1か月から17年とショスタコになろう
この日はある記念日。
ここは久しぶりに来てみた日本平。
久しぶりすぎて来たことがある程度の記憶しかない。
よく山の上にあるようなあるがら空きの駐車場にトイレと芝生の公園があるくらいだろうというつもりできてみればなんか全然違う。誘導員が多数出ている駐車場は満車で臨時駐車場の立て看板が立っていたりイレギュラーな雰囲気だ。
看板から察するにどうも何か新しい施設ができたらしい。
人込み大嫌いなのに行こうと思えるのはきっとこの超絶いい天気と気持ちのいい空気のせいでしょう。
よくわからないまま人の流れるほうへ歩いていくと

あれか・・
しかし気持ちのいいい天気にみんなニコニコだ。
公園でよく見るようなメッキ鋼材を組んだ小さな展望台をイメージしてたら意外に立派な施設で係員もたくさんいた。
構造は鉄骨でもってるんだろうけど見せる系で沢山使われている木材は地元の間伐材とかかな?公共施設、世界遺産、予算、メンテナンス、合理性・・とかいちいち浮かんじゃうのは心が嫌味系になってるからかな?いい感じですよね。好きですよ。

エレベーターもあるようだけどせっかくだから階段を上がる。
2階にはコンサートホールでよく見るような感じのちょっとしたカフェ。
いいかなと思ったけどお茶漬けが1,600円だったので通過。
3階は展望空間というか

そりゃ展望は最高ですよね。
天気もいいし富士山をはじめ三保の松原から箱根から伊豆から何から何まで見えてしょうがない。

すごい人。
いつもならちょっとおかしくなったりするんだけれど、
天気もいいしへらへら笑っていられた。
太陽はすごい。
人の心には太陽が必要だ。

さらに空中回廊みたいなものが延長されて電波塔を一周してる。
夢テラスというそうだ。
いいですね。

静岡方面
夜景がきれいだと思う。
夕景もいいだろうなぁ・・
まだ寒いかなぁ・・
昔来たのはどこだったんだろう?
あの時もう夕暮れで薄暗かった・・ロープウェイの駅を横目に見たような・・
でも夜景を見た覚えもないな。
探してみても見つけらないけれど、思い出に浸りたいわけじゃないから構わないか。

入るとすぐに店のおばさんが貼りついてきて逃げられない昭和な土産物屋。
バスガイドさんがオーラーイとか言って誘導する昭和な観光バス。
全員日本語の昭和な団体観光客。
太陽がさんさんと輝いて気持ちがいい昭和な天気。
反対側の土産物屋兼食堂はちょっと新しめ。
前日食い過ぎたのであんまり食欲もない。
いつもはこういうところには絶対に入らないけど、ちょうどいい軽いもんでも・・
大きく見えた食堂は大半がバスでやってくる団体客にあてがわれて固形燃料燃やす的なのと空いたビール瓶、1号車とか書かれた旗・・一般客は隅のわずかな範囲に押し込まれてた。
軽いカレーとかがあるのかと思ったけどちがって桜エビとか鰻とか観光客一直線な構えたメニューだった。

そういう店に入ったのだから高めの価格も腹は立たない。
桜エビのかき揚げ・・あれ味がない。茶そばのつゆをかけてみるとちょっと行けた気がした。でもなんかこぼしちゃってダメ人間っぽい。
出汁の味が省略された味噌汁には対抗できなかったけどまあいいよ。
ちょっとお時間いただきますと言われて30分以上の待ち時間にも腹は立たない。
どれも腹が立たないのは店員さんのシャキッとした一生懸命さと太陽のつくる驚くべき気持ちのいい世界のおかげでしょう。
みんなすごく待たされてるのにいらだってる人は一人もいなかった。
大事なものってなんなのかを教えてもらう気がした。

関西弁な人が富士山をみてえーなーとか言ってるのを聴くと自分のものじゃないのに自分がうれしくなってくる。
えーやろー。

桜と月。
20世紀を代表する作曲家にショスタコーヴィッチという人がいて私が生まれた時はまだ存命だった。
こんなこと書いてもしょうがないけどクラシック音楽=昔の音楽という考えは間違い。名前がそうなっちゃてるし実質それに近い形となってしまってるんだから仕方ないしほとんどの人間がそう思ってるんだからもう負けか。
彼が生きた強権的共産主義のソ連は芸術家にも国家の意向に沿ったプロパガンダ作品みたいなものを強く求め、添えなければ家族もろともシベリア送りみたいな世界だったようだし実際周囲にそういう人を見ていたはず。
交響曲第12番には「1917年」という副題がついていてロシア革命とレーニン賛美みたいな曲だと思う。共産党大会みたいなので披露する相手は音楽通というわけじゃないことを考慮しているのか非常にわかりやすくとっつきやすい音楽として書かれており聴きやすいので昔何度か聴いた。
記事タイトルが17年なので絡めようかと思ったけれどちょっと無理があるか。この日のあたりで聴いていたのは次の第13番。
https://www.youtube.com/watch?v=k9yaoTbKi-I
この曲も表向きにはその路線に沿っており、歌詞の和訳に配給場の長い列でも静かに待ちますみたいなのをみて萎えたこともあった。
しかしこの作曲家の芸術の本質はそんな表面的なところとは別にあるはずでしょう?みたいなのが今の演奏者や聴き手の共通認識で・・と長々書いてもだれが読むのかというのもあるんだけれど・・
重く悲劇的な内容を持った冒頭楽章の後にくるこの2楽章はいかなる権力もユーモアを支配することはできなかった・・みたいな内容で素直に読める反面、歌詞の通り命がけで国家への批判を堂々とちょっとおちょくりながら形にしているようなきもする。
この異様に明るく勢いづいた音楽にはそんな意味があると思う。
この状況下で自分の自由な発想だけを追求し命がけで作品を作り続けた作曲家がいたとして、その彼は偉大かというと作品も人間も抹殺されて一遍も残らないんだから誉めようもない。
強く自分をもって突き進むのもいいが枠を変えられないのならある枠の中でできることを最大限に生かせた方が勝ちなのかもしれない。
芸術とかそんなんじゃなく普段の貧祖でリアルな生活にもそれは適用できると思う。
今、私が直面しているある問題もそう思って取り組めば違う発想で進めるかもしれない。
よし、来週から俺はショスタコだ。
私は覚えられないのだけどこの日は嫁さんと初めて会った日だという。
ここへの坂を走っていると隣で
ちょうど一か月だね。あってから・・
そういうのを聞いたことを思い出した。
それだけ。
1ヶ月は17年になったらしい。
ありがとう。
よかった。
ここは久しぶりに来てみた日本平。
久しぶりすぎて来たことがある程度の記憶しかない。
よく山の上にあるようなあるがら空きの駐車場にトイレと芝生の公園があるくらいだろうというつもりできてみればなんか全然違う。誘導員が多数出ている駐車場は満車で臨時駐車場の立て看板が立っていたりイレギュラーな雰囲気だ。
看板から察するにどうも何か新しい施設ができたらしい。
人込み大嫌いなのに行こうと思えるのはきっとこの超絶いい天気と気持ちのいい空気のせいでしょう。
よくわからないまま人の流れるほうへ歩いていくと

あれか・・
しかし気持ちのいいい天気にみんなニコニコだ。
公園でよく見るようなメッキ鋼材を組んだ小さな展望台をイメージしてたら意外に立派な施設で係員もたくさんいた。
構造は鉄骨でもってるんだろうけど見せる系で沢山使われている木材は地元の間伐材とかかな?公共施設、世界遺産、予算、メンテナンス、合理性・・とかいちいち浮かんじゃうのは心が嫌味系になってるからかな?いい感じですよね。好きですよ。

エレベーターもあるようだけどせっかくだから階段を上がる。
2階にはコンサートホールでよく見るような感じのちょっとしたカフェ。
いいかなと思ったけどお茶漬けが1,600円だったので通過。
3階は展望空間というか

そりゃ展望は最高ですよね。
天気もいいし富士山をはじめ三保の松原から箱根から伊豆から何から何まで見えてしょうがない。

すごい人。
いつもならちょっとおかしくなったりするんだけれど、
天気もいいしへらへら笑っていられた。
太陽はすごい。
人の心には太陽が必要だ。

さらに空中回廊みたいなものが延長されて電波塔を一周してる。
夢テラスというそうだ。
いいですね。

静岡方面
夜景がきれいだと思う。
夕景もいいだろうなぁ・・
まだ寒いかなぁ・・
昔来たのはどこだったんだろう?
あの時もう夕暮れで薄暗かった・・ロープウェイの駅を横目に見たような・・
でも夜景を見た覚えもないな。
探してみても見つけらないけれど、思い出に浸りたいわけじゃないから構わないか。

入るとすぐに店のおばさんが貼りついてきて逃げられない昭和な土産物屋。
バスガイドさんがオーラーイとか言って誘導する昭和な観光バス。
全員日本語の昭和な団体観光客。
太陽がさんさんと輝いて気持ちがいい昭和な天気。
反対側の土産物屋兼食堂はちょっと新しめ。
前日食い過ぎたのであんまり食欲もない。
いつもはこういうところには絶対に入らないけど、ちょうどいい軽いもんでも・・
大きく見えた食堂は大半がバスでやってくる団体客にあてがわれて固形燃料燃やす的なのと空いたビール瓶、1号車とか書かれた旗・・一般客は隅のわずかな範囲に押し込まれてた。
軽いカレーとかがあるのかと思ったけどちがって桜エビとか鰻とか観光客一直線な構えたメニューだった。

そういう店に入ったのだから高めの価格も腹は立たない。
桜エビのかき揚げ・・あれ味がない。茶そばのつゆをかけてみるとちょっと行けた気がした。でもなんかこぼしちゃってダメ人間っぽい。
出汁の味が省略された味噌汁には対抗できなかったけどまあいいよ。
ちょっとお時間いただきますと言われて30分以上の待ち時間にも腹は立たない。
どれも腹が立たないのは店員さんのシャキッとした一生懸命さと太陽のつくる驚くべき気持ちのいい世界のおかげでしょう。
みんなすごく待たされてるのにいらだってる人は一人もいなかった。
大事なものってなんなのかを教えてもらう気がした。

関西弁な人が富士山をみてえーなーとか言ってるのを聴くと自分のものじゃないのに自分がうれしくなってくる。
えーやろー。

桜と月。
20世紀を代表する作曲家にショスタコーヴィッチという人がいて私が生まれた時はまだ存命だった。
こんなこと書いてもしょうがないけどクラシック音楽=昔の音楽という考えは間違い。名前がそうなっちゃてるし実質それに近い形となってしまってるんだから仕方ないしほとんどの人間がそう思ってるんだからもう負けか。
彼が生きた強権的共産主義のソ連は芸術家にも国家の意向に沿ったプロパガンダ作品みたいなものを強く求め、添えなければ家族もろともシベリア送りみたいな世界だったようだし実際周囲にそういう人を見ていたはず。
交響曲第12番には「1917年」という副題がついていてロシア革命とレーニン賛美みたいな曲だと思う。共産党大会みたいなので披露する相手は音楽通というわけじゃないことを考慮しているのか非常にわかりやすくとっつきやすい音楽として書かれており聴きやすいので昔何度か聴いた。
記事タイトルが17年なので絡めようかと思ったけれどちょっと無理があるか。この日のあたりで聴いていたのは次の第13番。
https://www.youtube.com/watch?v=k9yaoTbKi-I
この曲も表向きにはその路線に沿っており、歌詞の和訳に配給場の長い列でも静かに待ちますみたいなのをみて萎えたこともあった。
しかしこの作曲家の芸術の本質はそんな表面的なところとは別にあるはずでしょう?みたいなのが今の演奏者や聴き手の共通認識で・・と長々書いてもだれが読むのかというのもあるんだけれど・・
重く悲劇的な内容を持った冒頭楽章の後にくるこの2楽章はいかなる権力もユーモアを支配することはできなかった・・みたいな内容で素直に読める反面、歌詞の通り命がけで国家への批判を堂々とちょっとおちょくりながら形にしているようなきもする。
この異様に明るく勢いづいた音楽にはそんな意味があると思う。
この状況下で自分の自由な発想だけを追求し命がけで作品を作り続けた作曲家がいたとして、その彼は偉大かというと作品も人間も抹殺されて一遍も残らないんだから誉めようもない。
強く自分をもって突き進むのもいいが枠を変えられないのならある枠の中でできることを最大限に生かせた方が勝ちなのかもしれない。
芸術とかそんなんじゃなく普段の貧祖でリアルな生活にもそれは適用できると思う。
今、私が直面しているある問題もそう思って取り組めば違う発想で進めるかもしれない。
よし、来週から俺はショスタコだ。
私は覚えられないのだけどこの日は嫁さんと初めて会った日だという。
ここへの坂を走っていると隣で
ちょうど一か月だね。あってから・・
そういうのを聞いたことを思い出した。
それだけ。
1ヶ月は17年になったらしい。
ありがとう。
よかった。