃れられない絶望にとらわれた人を見た時は
生きていられることが幸せなんだと本気で実感した。
あの人から何かを教わったとすればそれだろう。
しかしすぐにそこを忘れる。
そこは忘れちゃいけないのかもしれない。
あの朝顔、先ほど見たところ水平に伸びていったつるは勢いをなくし先端は枯れかかっていた。
途中から分岐する芽が出ているのでそれは棒に巻き付くことを選ぶんじゃないかと思いみている。
また明後日のほうまで延びていこうとするなら大したもんだけど馬鹿だ。
棒に巻き付いたからって恩を売ったりはしないから・・

あー今日も出てきてくれたの?
そっぽ向いてあくびしてるけど・・
ありがと。
久しぶりだな。
昔は毎朝見送りに出てきてくれたし、帰れば必ず玄関で待っててくれたんだけど。
最近は・・まあたまには出てきてくれるか。

出てはきたけどしっぽを振って見送ってくれるわけでもないのね・・・
でも出てきてくれてありがと。
自転車に乗って出かけると

最初の10分くらいは風もさわやか、朝日も綺麗でとてもいい気分。
朝日の当たった田んぼの稲なんかも生き生きしているように見える。
まとっていた雲を振り払って、富士山もさあこれから・・
その後朝日に焼かれて蒸されていく。

写真見ていてこれを思い出した。
北海道の北の方。オロロンラインとかいうんだけれどいいところ・・
霧で辺り一面真っ白でこんな遠くまできて湿気た真っ白ってなんだよと腐っていたらすーっと霧が晴れて・・
天国みたいと言えば大げさだけどこの時のことは忘れられない。
もう一度あの体験をと飛行機の早割りみたいなのを取って・・しかしそれは出発前夜にキャンセルされそれっきり。
発狂した親族にターゲットにされたら、楽しみな気持ちや素振りを一切見せてはいけない。火に油を注ぐような結果が待っている。
発狂というのはよく使われる感情が異常に高ぶるという意味ではなく、裁判所の命令で医者に毒を注射されたとか言いながら役所に押し掛けるとか、タクシーの運転手がスパイだと言い出すとかそういうのだ。
一番の問題は自分がまともだと信じている点で、医者の前ではまともになるので診断がつかず誰にも助けてもらえない。
その後の恐怖と絶望は直面した当事者にしかわからないと思う。
落ち着いて以降もこちらの精神が金縛りにあったような状況となり常に再発におびえることとなる。
そして、自分は楽しんではいけない・・に変わっていく。
今思えば、それは子供のころから繰り返されていた。
直接それを受けていたのは父親であったけれど、父親の理解不能な言動も自覚のないままその反動を私へぶつけてきていたんだろう。
最近、私自身もあの血をもひいているのだと考えることがある。
それはいいとして長期に出張するはいいけれど、呼んでもいないという不安がまたあのスイッチを入れてしまうのではないかという不安に私はさらされている。
実際、行ってみれば何事もなく終わるのかもしれない。
また、その話が出ていて海外行きは避けられないと思う。
スイッチが入っても誰も助けてはくれない。
まあこのブログで愚痴ることができるか。
もし本当にそうなったとき、そんなことでもあるとないとでは大違いなのである。
こんなの読まされる方は不愉快でしょう。
打ち込むべきことがないとこんなことを考え、ネタがないとこんなことを書いてしまう。
これじゃいけないと思う。
思うがやめられない。
うちの朝顔が伸びててきたので棒を立ててみたんだけど・・・

おまえのおせっかいなんかうけねーよと地べたを前進中。
親の心子知らず・・・タネをまいたときは親だったかもしれないけれど、もうその曾孫くらいか。
自分で勝手に流れてきて勝手に芽を出し根をはったんだ意地があるんだね。
そうかがんばれがんばれ。
でも水やってんのうちの嫁さんなんだから・・え?うるせぇ?
メンデルスゾーンの無言歌集第5巻の頭の曲。
5月のそよ風という名がついているらしいですが、作者でなく多分楽譜の出版編集者みたいな人によるもの。
別に5月に聴かなくちゃなんないわけじゃない。
31年前の夏休み、あさラジオで流れているのを録音して繰り返し聞きました。
明るい陽射しとひんやりした空気でとても気持ちの良い朝だったと記憶しています。
新しい、音楽を聴く楽しみを見つけて嬉しかったと思う。
今思えば、13歳の夏休みってそんな老人みたいなことを言ってるのはおかしかったのかもしれないなと思う。
皆のいるところへ行きと言う発想はみじんもなかった。
具体的にどうすればいいのか何もわからなかった。
今もわからない。
これを聴いている間はあの時の穏やかで明るい気持ちを思い出します。
何度も何度もあそこへ戻りたいと考えたことがあった。
もう戻っても全く同じ道をたどることがよくわかりそれも気が済んだ。

今日は椅子の上ですか・・
そこはあれでしょ・・おやつちょうだいとかかまってよとかアピールする場所じゃない?
まだ朝だよ・・・
犬が笑う・・と聞いて考える内容は人によって大きく異なると思います。
そこから始まっていろいろ書いてみたのだけれど行きつく先は何時もの人が苦手、嫌いみたいな内容であった。
あほなことを書いた後、テレビを見ると大雨によって西日本で大変な事になっているのを知った。
生きていられるということは幸せかもしれない。
まじかに迫る死からもう逃れられない絶望にとらわれた人を見た時は
生きていられることが幸せなんだと本気で実感した。
あの人から何かを教わったとすればそれだろう。
しかしすぐにそこを忘れる。
そこは忘れちゃいけないのかもしれない。
あの朝顔、先ほど見たところ水平に伸びていったつるは勢いをなくし先端は枯れかかっていた。
途中から分岐する芽が出ているのでそれは棒に巻き付くことを選ぶんじゃないかと思いみている。
また明後日のほうまで延びていこうとするなら大したもんだけど馬鹿だ。
棒に巻き付いたからって恩を売ったりはしないから・・

あー今日も出てきてくれたの?
そっぽ向いてあくびしてるけど・・
ありがと。