時期が来ればなるようになるけれどさらに能動的な意思も必要だろう

寒いけど、11月後半に入っても咲いてくれる朝顔。
この写真は違うけれど今朝も咲いていて、寒さのため全開できず星型に開いてた。
健気に頑張ってんのね。
いろいろ教わるよ。
CD1000枚くらいをリッピングして入れてあったNASのHDDが突然死んだ。リスク回避のためHDDを二つ突っ込めるものを使って同期させてあったので壊れた方を新品と交換、電源を入れると自動で再構築され無事終了。
Amazonの購入履歴を見ると4年間ほど稼働したところ。まあいいのか。
もう一つLANからも電源からも隔離した外付けHDDにバックアップを取ってあるけど今回は出番がなく済んだ。
音楽を聴く人的には1000枚というのはかなり少ない数かもしれませんが何かに打ち込んだ思い出もない私には思春期くらいから聴きこんできたこれらの盤は私を知っていてくれる友人みたいなもの・・ちょっとあほみたいだけど。
色々手に入れて聴くとわかるけれど同じタイトルでも音全然違うからねみたいな話は今いいか。
昔、CDの寿命20年説というのがあった。データ化するときその辺も考えたけれど実際どうなんだろう。
生きてると取り返しのつかない失敗っていうのが多々ありますよね。
バックアップを使って戻せるといいのに・・そんなこと考えて毎日頭の中でやり直し続けたこともあった。
でもあれ時間と人生の無駄。
失敗も導かれてんだよきっと。

犬とお散歩。
今日は山に行ってみようよ。
ご機嫌だね?
いくらも登らないうちに

もう帰るもん・・の形。
つい最近までどこまででも何時間でも歩くよ!いこいこ!
だったのにこのところちょっと歩くと帰ろうとする。
老いが始まっているんだろうか?
ちょっと寂しいというか心配。
この日この時間は整体に行くはずだったのをキャンセルしたんだった。
1年以上通ったけれど無意識に力んでしまい矯正ができないという事態が時々発生していた。怖いという意識が先行して走っているのは自分で感じる。しかしダメだそんなこと考えちゃなんて考えれば考えるほど意識や体の状態がコントロール不能になってゆく。それでも次の時にはうまくいったりまたダメだったりを繰り返しつつ。
先生はお金をもらってる以上何とかしようと頑張ってもいて・・
前回、先生は露骨にあーもういいわと投げやりな感じで工程を飛ばした。
私ももうやめるつもりで何も期待していなかったためそれを特にどうこう思う事もなかった。
こういう時に潮時という言葉を使うのは間違いみたいだけどまあそんなやつであろう。
書いてみて思ったけれど、楽器投げ出した時と同じだ。
思い出せば幼いころからこれと同じようなことが何度もあった。普通にやってみて・・なんにも考えないで吹いてみて・・
今新しいことに挑戦しようとしているけれど、また同じことになるのが怖い。
その怖いという意識がそうさせるんだとわかっているのに。
家に帰りふと見ると、

ボンタンに新芽が出ていた。
霜が降りる手前くらいまで出続けるのだけどこの時期に出た枝は大きく展開することもなくそのまま寒さで死んでゆく運命だ。
同じ木の枝の新芽で何か落ち度があるわけでもなのに、出てくる時期を間違えれば活躍することもないまま死んでゆく。
https://www.youtube.com/watch?v=brC3qrv3Yv0
プーランクの黒人狂詩曲という曲で作者18歳の時に書いたデビュー作。
時代的な流れもあったらしく何の悪気もないわけだけど題名的に現在は舞台に上げにくいんじゃないか?
技術や経験の前に才能と若い野心と変な自信といたずら心みたいなのが暴走している感じだ。
でも作者のその後を色々予言しているようなものも聴きとれるし、俺はやるぞ的ないかれ感が面白い。

フィナーレなんてなんだこりゃ。
歌詞がホノルルなのは意味があるんじゃなくてなんとなく黒人的な言葉ということでふざけているわけ。
どこかで酷評されたらしいけれど、反面好意的な大反響も得たという。
この作者は裕福な特権階級のもとに生まれたわけだけど、もし労働階級に生まれ虐げられた幼年期があったら作曲家として成功できただろうか?
なんてことをいくら考えてみたところでもうそれ別人なんだから何の意味もないんだよね。
枯れる時期に生まれちゃったものは美しい花をつけ実を持った枝を羨んだって仕方がない。
枯れるまでは精いっぱい日の光を浴びてればいいじゃない・・いや、がんばれ。
CDのリッピングは何かを考えると頭がいかれそうな危機に陥った時にそれを封じようと黙々とやった。
お盆休みでふと時間が空いたが抱えた問題が極度に深刻化しており何かあればすぐ対応するため家から離れることはできない。それより通常なら子育てにすべてを注ぎ込んでいるはずなのにそれはないしその見込みも立たない。俺の今この時間は何のためにあるのか?俺は何で生きているのか?・・みたいなのだったと思う。
現実逃避のため何かに打ち込むというのはよくある話だけど、それがリッピングというのがまたダメ人間的な気もする。
一日中そんなことをやっているのに怒らないでほっといてくれた嫁さんには感謝している。
その次に訪れた危機で考えたのがもう一度楽団に入って楽器をがんばるみたいなことだったと思う。
頑張れないまま挫折して今に至る。
もう子供ができない・・は鬱思考の原因から外れた。
次に来るのは・・と考えるのはやめよう。
嫌でもいつか直面しなければならない時期は来るんだから。
今度こそという気持ちで楽器をちゃんと習いたいなんて考えている。
教わること恐怖症の私がそんなことを考える日が来るなんて思わなかった。
今書くと長くなりすぎるけれど、体験レッスンというのに行ってみた結果やっぱりやりたいと思った。
前出の整体における硬直して先生も焦るしお手上げかみたいな状況がいきなりでてんの。
前代未聞の大惨事になるかと思ったけれどまだ神様に見捨てられたわけじゃないようだった。
行ったことがなくて知らなかったけれどどうも先生は楽器店から独立していて楽器店は教えたい人と習いたい人をつなぎ場所を貸すブローカーみたいなものらしかった。
またみっともなく逃げ出すかもしれないんだからブログには書くなよという声が聴こえるんだけれど、いいじゃない今日の時点ではこう思ったという事で。

ボンタンの実はまだまだ青い。
道半ば。
犬は次の日、結構歩いてくれた。
まだまだ大丈夫だよね?