トンネルと命
家のすぐ隣から勾配が始まって遠くに見えるでっかい山へつながってゆく。
その向こうには湖があるのだけれど、遠すぎてリアリティもない。

ここはその山の中腹、
湖から大量の水が流れてくる長い隧道が掘られたのは江戸時代、1670年。
まだバッハも生まれていない。
立派なトンネルポータルみたいなのが整備されたのは大正時代くらいか、

水を発電用に利用することになった時だと思う。
なんか綺麗。
江戸時代、水不足にあえぐ村は山の向こうに満々と称えられる湖の水を引くことを考えた。
あの頃、江戸の守りを兼ねる国境にトンネルを掘るというのは反逆行為みたいな要素があったかもしれない。
そこを実現させたというかやろうとしたところもすごいし、
両側から掘り始められたトンネルを山中でほとんど狂いなく貫通させた高度な測量技術も驚異的に素晴らしかったりするんだと思う。
この巨大プロジェクトを成功に導いた名主と・・役人もだったか・・はその後消息を絶ったかなんかで、おそらく処刑されたのだろうということになっていたと思う。
そういう人が生きていればヒーロー的存在になってしまたっりして支配者にとって都合が悪いんでしょうか。
当人たちにはきっとそのことが予測できていたんだろう。それでも多くの人間とその子孫の命を守ろうとして・・
今、生きづらい世の中とか言ってて確かにそうなんだろうけど、
昔はそもそも生きられるかどうかもわからないし、
生きても地獄みたいだし・・
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=1VA7OLh-2ZA
酒飲みながら豪快に何度も
生は暗く死もまた暗い・・
飲めない俺は歌でも歌おうか
歌も歌えないから笛でも吹こうか。
笛もならねーな。
避けられない死というものに強く魅かれ続けた作者は、いつもそうしてきたように出来上がったこの曲を自分で初演することはできないまま亡くなってしまった。
特にこの楽章で感じるけれどこの曲のスコアはそのままやると歌手をオケがかき消してしまう感じがあると思う。
もちろん作者はそこについてかなり配慮をした設計をしているんだと思う。当時最高レベルの歌劇場の現場に毎日いた人だから、超絶パワフルな歌手の技量を前提に書いたりしたんでしょうか。
聴いていて、あオケ抑え気味でやってるなぁなんて感じちゃったら興ざめ・・とかこういうのも音楽を聴く楽しみの一つだと思う。
試演ができていればもっとスコアに手を入れていたのかもしれません。
こういうのは理想的なバランスで聴こえるように配慮調整された録音ばかり聴いていると知らないままだ。
別に知る必要もないのかもしれないけれど、これを聴いたときも音楽は現場にも行きまくるべきだと思った・・・思ったきり行けてないのだけれど・・
くだらないこだわりで自分の行動を縛ったりするのは、自分で自分の人生を絞め殺しているようなものだと思う。
しかしまた、そんなきれいごとにすぐ乗れるんならとっくにそうし・・

水で満たされたトンネルは何だか暗くちょっと怖いイメージ。
見てると時折何かが流れてくる。
白い・・・花びらかな?
湖のほとりに花でもあるんだろうか?
明るい世界へお帰りなさい。
暗いトンネルでも、また明るい光の下に出てこられるのならいいですよね。
このすぐ下には発電所の導水管への取水口があるはず。
昔仕事で柵の内側というか一歩間違えば導水管の中に落ちていくというところへ入ったことがある。
足元は滑り落とそうとしているかのような泥、暗い闇への入り口がすぐそこに口を開けていた光景を今でも覚えている。
今、小さな光を感じるから生きていられると思う。
今度トンネルに入ったら、もう出てこれないような気がする。
そんな暗闇の穴は意外にすぐそこにあるとも思う。

峠まで登り、稜線を走る観光道路に乗ってみる・・・
暑さでか空気が湿気ちゃて消しくは曇りがち。
遠くから来た人は残念でしょう。
子供を含む人間であふれ・・かと思ったけれど意外にも人はあんまりいなかった。

もうちょっと行くとドライブインみたいなのがあり・・
どうでもいいけれど後ろの街灯の明かりはふもとにある私の家周辺から見える。
全然手の届かない高い山の上にある光をまじかにみるのは
何度見ても不思議な気分になる。
来ちゃいけないところに来ちゃったかのような・・・

振り返れば芦ノ湖。
あの水がトンネルをながれ、幼いころ毎日眺めた川にも流れてゆく。
湖には観光船。
みんなソフトクリーム食ったりして、場は和やかだ。
平和って大事ですよね。
その向こうには湖があるのだけれど、遠すぎてリアリティもない。

ここはその山の中腹、
湖から大量の水が流れてくる長い隧道が掘られたのは江戸時代、1670年。
まだバッハも生まれていない。
立派なトンネルポータルみたいなのが整備されたのは大正時代くらいか、

水を発電用に利用することになった時だと思う。
なんか綺麗。
江戸時代、水不足にあえぐ村は山の向こうに満々と称えられる湖の水を引くことを考えた。
あの頃、江戸の守りを兼ねる国境にトンネルを掘るというのは反逆行為みたいな要素があったかもしれない。
そこを実現させたというかやろうとしたところもすごいし、
両側から掘り始められたトンネルを山中でほとんど狂いなく貫通させた高度な測量技術も驚異的に素晴らしかったりするんだと思う。
この巨大プロジェクトを成功に導いた名主と・・役人もだったか・・はその後消息を絶ったかなんかで、おそらく処刑されたのだろうということになっていたと思う。
そういう人が生きていればヒーロー的存在になってしまたっりして支配者にとって都合が悪いんでしょうか。
当人たちにはきっとそのことが予測できていたんだろう。それでも多くの人間とその子孫の命を守ろうとして・・
今、生きづらい世の中とか言ってて確かにそうなんだろうけど、
昔はそもそも生きられるかどうかもわからないし、
生きても地獄みたいだし・・
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=1VA7OLh-2ZA
酒飲みながら豪快に何度も
生は暗く死もまた暗い・・
飲めない俺は歌でも歌おうか
歌も歌えないから笛でも吹こうか。
笛もならねーな。
避けられない死というものに強く魅かれ続けた作者は、いつもそうしてきたように出来上がったこの曲を自分で初演することはできないまま亡くなってしまった。
特にこの楽章で感じるけれどこの曲のスコアはそのままやると歌手をオケがかき消してしまう感じがあると思う。
もちろん作者はそこについてかなり配慮をした設計をしているんだと思う。当時最高レベルの歌劇場の現場に毎日いた人だから、超絶パワフルな歌手の技量を前提に書いたりしたんでしょうか。
聴いていて、あオケ抑え気味でやってるなぁなんて感じちゃったら興ざめ・・とかこういうのも音楽を聴く楽しみの一つだと思う。
試演ができていればもっとスコアに手を入れていたのかもしれません。
こういうのは理想的なバランスで聴こえるように配慮調整された録音ばかり聴いていると知らないままだ。
別に知る必要もないのかもしれないけれど、これを聴いたときも音楽は現場にも行きまくるべきだと思った・・・思ったきり行けてないのだけれど・・
くだらないこだわりで自分の行動を縛ったりするのは、自分で自分の人生を絞め殺しているようなものだと思う。
しかしまた、そんなきれいごとにすぐ乗れるんならとっくにそうし・・

水で満たされたトンネルは何だか暗くちょっと怖いイメージ。
見てると時折何かが流れてくる。
白い・・・花びらかな?
湖のほとりに花でもあるんだろうか?
明るい世界へお帰りなさい。
暗いトンネルでも、また明るい光の下に出てこられるのならいいですよね。
このすぐ下には発電所の導水管への取水口があるはず。
昔仕事で柵の内側というか一歩間違えば導水管の中に落ちていくというところへ入ったことがある。
足元は滑り落とそうとしているかのような泥、暗い闇への入り口がすぐそこに口を開けていた光景を今でも覚えている。
今、小さな光を感じるから生きていられると思う。
今度トンネルに入ったら、もう出てこれないような気がする。
そんな暗闇の穴は意外にすぐそこにあるとも思う。

峠まで登り、稜線を走る観光道路に乗ってみる・・・
暑さでか空気が湿気ちゃて消しくは曇りがち。
遠くから来た人は残念でしょう。
子供を含む人間であふれ・・かと思ったけれど意外にも人はあんまりいなかった。

もうちょっと行くとドライブインみたいなのがあり・・
どうでもいいけれど後ろの街灯の明かりはふもとにある私の家周辺から見える。
全然手の届かない高い山の上にある光をまじかにみるのは
何度見ても不思議な気分になる。
来ちゃいけないところに来ちゃったかのような・・・

振り返れば芦ノ湖。
あの水がトンネルをながれ、幼いころ毎日眺めた川にも流れてゆく。
湖には観光船。
みんなソフトクリーム食ったりして、場は和やかだ。
平和って大事ですよね。