夜
日が暮れるのが

早くなりましたね。
仕事は定時に終えたけれど帰宅せず高速に乗る。
乗ってすぐに入ったサービスエリアからは

夜景が見えて。
平日だし写真撮って喜んでるような人はいない。
あたりまえか寒いしね。
みんな仕事帰りかまだ仕事中でしょう。
本線から分岐してすぐのあたりからトレーラーがハザードを点灯して列を作ってた。
スタンド渋滞みたいだったけどなんかいろいろみんな大変なんですよね。
とか思いながら減速しているところをあほみたいに煽ってきた後ろの車の人も現場監督みたいな格好だった。
会社出てまだ10分くらいしか走ってないのに何休憩してんだ。

なんとなくこのドリップからやる自販機のコーヒーが飲みたかったから。
高速も一区間で降りるし、降りればコンビニがあって100円のコーヒーがあるけどこれは200円。
でもこれが飲みたかったんだから仕方がない。
この自販機、モニターが付いていて豆が引き出されて抽出からコップに蓋が閉まるまでリアルライムで中継される。
複数の工程に対応してカメラもいくつかあるように見える。
でもこれみんな同じルーチンなんだから録画を流すでも誰にもわからないですよね・・なんて詰まんないことを考えちゃいけませんよね。調べるとやっぱりちゃんとライブ映像なのだそうだ。
香りを放出する機能というのも装備しているとか泣けてきますよね。
頑張れ日本の製造メーカー。
自販機の写真を撮ったりしてたらライブ映像はあんまり見てないうちに終わっちゃった。
機械がカップに蓋をしてくれるところまで写って終わり。
このコーヒーおいしいよ。
高速を降りしばらく走る。
途中経路を大きくショートカットする真っ暗な深い森の中では異様な雰囲気が迫ってきた。
でももっと怖いのはその先。
前回来たときは真っ暗で段差も何もわからない足元に難儀したけれど、この日はおぼろげながら足元の雰囲気が見える気がした。
月明りのせい?
月光ソナタと呼ばれているベートーベンのこの曲。
月光と名付けたのは作者じゃないしそこにこだわる必要はないけれど。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=288&v=jjhC80M4ScE
昔、ホロヴィッツがCBSに入れたこの録音を持っていた人間からカセットテープにダビングしてもらい、何度も何度も聞いた。
この演奏、特に第3楽章なんか現代の感覚では不自然な誇張を多く含む間違いだと思う人もいるかもしれない。
でも、これはこれだから。
ずーっと聴くこともなかったけれど40過ぎて聴いてみれば同窓会みたいなもんですね。

後半の低音も動く第2エピソードみたいなのは何か訴えといか念押しのようにも感じられ、すぐ後のH(2段目の最初の小節)はいったん力を抜いて自分を見つめなおしているようにも聴こえる。
そして、また意志をもって進む。
訳のわかんない中学生はここに何かを感じて萌えた。
まだ自分の意思とか見つめなおしてなんて実感もあるわけなかったはずだけど。
作曲家が残した自筆譜というのはその音楽に傾倒するものにとってはこの世を創造した神の痕跡みたいなもので非常に興味深い。
転調してどっかへ行った以上は曲のしめに向かっておさまるべきところへ帰ってこなくちゃならないわけだけど

作者もここは一発で決めたんじゃなくて何度か修正の後に発見したのだという事を知り感動する。
そのすぐ後ろも面白い。

鐘のようにずっと安定的に鳴り響いてきたベースが途切れて3連符がカデンツァ的に舞い上がる・・法則のように続いていた三連音は四分音符で旋律として収束する・・・
音にしてみるとなかなか面白い。ショパンなんかでよく見るなという気もする。
でもこれやっちゃうと冒頭から終結まで一貫して連続する3連音とオクターブの低音に感じていた巨大で不変の自然みたいなイメージがここだけ急に人間臭くなるような気もする。
これをなくしたことにより人間の意志を感じる旋律と自然を感じる三連符の対比みたいなものが明確化した・・
大げさか。
ベートーベンはそんなこと考えてないかもしれないけどいいの。
深い森の闇は恐ろしくて、一人「よし!」とか口に出さないといられない。
この日、実は月は出てなかったと思う。
でも私は明かりを感じ、非常に大きなものに見つめられているような肯定感を感じた。
俺はやれるよとか口走りながら車に乗る。
変なこと書くと変に思われるかと思って端折ったけど、
これじゃ頭のおかしい人みたいか。
実際おかしいのかもしれないけれど、私にとってはポジティブな夜でした。
コーヒー冷めちゃったしもうほとんど残ってない。
帰りは山越え。

早くなりましたね。
仕事は定時に終えたけれど帰宅せず高速に乗る。
乗ってすぐに入ったサービスエリアからは

夜景が見えて。
平日だし写真撮って喜んでるような人はいない。
あたりまえか寒いしね。
みんな仕事帰りかまだ仕事中でしょう。
本線から分岐してすぐのあたりからトレーラーがハザードを点灯して列を作ってた。
スタンド渋滞みたいだったけどなんかいろいろみんな大変なんですよね。
とか思いながら減速しているところをあほみたいに煽ってきた後ろの車の人も現場監督みたいな格好だった。
会社出てまだ10分くらいしか走ってないのに何休憩してんだ。

なんとなくこのドリップからやる自販機のコーヒーが飲みたかったから。
高速も一区間で降りるし、降りればコンビニがあって100円のコーヒーがあるけどこれは200円。
でもこれが飲みたかったんだから仕方がない。
この自販機、モニターが付いていて豆が引き出されて抽出からコップに蓋が閉まるまでリアルライムで中継される。
複数の工程に対応してカメラもいくつかあるように見える。
でもこれみんな同じルーチンなんだから録画を流すでも誰にもわからないですよね・・なんて詰まんないことを考えちゃいけませんよね。調べるとやっぱりちゃんとライブ映像なのだそうだ。
香りを放出する機能というのも装備しているとか泣けてきますよね。
頑張れ日本の製造メーカー。
自販機の写真を撮ったりしてたらライブ映像はあんまり見てないうちに終わっちゃった。
機械がカップに蓋をしてくれるところまで写って終わり。
このコーヒーおいしいよ。
高速を降りしばらく走る。
途中経路を大きくショートカットする真っ暗な深い森の中では異様な雰囲気が迫ってきた。
でももっと怖いのはその先。
前回来たときは真っ暗で段差も何もわからない足元に難儀したけれど、この日はおぼろげながら足元の雰囲気が見える気がした。
月明りのせい?
月光ソナタと呼ばれているベートーベンのこの曲。
月光と名付けたのは作者じゃないしそこにこだわる必要はないけれど。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=288&v=jjhC80M4ScE
昔、ホロヴィッツがCBSに入れたこの録音を持っていた人間からカセットテープにダビングしてもらい、何度も何度も聞いた。
この演奏、特に第3楽章なんか現代の感覚では不自然な誇張を多く含む間違いだと思う人もいるかもしれない。
でも、これはこれだから。
ずーっと聴くこともなかったけれど40過ぎて聴いてみれば同窓会みたいなもんですね。

後半の低音も動く第2エピソードみたいなのは何か訴えといか念押しのようにも感じられ、すぐ後のH(2段目の最初の小節)はいったん力を抜いて自分を見つめなおしているようにも聴こえる。
そして、また意志をもって進む。
訳のわかんない中学生はここに何かを感じて萌えた。
まだ自分の意思とか見つめなおしてなんて実感もあるわけなかったはずだけど。
作曲家が残した自筆譜というのはその音楽に傾倒するものにとってはこの世を創造した神の痕跡みたいなもので非常に興味深い。
転調してどっかへ行った以上は曲のしめに向かっておさまるべきところへ帰ってこなくちゃならないわけだけど

作者もここは一発で決めたんじゃなくて何度か修正の後に発見したのだという事を知り感動する。
そのすぐ後ろも面白い。

鐘のようにずっと安定的に鳴り響いてきたベースが途切れて3連符がカデンツァ的に舞い上がる・・法則のように続いていた三連音は四分音符で旋律として収束する・・・
音にしてみるとなかなか面白い。ショパンなんかでよく見るなという気もする。
でもこれやっちゃうと冒頭から終結まで一貫して連続する3連音とオクターブの低音に感じていた巨大で不変の自然みたいなイメージがここだけ急に人間臭くなるような気もする。
これをなくしたことにより人間の意志を感じる旋律と自然を感じる三連符の対比みたいなものが明確化した・・
大げさか。
ベートーベンはそんなこと考えてないかもしれないけどいいの。
深い森の闇は恐ろしくて、一人「よし!」とか口に出さないといられない。
この日、実は月は出てなかったと思う。
でも私は明かりを感じ、非常に大きなものに見つめられているような肯定感を感じた。
俺はやれるよとか口走りながら車に乗る。
変なこと書くと変に思われるかと思って端折ったけど、
これじゃ頭のおかしい人みたいか。
実際おかしいのかもしれないけれど、私にとってはポジティブな夜でした。
コーヒー冷めちゃったしもうほとんど残ってない。
帰りは山越え。