楽器

タイトルは楽器ですが音楽をやってますみたいな話では全然なくて、人前に公開していいんだかわかりません。
恥さらしみたいでしかないものをなんで人前に出そうとするのか、そのあたりが自分でもよくわかっていませんが考えがまとまるまで待っていると気が変わって全部なかったことになっちゃいそうなので強引に公開。
好意的な目を向けてくれる人ばかりではないし、こういうのを攻撃したくて仕方ない人がいるのもわかるけど公開。
考えも何も全然まとまっていないけれど公開。
誰も読まなくても公開。
後悔しても公開もういいか。
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幼稚園というものに2年ほど通いましたがその記憶でこんなのがあります。
お茶の缶に奇麗な布を張り付けて奇麗な置物を作りましょう。
普通は表に柄があって裏は真っ白なその布の、白い裏面に糊を塗る。当たり前だ。
しかし私は柄の上に糊を塗ってしまうため、白い裏地がみえた訳の分からないものが出来上がる。
怒りに満ちた大きな声で何度も何度も「なんでおまえだけできないの!みんなできてるじゃないか!」
幼いながらに「なんでおまえだけ」という部分が強調されてると感じたのを覚えている。先生は説明を聴かず暴走したのがいたという程度の認識だったかもしれない。
しかし私は自分に何が起こったのかと何故そうなったのかが理解できず、なんでだろうと考えたような記憶がある。
教室の後ろに全員が書いた習字が貼り出されたことがあって、幼稚園とはいえみんな見本を真似てひらがな・・”あ”だった気がする・・を書いていた。
その中に一枚だけ他と明らかに違うぐじゃぐじゃに塗りつぶされた意味不明な一枚があった。
私は、それが自分のものだという事をいやというほどよくわかっていた。それが何を意味しているのかも分かったが、なぜ自分だけそうなってしまうのかがどうしてもわからなかった。
全体の中での自分の位置づけをあれほど分かりやすく明確に表現されたことは・・・その後も何度もあったのだが、40年前のあの光景は今でも鮮やかに思い出される。
しかしそのまま文字を認識できなかったのかというとそういうわけでもなく、普通に学校を卒業し、いろいろありはしたものの定職につき役職も得た。役職とか言って様になる会社じゃないけどクビにおびえるような状況じゃないですよというような意味で。

前置き長すぎですが、
私は普通の子供が見よう見まねであっという間に覚える動作を理解するのに、多分人の数倍から数百倍の時間を要すると思う。しかしなんでも一生できるようにならないわけでもないと思う。
ただその過程で教える人の不満や苛立ちを読み取るとそこで覚えることを断念して逃げようとする。
その結果、子供でもできて当たり前なのにできないままにしてしまっていることがいくつもある。
具体例を書きたいけれどちょっと抵抗が大きくてできません。
遊びから社会生活に支障をきたす事柄まで色々。
今まで気づいていなかったけれどそのコンプレックスはできないこと・・だけじゃなく、
私はできるようにならない・・と言う内容で強くしみ込んでいるようだ。40過ぎてもなお。
それと、それを人前で明らかにされることへの過度な恐怖感というものもあると思う。普通はそこを乗り越えてその先があるもんなんだろう。

いい年して何書いてんだという話ですがこれ書かないとこの先が意味不明だと思うので。
いや、何書いても意味不明かもしれないけれど自分が気が済まないので。


そして楽器の話。
私の場合、演奏が下手とか音程が甘いとかそんなことじゃなくてそもそも発音自体ができない状況に陥っちゃっています。
バイクのツーリングのサークルみたいなのに入ったはいいけど実は自転車にも乗れませんみたいな救いようのない状況。
教えてくれる人も首をかしげて匙を投げる状況。
それでもやろうと思ったのはかつてこの楽器で演奏していた記憶があるからなのだけど、
あれは幻だったんだろうか?
実は今と同じことを高校生の時にも経験している。
中学の時と楽器を変えたところ新しいものができるようにならず同じように投げ出した。
同じころ私の頭は別件でもおかしくなり始めていた・・関係があったんだろうか?
中学の時にはできていたあの楽器なら・・というところにかすかな希望を抱いてまたやってみようと思ったのだった。
しかし現実はそんな夢のような話を簡単に許してはくれなかった。

よせばいいのに入ってみたアマチュア吹奏楽団で、
始めはなんとなく音も出て自分ではやれているような気もしたため、他の巧い人に隠れできるとこだけやり後はやるふりだけしてだましだまし・・なんて考えていた。
しかし、そんなに甘い世界じゃない事はすぐわかり、私は何かを直そうとした。
そのある日以降ぱたっと音そのものがならなくなってしまった。
多分無意識のどこかで音が出ない方向に体を締め付けているんだと思う。
最近HSPなんて言ったりするようだけど、生い立ち等に問題があり悪い意味で自意識過剰な人間がいる。
毎回の練習の場で私は針の筵だった。
周りの人はみな、自分をここにいる資格のない人間とみなし、なぜやめて出ていかないのかと思っている・・
と感じていた。
思い過ごしの部分もあったにしろ、全部が思い過ごしではなかったことは間違いない。
自分がHSPで過去様々な失敗を繰り返してきたことも踏まえ、それを取り返す意味でも周りにどう思われようがずうずうしくしがみついてやるんだ!
その日もそう思って家を出たのだけれど、偶然重なったいくつかのストレスで簡単に折れてそのままやめたような格好になってしまった。
かけないことがいろいろありはするんだけれど考えてみれば人間なんて嫌なら無視してでも進めばよかったはずで、何が問題かってそれは肝心の楽器ができなかったことだろう。
それから一年、

それでもいいからもう一度楽器に触ってみようかという気になった。

辞めと思った瞬間にはすぐにでも処分しようと思った楽器はしかしまだ手元にある。
価格は人に言えない。
楽器をやらなくなり、もう団体の練習にも行かないことが確定したころ
ある楽器屋から「使わない楽器引き取ります」というダイレクトメールが来た。
その後そんなものは来ないし偶然だったのだろうけれど、いろんなことを考えたりもした。

こういう管楽器は育つというかうまい人が使えばいい音がするようになる。
という事は逆もあるわけだ。
私になんかに買われてしまい、楽器界随一の不幸者かもしれないこの楽器。
申し訳ないけれど俺に付き合ってください。

近くにバンドの練習やライブもできるようなスタジオがあるのだけれど、個人で楽器や歌の練習のできそうな小さな部屋を安価で貸してくれる。
そこへ行って以前のように・・
音はなるけれど楽器の音ではない。
ひたすら音を出してみるが自分の体は間違ったっ状態なのはわかる。
がどうすればいいかはわからない。
音大を出たという人に散々教えてもらったが結局何もわからなかった。
首傾げんのやめろと思いながら・・
たぶん誰にどう教わっても同じであろう。
でもそこ通過しないと先はないでしょうね。

そんな状況なので一人音を出してみたところでおよそこれは練習と呼べる状況ではないと思う。
これを何年続けても何もならないと思う。
長く触ることのなかったロータリーは大変な事になっており・・
いろんなところにオイルを刺して・・一日目は終了。

きっかけをつかむなんてこともあるわけはなく、予想通りの展開であるけれど
また合奏に・・みたいな半端な希望みたいなものは粉砕されてぶっ飛んだのがかえってさっぱりしてよかったかもしれない。
自分でも驚いたのは次の日もやってみようと思ったことだ。
内容的には何も変わらないけれど、こんなことを続けて
奇跡的にいくらかの前進があったとして、音階練習をするのが10年後。
うまくいって教則本を開いてみようと思うのが30年後
多分このまま私は一人で変な音を出して喜んでいた馬鹿で終わる気もする。
いいよ。
それでも。
このブログを始めた時、「楽器をやっていること」というカテゴリがあった。
といって復活させる気になるのは私の中にある「音楽をやっている人」の存在が無効化してからだろう。
あまた変なこと書いちゃった。

ほとんどの人にとってこれは
くだらないか意味不明か腹立たしいものでしかないと思うのだけど、
私にとっては少しだけポジティブな話なのである。


https://www.youtube.com/watch?v=8lklpz-ipBE

こんな内容だから曲もいらないかと思ったけれど。
中学生のころこの曲が好きで・・
私のやりたかった楽器は、吹奏楽部に何もわからなく気弱なのが入ってくるとちょうどよかった君これやりなさいと押し付けられる楽器・・
いや、そうじゃなくてスポットを浴びるようなソロというのはめったにというかよほど特殊な場面でしかないような楽器なのだけれど、
この曲は中学生くんだりにも非常にわかりやすくこの楽器の見せ場があるのである。
いまは見せ場ってのは目立つという事じゃないんだよとか知ったかぶるわけだけどまだそんなこと言う前。
いや違うな楽器なんかには無関係にこれが好きだった。
ただ単純に音楽が好きだったし、訳の分かんない劣等感に押しつぶされることもなく、みんなと笑顔で話をした思いでもある。


2日目、時間が来たのでうちへ帰ると
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百合の花が咲いていた。
鼻を近づけるといいにおいがした。
よくある積極的にアピールする感じのにおいじゃなくてなんだかちょっと奥ゆかしいの・・
いいねぇ・・
楽器を車から降ろして家へ入れようとしていると
近所のおばさんが出てきて1時間くらいの立ち話となる。
人のいるところへ出て行ったら人と知り合えるだろうか?
なんて夢を見たはいいけど挫折していい年をしてトラウマみたいなのが残った。
近所のおばさんとは言え人と話していることは心への薬になるよなぁ・・なんて思いながら。
そこに鹿がいたよなんて言ってみたところ
鹿どころか猪が庭へ入ったりしているらしい。
そんなかよ。

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雨上がりな夕日。
なにやっても明るい未来も見えないけれど、あんなもん見ると
ちょっと心に残る。

Tag:ワーグナー  Trackback:0 comment:2 

プロフィール

unagi

Author:unagi
誰にも迎合できません
2022年11月からピアノ習い始めました

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