御前崎で
台風が通り過ぎてもまだ荒れた海。

ここは御前崎。
すっごい風。
砂だか塩だかわからないものが吹き付けて・・
気のせいか口の中がしょっぱい。
ちょっとだけ砂浜があったりしてほっとくと嫁さんはそういうところへ行こうとする。
波って見てると何十回に一回くらい他と全然違うスケールのが来ることがありますよね。
やばいよニュース出ちゃうよ。
本当はこのもっと先にある砂丘を見に行こうと考えていた。
でも風の強い日に砂浜へ行き、人間サンドブラストみたいになったことを思い出し
やめたもうここでいいやと思う。
振り向けば、Cafeと書いてある建物。
こういう観光施設的なお店は普段敬遠するんだけど、なんかもうお店を探すのもめんどくさいしあそこでいいよ行ってみようか・・

と思ったけれど窓から見える店内は満席。
隅の方の暗い席が空いてたって・・食うことが目的じゃないもんね。
こんなとこ来てんだもん海を見ながらなんか食いたいよなぁ。
じゃ灯台でも見てくるか。

階段を上り・・・
ここ来たのもう10年・・もっと前だよなぁ・・
あの時はカフェなんかなかったよな。
あってもそういうのいかなかったし。
あの時も嫁さんといっしょだった。
私は長くカメラで写真を撮るという事を全くしませんでした。
俺がカメラなんて持つのはおかしいとか、写真撮って何の意味があるんだと腐ってて・・
嫁さんと知り合って、いつ終わるかわからないこの奇跡の時間をせめて写真でだけでも残しとこうと小さなカメラを買った。
何年か分の大量の写真はそんな悲しい思い出となることもなく手元に残ってくれた。
写真を探してみるとここに来たのは12年前。
記憶にある夕日が海に沈むと同時に月が海から登ってきた・・も写ってた。
その時嫁さんとは結婚前。
結婚はしたけれど子供ができなかったためいまいち変化がないというか何かの自覚みたいなものもないまま今に至る。
何かが成長変化していく様子というのも庭のあさがおくらいしかない為時間の経過を意識することもなく、つい最近のような記憶が10年以上前の出来事だったりする。
二人とも何の成長もないかもしれない。
いいけどね。
この数年また自分の人生はどうしようもないものだみたいな思いがいつもちらついているんだけど、大量の写真を見れば全然そんなことないと知ることができる。
いちいち見ないと確認できないのか・・・そう、常に自分で自分を否定するようなロジックが埋め込まれていることはわかっているんだけれど、どう取り除いてくのかはまだ検討中。
でも私は幸せです。
今ここに書いて確認、意識するから。
https://www.youtube.com/watch?v=E5IMqhHgq_M
海だからってドビュッシーの交響詩「海」とか貼ったら負けっぽいですよね。
これも負けっぽいけどまあいいじゃない。
弾けない素人は音がいっぱいあって速い曲が難しいんじゃないかと単純に思っちゃいますよね。
いいなぁと自分が弾いてるところ妄想して喜んだりしましたよ昔は・・
でも実際演奏する人にとっての難しさは多分そんなところでは全然なくって・・
いろんなことを教えてくださった人がいて・・私は驚いてうれしくて感動しましたよ。

参観寄付金1人200円・・でいちいちうろたえる。
ここまできてケチって入らないとかないだろう。
螺旋階段をくるくる回りながら登っていく・・・
外から見ると全くわからないけれど、この灯台はかなり古いものでレンガ積みでできているみたいだ。一部そのレンガを見られるよう保護パネルに窓が作ってあった。
後で調べると明治5年の着工で明治7年完成。最初の鉄道が明治4年だったっけ。
日本がちょんまげでござるをやめて、近代国家としてやってくんだと決めたそこからずっと仕事をしてきた灯台だった。
その重さにこの時は全く気付いていなかった。

最後だけこんな梯子みたいなのとこんなハッチみたいになっていて結構大変・・
すれ違いなんか不能
人が多いと渋滞する。

半周まわってあの狭い入り口から外へ出ると

ものすごい強風・・音・・
体も持ってかれちゃいそうな勢いの風だよこれ。
ちょっと怖いよ。

海は果てしなく続く・・・地球は丸い。
そして私は高所恐怖症だ・・
送電線路や鉄道電力設備関係の建設会社の説明会に行ったことがあります。
入社したらまず高さ100mの送電鉄塔に登ってもらうとか言ってた。
聞いた瞬間あきらめた。

灯台といえば回転することで決まった周期で明かりを届ける・・
ランプの乗った回転台とベースとの間の電源の接続は・・あっちがうか
ランプは固定されてて周りのレンズだけが回転するのね。
見にくいけれど、レンズを回転させるモーターが見える。
意外に小さくて驚いた。
ベースは最近つくりかえられたみたいで免振構造を持っているような名の銘版があった。
やっぱり今時光源はLED化されていたりするんだろうか?
・・・ちょっと調べて多分違うみたい。
気が済んだからカフェいこう。
階段を下りて・・
なんだあれ?
女の子が変なかっこしてるのをでっかいカメラを持ったおっさんたちが囲んで・・
あー、時々写真ブログでみる女の子がいっぱい写ってるのはこういうやつなのね?
お店は・・
今度は空いてる。

ハワイなBGMがかかっていてまあ、そういうお店かぁ。
沖縄もあれだけど、ハワイも精神的に遠いなぁ私から・・
そしてたのんだのは

灯台シフォンケーキ。
あの傘ちゃんと動いてたためるのね。
ドラゴンフルーツと、何だっけなんか南国な名前のものが・・
何だかわかんないけどあの赤いソースはおいしかった。
四角いこんにゃくみたいに切ってあるフルーツは凍らせてあった。
冷たくておいしい。これがドラゴンフルーツ?
シフォン塔は・・シフォンケーキというより蒸しパンだけど、
まぁアイディアの勝利だなこれは。
倒さないで立てたまま食ってやろうと思ったけど無理だった。
この日、いらんこと考えちゃて気分下降気味なうえいまいちぱっとしない印象の中にいた。
でも楽しい思い出ができたよ。
ありがとう。

ここは御前崎。
すっごい風。
砂だか塩だかわからないものが吹き付けて・・
気のせいか口の中がしょっぱい。
ちょっとだけ砂浜があったりしてほっとくと嫁さんはそういうところへ行こうとする。
波って見てると何十回に一回くらい他と全然違うスケールのが来ることがありますよね。
やばいよニュース出ちゃうよ。
本当はこのもっと先にある砂丘を見に行こうと考えていた。
でも風の強い日に砂浜へ行き、人間サンドブラストみたいになったことを思い出し
やめたもうここでいいやと思う。
振り向けば、Cafeと書いてある建物。
こういう観光施設的なお店は普段敬遠するんだけど、なんかもうお店を探すのもめんどくさいしあそこでいいよ行ってみようか・・

と思ったけれど窓から見える店内は満席。
隅の方の暗い席が空いてたって・・食うことが目的じゃないもんね。
こんなとこ来てんだもん海を見ながらなんか食いたいよなぁ。
じゃ灯台でも見てくるか。

階段を上り・・・
ここ来たのもう10年・・もっと前だよなぁ・・
あの時はカフェなんかなかったよな。
あってもそういうのいかなかったし。
あの時も嫁さんといっしょだった。
私は長くカメラで写真を撮るという事を全くしませんでした。
俺がカメラなんて持つのはおかしいとか、写真撮って何の意味があるんだと腐ってて・・
嫁さんと知り合って、いつ終わるかわからないこの奇跡の時間をせめて写真でだけでも残しとこうと小さなカメラを買った。
何年か分の大量の写真はそんな悲しい思い出となることもなく手元に残ってくれた。
写真を探してみるとここに来たのは12年前。
記憶にある夕日が海に沈むと同時に月が海から登ってきた・・も写ってた。
その時嫁さんとは結婚前。
結婚はしたけれど子供ができなかったためいまいち変化がないというか何かの自覚みたいなものもないまま今に至る。
何かが成長変化していく様子というのも庭のあさがおくらいしかない為時間の経過を意識することもなく、つい最近のような記憶が10年以上前の出来事だったりする。
二人とも何の成長もないかもしれない。
いいけどね。
この数年また自分の人生はどうしようもないものだみたいな思いがいつもちらついているんだけど、大量の写真を見れば全然そんなことないと知ることができる。
いちいち見ないと確認できないのか・・・そう、常に自分で自分を否定するようなロジックが埋め込まれていることはわかっているんだけれど、どう取り除いてくのかはまだ検討中。
でも私は幸せです。
今ここに書いて確認、意識するから。
https://www.youtube.com/watch?v=E5IMqhHgq_M
海だからってドビュッシーの交響詩「海」とか貼ったら負けっぽいですよね。
これも負けっぽいけどまあいいじゃない。
弾けない素人は音がいっぱいあって速い曲が難しいんじゃないかと単純に思っちゃいますよね。
いいなぁと自分が弾いてるところ妄想して喜んだりしましたよ昔は・・
でも実際演奏する人にとっての難しさは多分そんなところでは全然なくって・・
いろんなことを教えてくださった人がいて・・私は驚いてうれしくて感動しましたよ。

参観寄付金1人200円・・でいちいちうろたえる。
ここまできてケチって入らないとかないだろう。
螺旋階段をくるくる回りながら登っていく・・・
外から見ると全くわからないけれど、この灯台はかなり古いものでレンガ積みでできているみたいだ。一部そのレンガを見られるよう保護パネルに窓が作ってあった。
後で調べると明治5年の着工で明治7年完成。最初の鉄道が明治4年だったっけ。
日本がちょんまげでござるをやめて、近代国家としてやってくんだと決めたそこからずっと仕事をしてきた灯台だった。
その重さにこの時は全く気付いていなかった。

最後だけこんな梯子みたいなのとこんなハッチみたいになっていて結構大変・・
すれ違いなんか不能
人が多いと渋滞する。

半周まわってあの狭い入り口から外へ出ると

ものすごい強風・・音・・
体も持ってかれちゃいそうな勢いの風だよこれ。
ちょっと怖いよ。

海は果てしなく続く・・・地球は丸い。
そして私は高所恐怖症だ・・
送電線路や鉄道電力設備関係の建設会社の説明会に行ったことがあります。
入社したらまず高さ100mの送電鉄塔に登ってもらうとか言ってた。
聞いた瞬間あきらめた。

灯台といえば回転することで決まった周期で明かりを届ける・・
ランプの乗った回転台とベースとの間の電源の接続は・・あっちがうか
ランプは固定されてて周りのレンズだけが回転するのね。
見にくいけれど、レンズを回転させるモーターが見える。
意外に小さくて驚いた。
ベースは最近つくりかえられたみたいで免振構造を持っているような名の銘版があった。
やっぱり今時光源はLED化されていたりするんだろうか?
・・・ちょっと調べて多分違うみたい。
気が済んだからカフェいこう。
階段を下りて・・
なんだあれ?
女の子が変なかっこしてるのをでっかいカメラを持ったおっさんたちが囲んで・・
あー、時々写真ブログでみる女の子がいっぱい写ってるのはこういうやつなのね?
お店は・・
今度は空いてる。

ハワイなBGMがかかっていてまあ、そういうお店かぁ。
沖縄もあれだけど、ハワイも精神的に遠いなぁ私から・・
そしてたのんだのは

灯台シフォンケーキ。
あの傘ちゃんと動いてたためるのね。
ドラゴンフルーツと、何だっけなんか南国な名前のものが・・
何だかわかんないけどあの赤いソースはおいしかった。
四角いこんにゃくみたいに切ってあるフルーツは凍らせてあった。
冷たくておいしい。これがドラゴンフルーツ?
シフォン塔は・・シフォンケーキというより蒸しパンだけど、
まぁアイディアの勝利だなこれは。
倒さないで立てたまま食ってやろうと思ったけど無理だった。
この日、いらんこと考えちゃて気分下降気味なうえいまいちぱっとしない印象の中にいた。
でも楽しい思い出ができたよ。
ありがとう。
コンプレックス食堂
海辺の絶壁みたいなところにある

こんなお店に行きました。
今これ見ると地球は丸い感が出てますよね。
一度来てみると閉まっていてありがちな閉店廃墟化か?と思ったんだけどその後どうも営業しているらしく気になっていた。
よくあるようなランチの看板を見ながら店に入ると、店主と思われる白髪の男性が奥の方の席を案内してくれた。
ちょうどお昼時・・でも空いてる席もあって・・
座ると衝立みたいな物の後ろにある席でなんだかガタガタしだした。
人がたくさん入れ替わっている感じがする。・・なんだかずっとごちゃごちゃ言ってて・・・
オーダーを聞いてできるの出来ないのといっているのが聞こえてくる。
白髪の女性・・老夫婦が一生懸命やってるお店かぁ・・
まぁ、気長に待ちましょうか。
しかしこちらには水の一つも出てこないまま結構な待ち時間が経過する・・
いそがしいからね。
メニューを見るとランチとして漬け丼・・あとはコーヒーとサンドイッチ。
漬け丼一択かぁ・・まあいいや海が見えるんだしちょうどいいか。
とで青い海を眺めながら気長に待つ・・結構待つ。
ちょっとイライラしかけたところに白髪のマスターが水をもってきながら
「お飲み物でしょうか・・」
え、昼の12時で飲み物でしょうかはねーだろ・・
なんて言わずに笑顔でランチを・・・というと
今日はもうそれ終わっちゃってるんです・・・出直してください。
まぁ、わかるよ。
ランチの看板で迎えた客を、しばらく待たせてそれねーんだよ出直せよ・・・
気にはなったけれどに腹もたたず、
笑顔でそうですか、じゃあ帰ります。なんて言って出てきた。
結構な御歳にみえる白髪のマスターは、いっぱいいっぱいだったんだろうなと思えたから。
もし、バリバリやってそうな若いのがしたり顔でそんなことを言ったら違う展開もあったかもしれない。
腹を立てたとすればそれは飯を食えなかったことに対してではなく、自分がぞんざいに扱われたと感じたことに対してだろうと思う。そしてそれを操っているのは幼いころから自分は虐げられてきたという私の抱えたコンプレックスであると思う。
ちっちゃいねとか幼いねとかいうところでしょう。
でも、情けないけれどそれが私。
いや、自虐を書きたいんじゃなくて今ここで言いたいのは気分や感情って今起こっていることに対応して形成されているような気がするけれど、実は全然違うところにある全然違うものが操作してるんじゃないの?ということ。
まあいいやとか言いながらしばらく走ってみて住宅街の中にある民家風の

こんなお店に・・
入ったらすごい臭い・・・料理のじゃない。
締め切った学生アパートのあの匂い・・人のいる部屋で換気が悪いとああなるよね。
そんなこといちいち書かなくていいのか。

ランチのパスタが3種類くらいあった気がするけれど、
よく考えもせず自動的にボロネーゼ。
今考えるとやっぱりさっきのお店の出来事がまだ自分を波立たせてたんだな。
大盛っていうのはこらえることができた。
BGMは多分最近の流行歌と20年くらい前の流行歌が1曲づつ交互に流れていた。
やたらに音飛びしていたけどあれなんだろう?もう音飛びも死語になるんだろうなぁ・
私は中学生の時にクラシック音楽に目覚めましたがその前は普通に流行りものを聞いていました。
歌謡ベストテンみたいなラジオ番組をテープに録ったりして。
クラシックを知るとよせばいいのに他の一切を遮断してしまった。多分意識もしていなかったと思う。
今思うとそれは、お前がみんなと同じなわけないだろうというあの呪縛が作用したのかもしれない。
普通に話せばいいのに、どんな歌手のどんな曲を聴いているか人前で話さないように抑えた記憶がかすかにある。
みんなが知らないクラシックなら自分が聴いていてもいいと思った・・りはしないけれど無意識でそんな運びがあったかもしれない。
その辺でもう十分いかれている気もするけれど、その後いろいろあり、私は周囲の人間すべてを拒絶するような変態になってしまった。
その際流行歌は私の中で周囲の人間の象徴としてとらえられ病的に拒否される対象となった。
今はもう反射的に電源を切ったり席を立ったりすることは・・いや今でも続いているだよなぁ・・
20年前の曲を知っているのは長時間上司に当たる人間と車で同行した際、FMがずっとかかっていたから。
それがまた、20年前、30年前、もっと前の記憶を引きずり出しあああの時もダメだった・・みたいないらんものを呼び覚ます。
こんな人間なので当然誰とも話は合わないしカラオケも歌えない。
カラオケで歌えないのは曲を知らないからとはまた別な変態的何かのせいだ。
素人が歌っているのを聞くのも無理。
俺は・・
ボロネーゼを食いながら一人よせばいいのに落ちていく。
当たり前だけどボロネーゼは少しも悪くない。普通においしかったよ。
粉チーズねーのかよとか思いながら。
この日、ここに来るまで運転しながら寂しいとか一人くらい友達が欲しいとか何とかしてまた人と出会えるよう頑張らなくっちゃ・・とかなんとか夢見る中学生みたいな頭でいた。
そこにお前みたいな変態に友達だのなんだのってのがある訳ねーだろ。
お前自分でそれを一番よくわかっていて昔から一人の世界に逃げてたんじゃねーのか・・
等という声を聞く。
自分が自分に勘違いして調子に乗るなと言いながら押さえつける。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=757&v=X9Yv_CdgNAY
この曲、大好きなんですよ。
前にも書いたけれどこの曲旋律線が大きく異なる2つの版があるようだ。
私が好きなのはこれじゃないほう。
この曲、クラシックを聴き始めの中学生の時にはすでに聴いてました。
でも意味は分からずなんとなくいきなりソプラノが出てきてボソッと歌う曲・・くらいにしか思っていなかった。
沁みるようになったのは最近。
時々わずかに光って見える期待はしかし、すべて裏切られて暗闇に沈んでゆく・・
どうにもならない気分でこの後二日間ぐらいふさいでいたんだけど、全然関係ないきっかけでとりあえず持ち直しました。
何も解決してないからハッピーポジティブになんかならなくて相変わらずのグタグタグレーだけど。
気分や感情が実態とかけ離れたところで操作されているのなら、逆に自分で好きなように操作もできるのかもしれません。
でも笑顔で前向きに生きればいいことありますみたいなのに何のリアリティーも感じられない人間もいると思う。
まず現状を分解して観察、分析、把握するところから始めないといけないと思う。
しかしそんなの実際難しいよね。
素人が半端にいじるとかえって壊れて取り返しがつかなくなりそうですよね。
本屋の隅で売ってる自己啓発本とかはどんなに並べたところで何の意味もない。よせばいいのにあんな本結構買っちゃった。
中にはひどいのもあるよねえ・・
私も時々他人から西方のありがたいお経みたいな助言を何度もいただいてきた。
一見自分の進むべき道を照らしてくれそうなそれは毒を塗った刺でもある。
自分が自分で気づいて感じるまでは何も変われない。
自分しかいない。
嫁はいるか。
大丈夫。
俺は大丈夫。

こんなお店に行きました。
今これ見ると地球は丸い感が出てますよね。
一度来てみると閉まっていてありがちな閉店廃墟化か?と思ったんだけどその後どうも営業しているらしく気になっていた。
よくあるようなランチの看板を見ながら店に入ると、店主と思われる白髪の男性が奥の方の席を案内してくれた。
ちょうどお昼時・・でも空いてる席もあって・・
座ると衝立みたいな物の後ろにある席でなんだかガタガタしだした。
人がたくさん入れ替わっている感じがする。・・なんだかずっとごちゃごちゃ言ってて・・・
オーダーを聞いてできるの出来ないのといっているのが聞こえてくる。
白髪の女性・・老夫婦が一生懸命やってるお店かぁ・・
まぁ、気長に待ちましょうか。
しかしこちらには水の一つも出てこないまま結構な待ち時間が経過する・・
いそがしいからね。
メニューを見るとランチとして漬け丼・・あとはコーヒーとサンドイッチ。
漬け丼一択かぁ・・まあいいや海が見えるんだしちょうどいいか。
とで青い海を眺めながら気長に待つ・・結構待つ。
ちょっとイライラしかけたところに白髪のマスターが水をもってきながら
「お飲み物でしょうか・・」
え、昼の12時で飲み物でしょうかはねーだろ・・
なんて言わずに笑顔でランチを・・・というと
今日はもうそれ終わっちゃってるんです・・・出直してください。
まぁ、わかるよ。
ランチの看板で迎えた客を、しばらく待たせてそれねーんだよ出直せよ・・・
気にはなったけれどに腹もたたず、
笑顔でそうですか、じゃあ帰ります。なんて言って出てきた。
結構な御歳にみえる白髪のマスターは、いっぱいいっぱいだったんだろうなと思えたから。
もし、バリバリやってそうな若いのがしたり顔でそんなことを言ったら違う展開もあったかもしれない。
腹を立てたとすればそれは飯を食えなかったことに対してではなく、自分がぞんざいに扱われたと感じたことに対してだろうと思う。そしてそれを操っているのは幼いころから自分は虐げられてきたという私の抱えたコンプレックスであると思う。
ちっちゃいねとか幼いねとかいうところでしょう。
でも、情けないけれどそれが私。
いや、自虐を書きたいんじゃなくて今ここで言いたいのは気分や感情って今起こっていることに対応して形成されているような気がするけれど、実は全然違うところにある全然違うものが操作してるんじゃないの?ということ。
まあいいやとか言いながらしばらく走ってみて住宅街の中にある民家風の

こんなお店に・・
入ったらすごい臭い・・・料理のじゃない。
締め切った学生アパートのあの匂い・・人のいる部屋で換気が悪いとああなるよね。
そんなこといちいち書かなくていいのか。

ランチのパスタが3種類くらいあった気がするけれど、
よく考えもせず自動的にボロネーゼ。
今考えるとやっぱりさっきのお店の出来事がまだ自分を波立たせてたんだな。
大盛っていうのはこらえることができた。
BGMは多分最近の流行歌と20年くらい前の流行歌が1曲づつ交互に流れていた。
やたらに音飛びしていたけどあれなんだろう?もう音飛びも死語になるんだろうなぁ・
私は中学生の時にクラシック音楽に目覚めましたがその前は普通に流行りものを聞いていました。
歌謡ベストテンみたいなラジオ番組をテープに録ったりして。
クラシックを知るとよせばいいのに他の一切を遮断してしまった。多分意識もしていなかったと思う。
今思うとそれは、お前がみんなと同じなわけないだろうというあの呪縛が作用したのかもしれない。
普通に話せばいいのに、どんな歌手のどんな曲を聴いているか人前で話さないように抑えた記憶がかすかにある。
みんなが知らないクラシックなら自分が聴いていてもいいと思った・・りはしないけれど無意識でそんな運びがあったかもしれない。
その辺でもう十分いかれている気もするけれど、その後いろいろあり、私は周囲の人間すべてを拒絶するような変態になってしまった。
その際流行歌は私の中で周囲の人間の象徴としてとらえられ病的に拒否される対象となった。
今はもう反射的に電源を切ったり席を立ったりすることは・・いや今でも続いているだよなぁ・・
20年前の曲を知っているのは長時間上司に当たる人間と車で同行した際、FMがずっとかかっていたから。
それがまた、20年前、30年前、もっと前の記憶を引きずり出しあああの時もダメだった・・みたいないらんものを呼び覚ます。
こんな人間なので当然誰とも話は合わないしカラオケも歌えない。
カラオケで歌えないのは曲を知らないからとはまた別な変態的何かのせいだ。
素人が歌っているのを聞くのも無理。
俺は・・
ボロネーゼを食いながら一人よせばいいのに落ちていく。
当たり前だけどボロネーゼは少しも悪くない。普通においしかったよ。
粉チーズねーのかよとか思いながら。
この日、ここに来るまで運転しながら寂しいとか一人くらい友達が欲しいとか何とかしてまた人と出会えるよう頑張らなくっちゃ・・とかなんとか夢見る中学生みたいな頭でいた。
そこにお前みたいな変態に友達だのなんだのってのがある訳ねーだろ。
お前自分でそれを一番よくわかっていて昔から一人の世界に逃げてたんじゃねーのか・・
等という声を聞く。
自分が自分に勘違いして調子に乗るなと言いながら押さえつける。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=757&v=X9Yv_CdgNAY
この曲、大好きなんですよ。
前にも書いたけれどこの曲旋律線が大きく異なる2つの版があるようだ。
私が好きなのはこれじゃないほう。
この曲、クラシックを聴き始めの中学生の時にはすでに聴いてました。
でも意味は分からずなんとなくいきなりソプラノが出てきてボソッと歌う曲・・くらいにしか思っていなかった。
沁みるようになったのは最近。
時々わずかに光って見える期待はしかし、すべて裏切られて暗闇に沈んでゆく・・
どうにもならない気分でこの後二日間ぐらいふさいでいたんだけど、全然関係ないきっかけでとりあえず持ち直しました。
何も解決してないからハッピーポジティブになんかならなくて相変わらずのグタグタグレーだけど。
気分や感情が実態とかけ離れたところで操作されているのなら、逆に自分で好きなように操作もできるのかもしれません。
でも笑顔で前向きに生きればいいことありますみたいなのに何のリアリティーも感じられない人間もいると思う。
まず現状を分解して観察、分析、把握するところから始めないといけないと思う。
しかしそんなの実際難しいよね。
素人が半端にいじるとかえって壊れて取り返しがつかなくなりそうですよね。
本屋の隅で売ってる自己啓発本とかはどんなに並べたところで何の意味もない。よせばいいのにあんな本結構買っちゃった。
中にはひどいのもあるよねえ・・
私も時々他人から西方のありがたいお経みたいな助言を何度もいただいてきた。
一見自分の進むべき道を照らしてくれそうなそれは毒を塗った刺でもある。
自分が自分で気づいて感じるまでは何も変われない。
自分しかいない。
嫁はいるか。
大丈夫。
俺は大丈夫。
沖縄
うちにもエアコンがあるにはあるのだけれど、この夏稼働させたのは一度だけ。
網戸と扇風機。
うちは涼しいからというんじゃなくて、私の頭のどこかに変な呪縛があると思う。
それはともかく涼しくなってきたら蚊が出てきた。
今年の蚊は殺虫剤で落ちない。
なんだこれ。
この日、雨が降るんだか降らないんだかという天気で遠出する気も盛り上がらず・・

沖縄料理の店に行った。
沖縄出身の人がやってるんじゃないかな。
現地系のお酒やいろんなものがあふれている。
夜は飲みに来る人もいっぱいいるんでしょう。
出身者から旅行に行ってハマっちゃっている人から・・
義母が沖縄の出身なので嫁さんは沖縄にシンパシーを感じるようだ。
私は北海道にはやたらといったけれど沖縄に行ったことがない。
性格的に違う気がして・・
一度行けばハマったりしたかもしれないなぁ・・
いけなくなると行きたくなるものなのかも。
色々あったけどソーキそばにする。
150円くらいでジューシーだっけ?炊き込みご飯と小鉢が付くとあった・・
でも今炭水化物削減キャンペーンだから単品で。

後ろのちっちゃい緑色のものはランチのおまけサラダとかじゃない。
単品で頼んだゴーヤサラダ。
メニューの写真だともっと大きなさらにゆったりと盛り付けてあったので、この写真を撮ったときはえ?こんだけ?とか思ってた。
このサラダ、シーチキン他?とあえてあってゴーヤの苦みをさほど強く感じることもなくおいしく食べられました。
家でも作れんのかなこれなら?
嫁さんゴーヤ嫌いらしくて買ってこないけど。
来年育てるか・・
ソーキそば、おいしいね。
うどんでも蕎麦でもないこの面はどちらかというと中華そばよりですよね?
え?ちがう?しらねーよ。
スープも脂っこさは全然なくておいしい。
これどっかで食った何かに似てるなぁ・・とずっと考えていて・・
あそうだ、スガキヤのラーメン。
中部地方の人にしか伝わらないと思うけれど今だとショッピングモールのフードコートか。

このカップラーメンはお店の味を再現できてない気がするけどどうでしょうか・・
昔は駅前の5階建てなデパートの最上階にスガキヤが入っていて、
紙コップで出てくるかき氷やフロート、ソフトクリームとともにどことも違う不思議なスープのラーメンを出していました。
スプーンとフォークが融合したようなのがついてきて、かつおだしと豚骨が混ざったような白いスープ・・
最近はやりのベタベタな何とかダブルスープなんて言うのとは全然違う・・
幼いころの数少ないごちそう的思い出の一つ・・
そんなデパートというのも取り壊されてからももう10年以上か。
BGMで沖縄の音楽とポップスが融合したような音楽がずっとループしていた。
もしかすると有名な人なのかもしれません。
日本本土とは全く異なる趣の沖縄音楽も魅力的ですね。
ソーキそばが本土のそばとは全然違ってなんとなく中国とかアジアよりな感じがするのと同じく、
音楽もあっち方面のとなんとなく似てる世界観という気がします・・そんなに知らないけど。
クラシックを聴いてるとガムラン音楽とか中国の音楽とかに影響を受けたみたいな曲が時々あるんですよね。
でも日本風ってあんまりないよなぁ・・・
やっぱりこう、日本って全然違うでしょなにこれ感がでかいのかな・・
https://www.youtube.com/watch?time_continue=362&v=dH3FGCtE98g
プーランクのこの曲、
ちょっとだけガムランな部分。
あっちの音楽にかなり親和性を感じますよね沖縄の音楽も。
現地系調味料がたくさん置いてあった。
このフィファチ?

沖縄の胡麻ですなんて書いてあるからそのつもりで大量に投入したら胡麻じゃなかった。
何というか仏教寺院的香り。
うまく使えばきっと面白いんでしょうねこれ。

これは紫芋のウムクジアンダギー
お箸で食べてね・・
油で揚げてあるのね・・おいしかったよこれも。
世間標準で言えば非常識といわれるほど義母と会う機会もないのだけれど、
義母は貧しく本当にその日の食べ物にも大変苦労したそうだ。
すごい話も聞いた。
義母は明るく、どんどん楽しんでいタイプの人・・・いろいろあって病的に根暗な血筋の私には苦手というか理解不能な面もある。
でもそんなに苦労したんなら楽しまないとね・・と言う気もする。
義母から見れば私は・・変なの・・なのかもしれないが直接はそういうことを言わずにいてくれる。
そこは感謝しないといけないですね。
嫁姑とかいうのもあるけど実母と義母みたいなのもあるのね。
あんまり書いたらいけないと思うけれど、そのあたりに関して何にも言わずにいてくれる嫁さんにも感謝。
いろんな足かせも外して、みんな忘れて、いってみたいなぁ・・南の島。

いってみた!
な訳もなく、これはの静岡の海。
でも奇麗だったこの日。
この何とも言えない青って人の心に何か作用しますよね。

閉店しちゃったお店を木がすごい勢いで覆っていた。
多分このお店は悪くない。
ここへ来るまでの道路がなおしても直しても崩れて通行止めになってしまうような超絶道路だったのが閉店の原因だと思う。
トンネルができて安定してこられるようになったんだと思うけれど。
もうやんないのかな?
嫁さんの話だと義母の実家付近の海はこんな岩の崖から見おろすようなイメージだったと思う。
行ったこともないけれど聞いたその印象が私の中で定着し、いつも思い浮かぶ。
網戸と扇風機。
うちは涼しいからというんじゃなくて、私の頭のどこかに変な呪縛があると思う。
それはともかく涼しくなってきたら蚊が出てきた。
今年の蚊は殺虫剤で落ちない。
なんだこれ。
この日、雨が降るんだか降らないんだかという天気で遠出する気も盛り上がらず・・

沖縄料理の店に行った。
沖縄出身の人がやってるんじゃないかな。
現地系のお酒やいろんなものがあふれている。
夜は飲みに来る人もいっぱいいるんでしょう。
出身者から旅行に行ってハマっちゃっている人から・・
義母が沖縄の出身なので嫁さんは沖縄にシンパシーを感じるようだ。
私は北海道にはやたらといったけれど沖縄に行ったことがない。
性格的に違う気がして・・
一度行けばハマったりしたかもしれないなぁ・・
いけなくなると行きたくなるものなのかも。
色々あったけどソーキそばにする。
150円くらいでジューシーだっけ?炊き込みご飯と小鉢が付くとあった・・
でも今炭水化物削減キャンペーンだから単品で。

後ろのちっちゃい緑色のものはランチのおまけサラダとかじゃない。
単品で頼んだゴーヤサラダ。
メニューの写真だともっと大きなさらにゆったりと盛り付けてあったので、この写真を撮ったときはえ?こんだけ?とか思ってた。
このサラダ、シーチキン他?とあえてあってゴーヤの苦みをさほど強く感じることもなくおいしく食べられました。
家でも作れんのかなこれなら?
嫁さんゴーヤ嫌いらしくて買ってこないけど。
来年育てるか・・
ソーキそば、おいしいね。
うどんでも蕎麦でもないこの面はどちらかというと中華そばよりですよね?
え?ちがう?しらねーよ。
スープも脂っこさは全然なくておいしい。
これどっかで食った何かに似てるなぁ・・とずっと考えていて・・
あそうだ、スガキヤのラーメン。
中部地方の人にしか伝わらないと思うけれど今だとショッピングモールのフードコートか。

このカップラーメンはお店の味を再現できてない気がするけどどうでしょうか・・
昔は駅前の5階建てなデパートの最上階にスガキヤが入っていて、
紙コップで出てくるかき氷やフロート、ソフトクリームとともにどことも違う不思議なスープのラーメンを出していました。
スプーンとフォークが融合したようなのがついてきて、かつおだしと豚骨が混ざったような白いスープ・・
最近はやりのベタベタな何とかダブルスープなんて言うのとは全然違う・・
幼いころの数少ないごちそう的思い出の一つ・・
そんなデパートというのも取り壊されてからももう10年以上か。
BGMで沖縄の音楽とポップスが融合したような音楽がずっとループしていた。
もしかすると有名な人なのかもしれません。
日本本土とは全く異なる趣の沖縄音楽も魅力的ですね。
ソーキそばが本土のそばとは全然違ってなんとなく中国とかアジアよりな感じがするのと同じく、
音楽もあっち方面のとなんとなく似てる世界観という気がします・・そんなに知らないけど。
クラシックを聴いてるとガムラン音楽とか中国の音楽とかに影響を受けたみたいな曲が時々あるんですよね。
でも日本風ってあんまりないよなぁ・・・
やっぱりこう、日本って全然違うでしょなにこれ感がでかいのかな・・
https://www.youtube.com/watch?time_continue=362&v=dH3FGCtE98g
プーランクのこの曲、
ちょっとだけガムランな部分。
あっちの音楽にかなり親和性を感じますよね沖縄の音楽も。
現地系調味料がたくさん置いてあった。
このフィファチ?

沖縄の胡麻ですなんて書いてあるからそのつもりで大量に投入したら胡麻じゃなかった。
何というか仏教寺院的香り。
うまく使えばきっと面白いんでしょうねこれ。

これは紫芋のウムクジアンダギー
お箸で食べてね・・
油で揚げてあるのね・・おいしかったよこれも。
世間標準で言えば非常識といわれるほど義母と会う機会もないのだけれど、
義母は貧しく本当にその日の食べ物にも大変苦労したそうだ。
すごい話も聞いた。
義母は明るく、どんどん楽しんでいタイプの人・・・いろいろあって病的に根暗な血筋の私には苦手というか理解不能な面もある。
でもそんなに苦労したんなら楽しまないとね・・と言う気もする。
義母から見れば私は・・変なの・・なのかもしれないが直接はそういうことを言わずにいてくれる。
そこは感謝しないといけないですね。
嫁姑とかいうのもあるけど実母と義母みたいなのもあるのね。
あんまり書いたらいけないと思うけれど、そのあたりに関して何にも言わずにいてくれる嫁さんにも感謝。
いろんな足かせも外して、みんな忘れて、いってみたいなぁ・・南の島。

いってみた!
な訳もなく、これはの静岡の海。
でも奇麗だったこの日。
この何とも言えない青って人の心に何か作用しますよね。

閉店しちゃったお店を木がすごい勢いで覆っていた。
多分このお店は悪くない。
ここへ来るまでの道路がなおしても直しても崩れて通行止めになってしまうような超絶道路だったのが閉店の原因だと思う。
トンネルができて安定してこられるようになったんだと思うけれど。
もうやんないのかな?
嫁さんの話だと義母の実家付近の海はこんな岩の崖から見おろすようなイメージだったと思う。
行ったこともないけれど聞いたその印象が私の中で定着し、いつも思い浮かぶ。
虹色の鳥とステーキ
また、できない楽器の音を出しに行ってきた。
こんなだったとか、こんなことをしたとかいえる内容じゃない。
でも、いいの。
この先の話はお盆ごろだったっけ?
車で走っていると嫁さんがなんか言ってる・・・・あーっ!
角を曲がり車を止められる場所を探して・・

こんなもん見たんですよ。
奇麗ですね。
なんか七色の鳥みたいに見えなくもない。
虹は太陽を背にして見えるもんだと思うけれどこれは太陽の方に向いて見上げてる。
何かいいことあるかな?
はぁ?これは彩雲といって別段珍しくない現象だよその仕組みは・・
なに偉そうにごちゃごちゃ言ってんだ素直に奇麗だと思っとっきゃそれでいいんだよお前はいちいち理屈を言って馬鹿じゃないのか・・
理屈で物を考えられない馬鹿は虫けらと同じだな・・
19世紀の音楽の現場付近でも
音楽を理知的分析的・理系的にとらえるべきか・・
抒情的、感覚的・・文系的にとらえるべきか
嫌そもそも音楽とは・・・みたいな論争があったらしいんですね。
いくつかの本にちらっと出てきた・・ヴォルフとかが吠えてたとか・・
バッハやベートーベン、ブラームス、マーラーみたいなドイツ系の作曲家は小さな理屈が複雑に積み重なり全体を構成する理知的なものを非常に大事にした音楽を書いているし聞く方もそこを読み取ります。
じゃあ感覚的でなかったかというとそんなことはなくてそっち方面も常人には到底及ばない感覚をもって作品に反映させていて。
どっちが大事かじゃなくてどちらも大事で両方の要素を持っているわけですよね。
聴き手もどっちがなんて吠えてないで両方の感覚や考えを駆使して聴けばいいし、どちらかへ偏るのはその人の個性なんだからそれでいいとしとけばいいだけ。
でも人間てのは自分と違うものは間違っていると考え、よせばいいのに正してやるべきだなんて思っちゃうところがあるみたいですね。
このころどこかで見かけた話があまりにチープに見えてなんだこれ?とか思ったんですね。それでこんなこと書いたと思う。
本来、誰が何を思おうが言おうが知ったことじゃないしどうでもいいはず。
食って掛かりたくなるのは自分が稚拙なのと、
寂しいから。
この光景を見たのは結構遠い町、もっと遠くへ向かう途中。
見終えて気が住むと手前に昭和な感じのレストランがあったことが頭に浮かんだ。
いってみようか・・
こういうの嫁さん嫌がりそうなのにこの時はなぜか大丈夫だった。
なにがちがうのかな?

30年くらい前にはこういうお店がいっぱいありましたよね。
いつの間にかなくなっちゃって。

何だお前ビームが来ることもなく、入りやすい雰囲気で迎えてもらう。
人がいたので全景は写せなかったけど結構広くて明るい感じ。
テレビは高校野球。
代行呼ぶなら早めに言ってくださいみたいな張り紙
たばこの臭い・・・あ・・
そういえば最近分煙のとこばっかりだもんな。
こういうところでは文句言ってもいけないだろう。
メニューはほんとにいっぱいあって各種ラーメンから始まって各種丼もの、定食のほかにステーキ系がかなり得意らしい。
学生の頃、入り浸っていた小さな飯屋で友人とふと立ち寄ったらしいおばさんが「こういうところへ来たらまずうどん。出汁がうまかったらあとは何食べてもおいしいの」みたいなことを言ってたのを思い出した。
おばさんの判定は「おいしい」だったと思う。自分の店じゃないのにちょっとうれしかったりして。
20年以上前の他人のなんでもない会話が頭の中に残ってるんもんだね。
肉の日!と書かれた特別メニューがあったので、あいいねこれを・・
あっ・・・今日は肉の日じゃないからその値段じゃないんです・・
29日には原価でやってまして・・・
ああいいですよこれでお願いします。
今日だとこの値段なんですけどぉ・・
え?っ儲けそんだけしかないってこと?
なんでもいいや俺も盆休みなのに旅行もできないしスペシャル感を今ここで投入してやる。
https://www.youtube.com/watch?v=SvcSjzXcvqw
このブログはもともとこの音楽のこの部分が・・こう思うみたいなのをごちゃごちゃ書くつもりだったんだけど最近ずっと手抜きというか単なるBGM貼ってるみたいになっちゃって・・
まあいいか。
よくあるチェーン店のステーキとは違う世界をもしかして見せてくれるんじゃないかという期待を密かに持ちつつ
しばし待つと現れました肩ロースステーキ200g

あーなんかいい感じじゃない。
早速食ってみるとうまい。
マッシュルームが浮かんだソースみたいなのもついてきた。
塩をちょっと強すぎなくらいふってあるうえにバターがのっているのでそのままで十分旨い。
初めてステーキというものを食ったときの事を思い出した。
あの時もバターが乗っかっていた。
でも肉の味が全然なく、バターをつけてもどうにもならない・・憧れのステーキってこんなもんなの?と幻滅した覚えがある。
その店は今もあるだけでなく3年くらい前に急に人と接触しよう頑張ってみたころに縁で出てきた・・
でもなんというか料理の味はいまだにあれだ・・
急に盛り上がりかけた私なんかを呼んでくれた人たちとの縁も酒の場を経て全壊だし、
あそこにはもういかないなぁ。
煮干しの出汁を感じる味噌汁もうまいし、ちょっとドレッシングかけすぎなくらいなサラダもうまい。
ごはんもうまい。
ごはんもべちゃみたいなのが出てくることが結構あるもんね。
そして勝負は肉が冷めてからでしょ。
チェーン店の肉もあったかいうちはうまく感じたりするんですよね。
冷めるとしわしわ感が出てきて・・
そしてこのお肉は冷めてもずっとおいしかったし、そんな冷める前に食っちゃえて大満足だったのであった。
チェーン店みたいなのでこういうの頼むなら倍額くらい出すイメージじゃないのかな・・

嫁さんはオムライス。
こういう店なくなっちゃったよなぁ・・時代だからな。
学生のころ、小さな飯屋に交互に通った。
ストリートビューを見て・・多分片方はもうないのかなぁ・・
変に高くて気取った店なんかよりよっぽどうまかったよ。
夫婦でやってて小学生くらいの子供がいたような気がする。
あの子がお店を継いだり・・はしてないかなぁ。
いってみたいなぁ。
まあ、ここならまた来れるか。
またこよう。
天丼があったなぁ・・
ふと思った。
最初の虹色の雲・・虹色の鳥。
いいことあるかなぁ?・・
あったよ。
あの鳥が美味しいお店に案内してくれたんだ。
こんなだったとか、こんなことをしたとかいえる内容じゃない。
でも、いいの。
この先の話はお盆ごろだったっけ?
車で走っていると嫁さんがなんか言ってる・・・・あーっ!
角を曲がり車を止められる場所を探して・・

こんなもん見たんですよ。
奇麗ですね。
なんか七色の鳥みたいに見えなくもない。
虹は太陽を背にして見えるもんだと思うけれどこれは太陽の方に向いて見上げてる。
何かいいことあるかな?
はぁ?これは彩雲といって別段珍しくない現象だよその仕組みは・・
なに偉そうにごちゃごちゃ言ってんだ素直に奇麗だと思っとっきゃそれでいいんだよお前はいちいち理屈を言って馬鹿じゃないのか・・
理屈で物を考えられない馬鹿は虫けらと同じだな・・
19世紀の音楽の現場付近でも
音楽を理知的分析的・理系的にとらえるべきか・・
抒情的、感覚的・・文系的にとらえるべきか
嫌そもそも音楽とは・・・みたいな論争があったらしいんですね。
いくつかの本にちらっと出てきた・・ヴォルフとかが吠えてたとか・・
バッハやベートーベン、ブラームス、マーラーみたいなドイツ系の作曲家は小さな理屈が複雑に積み重なり全体を構成する理知的なものを非常に大事にした音楽を書いているし聞く方もそこを読み取ります。
じゃあ感覚的でなかったかというとそんなことはなくてそっち方面も常人には到底及ばない感覚をもって作品に反映させていて。
どっちが大事かじゃなくてどちらも大事で両方の要素を持っているわけですよね。
聴き手もどっちがなんて吠えてないで両方の感覚や考えを駆使して聴けばいいし、どちらかへ偏るのはその人の個性なんだからそれでいいとしとけばいいだけ。
でも人間てのは自分と違うものは間違っていると考え、よせばいいのに正してやるべきだなんて思っちゃうところがあるみたいですね。
このころどこかで見かけた話があまりにチープに見えてなんだこれ?とか思ったんですね。それでこんなこと書いたと思う。
本来、誰が何を思おうが言おうが知ったことじゃないしどうでもいいはず。
食って掛かりたくなるのは自分が稚拙なのと、
寂しいから。
この光景を見たのは結構遠い町、もっと遠くへ向かう途中。
見終えて気が住むと手前に昭和な感じのレストランがあったことが頭に浮かんだ。
いってみようか・・
こういうの嫁さん嫌がりそうなのにこの時はなぜか大丈夫だった。
なにがちがうのかな?

30年くらい前にはこういうお店がいっぱいありましたよね。
いつの間にかなくなっちゃって。

何だお前ビームが来ることもなく、入りやすい雰囲気で迎えてもらう。
人がいたので全景は写せなかったけど結構広くて明るい感じ。
テレビは高校野球。
代行呼ぶなら早めに言ってくださいみたいな張り紙
たばこの臭い・・・あ・・
そういえば最近分煙のとこばっかりだもんな。
こういうところでは文句言ってもいけないだろう。
メニューはほんとにいっぱいあって各種ラーメンから始まって各種丼もの、定食のほかにステーキ系がかなり得意らしい。
学生の頃、入り浸っていた小さな飯屋で友人とふと立ち寄ったらしいおばさんが「こういうところへ来たらまずうどん。出汁がうまかったらあとは何食べてもおいしいの」みたいなことを言ってたのを思い出した。
おばさんの判定は「おいしい」だったと思う。自分の店じゃないのにちょっとうれしかったりして。
20年以上前の他人のなんでもない会話が頭の中に残ってるんもんだね。
肉の日!と書かれた特別メニューがあったので、あいいねこれを・・
あっ・・・今日は肉の日じゃないからその値段じゃないんです・・
29日には原価でやってまして・・・
ああいいですよこれでお願いします。
今日だとこの値段なんですけどぉ・・
え?っ儲けそんだけしかないってこと?
なんでもいいや俺も盆休みなのに旅行もできないしスペシャル感を今ここで投入してやる。
https://www.youtube.com/watch?v=SvcSjzXcvqw
このブログはもともとこの音楽のこの部分が・・こう思うみたいなのをごちゃごちゃ書くつもりだったんだけど最近ずっと手抜きというか単なるBGM貼ってるみたいになっちゃって・・
まあいいか。
よくあるチェーン店のステーキとは違う世界をもしかして見せてくれるんじゃないかという期待を密かに持ちつつ
しばし待つと現れました肩ロースステーキ200g

あーなんかいい感じじゃない。
早速食ってみるとうまい。
マッシュルームが浮かんだソースみたいなのもついてきた。
塩をちょっと強すぎなくらいふってあるうえにバターがのっているのでそのままで十分旨い。
初めてステーキというものを食ったときの事を思い出した。
あの時もバターが乗っかっていた。
でも肉の味が全然なく、バターをつけてもどうにもならない・・憧れのステーキってこんなもんなの?と幻滅した覚えがある。
その店は今もあるだけでなく3年くらい前に急に人と接触しよう頑張ってみたころに縁で出てきた・・
でもなんというか料理の味はいまだにあれだ・・
急に盛り上がりかけた私なんかを呼んでくれた人たちとの縁も酒の場を経て全壊だし、
あそこにはもういかないなぁ。
煮干しの出汁を感じる味噌汁もうまいし、ちょっとドレッシングかけすぎなくらいなサラダもうまい。
ごはんもうまい。
ごはんもべちゃみたいなのが出てくることが結構あるもんね。
そして勝負は肉が冷めてからでしょ。
チェーン店の肉もあったかいうちはうまく感じたりするんですよね。
冷めるとしわしわ感が出てきて・・
そしてこのお肉は冷めてもずっとおいしかったし、そんな冷める前に食っちゃえて大満足だったのであった。
チェーン店みたいなのでこういうの頼むなら倍額くらい出すイメージじゃないのかな・・

嫁さんはオムライス。
こういう店なくなっちゃったよなぁ・・時代だからな。
学生のころ、小さな飯屋に交互に通った。
ストリートビューを見て・・多分片方はもうないのかなぁ・・
変に高くて気取った店なんかよりよっぽどうまかったよ。
夫婦でやってて小学生くらいの子供がいたような気がする。
あの子がお店を継いだり・・はしてないかなぁ。
いってみたいなぁ。
まあ、ここならまた来れるか。
またこよう。
天丼があったなぁ・・
ふと思った。
最初の虹色の雲・・虹色の鳥。
いいことあるかなぁ?・・
あったよ。
あの鳥が美味しいお店に案内してくれたんだ。
後悔
月と夜のユリ

何も言いませんが花も何か感じて考えてる気がします。
なんでか知らないけれど今年はいつもよりユリがたくさん咲いてくれた。
にぎやかで少しうれしい。
そしてあっという間に花を落とすんですね。
腸の付近が痛くて仕方なかった件は落ち着いてきた。
再度医者へと思ったりもしたけれどこのまま終わっていくと思う。
あほかと言われそうですが一瞬大腸がん勃発か?とか頭をよぎる。
癌で亡くなった父がいよいよ避けられないものが見えてきた頃、なぜあの時医者へ行かなかったのか・・と何度も悔やんでいたのを思い出した。
実際にはそのはるか前から医者にはその後の展開が見えていたと思う。その悔やんでいる段階で病院へ行ったとしても結果的には同じような状況を迎えていたような気もする。
それよりあれを思い出すのは、自分は繰り返すなという事だろうと思う。
私もかつて肝臓を悪くして入院したことがあり、よくわからないけれど一時は何かの数値が医者も驚く値だったようだ。
振り返れば予兆はかなり前から色々な形で出ていたのだけれど、自分で風邪だと決めつけていた。
普段通っていた医者も私の話を受けて風邪薬みたいなのを出していたんじゃなかったかと思う。
体が食べ物を全く受け付けないのも風邪で胃がやられたのだろうと思っていた。湿疹や激痛は風邪じゃ説明できないのに。
熱で仕事も手につかなくなったので中座して別な病院へ駆け込んでみたところ
紹介状を書くからすぐあの病院へ行きなさい。
は?なんていったら君は命をというものをどう考えているんだと叱責された。
入院先で同室となった人から肝臓がんで急逝した同僚の机から胃薬が大量に出てきたという話を聞き、他人事じゃないと思った。
あのまま放っといたらどうなっていたんだろう?
後悔してもしきれない・・となる所だったのだろうか。
昔、なんとなく読んでいたブログがあり内容から見て年齢は私とかなり近い人だったと思う。
更新も途絶えてしばらく見ることもなかったそのブログを久々に見てみると更新されて・・いたのだけれど末期がんで手の打ちようがないことを告白する内容だった。
ネットだからそれ自体ネタ・・みたいな可能性もあるけれど、それならそのほうがいいと思う。
体の異変はいろいろとあったようだけれど癌とは気づかず放置していたようだ。
非情に冷静に無駄のない形で書かれたそれは、もう心の整理が済んだ後であることをうかがわせた。
普段自分が死ぬわけないと思っているけれど、考えてみればそれは何の根拠もないことだ。
しかし私はまだ死にたくない。
情けない人生でも死にたくない。

あさ、通勤途上に何気なく見た富士山。
え?
なに怒ってんだよそんなに・・
これからこの世がひっくり返りそうなこの光景が衝撃的で朝から大回りをして通り過ぎたこの場所へ戻って写真を撮った。
わざわざ戻ったのは、撮らなかった後悔みたいなのが残るとがうざいと思ったから。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=430&v=_JlGS1m1PL4
関係ないけど数日前から私の頭の中でこの曲のこの辺が勝手に鳴り響いていた。
鳴ってたのはこの録音じゃないけどまあいいや。
なんかこの辺ぽい・・・
ハチャトリアンの名はクラシックを嫌いな人でも知っているでしょうか?ガイーヌは知らなくても剣の舞は知っているでしょう?
小学生の時音楽発表会みたいなのでどこかのクラスの子がやったのを覚えてる。
メロディオンとかじゃないか?
ピッコロのパートがグロッケンにアレンジされていていかにもできますみたいな女の子が合やっていたのが今でも耳に残っている。が
しかしなぜか私は続ぎの舞が聞こえると何だか馬鹿にされてるような気がして・・
それ以外の曲はみんな好き。
この人変な曲もあるけれどわかりやすい曲も多くていいですよね。
誰でもそうだろうけれど、仕事をしていれば意見のぶつかり合いとなる場面が訪れる。
相手が上長である場合もある。
よくそういうのを得意げに武勇伝として語りたがる人がいますが言いたいのはそんなことじゃない。
仮に自分の主張が通り、それは正しいことだと信じていたとしても、その後必ず機械的な自己批判が開始される。
もっとうまい言い方はなかったのか、相手の主張を受け入れられなかったのか・・そもそも私は主張すべきじゃなかったのじゃないのか・・
幼い頃から虐げられていると感じコンプレックスとなっているためだろう、相手が反発していると感じると自分も高圧的になるところがあると思う。
上長へそんなことを繰り返していれば、いつか私の立場は非常に厳しいものとなる日が来るだろう。
その兆候もすでに読み取れる。
実は今これを書いている今日もそんなことがあり心中は波立ったままだ。
しかしこれ、いらないんじゃないだろうか?
仮に今日何も言わなかったとしても、そのことが別な自己批判を引き起こすだろう。
押し付けた不満は形を変え圧力を増して後日取り返しがつかないことを引き起こすかもしれない。
この自己批判や後悔は、実際の出来事とあまり関係ない気もする。
無駄に後悔する癖があるかもしれない。
まぁ、いいや。
明日は休みだ。
どっか行ってうまいもんでも食おう。
もっと涼しくなったら犬も一緒に行こう。
私は何にもできないしやらない人間なのに、後悔だらけだ。
いろんなことを昨日のように思い出し、そこへ行ってやり直したいと願い続けたりしていた。
今はもう、そうは思わない。
何度戻ってみたところで同じ。
私が私である以上、その後またおんなじコースを同じようにたどってここへ来る事を実感的に確信している。
アマチュア吹奏楽団にはいって結局何にもできないままみっともなく逃げ出して終わった事を何度か書いていてほかにないのかという感じだけれど、私は30年近く前にも同じことをしている。
もし、あそこで投げ出さずやれる楽器を続けていたなら・・なんていうのを何度も考えてきた。
それはグダグダ言ってないでやってみればいいだけの話じゃないか・・と言うお告げが来たのでそれもそうだと思いやってみた。
やってみると、忘れていた何故駄目だったのか、何が嫌だったのかを実感的に思い出しただけでなく、付随する色々なことがいいことも悪いこともあの頃と同じように起こり、同じ経過をたどっていったのに自分で驚いた。
ある夜、もうだめだこれで終わるんだなという時に思った。
これは見たくて仕方なかった、あるはずだったあの続きを見せてもらったというこのなんだなと。
もしあそこで投げ出していなかったら・・・もうしばらく先で結局投げ出していたんだろうと思う。
ただその間少しくらいいいこともあっただろう。
しかしそれも自分の都合のいいシナリオ通りにはいかずみっともなく中断して結局トラウマになっていたと思う。
嫌な結果ではあるが非常に説得力があり妙に納得できた。
みっともない形で終わりはしたけれど、もう一度やってみようと思ったことは全く後悔はしていない。
さらにもう一度・・くらいな気もあるけれど、今度は何か違うやり方じゃないといけないだろうとは思う。
音楽じゃなくてもいいので、死ぬ時に俺はこれをやったというのを見つけたいなぁ。
なにも探さないと後悔すると思う。

何も言いませんが花も何か感じて考えてる気がします。
なんでか知らないけれど今年はいつもよりユリがたくさん咲いてくれた。
にぎやかで少しうれしい。
そしてあっという間に花を落とすんですね。
腸の付近が痛くて仕方なかった件は落ち着いてきた。
再度医者へと思ったりもしたけれどこのまま終わっていくと思う。
あほかと言われそうですが一瞬大腸がん勃発か?とか頭をよぎる。
癌で亡くなった父がいよいよ避けられないものが見えてきた頃、なぜあの時医者へ行かなかったのか・・と何度も悔やんでいたのを思い出した。
実際にはそのはるか前から医者にはその後の展開が見えていたと思う。その悔やんでいる段階で病院へ行ったとしても結果的には同じような状況を迎えていたような気もする。
それよりあれを思い出すのは、自分は繰り返すなという事だろうと思う。
私もかつて肝臓を悪くして入院したことがあり、よくわからないけれど一時は何かの数値が医者も驚く値だったようだ。
振り返れば予兆はかなり前から色々な形で出ていたのだけれど、自分で風邪だと決めつけていた。
普段通っていた医者も私の話を受けて風邪薬みたいなのを出していたんじゃなかったかと思う。
体が食べ物を全く受け付けないのも風邪で胃がやられたのだろうと思っていた。湿疹や激痛は風邪じゃ説明できないのに。
熱で仕事も手につかなくなったので中座して別な病院へ駆け込んでみたところ
紹介状を書くからすぐあの病院へ行きなさい。
は?なんていったら君は命をというものをどう考えているんだと叱責された。
入院先で同室となった人から肝臓がんで急逝した同僚の机から胃薬が大量に出てきたという話を聞き、他人事じゃないと思った。
あのまま放っといたらどうなっていたんだろう?
後悔してもしきれない・・となる所だったのだろうか。
昔、なんとなく読んでいたブログがあり内容から見て年齢は私とかなり近い人だったと思う。
更新も途絶えてしばらく見ることもなかったそのブログを久々に見てみると更新されて・・いたのだけれど末期がんで手の打ちようがないことを告白する内容だった。
ネットだからそれ自体ネタ・・みたいな可能性もあるけれど、それならそのほうがいいと思う。
体の異変はいろいろとあったようだけれど癌とは気づかず放置していたようだ。
非情に冷静に無駄のない形で書かれたそれは、もう心の整理が済んだ後であることをうかがわせた。
普段自分が死ぬわけないと思っているけれど、考えてみればそれは何の根拠もないことだ。
しかし私はまだ死にたくない。
情けない人生でも死にたくない。

あさ、通勤途上に何気なく見た富士山。
え?
なに怒ってんだよそんなに・・
これからこの世がひっくり返りそうなこの光景が衝撃的で朝から大回りをして通り過ぎたこの場所へ戻って写真を撮った。
わざわざ戻ったのは、撮らなかった後悔みたいなのが残るとがうざいと思ったから。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=430&v=_JlGS1m1PL4
関係ないけど数日前から私の頭の中でこの曲のこの辺が勝手に鳴り響いていた。
鳴ってたのはこの録音じゃないけどまあいいや。
なんかこの辺ぽい・・・
ハチャトリアンの名はクラシックを嫌いな人でも知っているでしょうか?ガイーヌは知らなくても剣の舞は知っているでしょう?
小学生の時音楽発表会みたいなのでどこかのクラスの子がやったのを覚えてる。
メロディオンとかじゃないか?
ピッコロのパートがグロッケンにアレンジされていていかにもできますみたいな女の子が合やっていたのが今でも耳に残っている。が
しかしなぜか私は続ぎの舞が聞こえると何だか馬鹿にされてるような気がして・・
それ以外の曲はみんな好き。
この人変な曲もあるけれどわかりやすい曲も多くていいですよね。
誰でもそうだろうけれど、仕事をしていれば意見のぶつかり合いとなる場面が訪れる。
相手が上長である場合もある。
よくそういうのを得意げに武勇伝として語りたがる人がいますが言いたいのはそんなことじゃない。
仮に自分の主張が通り、それは正しいことだと信じていたとしても、その後必ず機械的な自己批判が開始される。
もっとうまい言い方はなかったのか、相手の主張を受け入れられなかったのか・・そもそも私は主張すべきじゃなかったのじゃないのか・・
幼い頃から虐げられていると感じコンプレックスとなっているためだろう、相手が反発していると感じると自分も高圧的になるところがあると思う。
上長へそんなことを繰り返していれば、いつか私の立場は非常に厳しいものとなる日が来るだろう。
その兆候もすでに読み取れる。
実は今これを書いている今日もそんなことがあり心中は波立ったままだ。
しかしこれ、いらないんじゃないだろうか?
仮に今日何も言わなかったとしても、そのことが別な自己批判を引き起こすだろう。
押し付けた不満は形を変え圧力を増して後日取り返しがつかないことを引き起こすかもしれない。
この自己批判や後悔は、実際の出来事とあまり関係ない気もする。
無駄に後悔する癖があるかもしれない。
まぁ、いいや。
明日は休みだ。
どっか行ってうまいもんでも食おう。
もっと涼しくなったら犬も一緒に行こう。
私は何にもできないしやらない人間なのに、後悔だらけだ。
いろんなことを昨日のように思い出し、そこへ行ってやり直したいと願い続けたりしていた。
今はもう、そうは思わない。
何度戻ってみたところで同じ。
私が私である以上、その後またおんなじコースを同じようにたどってここへ来る事を実感的に確信している。
アマチュア吹奏楽団にはいって結局何にもできないままみっともなく逃げ出して終わった事を何度か書いていてほかにないのかという感じだけれど、私は30年近く前にも同じことをしている。
もし、あそこで投げ出さずやれる楽器を続けていたなら・・なんていうのを何度も考えてきた。
それはグダグダ言ってないでやってみればいいだけの話じゃないか・・と言うお告げが来たのでそれもそうだと思いやってみた。
やってみると、忘れていた何故駄目だったのか、何が嫌だったのかを実感的に思い出しただけでなく、付随する色々なことがいいことも悪いこともあの頃と同じように起こり、同じ経過をたどっていったのに自分で驚いた。
ある夜、もうだめだこれで終わるんだなという時に思った。
これは見たくて仕方なかった、あるはずだったあの続きを見せてもらったというこのなんだなと。
もしあそこで投げ出していなかったら・・・もうしばらく先で結局投げ出していたんだろうと思う。
ただその間少しくらいいいこともあっただろう。
しかしそれも自分の都合のいいシナリオ通りにはいかずみっともなく中断して結局トラウマになっていたと思う。
嫌な結果ではあるが非常に説得力があり妙に納得できた。
みっともない形で終わりはしたけれど、もう一度やってみようと思ったことは全く後悔はしていない。
さらにもう一度・・くらいな気もあるけれど、今度は何か違うやり方じゃないといけないだろうとは思う。
音楽じゃなくてもいいので、死ぬ時に俺はこれをやったというのを見つけたいなぁ。
なにも探さないと後悔すると思う。
もっと遠いカフェ
早川に沿って狭い谷を延々さかのぼっていき、トンネルを抜けると急に開けてダム湖が見え、

温泉宿と集落、大きなバスの待合所・・
なんとなくここがハイライトというかこれでおしまいなんだなという場に出ます。
実際この先で通行止めとなるのでこの先に行くのは登山目的な人でしょう。
これまで何度か来たことがりますが、いつもこの何もないダム湖を気が済むまで眺め、溜息をついたりなんかしながら戻ってゆく・・みたいな感じ。
今回もそれでいいやと思っていたけれどGoogleマップに古民家カフェの文字を発見、いってみたいなぁ・・。
しかしこの日は定休日・・・でも盆休みだしやったりするんじゃないのかな?
いや仮にやってるにしても閉店時間16時ちょうどなのに今15時45分だけど・・・
いつもなら、遠慮してやめる。
でも遠慮するなんて言う選択肢は考えたくないほど単調に深い谷をさかのぼってきたのだ。
ここまで来ても何もなければまた何もない谷を逆走していくだけしかないのだ。
図々しく突入してみようよ。
最近嫌な顔するところに沢山当たっているけれど、ごめんなさいとか言って帰ればいいんだから・・
駐車場に車を止め、案内板を見つけ登ってゆく・・え?トイレ?・・そうだね。
実際には大した距離でないんだろうけれど、焦っていると遠く感じる。
私は一人勝手に焦っているけれど、嫁さんは立ち止まり花かなんかの写真を気が済むまで撮りながら・・
わかってる。こういう時の対応で人生が決まったりするから・・間に合わなかったら笑えばいいし。
あったあったと見つけた建物に入ろうとすると後ろから嫁さんが
それじゃないよ・・
あれ?あっ
さらに階段を上った先に

あーこれか。
立派な・・・
たしかに古いという意味じゃ確かに古民家だけど・・みたいなところも最近多い。。
しかしこれくらい迫力があると唸らされるねぇ・・
中へ入りたまたまいた人へ話しかけようとすると
いや俺客だからビームみたいなのが返ってきた。
あっあの人かな?
すみませんまだいいですか?
どうぞ・・
よかった。
お好きな席へといわれいろいろ探す。

いろりかぁ・・
元のものをしっかり生かしつつ床は奇麗に張り替えてあり、お客をお客として向かい入れるきちんとした明るい客室になっている。
何度か見たへんてこりんな装飾が場を安っぽくしている感じも全くない。
こういうの好き。
せっかくだから

あの縁側に座ろうよ。

奥には畳。
いい感じですね。
結構な客席数だけど他にお客さんはいない・・
あもう閉店時間だからか・
どうもごめんなさい。

なんかこうお寺の庭みたいな趣で・・
ミンミンゼミの鳴きようにも都会の騒がしさと違う余裕を感じたりして・・
遠くの方には浩宮殿下お成り記念と刻まれたでっかい石碑。
山登るんだよねそういえば。
ヴィオラも弾けるんだっけ?
来年から大変ですね。
私には全く関係のない世界の話で。

いろんなメニューからえごまチーズケーキとアイスコーヒー
閉店間際なのに迎い入れてくれたお店の人は
オーナーとかじゃなくて従業員という感じなのかな?
話しかけようかと思ったけど私の頭が何かを探知してしゃべり回路を切ってしまった。

フォークじゃなくてなんかこんな仕事人の武器みたいなのが出てきた。
この若干食べにくい感じが返っていいんでしょうね。
俺が不器用なだけか。
でもゆっくりちびちび食べれば満足感が大きくなりそうだ。
いいところだなぁ・・
なんて考えながらもどこかに営業時間過ぎちゃってんだなぁというのも頭の隅から埋め始める・・
嫁さんが食べ終わり一息つくまで待って、
お金を払い際にごめんなさい遅くなっちゃて・・
いえいえと言ってくれる・・けどそれ以上話せなかった。

トタンで守ってるけどかやぶき屋根なんだよね。
ちょっとしたギャラリーがあったけどそうそうにたちさらなくちゃ・・。
振り返ればマイペースで展示を見ようとし始める嫁・・・
まあいいか外で待とうと思うと一緒に出てきた。
背後では雨戸を閉める音・・
あやっぱり私たち待ちだったのね・・ごめんなさい。

栗の木の写真なんか取って喜んだりして。

遠くにダム湖を望む。
晴れた日にも来てみたいかなぁ。
リニアトンネルのズリ運搬ダンプがひっきりなしに走るようになるらしですよ。
単純な批判を私が吠えたって仕方ないだろう。
そのまた先で静かなここに戻ってくれるならいいか。
ダム湖いこう

天気悪い上に時間的に日陰ちゃってるんだけど
でもいいよ。
静かだけど耳を澄ませばいろんな音がする、何だかわかんないけど近くでは得られないような世界感だ。

何度か来たけどつり橋を渡ったのは初めてだ。
ハープみたいだなとかいいながら・・
ハープって実演で何度も見ましたが優雅なようで・・
結構キッツそうな人がやってますよね。
楽器も勝負の世界だしやる人もみんなそうで無きゃいけないのかもね。
フランスのオケだっけ、チューニングしてるのを見てたらに目が合って怖かった。
https://www.youtube.com/watch?v=K-ucDjeG_XM
この場所がこんなところだったというわけじゃないんだけれどフォーレのシチリア舞曲。
フルートとピアノとかの定番でしょうかね。YouTubeとか検索するとプロから素人まで山のように出てくるんでしょう。
私はああいうのがき・・じゃない、オーケストラ用組曲の中の1曲としてこれを聴くのが好き。
まあどれだっていいんだけど。
クラシックを本当に聴き始めのころ、ラジオを聴いていたらこの曲を流してくれた。
何もわからない頃って少しでも知ってるメロディーが聞こえるとそれだけで食いつけたもんだ。
フォーレという作曲家を知ったのもその時か・・
もう30年以上前。
何か語ってたちょっと偉い感じの人は今も元気かな?
曲紹介は若い女性だった気がするけどもう孫が大きかったりするのかな?

ちょっと霧がかかったりすればなかなかの景色じゃないかなぁこれ。
古城みたいじゃん。
ここにも水力発電所があり

水車を回したばかりの水がどわっっと排水されている。
ぺルトン水車にフランシス水車・・とか試験問題に出たりする。
ここはどっちだろう?高低差より水量で押す感じならフランシス水車でしょう?
発電所とか変電所とか送電線とかそういうのが好きなのだ・・・

湖底に降りて流木に座ってみたり。
今更愛をささやいたりもしないけど。
ちょっと雨降ったりして。
なんかあんまり絵になってないな

営業してないみたいだったけど古い旅館。
昔の映画に出てきそうな・・
いいなと思うけど、酒が飲めないとね。
ビジネスホテルでいいやみたいになっちゃって。
ここいいところでした。
またいつか来たい。
行き止まり式の谷を破るトンネルがこれから掘られるらしい。
次はそのトンネルでかな?
そんなのを待たず意外にすぐ来るかな・・紅葉のころとか・・

温泉宿と集落、大きなバスの待合所・・
なんとなくここがハイライトというかこれでおしまいなんだなという場に出ます。
実際この先で通行止めとなるのでこの先に行くのは登山目的な人でしょう。
これまで何度か来たことがりますが、いつもこの何もないダム湖を気が済むまで眺め、溜息をついたりなんかしながら戻ってゆく・・みたいな感じ。
今回もそれでいいやと思っていたけれどGoogleマップに古民家カフェの文字を発見、いってみたいなぁ・・。
しかしこの日は定休日・・・でも盆休みだしやったりするんじゃないのかな?
いや仮にやってるにしても閉店時間16時ちょうどなのに今15時45分だけど・・・
いつもなら、遠慮してやめる。
でも遠慮するなんて言う選択肢は考えたくないほど単調に深い谷をさかのぼってきたのだ。
ここまで来ても何もなければまた何もない谷を逆走していくだけしかないのだ。
図々しく突入してみようよ。
最近嫌な顔するところに沢山当たっているけれど、ごめんなさいとか言って帰ればいいんだから・・
駐車場に車を止め、案内板を見つけ登ってゆく・・え?トイレ?・・そうだね。
実際には大した距離でないんだろうけれど、焦っていると遠く感じる。
私は一人勝手に焦っているけれど、嫁さんは立ち止まり花かなんかの写真を気が済むまで撮りながら・・
わかってる。こういう時の対応で人生が決まったりするから・・間に合わなかったら笑えばいいし。
あったあったと見つけた建物に入ろうとすると後ろから嫁さんが
それじゃないよ・・
あれ?あっ
さらに階段を上った先に

あーこれか。
立派な・・・
たしかに古いという意味じゃ確かに古民家だけど・・みたいなところも最近多い。。
しかしこれくらい迫力があると唸らされるねぇ・・
中へ入りたまたまいた人へ話しかけようとすると
いや俺客だからビームみたいなのが返ってきた。
あっあの人かな?
すみませんまだいいですか?
どうぞ・・
よかった。
お好きな席へといわれいろいろ探す。

いろりかぁ・・
元のものをしっかり生かしつつ床は奇麗に張り替えてあり、お客をお客として向かい入れるきちんとした明るい客室になっている。
何度か見たへんてこりんな装飾が場を安っぽくしている感じも全くない。
こういうの好き。
せっかくだから

あの縁側に座ろうよ。

奥には畳。
いい感じですね。
結構な客席数だけど他にお客さんはいない・・
あもう閉店時間だからか・
どうもごめんなさい。

なんかこうお寺の庭みたいな趣で・・
ミンミンゼミの鳴きようにも都会の騒がしさと違う余裕を感じたりして・・
遠くの方には浩宮殿下お成り記念と刻まれたでっかい石碑。
山登るんだよねそういえば。
ヴィオラも弾けるんだっけ?
来年から大変ですね。
私には全く関係のない世界の話で。

いろんなメニューからえごまチーズケーキとアイスコーヒー
閉店間際なのに迎い入れてくれたお店の人は
オーナーとかじゃなくて従業員という感じなのかな?
話しかけようかと思ったけど私の頭が何かを探知してしゃべり回路を切ってしまった。

フォークじゃなくてなんかこんな仕事人の武器みたいなのが出てきた。
この若干食べにくい感じが返っていいんでしょうね。
俺が不器用なだけか。
でもゆっくりちびちび食べれば満足感が大きくなりそうだ。
いいところだなぁ・・
なんて考えながらもどこかに営業時間過ぎちゃってんだなぁというのも頭の隅から埋め始める・・
嫁さんが食べ終わり一息つくまで待って、
お金を払い際にごめんなさい遅くなっちゃて・・
いえいえと言ってくれる・・けどそれ以上話せなかった。

トタンで守ってるけどかやぶき屋根なんだよね。
ちょっとしたギャラリーがあったけどそうそうにたちさらなくちゃ・・。
振り返ればマイペースで展示を見ようとし始める嫁・・・
まあいいか外で待とうと思うと一緒に出てきた。
背後では雨戸を閉める音・・
あやっぱり私たち待ちだったのね・・ごめんなさい。

栗の木の写真なんか取って喜んだりして。

遠くにダム湖を望む。
晴れた日にも来てみたいかなぁ。
リニアトンネルのズリ運搬ダンプがひっきりなしに走るようになるらしですよ。
単純な批判を私が吠えたって仕方ないだろう。
そのまた先で静かなここに戻ってくれるならいいか。
ダム湖いこう

天気悪い上に時間的に日陰ちゃってるんだけど
でもいいよ。
静かだけど耳を澄ませばいろんな音がする、何だかわかんないけど近くでは得られないような世界感だ。

何度か来たけどつり橋を渡ったのは初めてだ。
ハープみたいだなとかいいながら・・
ハープって実演で何度も見ましたが優雅なようで・・
結構キッツそうな人がやってますよね。
楽器も勝負の世界だしやる人もみんなそうで無きゃいけないのかもね。
フランスのオケだっけ、チューニングしてるのを見てたらに目が合って怖かった。
https://www.youtube.com/watch?v=K-ucDjeG_XM
この場所がこんなところだったというわけじゃないんだけれどフォーレのシチリア舞曲。
フルートとピアノとかの定番でしょうかね。YouTubeとか検索するとプロから素人まで山のように出てくるんでしょう。
私はああいうのがき・・じゃない、オーケストラ用組曲の中の1曲としてこれを聴くのが好き。
まあどれだっていいんだけど。
クラシックを本当に聴き始めのころ、ラジオを聴いていたらこの曲を流してくれた。
何もわからない頃って少しでも知ってるメロディーが聞こえるとそれだけで食いつけたもんだ。
フォーレという作曲家を知ったのもその時か・・
もう30年以上前。
何か語ってたちょっと偉い感じの人は今も元気かな?
曲紹介は若い女性だった気がするけどもう孫が大きかったりするのかな?

ちょっと霧がかかったりすればなかなかの景色じゃないかなぁこれ。
古城みたいじゃん。
ここにも水力発電所があり

水車を回したばかりの水がどわっっと排水されている。
ぺルトン水車にフランシス水車・・とか試験問題に出たりする。
ここはどっちだろう?高低差より水量で押す感じならフランシス水車でしょう?
発電所とか変電所とか送電線とかそういうのが好きなのだ・・・

湖底に降りて流木に座ってみたり。
今更愛をささやいたりもしないけど。
ちょっと雨降ったりして。
なんかあんまり絵になってないな

営業してないみたいだったけど古い旅館。
昔の映画に出てきそうな・・
いいなと思うけど、酒が飲めないとね。
ビジネスホテルでいいやみたいになっちゃって。
ここいいところでした。
またいつか来たい。
行き止まり式の谷を破るトンネルがこれから掘られるらしい。
次はそのトンネルでかな?
そんなのを待たず意外にすぐ来るかな・・紅葉のころとか・・
人のいないところ観光
今日、今、仕事でピンチだ。
大丈夫、歯を食いしばって切り抜ける。
なんでブログに書き込みなんかしてんだという話ですが・・
お盆休み、遠出はできなくとも出かけてみたい。
でも人の大勢いるところは嫌。
車を走らせ、長い谷に分け入ってゆく。
昔は近いと思っていた谷の入り口自体が結構遠い。
谷に入るといきなり交通量が減ってのどかな旅となる。

こんな橋を渡りながら・・
この先、いくつもの橋が補強工事をしていたのには訳があった。
でもこの時は何も気づかず。
観光客相手っぽい施設は素通り・・
その場で挽いて打ったみたいな蕎麦屋は行きたいけど嫁さんが蕎麦はつまんないとか言い出したのでスルー
あっこれは・・と思うようなところを見つけたけどどうも違うので入らず・・いつも、こういうところで時間くてるから最後にたどり着いた行きたいお店が閉店だったりするわけなんだから・・
とか言ってると見覚えのあるトンネルが現れる。
ここはトンネルへ入らず脇へそれる旧道に入って・・

ここは古い水力発電所。
堰の横に魚道が作ってあるのも見えますね。
早川第三発電所は田代幹線という送電線路に接続されており、電力黎明期くらいから京浜地方に電力を送っていた・・・んじゃなかったっけ。
現在、送電線路は網目のようなネットワークになっておりどの発電所の電力がどのあたリへと言う考え方はちょっと違うと思う。
それでもこの発電所から伸びる送電線を追っていくと割とシンプルに私の家へもたどり着く。
なんとなくここから電気が来るような気がして思い入れのある発電所。
興味ないとあれでしょ。

山の上まで延びている銀色のが水圧鉄管でしょう。
あそこをすごい勢いで落ちてくる水が水車を回すわけ。
このときも稼働中でーす!っという音が響き渡っていた。
ここで面白いのは水車を回した水が放流されるこの川は富士川水系の早川であるのに、その水自体は山のはるか向こうにある大井川から取水しているという事。
大正時代くらいに工事がなされたと思うんだけどすごいよね。
いま、もっとずっと深いところだろうけれどその導水路トンネルとほとんど同じルートでリニア新幹線のトンネルが建設されようとしている。
発生残土の問題とかいろいろあるみたいだ。
橋が補強されているのはこれから残土を満載したダンプがひっきりなしに走りますよという事。

ここから田代幹線が始まるのね。
いまは直送じゃなくていくつかの変電所に引き込まれて分断され・・
興味ないとあれですよね。
建屋に飾られた社章がペンキで塗りつぶされていた。
ここだけでなく原発事故の後、こういうことが行われたようだ。
隠したってどう見ても東電の設備にしか見えないけどね。
しかし批判のつもりかいやがらせか設備を壊して回るとがそれはおかしいでしょう。
そのまたすぐそば、
ここもその筋の人には超絶有名

糸魚川静岡構造線・・・が露出しているところ
フォッサマグナというやつだ。
日本の継ぎ目というか・・
なんか崩れてうまっちゃってない?
知らないとこの見えてるがけ全体がフォッサマグナかと思っちゃうけれど、全然違うらしい。

あっ
左下の方に謎の矢印を発見。

なんかあの辺が大事なんだろうな・・
正直何だかよくわからない。
でも地質とかに詳しい人にとっては
面白くて仕方のない現場なんでしょうねここは
こういうの嫌がりもせず、多分なんのことだかわからないんだろうけど写真を撮ったりして笑っててくれる嫁さんには感謝の言葉しかない。
この後またそこそこ走って奈良田。
ここにはいつものダム湖のほかに古民家カフェなんてものがあるのを知った。
ちょっと良かったそのあたりは別に書くとしてそのまた先
行き止まり式なこの谷はスーパー林道みたいなのが峠を越えて長野県の伊那谷まで繋がっているらしい。
子供のころ、意味は解らないがテレビニュースでスーパー林道という言葉を頻繁に耳にし、なんかもめてんのかなと思った記憶がある。
今、スーパー林道はもちろん手前の県道も環境保護のためマイカー規制というのがかかっていて途中からはバスでしか進めない。
その末端。

ここにも水力発電所があり、これは山梨県営。
普通に見えるけれど、よく見ると普通はそんな場所に構造物なんか絶対作らないだろというところに強引に設置されている。
電源開発みたいなものへの並々ならぬ執念と努力と苦労とみたいななにかが・・

右側のトンネルは発電所へ向かうもので一般人立ち入り禁止。
水力発電所は無茶なところに無理やり作り付けてある感じのものが多く、山道を走っているとこんなトンネル入り口をよく見る。
正面は県道のトンネルで鉄格子みたいなゲートで完全封鎖。
最初は電源開発のための工事道路として彫られたからか、断面も小さく山深いところへ来たなぁ・・と言う印象。
このトンネルの名は開運隧道。
険しい山中に道を切り開く過程で隧道に開運と名付けた気持ちには打たれる気がする。
しかし目の前で開運が否定的に塞がれているとなんかもうダメみたい?
https://www.youtube.com/watch?v=ds-7XMPW7No
フォーレのペレアスとメリザンドという組曲に出てくるメリザンドの歌。
まだあきらめないでとランプの明かりに希望の光を見る
が、短い時間の末
私たちのランプの明かりは消えたのよ。
と締めくくられる。
非常に単純な伴奏がその光を表しているようでこの印象的な曲は忘れられない。
時々未来に何も見いだせない気がして閉塞的な気分になるけれど、
だからといってもう死ななくてはならないわけでもないんだし、
私は何でそんなこと思う必要があるんだろう?
別に許可車両は通過できるんだし、ここで希望が立たれているなんてことは全然ない。
ゲートを破った的なネタがネット上に見つかったりもする。
そうだなぁまぁゲートは破っちゃいけないけれど、人生上の足かせなんかこそっと潜り抜けちゃってへらへら笑っててもいいのかもなぁ・・

一般人立ち入り禁止なはずの水力発電所は申し出れば見学させてもらえるようだ。
この時はもう時間外。
私も電気関係な人間なのでぜひ見てみたい。
いつか見にこれるかな

ここでもまた橋の補強工事が行われている。
この小さな橋とその先の小さなトンネルをリニアトンネルの残土を積んだダンプカーがガンガン走ることになるらしい。
いいのかな?なんて思うけれど私がダメだといったって止まらないだろう。
この先この谷から外へ出るトンネルを掘ってそこから外へ残土を持っていくそうだ。
昔だったら見返り的にこういうところにも新しい長大な橋やトンネルが建設されるんだろうけど、今回はそれはしないと明言されてるとどこかで読んだ。
読まなくてもこの橋を補強してるという事はそういう事ですよね。
あんな狭いトンネルにガンガンダンプが突っ込んでくるんでしょう?
観光客の来る休日は中止するんだろうけど、そうなったらもう平日は近寄れないよなこんなとこ。
そんなごたごたも収まるのは何年後なんだろう?
静かになったそのころに、またここにこれるだろうか?
大丈夫、歯を食いしばって切り抜ける。
なんでブログに書き込みなんかしてんだという話ですが・・
お盆休み、遠出はできなくとも出かけてみたい。
でも人の大勢いるところは嫌。
車を走らせ、長い谷に分け入ってゆく。
昔は近いと思っていた谷の入り口自体が結構遠い。
谷に入るといきなり交通量が減ってのどかな旅となる。

こんな橋を渡りながら・・
この先、いくつもの橋が補強工事をしていたのには訳があった。
でもこの時は何も気づかず。
観光客相手っぽい施設は素通り・・
その場で挽いて打ったみたいな蕎麦屋は行きたいけど嫁さんが蕎麦はつまんないとか言い出したのでスルー
あっこれは・・と思うようなところを見つけたけどどうも違うので入らず・・いつも、こういうところで時間くてるから最後にたどり着いた行きたいお店が閉店だったりするわけなんだから・・
とか言ってると見覚えのあるトンネルが現れる。
ここはトンネルへ入らず脇へそれる旧道に入って・・

ここは古い水力発電所。
堰の横に魚道が作ってあるのも見えますね。
早川第三発電所は田代幹線という送電線路に接続されており、電力黎明期くらいから京浜地方に電力を送っていた・・・んじゃなかったっけ。
現在、送電線路は網目のようなネットワークになっておりどの発電所の電力がどのあたリへと言う考え方はちょっと違うと思う。
それでもこの発電所から伸びる送電線を追っていくと割とシンプルに私の家へもたどり着く。
なんとなくここから電気が来るような気がして思い入れのある発電所。
興味ないとあれでしょ。

山の上まで延びている銀色のが水圧鉄管でしょう。
あそこをすごい勢いで落ちてくる水が水車を回すわけ。
このときも稼働中でーす!っという音が響き渡っていた。
ここで面白いのは水車を回した水が放流されるこの川は富士川水系の早川であるのに、その水自体は山のはるか向こうにある大井川から取水しているという事。
大正時代くらいに工事がなされたと思うんだけどすごいよね。
いま、もっとずっと深いところだろうけれどその導水路トンネルとほとんど同じルートでリニア新幹線のトンネルが建設されようとしている。
発生残土の問題とかいろいろあるみたいだ。
橋が補強されているのはこれから残土を満載したダンプがひっきりなしに走りますよという事。

ここから田代幹線が始まるのね。
いまは直送じゃなくていくつかの変電所に引き込まれて分断され・・
興味ないとあれですよね。
建屋に飾られた社章がペンキで塗りつぶされていた。
ここだけでなく原発事故の後、こういうことが行われたようだ。
隠したってどう見ても東電の設備にしか見えないけどね。
しかし批判のつもりかいやがらせか設備を壊して回るとがそれはおかしいでしょう。
そのまたすぐそば、
ここもその筋の人には超絶有名

糸魚川静岡構造線・・・が露出しているところ
フォッサマグナというやつだ。
日本の継ぎ目というか・・
なんか崩れてうまっちゃってない?
知らないとこの見えてるがけ全体がフォッサマグナかと思っちゃうけれど、全然違うらしい。

あっ
左下の方に謎の矢印を発見。

なんかあの辺が大事なんだろうな・・
正直何だかよくわからない。
でも地質とかに詳しい人にとっては
面白くて仕方のない現場なんでしょうねここは
こういうの嫌がりもせず、多分なんのことだかわからないんだろうけど写真を撮ったりして笑っててくれる嫁さんには感謝の言葉しかない。
この後またそこそこ走って奈良田。
ここにはいつものダム湖のほかに古民家カフェなんてものがあるのを知った。
ちょっと良かったそのあたりは別に書くとしてそのまた先
行き止まり式なこの谷はスーパー林道みたいなのが峠を越えて長野県の伊那谷まで繋がっているらしい。
子供のころ、意味は解らないがテレビニュースでスーパー林道という言葉を頻繁に耳にし、なんかもめてんのかなと思った記憶がある。
今、スーパー林道はもちろん手前の県道も環境保護のためマイカー規制というのがかかっていて途中からはバスでしか進めない。
その末端。

ここにも水力発電所があり、これは山梨県営。
普通に見えるけれど、よく見ると普通はそんな場所に構造物なんか絶対作らないだろというところに強引に設置されている。
電源開発みたいなものへの並々ならぬ執念と努力と苦労とみたいななにかが・・

右側のトンネルは発電所へ向かうもので一般人立ち入り禁止。
水力発電所は無茶なところに無理やり作り付けてある感じのものが多く、山道を走っているとこんなトンネル入り口をよく見る。
正面は県道のトンネルで鉄格子みたいなゲートで完全封鎖。
最初は電源開発のための工事道路として彫られたからか、断面も小さく山深いところへ来たなぁ・・と言う印象。
このトンネルの名は開運隧道。
険しい山中に道を切り開く過程で隧道に開運と名付けた気持ちには打たれる気がする。
しかし目の前で開運が否定的に塞がれているとなんかもうダメみたい?
https://www.youtube.com/watch?v=ds-7XMPW7No
フォーレのペレアスとメリザンドという組曲に出てくるメリザンドの歌。
まだあきらめないでとランプの明かりに希望の光を見る
が、短い時間の末
私たちのランプの明かりは消えたのよ。
と締めくくられる。
非常に単純な伴奏がその光を表しているようでこの印象的な曲は忘れられない。
時々未来に何も見いだせない気がして閉塞的な気分になるけれど、
だからといってもう死ななくてはならないわけでもないんだし、
私は何でそんなこと思う必要があるんだろう?
別に許可車両は通過できるんだし、ここで希望が立たれているなんてことは全然ない。
ゲートを破った的なネタがネット上に見つかったりもする。
そうだなぁまぁゲートは破っちゃいけないけれど、人生上の足かせなんかこそっと潜り抜けちゃってへらへら笑っててもいいのかもなぁ・・

一般人立ち入り禁止なはずの水力発電所は申し出れば見学させてもらえるようだ。
この時はもう時間外。
私も電気関係な人間なのでぜひ見てみたい。
いつか見にこれるかな

ここでもまた橋の補強工事が行われている。
この小さな橋とその先の小さなトンネルをリニアトンネルの残土を積んだダンプカーがガンガン走ることになるらしい。
いいのかな?なんて思うけれど私がダメだといったって止まらないだろう。
この先この谷から外へ出るトンネルを掘ってそこから外へ残土を持っていくそうだ。
昔だったら見返り的にこういうところにも新しい長大な橋やトンネルが建設されるんだろうけど、今回はそれはしないと明言されてるとどこかで読んだ。
読まなくてもこの橋を補強してるという事はそういう事ですよね。
あんな狭いトンネルにガンガンダンプが突っ込んでくるんでしょう?
観光客の来る休日は中止するんだろうけど、そうなったらもう平日は近寄れないよなこんなとこ。
そんなごたごたも収まるのは何年後なんだろう?
静かになったそのころに、またここにこれるだろうか?
贅沢失敗
東京出張でまっすぐ帰るのもつまらないけれど、どこかへ繰り出すとかいうのもない。
八重洲口の地下で何か食って帰ればいいや。
牛タン屋があったので入ってみる。
みんな飲んでるけど飯食ったっていいんでしょう。
持ってきてくれたメニューには特別メニューみたいなものが・・
厚切り牛タン定食・・価格は‥あっ高い。
普通のだと?ああ半額かぁ。
いつもなら普通のにするところであるけれど、
俺、酒も飲まないし博打やんないし旅行もいけないし、なんか買うこともないしやってる趣味もないし
今これくらい食ったっていんじゃないの?
と小さく何かに反発し

厚切り牛タン定食を食った。
ごはん大盛無料誘惑に対しては今回「普通で」といえた。
炭水化物は贅沢しなくていいから。
え?あの値段出してこんだけ?なんて思ったりもしたけど
おいしかったよ。
もう価格が妥当かとかそんなこともいいから今日くらい。
飲まないからあっという間に食い終わる。
ささやかな贅沢終わり。
どこか行こうという気にもならない、じゃ帰ろうか。
牛タン食いながら考えていることがあった。
たまにはいいんじゃないの?
帰りの新幹線はグリーン車で帰ろうよと勝手に盛り上がり始める。
運賃を含めて全額自分持ちならそうは考えないけれど、通常の運賃と特急券は会社持ちなのでクリーン席代けがが自己負担だ。
そう思うとちょっとハードルも下がる。というかチャンスだろ。
在来線のグリーン席は千円しないで乗れたりするので乗ることもあるけれど、新幹線のグリーン席なんてセレブが乗るもので私のような者は近寄ってはいけない場所だという頭がなんとなくある。
こんな汚いのが乗ると場を汚すんじゃないかみたいな。
昔聞かされた「お前にはまだ早いから」がいまだに私を支配してるのかな?
みんなまだだと思ってるうちにこんな歳になっちまってもうすぐおまっちまうよ。
でも、いつもの椅子取り合戦が頭に浮かび・・たまにはいいでしょ。
最近、いろんなことがあり、なにか発散したい気持ちが鬱積してたんだと思う。
そのはけ口が厚切り牛タンとグリーン席・・なにか間違ってる気もするけど他に思い付くこともない。

指定された8号車の入り口に近づくと、小さな子供連れが乗りこんでいくのが見える。
あ・・・・・
乗りこんでみると心配されたワーワーギャーギャーは見当たらない。
その変わり通路にはいろんな荷物が乱雑に投げ出されており・・
あれ?セレブ空間じゃないじゃんか・・まあいいか。
指定された席まで行き、俺は窓側・・
通路側にはすでに先客。
ちょうど目の前のテーブルを引き出しビールを置いて・・というところ。
テーブルがあったら私は奥へ入れないのですみませんと声をかける。
はぁ?みたいな表情。
めんどくせーんだよというゆっくりとした動作でテーブルを上げ・・・
セレブじゃなく普通のおっさんですね。
ごめんね。
とりあえず座って落ち着くと
隣では弁当の他、バリバリガサガサ音のするスーパーの総菜みたいな容器のフライをおいて・・
あっ
セレブ車とは思えないすごい臭い。。。
ビールの匂い・・
わかりますよ。
珠玉のひと時なんでしょう。
何か知らないけど仕事が済んでゆっくりしたいところなんでしょうね。
それが迷惑だとか何とかまで言う気はありません。
でもある人には珠玉の時間を演出する香りも苦手な別人には違う意味を持っていたりするわけです。
グリーン車なのででっかいレッグレストがついており、靴を伸ばして足を延ばすおっさんの伸びた体と大きく前へ突き出しつまみとでっかいピールの缶が置かれた要塞みたいなテーブルが私の横をふさぐ。
私にとっては臭いおっさんと壁に挟まれた拷問空間みたいになってきた。
グリーン券を奮発するとき、券売機には直前のひかりも候補として表示されていた。
グリーン席は埋まっていたけれど指定席はあいていたその列車なら帰りの駅までいつもの4分の3の時間で到着する。
普通ならそれに飛びつけばいいのだけれど、あえてグリーン席を満喫するなんてことを考えてこの列車のこの席を指定したのだった。
あらら失敗したのかな。
思うに列車に限らずコンサートなんかでも指定席の席選びって博打みたいなもんですよね。
結構外れることがある。
器じゃないのに贅沢しようとしたから罰が当たったのかな?

ビールの缶が空いたので終わったのかと思うともう一本出てくる。まぁそれはそういうものでしょう。
飲んでつまみながらだから弁当の匂いも何時まで経っても終わらない。
口でヌチャッみたいな音がするのも気になる。
仕方がない・・のかぁ。
この雰囲気は私より遠くまで乗る気感じでしょう。
弁当が終わるとガサガサいう袋が出てきて開いた瞬間にさらにすごい匂いがさく裂する。
これ文句いっちゃいけないのわかりますよ。
分けるっていうのはどうでしょうか?
隅の方に禁酒席とか飲食禁止席を12席ほど設定してもらうとか・・・
まぁ、世間から見れば神経質な変態の愚言なんでしょうね。
ごめんね。
神経質な変態隔離席でもいいよ。
https://www.youtube.com/watch?v=gtNzxNWqyIk
これは寄港地という曲が有名なイベールというフランスの作曲家のバッカーナールという曲。
寄港地はアマチュアオケがやっているのを昔聴いた。アマチュアと言っても余興レベルでは全然ないしっかりとしたコンサートでした。
目の前にハープがあってよく見えたし聴こえたのを覚えている。
もう忘れちゃったしあやふやだけどあの人はプロを呼んだとかじゃないかなぁ・・
そしてこの曲、バッカナールって酒の神の祭り、踊り・・みたいなのでしょう?
何だか知らないけどいきなり馬鹿騒ぎみたいなのが始まる。
なんとなく買ったCDに入っていてなんだこれ?と切り捨てそうになった瞬間いや、面白いじゃんか・・と思っちゃった。
吹奏楽みたいな曲だなと思うこういうのには必ず吹奏楽編曲というのがあって検索すると出てくる。
私はそういうのが大嫌い・・なんていうことを言っちゃいけないのか。
そんなことはいちいち言わなくていいのか。
新幹線のグリーン車に一度だけ乗ったことがあります。
20年くらい前酔っぱらった当時の勤務先の社長を介護しながら・・
俺ここに乗ってていいのかな?なんてそわそわしながら・・
回ってきた車掌さんに追加料金を支払い領収書をもらって・・
落ち着いてきた最後の30分くらい、そのゆったりした椅子の感触に感激しながらくつろいだ覚えがある。
ブラック企業だったしそれは本当に癒しの30分であった。
あの癒しの世界は今ここにはなく・・まあ、あの時は空いている区間の空いている時間だったし・・
前の席には窓際に汚いティッシュをまるめて置いているのが見える。そりゃ置くよね。
セレブじゃないな。
気を静めてゆったりと椅子に体を預けてみよう。
あのときのあの感じが・・
来ることもなかった。
だめだ今日は失敗だ。
まあいいやこれも授業料というところでしょう。
降り際、酔っぱらって嫌だわとか言われると困るからすごく丁寧にすみませんごめんなさい・・と言うとテーブルをたたんでくれた。
結局体ぶつかりながらだったけどごめんね。
振り返って車内を見るとほぼ満席。
こんな言い方大変失礼だけどお金持ち空間じゃなく、普通の通勤客満載な風景。
そうか、もうこれ通勤電車なんだな。
あほみたいにセレブなんて書いてるけどそんな人はこだまになんか乗らないだろうしそもそも新幹線になんか乗るのかな?
いや、だいたいセレブってなんだっけ?
ちっちゃな子供のためにボーイみたいな人がドアを開けるあれか・・
新幹線のグリーン車は別にセレブな場所なんかじゃなくて、グリーン料金を払った人が乗る場所。
それだけですよね。
子供のころから窓の外を見たくて窓側に陣取る癖があるけれど、外なんか真っ暗なんだと思えば通路側のが開放的でいいかなぁ・・
次は普通に指定席でいいか。
ラッシュ時のこだま全車自由席だったりするんだよな。
並んで自由席でもいいか。
でもまたグリーンに乗ってみるかもしれない。
贅沢の仕方もよくわからない。
まあいいか。
無事に家へ帰れたし。
嫁さんに土産のお菓子を買って帰り後日少しずつ食べた。
自分も食うんだから贅沢するならここへ投入するか・・
八重洲口の地下で何か食って帰ればいいや。
牛タン屋があったので入ってみる。
みんな飲んでるけど飯食ったっていいんでしょう。
持ってきてくれたメニューには特別メニューみたいなものが・・
厚切り牛タン定食・・価格は‥あっ高い。
普通のだと?ああ半額かぁ。
いつもなら普通のにするところであるけれど、
俺、酒も飲まないし博打やんないし旅行もいけないし、なんか買うこともないしやってる趣味もないし
今これくらい食ったっていんじゃないの?
と小さく何かに反発し

厚切り牛タン定食を食った。
ごはん大盛無料誘惑に対しては今回「普通で」といえた。
炭水化物は贅沢しなくていいから。
え?あの値段出してこんだけ?なんて思ったりもしたけど
おいしかったよ。
もう価格が妥当かとかそんなこともいいから今日くらい。
飲まないからあっという間に食い終わる。
ささやかな贅沢終わり。
どこか行こうという気にもならない、じゃ帰ろうか。
牛タン食いながら考えていることがあった。
たまにはいいんじゃないの?
帰りの新幹線はグリーン車で帰ろうよと勝手に盛り上がり始める。
運賃を含めて全額自分持ちならそうは考えないけれど、通常の運賃と特急券は会社持ちなのでクリーン席代けがが自己負担だ。
そう思うとちょっとハードルも下がる。というかチャンスだろ。
在来線のグリーン席は千円しないで乗れたりするので乗ることもあるけれど、新幹線のグリーン席なんてセレブが乗るもので私のような者は近寄ってはいけない場所だという頭がなんとなくある。
こんな汚いのが乗ると場を汚すんじゃないかみたいな。
昔聞かされた「お前にはまだ早いから」がいまだに私を支配してるのかな?
みんなまだだと思ってるうちにこんな歳になっちまってもうすぐおまっちまうよ。
でも、いつもの椅子取り合戦が頭に浮かび・・たまにはいいでしょ。
最近、いろんなことがあり、なにか発散したい気持ちが鬱積してたんだと思う。
そのはけ口が厚切り牛タンとグリーン席・・なにか間違ってる気もするけど他に思い付くこともない。

指定された8号車の入り口に近づくと、小さな子供連れが乗りこんでいくのが見える。
あ・・・・・
乗りこんでみると心配されたワーワーギャーギャーは見当たらない。
その変わり通路にはいろんな荷物が乱雑に投げ出されており・・
あれ?セレブ空間じゃないじゃんか・・まあいいか。
指定された席まで行き、俺は窓側・・
通路側にはすでに先客。
ちょうど目の前のテーブルを引き出しビールを置いて・・というところ。
テーブルがあったら私は奥へ入れないのですみませんと声をかける。
はぁ?みたいな表情。
めんどくせーんだよというゆっくりとした動作でテーブルを上げ・・・
セレブじゃなく普通のおっさんですね。
ごめんね。
とりあえず座って落ち着くと
隣では弁当の他、バリバリガサガサ音のするスーパーの総菜みたいな容器のフライをおいて・・
あっ
セレブ車とは思えないすごい臭い。。。
ビールの匂い・・
わかりますよ。
珠玉のひと時なんでしょう。
何か知らないけど仕事が済んでゆっくりしたいところなんでしょうね。
それが迷惑だとか何とかまで言う気はありません。
でもある人には珠玉の時間を演出する香りも苦手な別人には違う意味を持っていたりするわけです。
グリーン車なのででっかいレッグレストがついており、靴を伸ばして足を延ばすおっさんの伸びた体と大きく前へ突き出しつまみとでっかいピールの缶が置かれた要塞みたいなテーブルが私の横をふさぐ。
私にとっては臭いおっさんと壁に挟まれた拷問空間みたいになってきた。
グリーン券を奮発するとき、券売機には直前のひかりも候補として表示されていた。
グリーン席は埋まっていたけれど指定席はあいていたその列車なら帰りの駅までいつもの4分の3の時間で到着する。
普通ならそれに飛びつけばいいのだけれど、あえてグリーン席を満喫するなんてことを考えてこの列車のこの席を指定したのだった。
あらら失敗したのかな。
思うに列車に限らずコンサートなんかでも指定席の席選びって博打みたいなもんですよね。
結構外れることがある。
器じゃないのに贅沢しようとしたから罰が当たったのかな?

ビールの缶が空いたので終わったのかと思うともう一本出てくる。まぁそれはそういうものでしょう。
飲んでつまみながらだから弁当の匂いも何時まで経っても終わらない。
口でヌチャッみたいな音がするのも気になる。
仕方がない・・のかぁ。
この雰囲気は私より遠くまで乗る気感じでしょう。
弁当が終わるとガサガサいう袋が出てきて開いた瞬間にさらにすごい匂いがさく裂する。
これ文句いっちゃいけないのわかりますよ。
分けるっていうのはどうでしょうか?
隅の方に禁酒席とか飲食禁止席を12席ほど設定してもらうとか・・・
まぁ、世間から見れば神経質な変態の愚言なんでしょうね。
ごめんね。
神経質な変態隔離席でもいいよ。
https://www.youtube.com/watch?v=gtNzxNWqyIk
これは寄港地という曲が有名なイベールというフランスの作曲家のバッカーナールという曲。
寄港地はアマチュアオケがやっているのを昔聴いた。アマチュアと言っても余興レベルでは全然ないしっかりとしたコンサートでした。
目の前にハープがあってよく見えたし聴こえたのを覚えている。
もう忘れちゃったしあやふやだけどあの人はプロを呼んだとかじゃないかなぁ・・
そしてこの曲、バッカナールって酒の神の祭り、踊り・・みたいなのでしょう?
何だか知らないけどいきなり馬鹿騒ぎみたいなのが始まる。
なんとなく買ったCDに入っていてなんだこれ?と切り捨てそうになった瞬間いや、面白いじゃんか・・と思っちゃった。
吹奏楽みたいな曲だなと思うこういうのには必ず吹奏楽編曲というのがあって検索すると出てくる。
私はそういうのが大嫌い・・なんていうことを言っちゃいけないのか。
そんなことはいちいち言わなくていいのか。
新幹線のグリーン車に一度だけ乗ったことがあります。
20年くらい前酔っぱらった当時の勤務先の社長を介護しながら・・
俺ここに乗ってていいのかな?なんてそわそわしながら・・
回ってきた車掌さんに追加料金を支払い領収書をもらって・・
落ち着いてきた最後の30分くらい、そのゆったりした椅子の感触に感激しながらくつろいだ覚えがある。
ブラック企業だったしそれは本当に癒しの30分であった。
あの癒しの世界は今ここにはなく・・まあ、あの時は空いている区間の空いている時間だったし・・
前の席には窓際に汚いティッシュをまるめて置いているのが見える。そりゃ置くよね。
セレブじゃないな。
気を静めてゆったりと椅子に体を預けてみよう。
あのときのあの感じが・・
来ることもなかった。
だめだ今日は失敗だ。
まあいいやこれも授業料というところでしょう。
降り際、酔っぱらって嫌だわとか言われると困るからすごく丁寧にすみませんごめんなさい・・と言うとテーブルをたたんでくれた。
結局体ぶつかりながらだったけどごめんね。
振り返って車内を見るとほぼ満席。
こんな言い方大変失礼だけどお金持ち空間じゃなく、普通の通勤客満載な風景。
そうか、もうこれ通勤電車なんだな。
あほみたいにセレブなんて書いてるけどそんな人はこだまになんか乗らないだろうしそもそも新幹線になんか乗るのかな?
いや、だいたいセレブってなんだっけ?
ちっちゃな子供のためにボーイみたいな人がドアを開けるあれか・・
新幹線のグリーン車は別にセレブな場所なんかじゃなくて、グリーン料金を払った人が乗る場所。
それだけですよね。
子供のころから窓の外を見たくて窓側に陣取る癖があるけれど、外なんか真っ暗なんだと思えば通路側のが開放的でいいかなぁ・・
次は普通に指定席でいいか。
ラッシュ時のこだま全車自由席だったりするんだよな。
並んで自由席でもいいか。
でもまたグリーンに乗ってみるかもしれない。
贅沢の仕方もよくわからない。
まあいいか。
無事に家へ帰れたし。
嫁さんに土産のお菓子を買って帰り後日少しずつ食べた。
自分も食うんだから贅沢するならここへ投入するか・・
東京
長い連休も終わってまた仕事なわけですね。
休み後半体調を崩していましたがお前じっとしとけというメッセージだったと思いましょう。
なにかきっとその方がよかったんだよ。
しかしまだなんか痛い・・もう一度医者いくか・・
以下は休み前に書いてあったもの。
ある方から田舎暮らしいいですねというようなお話をいただきました。
自分では全く気付いていないことなので、そういう声をかけていただくとハッとして大変うれしかったりします。
逆に私は都会に住む生活を想像したりもします。生活というか人生でしょうか。
いまの私のだと都会なメリットは勤務終了後平日のコンサートに行けるというくらいですかね。
現状どのホールも定時で上がれ渋滞に巻き込まれず新幹線駅にたどり着けたとしてとしてあと15分間に合わないんですよね。
そういう事じゃなくて性格や体質も含めああいうところになじむ自分というのに憧れてみたり。
若いころ初めて入った会社を離職した時、何だかわからないけど東京へ出てみるかというようなことを私も考えました。
自分の知らない世界に飛び込んでみようか的な。
運命の調整なのかちょうどその時親から大病を患ったのでもどってくれという話があり、介護というほどでもないがその役目をこなしつつの求職活動だったので対象は地元企業となりここに落ち着いてそれっきりという感じ。
東京じゃなく北海道とか、仕事があるかどうかとかは置いといて若くやれるうちにめちゃくちゃしてみればよかったかなぁ・・・
と、昔どこかで聞かされた年寄りの言葉を自分もなぞっていることに気付く。
朝から出張。
この時間このあたりを台風直撃という予報もあったけれど、そうはならず新幹線も定刻で到着。

どこかの教会のドームみたいですよね。
お菓子みたいでもあるな。
わかる人にはすぐわかるんでしょうけどこれ

東京駅ですね。
復元完成した当初は違和感を感じたりしましたけど、やっぱり何時まで見ていても飽きないような奥深い素敵な建物ですね。
出張で東京駅を通過することはあるけれど、目的地の最寄り駅が東京駅だったことは初めてだ。
台風の影響か雲が暑くあり、日が差さないので外へ出てみても暑さで焼かれる感じもない。
湿度があるので快適でもないけれど。
今駅前こんな公園みたいになってんのね。
余裕を持った列車に乗ってきて、少し時間があるため石のベンチみたいになっているところへ座ってみる。

短い時間の間に周りを歩く人が通勤風情から夏休みの東京見物客に代わってゆく。
はい、チーズみたいなの微笑ましいよね。
写真だとあんまりだけどこうなんかこの景色も外国のどこかみたいだなぁ・・なんて思いながら。
出張先へ行くまでの時間調整のつもりだったけどふと思った。
ああ、これもい時間だよなぁ・・
くつろいでたらあっという間に時間がたってしまい・・あ、もう行かなくちゃ。
事前の打ち合わせで詳細がよく見えず、客先の担当者と二人で別なところへ乗り込むというようなイメージを持っていた。
別に謝る必要もないがはりきってでしゃばるのも違うという内容で、特に気負いもなくとりあえず現地へ。
ところが到着すると私の勝手な甘い予想とは全然違い見るからに偉い人を含めた多人数が来ており、事態の重さをそこで思い知る。
まあいいや、うまくやってやる・・
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=MdRD6gEa9CY
バーバーのヴァイオリン協奏曲。
全然違うのかもしれないけれどなんとなくこの曲が浮かんでいた。
クラシック音楽というとヨーロッパのものでアメリカは後発というか・・
でもバーバーとかアメリカなクラシックの人も結構いますね。
この人結構時代の新しい人だと思いますが、ちゃんと調性があって私にも親しみやすいような曲を書いてくれているんだと思います。
あんまり聞いてないけど。
ちょっと何か読んだらこの曲はスイスで書いたんだそうだ。
でもスイスの情景とかでは全然ないきがしますよね。
都会の中の公園を眺めながら・・みたいな印象がなんとなく適当にあったりして。
依頼者ともめたみたいな話もあって笑った。
日曜日の朝の庭の芝・・みたいにも聞こえる。
誰も私が誰かは知らないだろうけれど行った先での詳細をここに書いてはいけないだろうと思う。
窓の外には皇居。その向こうには国会議事堂とか‥忘れちゃたけど東京見物的な建物が色々見えて・・
なんかいいホテルに泊まりに来たみたいな景色だった。
調子に乗って観光客みたいに写真撮っちゃったりして・・
もちろん休憩時間に。
お客さん多勢の中に私一人という形の昼休み、1人みんなと別なテーブルに座ると、以前少しだけお世話になった方が同席してくださった。
今回の担当の方も来て楽しく話をさせてもらったのがありがたい。
偉い人も来ちゃって挨拶かたがた世間話みたいな形を作っていただけて・・
そういうのは当たり前な展開なのかもしれないけれど、
私みたいなのにとっては結構うれしいもんですよ。
色々な立場の人が集まり厳しい局面も持った場であったと思うけれど、有意義というか勉強になったし関係者には怒られるかもしれないけれど私は楽しかった。
こういう経験をさせていただけることは、大変得難くありがたいことなんだと感じる。

おわって一人離脱。
ちょっと逃げ気味で。
でも何人かの方といい形でご挨拶もさせていただけたし・・
歩きだせばいきなり皇居のわきだ。
何の考えもなくプラプラする。

ああいいねー
新しく高いビルと古いお城の石垣、木々の緑なんかが調和してそこそこの景色となっている。
こんなとこにも白鳥がぷかぷが浮かんでた。

東京駅は皇居の真正面に設けられた日本の中央駅だ。
今の時期、駅舎の中央部から皇居へ向けてまっすぐに伸びた道路の延長上へ太陽は沈んでゆく。
マヤ文明の遺跡かよ・・

ここはもともと何かの裏手のほう・・みたいなところだったので、出来たばかりのときは何もない草地で雨が降るとぬかるんじゃってしょうがなかった・・
みたいなのを子供のころ本で読んだ。
まぁでも、どこだって始めはそうだよね。
また何百年か経れば・・意外にもっとはやいのかな?ここもまた草木か海に埋もれていったりするのかもしれないですよね。
東京に来ているんだし時間はまだ早い、私は自由だ・・
と自分にどれだけ言い聞かせてみても、あそこへ行ってみようか・・みたいなのがみじんも出てこない。
もうそれに驚きもしない。
ちょっとさみしいかなぁ・・
普通なら、どっかで一杯やっていくかとなるんだろう。
飲めたら楽しいだろうなぁ。
楽しくないだけじゃなくて色々支障をきたすしなんだこの人生・・あまいいか。
私は飲まないけどないけど、このまま新幹線に乗って帰るだけというのもあまりに寂しいか。
と言ってどこ行くというのもないし。
飯でも食おうか?
休み後半体調を崩していましたがお前じっとしとけというメッセージだったと思いましょう。
なにかきっとその方がよかったんだよ。
しかしまだなんか痛い・・もう一度医者いくか・・
以下は休み前に書いてあったもの。
ある方から田舎暮らしいいですねというようなお話をいただきました。
自分では全く気付いていないことなので、そういう声をかけていただくとハッとして大変うれしかったりします。
逆に私は都会に住む生活を想像したりもします。生活というか人生でしょうか。
いまの私のだと都会なメリットは勤務終了後平日のコンサートに行けるというくらいですかね。
現状どのホールも定時で上がれ渋滞に巻き込まれず新幹線駅にたどり着けたとしてとしてあと15分間に合わないんですよね。
そういう事じゃなくて性格や体質も含めああいうところになじむ自分というのに憧れてみたり。
若いころ初めて入った会社を離職した時、何だかわからないけど東京へ出てみるかというようなことを私も考えました。
自分の知らない世界に飛び込んでみようか的な。
運命の調整なのかちょうどその時親から大病を患ったのでもどってくれという話があり、介護というほどでもないがその役目をこなしつつの求職活動だったので対象は地元企業となりここに落ち着いてそれっきりという感じ。
東京じゃなく北海道とか、仕事があるかどうかとかは置いといて若くやれるうちにめちゃくちゃしてみればよかったかなぁ・・・
と、昔どこかで聞かされた年寄りの言葉を自分もなぞっていることに気付く。
朝から出張。
この時間このあたりを台風直撃という予報もあったけれど、そうはならず新幹線も定刻で到着。

どこかの教会のドームみたいですよね。
お菓子みたいでもあるな。
わかる人にはすぐわかるんでしょうけどこれ

東京駅ですね。
復元完成した当初は違和感を感じたりしましたけど、やっぱり何時まで見ていても飽きないような奥深い素敵な建物ですね。
出張で東京駅を通過することはあるけれど、目的地の最寄り駅が東京駅だったことは初めてだ。
台風の影響か雲が暑くあり、日が差さないので外へ出てみても暑さで焼かれる感じもない。
湿度があるので快適でもないけれど。
今駅前こんな公園みたいになってんのね。
余裕を持った列車に乗ってきて、少し時間があるため石のベンチみたいになっているところへ座ってみる。

短い時間の間に周りを歩く人が通勤風情から夏休みの東京見物客に代わってゆく。
はい、チーズみたいなの微笑ましいよね。
写真だとあんまりだけどこうなんかこの景色も外国のどこかみたいだなぁ・・なんて思いながら。
出張先へ行くまでの時間調整のつもりだったけどふと思った。
ああ、これもい時間だよなぁ・・
くつろいでたらあっという間に時間がたってしまい・・あ、もう行かなくちゃ。
事前の打ち合わせで詳細がよく見えず、客先の担当者と二人で別なところへ乗り込むというようなイメージを持っていた。
別に謝る必要もないがはりきってでしゃばるのも違うという内容で、特に気負いもなくとりあえず現地へ。
ところが到着すると私の勝手な甘い予想とは全然違い見るからに偉い人を含めた多人数が来ており、事態の重さをそこで思い知る。
まあいいや、うまくやってやる・・
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=MdRD6gEa9CY
バーバーのヴァイオリン協奏曲。
全然違うのかもしれないけれどなんとなくこの曲が浮かんでいた。
クラシック音楽というとヨーロッパのものでアメリカは後発というか・・
でもバーバーとかアメリカなクラシックの人も結構いますね。
この人結構時代の新しい人だと思いますが、ちゃんと調性があって私にも親しみやすいような曲を書いてくれているんだと思います。
あんまり聞いてないけど。
ちょっと何か読んだらこの曲はスイスで書いたんだそうだ。
でもスイスの情景とかでは全然ないきがしますよね。
都会の中の公園を眺めながら・・みたいな印象がなんとなく適当にあったりして。
依頼者ともめたみたいな話もあって笑った。
日曜日の朝の庭の芝・・みたいにも聞こえる。
誰も私が誰かは知らないだろうけれど行った先での詳細をここに書いてはいけないだろうと思う。
窓の外には皇居。その向こうには国会議事堂とか‥忘れちゃたけど東京見物的な建物が色々見えて・・
なんかいいホテルに泊まりに来たみたいな景色だった。
調子に乗って観光客みたいに写真撮っちゃったりして・・
もちろん休憩時間に。
お客さん多勢の中に私一人という形の昼休み、1人みんなと別なテーブルに座ると、以前少しだけお世話になった方が同席してくださった。
今回の担当の方も来て楽しく話をさせてもらったのがありがたい。
偉い人も来ちゃって挨拶かたがた世間話みたいな形を作っていただけて・・
そういうのは当たり前な展開なのかもしれないけれど、
私みたいなのにとっては結構うれしいもんですよ。
色々な立場の人が集まり厳しい局面も持った場であったと思うけれど、有意義というか勉強になったし関係者には怒られるかもしれないけれど私は楽しかった。
こういう経験をさせていただけることは、大変得難くありがたいことなんだと感じる。

おわって一人離脱。
ちょっと逃げ気味で。
でも何人かの方といい形でご挨拶もさせていただけたし・・
歩きだせばいきなり皇居のわきだ。
何の考えもなくプラプラする。

ああいいねー
新しく高いビルと古いお城の石垣、木々の緑なんかが調和してそこそこの景色となっている。
こんなとこにも白鳥がぷかぷが浮かんでた。

東京駅は皇居の真正面に設けられた日本の中央駅だ。
今の時期、駅舎の中央部から皇居へ向けてまっすぐに伸びた道路の延長上へ太陽は沈んでゆく。
マヤ文明の遺跡かよ・・

ここはもともと何かの裏手のほう・・みたいなところだったので、出来たばかりのときは何もない草地で雨が降るとぬかるんじゃってしょうがなかった・・
みたいなのを子供のころ本で読んだ。
まぁでも、どこだって始めはそうだよね。
また何百年か経れば・・意外にもっとはやいのかな?ここもまた草木か海に埋もれていったりするのかもしれないですよね。
東京に来ているんだし時間はまだ早い、私は自由だ・・
と自分にどれだけ言い聞かせてみても、あそこへ行ってみようか・・みたいなのがみじんも出てこない。
もうそれに驚きもしない。
ちょっとさみしいかなぁ・・
普通なら、どっかで一杯やっていくかとなるんだろう。
飲めたら楽しいだろうなぁ。
楽しくないだけじゃなくて色々支障をきたすしなんだこの人生・・あまいいか。
私は飲まないけどないけど、このまま新幹線に乗って帰るだけというのもあまりに寂しいか。
と言ってどこ行くというのもないし。
飯でも食おうか?
楽器
タイトルは楽器ですが音楽をやってますみたいな話では全然なくて、人前に公開していいんだかわかりません。
恥さらしみたいでしかないものをなんで人前に出そうとするのか、そのあたりが自分でもよくわかっていませんが考えがまとまるまで待っていると気が変わって全部なかったことになっちゃいそうなので強引に公開。
好意的な目を向けてくれる人ばかりではないし、こういうのを攻撃したくて仕方ない人がいるのもわかるけど公開。
考えも何も全然まとまっていないけれど公開。
誰も読まなくても公開。
後悔しても公開もういいか。

幼稚園というものに2年ほど通いましたがその記憶でこんなのがあります。
お茶の缶に奇麗な布を張り付けて奇麗な置物を作りましょう。
普通は表に柄があって裏は真っ白なその布の、白い裏面に糊を塗る。当たり前だ。
しかし私は柄の上に糊を塗ってしまうため、白い裏地がみえた訳の分からないものが出来上がる。
怒りに満ちた大きな声で何度も何度も「なんでおまえだけできないの!みんなできてるじゃないか!」
幼いながらに「なんでおまえだけ」という部分が強調されてると感じたのを覚えている。先生は説明を聴かず暴走したのがいたという程度の認識だったかもしれない。
しかし私は自分に何が起こったのかと何故そうなったのかが理解できず、なんでだろうと考えたような記憶がある。
教室の後ろに全員が書いた習字が貼り出されたことがあって、幼稚園とはいえみんな見本を真似てひらがな・・”あ”だった気がする・・を書いていた。
その中に一枚だけ他と明らかに違うぐじゃぐじゃに塗りつぶされた意味不明な一枚があった。
私は、それが自分のものだという事をいやというほどよくわかっていた。それが何を意味しているのかも分かったが、なぜ自分だけそうなってしまうのかがどうしてもわからなかった。
全体の中での自分の位置づけをあれほど分かりやすく明確に表現されたことは・・・その後も何度もあったのだが、40年前のあの光景は今でも鮮やかに思い出される。
しかしそのまま文字を認識できなかったのかというとそういうわけでもなく、普通に学校を卒業し、いろいろありはしたものの定職につき役職も得た。役職とか言って様になる会社じゃないけどクビにおびえるような状況じゃないですよというような意味で。
前置き長すぎですが、
私は普通の子供が見よう見まねであっという間に覚える動作を理解するのに、多分人の数倍から数百倍の時間を要すると思う。しかしなんでも一生できるようにならないわけでもないと思う。
ただその過程で教える人の不満や苛立ちを読み取るとそこで覚えることを断念して逃げようとする。
その結果、子供でもできて当たり前なのにできないままにしてしまっていることがいくつもある。
具体例を書きたいけれどちょっと抵抗が大きくてできません。
遊びから社会生活に支障をきたす事柄まで色々。
今まで気づいていなかったけれどそのコンプレックスはできないこと・・だけじゃなく、
私はできるようにならない・・と言う内容で強くしみ込んでいるようだ。40過ぎてもなお。
それと、それを人前で明らかにされることへの過度な恐怖感というものもあると思う。普通はそこを乗り越えてその先があるもんなんだろう。
いい年して何書いてんだという話ですがこれ書かないとこの先が意味不明だと思うので。
いや、何書いても意味不明かもしれないけれど自分が気が済まないので。
そして楽器の話。
私の場合、演奏が下手とか音程が甘いとかそんなことじゃなくてそもそも発音自体ができない状況に陥っちゃっています。
バイクのツーリングのサークルみたいなのに入ったはいいけど実は自転車にも乗れませんみたいな救いようのない状況。
教えてくれる人も首をかしげて匙を投げる状況。
それでもやろうと思ったのはかつてこの楽器で演奏していた記憶があるからなのだけど、
あれは幻だったんだろうか?
実は今と同じことを高校生の時にも経験している。
中学の時と楽器を変えたところ新しいものができるようにならず同じように投げ出した。
同じころ私の頭は別件でもおかしくなり始めていた・・関係があったんだろうか?
中学の時にはできていたあの楽器なら・・というところにかすかな希望を抱いてまたやってみようと思ったのだった。
しかし現実はそんな夢のような話を簡単に許してはくれなかった。
よせばいいのに入ってみたアマチュア吹奏楽団で、
始めはなんとなく音も出て自分ではやれているような気もしたため、他の巧い人に隠れできるとこだけやり後はやるふりだけしてだましだまし・・なんて考えていた。
しかし、そんなに甘い世界じゃない事はすぐわかり、私は何かを直そうとした。
そのある日以降ぱたっと音そのものがならなくなってしまった。
多分無意識のどこかで音が出ない方向に体を締め付けているんだと思う。
最近HSPなんて言ったりするようだけど、生い立ち等に問題があり悪い意味で自意識過剰な人間がいる。
毎回の練習の場で私は針の筵だった。
周りの人はみな、自分をここにいる資格のない人間とみなし、なぜやめて出ていかないのかと思っている・・
と感じていた。
思い過ごしの部分もあったにしろ、全部が思い過ごしではなかったことは間違いない。
自分がHSPで過去様々な失敗を繰り返してきたことも踏まえ、それを取り返す意味でも周りにどう思われようがずうずうしくしがみついてやるんだ!
その日もそう思って家を出たのだけれど、偶然重なったいくつかのストレスで簡単に折れてそのままやめたような格好になってしまった。
かけないことがいろいろありはするんだけれど考えてみれば人間なんて嫌なら無視してでも進めばよかったはずで、何が問題かってそれは肝心の楽器ができなかったことだろう。
それから一年、
それでもいいからもう一度楽器に触ってみようかという気になった。
辞めと思った瞬間にはすぐにでも処分しようと思った楽器はしかしまだ手元にある。
価格は人に言えない。
楽器をやらなくなり、もう団体の練習にも行かないことが確定したころ
ある楽器屋から「使わない楽器引き取ります」というダイレクトメールが来た。
その後そんなものは来ないし偶然だったのだろうけれど、いろんなことを考えたりもした。
こういう管楽器は育つというかうまい人が使えばいい音がするようになる。
という事は逆もあるわけだ。
私になんかに買われてしまい、楽器界随一の不幸者かもしれないこの楽器。
申し訳ないけれど俺に付き合ってください。
近くにバンドの練習やライブもできるようなスタジオがあるのだけれど、個人で楽器や歌の練習のできそうな小さな部屋を安価で貸してくれる。
そこへ行って以前のように・・
音はなるけれど楽器の音ではない。
ひたすら音を出してみるが自分の体は間違ったっ状態なのはわかる。
がどうすればいいかはわからない。
音大を出たという人に散々教えてもらったが結局何もわからなかった。
首傾げんのやめろと思いながら・・
たぶん誰にどう教わっても同じであろう。
でもそこ通過しないと先はないでしょうね。
そんな状況なので一人音を出してみたところでおよそこれは練習と呼べる状況ではないと思う。
これを何年続けても何もならないと思う。
長く触ることのなかったロータリーは大変な事になっており・・
いろんなところにオイルを刺して・・一日目は終了。
きっかけをつかむなんてこともあるわけはなく、予想通りの展開であるけれど
また合奏に・・みたいな半端な希望みたいなものは粉砕されてぶっ飛んだのがかえってさっぱりしてよかったかもしれない。
自分でも驚いたのは次の日もやってみようと思ったことだ。
内容的には何も変わらないけれど、こんなことを続けて
奇跡的にいくらかの前進があったとして、音階練習をするのが10年後。
うまくいって教則本を開いてみようと思うのが30年後
多分このまま私は一人で変な音を出して喜んでいた馬鹿で終わる気もする。
いいよ。
それでも。
このブログを始めた時、「楽器をやっていること」というカテゴリがあった。
といって復活させる気になるのは私の中にある「音楽をやっている人」の存在が無効化してからだろう。
あまた変なこと書いちゃった。
ほとんどの人にとってこれは
くだらないか意味不明か腹立たしいものでしかないと思うのだけど、
私にとっては少しだけポジティブな話なのである。
https://www.youtube.com/watch?v=8lklpz-ipBE
こんな内容だから曲もいらないかと思ったけれど。
中学生のころこの曲が好きで・・
私のやりたかった楽器は、吹奏楽部に何もわからなく気弱なのが入ってくるとちょうどよかった君これやりなさいと押し付けられる楽器・・
いや、そうじゃなくてスポットを浴びるようなソロというのはめったにというかよほど特殊な場面でしかないような楽器なのだけれど、
この曲は中学生くんだりにも非常にわかりやすくこの楽器の見せ場があるのである。
いまは見せ場ってのは目立つという事じゃないんだよとか知ったかぶるわけだけどまだそんなこと言う前。
いや違うな楽器なんかには無関係にこれが好きだった。
ただ単純に音楽が好きだったし、訳の分かんない劣等感に押しつぶされることもなく、みんなと笑顔で話をした思いでもある。
2日目、時間が来たのでうちへ帰ると

百合の花が咲いていた。
鼻を近づけるといいにおいがした。
よくある積極的にアピールする感じのにおいじゃなくてなんだかちょっと奥ゆかしいの・・
いいねぇ・・
楽器を車から降ろして家へ入れようとしていると
近所のおばさんが出てきて1時間くらいの立ち話となる。
人のいるところへ出て行ったら人と知り合えるだろうか?
なんて夢を見たはいいけど挫折していい年をしてトラウマみたいなのが残った。
近所のおばさんとは言え人と話していることは心への薬になるよなぁ・・なんて思いながら。
そこに鹿がいたよなんて言ってみたところ
鹿どころか猪が庭へ入ったりしているらしい。
そんなかよ。

雨上がりな夕日。
なにやっても明るい未来も見えないけれど、あんなもん見ると
ちょっと心に残る。
恥さらしみたいでしかないものをなんで人前に出そうとするのか、そのあたりが自分でもよくわかっていませんが考えがまとまるまで待っていると気が変わって全部なかったことになっちゃいそうなので強引に公開。
好意的な目を向けてくれる人ばかりではないし、こういうのを攻撃したくて仕方ない人がいるのもわかるけど公開。
考えも何も全然まとまっていないけれど公開。
誰も読まなくても公開。
後悔しても公開もういいか。

幼稚園というものに2年ほど通いましたがその記憶でこんなのがあります。
お茶の缶に奇麗な布を張り付けて奇麗な置物を作りましょう。
普通は表に柄があって裏は真っ白なその布の、白い裏面に糊を塗る。当たり前だ。
しかし私は柄の上に糊を塗ってしまうため、白い裏地がみえた訳の分からないものが出来上がる。
怒りに満ちた大きな声で何度も何度も「なんでおまえだけできないの!みんなできてるじゃないか!」
幼いながらに「なんでおまえだけ」という部分が強調されてると感じたのを覚えている。先生は説明を聴かず暴走したのがいたという程度の認識だったかもしれない。
しかし私は自分に何が起こったのかと何故そうなったのかが理解できず、なんでだろうと考えたような記憶がある。
教室の後ろに全員が書いた習字が貼り出されたことがあって、幼稚園とはいえみんな見本を真似てひらがな・・”あ”だった気がする・・を書いていた。
その中に一枚だけ他と明らかに違うぐじゃぐじゃに塗りつぶされた意味不明な一枚があった。
私は、それが自分のものだという事をいやというほどよくわかっていた。それが何を意味しているのかも分かったが、なぜ自分だけそうなってしまうのかがどうしてもわからなかった。
全体の中での自分の位置づけをあれほど分かりやすく明確に表現されたことは・・・その後も何度もあったのだが、40年前のあの光景は今でも鮮やかに思い出される。
しかしそのまま文字を認識できなかったのかというとそういうわけでもなく、普通に学校を卒業し、いろいろありはしたものの定職につき役職も得た。役職とか言って様になる会社じゃないけどクビにおびえるような状況じゃないですよというような意味で。
前置き長すぎですが、
私は普通の子供が見よう見まねであっという間に覚える動作を理解するのに、多分人の数倍から数百倍の時間を要すると思う。しかしなんでも一生できるようにならないわけでもないと思う。
ただその過程で教える人の不満や苛立ちを読み取るとそこで覚えることを断念して逃げようとする。
その結果、子供でもできて当たり前なのにできないままにしてしまっていることがいくつもある。
具体例を書きたいけれどちょっと抵抗が大きくてできません。
遊びから社会生活に支障をきたす事柄まで色々。
今まで気づいていなかったけれどそのコンプレックスはできないこと・・だけじゃなく、
私はできるようにならない・・と言う内容で強くしみ込んでいるようだ。40過ぎてもなお。
それと、それを人前で明らかにされることへの過度な恐怖感というものもあると思う。普通はそこを乗り越えてその先があるもんなんだろう。
いい年して何書いてんだという話ですがこれ書かないとこの先が意味不明だと思うので。
いや、何書いても意味不明かもしれないけれど自分が気が済まないので。
そして楽器の話。
私の場合、演奏が下手とか音程が甘いとかそんなことじゃなくてそもそも発音自体ができない状況に陥っちゃっています。
バイクのツーリングのサークルみたいなのに入ったはいいけど実は自転車にも乗れませんみたいな救いようのない状況。
教えてくれる人も首をかしげて匙を投げる状況。
それでもやろうと思ったのはかつてこの楽器で演奏していた記憶があるからなのだけど、
あれは幻だったんだろうか?
実は今と同じことを高校生の時にも経験している。
中学の時と楽器を変えたところ新しいものができるようにならず同じように投げ出した。
同じころ私の頭は別件でもおかしくなり始めていた・・関係があったんだろうか?
中学の時にはできていたあの楽器なら・・というところにかすかな希望を抱いてまたやってみようと思ったのだった。
しかし現実はそんな夢のような話を簡単に許してはくれなかった。
よせばいいのに入ってみたアマチュア吹奏楽団で、
始めはなんとなく音も出て自分ではやれているような気もしたため、他の巧い人に隠れできるとこだけやり後はやるふりだけしてだましだまし・・なんて考えていた。
しかし、そんなに甘い世界じゃない事はすぐわかり、私は何かを直そうとした。
そのある日以降ぱたっと音そのものがならなくなってしまった。
多分無意識のどこかで音が出ない方向に体を締め付けているんだと思う。
最近HSPなんて言ったりするようだけど、生い立ち等に問題があり悪い意味で自意識過剰な人間がいる。
毎回の練習の場で私は針の筵だった。
周りの人はみな、自分をここにいる資格のない人間とみなし、なぜやめて出ていかないのかと思っている・・
と感じていた。
思い過ごしの部分もあったにしろ、全部が思い過ごしではなかったことは間違いない。
自分がHSPで過去様々な失敗を繰り返してきたことも踏まえ、それを取り返す意味でも周りにどう思われようがずうずうしくしがみついてやるんだ!
その日もそう思って家を出たのだけれど、偶然重なったいくつかのストレスで簡単に折れてそのままやめたような格好になってしまった。
かけないことがいろいろありはするんだけれど考えてみれば人間なんて嫌なら無視してでも進めばよかったはずで、何が問題かってそれは肝心の楽器ができなかったことだろう。
それから一年、
それでもいいからもう一度楽器に触ってみようかという気になった。
辞めと思った瞬間にはすぐにでも処分しようと思った楽器はしかしまだ手元にある。
価格は人に言えない。
楽器をやらなくなり、もう団体の練習にも行かないことが確定したころ
ある楽器屋から「使わない楽器引き取ります」というダイレクトメールが来た。
その後そんなものは来ないし偶然だったのだろうけれど、いろんなことを考えたりもした。
こういう管楽器は育つというかうまい人が使えばいい音がするようになる。
という事は逆もあるわけだ。
私になんかに買われてしまい、楽器界随一の不幸者かもしれないこの楽器。
申し訳ないけれど俺に付き合ってください。
近くにバンドの練習やライブもできるようなスタジオがあるのだけれど、個人で楽器や歌の練習のできそうな小さな部屋を安価で貸してくれる。
そこへ行って以前のように・・
音はなるけれど楽器の音ではない。
ひたすら音を出してみるが自分の体は間違ったっ状態なのはわかる。
がどうすればいいかはわからない。
音大を出たという人に散々教えてもらったが結局何もわからなかった。
首傾げんのやめろと思いながら・・
たぶん誰にどう教わっても同じであろう。
でもそこ通過しないと先はないでしょうね。
そんな状況なので一人音を出してみたところでおよそこれは練習と呼べる状況ではないと思う。
これを何年続けても何もならないと思う。
長く触ることのなかったロータリーは大変な事になっており・・
いろんなところにオイルを刺して・・一日目は終了。
きっかけをつかむなんてこともあるわけはなく、予想通りの展開であるけれど
また合奏に・・みたいな半端な希望みたいなものは粉砕されてぶっ飛んだのがかえってさっぱりしてよかったかもしれない。
自分でも驚いたのは次の日もやってみようと思ったことだ。
内容的には何も変わらないけれど、こんなことを続けて
奇跡的にいくらかの前進があったとして、音階練習をするのが10年後。
うまくいって教則本を開いてみようと思うのが30年後
多分このまま私は一人で変な音を出して喜んでいた馬鹿で終わる気もする。
いいよ。
それでも。
このブログを始めた時、「楽器をやっていること」というカテゴリがあった。
といって復活させる気になるのは私の中にある「音楽をやっている人」の存在が無効化してからだろう。
あまた変なこと書いちゃった。
ほとんどの人にとってこれは
くだらないか意味不明か腹立たしいものでしかないと思うのだけど、
私にとっては少しだけポジティブな話なのである。
https://www.youtube.com/watch?v=8lklpz-ipBE
こんな内容だから曲もいらないかと思ったけれど。
中学生のころこの曲が好きで・・
私のやりたかった楽器は、吹奏楽部に何もわからなく気弱なのが入ってくるとちょうどよかった君これやりなさいと押し付けられる楽器・・
いや、そうじゃなくてスポットを浴びるようなソロというのはめったにというかよほど特殊な場面でしかないような楽器なのだけれど、
この曲は中学生くんだりにも非常にわかりやすくこの楽器の見せ場があるのである。
いまは見せ場ってのは目立つという事じゃないんだよとか知ったかぶるわけだけどまだそんなこと言う前。
いや違うな楽器なんかには無関係にこれが好きだった。
ただ単純に音楽が好きだったし、訳の分かんない劣等感に押しつぶされることもなく、みんなと笑顔で話をした思いでもある。
2日目、時間が来たのでうちへ帰ると

百合の花が咲いていた。
鼻を近づけるといいにおいがした。
よくある積極的にアピールする感じのにおいじゃなくてなんだかちょっと奥ゆかしいの・・
いいねぇ・・
楽器を車から降ろして家へ入れようとしていると
近所のおばさんが出てきて1時間くらいの立ち話となる。
人のいるところへ出て行ったら人と知り合えるだろうか?
なんて夢を見たはいいけど挫折していい年をしてトラウマみたいなのが残った。
近所のおばさんとは言え人と話していることは心への薬になるよなぁ・・なんて思いながら。
そこに鹿がいたよなんて言ってみたところ
鹿どころか猪が庭へ入ったりしているらしい。
そんなかよ。

雨上がりな夕日。
なにやっても明るい未来も見えないけれど、あんなもん見ると
ちょっと心に残る。