呪いを解くことができるまで・・
会社帰りに楽器の練習場へ。
部屋を抑えた時間より早く着けば待つことになるのだけれど、この日は近くの広い路肩に車を止めてボーっとしていた。
本人的にはずっと何か考えてるのでボーっとはしていないつもりだったりするんだけど傍目にはいつもぼーっとしてるようにしか見えないんでしょ。
ここは幼いころ住んでいた場所のすぐ近く。
あのころもボーっとしながら一人ほっつき歩いてた。

日が伸びてきたなぁ
今見える光景は40年くらい前にも見ていた光景。
いや、あの樹はあんなにでかくなかった。

いつの間にか改築されて少し背が高くなっていたけれど、幼い頃あの鉄塔を毎日眺めていた。
懸垂型なんて用語は知らなくても碍子が逆三角形に配置されたあの形は、鉄塔の前後で送電線の角度に変化がない場合に見られるものだということ発見して・・そういうのが面白いと思っていた。
連続するものの中に現れる規則性や意味づけを発見する事への興味や楽しみは、その後音楽を聴くようになってから音楽の中にそのまま生かされた。音楽というのは工学的、数学的な要素を強く持っていると思う。
で、レッスンに行ったのだけどまたいきなりグダグダに。
冷静を装いながらリードを変えたり先生の指摘を受けて何とか持ち直し・・
だいぶ楽器から離れていたようですけど思い出しましたか?
いえ、昨日も練習したし毎日やってました。
ああ、俺は何をやってたのか。何をって練習も的が外れているし足りないしまだちゃんとしたものが少しも定着してないだけ。
事実として、
私はどこか神経か脳の機能がおかしいのか普通の人には訳もなくできる動作がいつまでたってもできないという事があります。
物心ついたころから周りの大人がいら立ち私を非難したり大袈裟に嘆いたりするのを見聞きし、感じてきた。今はすぐ体罰というらしいけれど昔はすぐにぼかすか殴られたもんだ。
受けるのは痛みとは別なメッセージで刻まれたそれは消えない。その時周囲に感じた同じ年齢の多数の目線も同じ。
子供ながらに何かがおかしいとたびたび思ったのも覚えているけれど、度重なるそれは私に対し自分は何もできず周囲に迷惑をかける不具合品だと思い込ませた。
その意識は何かあればパニックのような状態引き起こし自分の体をコントロール不能な状態へ追い込む。
その結果はさらに周囲をいらだたせ、澄まされた神経はいち早くそれを察知し・・
それは年齢とともに解決していくようなものではない為、中年になった今でも実は抱えたまま。
そういう場面を予測し、回避する事を覚えてきただけ。
最近、そういう人間が実は一定数いて定型のようなものがどうもあるらしいという話を読んだ。
読んだところで何も改善されるわけではないけれど、私にとっては何かすごいことが起こったような感覚を得た。
周囲からも自分自身もなんでそうなの?おかしいでしょ?と疑問形の声しか聴けず、存在そのものも間違いであるかのような印象だった自分について是非はともかく第三者がそういうのいますよと言っているのをはじめて聞いたわけ。
こんな歳になってはじめて。
これは当事者じゃないと馬鹿がアホみたいなことを書いているようにしか見えないでしょうけどいいの。
この日のレッスンもその病気が出ていて自分で変なところに力が入ってしまうため音は出ないわ自分の声が出ちゃったりして・・
先生も外から見てのアドバイスはできるけれどそんな異常な状態を経験したことはないから
どうしてそうなるんですか?
となんて質問系の言葉が聴こえてくる。
それは当たり前なんだろうけどこちらは定型的にスイッチが入るわけだ。
とは言え、今までと違うのは主回路が暴走して死んでいる傍らで非常電源回路みたいなものが細々と起動し、
今のこれ病気だから・・いつものあれだから・・事実じゃないからそのまま受け止めるなよお前・・みたいなことを言ってくれる。
帰りの車でも非常回路が作動するんだけど主回路の暴走が収まらないから誰もいない車の中1人で俺は大丈夫!頑張れ俺・・みたいなことを大声で叫び続け・・
あれから時間がたち頭も冷えた今だから書くと、グダグダながらも問題点を指摘してもらいながらレッスンは進む。
当初それは今考えなくていいと言われていたことを要求される。
私にとっては新しい展開だ。当然のように全然できなかったりするわけだけど、具体的な練習法を指示してもらい・・
と、今こう書けば結構建設的な内容だった。
新品リードの育て方も教えるから、新品を下ろして毎日水につけてきてください・・とか。
書かないけどちょっと建設的な言葉を聴けたような気もして・・
https://www.youtube.com/watch?v=cH2PH0auTUU
これの冒頭、クラリネットのグリッサンドがあるんですよね。
あんなのどうやってやるんだろう?と思ってほんとに久しぶりに聴いてみたらグリッサンドは上の方の音だけで下は普通に音階なんですね。
これがやりたいとか言うわけでも何でもないけど下のFの音を吹いててこれを思い出したから。
FだけどB管だからやってる人的には下のソ。 移調楽器なんて知らないとファじゃないの?なんてどうでもいいけど読んだ人がこう思うかなああ取られると嫌だなとか考えだすときりがないね。これも病気かな?
グリッサンドじゃなくてポルタメントじゃないの?なんて思ってたけどほんとに指をスライドさせるらしい・・知らねーけど。
中学の頃テレビでみたこの曲の演奏で、もう名前もわからない男性ピアニストの演奏が最高にかっこよかった。前奏曲なんかもものすごく個性的に弾いていて・・でもラフマニノフなんかもバリバリ弾いてて・・あれ、誰だったんだろう・・・
いまでも彼の音楽、映像が頭の中に焼き付いている。
失敗したのは最初に買ったこの曲のCDで、どうも指揮者がこの曲いやいややってんじゃないかという印象を受け・・・なんだこれ?なんて思ってしまいそれ以来曲自体をずっと聴いてなかった。
いくつか聞いてみると、この曲も演奏者によって全然違って聴こえる曲ですね。
ガーシュインの自演?というのがあった。
よく聞くのとは違う、グロフェの最初のアレンジ?
カットで一番聞いてみたかったところがとばされてて・・
でもいいよね歌い方が。
ガーシュインも若いうちになくなったんだっけ?
才能をもらうとその分寿命を取られちゃうのかな?
何にもできない分長生きさせてもらえないかな。
なわけないのか。
今も、仕事でお世話になった方の訃報を聞いた。
あまりに突然のことで・・俺はいろんな国に行ったがどんな未開の国の怪しい食い物でも平気でくえるぞ・・なんて笑っていた人なのに・・
人の人生って自分の意向とは全く関係なく、突然終わっちゃったりするものなんですよね。

また練習してるけど、言われたことをやってみるとグダグダどころかゼロに戻ったような崩壊感。
言われたことをやっているつもりだけれど、違う動きしかしていないんだろう事は経験的に理解できる。でも実際何がどうなているのかは全くわからない。
でも、頑張ろう。
人と同じにできないからと言って死ぬわけでもない。
いや人と同じじゃないと死ぬんですよとすぐ返して得意になるような人には適当になるほどすごいですねとか言っときゃいいんだから。
貴方ならこれくらいは初見で吹けるでしょう?みたいな言葉は、この人駄目だろうな・・という相手にくれる言葉じゃないだろうとか自分に言い聞かせてみたりしながら。
楽器の練習は自分も音楽がしたいという夢への挑戦であるのだけれど、同時に物心ついたころから始まる自己否定を何とか少しでも正してから死にたいという人間の矯正でもあるのかなと思ったりして。
部屋を抑えた時間より早く着けば待つことになるのだけれど、この日は近くの広い路肩に車を止めてボーっとしていた。
本人的にはずっと何か考えてるのでボーっとはしていないつもりだったりするんだけど傍目にはいつもぼーっとしてるようにしか見えないんでしょ。
ここは幼いころ住んでいた場所のすぐ近く。
あのころもボーっとしながら一人ほっつき歩いてた。

日が伸びてきたなぁ
今見える光景は40年くらい前にも見ていた光景。
いや、あの樹はあんなにでかくなかった。

いつの間にか改築されて少し背が高くなっていたけれど、幼い頃あの鉄塔を毎日眺めていた。
懸垂型なんて用語は知らなくても碍子が逆三角形に配置されたあの形は、鉄塔の前後で送電線の角度に変化がない場合に見られるものだということ発見して・・そういうのが面白いと思っていた。
連続するものの中に現れる規則性や意味づけを発見する事への興味や楽しみは、その後音楽を聴くようになってから音楽の中にそのまま生かされた。音楽というのは工学的、数学的な要素を強く持っていると思う。
で、レッスンに行ったのだけどまたいきなりグダグダに。
冷静を装いながらリードを変えたり先生の指摘を受けて何とか持ち直し・・
だいぶ楽器から離れていたようですけど思い出しましたか?
いえ、昨日も練習したし毎日やってました。
ああ、俺は何をやってたのか。何をって練習も的が外れているし足りないしまだちゃんとしたものが少しも定着してないだけ。
事実として、
私はどこか神経か脳の機能がおかしいのか普通の人には訳もなくできる動作がいつまでたってもできないという事があります。
物心ついたころから周りの大人がいら立ち私を非難したり大袈裟に嘆いたりするのを見聞きし、感じてきた。今はすぐ体罰というらしいけれど昔はすぐにぼかすか殴られたもんだ。
受けるのは痛みとは別なメッセージで刻まれたそれは消えない。その時周囲に感じた同じ年齢の多数の目線も同じ。
子供ながらに何かがおかしいとたびたび思ったのも覚えているけれど、度重なるそれは私に対し自分は何もできず周囲に迷惑をかける不具合品だと思い込ませた。
その意識は何かあればパニックのような状態引き起こし自分の体をコントロール不能な状態へ追い込む。
その結果はさらに周囲をいらだたせ、澄まされた神経はいち早くそれを察知し・・
それは年齢とともに解決していくようなものではない為、中年になった今でも実は抱えたまま。
そういう場面を予測し、回避する事を覚えてきただけ。
最近、そういう人間が実は一定数いて定型のようなものがどうもあるらしいという話を読んだ。
読んだところで何も改善されるわけではないけれど、私にとっては何かすごいことが起こったような感覚を得た。
周囲からも自分自身もなんでそうなの?おかしいでしょ?と疑問形の声しか聴けず、存在そのものも間違いであるかのような印象だった自分について是非はともかく第三者がそういうのいますよと言っているのをはじめて聞いたわけ。
こんな歳になってはじめて。
これは当事者じゃないと馬鹿がアホみたいなことを書いているようにしか見えないでしょうけどいいの。
この日のレッスンもその病気が出ていて自分で変なところに力が入ってしまうため音は出ないわ自分の声が出ちゃったりして・・
先生も外から見てのアドバイスはできるけれどそんな異常な状態を経験したことはないから
どうしてそうなるんですか?
となんて質問系の言葉が聴こえてくる。
それは当たり前なんだろうけどこちらは定型的にスイッチが入るわけだ。
とは言え、今までと違うのは主回路が暴走して死んでいる傍らで非常電源回路みたいなものが細々と起動し、
今のこれ病気だから・・いつものあれだから・・事実じゃないからそのまま受け止めるなよお前・・みたいなことを言ってくれる。
帰りの車でも非常回路が作動するんだけど主回路の暴走が収まらないから誰もいない車の中1人で俺は大丈夫!頑張れ俺・・みたいなことを大声で叫び続け・・
あれから時間がたち頭も冷えた今だから書くと、グダグダながらも問題点を指摘してもらいながらレッスンは進む。
当初それは今考えなくていいと言われていたことを要求される。
私にとっては新しい展開だ。当然のように全然できなかったりするわけだけど、具体的な練習法を指示してもらい・・
と、今こう書けば結構建設的な内容だった。
新品リードの育て方も教えるから、新品を下ろして毎日水につけてきてください・・とか。
書かないけどちょっと建設的な言葉を聴けたような気もして・・
https://www.youtube.com/watch?v=cH2PH0auTUU
これの冒頭、クラリネットのグリッサンドがあるんですよね。
あんなのどうやってやるんだろう?と思ってほんとに久しぶりに聴いてみたらグリッサンドは上の方の音だけで下は普通に音階なんですね。
これがやりたいとか言うわけでも何でもないけど下のFの音を吹いててこれを思い出したから。
FだけどB管だからやってる人的には下のソ。 移調楽器なんて知らないとファじゃないの?なんてどうでもいいけど読んだ人がこう思うかなああ取られると嫌だなとか考えだすときりがないね。これも病気かな?
グリッサンドじゃなくてポルタメントじゃないの?なんて思ってたけどほんとに指をスライドさせるらしい・・知らねーけど。
中学の頃テレビでみたこの曲の演奏で、もう名前もわからない男性ピアニストの演奏が最高にかっこよかった。前奏曲なんかもものすごく個性的に弾いていて・・でもラフマニノフなんかもバリバリ弾いてて・・あれ、誰だったんだろう・・・
いまでも彼の音楽、映像が頭の中に焼き付いている。
失敗したのは最初に買ったこの曲のCDで、どうも指揮者がこの曲いやいややってんじゃないかという印象を受け・・・なんだこれ?なんて思ってしまいそれ以来曲自体をずっと聴いてなかった。
いくつか聞いてみると、この曲も演奏者によって全然違って聴こえる曲ですね。
ガーシュインの自演?というのがあった。
よく聞くのとは違う、グロフェの最初のアレンジ?
カットで一番聞いてみたかったところがとばされてて・・
でもいいよね歌い方が。
ガーシュインも若いうちになくなったんだっけ?
才能をもらうとその分寿命を取られちゃうのかな?
何にもできない分長生きさせてもらえないかな。
なわけないのか。
今も、仕事でお世話になった方の訃報を聞いた。
あまりに突然のことで・・俺はいろんな国に行ったがどんな未開の国の怪しい食い物でも平気でくえるぞ・・なんて笑っていた人なのに・・
人の人生って自分の意向とは全く関係なく、突然終わっちゃったりするものなんですよね。

また練習してるけど、言われたことをやってみるとグダグダどころかゼロに戻ったような崩壊感。
言われたことをやっているつもりだけれど、違う動きしかしていないんだろう事は経験的に理解できる。でも実際何がどうなているのかは全くわからない。
でも、頑張ろう。
人と同じにできないからと言って死ぬわけでもない。
いや人と同じじゃないと死ぬんですよとすぐ返して得意になるような人には適当になるほどすごいですねとか言っときゃいいんだから。
貴方ならこれくらいは初見で吹けるでしょう?みたいな言葉は、この人駄目だろうな・・という相手にくれる言葉じゃないだろうとか自分に言い聞かせてみたりしながら。
楽器の練習は自分も音楽がしたいという夢への挑戦であるのだけれど、同時に物心ついたころから始まる自己否定を何とか少しでも正してから死にたいという人間の矯正でもあるのかなと思ったりして。