酒蔵にて
甲府盆地にいいお店はないかとGoogleマップを見ていると気になるとこを発見。
酒蔵がやってるカフェらしい。
下戸な私には酒蔵とかビール工場とか縁がないわけなんだけれど、ランチくらい食えるだろう。
車で2時間くらい、昔は近くだと思っていたあたりも今ではそこそこ遠く感じる。
カーナビに導かれて角を曲がるとなんだか古くてただものではない感じの神社を正面に見る。
なんだこれすげーなとか思いながら更に曲がるとすぐそこに。

杉玉というんですか・・
お酒ができたよって知らせる奴だっけ?
まあこの門構え見ただけでその辺の古民家カフェなんかぶっ飛んじゃうわけだけど・・
入っていいのかな的に門をくぐると

築100年どころじゃないでしょう
時代劇みたいな建物・・でも2階にはガラスがはめられ飯を食ってる女性が見えたりして・・
ああやっぱりここでいいんだ。
引き戸を開け、おそるおそる入ってみると

誰もいない。
カフェは2階へとかいてあるから
古くて重厚な感じの階段を上る。
何だか本当に時代劇っぽい。
平日の10時ごろに再放送でやっていそうな・・・
2階に上がればお客さんや店員さんがいるお店な空間があった。
お好きなところにどうぞ・・
テーブルもあったけれどやっぱり板の間に直接座る感じでしょう・・窓際・・・埋まってる‥
あっ目の前に空いてる席があった。
座ってみれば目の前は

こんな感じ。
なんだこれ、最高だな。
久しぶりないいとこ来ちゃった感で盛り上がる。
BGMはボサノバみたいなの?
遠くてあまり聞こえない感じ・・それが実にちょうどいい感じ。こんなとこで場違いな音楽がでっかく聞こえたら台無しだし。

これは皆帰っちゃった後だけど、何組かのお客さんが楽しそうにしていた。
でも、その声は遠く最近よくあったようなうるさくて飯がまずいみたいなこともない。
それより何だかいい感じでしょう。
電気的な冷房が入っていたけれど、古いこの建物は見た目的に涼しい。

反対側にはテーブルも、その奥にはグランドピアノが・・
どうやってここへ上げたんだろう?
ここでもやっぱり時々演奏家を呼んでコンサートをやったりしているみたいだ。
私はまだ楽器な人アレルギーが治っていないので案内が見えても目をそらす。
むこうの若い人も静かに飯を食っていた。
食い終わってしばらくすると話が盛り上がるのか大きな笑い声が耳につくようになったけれど、
でも嫌な感じはなかった。
きっと自慢や悪口のない、楽しい会話をしていたんだろう。
レビューを見ると子供走らせてる親は何考えてんだとか、店員が気に入らないとかいうのも見かけたので、この日私は運がよかったのかもしれない。
以前行ったの近くのあるお店はかなりの人気店らしかったが、正直立地や建物の面白さに甘えて中身はなんだこれ?みたいな印象だった。
しかしたまたまそういう日に当たったのかもしれず、いいと思える日もあるのかもしれない。
受け手としての私の何かも毎日変動変質していると思う。
毎日いつでも同じ曲をいいと思うわけじゃない。
タイミングって結構大きな要素なんだろうなぁ・・
とてもいい場所でとてもいい時間が過ごせているという幸せ感が強くあった。
グスタフ・マーラーの実家も造り酒屋だったと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=ogNMLtsdlvg
歌曲集「少年の魔法の角笛」から
この世の生活。
天国を描いた「天上の生活」という曲もあって、ついになっていると思う。
天上の生活は交響曲第4番に編入されている。

この曲の歌詞は印象的というかものすごい。
お腹がすいたと訴える子供と
必死にパンを焼こうとする母親の様子が何度か描かれる。
やっとパンが焼けた時、
子供はすでに死んでいた・・・
みたいなの。
詩自体は別人によるものだけれど、この作曲家はこういう世界に強く心を引かれ続けたようだ。
19世紀の人だしマーラーも数多くの兄弟がいたはずだけれど、無事心身ともに健康な成人になれたのは妹と・・なんだっけ・・
誤解を恐れずに言えば19世紀、それはどこにでもあるありふれたことだった。
子供のころから目の前に見てきた子供の死という悲惨が心に深く刻み込まれていたんだろうと思う。
そしてその後、彼自身も我が子を失う事となる。
さらにこの曲は未完の交響曲第10番の第3楽章にはっきりと引用されている。
この曲は妻の不貞を告発しそして・・みたいな内容を持っているといわれており、その内容をかなり具体的にはっきりと読み取ることもできる。
第3者へ向けてその内容を分かりやすく提示するための工夫も随所にみられる。
この楽章からリヒャルト・シュトラウスのサロメの動機が引用され、仮にそれが妻ではないとしてもサロメ的な女性の存在を聴き手ははっきりと意識していく・・
しかし注意しなければいけないと思うのは深読みも一歩間違えると陳腐なわかったつもりごっこに陥ってしまう恐れがあるという事だ。
音楽というのははそんなに小さなものじゃない。
いつまで単一のストーリーを当てはめて涙するのはどうかと最近思う。
頼んだのは

酒の粕漬と豚の角煮と粕汁とみたいなセット・・
おいしかったよ。
下戸な私は粕漬けとか粕汁も体が拒否して食えないことがある。
でもこれは全くそういうこともなく食えたしおいしかった。
実際食ってる最中の雰囲気は

こんな感じ。
目にはいる景色が涼しいんですよね。
とてもいい気分。
板の間なんか座りなれないので足が痛くなってくる・・
隣で嫁さんもなんか言ってる。
見渡すと他にも足が崩壊している人がいて笑う。
デザートはお酒のゼリーかコーヒーか水ゼリーというのが選べるという。
捨て身の酒ゼリー・・はあり得ない。
誤解も解けないだろうけれど酒が弱いというのとは違うからね下戸って。
そして

これが水ゼリー
なんとなくサイダーみたいな味がするのかと勝手に思っていたんだけれど、
すげーのほんとに水。
黒蜜がかかっていたけどゼリー自体は水の味だけ・・
お酒は水が命みたいなこと言うよねそういえば。
水が自慢だってことなのかな?
そうなんだろうな。
いい時間をもらえました。
ありがとう。
またいつか。
酒蔵がやってるカフェらしい。
下戸な私には酒蔵とかビール工場とか縁がないわけなんだけれど、ランチくらい食えるだろう。
車で2時間くらい、昔は近くだと思っていたあたりも今ではそこそこ遠く感じる。
カーナビに導かれて角を曲がるとなんだか古くてただものではない感じの神社を正面に見る。
なんだこれすげーなとか思いながら更に曲がるとすぐそこに。

杉玉というんですか・・
お酒ができたよって知らせる奴だっけ?
まあこの門構え見ただけでその辺の古民家カフェなんかぶっ飛んじゃうわけだけど・・
入っていいのかな的に門をくぐると

築100年どころじゃないでしょう
時代劇みたいな建物・・でも2階にはガラスがはめられ飯を食ってる女性が見えたりして・・
ああやっぱりここでいいんだ。
引き戸を開け、おそるおそる入ってみると

誰もいない。
カフェは2階へとかいてあるから
古くて重厚な感じの階段を上る。
何だか本当に時代劇っぽい。
平日の10時ごろに再放送でやっていそうな・・・
2階に上がればお客さんや店員さんがいるお店な空間があった。
お好きなところにどうぞ・・
テーブルもあったけれどやっぱり板の間に直接座る感じでしょう・・窓際・・・埋まってる‥
あっ目の前に空いてる席があった。
座ってみれば目の前は

こんな感じ。
なんだこれ、最高だな。
久しぶりないいとこ来ちゃった感で盛り上がる。
BGMはボサノバみたいなの?
遠くてあまり聞こえない感じ・・それが実にちょうどいい感じ。こんなとこで場違いな音楽がでっかく聞こえたら台無しだし。

これは皆帰っちゃった後だけど、何組かのお客さんが楽しそうにしていた。
でも、その声は遠く最近よくあったようなうるさくて飯がまずいみたいなこともない。
それより何だかいい感じでしょう。
電気的な冷房が入っていたけれど、古いこの建物は見た目的に涼しい。

反対側にはテーブルも、その奥にはグランドピアノが・・
どうやってここへ上げたんだろう?
ここでもやっぱり時々演奏家を呼んでコンサートをやったりしているみたいだ。
私はまだ楽器な人アレルギーが治っていないので案内が見えても目をそらす。
むこうの若い人も静かに飯を食っていた。
食い終わってしばらくすると話が盛り上がるのか大きな笑い声が耳につくようになったけれど、
でも嫌な感じはなかった。
きっと自慢や悪口のない、楽しい会話をしていたんだろう。
レビューを見ると子供走らせてる親は何考えてんだとか、店員が気に入らないとかいうのも見かけたので、この日私は運がよかったのかもしれない。
以前行ったの近くのあるお店はかなりの人気店らしかったが、正直立地や建物の面白さに甘えて中身はなんだこれ?みたいな印象だった。
しかしたまたまそういう日に当たったのかもしれず、いいと思える日もあるのかもしれない。
受け手としての私の何かも毎日変動変質していると思う。
毎日いつでも同じ曲をいいと思うわけじゃない。
タイミングって結構大きな要素なんだろうなぁ・・
とてもいい場所でとてもいい時間が過ごせているという幸せ感が強くあった。
グスタフ・マーラーの実家も造り酒屋だったと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=ogNMLtsdlvg
歌曲集「少年の魔法の角笛」から
この世の生活。
天国を描いた「天上の生活」という曲もあって、ついになっていると思う。
天上の生活は交響曲第4番に編入されている。

この曲の歌詞は印象的というかものすごい。
お腹がすいたと訴える子供と
必死にパンを焼こうとする母親の様子が何度か描かれる。
やっとパンが焼けた時、
子供はすでに死んでいた・・・
みたいなの。
詩自体は別人によるものだけれど、この作曲家はこういう世界に強く心を引かれ続けたようだ。
19世紀の人だしマーラーも数多くの兄弟がいたはずだけれど、無事心身ともに健康な成人になれたのは妹と・・なんだっけ・・
誤解を恐れずに言えば19世紀、それはどこにでもあるありふれたことだった。
子供のころから目の前に見てきた子供の死という悲惨が心に深く刻み込まれていたんだろうと思う。
そしてその後、彼自身も我が子を失う事となる。
さらにこの曲は未完の交響曲第10番の第3楽章にはっきりと引用されている。
この曲は妻の不貞を告発しそして・・みたいな内容を持っているといわれており、その内容をかなり具体的にはっきりと読み取ることもできる。
第3者へ向けてその内容を分かりやすく提示するための工夫も随所にみられる。
この楽章からリヒャルト・シュトラウスのサロメの動機が引用され、仮にそれが妻ではないとしてもサロメ的な女性の存在を聴き手ははっきりと意識していく・・
しかし注意しなければいけないと思うのは深読みも一歩間違えると陳腐なわかったつもりごっこに陥ってしまう恐れがあるという事だ。
音楽というのははそんなに小さなものじゃない。
いつまで単一のストーリーを当てはめて涙するのはどうかと最近思う。
頼んだのは

酒の粕漬と豚の角煮と粕汁とみたいなセット・・
おいしかったよ。
下戸な私は粕漬けとか粕汁も体が拒否して食えないことがある。
でもこれは全くそういうこともなく食えたしおいしかった。
実際食ってる最中の雰囲気は

こんな感じ。
目にはいる景色が涼しいんですよね。
とてもいい気分。
板の間なんか座りなれないので足が痛くなってくる・・
隣で嫁さんもなんか言ってる。
見渡すと他にも足が崩壊している人がいて笑う。
デザートはお酒のゼリーかコーヒーか水ゼリーというのが選べるという。
捨て身の酒ゼリー・・はあり得ない。
誤解も解けないだろうけれど酒が弱いというのとは違うからね下戸って。
そして

これが水ゼリー
なんとなくサイダーみたいな味がするのかと勝手に思っていたんだけれど、
すげーのほんとに水。
黒蜜がかかっていたけどゼリー自体は水の味だけ・・
お酒は水が命みたいなこと言うよねそういえば。
水が自慢だってことなのかな?
そうなんだろうな。
いい時間をもらえました。
ありがとう。
またいつか。