言葉のある世界。
有休がとれたので日帰りで遠くへ出かけた。
ほんとはちょっと違うけどそんなとこ説明したってしょうがないですもんね。
最近の新幹線は窓下の壁にコンセントがついていることが多くみんなアダプタ刺してなんかやってる。
私のスマホはメールもSNSも電話も何にも来ないので買った当初は何日も充電しなくてもちゃんと動いていたし動いている必要も別になかった。
状況は今も変わらないけれどブログをやるようになってからこれで写真をたくさん撮ったり、ブログを見たりするようになったので電池がすごい速さで減るようにはなった。

乗り換えた私鉄の特急にもコンセントがあるのを見て多少驚く。
目の前にあって使いやすいうえに通路側の席にもあるという点で新幹線を超えてる気がする。
いずれマイクロ波かなんかで非接触の充電サービスも当たり前になるんだろうけど関係ない腕時計が共振、過熱して大やけどとかそういうのの保護が難しそうですよね。

一度も来たことのない路線で見たことのない景色を眺めるともうそれだけで気分が洗われていくような気がする。
いくつかのストレスが漏水みたいにちょろちょろ流れてたまっていたのと、来週以降嫌なことの本陣へ突入していくために自分を立て直す必要もあった。
なんでもいいからどっか行きたかったし、次に行くならあの辺りときまっていた。

分岐してゆく本線。分岐というかクロスしてるんだよね・・
マニアだとこの一文と写真だけでどこのどの駅かわかるんでしょう?
人がたくさんいるであろうあっちへ今はいけないなと思った。

夏の雲。
いいねえ・・
この時、スマホを見ていると自分のブログへいろんな人がコメントを寄せてくださっていた。
ちょっと心がかすれてるところだったので大変ありがたく、泣きはしないけど泣きそうと言いたいくらいうれしかった。
ありがとう。

遠くの、全然知らない街の何でもない路地を歩く。たのしいのう・・
知らないところへ行くと昼めし食いそびれることがよくあるので調べてあったつけ麺屋はまだ開店前。
そっかじゃあそこいこう。
古い私鉄の終着駅が寺院や神社のそばだというのは結構あって鉄道黎明期には参拝客を見込んでというのが投資の理由になったんでしょうね。
前回来たとき駅名から近くにでかい神社があるのかくらいに思っていたけれど、平成の終わりにニュースで天皇陛下が・・というのを見てその何たるかを知る。
すぐにぶつかる森の中へ入っていくと

並の神社じゃありません的な光景。
きちんと一礼してから鳥居をくぐって出てくる人を見て自分もなんかちゃんとしなくちゃとか思ってみたり。

でっかくてなんだか厳粛な感じの場には人がほとんどいないので自分もそれなりの気持ちで参拝してきた。

団体みたいなのが来ると一気に場が緩むのね。
でっかいカメラで写真撮って、携帯で大声ではなして・・
でも、それでいいんでしょうね。
自分がそういうの出来ないからひがんでんのか。
神武天皇なんて言われても特にピンとこない。
交響曲で言うと第1番か、4曲しかないブラームスの1番じゃないな・・ハイドンなら100曲以上あるんだから・・とかくだらないことを考えて歩いてた。

隣の池はいい感じ。
飽きるまでゆっくり眺めていたいけれど、次があるんだから・・他も行かなくちゃ・・と謎の焦りが・・
こういうのも人格形成期から積み重ねてきた歪みでしょうね。
件のつけ麺屋につくと既に満席で外で待ち客がいるような状況だった。
病的な時間がもったいない焦りによって待つと言うのは自動的に却下。もう一軒評判のいい定食屋があるみたいだけどちょっと遠くこちらも・・もういいやとたまたま目の前あったチェーン店にはいる。
入ると丁寧な感じで奥の席を進められ、よくわからないけど適当に注文する。
狭い店内だけど忙しく動きまわり電話の対応もというおばちゃんはいい感じ。

でてきたこれは、素朴でおいしかった。
後ろでごちゃごちゃ言うのが聞こえ・・細かいところは忘れちゃったけど私にとってはテレビの中にあるものだと思っている関西弁で、
すみません相席させてもらってもよろしいですか?
あーいいですよなんて言いながら食ってるとしばらくして、
すいません、年配の方男女二人なんですけどぉ・・
えーいいですよ。
やけに丁寧だなぁ・・いいひとなのかもなぁ。
地元の人なのか年配の夫婦が目の前に座る・・ご主人というかお爺ちゃんはすごい笑顔で
すんまへんねぇ‥
そんなに丁寧にしてくれなくていいのに、こっちまで笑顔になっちゃうよ。
しばらくするとブスッとしていた奥さんがどっかを指さして小声でなんか言う。
するとおじいちゃんは立ち上がってすごく申し訳なさそうな笑顔で、
・・すんまへんあっちが良いていうもんで・・
ほんとにもうしわけない・・せっかく一人で食うてはるのに・・
いいえぇ。
ちょっと困ったニュアンスのまだ片付け澄んでないもんでという声が聞こえると
申し訳なさそうな笑顔が見えるようないえいえすんまへんというお爺ちゃんの声が・・
お爺ちゃんいい人なんだろうなぁ・・
そうやっていろんな人の間に立ってことをうまく収めてきたのかなぁ。
こんどはお店のおばちゃんが登場してものすごく丁寧に
すみませんねぇ・・・せっかくいいていってくれはったのにぃ・・
あー、
なんでみんなそんなに優しいの?
こんなこと何でもないことなんだろうけど、前日人の嫌なところにうんざりして腐ってたところだから・・
ラーメン屋で泣きそうになる。
これも1500年の歴史からくる奈良パワーなのか?
神武天皇の力なのか?
人というのは嫌なものなわけではないのだとまた教わる。
https://www.youtube.com/watch?v=Ext8ifHxzg8
作曲の初期段階でこの壮大な楽章には「愛が私に語ること」という表題がついていた。
外してしまったのは下手に言葉があるとみんなそこにとらわれ限定された聴き方をしてしまうことがくだらないから・・くだらないとか言っちゃいけませんよね・・と言うのもあるんじゃないかと思う。
音楽というのは言葉とは違う、言葉では伝わらないものを伝え感じる世界だと思う。
まいいかそんなこと。
いつものように誰とも話さず、自分の中の妄想自分と会話しながら旅をしていたけれど、ブログのコメントとラーメン屋のおじいさん、おばさんに言葉のすごさを教えられる。

ありがとう。
ほんとはちょっと違うけどそんなとこ説明したってしょうがないですもんね。
最近の新幹線は窓下の壁にコンセントがついていることが多くみんなアダプタ刺してなんかやってる。
私のスマホはメールもSNSも電話も何にも来ないので買った当初は何日も充電しなくてもちゃんと動いていたし動いている必要も別になかった。
状況は今も変わらないけれどブログをやるようになってからこれで写真をたくさん撮ったり、ブログを見たりするようになったので電池がすごい速さで減るようにはなった。

乗り換えた私鉄の特急にもコンセントがあるのを見て多少驚く。
目の前にあって使いやすいうえに通路側の席にもあるという点で新幹線を超えてる気がする。
いずれマイクロ波かなんかで非接触の充電サービスも当たり前になるんだろうけど関係ない腕時計が共振、過熱して大やけどとかそういうのの保護が難しそうですよね。

一度も来たことのない路線で見たことのない景色を眺めるともうそれだけで気分が洗われていくような気がする。
いくつかのストレスが漏水みたいにちょろちょろ流れてたまっていたのと、来週以降嫌なことの本陣へ突入していくために自分を立て直す必要もあった。
なんでもいいからどっか行きたかったし、次に行くならあの辺りときまっていた。

分岐してゆく本線。分岐というかクロスしてるんだよね・・
マニアだとこの一文と写真だけでどこのどの駅かわかるんでしょう?
人がたくさんいるであろうあっちへ今はいけないなと思った。

夏の雲。
いいねえ・・
この時、スマホを見ていると自分のブログへいろんな人がコメントを寄せてくださっていた。
ちょっと心がかすれてるところだったので大変ありがたく、泣きはしないけど泣きそうと言いたいくらいうれしかった。
ありがとう。

遠くの、全然知らない街の何でもない路地を歩く。たのしいのう・・
知らないところへ行くと昼めし食いそびれることがよくあるので調べてあったつけ麺屋はまだ開店前。
そっかじゃあそこいこう。
古い私鉄の終着駅が寺院や神社のそばだというのは結構あって鉄道黎明期には参拝客を見込んでというのが投資の理由になったんでしょうね。
前回来たとき駅名から近くにでかい神社があるのかくらいに思っていたけれど、平成の終わりにニュースで天皇陛下が・・というのを見てその何たるかを知る。
すぐにぶつかる森の中へ入っていくと

並の神社じゃありません的な光景。
きちんと一礼してから鳥居をくぐって出てくる人を見て自分もなんかちゃんとしなくちゃとか思ってみたり。

でっかくてなんだか厳粛な感じの場には人がほとんどいないので自分もそれなりの気持ちで参拝してきた。

団体みたいなのが来ると一気に場が緩むのね。
でっかいカメラで写真撮って、携帯で大声ではなして・・
でも、それでいいんでしょうね。
自分がそういうの出来ないからひがんでんのか。
神武天皇なんて言われても特にピンとこない。
交響曲で言うと第1番か、4曲しかないブラームスの1番じゃないな・・ハイドンなら100曲以上あるんだから・・とかくだらないことを考えて歩いてた。

隣の池はいい感じ。
飽きるまでゆっくり眺めていたいけれど、次があるんだから・・他も行かなくちゃ・・と謎の焦りが・・
こういうのも人格形成期から積み重ねてきた歪みでしょうね。
件のつけ麺屋につくと既に満席で外で待ち客がいるような状況だった。
病的な時間がもったいない焦りによって待つと言うのは自動的に却下。もう一軒評判のいい定食屋があるみたいだけどちょっと遠くこちらも・・もういいやとたまたま目の前あったチェーン店にはいる。
入ると丁寧な感じで奥の席を進められ、よくわからないけど適当に注文する。
狭い店内だけど忙しく動きまわり電話の対応もというおばちゃんはいい感じ。

でてきたこれは、素朴でおいしかった。
後ろでごちゃごちゃ言うのが聞こえ・・細かいところは忘れちゃったけど私にとってはテレビの中にあるものだと思っている関西弁で、
すみません相席させてもらってもよろしいですか?
あーいいですよなんて言いながら食ってるとしばらくして、
すいません、年配の方男女二人なんですけどぉ・・
えーいいですよ。
やけに丁寧だなぁ・・いいひとなのかもなぁ。
地元の人なのか年配の夫婦が目の前に座る・・ご主人というかお爺ちゃんはすごい笑顔で
すんまへんねぇ‥
そんなに丁寧にしてくれなくていいのに、こっちまで笑顔になっちゃうよ。
しばらくするとブスッとしていた奥さんがどっかを指さして小声でなんか言う。
するとおじいちゃんは立ち上がってすごく申し訳なさそうな笑顔で、
・・すんまへんあっちが良いていうもんで・・
ほんとにもうしわけない・・せっかく一人で食うてはるのに・・
いいえぇ。
ちょっと困ったニュアンスのまだ片付け澄んでないもんでという声が聞こえると
申し訳なさそうな笑顔が見えるようないえいえすんまへんというお爺ちゃんの声が・・
お爺ちゃんいい人なんだろうなぁ・・
そうやっていろんな人の間に立ってことをうまく収めてきたのかなぁ。
こんどはお店のおばちゃんが登場してものすごく丁寧に
すみませんねぇ・・・せっかくいいていってくれはったのにぃ・・
あー、
なんでみんなそんなに優しいの?
こんなこと何でもないことなんだろうけど、前日人の嫌なところにうんざりして腐ってたところだから・・
ラーメン屋で泣きそうになる。
これも1500年の歴史からくる奈良パワーなのか?
神武天皇の力なのか?
人というのは嫌なものなわけではないのだとまた教わる。
https://www.youtube.com/watch?v=Ext8ifHxzg8
作曲の初期段階でこの壮大な楽章には「愛が私に語ること」という表題がついていた。
外してしまったのは下手に言葉があるとみんなそこにとらわれ限定された聴き方をしてしまうことがくだらないから・・くだらないとか言っちゃいけませんよね・・と言うのもあるんじゃないかと思う。
音楽というのは言葉とは違う、言葉では伝わらないものを伝え感じる世界だと思う。
まいいかそんなこと。
いつものように誰とも話さず、自分の中の妄想自分と会話しながら旅をしていたけれど、ブログのコメントとラーメン屋のおじいさん、おばさんに言葉のすごさを教えられる。

ありがとう。