曇りの日
楽器屋さんに月謝の引き落とし依頼書をもっていくとそこで契約締結みたいな話となる。
「入会者には記念品を・・おとなに渡すようなのはぁ・・」と困ったような様子を見せ始めた。機械的に何か渡されるよりかえって人間味があっていいよね。
不安そうにこういうの使いますか?と聞かれたけれどなんのことかわからない。でもはいと言って笑顔で受け取ってきた。
気持ちは十分もらったよ。
可愛い花柄の包装紙に入っている何かだけどまだ開けてみてない。
その後行く先も思いつかないままたまたま乗っていた道を走る。
この道にはいくつかの記憶があるけれどどれもネガティブなものだ。
ポジティブな記憶なんか一つもない。
年齢はもうすぐあの頃の3倍に到達か。

その道は山道となり、ところどころに素晴らしい紅葉・・なんだろうけど今日は曇り。
ちょっと残念。

富士山が素晴らしい・・はずだけど。
でもなにがなんでも青い絶景が見えなきゃいけないわけでもないよね。
それより寒い。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=280&v=K9yRCTeGz1M
24の前奏曲とフーガはだいたい作曲順に並んでいるらしいのだけど、聞き進むほど自由なやりたい放題感がさく裂していくように聞こえる。
この人もすぐれたピアニストでもあった作曲家なわけだけれど、オーケストラの響きを念頭に置いて書かれたような曲が結構ある気もする。
オケ曲の前にこれらを聴いていたら彼の作品に対する印象もまた違っていたかもしれません。
おしまいの方にあるこの曲は若干おとなしいけれどでもショスタコだなと感じます。
峠を越えて山を下りてみたところで何があるわけでもない。

電車の車庫を覗いてみたりして。
なんにもないけど当たり前か。
ここに車両基地があるのを知ったのは中学生になったばかりのころ。
国鉄最後の日とかいって特別な切符があったような記憶が・・でもそんなの買える訳ないから普通列車を乗り継いだんだろう一日列車を乗り継ぐ旅をしたのは間違いない。
最寄駅からのってきた電車はこの基地のすぐ近くの駅での終点となり乗り換えだ。
ヘッドマークの付いた電車の写真を撮っていると運転手さんから強い口調で「お前自分を写さないと意味がないだろ!」みたいなことを言われた覚えが。
自分なんか写してどうすんだろう?なんて思ったのも覚えている。
それまでもその後もずっと、記憶、記録しておきたい対象のなかに自分はいなかった。
阿保みたいな顔した子供が電車と並んで立っている写真がどこかにあったと思う。
そのアルバムを引っ張り出して懐かしいと思ったのだってもう20年前。
その後知り合った嫁さんは写真を撮るのが好きなので自分の写真が存在するようになる。
今でも自分の写真なんか見たいとは思わないけれど、嫁さんのおかげで自分にも思い出というものができた。
いつか見に行ってみようと思っていたここにくるのに30年かかってんだな。
30年来の念願がかなったところで何も感じなかった。
行ったことのないお店を探すのも面倒くさい。
そうだあのカフェにでも行こうか。
小さな平野に何本か鉄道路線がはしっていて・・

右から来たと思ったら左からも来たりして・・
まぁ、まだ閉店まで時間はあるから。

お寺のカフェにまた来た。
前に来た時とてもいい印象だった。

予想に反して今日はお客さん全然いない。
じゃ今日は奥の方の席に・・
モダンって感じですよね。
多人数が集うみたいな椅子の沢山あるテーブルに中年の男女がいた。

コーヒーはライトというやつ。
メニューの写真ではレギュラーよりカップが大きく量も多いように見える。
水が多いってこと?
しらないけれど飲みやすい。
今日はケーキじゃなくてホッとサンドにしてみた。
おいしいピクルスがついてきて・・
ニンジンみたいな謎の物体は食べてみたら柿だった。
断片的に聞こえてくる中年男女の会話は夫婦のものじゃない。
でも肩寄せちゃってエロ中年である。
そういえば駐車場には気取ったような外車が停まってたような気もする。
ふと声の方を見ると二人でにやっと笑ってこっちを見てた。
んだそりゃ・・
まあでもいいよね楽しそうで。
誰かとどっかで語るとか全くないから俺は。
またいい時間になりました。
曇ってってさえない一日も終わりよければすべてよし。

いつもは温泉街を通って裏道みたいなので山越えをして帰るのだけど、この日は国道でまっすぐ峠越えすることにした。
連休、紅葉、温泉街には笑顔があふれていたりする。
それを見たくないような気がして。
でも失敗。国道は山の中盤から峠の信号まで大渋滞してた。
3連休だもんね。
「入会者には記念品を・・おとなに渡すようなのはぁ・・」と困ったような様子を見せ始めた。機械的に何か渡されるよりかえって人間味があっていいよね。
不安そうにこういうの使いますか?と聞かれたけれどなんのことかわからない。でもはいと言って笑顔で受け取ってきた。
気持ちは十分もらったよ。
可愛い花柄の包装紙に入っている何かだけどまだ開けてみてない。
その後行く先も思いつかないままたまたま乗っていた道を走る。
この道にはいくつかの記憶があるけれどどれもネガティブなものだ。
ポジティブな記憶なんか一つもない。
年齢はもうすぐあの頃の3倍に到達か。

その道は山道となり、ところどころに素晴らしい紅葉・・なんだろうけど今日は曇り。
ちょっと残念。

富士山が素晴らしい・・はずだけど。
でもなにがなんでも青い絶景が見えなきゃいけないわけでもないよね。
それより寒い。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=280&v=K9yRCTeGz1M
24の前奏曲とフーガはだいたい作曲順に並んでいるらしいのだけど、聞き進むほど自由なやりたい放題感がさく裂していくように聞こえる。
この人もすぐれたピアニストでもあった作曲家なわけだけれど、オーケストラの響きを念頭に置いて書かれたような曲が結構ある気もする。
オケ曲の前にこれらを聴いていたら彼の作品に対する印象もまた違っていたかもしれません。
おしまいの方にあるこの曲は若干おとなしいけれどでもショスタコだなと感じます。
峠を越えて山を下りてみたところで何があるわけでもない。

電車の車庫を覗いてみたりして。
なんにもないけど当たり前か。
ここに車両基地があるのを知ったのは中学生になったばかりのころ。
国鉄最後の日とかいって特別な切符があったような記憶が・・でもそんなの買える訳ないから普通列車を乗り継いだんだろう一日列車を乗り継ぐ旅をしたのは間違いない。
最寄駅からのってきた電車はこの基地のすぐ近くの駅での終点となり乗り換えだ。
ヘッドマークの付いた電車の写真を撮っていると運転手さんから強い口調で「お前自分を写さないと意味がないだろ!」みたいなことを言われた覚えが。
自分なんか写してどうすんだろう?なんて思ったのも覚えている。
それまでもその後もずっと、記憶、記録しておきたい対象のなかに自分はいなかった。
阿保みたいな顔した子供が電車と並んで立っている写真がどこかにあったと思う。
そのアルバムを引っ張り出して懐かしいと思ったのだってもう20年前。
その後知り合った嫁さんは写真を撮るのが好きなので自分の写真が存在するようになる。
今でも自分の写真なんか見たいとは思わないけれど、嫁さんのおかげで自分にも思い出というものができた。
いつか見に行ってみようと思っていたここにくるのに30年かかってんだな。
30年来の念願がかなったところで何も感じなかった。
行ったことのないお店を探すのも面倒くさい。
そうだあのカフェにでも行こうか。
小さな平野に何本か鉄道路線がはしっていて・・

右から来たと思ったら左からも来たりして・・
まぁ、まだ閉店まで時間はあるから。

お寺のカフェにまた来た。
前に来た時とてもいい印象だった。

予想に反して今日はお客さん全然いない。
じゃ今日は奥の方の席に・・
モダンって感じですよね。
多人数が集うみたいな椅子の沢山あるテーブルに中年の男女がいた。

コーヒーはライトというやつ。
メニューの写真ではレギュラーよりカップが大きく量も多いように見える。
水が多いってこと?
しらないけれど飲みやすい。
今日はケーキじゃなくてホッとサンドにしてみた。
おいしいピクルスがついてきて・・
ニンジンみたいな謎の物体は食べてみたら柿だった。
断片的に聞こえてくる中年男女の会話は夫婦のものじゃない。
でも肩寄せちゃってエロ中年である。
そういえば駐車場には気取ったような外車が停まってたような気もする。
ふと声の方を見ると二人でにやっと笑ってこっちを見てた。
んだそりゃ・・
まあでもいいよね楽しそうで。
誰かとどっかで語るとか全くないから俺は。
またいい時間になりました。
曇ってってさえない一日も終わりよければすべてよし。

いつもは温泉街を通って裏道みたいなので山越えをして帰るのだけど、この日は国道でまっすぐ峠越えすることにした。
連休、紅葉、温泉街には笑顔があふれていたりする。
それを見たくないような気がして。
でも失敗。国道は山の中盤から峠の信号まで大渋滞してた。
3連休だもんね。
カキフライ

犬の散歩中に見上げてこんな雲。
それがどうしたってなもんでしょう。
いいなと思ったんですよ。
昼飯食いに行こう。
いままでさんざん車で走ってた道沿いに飯屋があることに最近気付いた。
なんとなく何かあるなというような気がしてはいたんだけれど、

自分には縁のないお店という印象があっていつも通り過ぎていた。
こういう謎の思い込みが結構あるんだよなぁ。
入ってみると

暖かい声でも変えてもらえホッとする。
昔よくあったよねこういうお店が。
そして今なくなっちっちゃったよね。

よく見るとここはまずお寿司屋さんなんでしょう。
でもフライ系定食もあるよみたいな。
70才代の大将と多分奥さんの二人で、
子供の頃よく見た夫婦でやってる活気のあるお店。
あれがまだここに健在というところなんでしょうね。
何で気づかなかったんだろう。
ごま油?何のにおいかわからないけれど天ぷら定食のいい奴を連想させる匂いが漂ってる。
いつもなら海鮮丼へ行くところだけど

冬季限定カキフライ。
結構な速さで出てくるのに驚く。
作り置きとかそういう事じゃなくて売れがいいんじゃないかと勝手に思ったり。
おいしかったよ。
嫁さん曰くサラダが作り置きじゃない今切ったという歯ごたえなのだそうだ。
ちゃんとした割りばしとか
最近のコストダウン、合理化な話を聞く前の子供の頃に見た定食がここにあったような気がする。
ちょっと大げさかな?

サインがいっぱい飾ってあるけれど手形が押してあったりするからみんなお相撲さんのサインなんでしょうね。
高倉健とか吉永小百合とかなんかわかんないけどそんな人が描かれたポスターみたいなのが貼ってあった。
あの頃青春だったんですか・・
トイレはタイル張りの和式・・いいけど。
ここも昭和の80年代前半な感じ。
思春期になる前、もうコンプレックスもたくさんかかえていたけれどまだ悩んだりすることもなく、明るいといえば明るかったあの頃。
そういえば学生の頃二軒の飯屋に毎日交互に通った。
オヤジが一人でやっていた方は10年前に行ってみた時すでに見当たらなかった。
もう一軒の小学生くらいの子供のいる夫婦がやっていたお店はグーグルのストリートビューで暖簾が出てるのを見ることができる。
周りにバカでかいマンションがたくさん建っていてあの頃を知る目には驚きだけど、あの頃立て替えたお店は今もきれいに健在。
あれから25年位経ったわけか、行ってみたいなぁ・・・
昔毎日通いましたよなんて今ならいえるかな。
https://www.youtube.com/watch?v=XRRUOeAo1Dw
学生時代の飯屋について思い出したら、
この曲の楽譜を買ってきて弾こうとしたことを思い出した。
もちろんちゃんと弾けるようにはならなかった。
輸入楽譜でぺらの一枚半か何かなのにものすごく高かった覚えが・・
アパートだから電子ピアノでヘッドホンしていても弾くと振動が床を伝わって隣が壁蹴ってきたりするんだよね。
くだらない思い出しかないけれど、弾けないなりにここはこうなってんのか!とかやりましたよ。
今でも聴けばここはこうなってんだよなと思うし。
私がクラシック音楽に興味を持ったのが30年かもうちょっと前。
そのころ、今70歳代の人は私の年齢だった。
このお店の店主もそうだろう。
そこへ私と同じ年齢の私の親が、幼いわたしと妹を連れてたまの外食というのをやりに来る。
周りを見れば似たような家族・・
それがどうしたという話だけれど、最近そんなことばかり考える。
貴乃花が離婚したらしいのはどうでもいいけれど、子供の1人はもう成人しているという話が印象に残った。
確か貴乃花とは同い年。
もうそんな歳なのか。
いないものは成長も成人もしないから。

タイル張り・・今は材料も工法も変わっちゃってタイル職人ていなくなっちゃったって聞いたけど。
こんな日本庭園的なものをちょっと造るのも昔よく見かけましたよね。
そんなことよりアヒルちゃん。
レッスンを受けようと思う楽器屋はちょっと遠いので仕事が終わってからだと閉店時間に間に合わない。
だからこの日これから始めるにあたり月謝の口座引き落とし依頼書みたいなのを持って楽器屋へ向かおうというところ。
レッスンとは違う事務処理みたいなのでそんなにはりきったってしょうがないけれどまあなんというかそんな気持ちで・・

なんで暗雲が立ち込めてるんだよ。
いいけど。
海鮮丼かぁ・・天ぷら定食も食ってみたかったな。
ここまたきてみよう。
出張と整体スタンド
出張。
午前の打ち合わせ時間を拡大すべく、早起きして。

まだ富士山も半分寝てます。
最寄り駅から東京までちょうど1時間。
新幹線通勤な人であふれかえる・・・

先行列車発車直後でホーム先端はこんな感じ・・
この駅は車庫を持っているので朝はこれから頑張って走りまーすみたいな列車が次々出てくる。反対の下り列車も車庫から出てきたものでがら空き。

乗りこんだこの列車も車庫から出てきたとこ。
最後尾の車内はまだがら空き。
2駅目で立ち客が出る。
満席の車内で車端を見ると電光掲示板にニュースが流れている。
ゴーン氏逮捕の影響でルノーの暫定トップとして出てきた取締役の名前はボロレ氏・・・ボロレ?
https://www.youtube.com/watch?v=-CcTjTVeOUQ&t=1s
リヒャルト・シュトラウスとかラフマニノフは車を乗り回すのが好きだったようだ。
ラヴェルは自分で車を運転したりはしなかった。買えないことはなかったと思うのでそういうのには興味がなかったんでしょう。
もう自動車は一般化していたと思う。乗ってたタクシーか何かで交通事故にあったことが死へ向かう障害を加速させたんじゃなかったっけ?
彼の親父と弟は確かエンジニアだったと思う。母親の血を多く引いたのかな?母親の出身地のバスク地方にこだわったらしいし、この曲がスペイン的音楽なのも無関係じゃないでしょう?
ずっと転調もしないし2つの旋律を繰り返しつつ音楽が進行していくというボレロは初演時そのことでも聴き手に衝撃を与えたと思う。その挑戦的なアイディアが生まれるきっかけとして作品を短期間で仕上げなければならないという実務的問題もあったようだ。
元々公演日程の決定しているバレーの音楽を依頼されていて、別な作曲家のピアノ曲をオーケストレーションしてこれに充てるつもりだったが著作権の問題かなんかでもめてそれが難航・・断念。
公演まで時間がなく、作曲にかけられる時間はない。
オーケストレーションの技術のみで作品を生み出すことはできるか?
その答えがこの曲。みたいなはなしで。

やっときた転調で終わりを予告するところ
しかし同じラヴェルが語った「よくオーケストレーションされた作品というのはない、よく作曲された作品があるだけだ。」
という言葉も印象深い。オーケストレーションばかりに注目がいき大事なことが見過ごされることに不満や危機感を持ってたんじゃないかなぁ。
この作者はそうは思ってなかったかもしれないけれどピンチが逆にチャンスとなり成功へみたいな話がありますよね。
これもそんな風に見える。
私は最近起きたあることが実は逆にチャンスを仇で返すみたいなことだったのかもしれないと思っている。(仕事じゃなくて)
今また若干ピンチ気味。
昨日そのピンチに絡んで思った。
私は生い立ちから問題があるのか何時も周りを気にしてびくびくしているのだけど、その周囲ってのは実は自分が思っている程気にする価値なんて全然ないんだよね。
気にすべきはもっと違うところにあると思う。
同時に人は人を尊敬できないといろいろだめかもなと思ったり。
今起きているこの展開はそのことを教えてくれているのかもしれないと思えば・・
と思ったそこから先が何をどうすんだかよくわかんないしまたすぐ元の思考に戻っていくんだろうけど。

東京で乗り換え。
人であふれているはずだけど新幹線ホームの末端からだと在来線の様子はあまり見えず静かな印象。

東北新幹線は大宮からドバっと乗ってきますよね。
ちょっと乗って降車時はこんな感じ。
函館まで行っちゃいたいけど。
通勤には少し遅い時間、皆様出張ですか?
お疲れ様です。

まだ終わりじゃなくてローカル列車の旅が続く。
出張先はでかい会社で社員食堂も1つじゃない。
ご当地ラーメンフェアなんて書いてあったりしてたのしそうだ。
飯を食った後その辺のベンチに座ってみると青く晴れた秋空と、黄色くなった街路樹がとても綺麗。
でもここは公園じゃない。研究開発からやってる企業の内部で写真撮るそぶりなんか見せたらきっとすぐに大変なことになるのかもな。

飯を食いにいった訳じゃなく、まじめに仕事をしてまた東京まで帰ってきた。
私はどこかで飲んで・・みたいな楽しみはない。
以前は帰りに寄ってこれるコンサートはないかなんて探したりもしたけれど今はそんな気にならない。
飯を食うには時間が早すぎる。
もう秋葉原も行こうと思わない。
なんかないのか。

八重洲の地下街に整体スタンドというのがあった。
今自販機に千円入れてみたいな床屋があるけどついに整体もそんな時代なのか。
ちゃんと調べないままとりあえず行ってみたため内容というか構成がよくわかっていなかった。
向こうのプリクラみたいに見えるところは変な治具みたいなのに顔をうずめてやってもらう背中、肩、首専門のところ。
手前のちょっと落ち着いた空間もは応接間みたいな椅子に座ってやってもらう首、顔、頭専門と分かれているようだ。
何も考えず落ち着いた感じの頭専門のほうに入る。
待ち客が一人。
ただいま八分ほど待ち時間いただいておりますがよろしいですか?
丁寧な物言いにちょっとびっくり・・もちろん待ちます。
10分千円かぁ・・
せっかくだからと20分のボタンを押す。
3組の椅子に3人の揉み手。
みてるとiPadに経過時間と今どの部分をどうマッサージするのかが動画で表示されている。
これに合わせることで施術者による差異のない均一なサービスが提供されるみたいな話でしょう。
すげーなこんなもんまでシステマチックに標準化の時代か。
お荷物お持ちいたします・・から始まってすごく丁寧な対応でちょっと驚いた。
疲れコースみたいなのとリフトアップみたいなののどちらにしますかって俺がそんなこと美容みたいな方やったって仕方ないわけで疲れのほう!とお願いする。
20分はあっという間。
この日は実は大丈夫だったのだけど、慢性的に首が凝っている私にとっては珠玉の時間だった。
10分1000円て安いようだけど今そこら中で60分2980円みたいなのを見かけることから考えれば単純に安いというものでもないと思う。
それより着替えなくていいとか、もみ返しや一生治んないような変な事されちゃう恐れみたいなのはないだろうという安心感とか、なにより首から上に特化しているとかなかなかほんとに凝ってるとこだけ救済してほしい私のツボをついてると思う。
私は安価なマッサージ屋はどうも入りにくいけどこれならいいかな。
地元にもできないかなこういうの。

帰りのこだまは発車のかなり前から満席。
空いてる?と思い乗り込んだ車両はまさかの喫煙車。
慌てて飛び出て・・
今この列車に乗ると一時間たちっぱなし・・
次の電車に乗ろうと思えば座れる代わりにホームに30分立つことになる。
立ち客を考慮していない車内やデッキに一時間て結構つらいんだよな。
次のにしよう。

私の降車駅で人が大量に降りる。
在来線への乗り換えがあるのかみんなすごい勢いで階段へ吸い込まれていっちゃうのね。
皆さんお疲れ様です。
午前の打ち合わせ時間を拡大すべく、早起きして。

まだ富士山も半分寝てます。
最寄り駅から東京までちょうど1時間。
新幹線通勤な人であふれかえる・・・

先行列車発車直後でホーム先端はこんな感じ・・
この駅は車庫を持っているので朝はこれから頑張って走りまーすみたいな列車が次々出てくる。反対の下り列車も車庫から出てきたものでがら空き。

乗りこんだこの列車も車庫から出てきたとこ。
最後尾の車内はまだがら空き。
2駅目で立ち客が出る。
満席の車内で車端を見ると電光掲示板にニュースが流れている。
ゴーン氏逮捕の影響でルノーの暫定トップとして出てきた取締役の名前はボロレ氏・・・ボロレ?
https://www.youtube.com/watch?v=-CcTjTVeOUQ&t=1s
リヒャルト・シュトラウスとかラフマニノフは車を乗り回すのが好きだったようだ。
ラヴェルは自分で車を運転したりはしなかった。買えないことはなかったと思うのでそういうのには興味がなかったんでしょう。
もう自動車は一般化していたと思う。乗ってたタクシーか何かで交通事故にあったことが死へ向かう障害を加速させたんじゃなかったっけ?
彼の親父と弟は確かエンジニアだったと思う。母親の血を多く引いたのかな?母親の出身地のバスク地方にこだわったらしいし、この曲がスペイン的音楽なのも無関係じゃないでしょう?
ずっと転調もしないし2つの旋律を繰り返しつつ音楽が進行していくというボレロは初演時そのことでも聴き手に衝撃を与えたと思う。その挑戦的なアイディアが生まれるきっかけとして作品を短期間で仕上げなければならないという実務的問題もあったようだ。
元々公演日程の決定しているバレーの音楽を依頼されていて、別な作曲家のピアノ曲をオーケストレーションしてこれに充てるつもりだったが著作権の問題かなんかでもめてそれが難航・・断念。
公演まで時間がなく、作曲にかけられる時間はない。
オーケストレーションの技術のみで作品を生み出すことはできるか?
その答えがこの曲。みたいなはなしで。

やっときた転調で終わりを予告するところ
しかし同じラヴェルが語った「よくオーケストレーションされた作品というのはない、よく作曲された作品があるだけだ。」
という言葉も印象深い。オーケストレーションばかりに注目がいき大事なことが見過ごされることに不満や危機感を持ってたんじゃないかなぁ。
この作者はそうは思ってなかったかもしれないけれどピンチが逆にチャンスとなり成功へみたいな話がありますよね。
これもそんな風に見える。
私は最近起きたあることが実は逆にチャンスを仇で返すみたいなことだったのかもしれないと思っている。(仕事じゃなくて)
今また若干ピンチ気味。
昨日そのピンチに絡んで思った。
私は生い立ちから問題があるのか何時も周りを気にしてびくびくしているのだけど、その周囲ってのは実は自分が思っている程気にする価値なんて全然ないんだよね。
気にすべきはもっと違うところにあると思う。
同時に人は人を尊敬できないといろいろだめかもなと思ったり。
今起きているこの展開はそのことを教えてくれているのかもしれないと思えば・・
と思ったそこから先が何をどうすんだかよくわかんないしまたすぐ元の思考に戻っていくんだろうけど。

東京で乗り換え。
人であふれているはずだけど新幹線ホームの末端からだと在来線の様子はあまり見えず静かな印象。

東北新幹線は大宮からドバっと乗ってきますよね。
ちょっと乗って降車時はこんな感じ。
函館まで行っちゃいたいけど。
通勤には少し遅い時間、皆様出張ですか?
お疲れ様です。

まだ終わりじゃなくてローカル列車の旅が続く。
出張先はでかい会社で社員食堂も1つじゃない。
ご当地ラーメンフェアなんて書いてあったりしてたのしそうだ。
飯を食った後その辺のベンチに座ってみると青く晴れた秋空と、黄色くなった街路樹がとても綺麗。
でもここは公園じゃない。研究開発からやってる企業の内部で写真撮るそぶりなんか見せたらきっとすぐに大変なことになるのかもな。

飯を食いにいった訳じゃなく、まじめに仕事をしてまた東京まで帰ってきた。
私はどこかで飲んで・・みたいな楽しみはない。
以前は帰りに寄ってこれるコンサートはないかなんて探したりもしたけれど今はそんな気にならない。
飯を食うには時間が早すぎる。
もう秋葉原も行こうと思わない。
なんかないのか。

八重洲の地下街に整体スタンドというのがあった。
今自販機に千円入れてみたいな床屋があるけどついに整体もそんな時代なのか。
ちゃんと調べないままとりあえず行ってみたため内容というか構成がよくわかっていなかった。
向こうのプリクラみたいに見えるところは変な治具みたいなのに顔をうずめてやってもらう背中、肩、首専門のところ。
手前のちょっと落ち着いた空間もは応接間みたいな椅子に座ってやってもらう首、顔、頭専門と分かれているようだ。
何も考えず落ち着いた感じの頭専門のほうに入る。
待ち客が一人。
ただいま八分ほど待ち時間いただいておりますがよろしいですか?
丁寧な物言いにちょっとびっくり・・もちろん待ちます。
10分千円かぁ・・
せっかくだからと20分のボタンを押す。
3組の椅子に3人の揉み手。
みてるとiPadに経過時間と今どの部分をどうマッサージするのかが動画で表示されている。
これに合わせることで施術者による差異のない均一なサービスが提供されるみたいな話でしょう。
すげーなこんなもんまでシステマチックに標準化の時代か。
お荷物お持ちいたします・・から始まってすごく丁寧な対応でちょっと驚いた。
疲れコースみたいなのとリフトアップみたいなののどちらにしますかって俺がそんなこと美容みたいな方やったって仕方ないわけで疲れのほう!とお願いする。
20分はあっという間。
この日は実は大丈夫だったのだけど、慢性的に首が凝っている私にとっては珠玉の時間だった。
10分1000円て安いようだけど今そこら中で60分2980円みたいなのを見かけることから考えれば単純に安いというものでもないと思う。
それより着替えなくていいとか、もみ返しや一生治んないような変な事されちゃう恐れみたいなのはないだろうという安心感とか、なにより首から上に特化しているとかなかなかほんとに凝ってるとこだけ救済してほしい私のツボをついてると思う。
私は安価なマッサージ屋はどうも入りにくいけどこれならいいかな。
地元にもできないかなこういうの。

帰りのこだまは発車のかなり前から満席。
空いてる?と思い乗り込んだ車両はまさかの喫煙車。
慌てて飛び出て・・
今この列車に乗ると一時間たちっぱなし・・
次の電車に乗ろうと思えば座れる代わりにホームに30分立つことになる。
立ち客を考慮していない車内やデッキに一時間て結構つらいんだよな。
次のにしよう。

私の降車駅で人が大量に降りる。
在来線への乗り換えがあるのかみんなすごい勢いで階段へ吸い込まれていっちゃうのね。
皆さんお疲れ様です。
土一揆と余計な考え
地図を見てるとすごい名前のカフェを発見。ここに飯食いに行こう。
高速に一区間だけ乗ると意外な速さでそのあたりに着いた。近くはないが驚くほど遠くもない。

道路に面した店の前に駐車場。とめようかと思うと駐車場はこの下みたいな表示があるのでつられてはいっていく。
ぶつけるかぶつけられそうな第2駐車場はやめて第3駐車場へ。
なんか工場みたいなのや畑と道も駐車場も共用みたいだ。
元々大きく土地をもっていろいろやっている人のお店なのかなまなんでもいいけど。

後で考えると店の前に止めてよかったみたいだけれどでもこっちへ降りてきてよかった。
あそこがあお店か。
あの階段を登り、テラス席があるのを見ながらお店へ入ると最も良いと一目でわかる席にはもう人がいてお食事中。
お好きな席へ・・の声を聞きながら探すとここでもいいかという席があった。
見上げれば

昭和というか80年代的な内装のような気がする。
今風じゃないけど明るいし古臭くない。
それよりここの特徴は窓からの景色だろう・・

あれあんまり伝わらないかな・・
またしても雲をかぶっているけれど左に富士山。

右には愛鷹山や新東名、富士宮の街。
東に見えるあの山はここでは小さく見えているけれど私の住む町の西の擁壁みたいな存在だ。
幼いころはその向こうに星が寝ていると思った。
もう少し歳が行けばあの山の向こうにも街があって人が生活しているのかもしれないと思うようになった。ただそれは遠くて自分は行くことが許されないみたいな訳ん分かんないイメージ。
いまやっと、私はその街を見にこれたのか
なんて思いながら。
壁に貼られた手書きの、でも奇麗な案内には「11がつ」とあるんだから毎月発行してるんでしょうね。
時々音楽イベントをやるお店はよくあるけれど案内を見ていると今度のは結構有名らしい芸能人を呼ぶみたいだ。
何が悪かったのか私は思春期くらいから頭のある部分がいかれたためテレビとか芸能人の名前とか言われてもよくわからない。
それはいいとして何だか面白そうだ。
勘違いじゃなければヴァイオリンを弾きながら歌うし劇みたいになってんのかな?
https://www.youtube.com/watch?v=DXSiMPFTUjg
こういうのじゃ全然ないと思うけど。
これはストラヴィンスキーの兵士の物語という曲。
言葉がわからないしさほど入れ込んでいないので筋にはこだわらずなんとなく音楽を聴くくらい。
どこかで読んだ筋書きは表面だけ読んでもいいけれど、裏にあるものを人それぞれが感じて見つけ出してゆくというものでもあるんだろう。
今の私にも当てはまるというかお前も答えを探せよといわれているような。
それでそのイベント、なんかこう素晴らしいなぁと思った。
本気で思った。
でも私はこういう演ずる人と目の合いそうな世界というのが苦手。
きっと一生来れないだろう。
なんでこんな人間になっちゃったのか。
なんでかはわかっているし、今更変えようもないのもいいんだけど。
先日、やったことのない楽器を習いたいと思い体験レッスンという講師との顔合わせみたいな場にいった。
先生のお名前を伺うと差し出された名刺には地元じゃ名の通った楽団。
なんとなく講師ってのはアマチュア団体に属したりなんかしない人たちだと思っていたけどそれは根拠のない勝手な思い込みだという事はすぐに理解できた。
反射的にすごいですね!みたいなジェスチャーをとる自分に調子いいなと思ったり。先生からはちょっと誇りを感じたような気もする。
正直私は聴き手として吹奏楽は苦手で楽団の名前に興味もないのだけど、以前団体に所属していた時に色々聞いていた話が役に立ったというか。
近々コンサートがあるというお話なのでいかなくちゃ!と口に出してしまう。それはだってそういうものでしょう?
ふと頭をよぎる。
この世界、ものすごく狭い。
私は逃げた楽団の責任者に顔向けできないという思いがあるのだけど、多分先生とは知り合いどころの騒ぎじゃないだろう。
コンサートに行けばその責任者をはじめ顔を合わせたくない人間がその場にいる可能性はかなり高い。
元々相手にされていないだろうし、こちらも何も感じなくていいはず・・
しかし嫌だという気持ちが走ってしまい何か理由をつけて行けないようなことを言うことになるかもしれない。
まだ一度もレッスンを受けていないうちからこんな訳の分かんないことを考えている。
ダメ人間ぽいね。
先生の口から「私も体験レッスンで音が出ないままお終わっちゃったらどうしようかと思いました・・」
何の悪意もないと思うけれど読みかえればお前みたいなやつは他にいねーぞってことでしょう?
かまわないし驚かないよ。そんなの他の誰よりもよく知っていることだから。
向いてないから考えたほうがいいのでは?なんて言われなくてよかった。
打たれ弱さも人一倍だから。
前途は困難を極めることが予想される。
そこをなんとか頑張ってみたい。
周りとか標準とか一切気にしないで。
この店を大事にしてるお客とオーナーといい世界ができてるんだろうなここ。
あそうか夜来れば超絶夜景だよねきっと。

煮込みハンバーグ
はチーズをのせてトマトソースで煮込んだ・・いい意味で喫茶店の味。
サラダのドレッシングは多分手作りじゃないかなおいしかったよ。
鉄板ナポリタンみたいなのもおいしそうだったな。

富士山がちょっとだけ顔を出す。
寒いかな?と思ってやめたテラス席にも人が来ていた。
犬を連れていて・・場に緊張しているみたいだけどおとなしくしていてお利口な犬だ。
うちのは暴れちゃってダメだろうな。

セットは飲み物もついてカフェラテ。
接客もとてもいい感じ。
馬鹿丁寧とかそういうんじゃない。
普通に、本当に普通に丁寧に対応してくれるだけ。
でもそれが一番。
コンプレックス満載な人間には特にね。

いつの間にか満席になっていたテラスから。
富士山見えた。
興味のない人には理解できないと思うけれど送電線鉄塔にもマニアがいます。
あの三相22KVみたいな鉄塔はその手の人にはかなり面白いんじゃないかな?
多分企業の私設発電所間をつないでいるものだと思う。

この辺りは周波数50Hzのエリアだけどあの遠くに見える紅白鉄塔は77KV60Hzが併架されてるやつじゃないかな?
用途はわかる人にはわかるでしょう・・
とか書いて興味のある人がこれを読んでくださった人の中に一人くらいいりかな?
誰かにとっては取るに足らないくだらない話や世界も、誰かにとっては大事なものだったりすると思う。
人はみんな違う。
どれが正しいか、優れているか尊いか、価値がないかを感じ考えることも人の自由だし必要なことかもしれない。
それを他人に押し付けないと気が済まない人間もいるだろう。
それが嫌で逃げ続けている人間もいるだろう。
なんでもいいよ。
私は自分が大きな欠陥を持った失敗気味な人間だと思っているけれど、私にとって私の人生ほど尊いものはない。
それをこのまま腐らせて終わりたくない。
何をどうすればいいかわからないけれど、なんとなく何かを探していく。
高速に一区間だけ乗ると意外な速さでそのあたりに着いた。近くはないが驚くほど遠くもない。

道路に面した店の前に駐車場。とめようかと思うと駐車場はこの下みたいな表示があるのでつられてはいっていく。
ぶつけるかぶつけられそうな第2駐車場はやめて第3駐車場へ。
なんか工場みたいなのや畑と道も駐車場も共用みたいだ。
元々大きく土地をもっていろいろやっている人のお店なのかなまなんでもいいけど。

後で考えると店の前に止めてよかったみたいだけれどでもこっちへ降りてきてよかった。
あそこがあお店か。
あの階段を登り、テラス席があるのを見ながらお店へ入ると最も良いと一目でわかる席にはもう人がいてお食事中。
お好きな席へ・・の声を聞きながら探すとここでもいいかという席があった。
見上げれば

昭和というか80年代的な内装のような気がする。
今風じゃないけど明るいし古臭くない。
それよりここの特徴は窓からの景色だろう・・

あれあんまり伝わらないかな・・
またしても雲をかぶっているけれど左に富士山。

右には愛鷹山や新東名、富士宮の街。
東に見えるあの山はここでは小さく見えているけれど私の住む町の西の擁壁みたいな存在だ。
幼いころはその向こうに星が寝ていると思った。
もう少し歳が行けばあの山の向こうにも街があって人が生活しているのかもしれないと思うようになった。ただそれは遠くて自分は行くことが許されないみたいな訳ん分かんないイメージ。
いまやっと、私はその街を見にこれたのか
なんて思いながら。
壁に貼られた手書きの、でも奇麗な案内には「11がつ」とあるんだから毎月発行してるんでしょうね。
時々音楽イベントをやるお店はよくあるけれど案内を見ていると今度のは結構有名らしい芸能人を呼ぶみたいだ。
何が悪かったのか私は思春期くらいから頭のある部分がいかれたためテレビとか芸能人の名前とか言われてもよくわからない。
それはいいとして何だか面白そうだ。
勘違いじゃなければヴァイオリンを弾きながら歌うし劇みたいになってんのかな?
https://www.youtube.com/watch?v=DXSiMPFTUjg
こういうのじゃ全然ないと思うけど。
これはストラヴィンスキーの兵士の物語という曲。
言葉がわからないしさほど入れ込んでいないので筋にはこだわらずなんとなく音楽を聴くくらい。
どこかで読んだ筋書きは表面だけ読んでもいいけれど、裏にあるものを人それぞれが感じて見つけ出してゆくというものでもあるんだろう。
今の私にも当てはまるというかお前も答えを探せよといわれているような。
それでそのイベント、なんかこう素晴らしいなぁと思った。
本気で思った。
でも私はこういう演ずる人と目の合いそうな世界というのが苦手。
きっと一生来れないだろう。
なんでこんな人間になっちゃったのか。
なんでかはわかっているし、今更変えようもないのもいいんだけど。
先日、やったことのない楽器を習いたいと思い体験レッスンという講師との顔合わせみたいな場にいった。
先生のお名前を伺うと差し出された名刺には地元じゃ名の通った楽団。
なんとなく講師ってのはアマチュア団体に属したりなんかしない人たちだと思っていたけどそれは根拠のない勝手な思い込みだという事はすぐに理解できた。
反射的にすごいですね!みたいなジェスチャーをとる自分に調子いいなと思ったり。先生からはちょっと誇りを感じたような気もする。
正直私は聴き手として吹奏楽は苦手で楽団の名前に興味もないのだけど、以前団体に所属していた時に色々聞いていた話が役に立ったというか。
近々コンサートがあるというお話なのでいかなくちゃ!と口に出してしまう。それはだってそういうものでしょう?
ふと頭をよぎる。
この世界、ものすごく狭い。
私は逃げた楽団の責任者に顔向けできないという思いがあるのだけど、多分先生とは知り合いどころの騒ぎじゃないだろう。
コンサートに行けばその責任者をはじめ顔を合わせたくない人間がその場にいる可能性はかなり高い。
元々相手にされていないだろうし、こちらも何も感じなくていいはず・・
しかし嫌だという気持ちが走ってしまい何か理由をつけて行けないようなことを言うことになるかもしれない。
まだ一度もレッスンを受けていないうちからこんな訳の分かんないことを考えている。
ダメ人間ぽいね。
先生の口から「私も体験レッスンで音が出ないままお終わっちゃったらどうしようかと思いました・・」
何の悪意もないと思うけれど読みかえればお前みたいなやつは他にいねーぞってことでしょう?
かまわないし驚かないよ。そんなの他の誰よりもよく知っていることだから。
向いてないから考えたほうがいいのでは?なんて言われなくてよかった。
打たれ弱さも人一倍だから。
前途は困難を極めることが予想される。
そこをなんとか頑張ってみたい。
周りとか標準とか一切気にしないで。
この店を大事にしてるお客とオーナーといい世界ができてるんだろうなここ。
あそうか夜来れば超絶夜景だよねきっと。

煮込みハンバーグ
はチーズをのせてトマトソースで煮込んだ・・いい意味で喫茶店の味。
サラダのドレッシングは多分手作りじゃないかなおいしかったよ。
鉄板ナポリタンみたいなのもおいしそうだったな。

富士山がちょっとだけ顔を出す。
寒いかな?と思ってやめたテラス席にも人が来ていた。
犬を連れていて・・場に緊張しているみたいだけどおとなしくしていてお利口な犬だ。
うちのは暴れちゃってダメだろうな。

セットは飲み物もついてカフェラテ。
接客もとてもいい感じ。
馬鹿丁寧とかそういうんじゃない。
普通に、本当に普通に丁寧に対応してくれるだけ。
でもそれが一番。
コンプレックス満載な人間には特にね。

いつの間にか満席になっていたテラスから。
富士山見えた。
興味のない人には理解できないと思うけれど送電線鉄塔にもマニアがいます。
あの三相22KVみたいな鉄塔はその手の人にはかなり面白いんじゃないかな?
多分企業の私設発電所間をつないでいるものだと思う。

この辺りは周波数50Hzのエリアだけどあの遠くに見える紅白鉄塔は77KV60Hzが併架されてるやつじゃないかな?
用途はわかる人にはわかるでしょう・・
とか書いて興味のある人がこれを読んでくださった人の中に一人くらいいりかな?
誰かにとっては取るに足らないくだらない話や世界も、誰かにとっては大事なものだったりすると思う。
人はみんな違う。
どれが正しいか、優れているか尊いか、価値がないかを感じ考えることも人の自由だし必要なことかもしれない。
それを他人に押し付けないと気が済まない人間もいるだろう。
それが嫌で逃げ続けている人間もいるだろう。
なんでもいいよ。
私は自分が大きな欠陥を持った失敗気味な人間だと思っているけれど、私にとって私の人生ほど尊いものはない。
それをこのまま腐らせて終わりたくない。
何をどうすればいいかわからないけれど、なんとなく何かを探していく。
休もう
休日の午後。

相変わらず崩れちゃって痛々しい富士山。
先週このあたりに来たのにまた来ちゃって。
昨年の今頃も来てた。
本当はもっと遠くに行きたいけれど、いろいろ訳があっていけるとこに行くとこうなっちゃうわけだけど。
なんだっていいじゃない。
来週、大きな心配ながあって頭の隅にある。
最悪な結果となればかなり長期にわたって私を支配することになる。それはすごく困る上に嫌なことだ。
単純に嫌なんじゃなくて、なんで俺が?みたいな気持ちが強いんだとも思う。
そしてそういう損な役回りをぼーっとしていて断らなそうな私は押し付けられやすいという思いというか被害妄想もあると思う。
今から考えたって仕方ないけど気にはなる。
その気にはなるというのが余計な不安となって漠然と立ちはだかり、手前にある雑多なめんどくさいことが実際の何倍も深刻なできごとのような気がしてきて・・・
あーだめだ。
これらのほとんどは考えても仕方のないことを勝手に考えて勝手に困ったような気分になっているだけの非常に無駄で陳腐な時間。度胸がないというか人間がちっちゃすぎというか。
何にも考えないでボーっとしていたい。

何でもないところから突如として大量の水が湧き出してたりして。
それ以上の何でもないけれど、眺めてると楽しいじゃない。
変に観光名所化していないところが好き。

牧草地が結構そこら中にあっていい感じ。
でも放牧場とは違うんでしょうかね?牛はいない。
北海道に行きたくていけないけれど、このあたりをうろうろしているとちょっと救われる。
もちろん北海道とは全然違う景色だけれど、でも何かが劣るわけじゃない。

馬がいっぱいいた。
手前の2頭はできてんのか仲よくじゃれたりしてた。
相変わらず富士山は雲に隠れてちゃんと見えない。
いいけどさ。
カメラおろしたり運転してて写真どころじゃないときに限って
雲がスカッと取れてたりするから笑うよね。

広大な自然の中に4車線道路。
北海道の別海だっけ?地平線まで牧草地みたいなところに4車線道路のインターチェンジみたいな立体交差があってあれもすごかった。
批判したいんじゃなくて。いいよたまにはこういう訳の分かんないもんがあったって。
オーム真理教が大騒ぎしていたころは全然違うところに住んでいたのでこの辺りの当時については知らない。
この巨大道路はそのあとにできてすぐつぶれたとかいう遊園地の跡へ向かって伸びているように見える。
オーム事件なんてもう若い人は知らないかもしれませんね。
そんなもん知らなくていいんだろう。
もうブログなんてものも若い人は知らないんじゃないのか?
そして先週も来たここに

また来てしまう。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=585&v=gp4PqZ-m9Tc
今度はこれが頭の中で流れてた。
二十歳くらいで書いたんだっけ?
その後彼がどんな音楽を作っていったかを知っている耳には
ああ、若いなぁ・・うぶだなぁ・でもいいねぇ・・なんて思ったりもする。
全部ではないけれど、人がその時の自分をぶつけて作ったような音楽は
聴いてる側も歳を食うと違って見えるようになったりする。
当たり前だけどね。
音楽を聴くことだけに限れば、歳をとっていくのも悪いことじゃないかも。
西日が温かい。
いいねー
この時間。

クルミとチョコレートのパウンドケーキとオーガニックコーヒー。
オーガニックコーヒーって何なのかはわからないけど飲みやすくておいしかった。
牛乳ベースのアイスもでっかくついてきた。
またもうける気あるんですかみたいな価格。
この部屋には他に誰もいない。
おいしいし、嫁とくだらない口を聞きながらゆっくり食べる。
最高の時間ですね。

日が傾くと・・どっか外国みたいじゃない。

なんかちょっと寒いななんて思ったらビニールに小さな穴が。
いいけどね。
他にも明らかに故意に穴をあけようとした跡。
子供の仕業かな?子供ってそういうもんだもんね。
だからいいよじゃないけど。
子供いないしなんか言う資格もないか。
それよりこんな小さな穴だけど結構寒いのね。
野菜も売ってて嫁さんがいろいろ買ってた。
田舎なので近所でも野菜の露店販売をよく見かける。食ってみると別に・・というのもよくあるけれど
名前もわかんないけどなにか葉っぱ系野菜はサラダで食べたら感動的においしかった。

ここはトイレが外にあるからふらふら歩いてると・・
あっ富士山みえた。
素晴らしいね。

だいぶ下ったところ。
写真じゃわかんないけど牛たちが飛び跳ねてはしゃいだりじゃれあったりしながら買ってに牛舎へ向かってみんなで歩いてた。
ここじゃないけれどかなり幼いころ通りかかった道端に牛を飼っている小屋があって、今絞った牛乳を飲ませてもらった。
残念ながら味の詳細な記憶はない・・子供だからミルクセーキみたいなのが出てくると思ったのに違ってがっかり・・みたいな記憶がかすかにあるような・・
長らく小屋の残骸みたいなものが残っていたけれど、今そこはアパートになっている。
それがどうしたというような話だけれど、みてたら思いだしたから。
もうすぐ夜ですね。
まだそんなに遅い時間でもないけど気が済んだから帰ろう。

相変わらず崩れちゃって痛々しい富士山。
先週このあたりに来たのにまた来ちゃって。
昨年の今頃も来てた。
本当はもっと遠くに行きたいけれど、いろいろ訳があっていけるとこに行くとこうなっちゃうわけだけど。
なんだっていいじゃない。
来週、大きな心配ながあって頭の隅にある。
最悪な結果となればかなり長期にわたって私を支配することになる。それはすごく困る上に嫌なことだ。
単純に嫌なんじゃなくて、なんで俺が?みたいな気持ちが強いんだとも思う。
そしてそういう損な役回りをぼーっとしていて断らなそうな私は押し付けられやすいという思いというか被害妄想もあると思う。
今から考えたって仕方ないけど気にはなる。
その気にはなるというのが余計な不安となって漠然と立ちはだかり、手前にある雑多なめんどくさいことが実際の何倍も深刻なできごとのような気がしてきて・・・
あーだめだ。
これらのほとんどは考えても仕方のないことを勝手に考えて勝手に困ったような気分になっているだけの非常に無駄で陳腐な時間。度胸がないというか人間がちっちゃすぎというか。
何にも考えないでボーっとしていたい。

何でもないところから突如として大量の水が湧き出してたりして。
それ以上の何でもないけれど、眺めてると楽しいじゃない。
変に観光名所化していないところが好き。

牧草地が結構そこら中にあっていい感じ。
でも放牧場とは違うんでしょうかね?牛はいない。
北海道に行きたくていけないけれど、このあたりをうろうろしているとちょっと救われる。
もちろん北海道とは全然違う景色だけれど、でも何かが劣るわけじゃない。

馬がいっぱいいた。
手前の2頭はできてんのか仲よくじゃれたりしてた。
相変わらず富士山は雲に隠れてちゃんと見えない。
いいけどさ。
カメラおろしたり運転してて写真どころじゃないときに限って
雲がスカッと取れてたりするから笑うよね。

広大な自然の中に4車線道路。
北海道の別海だっけ?地平線まで牧草地みたいなところに4車線道路のインターチェンジみたいな立体交差があってあれもすごかった。
批判したいんじゃなくて。いいよたまにはこういう訳の分かんないもんがあったって。
オーム真理教が大騒ぎしていたころは全然違うところに住んでいたのでこの辺りの当時については知らない。
この巨大道路はそのあとにできてすぐつぶれたとかいう遊園地の跡へ向かって伸びているように見える。
オーム事件なんてもう若い人は知らないかもしれませんね。
そんなもん知らなくていいんだろう。
もうブログなんてものも若い人は知らないんじゃないのか?
そして先週も来たここに

また来てしまう。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=585&v=gp4PqZ-m9Tc
今度はこれが頭の中で流れてた。
二十歳くらいで書いたんだっけ?
その後彼がどんな音楽を作っていったかを知っている耳には
ああ、若いなぁ・・うぶだなぁ・でもいいねぇ・・なんて思ったりもする。
全部ではないけれど、人がその時の自分をぶつけて作ったような音楽は
聴いてる側も歳を食うと違って見えるようになったりする。
当たり前だけどね。
音楽を聴くことだけに限れば、歳をとっていくのも悪いことじゃないかも。
西日が温かい。
いいねー
この時間。

クルミとチョコレートのパウンドケーキとオーガニックコーヒー。
オーガニックコーヒーって何なのかはわからないけど飲みやすくておいしかった。
牛乳ベースのアイスもでっかくついてきた。
またもうける気あるんですかみたいな価格。
この部屋には他に誰もいない。
おいしいし、嫁とくだらない口を聞きながらゆっくり食べる。
最高の時間ですね。

日が傾くと・・どっか外国みたいじゃない。

なんかちょっと寒いななんて思ったらビニールに小さな穴が。
いいけどね。
他にも明らかに故意に穴をあけようとした跡。
子供の仕業かな?子供ってそういうもんだもんね。
だからいいよじゃないけど。
子供いないしなんか言う資格もないか。
それよりこんな小さな穴だけど結構寒いのね。
野菜も売ってて嫁さんがいろいろ買ってた。
田舎なので近所でも野菜の露店販売をよく見かける。食ってみると別に・・というのもよくあるけれど
名前もわかんないけどなにか葉っぱ系野菜はサラダで食べたら感動的においしかった。

ここはトイレが外にあるからふらふら歩いてると・・
あっ富士山みえた。
素晴らしいね。

だいぶ下ったところ。
写真じゃわかんないけど牛たちが飛び跳ねてはしゃいだりじゃれあったりしながら買ってに牛舎へ向かってみんなで歩いてた。
ここじゃないけれどかなり幼いころ通りかかった道端に牛を飼っている小屋があって、今絞った牛乳を飲ませてもらった。
残念ながら味の詳細な記憶はない・・子供だからミルクセーキみたいなのが出てくると思ったのに違ってがっかり・・みたいな記憶がかすかにあるような・・
長らく小屋の残骸みたいなものが残っていたけれど、今そこはアパートになっている。
それがどうしたというような話だけれど、みてたら思いだしたから。
もうすぐ夜ですね。
まだそんなに遅い時間でもないけど気が済んだから帰ろう。
時期が来ればなるようになるけれどさらに能動的な意思も必要だろう

寒いけど、11月後半に入っても咲いてくれる朝顔。
この写真は違うけれど今朝も咲いていて、寒さのため全開できず星型に開いてた。
健気に頑張ってんのね。
いろいろ教わるよ。
CD1000枚くらいをリッピングして入れてあったNASのHDDが突然死んだ。リスク回避のためHDDを二つ突っ込めるものを使って同期させてあったので壊れた方を新品と交換、電源を入れると自動で再構築され無事終了。
Amazonの購入履歴を見ると4年間ほど稼働したところ。まあいいのか。
もう一つLANからも電源からも隔離した外付けHDDにバックアップを取ってあるけど今回は出番がなく済んだ。
音楽を聴く人的には1000枚というのはかなり少ない数かもしれませんが何かに打ち込んだ思い出もない私には思春期くらいから聴きこんできたこれらの盤は私を知っていてくれる友人みたいなもの・・ちょっとあほみたいだけど。
色々手に入れて聴くとわかるけれど同じタイトルでも音全然違うからねみたいな話は今いいか。
昔、CDの寿命20年説というのがあった。データ化するときその辺も考えたけれど実際どうなんだろう。
生きてると取り返しのつかない失敗っていうのが多々ありますよね。
バックアップを使って戻せるといいのに・・そんなこと考えて毎日頭の中でやり直し続けたこともあった。
でもあれ時間と人生の無駄。
失敗も導かれてんだよきっと。

犬とお散歩。
今日は山に行ってみようよ。
ご機嫌だね?
いくらも登らないうちに

もう帰るもん・・の形。
つい最近までどこまででも何時間でも歩くよ!いこいこ!
だったのにこのところちょっと歩くと帰ろうとする。
老いが始まっているんだろうか?
ちょっと寂しいというか心配。
この日この時間は整体に行くはずだったのをキャンセルしたんだった。
1年以上通ったけれど無意識に力んでしまい矯正ができないという事態が時々発生していた。怖いという意識が先行して走っているのは自分で感じる。しかしダメだそんなこと考えちゃなんて考えれば考えるほど意識や体の状態がコントロール不能になってゆく。それでも次の時にはうまくいったりまたダメだったりを繰り返しつつ。
先生はお金をもらってる以上何とかしようと頑張ってもいて・・
前回、先生は露骨にあーもういいわと投げやりな感じで工程を飛ばした。
私ももうやめるつもりで何も期待していなかったためそれを特にどうこう思う事もなかった。
こういう時に潮時という言葉を使うのは間違いみたいだけどまあそんなやつであろう。
書いてみて思ったけれど、楽器投げ出した時と同じだ。
思い出せば幼いころからこれと同じようなことが何度もあった。普通にやってみて・・なんにも考えないで吹いてみて・・
今新しいことに挑戦しようとしているけれど、また同じことになるのが怖い。
その怖いという意識がそうさせるんだとわかっているのに。
家に帰りふと見ると、

ボンタンに新芽が出ていた。
霜が降りる手前くらいまで出続けるのだけどこの時期に出た枝は大きく展開することもなくそのまま寒さで死んでゆく運命だ。
同じ木の枝の新芽で何か落ち度があるわけでもなのに、出てくる時期を間違えれば活躍することもないまま死んでゆく。
https://www.youtube.com/watch?v=brC3qrv3Yv0
プーランクの黒人狂詩曲という曲で作者18歳の時に書いたデビュー作。
時代的な流れもあったらしく何の悪気もないわけだけど題名的に現在は舞台に上げにくいんじゃないか?
技術や経験の前に才能と若い野心と変な自信といたずら心みたいなのが暴走している感じだ。
でも作者のその後を色々予言しているようなものも聴きとれるし、俺はやるぞ的ないかれ感が面白い。

フィナーレなんてなんだこりゃ。
歌詞がホノルルなのは意味があるんじゃなくてなんとなく黒人的な言葉ということでふざけているわけ。
どこかで酷評されたらしいけれど、反面好意的な大反響も得たという。
この作者は裕福な特権階級のもとに生まれたわけだけど、もし労働階級に生まれ虐げられた幼年期があったら作曲家として成功できただろうか?
なんてことをいくら考えてみたところでもうそれ別人なんだから何の意味もないんだよね。
枯れる時期に生まれちゃったものは美しい花をつけ実を持った枝を羨んだって仕方がない。
枯れるまでは精いっぱい日の光を浴びてればいいじゃない・・いや、がんばれ。
CDのリッピングは何かを考えると頭がいかれそうな危機に陥った時にそれを封じようと黙々とやった。
お盆休みでふと時間が空いたが抱えた問題が極度に深刻化しており何かあればすぐ対応するため家から離れることはできない。それより通常なら子育てにすべてを注ぎ込んでいるはずなのにそれはないしその見込みも立たない。俺の今この時間は何のためにあるのか?俺は何で生きているのか?・・みたいなのだったと思う。
現実逃避のため何かに打ち込むというのはよくある話だけど、それがリッピングというのがまたダメ人間的な気もする。
一日中そんなことをやっているのに怒らないでほっといてくれた嫁さんには感謝している。
その次に訪れた危機で考えたのがもう一度楽団に入って楽器をがんばるみたいなことだったと思う。
頑張れないまま挫折して今に至る。
もう子供ができない・・は鬱思考の原因から外れた。
次に来るのは・・と考えるのはやめよう。
嫌でもいつか直面しなければならない時期は来るんだから。
今度こそという気持ちで楽器をちゃんと習いたいなんて考えている。
教わること恐怖症の私がそんなことを考える日が来るなんて思わなかった。
今書くと長くなりすぎるけれど、体験レッスンというのに行ってみた結果やっぱりやりたいと思った。
前出の整体における硬直して先生も焦るしお手上げかみたいな状況がいきなりでてんの。
前代未聞の大惨事になるかと思ったけれどまだ神様に見捨てられたわけじゃないようだった。
行ったことがなくて知らなかったけれどどうも先生は楽器店から独立していて楽器店は教えたい人と習いたい人をつなぎ場所を貸すブローカーみたいなものらしかった。
またみっともなく逃げ出すかもしれないんだからブログには書くなよという声が聴こえるんだけれど、いいじゃない今日の時点ではこう思ったという事で。

ボンタンの実はまだまだ青い。
道半ば。
犬は次の日、結構歩いてくれた。
まだまだ大丈夫だよね?
しらす
嫁さんが1人で出かけた休日。
嫁さんがいい顔しなくて普段は行けない蕎麦屋にでもいこうか。
なぜか住宅地の奥に隠れるように存在する蕎麦屋ってのが結構ありますよね。
白木の内装、靴を脱いでスリッパでみたいなのでしょう。
調べるとこの周辺にも結構あるのねそういうのが。でも休日の今日なんかはかなり混んでるんだろうなと思うとイマイチ盛り上がらない。
俺は本当は蕎麦屋なんか行きたくないんじゃないかと薄々感じる気持ちに蓋をして、平地はダメだな変な山奥とかならいいか?
峠の手前。短い区間だけどこのあたりは結構な景色を見せてくれるはず・・

あれ終わっちゃってる?

終わりっぽいけど、でもきれいだ。
そのすぐ先、
別荘地の中に隠れるようにして蕎麦屋がある。
ここへ来たのは昨年のちょうど今頃だったか靴を脱いで桧造りの店内に的な蕎麦屋だったと思う。その時は全く混んでいなくて静かないい時間だった。
記憶通りにあったそのお店の駐車場はしかし車で埋まっている。
でっかい声で私は一流みたいなのが吠えてるとか予約はされました?とめんどくさそうに門前払いみたいな被害妄想が。
いまはSNS他で何でどこででも見つけられるので隠れ家的な店っていうのはない訳なんだよね。むしろ地図上では街中より目立って見つけやすいもんね。
今日はやめよう。
すぐ近くにも新しい外観の蕎麦屋があるんだけどそこは長らくGoogleマップでかなりネガティブな内容のレビューが一番上に来ていた。
あれじゃお客こないだろなんて心配になったりもしていたけれど久しぶりに見てみるとその上にいくつか擁護のレビューがのり、最後にまた感情的に吐き捨てるような書き込み。
どうもここは高尚系じゃなくて地元で昔から打たれてきたようなのをそのまま出す店らしく、思ってたのと違うのが出てきたことに腹を立て貶したい人と、自分たちの大事なものを勝手な勘違いで貶され面白くない人とがせめぎあってるみたいだ。
絶賛が並んでいるのよりかえって面白く俺はどう思うのか食ってみたい気もしたけれど駐車場の車を見てやっぱりやめる。
その先のおしゃれエリートは絶対にこなそうな蕎麦屋には暖簾がかかってなかった。
もうちょっと走ると知る人ぞし・・
もういいよ蕎麦は。
港にいこう。
山を下りて街の中を抜け・・

田子の浦の漁港。
富士山もちょっと見えて。
富士市は製紙工場がたくさんある街。
田子の浦港は昔ヘドロが問題化したんじゃなかったっけ。
今はもう大丈夫なんでしょう。
向こうのでっかい貨物船はパルプを持ってきた船かなんかか?

ここに漁協がやってる食堂があるのは知っていたけど嫁さんがいい顔をせず来たことがなかった。
ここの売りはシラス。
シラス一択。
入ってみるとお店とかなんとかじゃなくて市場みたいなところに仮設の机を並べた感じ。
あー、いいねー。
食券の販売機の前には長蛇の列。

でも席の確保に殺伐とする必要もないし気楽な雰囲気なのがいいですね。
列が長引いているのは人が多いせいもあるけれど、どうもみんな券売機の前でいちいちうろたえているからみたいだ。
その理由は自分の番になってわかった。
始めに大盛か普通かを選ぶボタンを押すと以降どの料理が選べるシステムなのは直感的に理解できたので大盛をおしてみると・・
その下のメニューというかボタンはすべてXが表示されて一つも選べない。
誰の姿もないけれどでかい声ですいませーん!とか尋ねると厨房の中から今日は大盛を押すとみんなXになるみたいな回答が得られた。
そんなしたり顔で何度も同じこと答えてないでちょっと書いた紙でもここに貼っておけばいいのに・・なんて言わない。
もともと、炭水化物控えろ命令が出ているので大盛がダメなことは問題なし。
生シラス関係もみんな終わっちゃっているらしいけれど、もともとシラスは生より釜揚げのがうまいと思っているので問題なし。
https://www.youtube.com/watch?v=9jOqKC9swdU
フォーレもピアノな作曲家なのかもしれないけれど実はほとんど聴いてない。
舟歌とか有名なんだろうけど。
海とシラス丼な曲・・と考えたらこれが浮かんだ。
どの辺がとかそんなのない。
しかしただの釜揚げシラス丼じゃ寂しいので

ニジマスの卵が乗っかったこれにする。
ニジマス関係なさそうだけど富士宮のほうで県が養殖事業に力を入れてるんじゃなかったか?
港のそばで海鮮丼みたいなのはたいてい・・そういう覚悟で臨んだけれどこれはおいしかった。
目玉の飛び出るうまさ!とかそういうのじゃなくてさらっとうまい感じ。
いい塩加減となんだいちいちド派手に主張しないザッハリヒカイト的なうまさ。
醤油も置いてあったけれど何にもいらない感じ。

食いながら横を向くとこんな光景。
真冬は寒いかもな。
隣では若い夫婦が小さな子にごはんたべな・・とかやってる。
子供への問いかけからここには何度も来ていることが透けて見えるので近隣の人なんだろう。
でもお母さんの訛りに聞き覚えがあり耳が反応する。
もしかすると私の父親の出身地と近いところから来た人かもしれない。
もしかしてご出身は・・とか話しかけてみたら通報されんのかな?なんてくだらないことを考えながら食べる。
誰とも話なんかしたくないし話しかけるなんて絶対にありえないけど。
くだらないことを考えていてもうまいものはうまい。
食べ終わってちょっと物足りないくらいだけど、これでいいにしなくちゃいけないんだろうな。

食器返却口を探したけどみつからない・・
あ、あった隅の方で受け取ったそばから豪快にがんがん洗ってた。

かもめさん。
こういう時どんなこと考えてんのかな?
美味しいもの食べたし、天気で気持ちいいし、
この後ガレージみたいになったコアな洗車場に行って久しぶりにきっちり洗車をした。
そしてその日のうちに土砂降りの雨が降った。
嫁さんがいい顔しなくて普段は行けない蕎麦屋にでもいこうか。
なぜか住宅地の奥に隠れるように存在する蕎麦屋ってのが結構ありますよね。
白木の内装、靴を脱いでスリッパでみたいなのでしょう。
調べるとこの周辺にも結構あるのねそういうのが。でも休日の今日なんかはかなり混んでるんだろうなと思うとイマイチ盛り上がらない。
俺は本当は蕎麦屋なんか行きたくないんじゃないかと薄々感じる気持ちに蓋をして、平地はダメだな変な山奥とかならいいか?
峠の手前。短い区間だけどこのあたりは結構な景色を見せてくれるはず・・

あれ終わっちゃってる?

終わりっぽいけど、でもきれいだ。
そのすぐ先、
別荘地の中に隠れるようにして蕎麦屋がある。
ここへ来たのは昨年のちょうど今頃だったか靴を脱いで桧造りの店内に的な蕎麦屋だったと思う。その時は全く混んでいなくて静かないい時間だった。
記憶通りにあったそのお店の駐車場はしかし車で埋まっている。
でっかい声で私は一流みたいなのが吠えてるとか予約はされました?とめんどくさそうに門前払いみたいな被害妄想が。
いまはSNS他で何でどこででも見つけられるので隠れ家的な店っていうのはない訳なんだよね。むしろ地図上では街中より目立って見つけやすいもんね。
今日はやめよう。
すぐ近くにも新しい外観の蕎麦屋があるんだけどそこは長らくGoogleマップでかなりネガティブな内容のレビューが一番上に来ていた。
あれじゃお客こないだろなんて心配になったりもしていたけれど久しぶりに見てみるとその上にいくつか擁護のレビューがのり、最後にまた感情的に吐き捨てるような書き込み。
どうもここは高尚系じゃなくて地元で昔から打たれてきたようなのをそのまま出す店らしく、思ってたのと違うのが出てきたことに腹を立て貶したい人と、自分たちの大事なものを勝手な勘違いで貶され面白くない人とがせめぎあってるみたいだ。
絶賛が並んでいるのよりかえって面白く俺はどう思うのか食ってみたい気もしたけれど駐車場の車を見てやっぱりやめる。
その先のおしゃれエリートは絶対にこなそうな蕎麦屋には暖簾がかかってなかった。
もうちょっと走ると知る人ぞし・・
もういいよ蕎麦は。
港にいこう。
山を下りて街の中を抜け・・

田子の浦の漁港。
富士山もちょっと見えて。
富士市は製紙工場がたくさんある街。
田子の浦港は昔ヘドロが問題化したんじゃなかったっけ。
今はもう大丈夫なんでしょう。
向こうのでっかい貨物船はパルプを持ってきた船かなんかか?

ここに漁協がやってる食堂があるのは知っていたけど嫁さんがいい顔をせず来たことがなかった。
ここの売りはシラス。
シラス一択。
入ってみるとお店とかなんとかじゃなくて市場みたいなところに仮設の机を並べた感じ。
あー、いいねー。
食券の販売機の前には長蛇の列。

でも席の確保に殺伐とする必要もないし気楽な雰囲気なのがいいですね。
列が長引いているのは人が多いせいもあるけれど、どうもみんな券売機の前でいちいちうろたえているからみたいだ。
その理由は自分の番になってわかった。
始めに大盛か普通かを選ぶボタンを押すと以降どの料理が選べるシステムなのは直感的に理解できたので大盛をおしてみると・・
その下のメニューというかボタンはすべてXが表示されて一つも選べない。
誰の姿もないけれどでかい声ですいませーん!とか尋ねると厨房の中から今日は大盛を押すとみんなXになるみたいな回答が得られた。
そんなしたり顔で何度も同じこと答えてないでちょっと書いた紙でもここに貼っておけばいいのに・・なんて言わない。
もともと、炭水化物控えろ命令が出ているので大盛がダメなことは問題なし。
生シラス関係もみんな終わっちゃっているらしいけれど、もともとシラスは生より釜揚げのがうまいと思っているので問題なし。
https://www.youtube.com/watch?v=9jOqKC9swdU
フォーレもピアノな作曲家なのかもしれないけれど実はほとんど聴いてない。
舟歌とか有名なんだろうけど。
海とシラス丼な曲・・と考えたらこれが浮かんだ。
どの辺がとかそんなのない。
しかしただの釜揚げシラス丼じゃ寂しいので

ニジマスの卵が乗っかったこれにする。
ニジマス関係なさそうだけど富士宮のほうで県が養殖事業に力を入れてるんじゃなかったか?
港のそばで海鮮丼みたいなのはたいてい・・そういう覚悟で臨んだけれどこれはおいしかった。
目玉の飛び出るうまさ!とかそういうのじゃなくてさらっとうまい感じ。
いい塩加減となんだいちいちド派手に主張しないザッハリヒカイト的なうまさ。
醤油も置いてあったけれど何にもいらない感じ。

食いながら横を向くとこんな光景。
真冬は寒いかもな。
隣では若い夫婦が小さな子にごはんたべな・・とかやってる。
子供への問いかけからここには何度も来ていることが透けて見えるので近隣の人なんだろう。
でもお母さんの訛りに聞き覚えがあり耳が反応する。
もしかすると私の父親の出身地と近いところから来た人かもしれない。
もしかしてご出身は・・とか話しかけてみたら通報されんのかな?なんてくだらないことを考えながら食べる。
誰とも話なんかしたくないし話しかけるなんて絶対にありえないけど。
くだらないことを考えていてもうまいものはうまい。
食べ終わってちょっと物足りないくらいだけど、これでいいにしなくちゃいけないんだろうな。

食器返却口を探したけどみつからない・・
あ、あった隅の方で受け取ったそばから豪快にがんがん洗ってた。

かもめさん。
こういう時どんなこと考えてんのかな?
美味しいもの食べたし、天気で気持ちいいし、
この後ガレージみたいになったコアな洗車場に行って久しぶりにきっちり洗車をした。
そしてその日のうちに土砂降りの雨が降った。
コーヒーとマンドリンと
雨の日の午後、あるカフェに行ってみた。
街中、バイパス沿いにある雑居ビルの一階。
昔ブラック企業からにげて・・逃げてるわけだから持っていた携帯は解約し・・
その後正気に戻って地元に帰って来た時にこのビルにあった店で携帯を買った。
昔はよく小さな携帯屋が雑居ビルに入っていましたよね。あれももう20年前か。

出迎えてくれる声と笑顔でお店の印象がだいたい来まる。
そこには気取っていなくて落ち着いた居心地のよさそうな空間があった。
奥のソファーを進められて沈み込む。
記憶が間違っていなければここは以前消費者金融の自動貸付機が置いてある場所だったのだけれど、ある夜轟音とともにシャベルカーが突っ込み機械ごと引きずりだされてトレーラーで持っていかれちゃった。
近所の人は怖すぎて外を見ることもできなかったそうだ。すげーな。
いつからか珈琲の文字を見かけてはいたけれど普段の生活圏内すぎてまさかこんなところに素敵なカフェがあるとは思わず、コーヒー豆を売っている店だろうと思い込んでいた。

お客さんはだれもいない。
あー、いいね。今日はもうゆっくりしよう。
ご夫婦でやってるようにみえる。
よろしかったらお好きなカップを選んでくだされば・・の声で

単純に色に惹かれてすぐ選んだけれど嫁さんは何だか吟味してた。
そしてそのカップがすごく気に入ったようだ。
模様のとこがガラスか何か知らないけれど透けて・・
お砂糖とミルクはお使いになられますか?
はい・・
わかりました。まずはそのままの召し上がってみてください。
ちゃんと味わないと怒られそうだ。
俺は正直コーヒーなんかよくわからなくて砂糖とミルクが入ってないと飲めないお子様味覚なんだけど。

ワッフルにフルーツにチョコケーキにアイスがお皿に乗って・・それにほんとのコーヒーがついて安い。
いや、値段の話じゃなくてここもまた心意気で見せてくれる感じのお店かも。
なんて思いながら食っていると、
頼んだのとは違うブレンドのコーヒーを少しだけ持ってきてくれた。
飲んでみると確かに違う・・
この違いに何かを感じて萌えたりするとコーヒー趣味の世界に突入していくんでしょうね・・
マスターはコーヒー初心者にコーヒーの面白さを知ってほしいんだろうな。
昔、クラシック音楽に目覚めたときこの素晴らしい世界を誰かにも知ってほしい思ったことがある。
いろんな人に色々と訴えかけた記憶もあるけれど興味を持ってくれた人は誰もいなかった。
そんなのはいいとして、
他にお客さんは誰もいないのでマスターがいろいろ話して教えてくれる。
ボーとするつもりだったけどもうこうなったらと自分も仕事用よくしゃべる私を起動して対応する。
コーヒーについて豆の農場から焙煎の仕方からフィルタの違いからお客さんの好みから楽しみ方から入れる技術から・・いろいろ教えてもらって・・・私が感じたのは、音楽みたいだな。ということ。
あらゆる方向に無限の楽しみが広がっていてハマれば一生飽きないような世界があるんでしょうね。
音楽に似ていますよね・・なんて言ってみる。
え?・・何か楽器でもやられているんですか?
あ、いえ聴くだけです・・
こういう時だよね。
だったら黙ってろなんてどこからも聞こえないけれど謎の敗北感・・
場所を貸して、ここでいろいろな教室も催しているという。
マンドリン教室もやってますよ。
マンドリンかぁ・・
マンドリンはクラシックにはあんまり登場しないからか、あんまり惹かれないんだよなぁ。
でも全く出てこないわけでもない。
マーラーだと後期の交響曲3つで使っていて、大地の歌なんかは非常に効果的で感動的だ。
最初に使ったのは交響曲第7番。
二つある「夜の歌」となずけられた楽章の後半に。
夜の街、窓には美人、窓の下にはギターをもって美人に訴えかける男みたいなセレナード・・なんだけどそれそのままじゃなくてその形を利用したパロディでもあると思う。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=2800&v=qGkQmTAVK04
30年くらい前までマーラーの交響曲第7番は難解というより駄作みたいに言われていた。
それは受け手が曲に追いつけていなかっただけなんじゃないかと思うのだけど、自分もこの曲を聴いてみることを後回しにしていたため彼の曲の中で最後に知ることとなった。
曲を聴く前に本を読んで知識が先行した形での初聴きで、ギターとマンドリンが出てくるセレナードというこの楽章・・どんな素晴らしいソロがあるんだろう?とかワクワクして聴いた・・

で、最初の感想は
なんだこれ?
子供の頃年の離れた従兄のギターを触って怒られた。
子供がいたずらで弦を引っ掻いているような音が聴こえてくる・・おいいい加減にしろよと思った。
これオーケストレーションもかなり薄くしてあるけれど実演だとなかなか聞こえないかもしれませんよね。
でもそれくらいでちょうどいいんだと思う。なんとなくとちょっと聴こえてくるみたいな感じで・・
録音んだとはっきり聴こえるように拾ってあるから・・なんかこう・・
初めて生で聴いたときは指揮者の横にギターとマンドリンを座らせてコンチェルトみたいに・・客席は騒めいてたけど
でもそういう音楽じゃないだろと感じ逆にシラケる印象だったけど俺は。
ブーレーズという指揮者がシカゴ響を振ったCDは、この楽章をものすごい速さですっとばしています。
彼にとってはれがこの楽章の正しい姿なのかもしれないけれど、実はこの楽章嫌いなんじゃないかと思ったり。
そういう自分もどうにもこの楽章になじめない時期があり、その時はブーレーズの嫌だから早く終わって次いこみたいな演奏に助けられた。
この曲を初めて聴いたのはかなり遅かったけれどそれでももう25年以上か、今聴いてみればなかなかいいじゃない。
ブーレーズのじゃなくても。
ジャズがかかってたからマスターは音楽とかオーディオにも・・と思ったけどどうもそっちな人じゃないんじゃないかな。
陶芸にはかなり興味があるだけじゃなく、目利きの自信もあるんだと思う。
若い陶芸家を発掘してここでその作品をまた目利きなお客さんに売るみたいな・・
好きなことを商売にするというのは皆あこがれるけれど実際に軌道に乗せるのは並大抵のことじゃないだろうと思う。
敗北した人も何人かしってる。
でも夢に向かってやってみようとするところはすごいなと思います。
安全策というかそもそも何もしないべきだと思い込んで生きてきちゃったよ。
スペースを貸して教室レンタル・・はいろんな人が利用するらしい。
なんか、片付けの資格というのがあってそれを持ってる人が片付けの教室を開いたりとかもするそうだ。
商売になるかは別としてみんな自分の持ってるものを人に教えたくなるもんなんでしょうね。
そして楽器の体験レッスンの日程は決まった。
でもマンドリンじゃないです。
いきなりその日に仕事がかぶっていけないかも危機が押し寄せているけれどまあ何とかしてやる。
場所は変に遠いとこになっちゃったけどまあいいや。
一度しかない人生だしいろいろ乗り越えて、私も打ち込めるものを見つけたいなぁ・・

いい時間でした。
ありがとう。
街中、バイパス沿いにある雑居ビルの一階。
昔ブラック企業からにげて・・逃げてるわけだから持っていた携帯は解約し・・
その後正気に戻って地元に帰って来た時にこのビルにあった店で携帯を買った。
昔はよく小さな携帯屋が雑居ビルに入っていましたよね。あれももう20年前か。

出迎えてくれる声と笑顔でお店の印象がだいたい来まる。
そこには気取っていなくて落ち着いた居心地のよさそうな空間があった。
奥のソファーを進められて沈み込む。
記憶が間違っていなければここは以前消費者金融の自動貸付機が置いてある場所だったのだけれど、ある夜轟音とともにシャベルカーが突っ込み機械ごと引きずりだされてトレーラーで持っていかれちゃった。
近所の人は怖すぎて外を見ることもできなかったそうだ。すげーな。
いつからか珈琲の文字を見かけてはいたけれど普段の生活圏内すぎてまさかこんなところに素敵なカフェがあるとは思わず、コーヒー豆を売っている店だろうと思い込んでいた。

お客さんはだれもいない。
あー、いいね。今日はもうゆっくりしよう。
ご夫婦でやってるようにみえる。
よろしかったらお好きなカップを選んでくだされば・・の声で

単純に色に惹かれてすぐ選んだけれど嫁さんは何だか吟味してた。
そしてそのカップがすごく気に入ったようだ。
模様のとこがガラスか何か知らないけれど透けて・・
お砂糖とミルクはお使いになられますか?
はい・・
わかりました。まずはそのままの召し上がってみてください。
ちゃんと味わないと怒られそうだ。
俺は正直コーヒーなんかよくわからなくて砂糖とミルクが入ってないと飲めないお子様味覚なんだけど。

ワッフルにフルーツにチョコケーキにアイスがお皿に乗って・・それにほんとのコーヒーがついて安い。
いや、値段の話じゃなくてここもまた心意気で見せてくれる感じのお店かも。
なんて思いながら食っていると、
頼んだのとは違うブレンドのコーヒーを少しだけ持ってきてくれた。
飲んでみると確かに違う・・
この違いに何かを感じて萌えたりするとコーヒー趣味の世界に突入していくんでしょうね・・
マスターはコーヒー初心者にコーヒーの面白さを知ってほしいんだろうな。
昔、クラシック音楽に目覚めたときこの素晴らしい世界を誰かにも知ってほしい思ったことがある。
いろんな人に色々と訴えかけた記憶もあるけれど興味を持ってくれた人は誰もいなかった。
そんなのはいいとして、
他にお客さんは誰もいないのでマスターがいろいろ話して教えてくれる。
ボーとするつもりだったけどもうこうなったらと自分も仕事用よくしゃべる私を起動して対応する。
コーヒーについて豆の農場から焙煎の仕方からフィルタの違いからお客さんの好みから楽しみ方から入れる技術から・・いろいろ教えてもらって・・・私が感じたのは、音楽みたいだな。ということ。
あらゆる方向に無限の楽しみが広がっていてハマれば一生飽きないような世界があるんでしょうね。
音楽に似ていますよね・・なんて言ってみる。
え?・・何か楽器でもやられているんですか?
あ、いえ聴くだけです・・
こういう時だよね。
だったら黙ってろなんてどこからも聞こえないけれど謎の敗北感・・
場所を貸して、ここでいろいろな教室も催しているという。
マンドリン教室もやってますよ。
マンドリンかぁ・・
マンドリンはクラシックにはあんまり登場しないからか、あんまり惹かれないんだよなぁ。
でも全く出てこないわけでもない。
マーラーだと後期の交響曲3つで使っていて、大地の歌なんかは非常に効果的で感動的だ。
最初に使ったのは交響曲第7番。
二つある「夜の歌」となずけられた楽章の後半に。
夜の街、窓には美人、窓の下にはギターをもって美人に訴えかける男みたいなセレナード・・なんだけどそれそのままじゃなくてその形を利用したパロディでもあると思う。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=2800&v=qGkQmTAVK04
30年くらい前までマーラーの交響曲第7番は難解というより駄作みたいに言われていた。
それは受け手が曲に追いつけていなかっただけなんじゃないかと思うのだけど、自分もこの曲を聴いてみることを後回しにしていたため彼の曲の中で最後に知ることとなった。
曲を聴く前に本を読んで知識が先行した形での初聴きで、ギターとマンドリンが出てくるセレナードというこの楽章・・どんな素晴らしいソロがあるんだろう?とかワクワクして聴いた・・

で、最初の感想は
なんだこれ?
子供の頃年の離れた従兄のギターを触って怒られた。
子供がいたずらで弦を引っ掻いているような音が聴こえてくる・・おいいい加減にしろよと思った。
これオーケストレーションもかなり薄くしてあるけれど実演だとなかなか聞こえないかもしれませんよね。
でもそれくらいでちょうどいいんだと思う。なんとなくとちょっと聴こえてくるみたいな感じで・・
録音んだとはっきり聴こえるように拾ってあるから・・なんかこう・・
初めて生で聴いたときは指揮者の横にギターとマンドリンを座らせてコンチェルトみたいに・・客席は騒めいてたけど
でもそういう音楽じゃないだろと感じ逆にシラケる印象だったけど俺は。
ブーレーズという指揮者がシカゴ響を振ったCDは、この楽章をものすごい速さですっとばしています。
彼にとってはれがこの楽章の正しい姿なのかもしれないけれど、実はこの楽章嫌いなんじゃないかと思ったり。
そういう自分もどうにもこの楽章になじめない時期があり、その時はブーレーズの嫌だから早く終わって次いこみたいな演奏に助けられた。
この曲を初めて聴いたのはかなり遅かったけれどそれでももう25年以上か、今聴いてみればなかなかいいじゃない。
ブーレーズのじゃなくても。
ジャズがかかってたからマスターは音楽とかオーディオにも・・と思ったけどどうもそっちな人じゃないんじゃないかな。
陶芸にはかなり興味があるだけじゃなく、目利きの自信もあるんだと思う。
若い陶芸家を発掘してここでその作品をまた目利きなお客さんに売るみたいな・・
好きなことを商売にするというのは皆あこがれるけれど実際に軌道に乗せるのは並大抵のことじゃないだろうと思う。
敗北した人も何人かしってる。
でも夢に向かってやってみようとするところはすごいなと思います。
安全策というかそもそも何もしないべきだと思い込んで生きてきちゃったよ。
スペースを貸して教室レンタル・・はいろんな人が利用するらしい。
なんか、片付けの資格というのがあってそれを持ってる人が片付けの教室を開いたりとかもするそうだ。
商売になるかは別としてみんな自分の持ってるものを人に教えたくなるもんなんでしょうね。
そして楽器の体験レッスンの日程は決まった。
でもマンドリンじゃないです。
いきなりその日に仕事がかぶっていけないかも危機が押し寄せているけれどまあ何とかしてやる。
場所は変に遠いとこになっちゃったけどまあいいや。
一度しかない人生だしいろいろ乗り越えて、私も打ち込めるものを見つけたいなぁ・・

いい時間でした。
ありがとう。
昭和な洋食屋さんと捨てるとか記憶とか
スマホを買った時の契約書のほか訳のわかんない紙の類がショップの紙袋に入ったまま置きっぱなしなのに目が留まった。車を購入する際の見積書の類とか・・捨てちゃうと後で困るんじゃないかみたいな。
実際そんなものを後で見ることはないんだし本当に大事なら控えもあるだろう。
今日はゴミの日。何も考えずゴミ袋に入れる。
思い切って何かを捨てると何だかうれしくなって色々捨てたくなる・・他に捨てられるものはないかな?
すると嫁さんが近寄ってきてずっと貼りつき始める。
自分の大事なものを勝手に捨てられないか見張っているのである。心まで捨てるの?とかわけのわかんないことをいいながら。
大丈夫、人にはおかしてはいけない聖域があるのは知ってるよ。
辞めちゃった楽団の楽譜やコンサートプログラムの原稿や資料みたいなのも捨てる。
裏方がんばろうもその実断らない都合のいい奴として扱われてただけな記憶も捨てる。
次やめますの一言が言えずだらだらと続いていた整体も電話してみれば先生じゃない事務みたいな人が出てあっさりキャンセル成立。そんなの当たり前なんだろうけど面と向かって断れないHSP。
まあいいや予約券も捨てよう。
切って積みっぱなしになっていた庭の木の枝も捨てて気分は少しすっきり。
自転車でゴミを捨てて帰ってくれば予報通りかなり強い雨が降って来る。
雨でもめげないで行けそうな近くの昭和な洋食屋さんというのに行ってみた。
駐車場から少し歩くので傘をさして・・戸を開け中へ入り傘立てを探すとあったはいいけれど一瞬見えた店内のお客さんの数に比べ、明らかに傘の本数が足りない・・パクられるかな不安が展開する。
振り向くとお店のおばさんが階段を指して2階へどうぞ・・とすごくいい笑顔で。
まさか心配だからと濡れた傘を持っていくわけにはいかないだろう。

階段を上がってみると誰もいない部屋が広がっていた。建物自体はかなり古いようだけど多分つい最近壁紙を張り替え木枠にペンキみたいな手入れを行ったばかりみたいできれい。単純な昭和イメージでもないか。
空調のダクトが壁から立ち上がって天上をはっているのが目につく。どっかに置いたでっかい機械から建物中に冷風を送るみたいな時代があったのかな?それとは別なエアコン室内機が吊り下げてあるから今は使っていないんでしょう。
まだ世間に冷房なんか一般化してない頃から冷房の効いたお店みたいな感じでやってたのかな?昭和40年代ごろかなとか勝手に想像してみたり。

ピンぼけなのはお店の人の階段を上がる音を聞きつつ急いで撮ろうとしたから。
座敷もあるのか。
そうだった昭和の飯屋はみんな奥に座敷があったもんだよね。

昔のワープロで打ったようなメニューもなんだか懐かしい気もする。
カツサンド1400円かぁ・・・どんなのが出てくるんだろう?
水と一緒に小皿に乗った漬物が出てきた。
箸は・・おいてないな・・つまようじさして食うか。

窓の外は雨。
2階には何にもないので無音といえば無音。
1階には多分テレビがあるんだろうそんな音と誰か常連さんがでっかい声で話しているのが聞こえてくる。
突然、
https://www.youtube.com/watch?v=VyBxps3BgYc
ショパンのこれが聞こえた。
まさかBGMでこんなのをかけたりはしないよなテレビで流れたのかな?
この曲もよく知ってるはずなのにあまり聴いた記憶がないなと思えばすぐその理由が頭に浮かんでくる。
記憶って深く眠ってるようでもひもを踏むとすぐ馳せ参じるんだよね。
くだらないことは忘れて音楽にだけ耳を傾けてみればこれもいい曲。
絶対音感もへったくれもないのにすぐに頭の中に嬰ハ短調の文字が浮かんでくる。
楽譜を見たのか・・なんだろう。
嬰ハ短調といえば鍵盤楽器の調性だよなぁ・・
マーラーが5番で交響曲嬰ハ短調なんて狙ったようなことをやっていますが他はあんまりないよね。
実際には転調したりしてオケ曲の中でも嬰ハ短調になってる場面なんてやたらにあるんだろうけど、弦楽器の鳴りが悪いとかなんとかかな。
多分予備知識に引っ張られているだけだろうけどこの曲も聴いてると嬰ハ短調だなぁ・・みたいな気がします。
今これ書きながら聴いていると別な記憶が出てきた。
カセットテープのウォークマンに増設電池ボックス・・なんだこれ高校のときか・・
あの頃これ聴いてたのかな。
あ・・これ以上思い出してもいいことないのがわかって蓋をする。

オムライスかぁ‥カツカレーもあるけどここはあんまり見かけないカツハヤシで。
デミグラスソースっていうんですよね?こういうの・・
子供の頃、列車の旅にあこがれ時刻表を眺めていたような記憶が。
太字で書かれた特急列車の列にはナイフとフォークの交差する食堂車のマークが象徴的に表示されていた。きっとすごくおいしい料理があるに違いない・・となんとなく想像した味。
それを今食ってる感じ。
メニューを見ると大盛には値段の差が大きくつけてあるので、大盛なんか頼むとすごいことになるんでしょうね。
ボリュームたっぷり!みたいなレビューも多かったけれど、まあ普通というかおいしいだけに若干足りないくらいな・・
例によって嫁さんが食べきれなかった分を受けて満腹。

おいしかったねーとか思いながら階段を下りれば。
あ傘あった。
当たり前か。

外に出ると雨の中厨房の戸が開いていて・・そこへお店の名前が入った車が横付けされる。
ああ出前やってるのか。
出前も昭和な感じかな?
記憶って思い出す回数が増えれば増えるほど焼き付き固定化して忘れられなくなりますよね。
そしてもう忘れようなんて考えるとそれ自体が思い出すことなんですよね。
まいいかそんなの。
もし、都合の悪い記憶を消すことができたとして、良くも悪くも人というのは記憶の上に成り立っている物なのであるから乗っかっている上のどこかにひずみが出たり何にもなくなっちゃって自分が誰かわからなくなっちゃったりするかもね。
実際そんなものを後で見ることはないんだし本当に大事なら控えもあるだろう。
今日はゴミの日。何も考えずゴミ袋に入れる。
思い切って何かを捨てると何だかうれしくなって色々捨てたくなる・・他に捨てられるものはないかな?
すると嫁さんが近寄ってきてずっと貼りつき始める。
自分の大事なものを勝手に捨てられないか見張っているのである。心まで捨てるの?とかわけのわかんないことをいいながら。
大丈夫、人にはおかしてはいけない聖域があるのは知ってるよ。
辞めちゃった楽団の楽譜やコンサートプログラムの原稿や資料みたいなのも捨てる。
裏方がんばろうもその実断らない都合のいい奴として扱われてただけな記憶も捨てる。
次やめますの一言が言えずだらだらと続いていた整体も電話してみれば先生じゃない事務みたいな人が出てあっさりキャンセル成立。そんなの当たり前なんだろうけど面と向かって断れないHSP。
まあいいや予約券も捨てよう。
切って積みっぱなしになっていた庭の木の枝も捨てて気分は少しすっきり。
自転車でゴミを捨てて帰ってくれば予報通りかなり強い雨が降って来る。
雨でもめげないで行けそうな近くの昭和な洋食屋さんというのに行ってみた。
駐車場から少し歩くので傘をさして・・戸を開け中へ入り傘立てを探すとあったはいいけれど一瞬見えた店内のお客さんの数に比べ、明らかに傘の本数が足りない・・パクられるかな不安が展開する。
振り向くとお店のおばさんが階段を指して2階へどうぞ・・とすごくいい笑顔で。
まさか心配だからと濡れた傘を持っていくわけにはいかないだろう。

階段を上がってみると誰もいない部屋が広がっていた。建物自体はかなり古いようだけど多分つい最近壁紙を張り替え木枠にペンキみたいな手入れを行ったばかりみたいできれい。単純な昭和イメージでもないか。
空調のダクトが壁から立ち上がって天上をはっているのが目につく。どっかに置いたでっかい機械から建物中に冷風を送るみたいな時代があったのかな?それとは別なエアコン室内機が吊り下げてあるから今は使っていないんでしょう。
まだ世間に冷房なんか一般化してない頃から冷房の効いたお店みたいな感じでやってたのかな?昭和40年代ごろかなとか勝手に想像してみたり。

ピンぼけなのはお店の人の階段を上がる音を聞きつつ急いで撮ろうとしたから。
座敷もあるのか。
そうだった昭和の飯屋はみんな奥に座敷があったもんだよね。

昔のワープロで打ったようなメニューもなんだか懐かしい気もする。
カツサンド1400円かぁ・・・どんなのが出てくるんだろう?
水と一緒に小皿に乗った漬物が出てきた。
箸は・・おいてないな・・つまようじさして食うか。

窓の外は雨。
2階には何にもないので無音といえば無音。
1階には多分テレビがあるんだろうそんな音と誰か常連さんがでっかい声で話しているのが聞こえてくる。
突然、
https://www.youtube.com/watch?v=VyBxps3BgYc
ショパンのこれが聞こえた。
まさかBGMでこんなのをかけたりはしないよなテレビで流れたのかな?
この曲もよく知ってるはずなのにあまり聴いた記憶がないなと思えばすぐその理由が頭に浮かんでくる。
記憶って深く眠ってるようでもひもを踏むとすぐ馳せ参じるんだよね。
くだらないことは忘れて音楽にだけ耳を傾けてみればこれもいい曲。
絶対音感もへったくれもないのにすぐに頭の中に嬰ハ短調の文字が浮かんでくる。
楽譜を見たのか・・なんだろう。
嬰ハ短調といえば鍵盤楽器の調性だよなぁ・・
マーラーが5番で交響曲嬰ハ短調なんて狙ったようなことをやっていますが他はあんまりないよね。
実際には転調したりしてオケ曲の中でも嬰ハ短調になってる場面なんてやたらにあるんだろうけど、弦楽器の鳴りが悪いとかなんとかかな。
多分予備知識に引っ張られているだけだろうけどこの曲も聴いてると嬰ハ短調だなぁ・・みたいな気がします。
今これ書きながら聴いていると別な記憶が出てきた。
カセットテープのウォークマンに増設電池ボックス・・なんだこれ高校のときか・・
あの頃これ聴いてたのかな。
あ・・これ以上思い出してもいいことないのがわかって蓋をする。

オムライスかぁ‥カツカレーもあるけどここはあんまり見かけないカツハヤシで。
デミグラスソースっていうんですよね?こういうの・・
子供の頃、列車の旅にあこがれ時刻表を眺めていたような記憶が。
太字で書かれた特急列車の列にはナイフとフォークの交差する食堂車のマークが象徴的に表示されていた。きっとすごくおいしい料理があるに違いない・・となんとなく想像した味。
それを今食ってる感じ。
メニューを見ると大盛には値段の差が大きくつけてあるので、大盛なんか頼むとすごいことになるんでしょうね。
ボリュームたっぷり!みたいなレビューも多かったけれど、まあ普通というかおいしいだけに若干足りないくらいな・・
例によって嫁さんが食べきれなかった分を受けて満腹。

おいしかったねーとか思いながら階段を下りれば。
あ傘あった。
当たり前か。

外に出ると雨の中厨房の戸が開いていて・・そこへお店の名前が入った車が横付けされる。
ああ出前やってるのか。
出前も昭和な感じかな?
記憶って思い出す回数が増えれば増えるほど焼き付き固定化して忘れられなくなりますよね。
そしてもう忘れようなんて考えるとそれ自体が思い出すことなんですよね。
まいいかそんなの。
もし、都合の悪い記憶を消すことができたとして、良くも悪くも人というのは記憶の上に成り立っている物なのであるから乗っかっている上のどこかにひずみが出たり何にもなくなっちゃって自分が誰かわからなくなっちゃったりするかもね。
素敵なお店と他人の会話から

富士山って、実はどんどん崩壊しているんですよね。
それもよくある何万年とかいうスケールじゃなくて100年とか200年で山の形が崩れちゃうような超絶スピードなんじゃなかったか。
全部きれいに見えている姿よりもこんな一瞬だけちらっと見えたほうがインパクトあるよね。
このあたりの地図上に発見した別荘地の中にあるカフェにいってみたら予約でいっぱいなんだよと門前払い。
ああまあそうでしょうね。
いいよじゃまたあそこいこ。

牛さんでも眺めて。
あの餌ラップサイレージとか言って発酵させてあるんですよね。
がっついてるところを見るとおいしいのかな?結構くっせー。

夏の手前に来ていい感じだったこのお店にまた来てみた。
人間嫌いだから車があんまりいっぱい停まってるようだったらやめようと思ったけど、まあいいかないうくらい。
ランチと言いかけるとあー今日はもうおわっちゃって・・
そ、そうですか。よくあるパターンに乗ってんな今日も・・
あ、でも二人分くらいなら何とかなるよ・・ポークソテーでいい?
あ、はい!
とメニューと違う内容でランチを作ってもらえることになった。
何だかうれしいねそういうの。

今日はテラス席にしてみる。
テラスだけど農業用ビニールみたいなのが貼ってあって、日が差せば温室みたいな素敵な空間だ。

なんかこう、ドイツとかデンマークみたいじゃない?
行ったことないしどんなかも知らないけど。

あれ薪ストーブかな。
いるだけでうれしくなるような素敵な空間だ。

すごくおいしいランチをニコニコで食う。
・・・と向こうの席のおっさんのでっかい声が耳に入り始める。
とても優秀な人間が集まっているんです。僕全員知ってます・・
・・なんだまた私はすごい系か・・
今日は2時に起きて仕事をして・・
僕はアメリカで開業して人を何人も使ってるんだけど・・・
もうアメリカに帰るんだけど・・・
話し相手は50代くらいの女性。
聞いてると旧知の仲じゃなく今日知り合ったばかりみたいだ。
アメリカで開業して成功したようなのが何でこんな田舎で飯食ってんだ・・
どうもなんか同じセミナーかなんかに今日行ったらしい。そういうのの会場が田舎のホテルか研修所というのはありそうだもんね。
娘は大学で心理学をやっているのでとても話が合うんです・・
俺は心理学にもたけて専門家並みだとか言いたいんでしょ?
晩御飯も食べに行っちゃう?
なんだナンパかよ。
多分女性もそこそこの稼ぎがある気がする。
そんなエリートならこんなとこじゃなくて別荘地の予約でいっぱいみたいなとこに行けばいいんじゃないの?
しかしほんとにそんなに優秀ならあんなに一言一言僕はすごいですよ!みたいな口きくかなぁ・・
私の頭にあることが浮かんだ。
髪の毛もびしっと決めたあのおっさん、持ってそうな中年女性を狙った詐欺とかじゃないのか?
最初のアプローチだろこれ・・
そんなわけないんだろうけど。
異性とか初対面の人の前で自分をよく見せようと思うのは当たり前なのかもしれない。
受け手にとってもそれは自分への好意の裏返しであるから傍から見るほど嫌なものじゃないのかもしれない。
幼いころそれは人として恥ずかしくまちがったことだと教えられた。
でも、そんな考えも間違っているような気もする。
あれでいいんだろう。
あの騙されているように見える女性の方も実はグルで騙されているのは俺だったりして。
何言ってんだ怒られちゃうな。
せっかくのランチをおっさんの僕すごいよアピールに邪魔されても・・・そんなもの一切を包み込む秋の優しく温かい日差しとブラームスのヴァイオリン協奏曲みたいな外の景色。
いいねー。

デザートもついてくるんだよね。
今日はシフォンケーキだった。
ここいいところだなぁ・・
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1215&v=OcjCLs2BEpA
ドイツ・オーストリアとかいってみたいけどなぁ・・
とりあえずここでいいや。
またこよう。
ブルックナーの交響曲第3番はワーグナーという愛称で呼ばれることがなくもない。
これと2番のスコアを見てもらい、ワーグナーが特に気に入った3番を献呈したからだ。
これに限らずブルックナーの各種エピソードを読むとどれも彼について不当に低くというか下手をすればちょっと頭のたりない人位のイメージで描かれている。カリカチュアなんかを見ても当時からそのようなとらえ方があったのがわかる。
何が事実か知らないしそう取られるようなものを持っている人ではあったんだろうけど、ほんとにそんなならワーグナーがスコアに目を通してくれるわけがないし、彼自身もウィーンの音楽大学で教授になったりするわけないだろう。
どうもクラシック音楽のまことしやかに語られる伝説は面白半分の誇張が過ぎる気がする。
そしてまた人って、集団で誰かを陥れ馬鹿にするのが大好きだもんね。

このお店は多分建物も手作りだ。
建て増ししている部分は夏前に来た時より若干進展していた。
もう冬の日差しみたいだなぁ・・
またきましょう。