自分は無口でいたいけれど他人の無口は恐怖

知らない街の、全然知らない神社に立ち寄ってみる。
多分とても古い神社。
桜がきれいだった。
付近には土壁の土蔵を持った古い家がたくさん。そのうちの一軒がいまカフェもやっている造り酒屋で素晴らしい水があるからみたいなことを言ってた。その水のおかげでもしかするとこのあたりには造り酒屋が複数あったりするのかな。
プラプラ歩いてみれば面白いかな。

あれは実を採るんじゃなくて眺めて愛でるための樹なのかな。
近くにカフェでもないかと探してみたところ、ザルツベルグカフェというのが見つかったので行ってみた。
スマホが示しているところに店を見つけられず、あれ?なんていっていると通りかかった人が何か探していますか?と聞いてくれた。
カフェがあるみたいなんだけど・・
え?
ここにそんなおしゃれなものはないはずですよ・・・
実際あったんだけど、親切な人に会えて心が癒される。
クラシックを聴いてる人間にとってはザルツブルグといえばモーツァルトだったりするんだけれど・・

こんな店構えで

入ればこんな感じ。
ザルツブルグじゃなくてザルツベルグらしかった。
モーツァルトが好きな親父がやってるコーヒーショップだったりして・・なんて思ったけれど全然見当違いで都会的現代的な感じの店だ。
それより店主がいきなり超絶無口で驚く。
水も出てこなけりゃ注文を言おうにも席まで来てはくれない。
問には返事をせず頷くだけ・・・
悪気があるとかじゃなくてそういう寡黙な店主というコンセプトみたいなもんなのは理解できた。
都会の真ん中にありそうな話だけど、それがこののどかな田舎の駅前にあるところが面白いんだと思う。
BGMはよくあるモダンジャズじゃなく邦楽。と言って流行りのとかじゃなく店主の好きな音楽なんだろう。

ミルクや砂糖は出さないからどうしてもというときは声をかけてくれとのこと。
多分、どんなに苦くても声をかけることはできず我慢して飲むと思う。
クールな店主、いいですね。
HSP基調な人だと何怒らせちやったんだろう?と不安をあおられるくらいの・・

持ってきたものをゴン!という音とともに机に置かれると
あ、やっぱり俺が悪いから怒ってんだなという思考が自動的に走っちゃうのがHSP。
最近いろんな知識が入ってきたり幼少からの流れについて考えてみたりして自分がどんな時にどんな思考をするかの知識的なものが整理されてきた。
今のこれいつもの病気だから・・自分で自分に騙されちゃいけないぞみたいな思考が同時に走ったりもして、それらのうち強いものが勝って自分の気分を作ってゆく。
ここで私に何か不満でもあるんですか?なんて言っちゃえるような人はHSPじゃない気がする。
他人のことは知らないし、この手の用語系な話は言葉に遊ばれがち。認識に差異があったもするので他人との共有も難しいと思う。。
じゃ書くなってのをよく見聞きするけどそれは言ったらおしまいだよね。
この時は別に大丈夫。
ブログネタになるなぁ・・なんて。
https://www.youtube.com/watch?v=7kWsMexg0zg
有名な組曲の終曲ですけどちょっと不思議な感じがいいですね。
別な曲について書こうと思っていたけど思うところがあって差し替え。
むかし夕方にAMで楠田枝里子だったかの番組があってエンディングにこれをシンセサイザーでやったようなのが流れていた。まだクラシックも聴かないしドビュッシーなんか知らなかった頃。
あの頃まだシンセサイザーの音色はちょっと特殊というか特別な世界観を持っていたと思う。それが曲の不思議な感じとうまく融合して。
続きを聴きたいのにいつも同じところで終わってしまう。その続きへの期待が膨らみすぎてしまい、はじめて聞いたとき、へ?みたいな感想となってしまった。
ともかくこのカフェモカは砂糖なしでも十分おいしく飲めた。
多分ここはすごくいいお店。
もし、また来る機会があるならコーヒーを飲んでみたいなぁ。

桜に夕日。
なんかちょっと寂し気。

桃と夕日。
地元にはないスーパーやホームセンターが嫁さんには面白いらしく、
しばし付き合う。

こんな桃の梱包材を売ってんのが面白かった。
ああ山梨に来たんだなぁ・・

柿にぶどうもあるよ。

シャインマスカットも。
ちょうど電気製品売り場のテレビがローカルニュースを流していて、農協の総会みたいなので昨年はシャインマスカットのおかげで果物の出荷量が激増したとか言ってた。
よかったね。
俺まだあれ食ってないよ高いんだもん。

帰り道、山肌に鳥居みたいな・・
かがり火とかじゃなくて電灯かもしれない。
反対側のこちらの山にも何か光っていた。
これなに?
昔はなかったよね?
反対の今私がいる山には多分大文字焼き。
照度がありすぎて回りの畑が明るく照らされてた。
何でもいいや楽しい一日になりました。