この歳になってやっと
蕎麦屋が嫌いな嫁さんに、あとでカフェに行こうと言ったら蕎麦屋でいいことになった。
裏の駐車場はちょうどドアを開けるとぶつかる位置にゴミ箱が置いてあって笑う。
蕎麦屋の自社ビルの脇を歩くとダシのいい香りが・・おっいいなと思ってると次にカレーの香りが攻めてくる。
食欲と期待感を大いに盛り上げられ暖簾をくぐると

いらっしゃいの声。
何名様ですか?空いてる席へ・・みたいなのはない。
当たり前なんだけど最近そんな店ばっかり行ってたので久しぶり感が。
お店のおばさんが帰ろうとした先客に気さくに話しかけている。
他のお客さんにも・・・
それで俺の時だけ何にもなかったりすると結構落ち込んだり・・なんていうのももうなくなった。

ピンク電話も久しぶりに見たな。
避けたつもりもないけどこういう蕎麦屋さんに来たのは何十年ぶりか。
中学とか高校の頃、学割というのがあった気がする。
失敗した、この席寒いわ。
エアコンの風が冷たい・・トイレに行ったら奥の方の席は暖かかった・・
寒いよとか声かければいいんだろうけどなんかそんな気にもなれず・・
負けてる感じがする。

丼ものやカレーのほか、ラーメンがあるところが面白いと思う。
いいね蕎麦屋のラーメン。
食ってみたいなぁ・・・でも今日は蕎麦食わなくちゃ。
嫁さんは親子丼がいいらしい。
メニューの反対側には蕎麦屋らしく多様なそばが並んでいた。
調子に乗ってさっきの気さくなおばさんに天南蛮って何?なんて聞いてみる。
南蛮っていうのはネギのことだからね・・・
えっ・・
弾丸のような説明は続いているが・・
知らなかった。
鴨南蛮とかって、南蛮貿易とかのあの南蛮のことで順和食に対して肉が入って外国風だよくらいの意味なのかと思ってた。
恥ずかしながらこの歳になって蕎麦の南蛮とはネギのことだったと知る。
この歳になって初めて知りとか恥ずかしいけど事実なので仕方がない。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=22&v=iSXj48lkFew
この曲はバッハのゴールドベルク変奏曲BWV988
ベートーベンで言ったら第9や運命、蕎麦屋で言えば天ぷらそばくらいに有名な曲で、中学生の頃これが聴きたいと思いラジオで流れたのを録音した。
バッハだからチェンバロで聴きたかったのにピアノの演奏が流れてちょっとなんだよこれと思った記憶が。
中学校の音楽のテストで、ピアノの曲を一曲書きなさいというのがあった。
たまたまこれを気に入っていたため思い切り「ゴールドベルク変奏曲BWV988」と書いて×を食らった。
ピアノじゃなくてチェンバロの曲だからという理由で。
それは違うだろみたいな論争をできる元気はまだなく、調子に乗ると叩かれるんだということを覚えた。
しばらくそれを聞いていたけれど、私がクラシックを聴くと知った人間がグレングールドのをテープにダビングしてくれた。
これを聴かなきゃダメだよみたいな話だったような気もする。
興味ない人にはどうでもいいと思いますが、この曲はグールドという人の個性的な録音がOSで言ったらWindowsみたいな勢いで独占状態になってしまっているのだ。
なにこれ受け狙い演奏じゃないの?とか思いながら聴き始めたそれにいつしか染まってしまい、他の演奏はみんなつまらなく聞こえるようになってどれも受け付けない病にかかってしまった。
それでまたグールド聴いちゃう自分が何かに負けたみたいな気がして曲自体聴かないというなにか間違った状況に。
そういうわけのわかんないものもいい加減干からびたのか、あの時聞きたいと思ったチェンバロによるこの曲を聴こうと思ったのがやっと今。
このグスタフ・レオンハルトのは昔から有名だったりするんでしょうね。
グールドの亡霊みたいなのにやられず、と言って物足りなさや変なくそ真面目なつまらなさに悩まされることなく素直に楽しめた。
30年以上かかって・・やっと聴いたよ。
蕎麦を味わうんだとか言ってざるそばみたいなのを頼みたいところだけど寒くてそんな気になれなかった。
せっかくだから何か変わったのを・・

なんて思ってたのに結局天ぷらそばとか言っちゃった。
でもいいよ。
おいしいね。
天ぷらはなんとなくごま油の香りを感じた気がする。
なんというか変に高尚じゃないところが何しろいいよね。
ヒノキの内装、お品書きには「もり」の一行のみみたいなとこで期待していると仰々しくちょこっと出てきた蕎麦は味も香りもなくな時のあのがっかり感・・調子に乗ってそんな店に来ちゃった自分にがっかりみたいな。
小ライスを頼んでてんぷらを乗せつゆをかければ天丼になるんじゃないか・・
でも炭水化物を減らせと医者から言われているので我慢してみる。
最近我慢してしばらくすれば忘れるというかもうそれで足りるようになってはいるんだよな。
足りないと思ってるのは気持ちだけ。
カレーと掛けそばってのもありかとかなんとか思いながら・・
たくさんあったメニューの中のいくつか・・今度食べてみたいななんて気軽に考えているけど・・
実際食べるのはなんだかんだと言ってるうちに30年後だったりするのかもな。
30年後は74歳だ。
この30年なんてあっという間だったことを考えると・・
食べ終わってボーっとしていると後から来てすぐ後ろの席に着いた人がでっかい声で灰皿あるー?
そうか、普段禁煙が当たり前のところばかり行ってたけど当たり前じゃないんだよなこういうとこは。
逃げるようにお愛想。
やっぱり何にも話しかけられなかったけど一刻も早く出たかったしちょうどよかった。
ここは商店街のはずれ、外れというか

今はもう商店街というようにはみえないけれど。
きっと昭和30、40年代には賑わったんでしょうね。
時代の変化とともに人の考え、感覚、要求が変わった結果なんだからいいとか悪いじゃないと思う。
蕎麦屋のビルの定礎には昭和33年竣工とあった。
東京タワーな年ですね。
これから世の中みんなで明るい未来へ突っ込んでいくんだみたいな希望と活気があったりしたんでしょう?
1958年といえばワルターのステレオ録音が進行していたころ。ソニーのマイクロフォンが使われていたという。
もう日本の音響機器が世界の先端で認められていた。
オリンピックや万博がまた行われるのはきっといいことなんだろうけど、あの時と同じようにまた・・みたいな話じゃないですよね。
~みたいになんて言わずに今の何かを見つければいいと思う。
考えてみると、俺の思春期から今まではちょうど平成の30年間だったんだな。
なんとなく平成というのは自分には関係ない人ごとみたいなイメージがあった。
怒られるかそんなこと言うと。
仕事で作る図面や文書に書き入れるのは西暦で、普段平成なんて書くこともない。
何年か前に 昭和 年 月・・みたいなのが印刷された用紙に手書きの見積もりを持って来た業者がいた。
用紙どんだけ刷っちゃったんだよ。
来年から俺も新しい俺になりたいなぁ・・・なんだかわかんないけど。
裏の駐車場はちょうどドアを開けるとぶつかる位置にゴミ箱が置いてあって笑う。
蕎麦屋の自社ビルの脇を歩くとダシのいい香りが・・おっいいなと思ってると次にカレーの香りが攻めてくる。
食欲と期待感を大いに盛り上げられ暖簾をくぐると

いらっしゃいの声。
何名様ですか?空いてる席へ・・みたいなのはない。
当たり前なんだけど最近そんな店ばっかり行ってたので久しぶり感が。
お店のおばさんが帰ろうとした先客に気さくに話しかけている。
他のお客さんにも・・・
それで俺の時だけ何にもなかったりすると結構落ち込んだり・・なんていうのももうなくなった。

ピンク電話も久しぶりに見たな。
避けたつもりもないけどこういう蕎麦屋さんに来たのは何十年ぶりか。
中学とか高校の頃、学割というのがあった気がする。
失敗した、この席寒いわ。
エアコンの風が冷たい・・トイレに行ったら奥の方の席は暖かかった・・
寒いよとか声かければいいんだろうけどなんかそんな気にもなれず・・
負けてる感じがする。

丼ものやカレーのほか、ラーメンがあるところが面白いと思う。
いいね蕎麦屋のラーメン。
食ってみたいなぁ・・・でも今日は蕎麦食わなくちゃ。
嫁さんは親子丼がいいらしい。
メニューの反対側には蕎麦屋らしく多様なそばが並んでいた。
調子に乗ってさっきの気さくなおばさんに天南蛮って何?なんて聞いてみる。
南蛮っていうのはネギのことだからね・・・
えっ・・
弾丸のような説明は続いているが・・
知らなかった。
鴨南蛮とかって、南蛮貿易とかのあの南蛮のことで順和食に対して肉が入って外国風だよくらいの意味なのかと思ってた。
恥ずかしながらこの歳になって蕎麦の南蛮とはネギのことだったと知る。
この歳になって初めて知りとか恥ずかしいけど事実なので仕方がない。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=22&v=iSXj48lkFew
この曲はバッハのゴールドベルク変奏曲BWV988
ベートーベンで言ったら第9や運命、蕎麦屋で言えば天ぷらそばくらいに有名な曲で、中学生の頃これが聴きたいと思いラジオで流れたのを録音した。
バッハだからチェンバロで聴きたかったのにピアノの演奏が流れてちょっとなんだよこれと思った記憶が。
中学校の音楽のテストで、ピアノの曲を一曲書きなさいというのがあった。
たまたまこれを気に入っていたため思い切り「ゴールドベルク変奏曲BWV988」と書いて×を食らった。
ピアノじゃなくてチェンバロの曲だからという理由で。
それは違うだろみたいな論争をできる元気はまだなく、調子に乗ると叩かれるんだということを覚えた。
しばらくそれを聞いていたけれど、私がクラシックを聴くと知った人間がグレングールドのをテープにダビングしてくれた。
これを聴かなきゃダメだよみたいな話だったような気もする。
興味ない人にはどうでもいいと思いますが、この曲はグールドという人の個性的な録音がOSで言ったらWindowsみたいな勢いで独占状態になってしまっているのだ。
なにこれ受け狙い演奏じゃないの?とか思いながら聴き始めたそれにいつしか染まってしまい、他の演奏はみんなつまらなく聞こえるようになってどれも受け付けない病にかかってしまった。
それでまたグールド聴いちゃう自分が何かに負けたみたいな気がして曲自体聴かないというなにか間違った状況に。
そういうわけのわかんないものもいい加減干からびたのか、あの時聞きたいと思ったチェンバロによるこの曲を聴こうと思ったのがやっと今。
このグスタフ・レオンハルトのは昔から有名だったりするんでしょうね。
グールドの亡霊みたいなのにやられず、と言って物足りなさや変なくそ真面目なつまらなさに悩まされることなく素直に楽しめた。
30年以上かかって・・やっと聴いたよ。
蕎麦を味わうんだとか言ってざるそばみたいなのを頼みたいところだけど寒くてそんな気になれなかった。
せっかくだから何か変わったのを・・

なんて思ってたのに結局天ぷらそばとか言っちゃった。
でもいいよ。
おいしいね。
天ぷらはなんとなくごま油の香りを感じた気がする。
なんというか変に高尚じゃないところが何しろいいよね。
ヒノキの内装、お品書きには「もり」の一行のみみたいなとこで期待していると仰々しくちょこっと出てきた蕎麦は味も香りもなくな時のあのがっかり感・・調子に乗ってそんな店に来ちゃった自分にがっかりみたいな。
小ライスを頼んでてんぷらを乗せつゆをかければ天丼になるんじゃないか・・
でも炭水化物を減らせと医者から言われているので我慢してみる。
最近我慢してしばらくすれば忘れるというかもうそれで足りるようになってはいるんだよな。
足りないと思ってるのは気持ちだけ。
カレーと掛けそばってのもありかとかなんとか思いながら・・
たくさんあったメニューの中のいくつか・・今度食べてみたいななんて気軽に考えているけど・・
実際食べるのはなんだかんだと言ってるうちに30年後だったりするのかもな。
30年後は74歳だ。
この30年なんてあっという間だったことを考えると・・
食べ終わってボーっとしていると後から来てすぐ後ろの席に着いた人がでっかい声で灰皿あるー?
そうか、普段禁煙が当たり前のところばかり行ってたけど当たり前じゃないんだよなこういうとこは。
逃げるようにお愛想。
やっぱり何にも話しかけられなかったけど一刻も早く出たかったしちょうどよかった。
ここは商店街のはずれ、外れというか

今はもう商店街というようにはみえないけれど。
きっと昭和30、40年代には賑わったんでしょうね。
時代の変化とともに人の考え、感覚、要求が変わった結果なんだからいいとか悪いじゃないと思う。
蕎麦屋のビルの定礎には昭和33年竣工とあった。
東京タワーな年ですね。
これから世の中みんなで明るい未来へ突っ込んでいくんだみたいな希望と活気があったりしたんでしょう?
1958年といえばワルターのステレオ録音が進行していたころ。ソニーのマイクロフォンが使われていたという。
もう日本の音響機器が世界の先端で認められていた。
オリンピックや万博がまた行われるのはきっといいことなんだろうけど、あの時と同じようにまた・・みたいな話じゃないですよね。
~みたいになんて言わずに今の何かを見つければいいと思う。
考えてみると、俺の思春期から今まではちょうど平成の30年間だったんだな。
なんとなく平成というのは自分には関係ない人ごとみたいなイメージがあった。
怒られるかそんなこと言うと。
仕事で作る図面や文書に書き入れるのは西暦で、普段平成なんて書くこともない。
何年か前に 昭和 年 月・・みたいなのが印刷された用紙に手書きの見積もりを持って来た業者がいた。
用紙どんだけ刷っちゃったんだよ。
来年から俺も新しい俺になりたいなぁ・・・なんだかわかんないけど。