山の神
これを書いている今、外は嵐。

ボンタンの実。
でっかいのもあればなかなか育たないのもありますね・・とここからコンプレックス論みたいなのを展開できそうだけど今はそんなこと書きたくない。
それより朝というか昨夜から下腹が痛んでどうしようもない。
俺は病気しねーぞなんて書いたからさっそく運命が襲い掛かってきたのか?
そんなドイツ音楽みたいな展開が私に進行するわけはなく、ただ冷えちゃっただけだろう。
外食ばっかりしていたのでいい加減にしろというメッセージが来ている気もする。
外は嵐な午前中なんてブログを書いたりするのにうってつけの時間なんだけど、今日は気力がわかず・・
時間がどんどん過ぎ始めたのでとりあえずちょっと書き始めてあったこれを続けてみる。
うちのすぐ隣から山が立ち上がっておりその先どんどん高くなってゆく。
恐れ多くも箱根山である。
おそらく戦前くらいまで、毎日朝3時に起きて馬と山を登って柴刈りに行ったそうだ。
峠を越え芦ノ湖まで降りたんだよと昔近所の大おばあちゃんに教えてもらった。
あてもなく職安に通い、世の中は俺の敵だ俺はゴミだとか思っているとき、私を見つけると笑顔で手招きして昔話をしてくれた。
麓付近にはその柴刈りの道が今でも残っている。
ここだけでなく各地区、昔だと各村から山へ向かう道が何本も頂上を目指しているはず。
25年ほど前、山の中腹を水平に貫く基幹林道というものが開通した。

中央付近に左右に走る目地みたいなのが基幹林道。
なんとなく林業関係の利便性とかを建前としつつその後開通した東電の送電線路の建設とも関係があると勝手に思っている。
どこでもそうだと思うけれど林業は商売として成り立たないためもうずっと放棄された状態で、木も根を張らないからか10年ほど前大雨が降ったらいたる所でえぐるような崩落が起きた。
いまやっているのは税金を投入して間引きを行い日の光を入れて山をまもるとかそういうのだろう。
家のそばから伸びるその道は子供のころから気になって仕方がなかった。どこに行けるんだろう?
子供の足では登り切れずいつも途中までだったけれど、その後何度か道の終端まで歩いて登った。
犬とも登った。こんなちっちゃいけどさすが獣。さっさと余裕で登ってどうだ!って顔するのね。
イノシシの糞や足跡がありうろたえたりした。犬が守ってくれ・・るとは思えないし。
後半は雨水が土を削りすり鉢状のぐちゃぐちゃな谷みたいな状況となっており、車やバイクでは入れない。
それでもそこに轍があったりするのはオフロードバイクとか装甲車みたいに改造した車とかああいう中でもさらに変態な人が突っ込んで遊んだからだろう。
人の楽しみに文句を言う気はないけど、あの手の林道は山の地主で作る道路委員会みたいなの・・実質そのおじさんやお爺さんたちがお金を出して苦労して整備しているらしい話を聞いた。
ほんとに苦労してるように言ってたから、よそから遊びで来て荒らしてるのなんか見たらおっこるだろうなぁ・・・
そこを何とか登りきるとまた道が良くなってしばらく行けば基幹林道に到達。
しかし基幹林道より上部は長らく人が入らないため藪に埋もれてしまい、もう関係者でさえ歩くことはできないという。
私に至っては探してみても道のみの字も見つけられなかった。
基幹林道を水平移動し、別なルートから降りようとすると神社がある。
麓から歩いて登ればここから2時間くらいだろうか・・
https://www.youtube.com/watch?time_continue=639&v=HVpz5KEwDxQ
盆休みなんかどこ行っても混んでるんだしどこか・・っと思ったとき
この山の神神社に行きたいと思った。
でもこんなに糞暑いのに草が盛大に茂った山道を歩いて登るのは嫌だ。

車で基幹林道を走るとほんの少し歩くだけでそこに到達できる。
ちょっとインチキだ。
林道を走るとでっかいタイヤを付けたジムニーが脇道から出てきた。
地主かなと思っていると同じ形の車が何台も続いて続いて軍団化している。
見れば県外ナンバー
あーまたそれ系の集団が遊んでんのか。
あの道も江戸時代からとかある村の柴刈り場への道だ
一度行ってみたいと思いつつ一度も行ったことがない。
そういえば箱根の関所破りは死罪みたいな話があったと思うけれどこういう道を使えば破りまくりじゃないのかな?
実際そのあたりはどうだったのかな?
車を林道へ停めて

こんなところを下ってゆく。
ここはコンクリート舗装がずっと施してあってこの手の林道の中ではエリートみたいな道だ。
杉の人工林は手が入っていないので雨が降ると水が表面の土を蹴づりながら流れ、土砂の混じった水がさらに土を削るため道路は深くえぐられた谷みたいになっちゃっていることが多い。
蚊とかアブとかがまとわりつくのがどうにもうっとおしい。
猪も怖いのででっかい声を出したりしてみる。でもそれ熊だよな?
近いというのはちょっと距離があるかなくらいの距離をあるくと、
杉の人工林の中に明らかに周りと違う雰囲気の小高い丘みたいなものが現れる。
立札もたっているけれどハイキングに来た人向けではなくて、山の地主向けの表示かもしれない。
人の歩いた後をなぞっていくと

本来麓から登ってくるはずの神社に上から来ちゃっているので裏から回る形に・・
昔来たときは丸太を切って階段を作ろうとしているような光景を見たけれど、今はコンクリート製の立派な階段ができていた。
日々、手入れというか誰かにとって大事な場所であり続ける生きた神社なんだ。

この日、全体的には曇り傾向で森の中には日も差さずちょっとうっそうとした雰囲気でここまでやってきた。
それがお社の前に出た瞬間にパーッと明るくなり、柔らかいけれど力強い光が差してきた。
馬鹿にする人も多いと思うけれど私はこういう瞬間に、神様が見てくださってるのかな?
なんて考えたりする。
帰宅後ネットで検索するとここに来たという人が一人見つかった。
読むとその人もまったくおんなじ内容のことを書いていた。
山の神は、林業関係や山へ柴刈りに入る人を守り、田の季節のは麓へ降りて他の神様もやったりするらしい。
こんな山中にありながら、今も絶えず人の手が入っているように見えるこの神社。
その誰かが誰かは知らないけれど、道路委員会とか言っているような人たちと同じだろう。
軽トラに孫を載せてタケノコ掘ってるような・・
きっとすごい苦労があるんだろうし、関係ない私なんかがプラプラ来てるのを見たら怒るかもしれない。
でも、なんとなくこの神様はお前あっちへいけ!
なんて言わないでいてくれる気がする。

この参道を降りていくと鳥居がある。
むかし来た時にはケヤキか何か立派な樹がこの場所を囲み、周りの杉林と一線を画しているのに圧倒された。
この日は暑いからここでおしまい。
秋にでも、また来たいなぁ。
猪やばそうだけどな。
今朝、まだ腹が痛むので医者へ行ってきた。
待合室では高校野球。
変態ネタを書いても仕方ないけれど昔は高校生が目に入ることに耐えられなかった。
大丈夫、そういうのは時間がなんとかしてくれるらしい。
色々やり取りして結論的には大したことないんじゃないの?みたいな話だ。
まあ、いいかそれなら。俺は病気しちゃいけないんだから。
今年は庭には植えたわけでもないのにユリがたくさん出てきて花をつけてる。
門のところでもあの小さな花が再び咲いてで見せてくれてる。
山の神がいる遠くの山も青い空の下美しく緑に輝いて・・
こういう、絵にかいたような夏の美しい風景・・
いいなと思うと同時に悲しく、焦るような気持ちが出てくる。
こっちは時間が何とかしてくれるものじゃないらしい。
大丈夫。
なにが大丈夫かわからないけどとりあえずそう唱えてみる。

ボンタンの実。
でっかいのもあればなかなか育たないのもありますね・・とここからコンプレックス論みたいなのを展開できそうだけど今はそんなこと書きたくない。
それより朝というか昨夜から下腹が痛んでどうしようもない。
俺は病気しねーぞなんて書いたからさっそく運命が襲い掛かってきたのか?
そんなドイツ音楽みたいな展開が私に進行するわけはなく、ただ冷えちゃっただけだろう。
外食ばっかりしていたのでいい加減にしろというメッセージが来ている気もする。
外は嵐な午前中なんてブログを書いたりするのにうってつけの時間なんだけど、今日は気力がわかず・・
時間がどんどん過ぎ始めたのでとりあえずちょっと書き始めてあったこれを続けてみる。
うちのすぐ隣から山が立ち上がっておりその先どんどん高くなってゆく。
恐れ多くも箱根山である。
おそらく戦前くらいまで、毎日朝3時に起きて馬と山を登って柴刈りに行ったそうだ。
峠を越え芦ノ湖まで降りたんだよと昔近所の大おばあちゃんに教えてもらった。
あてもなく職安に通い、世の中は俺の敵だ俺はゴミだとか思っているとき、私を見つけると笑顔で手招きして昔話をしてくれた。
麓付近にはその柴刈りの道が今でも残っている。
ここだけでなく各地区、昔だと各村から山へ向かう道が何本も頂上を目指しているはず。
25年ほど前、山の中腹を水平に貫く基幹林道というものが開通した。

中央付近に左右に走る目地みたいなのが基幹林道。
なんとなく林業関係の利便性とかを建前としつつその後開通した東電の送電線路の建設とも関係があると勝手に思っている。
どこでもそうだと思うけれど林業は商売として成り立たないためもうずっと放棄された状態で、木も根を張らないからか10年ほど前大雨が降ったらいたる所でえぐるような崩落が起きた。
いまやっているのは税金を投入して間引きを行い日の光を入れて山をまもるとかそういうのだろう。
家のそばから伸びるその道は子供のころから気になって仕方がなかった。どこに行けるんだろう?
子供の足では登り切れずいつも途中までだったけれど、その後何度か道の終端まで歩いて登った。
犬とも登った。こんなちっちゃいけどさすが獣。さっさと余裕で登ってどうだ!って顔するのね。
イノシシの糞や足跡がありうろたえたりした。犬が守ってくれ・・るとは思えないし。
後半は雨水が土を削りすり鉢状のぐちゃぐちゃな谷みたいな状況となっており、車やバイクでは入れない。
それでもそこに轍があったりするのはオフロードバイクとか装甲車みたいに改造した車とかああいう中でもさらに変態な人が突っ込んで遊んだからだろう。
人の楽しみに文句を言う気はないけど、あの手の林道は山の地主で作る道路委員会みたいなの・・実質そのおじさんやお爺さんたちがお金を出して苦労して整備しているらしい話を聞いた。
ほんとに苦労してるように言ってたから、よそから遊びで来て荒らしてるのなんか見たらおっこるだろうなぁ・・・
そこを何とか登りきるとまた道が良くなってしばらく行けば基幹林道に到達。
しかし基幹林道より上部は長らく人が入らないため藪に埋もれてしまい、もう関係者でさえ歩くことはできないという。
私に至っては探してみても道のみの字も見つけられなかった。
基幹林道を水平移動し、別なルートから降りようとすると神社がある。
麓から歩いて登ればここから2時間くらいだろうか・・
https://www.youtube.com/watch?time_continue=639&v=HVpz5KEwDxQ
盆休みなんかどこ行っても混んでるんだしどこか・・っと思ったとき
この山の神神社に行きたいと思った。
でもこんなに糞暑いのに草が盛大に茂った山道を歩いて登るのは嫌だ。

車で基幹林道を走るとほんの少し歩くだけでそこに到達できる。
ちょっとインチキだ。
林道を走るとでっかいタイヤを付けたジムニーが脇道から出てきた。
地主かなと思っていると同じ形の車が何台も続いて続いて軍団化している。
見れば県外ナンバー
あーまたそれ系の集団が遊んでんのか。
あの道も江戸時代からとかある村の柴刈り場への道だ
一度行ってみたいと思いつつ一度も行ったことがない。
そういえば箱根の関所破りは死罪みたいな話があったと思うけれどこういう道を使えば破りまくりじゃないのかな?
実際そのあたりはどうだったのかな?
車を林道へ停めて

こんなところを下ってゆく。
ここはコンクリート舗装がずっと施してあってこの手の林道の中ではエリートみたいな道だ。
杉の人工林は手が入っていないので雨が降ると水が表面の土を蹴づりながら流れ、土砂の混じった水がさらに土を削るため道路は深くえぐられた谷みたいになっちゃっていることが多い。
蚊とかアブとかがまとわりつくのがどうにもうっとおしい。
猪も怖いのででっかい声を出したりしてみる。でもそれ熊だよな?
近いというのはちょっと距離があるかなくらいの距離をあるくと、
杉の人工林の中に明らかに周りと違う雰囲気の小高い丘みたいなものが現れる。
立札もたっているけれどハイキングに来た人向けではなくて、山の地主向けの表示かもしれない。
人の歩いた後をなぞっていくと

本来麓から登ってくるはずの神社に上から来ちゃっているので裏から回る形に・・
昔来たときは丸太を切って階段を作ろうとしているような光景を見たけれど、今はコンクリート製の立派な階段ができていた。
日々、手入れというか誰かにとって大事な場所であり続ける生きた神社なんだ。

この日、全体的には曇り傾向で森の中には日も差さずちょっとうっそうとした雰囲気でここまでやってきた。
それがお社の前に出た瞬間にパーッと明るくなり、柔らかいけれど力強い光が差してきた。
馬鹿にする人も多いと思うけれど私はこういう瞬間に、神様が見てくださってるのかな?
なんて考えたりする。
帰宅後ネットで検索するとここに来たという人が一人見つかった。
読むとその人もまったくおんなじ内容のことを書いていた。
山の神は、林業関係や山へ柴刈りに入る人を守り、田の季節のは麓へ降りて他の神様もやったりするらしい。
こんな山中にありながら、今も絶えず人の手が入っているように見えるこの神社。
その誰かが誰かは知らないけれど、道路委員会とか言っているような人たちと同じだろう。
軽トラに孫を載せてタケノコ掘ってるような・・
きっとすごい苦労があるんだろうし、関係ない私なんかがプラプラ来てるのを見たら怒るかもしれない。
でも、なんとなくこの神様はお前あっちへいけ!
なんて言わないでいてくれる気がする。

この参道を降りていくと鳥居がある。
むかし来た時にはケヤキか何か立派な樹がこの場所を囲み、周りの杉林と一線を画しているのに圧倒された。
この日は暑いからここでおしまい。
秋にでも、また来たいなぁ。
猪やばそうだけどな。
今朝、まだ腹が痛むので医者へ行ってきた。
待合室では高校野球。
変態ネタを書いても仕方ないけれど昔は高校生が目に入ることに耐えられなかった。
大丈夫、そういうのは時間がなんとかしてくれるらしい。
色々やり取りして結論的には大したことないんじゃないの?みたいな話だ。
まあ、いいかそれなら。俺は病気しちゃいけないんだから。
今年は庭には植えたわけでもないのにユリがたくさん出てきて花をつけてる。
門のところでもあの小さな花が再び咲いてで見せてくれてる。
山の神がいる遠くの山も青い空の下美しく緑に輝いて・・
こういう、絵にかいたような夏の美しい風景・・
いいなと思うと同時に悲しく、焦るような気持ちが出てくる。
こっちは時間が何とかしてくれるものじゃないらしい。
大丈夫。
なにが大丈夫かわからないけどとりあえずそう唱えてみる。