ナショナル台所セットと冬と春
古い街の裏路地みたいなところにある洋食屋に飯を食いに行ったら閉まってた。当たり前か時間過ぎてんだから。
仕方がないので最近できたチェーン店で飯を食べ・・・ああそうだあそこいってみよう。

いいでしょう?ここ。
写真に写らないけれど底からは滾々と水が湧き出て砂を躍らせている。
底まで澱んでかびちゃってる心も洗ってくれるかも・・冷たいか。

写真だけ見るとどっか田舎の山の上とかそんな感じに見えなくもないけれど、
実際には周囲を住宅地に囲まれ、あんまり周りを見ちゃうと・・みたいなところ。
もっと言えば生活排水そのものみたいなのが音を立てて脇から流れ込んでいるのが見えたり・・
見るからきたねーと思うんであって、みなきゃいいのか。
でもそうやって生きてきたらこんなになっちゃったけど。

つくしが出てた。
草の中を小さな鳥がガサガサ歩き回ってなんか食ってる。
うまいのそれ?

春って一言でいうけれど色々ですよね。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=312&v=AculPJcCOcI
冬の終わりと新しい予感みたいな。

いいねーつくし。
つくしも出てくるとみんな喜んで可愛がってくれるのに、同じ根でつながったスギナは目の敵ですよね。

ピント全然あってないけど。
昔一瞬上司になった人はよく
「ピントのずれたような話してんなぁ」
と言って私に苛立ちを見せた。
あなたもずれてますよね?なんて言えるわけもなく、言ったとしたら間違いだ。
その前にいた会社と違っていきなり暴力沙汰というのはなかったけれど考え方や人間性についてこの人とは驚くほど縁がないと感じ、また自分で応募しておいて無責任なのではあるけれどここで自分が何かを発揮できる可能性も見えなかったため短期間で辞めてしまった。
その人が残したもう一つの印象的な言葉に
人を嫌いにならないほうがいい
というのがあった。
非常に単純な言葉のようでもうそれに尽きるというような大事な事であるのはわかった。
それを聞いた時点でその人への感情は懐疑的を通り越して嫌悪感でみたされていたし、その後も私は出会った何人かの方を自分で遠ざけることを繰り返してきてしまったけれど。
でもそれだけに、その言葉の意味や重要性がわかる気がする。
分ることとできることはまた別だから。
その後すぐに職を探そうとすると早く決めなければという意識だけが先行してしまいまた失敗すると思ったので、しばらく派遣社員のライン工をやりながら頭を冷やすことにした。
数か月くらいだったか毎日ほんとに無心でねじ締めかなんかを繰り返しているうちに、頭の中が勝手に整理されて当初わからなかった自分の適性や今後についての考えが自然に見えてきた。
今思うとあれは一種の座禅みたいな物だったのではないかと思う。
そして見つけた道筋は今も続いて勤続20年目。

前に来たときは行かなかった上流の方へも行ってみよう。
今はもう大丈夫だろうけど、一時期こういうものの価値を忘れどんどん埋めて宅地化したりしてましたよね。
うちの近所にもこんなのがあったらしい。農協やスーパーがあったあの辺り・・今は駐車場だ。

ここを残してくれた人に感謝。
その先は込み入った古い住宅地となっている。
古い家が売り払われ新しい家がどんどん建てられて・・

その先昔の国道1号線に出る。旧道の旧道みたいな。
さらに昔は東海道だったはず。
道幅がやけに広いのは、かつてここを走っていた路面電車の交換設備があったからじゃないだろうか。
ここを電車が走っていたことを知っているの人はもうあんまりいないだろう。
そういう自分だって見たことない。
見てみたかった。
細い路地に入るけれど、古い古いお店の残骸みたいなのが続くのはこの道の何かを教えてくれている気もする。

ナショナル台所セット。
いまならパナソニックシステムキッチンとかですか?
あちがうか、ポットに炊飯器に冷蔵庫・・とかそういうの?
ナショナル台所セットを入れてはりきってた人はいま何歳くらいなんだろう?

ほんのわずかな時間で大きく日が傾くのね。
まだまだ冬の景色じゃない?
夏に来たときはこのベンチで本を読んでるステテコなおじいさんがいた。
今日は散歩のおじいさんが少し腰を下ろしていく。

水って不思議な力を持ってるよね。
この先の公園のベンチには90歳近いんじゃないかという夫婦が肩を寄せて座ってた。
いいね。
あそこまでたどり着ける人がどれだけいるのか。
私もああなれるもんならなりたい。

写ってるかな?湧水が砂を舞い上げるのをボーっと見ていた。
どんどん時間が過ぎ、買い物をして家へ帰るともう夜だった。
仕方がないので最近できたチェーン店で飯を食べ・・・ああそうだあそこいってみよう。

いいでしょう?ここ。
写真に写らないけれど底からは滾々と水が湧き出て砂を躍らせている。
底まで澱んでかびちゃってる心も洗ってくれるかも・・冷たいか。

写真だけ見るとどっか田舎の山の上とかそんな感じに見えなくもないけれど、
実際には周囲を住宅地に囲まれ、あんまり周りを見ちゃうと・・みたいなところ。
もっと言えば生活排水そのものみたいなのが音を立てて脇から流れ込んでいるのが見えたり・・
見るからきたねーと思うんであって、みなきゃいいのか。
でもそうやって生きてきたらこんなになっちゃったけど。

つくしが出てた。
草の中を小さな鳥がガサガサ歩き回ってなんか食ってる。
うまいのそれ?

春って一言でいうけれど色々ですよね。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=312&v=AculPJcCOcI
冬の終わりと新しい予感みたいな。

いいねーつくし。
つくしも出てくるとみんな喜んで可愛がってくれるのに、同じ根でつながったスギナは目の敵ですよね。

ピント全然あってないけど。
昔一瞬上司になった人はよく
「ピントのずれたような話してんなぁ」
と言って私に苛立ちを見せた。
あなたもずれてますよね?なんて言えるわけもなく、言ったとしたら間違いだ。
その前にいた会社と違っていきなり暴力沙汰というのはなかったけれど考え方や人間性についてこの人とは驚くほど縁がないと感じ、また自分で応募しておいて無責任なのではあるけれどここで自分が何かを発揮できる可能性も見えなかったため短期間で辞めてしまった。
その人が残したもう一つの印象的な言葉に
人を嫌いにならないほうがいい
というのがあった。
非常に単純な言葉のようでもうそれに尽きるというような大事な事であるのはわかった。
それを聞いた時点でその人への感情は懐疑的を通り越して嫌悪感でみたされていたし、その後も私は出会った何人かの方を自分で遠ざけることを繰り返してきてしまったけれど。
でもそれだけに、その言葉の意味や重要性がわかる気がする。
分ることとできることはまた別だから。
その後すぐに職を探そうとすると早く決めなければという意識だけが先行してしまいまた失敗すると思ったので、しばらく派遣社員のライン工をやりながら頭を冷やすことにした。
数か月くらいだったか毎日ほんとに無心でねじ締めかなんかを繰り返しているうちに、頭の中が勝手に整理されて当初わからなかった自分の適性や今後についての考えが自然に見えてきた。
今思うとあれは一種の座禅みたいな物だったのではないかと思う。
そして見つけた道筋は今も続いて勤続20年目。

前に来たときは行かなかった上流の方へも行ってみよう。
今はもう大丈夫だろうけど、一時期こういうものの価値を忘れどんどん埋めて宅地化したりしてましたよね。
うちの近所にもこんなのがあったらしい。農協やスーパーがあったあの辺り・・今は駐車場だ。

ここを残してくれた人に感謝。
その先は込み入った古い住宅地となっている。
古い家が売り払われ新しい家がどんどん建てられて・・

その先昔の国道1号線に出る。旧道の旧道みたいな。
さらに昔は東海道だったはず。
道幅がやけに広いのは、かつてここを走っていた路面電車の交換設備があったからじゃないだろうか。
ここを電車が走っていたことを知っているの人はもうあんまりいないだろう。
そういう自分だって見たことない。
見てみたかった。
細い路地に入るけれど、古い古いお店の残骸みたいなのが続くのはこの道の何かを教えてくれている気もする。

ナショナル台所セット。
いまならパナソニックシステムキッチンとかですか?
あちがうか、ポットに炊飯器に冷蔵庫・・とかそういうの?
ナショナル台所セットを入れてはりきってた人はいま何歳くらいなんだろう?

ほんのわずかな時間で大きく日が傾くのね。
まだまだ冬の景色じゃない?
夏に来たときはこのベンチで本を読んでるステテコなおじいさんがいた。
今日は散歩のおじいさんが少し腰を下ろしていく。

水って不思議な力を持ってるよね。
この先の公園のベンチには90歳近いんじゃないかという夫婦が肩を寄せて座ってた。
いいね。
あそこまでたどり着ける人がどれだけいるのか。
私もああなれるもんならなりたい。

写ってるかな?湧水が砂を舞い上げるのをボーっと見ていた。
どんどん時間が過ぎ、買い物をして家へ帰るともう夜だった。