間違えたかと思ったけどスペインだった
ちょっと遠出した先で行こうと思った店に嫁さんは行きたくないらしいことが判明。
なんだとかいって他を探すとスペイン料理の店があったので行ってみる。
カーナビがここだというそこは古いラブホテルみたいでうろたえる。
また場所がいかにもそういうのがありそうなところで・・
あれ?これちがう?つぶれたホテルを改装してレストランにしたのかな?・・とか訳の分からないことを考えながら入っていくと

こんな入り口がありフラメンコギターみたいな音楽が流れてる。
ああお店か。
普通じゃない何かを狙った意匠を持った建物なのはわかるけれど外壁のくたびれた印象が結構強烈だ。
嫁さんが、
ここ高いんじゃないの?
「ランチ」みたいな表示はどこにも見当たらず確かにそれなりの覚悟がいりそうだ。
だけど身ぐるみはがされるとかそういうんじゃないだろうたまにはいいか・・
入るとすぐに人が出てきて席に案内してくれた。
昨日一昨日じゃないですよ的な空間。

海の見える席。
ああいいじゃない。

店員さんは丁寧だけどちょっと怖いなんて言ったらいけないか。
ランチメニューが出てきた・・・けど私の想定の倍額。
まあいいよ、ちゃんとしたパエリアを一度食ってみたかったんだよ。
店員さん、質問への答えがまたぶっきらぼうすぎてやっぱり怖い。

マッシュルームのスープと前菜・・説明してくれたけれど覚えられなかった。
スペインネギにイベリコ豚にニンジンにムール貝・・ムール貝おいしかった。

次に出てきたこのエビのアヒージョだっけ?はすごく美味しかったよ。
なんというかえびせんが高尚化したような超絶エビの香りソース。
パンにつけながら・・
この辺で結構嬉しくなってきた。
高いけど良かったじゃんか来てみて・・

振り向くと後ろに一組いたお客さんはいなくなってた。
なんか長髪で芸人みたいなおっさんとなんか忘れちゃたけど目立つような女性がいたと思う。
パエリアは炊き上がるのに時間がかかるから、いろんな料理を取って飲みながら楽しくしゃべって・・なんだそうだ。
飲めないからこんなランチがちょうどいいな。
そしてついにお楽しみのパエリアが登場。

お店の人が鍋に匙を入れてふちの方をはがしてくれる。
これもその存在を知ってから30年近く、初めて食ったよパエリア。
全然予想していなかったけどこれもあれですね、おこげを楽しむ的料理なんですね。
そして出汁がしみ込んでうまい。
レモンを絞るとまたうまい。

台風が近づいていて天気は下り坂。
もう外はこんな感じに。
BGMはずっとスペインのフラメンコギターとおっさんが熱唱するビールの宣伝のあれみたいな音楽が流れてた。
スペインの音楽もかなり強烈な個性を持っていますよね。
ラヴェルやドビュッシー、リムスキーコルサコフ、ラロなど、スペインな音楽を書いた作曲家は多い。
ファリャ、アルベニス・・スペインの作曲家がいかにもスペインなのは当たり前か・・
そういうのをちょっと聞いてみたけどなんか今はしっくりこなかった。
変態的根暗にあの情熱的な音楽はマッチングしないのか・・
そして、CDを買ったけれどほとんど聴いていなかったスペインの作曲家
フェデリコ・モンポウという人がいる。
聴いてみると
https://www.youtube.com/watch?v=cteXBm9ywJU
あの唐辛子とニンニクとトマトに火が入ったような情熱的な音楽とは全然違うことに驚いた。
調べると、あまりに内向的過ぎてピアニストになれず作曲家に・・
スペイン人がみんな情熱的なわけじゃないのね。
当たり前か。
昔新潟出身の人と話していたら
雪国の人間がみんなスキーがうまいというのは大きなまちがいです
とか言いだしたことがあった。
若干切れ気味なニュアンスからいろいろあったんだろうなと思った。
私はいろいろコンプレックスだらけだから過剰なのかもしれないけれど、
普通こうでしょ?は時に卑劣な暴力となることがあると思う。
思うけれど、それが世の中であるんだろうし仕方がないとも思う。
今目の前にある状況に対してどううまくやるれかということしかないと思う。
うまくやれてもないけれど。
この人の自演、何度か聞いてると熱いものが流れてるような気がしてきた・・

名前忘れちゃったこのデザートは
今まで食ったことのないような味がしておいしかった。

最初にできたのは冷たいおしぼりに代わってデザートと一緒に暖かいおしぼり。
嫁さんと二人でそんなのに感嘆する。
アイスティーもおいしかった。
帰り際、間違えたのかと思った入り口をよく見てみると

マンションなのか・・
ベランダの開口部が不均等なのはガウディみたいなのを狙ってるんでしょう?
きっとできたころはかなり前衛的な感じだったんだろう。
また、何か特別な日には来てみようかな。
なんだとかいって他を探すとスペイン料理の店があったので行ってみる。
カーナビがここだというそこは古いラブホテルみたいでうろたえる。
また場所がいかにもそういうのがありそうなところで・・
あれ?これちがう?つぶれたホテルを改装してレストランにしたのかな?・・とか訳の分からないことを考えながら入っていくと

こんな入り口がありフラメンコギターみたいな音楽が流れてる。
ああお店か。
普通じゃない何かを狙った意匠を持った建物なのはわかるけれど外壁のくたびれた印象が結構強烈だ。
嫁さんが、
ここ高いんじゃないの?
「ランチ」みたいな表示はどこにも見当たらず確かにそれなりの覚悟がいりそうだ。
だけど身ぐるみはがされるとかそういうんじゃないだろうたまにはいいか・・
入るとすぐに人が出てきて席に案内してくれた。
昨日一昨日じゃないですよ的な空間。

海の見える席。
ああいいじゃない。

店員さんは丁寧だけどちょっと怖いなんて言ったらいけないか。
ランチメニューが出てきた・・・けど私の想定の倍額。
まあいいよ、ちゃんとしたパエリアを一度食ってみたかったんだよ。
店員さん、質問への答えがまたぶっきらぼうすぎてやっぱり怖い。

マッシュルームのスープと前菜・・説明してくれたけれど覚えられなかった。
スペインネギにイベリコ豚にニンジンにムール貝・・ムール貝おいしかった。

次に出てきたこのエビのアヒージョだっけ?はすごく美味しかったよ。
なんというかえびせんが高尚化したような超絶エビの香りソース。
パンにつけながら・・
この辺で結構嬉しくなってきた。
高いけど良かったじゃんか来てみて・・

振り向くと後ろに一組いたお客さんはいなくなってた。
なんか長髪で芸人みたいなおっさんとなんか忘れちゃたけど目立つような女性がいたと思う。
パエリアは炊き上がるのに時間がかかるから、いろんな料理を取って飲みながら楽しくしゃべって・・なんだそうだ。
飲めないからこんなランチがちょうどいいな。
そしてついにお楽しみのパエリアが登場。

お店の人が鍋に匙を入れてふちの方をはがしてくれる。
これもその存在を知ってから30年近く、初めて食ったよパエリア。
全然予想していなかったけどこれもあれですね、おこげを楽しむ的料理なんですね。
そして出汁がしみ込んでうまい。
レモンを絞るとまたうまい。

台風が近づいていて天気は下り坂。
もう外はこんな感じに。
BGMはずっとスペインのフラメンコギターとおっさんが熱唱するビールの宣伝のあれみたいな音楽が流れてた。
スペインの音楽もかなり強烈な個性を持っていますよね。
ラヴェルやドビュッシー、リムスキーコルサコフ、ラロなど、スペインな音楽を書いた作曲家は多い。
ファリャ、アルベニス・・スペインの作曲家がいかにもスペインなのは当たり前か・・
そういうのをちょっと聞いてみたけどなんか今はしっくりこなかった。
変態的根暗にあの情熱的な音楽はマッチングしないのか・・
そして、CDを買ったけれどほとんど聴いていなかったスペインの作曲家
フェデリコ・モンポウという人がいる。
聴いてみると
https://www.youtube.com/watch?v=cteXBm9ywJU
あの唐辛子とニンニクとトマトに火が入ったような情熱的な音楽とは全然違うことに驚いた。
調べると、あまりに内向的過ぎてピアニストになれず作曲家に・・
スペイン人がみんな情熱的なわけじゃないのね。
当たり前か。
昔新潟出身の人と話していたら
雪国の人間がみんなスキーがうまいというのは大きなまちがいです
とか言いだしたことがあった。
若干切れ気味なニュアンスからいろいろあったんだろうなと思った。
私はいろいろコンプレックスだらけだから過剰なのかもしれないけれど、
普通こうでしょ?は時に卑劣な暴力となることがあると思う。
思うけれど、それが世の中であるんだろうし仕方がないとも思う。
今目の前にある状況に対してどううまくやるれかということしかないと思う。
うまくやれてもないけれど。
この人の自演、何度か聞いてると熱いものが流れてるような気がしてきた・・

名前忘れちゃったこのデザートは
今まで食ったことのないような味がしておいしかった。

最初にできたのは冷たいおしぼりに代わってデザートと一緒に暖かいおしぼり。
嫁さんと二人でそんなのに感嘆する。
アイスティーもおいしかった。
帰り際、間違えたのかと思った入り口をよく見てみると

マンションなのか・・
ベランダの開口部が不均等なのはガウディみたいなのを狙ってるんでしょう?
きっとできたころはかなり前衛的な感じだったんだろう。
また、何か特別な日には来てみようかな。
頭のおかしい人とスガキヤ、メンチャイ

夏の間自転車通勤は控えていた。もうそろそろと思いつつまだ車。
会社へ着いて車をとめると上には桜の木。もう冬に向けて葉を落とし始めてる。
毎年思うけれど桜が一生懸命営業するのは一年の半分くらいであとはじっと寝てるようにも見える。
セミリタイヤみたい・・あれはまたちがうのか。
ブログのランキングみたいなのを見たら上位は小さく暮らすとセミリタイヤだらけだった。
いい悪いは別としてこの国の今を象徴している気がする。
今ならフードコート、昔はデパートの最上階とかにあったスガキヤが大量閉店というニュースが流れた。
昔いった店は入っていたデパートごと無くなってしまったけれど、行ける範囲にある他の店は閉店リストに入っていないようだ。
でもなんとなく行ってみた。
スガキヤといえばかつおだしの利いた豚骨スープのラーメンと
スプーンとフォークが融合した物体・・

昔はこんなこじゃれたデザインじゃなかったと思う。
何でも昔が良かったと言い張るのはもう終わった老人ぽいけど
これなんかしっくりこないなぁ・・
お店に近づいただけであ、あの香り・・みたいなこのスープのは昔のままでおいしい。
320円くらいで幸せを呼んでくるこの味が変わったらもう行かないと思う。
このスプーンじゃセットのカレーが食えないと思って小さいのをもらいに行ったら

ちっちゃいのもこの形状・・
なんか、ちょっと食いにくい。
カレーの味が昔のボンカレーそのものなのもまたいいですね。

誰もいないのを見てやっぱり不振なのか寂しいななんて思ったけれどすぐ後から人がたくさん来て結構盛況だった。
幼いころに見たスガキヤはこんなだだっ広くなく、昔地方のどの駅前によく合った5階建てのデパートの最上階に小さく狭くあった。あの狭さが雰囲気を出していたともいえると思う。
エスカレーターで上がるといきなりにぎやかなおもちゃ売り場、買ってもらえず泣いている子供。
隣にあった喫茶店みたいなスペースは怖い大人の世界で近づいてはいけないと思っていた。
出てこなくていいのに同じビルでたくさんの人が見てる前で怒鳴られ殴り飛ばされたみたいな記憶もでてくる。
子供を殴ることを全否定するのは違う気もするけれど、全く別次元ないら立ちをぶつけられたとか子供なりに把握理解していて忘れないもんなのね。
どこでも同じと思うけれどそのデパートはだいぶ前にでっかいマンションに変わった。
続いていた商店街も死んだような状況だけど初めてCDというものを買った楽器屋はまだ生きており、間違えて吹奏楽団に入ろうとしたとき譜面台を用意してくださいと言われまず向かったのは思い出のその店だった。
でもやり取りに気に入らないところがあってその後行ってないまま。
しばらく投げ捨ててあった譜面台は最近家での練習用に復活した。
初めて買ったCDではないけれど似たようなもので
https://www.youtube.com/watch?v=6fDhoxLtMQM
中学生の頃やたらに聴きまくった覚えがあるのはこの曲が好きだからというより数枚しかないものを毎日とっかえひっかえしていたから。
聴きまくったはいいけれど何にも知らず解らず聴き刷り込まれたので、いろいろ誤解して覚えこんでいるところがあるみたいだ。

ハーモニクスなんてまだ知らなかったからただのすごく高い音くらいに思ってた。
これは別な駅前のちょっと高級系なデパートで買った。
テナントじゃなくてデパート自体が当時最新のアイテムを扱ってます的な場で、CDはガラスケースに入れられて鍵がかかっていた。まだそんな時代。
それが一年くらいでどこにでもあってりみんな持っているありふれたものになっていた。
あの時速かったよね。
ガラスケースを開けてくれるお姉さんがなんでか不機嫌に見えたことが強く記憶されちゃってるのはHSPて感じか。
むかしからメンチャイと言ってメンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をセットにした一枚はフードコートのラーメンとカレーのセットみたいな定番商品でどのレコード会社にも必ずあった。
もう今はCDというかパッケージメディアという概念が崩壊してしまったからメンチャイである必要がないな。
今の若い人はクラシック音楽にどうやって接するんだろう?
大きなお世話だな。
音大に通う学生でクラシック音楽が本当に好きな人間は1%くらいじゃないかと思う。いないのかもしれない。
そんなの当たり前なんだろうけど、ステージの上に並んでいる人間もその延長なんだと思った瞬間からコンサートに行ってない。
あほかという話で頭がおかしいのは俺の方なのはわかるよ。
もう仕方がない。
そんな人間にも安価でおいしいラーメンを食わせてくれてありがとう。

バイトかパートなんでしょうけれど店員さんが明るいのがよかった。
隣の本屋の入り口にはいつも見かける細木数子の本。
あれなんか違う。若返った?
こういうのも世襲なのか。
時代は変わりながら連続していくのね。
デパートのお姉さんも今頃は孫が大きくなっちゃって寄り付かないとか言ってたりするのかな。
まだそんなじゃないか。
頭のおかしい人が落ち着ける場所へ
仕事中に謎の不安と焦りみたいなもので頭が満たされ思考を邪魔していることに気付く。
落ち着いてみると、すぐ先に控えた嫌なことへの小さな不安が心の奥に閉じ込めている全く関係のないいくつかの大きな不安を呼び起こして活性化させていることが分かった。
同じ日、楽器の練習場で支払時オーナーが何か言いかけ結局やめたように見えた。
私の頭は練習場に入るときにあったいつもと違うちょっとした出来事とそれを結びつけ、オーナーは私に対してもう来ないでくださいと言おうとしたんだという被害妄想へすり替えていくことが自分でわかった。
笑顔で飄々としたオーナーを見たはずなのに、困ったような表情でそっけなくお釣りを渡してきた・・と映像付きで記憶が勝手に書き換えられていくことにも自分で気づいた。
この流れはよく知っている。まずいなと自分で思ったが止められない。HSPとかそんなのじゃないなと思った。
不安を感じるとスイッチが入ったように常軌を逸した言動を見せ始める人を良く知っているのだけれど、何よりの問題は本人にその自覚が全くないことで・・・・この先書いたことは人前に出したら人でなしだと思うのでやめます。
今の私は大丈夫。
消しちゃったけれど書いた内容を自分で読んで、紙一重のあっち側じゃないと思えた。
全然別な休日。
地図上にみつけた隠れ家みたいなカフェは行ってみるとほんとに隠したようなところに隠れていた。
車から降りる前からインスタ映えな景色。
2台分しかない駐車場は塞がってる。
えーと・・なんて思ってたら後ろから外車がやってきて遮るように停める。
やったもん勝ちとボケっとした間抜けというところでしょう。
すぐそばにコーヒー専門店というのも見つけたのでそちらへいってみることにする。

行ってみると新しい建物は別にインスタ映えじゃない。
そこそこの飾りつけもあるけれど最近見慣れたおしゃれカフェみたいなのからすればごくごく普通。
入り口には張り紙があり、
「ここはコーヒー専門店です。
ランチや子供向けのメニューはありません。」
最近入り口に張り紙というのをよく見かけるような気もする。
自分の思ったのと違うと喚くような人がいっぱいいるのかな。
入るとどこでもいいですよーといわれ、

広く空いている席に座ってゆっくりする。
周りにお客さんはいないので静かだしなんか気にする必要もない。
コーヒー専門店だから本当は砂糖も入れずに珈琲の豆とか炒り具合の違いとかを楽しむんでしょうね。
なのにチョコレートと生クリームがたっぷり浮かんでんのを頼んじゃった。

モカジャバとチョコレートケーキ。
ケーキは手作りと書いてあったけどほんとにそれっぽい。
もちろんおいしかった。
BGMはよくあるようにジャズだったけれど途中で出てきた一曲は

チャイコフスキーのこれを使ってた。
https://www.youtube.com/watch?v=udDSfSI8I-k
シロップとブランデーにつけ込んだような第1主題の後に出てくる第2主題はまた濃厚なバターの上に砂糖をまぶしてみたいな・・
チャイコフスキーの音楽ってはちみつにチョコレートに生クリームに粉砂糖に・・ってのがこれでもかってくらい押し寄せてくると思うことがあります。
けど、甘さだけに頼ってるわけじゃなく絶対にもういらないとか飽きたとは言わせないというところが沢山いたんだろう他の忘れられちゃった人との違うところなんでしょうね。

椅子にふかく腰掛けて、あーっ とか言ってゆっくりする。
別にインスタ映えじゃないけれど、おいしく寛げた。
豆を買いに来る人が沢山いるみたいで何人も来ていた。
注文聞いてから挽くのね・・ってよくわかんないけど。
その方が香りとかがいいんでしょう?
別なところで教えてもらったけれど同じ豆でもフィルタの材質とか温度とかいろんな要素でいろんなことがどんどん変わっていくんでしょう?
奥が深く楽しそうですね。
オーディオにもそんな要素があって似ていると思った。
オーディオなんて一言でくくってもそこへ何を求めるか、どう感じるかどう考えるかは人により千差万別で全然違う方向を向いたりしている。なのに自分の考えが唯一無二の正解だと勝手に信じ合わせられないやつは馬鹿だみたいな人が何故か多い。
人それぞれだからと適当に笑顔で合わせていると馬鹿にしだして自分に服従するように求めたりし始める。
自分もその一人だったかもしれません。
オーディオに限らず音楽でもなんでもそうですね。
みんなそこをうまくやっているんだろうけど、私は自分の好きな物を好きそうな人や集団を見つけたら近寄るより逃げる。
ダメ人間である。
お店の壁にはでっかくのばした写真が額に入れられて飾られて・・オーナーかお客さんか写真好きな人がいるんでしょうね。
写真やカメラは素晴らしい趣味だと思うけれど、過去の経験から私個人としてはでっかいカメラの自慢話を始める人がいたら警戒に入り・・
こんなのダメ人間なんでしょうね。
いろんなお店に行ってここよかったなぁと思ったときに共通しているのはいつも周りに人がいなかったということ。
それじゃいけないんだとは思うけれど。
どうしてこうなってしまったかを記憶の最初まで戻って考えてみると・・もういか。
天気の悪い日だったのに

ふと窓の外を見るとまさかの青空。
とても落ち着いたよい時間を過ごせたと思う。
ここに人に言えないようなことをわーっと書いては消しを繰り替えし他人の前に出してはいけないと思って結局削除するというのが結構あります。
公開しなくても文字化しながらああでもこうでもないとやると考えが整理されて心おちついたりする。
多分最初から非公開なつもりで書くとかじゃダメで、実際誰かに読んでもらうつもりでというのがポイントなんじゃないかと思う。
本当は今、人前に出せば人でなしといわれかねないあることをここに吐き出したくて仕方がない。
でもそんなことをしたその先に何があるわけでもないことはわかる。
自分の一番の願いは一度でもいいから誰かにわかるよといってほしいことだという事もわかる。
ブログが話し相手とか相談相手みたいになっちゃっててそれはそれでまずいのかもしれないけれど、ありがとうブログ。
そしてそれは読んでくれる人がいると思うから成り立つ話なので、読んでくださる方ほんとうにありがとうございます。
落ち着いてみると、すぐ先に控えた嫌なことへの小さな不安が心の奥に閉じ込めている全く関係のないいくつかの大きな不安を呼び起こして活性化させていることが分かった。
同じ日、楽器の練習場で支払時オーナーが何か言いかけ結局やめたように見えた。
私の頭は練習場に入るときにあったいつもと違うちょっとした出来事とそれを結びつけ、オーナーは私に対してもう来ないでくださいと言おうとしたんだという被害妄想へすり替えていくことが自分でわかった。
笑顔で飄々としたオーナーを見たはずなのに、困ったような表情でそっけなくお釣りを渡してきた・・と映像付きで記憶が勝手に書き換えられていくことにも自分で気づいた。
この流れはよく知っている。まずいなと自分で思ったが止められない。HSPとかそんなのじゃないなと思った。
不安を感じるとスイッチが入ったように常軌を逸した言動を見せ始める人を良く知っているのだけれど、何よりの問題は本人にその自覚が全くないことで・・・・この先書いたことは人前に出したら人でなしだと思うのでやめます。
今の私は大丈夫。
消しちゃったけれど書いた内容を自分で読んで、紙一重のあっち側じゃないと思えた。
全然別な休日。
地図上にみつけた隠れ家みたいなカフェは行ってみるとほんとに隠したようなところに隠れていた。
車から降りる前からインスタ映えな景色。
2台分しかない駐車場は塞がってる。
えーと・・なんて思ってたら後ろから外車がやってきて遮るように停める。
やったもん勝ちとボケっとした間抜けというところでしょう。
すぐそばにコーヒー専門店というのも見つけたのでそちらへいってみることにする。

行ってみると新しい建物は別にインスタ映えじゃない。
そこそこの飾りつけもあるけれど最近見慣れたおしゃれカフェみたいなのからすればごくごく普通。
入り口には張り紙があり、
「ここはコーヒー専門店です。
ランチや子供向けのメニューはありません。」
最近入り口に張り紙というのをよく見かけるような気もする。
自分の思ったのと違うと喚くような人がいっぱいいるのかな。
入るとどこでもいいですよーといわれ、

広く空いている席に座ってゆっくりする。
周りにお客さんはいないので静かだしなんか気にする必要もない。
コーヒー専門店だから本当は砂糖も入れずに珈琲の豆とか炒り具合の違いとかを楽しむんでしょうね。
なのにチョコレートと生クリームがたっぷり浮かんでんのを頼んじゃった。

モカジャバとチョコレートケーキ。
ケーキは手作りと書いてあったけどほんとにそれっぽい。
もちろんおいしかった。
BGMはよくあるようにジャズだったけれど途中で出てきた一曲は

チャイコフスキーのこれを使ってた。
https://www.youtube.com/watch?v=udDSfSI8I-k
シロップとブランデーにつけ込んだような第1主題の後に出てくる第2主題はまた濃厚なバターの上に砂糖をまぶしてみたいな・・
チャイコフスキーの音楽ってはちみつにチョコレートに生クリームに粉砂糖に・・ってのがこれでもかってくらい押し寄せてくると思うことがあります。
けど、甘さだけに頼ってるわけじゃなく絶対にもういらないとか飽きたとは言わせないというところが沢山いたんだろう他の忘れられちゃった人との違うところなんでしょうね。

椅子にふかく腰掛けて、あーっ とか言ってゆっくりする。
別にインスタ映えじゃないけれど、おいしく寛げた。
豆を買いに来る人が沢山いるみたいで何人も来ていた。
注文聞いてから挽くのね・・ってよくわかんないけど。
その方が香りとかがいいんでしょう?
別なところで教えてもらったけれど同じ豆でもフィルタの材質とか温度とかいろんな要素でいろんなことがどんどん変わっていくんでしょう?
奥が深く楽しそうですね。
オーディオにもそんな要素があって似ていると思った。
オーディオなんて一言でくくってもそこへ何を求めるか、どう感じるかどう考えるかは人により千差万別で全然違う方向を向いたりしている。なのに自分の考えが唯一無二の正解だと勝手に信じ合わせられないやつは馬鹿だみたいな人が何故か多い。
人それぞれだからと適当に笑顔で合わせていると馬鹿にしだして自分に服従するように求めたりし始める。
自分もその一人だったかもしれません。
オーディオに限らず音楽でもなんでもそうですね。
みんなそこをうまくやっているんだろうけど、私は自分の好きな物を好きそうな人や集団を見つけたら近寄るより逃げる。
ダメ人間である。
お店の壁にはでっかくのばした写真が額に入れられて飾られて・・オーナーかお客さんか写真好きな人がいるんでしょうね。
写真やカメラは素晴らしい趣味だと思うけれど、過去の経験から私個人としてはでっかいカメラの自慢話を始める人がいたら警戒に入り・・
こんなのダメ人間なんでしょうね。
いろんなお店に行ってここよかったなぁと思ったときに共通しているのはいつも周りに人がいなかったということ。
それじゃいけないんだとは思うけれど。
どうしてこうなってしまったかを記憶の最初まで戻って考えてみると・・もういか。
天気の悪い日だったのに

ふと窓の外を見るとまさかの青空。
とても落ち着いたよい時間を過ごせたと思う。
ここに人に言えないようなことをわーっと書いては消しを繰り替えし他人の前に出してはいけないと思って結局削除するというのが結構あります。
公開しなくても文字化しながらああでもこうでもないとやると考えが整理されて心おちついたりする。
多分最初から非公開なつもりで書くとかじゃダメで、実際誰かに読んでもらうつもりでというのがポイントなんじゃないかと思う。
本当は今、人前に出せば人でなしといわれかねないあることをここに吐き出したくて仕方がない。
でもそんなことをしたその先に何があるわけでもないことはわかる。
自分の一番の願いは一度でもいいから誰かにわかるよといってほしいことだという事もわかる。
ブログが話し相手とか相談相手みたいになっちゃっててそれはそれでまずいのかもしれないけれど、ありがとうブログ。
そしてそれは読んでくれる人がいると思うから成り立つ話なので、読んでくださる方ほんとうにありがとうございます。
いい天気とはなにか
標高2400mまで車で登ることのできる富士山の富士宮口。
夏の間の規制が取れたから行ってみようと思った。
でも天気は曇天というかほとんど雨。
山の反対側にある別な5合目のライブカメラは霧で真っ白。
行っても無駄かなと迷ったけれど
つづら折りの登山道を登ってゆくと、

ダメ元な期待もむなしくそこはこんな雲の中であった。
まあいいよ来たってことで。
頭痛まではいかないけれど若干の違和感を感じ、気圧が低いことを体で知る。
売店でスナック菓子の袋がフグみたいに膨らんじゃってるのを眺めたりしていると・・
あっ外明るい?
外へ出てみると背後から
あー見えた・・
階段を上ると

あー!山頂が見えてきた。
ということはと振り向けば

わー

周りにいるのは全員さっきまでの湿った世界を諦めていた人達だから、
みんな口々に
すげー!

雲の上をゆく船みたいだな。

遠くに見えるあの雲の島まで進んでみたいなぁ・・
なんとなく心のもやもやしていたものもみんな吹っ飛んでなくなる。
https://www.youtube.com/watch?v=DgeKrzNfHmc
Hosanna in excelsis. 天のいと高きところにホザンナ
のホザンナは救い給えの意を込めて万歳!みたいな意味だそうですが、
この曲のCDを買い対訳を読んだ中学生は
雲の上みたいなところにいるホザンナという女神を賛美しているのかと思っちゃった。
そして、ずっとそう思ってた。

雲の海の上に浮かぶ島みたいだ。
あれどこだろう?

時々、雲がみんな飲み込みにくるけどもう居座らないでいてくれるみたいだ。
待ってればまたどいてくれる。
この位置からだともう山頂を見ても富士山のあの形には見えずあんまりおもしろくない。
やっぱり見ものは雲海。

アラブ系みたいな外人さんも盛り上がる。

ずっと眺めていて飽きないので帰れない。
夕日の時間まで待ったらどんな世界が見られるんだろう?
だけどまだまだ先か。
もう帰ろう。

車に乗ってもまだ名残惜しい・・
本当はこういうのは自分の足で苦労して登ってきたその先にあるから素晴らしいんでしょうね。
車でスーッと来ちゃったら・・
でもそんなこと言ってこなかったらそもそも何にも見れないわけだし。
よし今日はいいぞというような晴れの天気だったら、この光景は見られなかった。
景色なんて望めない絶望的な天気だからここはこんなことになっているわけでしょう?
というのを人生に当てはめてとか書こうかと思ったけれど浅はかっぽいのでやめる。
でも諦めないといいことがあるかもしれないというのは論理的に間違ってないですよね。
諦めたら行かないし見れないんだから。
とっとと諦めて切り替えた方がいいこともいっぱいあるだろうけど。

また雲の中を通りぬけ、もやもや世界へ突入してゆく。
夏の間の規制が取れたから行ってみようと思った。
でも天気は曇天というかほとんど雨。
山の反対側にある別な5合目のライブカメラは霧で真っ白。
行っても無駄かなと迷ったけれど
つづら折りの登山道を登ってゆくと、

ダメ元な期待もむなしくそこはこんな雲の中であった。
まあいいよ来たってことで。
頭痛まではいかないけれど若干の違和感を感じ、気圧が低いことを体で知る。
売店でスナック菓子の袋がフグみたいに膨らんじゃってるのを眺めたりしていると・・
あっ外明るい?
外へ出てみると背後から
あー見えた・・
階段を上ると

あー!山頂が見えてきた。
ということはと振り向けば

わー

周りにいるのは全員さっきまでの湿った世界を諦めていた人達だから、
みんな口々に
すげー!

雲の上をゆく船みたいだな。

遠くに見えるあの雲の島まで進んでみたいなぁ・・
なんとなく心のもやもやしていたものもみんな吹っ飛んでなくなる。
https://www.youtube.com/watch?v=DgeKrzNfHmc
Hosanna in excelsis. 天のいと高きところにホザンナ
のホザンナは救い給えの意を込めて万歳!みたいな意味だそうですが、
この曲のCDを買い対訳を読んだ中学生は
雲の上みたいなところにいるホザンナという女神を賛美しているのかと思っちゃった。
そして、ずっとそう思ってた。

雲の海の上に浮かぶ島みたいだ。
あれどこだろう?

時々、雲がみんな飲み込みにくるけどもう居座らないでいてくれるみたいだ。
待ってればまたどいてくれる。
この位置からだともう山頂を見ても富士山のあの形には見えずあんまりおもしろくない。
やっぱり見ものは雲海。

アラブ系みたいな外人さんも盛り上がる。

ずっと眺めていて飽きないので帰れない。
夕日の時間まで待ったらどんな世界が見られるんだろう?
だけどまだまだ先か。
もう帰ろう。

車に乗ってもまだ名残惜しい・・
本当はこういうのは自分の足で苦労して登ってきたその先にあるから素晴らしいんでしょうね。
車でスーッと来ちゃったら・・
でもそんなこと言ってこなかったらそもそも何にも見れないわけだし。
よし今日はいいぞというような晴れの天気だったら、この光景は見られなかった。
景色なんて望めない絶望的な天気だからここはこんなことになっているわけでしょう?
というのを人生に当てはめてとか書こうかと思ったけれど浅はかっぽいのでやめる。
でも諦めないといいことがあるかもしれないというのは論理的に間違ってないですよね。
諦めたら行かないし見れないんだから。
とっとと諦めて切り替えた方がいいこともいっぱいあるだろうけど。

また雲の中を通りぬけ、もやもや世界へ突入してゆく。
他人なんかいいから
海沿いというか山の上を走る旧道沿いにある店。

ここへは久しぶりに来た。
結局また行くんだったらすねていかない時間は自分が損してるだけ。
でっかく子供お断りみたいなマークと雰囲気を大切にする店だからという張り紙。
子供はいないので特に何か感じたりもしない。
あなたは気持ち悪いから入んないでくださいとか思ってんだろみたいな被害妄想はちょっと浮かぶ。
入るけど。

いつも混んでいる印象があったんだけれど入ると誰もいなかった。
空いてたことが一度もなかった席に座ってみる。

天気悪くてもまた絵になるのね・・やっぱりちょっと残念。
雨の海にひきつけられたこともあるけどなんか今一つ盛り上がらない・・
窓の外にはテラス席。
今日はちょっと寒々しいかな。
以前あそこへ座った時隣には互いに敬語で距離を探りながら話す若い男女がいた。
多分同じ職場の人間で初めて二人きりで会い、伊豆方面にドライブでもという感じ。
一時間ほどでいこーよー!みたいな話となりまたどこかへ向かっていった。
いいねー。
そういう人のための特別な場所としても存在している店だと思うここ。
50くらいに見えるおっさんと30代な女性が入ってきて店員さんの雨ですけど・・を無視し外席へ出ていった。
夫婦には見えないけどただの仲じゃないのは明白だ。
みたいな人にもちょうどいいんだろう店。

なんか、もりあがらないな。
調子に乗っていろんなお店に行き色々見ちゃったからかな、
先日別なところで聞いたケーキなんか工場で作ったやつを出してるだけだよ・・も思い出す。
ケーキのメニューがメーカーの資料をそのまま使っちゃってるようにみえたからかな?
割高な価格は雰囲気料込みだから・・
花が乗ってたりするなぁ花代だなとか思いながら。
https://www.youtube.com/watch?v=P1TJsb99epM
夕暮れという感じにもならないだろうな。
またドアがガチャガチャと音を立て、若い時サーファーで今はゴルフで焼けてますみたいなイケメン中年と40になっても最小限のおしゃれで十分いける自信がありますみたいな女性が入ってきた。
女性は嬉しそうに外へ出ていくと私の視界をふさぐ真ん前の席に座ろうとする。
そこへあのかっこいいおっさんが手でさりげなくこっちへ行こう、あそこ人がいるから・・と誘導した。
あー、
あれですよね。いろいろうまくいって豊かに生きてきた人はその余裕が自然に周りへの配慮にむかうのね。
そしてそれがまたいいことを呼んで余裕を作り・・という良いスパイラルで後光みたいなのを巻き付けて生きてるんだろう。
素敵な笑顔や優しさみたいなものが意識しなくてもあふれ出ちゃってる人っていうのがいるんだよね。
なんかこう、バームクーヘンとか和ろうそくみたいに美しいものが積み重なって年輪になって。
ああいう風に生きてみたかったけど・・
正があれば負がある。
うまくいかない苛立ちを隠せず周囲にぶちまければ、結果としてさらにうまくいかない負の念を呼ぶダメ人間的スパイラル。
そんなことに気付いたあの頃から、よいスパイラルは回らずもう30年。

そんなくだらないことを考えていると、
目の前では嫁さんが花を手にもって写真撮ったり・・
なんか楽しそうだ。
そんなに自分をダメだと思わなくていいんだってずっと自分に言い聞かせてるんだけ駄目だね。
Twitterを病的に拒否してしまうのは他人を見るとうらやましいと思ったり自分を否定したりとか言うのが加速的に進行してハウリングみたいになっちゃうから・・
他人を羨んだりひがんだりするのは、自分に価値がないと思っているからだろう。
最近小さな目標が浮かんできた。
傍目にどう思われようと、こういうのが大事かも。

日暮れは早いようでまだまだ先か。
あのランプが光るのはまだずっと後みたいだ。
もういいから帰ろう。

ここへは久しぶりに来た。
結局また行くんだったらすねていかない時間は自分が損してるだけ。
でっかく子供お断りみたいなマークと雰囲気を大切にする店だからという張り紙。
子供はいないので特に何か感じたりもしない。
あなたは気持ち悪いから入んないでくださいとか思ってんだろみたいな被害妄想はちょっと浮かぶ。
入るけど。

いつも混んでいる印象があったんだけれど入ると誰もいなかった。
空いてたことが一度もなかった席に座ってみる。

天気悪くてもまた絵になるのね・・やっぱりちょっと残念。
雨の海にひきつけられたこともあるけどなんか今一つ盛り上がらない・・
窓の外にはテラス席。
今日はちょっと寒々しいかな。
以前あそこへ座った時隣には互いに敬語で距離を探りながら話す若い男女がいた。
多分同じ職場の人間で初めて二人きりで会い、伊豆方面にドライブでもという感じ。
一時間ほどでいこーよー!みたいな話となりまたどこかへ向かっていった。
いいねー。
そういう人のための特別な場所としても存在している店だと思うここ。
50くらいに見えるおっさんと30代な女性が入ってきて店員さんの雨ですけど・・を無視し外席へ出ていった。
夫婦には見えないけどただの仲じゃないのは明白だ。
みたいな人にもちょうどいいんだろう店。

なんか、もりあがらないな。
調子に乗っていろんなお店に行き色々見ちゃったからかな、
先日別なところで聞いたケーキなんか工場で作ったやつを出してるだけだよ・・も思い出す。
ケーキのメニューがメーカーの資料をそのまま使っちゃってるようにみえたからかな?
割高な価格は雰囲気料込みだから・・
花が乗ってたりするなぁ花代だなとか思いながら。
https://www.youtube.com/watch?v=P1TJsb99epM
夕暮れという感じにもならないだろうな。
またドアがガチャガチャと音を立て、若い時サーファーで今はゴルフで焼けてますみたいなイケメン中年と40になっても最小限のおしゃれで十分いける自信がありますみたいな女性が入ってきた。
女性は嬉しそうに外へ出ていくと私の視界をふさぐ真ん前の席に座ろうとする。
そこへあのかっこいいおっさんが手でさりげなくこっちへ行こう、あそこ人がいるから・・と誘導した。
あー、
あれですよね。いろいろうまくいって豊かに生きてきた人はその余裕が自然に周りへの配慮にむかうのね。
そしてそれがまたいいことを呼んで余裕を作り・・という良いスパイラルで後光みたいなのを巻き付けて生きてるんだろう。
素敵な笑顔や優しさみたいなものが意識しなくてもあふれ出ちゃってる人っていうのがいるんだよね。
なんかこう、バームクーヘンとか和ろうそくみたいに美しいものが積み重なって年輪になって。
ああいう風に生きてみたかったけど・・
正があれば負がある。
うまくいかない苛立ちを隠せず周囲にぶちまければ、結果としてさらにうまくいかない負の念を呼ぶダメ人間的スパイラル。
そんなことに気付いたあの頃から、よいスパイラルは回らずもう30年。

そんなくだらないことを考えていると、
目の前では嫁さんが花を手にもって写真撮ったり・・
なんか楽しそうだ。
そんなに自分をダメだと思わなくていいんだってずっと自分に言い聞かせてるんだけ駄目だね。
Twitterを病的に拒否してしまうのは他人を見るとうらやましいと思ったり自分を否定したりとか言うのが加速的に進行してハウリングみたいになっちゃうから・・
他人を羨んだりひがんだりするのは、自分に価値がないと思っているからだろう。
最近小さな目標が浮かんできた。
傍目にどう思われようと、こういうのが大事かも。

日暮れは早いようでまだまだ先か。
あのランプが光るのはまだずっと後みたいだ。
もういいから帰ろう。
人間関係がミニマリスト
ブログに飯屋に行けない街があるなんて書いた後、あえて行ってみたくなった。
当たり前だけどそこへ向かえば着くし、行って何の問題があるわけでもない。

このレストランは観光客を意識したつくりで後ろには大きな窓。
晴れていれば素晴らしい景色が見えると思う。
いま、大きな窓から外が見えている写真をここへ貼れずにいる。
誰かがそれを見てどこの街か特定し年齢から逆算してあの時のあいつだなんてあるわけないのに。
店員さんに見覚えがある気がして昔?どこで・・と考える。
でも多分勘違い。
全然関係ないはずの人が知り合いに見えることは過去にもあった。
それは多分、寂しいから。
ブログ村のライフスタイルというところをなんとなく眺めてみるとミニマリストだらけだ。
嫁さんが立ち入らないある一部屋と車のなかは不要なものを絶対に一つも置かないミニマル空間になっているのだけど、あれを全部に展開したら心も軽くなるかななんて思わないでもない。心もなんてどっかのブログに感化されたみたいか、埃はたまるので掃除は必要だけれど無駄に散らかってゆくことは絶対にないし、あれがほしいみたいな無駄な物欲もわいてこなくなる。
でもうちの嫁さんに捨てるとかシンプルとか冗談ででも言ってみると本気で怒りだすので危険だ。
他にもいろいろ我慢していることがあるんだろう、そういうのが乗って爆発しかけたことがあった。うちは全然ミニマリストじゃない。
無駄のない暮らしもいいけど、嫁さんのいない暮らしになちゃったら俺は本当に終わりだ。セルフネグレストとかすぐなんじゃないかと思う事がある。
私は交友関係が全くのゼロであって親戚付き合いというものも全くない。一つだけあるあれは別枠。
もう誰も知らない。
人間関係がミニマリストだ。
ちがうかただのダメ人間か。
先日ぶどう寺でタクラマカン砂漠なんて聞いたのでボロディンの中央アジアの草原にても頭に浮かんだ。
https://www.youtube.com/watch?v=UI_RAQFBouE
かなり昔CDを買ったはいいけれど一度聴いてそれっきりになっていたこの曲、聴いてみるとなぜ聴こうとしなかったのかを思い出しそれで終わってしまった。
何を見ても聴いてもあらを探しのような感想を持ち噛みつくようなな口を聞いてしまうとき、
それも多分さみしいから。
でも文句めいた感じで聞いたのに一度聞くともういとど聞きたくなり、頭の中でループし始め・・とかなるもんなのね。

ヴァイオリンのフラジオは始め1本で始まりだんだん本数が増えてゆく・・・面白いといえば面白い。
学生の頃部屋にひいてた有線を適当に聞き流しているときにこれが流れ、転調やハーモニーが新鮮に聴こえてはっとしたのを今でも覚えてる。
夏休みの真昼間なのに私はカーテンを閉めた部屋の中でジグソーパズルを組んでいた。
あほか。二十歳の夏というのはそんなところでそんなことをやっている時間じゃない、人生を無駄に・・・
と一般標準的評価で自分を批判したところで何も得られないばかりか自分を腐らせさらに逃避に追い込むだけ。
貴族の血を引くボロディンはまず非常に優れた化学者であり、その功績で現在まで名を遺すしているそうだ。
趣味でやってた作曲でも歴史に名を遺す芸術家として認知され・・
こっちはあれだ、人類の歴史上何か意味があるような存在ではないと思う。じゃまなくらいなんだろう。
でもせっかく出てきちゃったからしばらく居座らせてもらいたいと思う。
少し前、もう会うこともないだろう人からの社交辞令的なメールを真に受けて返信をした。
最近夢の中というか枕元みたいなところでバーカと罵る声を聴き、声の主を探すとお前はそこで一人腐ってろと笑いながらドアの向こうへ消えていくのが見えた。
もう全部終わって何もないんだという事を認識しきれていない自分が間抜けに思え、関係するメール一式をフォルダごと削除する。
削除してもまだゴミ箱の中に入ってんのね。ゴミ箱が大量の未読表示になってって・・ゴミ箱を空にするボタンはまだ押してない。
アドレス帳にもいろんなものが登録されているけどみんなもう干からびちゃってる。仕事の関係、20年以上あってない昔の知り合い、何かあると文句を言ってくる人、命綱のつもりで登録した地域包括支援センターの担当者は満面の笑顔みたいな声で担当外れますので・・
こういうのをみんな消しちゃうのも断捨離なんだろうか?
あったって仕方ないけれど消したってしょうがないものを消そうとしている理由も多分、
さみしいから。
遊んでもらえない子犬がやけになって大事にしている縫いぐるみを振り回し投げたとばしていた・・・あれみたいだな。
だけど、
寂しいとか虚しいとか言ってるときは実かなりいいときなんですよね。
ほんとにダメな時はそんな考えは浮かばないしそれどころじゃない。
じゃいいよね。

先程の店。
天上には謎の穴。
上から貫通してるけどなにこれ?隕石落ちちゃったの?
私ひどい首コリを持っているんだけれど、
最近楽器の練習に行ってくるとすーっと治ってるんですよね。
正しい姿勢で息を大きく吸ったり吐いたりするから?
そんな目的で楽器やってるのでは全然ないけれど。
ちょっといいことあるじゃない。
じゃいいじゃない。
当たり前だけどそこへ向かえば着くし、行って何の問題があるわけでもない。

このレストランは観光客を意識したつくりで後ろには大きな窓。
晴れていれば素晴らしい景色が見えると思う。
いま、大きな窓から外が見えている写真をここへ貼れずにいる。
誰かがそれを見てどこの街か特定し年齢から逆算してあの時のあいつだなんてあるわけないのに。
店員さんに見覚えがある気がして昔?どこで・・と考える。
でも多分勘違い。
全然関係ないはずの人が知り合いに見えることは過去にもあった。
それは多分、寂しいから。
ブログ村のライフスタイルというところをなんとなく眺めてみるとミニマリストだらけだ。
嫁さんが立ち入らないある一部屋と車のなかは不要なものを絶対に一つも置かないミニマル空間になっているのだけど、あれを全部に展開したら心も軽くなるかななんて思わないでもない。心もなんてどっかのブログに感化されたみたいか、埃はたまるので掃除は必要だけれど無駄に散らかってゆくことは絶対にないし、あれがほしいみたいな無駄な物欲もわいてこなくなる。
でもうちの嫁さんに捨てるとかシンプルとか冗談ででも言ってみると本気で怒りだすので危険だ。
他にもいろいろ我慢していることがあるんだろう、そういうのが乗って爆発しかけたことがあった。うちは全然ミニマリストじゃない。
無駄のない暮らしもいいけど、嫁さんのいない暮らしになちゃったら俺は本当に終わりだ。セルフネグレストとかすぐなんじゃないかと思う事がある。
私は交友関係が全くのゼロであって親戚付き合いというものも全くない。一つだけあるあれは別枠。
もう誰も知らない。
人間関係がミニマリストだ。
ちがうかただのダメ人間か。
先日ぶどう寺でタクラマカン砂漠なんて聞いたのでボロディンの中央アジアの草原にても頭に浮かんだ。
https://www.youtube.com/watch?v=UI_RAQFBouE
かなり昔CDを買ったはいいけれど一度聴いてそれっきりになっていたこの曲、聴いてみるとなぜ聴こうとしなかったのかを思い出しそれで終わってしまった。
何を見ても聴いてもあらを探しのような感想を持ち噛みつくようなな口を聞いてしまうとき、
それも多分さみしいから。
でも文句めいた感じで聞いたのに一度聞くともういとど聞きたくなり、頭の中でループし始め・・とかなるもんなのね。

ヴァイオリンのフラジオは始め1本で始まりだんだん本数が増えてゆく・・・面白いといえば面白い。
学生の頃部屋にひいてた有線を適当に聞き流しているときにこれが流れ、転調やハーモニーが新鮮に聴こえてはっとしたのを今でも覚えてる。
夏休みの真昼間なのに私はカーテンを閉めた部屋の中でジグソーパズルを組んでいた。
あほか。二十歳の夏というのはそんなところでそんなことをやっている時間じゃない、人生を無駄に・・・
と一般標準的評価で自分を批判したところで何も得られないばかりか自分を腐らせさらに逃避に追い込むだけ。
貴族の血を引くボロディンはまず非常に優れた化学者であり、その功績で現在まで名を遺すしているそうだ。
趣味でやってた作曲でも歴史に名を遺す芸術家として認知され・・
こっちはあれだ、人類の歴史上何か意味があるような存在ではないと思う。じゃまなくらいなんだろう。
でもせっかく出てきちゃったからしばらく居座らせてもらいたいと思う。
少し前、もう会うこともないだろう人からの社交辞令的なメールを真に受けて返信をした。
最近夢の中というか枕元みたいなところでバーカと罵る声を聴き、声の主を探すとお前はそこで一人腐ってろと笑いながらドアの向こうへ消えていくのが見えた。
もう全部終わって何もないんだという事を認識しきれていない自分が間抜けに思え、関係するメール一式をフォルダごと削除する。
削除してもまだゴミ箱の中に入ってんのね。ゴミ箱が大量の未読表示になってって・・ゴミ箱を空にするボタンはまだ押してない。
アドレス帳にもいろんなものが登録されているけどみんなもう干からびちゃってる。仕事の関係、20年以上あってない昔の知り合い、何かあると文句を言ってくる人、命綱のつもりで登録した地域包括支援センターの担当者は満面の笑顔みたいな声で担当外れますので・・
こういうのをみんな消しちゃうのも断捨離なんだろうか?
あったって仕方ないけれど消したってしょうがないものを消そうとしている理由も多分、
さみしいから。
遊んでもらえない子犬がやけになって大事にしている縫いぐるみを振り回し投げたとばしていた・・・あれみたいだな。
だけど、
寂しいとか虚しいとか言ってるときは実かなりいいときなんですよね。
ほんとにダメな時はそんな考えは浮かばないしそれどころじゃない。
じゃいいよね。

先程の店。
天上には謎の穴。
上から貫通してるけどなにこれ?隕石落ちちゃったの?
私ひどい首コリを持っているんだけれど、
最近楽器の練習に行ってくるとすーっと治ってるんですよね。
正しい姿勢で息を大きく吸ったり吐いたりするから?
そんな目的で楽器やってるのでは全然ないけれど。
ちょっといいことあるじゃない。
じゃいいじゃない。
水漏れと異常なこだわりと精神異常。
すごく暑かった日、用があって某所。
トイレに行きたくなりコンビニでもないかと捜し歩いている途中

手動ポンプな井戸を発見。
あでもよく見れば井戸じゃなくて直下の水路の水をくみ上げるようになっているだけかな。
もうしぼんじゃってたけど小さな朝顔がほほえましかった。
写真が適当なのは人目を気にしたのと、急がないとやばそうだったから・・
生活に支障をきたすほどではないけれど私は昔から若干頻尿気味かもしれません。
どこから始まったかははっきり覚えていてある中学の授業中に限界寸前で往生したあの時。
あの苦痛は二度とごめんだと思いそれから休憩時間毎に必ずトイレに行くようにした。
あの時はちょっと気をつけようくらいなつもりだったと思うけれど、そこの端を発する以上がその後30年も続くとは思っていなかった。
コンサートなど絶対に抜けられない状況がでは油断ができない。
コンサートにいくときは音楽の芯までしゃぶり尽くしてやるぞと変態的に意気込んでいくのでなんであれ音楽の邪魔が入ることは悲しい。
全曲100分程度のマーラーの3番の時はかなり緊張したけれど問題を感じることなくすごい演奏で大満足に終われた。
同じマーラーの9番の冒頭5分くらいでその予感がした時は泣きそうになった。
さらっと普通に流す演奏会もあるだろうけれどあの曲は演奏者が何か取りつかれたように魂を入れ、そうなることを予想し望んであつまった客たちと合わせ異様に張り詰めた芸術的異空間を作る・・みたいな演奏会になる可能性のある曲だと思う。この時まさにそれだった。
目の前で起こっていることにあこれ普通じゃないなと感じたあたりではすでに予感なんか消えてどっか行っちゃってた。
結局、心が支配してるんだよね。
楽器のレッスン中にそうなってはいけないので事前にトイレに行きたいのだけど・・とかもういいか。
心が体を制御するのは間違いないと思う。
楽器も自分にわかる訳がないなんて思いこんでいるから体もそれ相応の反応をするのかもしれないと思うことはある。
バルトークにミクロコスモスというピアノのための練習曲がピアノを弾くわけではないただ聴くだけの人間にもあってなんか有名です。
本当に初めてピアノの前に座る子に向けたような(ちがうのかもしれないけど)1番から始まってどんどん難易度が上がってゆく・・と言うほど聴いてないけれど。

はじめてのレッスンて感じしますねこれ。
面白いのは最後に20秒とか演奏時間が書いてあるんですね。
この人の楽譜はこれに限らずもっと超絶複雑な作品にもこの楽章は何分何十秒みたいなのが必ず書いてあるんだったと思う。
テンポだけ指定しとけば結果としての経過時間はほっといてもついてくるはずで、書かずにいられないのはちょっと病的ななこだわりのような気もしますね。
こういうのを見るとちょっと頭のいっちゃった人みたいなイメージがわいたりするけれどこの人に限ってはそれも違うと思う。
息子の書いた本を読むとバルトークはものすごく理知的な人であったようだ。
昔読んだ指揮者の岩城の本に誰だか忘れたけれどバルトークと親しかった人から聴いたとこんなことが書いてあった。
彼の愛用したメトロノームはひどく壊れてくるっていた。彼の楽譜に指定された数字を、絶対に信用してはならない・・・
https://www.youtube.com/watch?v=5RMv9I9C5H4
最後の数曲はプロがコンサートで演奏したりもするそうだ・・・の一曲。

8分の4+2+3拍子、なんかハマるというか気持ちいいというか・・
以前窓から見える田んぼの土手から湧水が滝のように流れだした。
窓の外から聞こえる水の音はなんか風流というかいい感じ・・
でも急になんだ?地滑りの前兆か?結局、水道管が破裂して漏水していたいただけだった。

その土手。
急に白いものがあふれた。
あそこにあんなものをみたのは初めてだ。
どうしたんだろう?
何か始まるのかな?

近づけばあたりには甘い香りが立ち込めて。
他に何もないからこの花の香なのかな?
中学のあの頃、私は一日に何度もシャンプーで頭を洗ったりしないと気が済まないという異常行動がすでに始まっていたと思う。
それはその後悪化して、髪の毛から油の抜けきった変態的な容姿で街を歩いた。
その結果どうなったかはもう書かないけれど、今に至るまで影響を受けている。
この頭はおかしいと思う。
上の方で書いたマーラーの9番の演奏会は私にとってかけがえのない体験になった。
その演奏会は収録されCDとなっているので買って聴いてもみた。その内容を悪いという気はしないけれどあそこにあった張り詰めたなにかをそこから感じることはできない。
音楽というのはやっぱり発生した現場に立ち会わないとえられないものというのがあると思う。
私は今、くだらない精神的束縛によってコンサートに行けないみたいなことを言っているあほだ。
人生の大事な時間を無駄にしていると思うけれど、その縛りを解くカギを探して、外してゆく作業を時間をかけて実行しているからいいの。
昨日楽器の練習にいったらちょっと良かったというかつかめたような気がしたというか・・今までもそういうの何度もあってその後ぐしゃぐしゃになったりしているけれど、でもできるどころかやってみる想像もしなかったことをやってるわけだし、ミクロな速さで進んでいるような気はするのね。
頭壊れてても、人生が失敗めいていても、なにか支えを見つけて生きて行ければいいんじゃないかと思ったり。
トイレに行きたくなりコンビニでもないかと捜し歩いている途中

手動ポンプな井戸を発見。
あでもよく見れば井戸じゃなくて直下の水路の水をくみ上げるようになっているだけかな。
もうしぼんじゃってたけど小さな朝顔がほほえましかった。
写真が適当なのは人目を気にしたのと、急がないとやばそうだったから・・
生活に支障をきたすほどではないけれど私は昔から若干頻尿気味かもしれません。
どこから始まったかははっきり覚えていてある中学の授業中に限界寸前で往生したあの時。
あの苦痛は二度とごめんだと思いそれから休憩時間毎に必ずトイレに行くようにした。
あの時はちょっと気をつけようくらいなつもりだったと思うけれど、そこの端を発する以上がその後30年も続くとは思っていなかった。
コンサートなど絶対に抜けられない状況がでは油断ができない。
コンサートにいくときは音楽の芯までしゃぶり尽くしてやるぞと変態的に意気込んでいくのでなんであれ音楽の邪魔が入ることは悲しい。
全曲100分程度のマーラーの3番の時はかなり緊張したけれど問題を感じることなくすごい演奏で大満足に終われた。
同じマーラーの9番の冒頭5分くらいでその予感がした時は泣きそうになった。
さらっと普通に流す演奏会もあるだろうけれどあの曲は演奏者が何か取りつかれたように魂を入れ、そうなることを予想し望んであつまった客たちと合わせ異様に張り詰めた芸術的異空間を作る・・みたいな演奏会になる可能性のある曲だと思う。この時まさにそれだった。
目の前で起こっていることにあこれ普通じゃないなと感じたあたりではすでに予感なんか消えてどっか行っちゃってた。
結局、心が支配してるんだよね。
楽器のレッスン中にそうなってはいけないので事前にトイレに行きたいのだけど・・とかもういいか。
心が体を制御するのは間違いないと思う。
楽器も自分にわかる訳がないなんて思いこんでいるから体もそれ相応の反応をするのかもしれないと思うことはある。
バルトークにミクロコスモスというピアノのための練習曲がピアノを弾くわけではないただ聴くだけの人間にもあってなんか有名です。
本当に初めてピアノの前に座る子に向けたような(ちがうのかもしれないけど)1番から始まってどんどん難易度が上がってゆく・・と言うほど聴いてないけれど。

はじめてのレッスンて感じしますねこれ。
面白いのは最後に20秒とか演奏時間が書いてあるんですね。
この人の楽譜はこれに限らずもっと超絶複雑な作品にもこの楽章は何分何十秒みたいなのが必ず書いてあるんだったと思う。
テンポだけ指定しとけば結果としての経過時間はほっといてもついてくるはずで、書かずにいられないのはちょっと病的ななこだわりのような気もしますね。
こういうのを見るとちょっと頭のいっちゃった人みたいなイメージがわいたりするけれどこの人に限ってはそれも違うと思う。
息子の書いた本を読むとバルトークはものすごく理知的な人であったようだ。
昔読んだ指揮者の岩城の本に誰だか忘れたけれどバルトークと親しかった人から聴いたとこんなことが書いてあった。
彼の愛用したメトロノームはひどく壊れてくるっていた。彼の楽譜に指定された数字を、絶対に信用してはならない・・・
https://www.youtube.com/watch?v=5RMv9I9C5H4
最後の数曲はプロがコンサートで演奏したりもするそうだ・・・の一曲。

8分の4+2+3拍子、なんかハマるというか気持ちいいというか・・
以前窓から見える田んぼの土手から湧水が滝のように流れだした。
窓の外から聞こえる水の音はなんか風流というかいい感じ・・
でも急になんだ?地滑りの前兆か?結局、水道管が破裂して漏水していたいただけだった。

その土手。
急に白いものがあふれた。
あそこにあんなものをみたのは初めてだ。
どうしたんだろう?
何か始まるのかな?

近づけばあたりには甘い香りが立ち込めて。
他に何もないからこの花の香なのかな?
中学のあの頃、私は一日に何度もシャンプーで頭を洗ったりしないと気が済まないという異常行動がすでに始まっていたと思う。
それはその後悪化して、髪の毛から油の抜けきった変態的な容姿で街を歩いた。
その結果どうなったかはもう書かないけれど、今に至るまで影響を受けている。
この頭はおかしいと思う。
上の方で書いたマーラーの9番の演奏会は私にとってかけがえのない体験になった。
その演奏会は収録されCDとなっているので買って聴いてもみた。その内容を悪いという気はしないけれどあそこにあった張り詰めたなにかをそこから感じることはできない。
音楽というのはやっぱり発生した現場に立ち会わないとえられないものというのがあると思う。
私は今、くだらない精神的束縛によってコンサートに行けないみたいなことを言っているあほだ。
人生の大事な時間を無駄にしていると思うけれど、その縛りを解くカギを探して、外してゆく作業を時間をかけて実行しているからいいの。
昨日楽器の練習にいったらちょっと良かったというかつかめたような気がしたというか・・今までもそういうの何度もあってその後ぐしゃぐしゃになったりしているけれど、でもできるどころかやってみる想像もしなかったことをやってるわけだし、ミクロな速さで進んでいるような気はするのね。
頭壊れてても、人生が失敗めいていても、なにか支えを見つけて生きて行ければいいんじゃないかと思ったり。
小さな世界と桃のスムージー
ぶどう畑に満足したらせっかく遠出したんだしなんかカフェでもないかと。

子供の頃、通学路上に古いコンクリートな四角い家というのを見かけた。その時点でもう相当古くくたびれた感じだったけれど一つはリフォームされ見違えるようになったりして。それももうとっくに解体されて今はない。
・・そういうの感じの。
なんかよさそうですね。
入るとお客さんはいない。

古い足踏みミシンをテーブルにってのは結構よく見ますね。
よく見ますねなんてほんとに大きなお世話だけどね。
本を置いたコーナーがあって、時間の過ごし方も・・
BGMはなんか不思議系。
https://www.youtube.com/watch?v=wNgvSlWuIOQ
この曲題名がかなり有名
犬のためのぶよぶよとした前奏曲
別にぶよぶよしてないし聴くのも弾くのも犬というより主に人間。
女性の店主はちょっとキャラクターというか・・よくいえばクール。
多分本人は気付いてないけれどちょっと刺すような喋り方は一歩間違えば・・
でもこの日は心が安定、悪気ないんだろうねくらいで気にならなかった。
世間に出ればいろんな人間がいていろんなことを感じるけれど、その印象の多くは自分の側に支配されているのかも・・なんてきれいごとが言えるのはたまたま今がいい状態だから。ダメな時はダメだし、そのほうが多い。
毎日畑を眺めて心を・・なんて訳にもいかないしな。
だからと言って戦いますみたいなのもまずいと思う。
受け流せばいいやも短期的にはいいけれどそこで垂れ流し放置したものが蓄積しいずれ大きな問題となって襲ってく・・
いいから静かに過ごしましょう。

桃と夏イチゴのスムージーと桃のセミフレッド。
麦のストローなんだって。
セミフレッドなんて言葉は初めて聴いた。
食べて感じたのはレアチーズが凍ってアイスやフルーツが入ってる・・いやちょっと違うかな・・
すごく美味しかった。
時々見かける訳の分かんない葉っぱはしょっちゅう名前を聞くあの有名なローズマリーというものだと嫁さんに教えられこの時初めて知る。
改めて香りをかいでみると無印良品みたい。
ああこれいいなぁ・・いやな事に遭遇したらこれがあれば落ち着くかなぁ・・・
スムージーもとてもおいしかった。
麦ストロー樹脂とはちがう温かみみたいなものを感じるかなぁ・・
ストロー咥えて吸うはさすがにできるよ。
毎日葦で作ったリードを咥えているけれどいつまでやっても加え方も圧力もなんにも記憶されないし安定しないのね・・なんなのこの人・・俺だけど。
あ?、嫁さんの様子がおかしい・・あれ俺なんか言っちゃった?
ちがうのか、過呼吸でもない。
気持ち悪いとか首が閉まるとか、何かのアレルギー症状が出ているようだ。
こういう時、こちらが動揺しちゃったらいけない。
本人の判断では桃のスムージーであるという。
あれ桃缶大好きだよね?
麦ストロー・・なわけはないか。
これ美味しいから飲みたかったのに・・と悲しんでいた。
大丈夫そうかな‥よかった。
私は美味しいものを二人分いただけたけれどカロリーとかどうなってんだこれとか思いながら・・

薪ストーブ?
冬もよさそうですね。
もうちょっと暗くなれば別な表情を見せてくれるかな。いいですねここ。
店主が自分の趣味で作った空間なんだろうけれど一本まっすぐなコンセプトが貫いていて、ドアの内側に外の現実から隔離された世界があると思う。
こういうところを心の避難場所にしてしばらく過ごすとかいうのもいいですね。限られた時間しかいられないところがまたいいと思う。
私は物心ついたくらいから自分の心の奥深くを避難場所としたはいいけれど、ずっとそこに逃げ隠れていたために・・
もうそんなに自分を罵らなくてもいいから。
なぜそうなっちゃたのかを探っていくと幾分建設的な考えが浮かぶかもしれない。
それもまたうまくできないけれど。

あのドアの横にあるのはローズマリーですか?
うちにも植えようか・・

子供の頃、通学路上に古いコンクリートな四角い家というのを見かけた。その時点でもう相当古くくたびれた感じだったけれど一つはリフォームされ見違えるようになったりして。それももうとっくに解体されて今はない。
・・そういうの感じの。
なんかよさそうですね。
入るとお客さんはいない。

古い足踏みミシンをテーブルにってのは結構よく見ますね。
よく見ますねなんてほんとに大きなお世話だけどね。
本を置いたコーナーがあって、時間の過ごし方も・・
BGMはなんか不思議系。
https://www.youtube.com/watch?v=wNgvSlWuIOQ
この曲題名がかなり有名
犬のためのぶよぶよとした前奏曲
別にぶよぶよしてないし聴くのも弾くのも犬というより主に人間。
女性の店主はちょっとキャラクターというか・・よくいえばクール。
多分本人は気付いてないけれどちょっと刺すような喋り方は一歩間違えば・・
でもこの日は心が安定、悪気ないんだろうねくらいで気にならなかった。
世間に出ればいろんな人間がいていろんなことを感じるけれど、その印象の多くは自分の側に支配されているのかも・・なんてきれいごとが言えるのはたまたま今がいい状態だから。ダメな時はダメだし、そのほうが多い。
毎日畑を眺めて心を・・なんて訳にもいかないしな。
だからと言って戦いますみたいなのもまずいと思う。
受け流せばいいやも短期的にはいいけれどそこで垂れ流し放置したものが蓄積しいずれ大きな問題となって襲ってく・・
いいから静かに過ごしましょう。

桃と夏イチゴのスムージーと桃のセミフレッド。
麦のストローなんだって。
セミフレッドなんて言葉は初めて聴いた。
食べて感じたのはレアチーズが凍ってアイスやフルーツが入ってる・・いやちょっと違うかな・・
すごく美味しかった。
時々見かける訳の分かんない葉っぱはしょっちゅう名前を聞くあの有名なローズマリーというものだと嫁さんに教えられこの時初めて知る。
改めて香りをかいでみると無印良品みたい。
ああこれいいなぁ・・いやな事に遭遇したらこれがあれば落ち着くかなぁ・・・
スムージーもとてもおいしかった。
麦ストロー樹脂とはちがう温かみみたいなものを感じるかなぁ・・
ストロー咥えて吸うはさすがにできるよ。
毎日葦で作ったリードを咥えているけれどいつまでやっても加え方も圧力もなんにも記憶されないし安定しないのね・・なんなのこの人・・俺だけど。
あ?、嫁さんの様子がおかしい・・あれ俺なんか言っちゃった?
ちがうのか、過呼吸でもない。
気持ち悪いとか首が閉まるとか、何かのアレルギー症状が出ているようだ。
こういう時、こちらが動揺しちゃったらいけない。
本人の判断では桃のスムージーであるという。
あれ桃缶大好きだよね?
麦ストロー・・なわけはないか。
これ美味しいから飲みたかったのに・・と悲しんでいた。
大丈夫そうかな‥よかった。
私は美味しいものを二人分いただけたけれどカロリーとかどうなってんだこれとか思いながら・・

薪ストーブ?
冬もよさそうですね。
もうちょっと暗くなれば別な表情を見せてくれるかな。いいですねここ。
店主が自分の趣味で作った空間なんだろうけれど一本まっすぐなコンセプトが貫いていて、ドアの内側に外の現実から隔離された世界があると思う。
こういうところを心の避難場所にしてしばらく過ごすとかいうのもいいですね。限られた時間しかいられないところがまたいいと思う。
私は物心ついたくらいから自分の心の奥深くを避難場所としたはいいけれど、ずっとそこに逃げ隠れていたために・・
もうそんなに自分を罵らなくてもいいから。
なぜそうなっちゃたのかを探っていくと幾分建設的な考えが浮かぶかもしれない。
それもまたうまくできないけれど。

あのドアの横にあるのはローズマリーですか?
うちにも植えようか・・
ぶどう寺
地図を見ていたらぶどう寺というのがあった。
変なネタ系とかじゃなくて国宝の本堂を持つ歴史のある寺であるらしく行ってみることにした。

鎌倉時代とかからここで睨んでおられるんでしょうか・・・
これ見よがしに置かれた案内板を読むまでもなく、歴史的すごみみたいなものが感じられる気がする。

国宝の本堂は鎌倉時代に再建されたものだそうだから事はお寺はもっと前からあるのか。
中へ入ると、平安時代からという薬師如来様は逗子の中にあってお姿は見えない。
お寺の人が丁寧に説明をしてくれる。
終わりかけたところで興味があったのでいろいろ聞いてみた。
薬師如来様がぶどうを持っているのは平安時代から・・そもそも薬師如来がぶどうを持って現れたというところがこの寺の起源であるだけでなく、甲州にぶどうが広まった原点なのだそうだ。
さらに聞くとぶどうの遺伝子解析により、タクラマカン砂漠にあるぶどうを祖として中国の色々なぶどうを取り込んだものがここへきていることがわかっているそうだ。
仏教と共にぶどうは伝来したのか・・ほんとにぶどうは仏さまが持ってこられたんですね。
なんかその話に心が魅かれ満たされる。
https://www.youtube.com/watch?v=oY6s20JYyyM
シェーラザードはペルシャかなんかで同じ砂漠でも全然違うとこなんだろうけどまあいいじゃない。
ルート的にはつながっていて、正倉院にはペルシャの何だかが収められているんじゃなかったっけ?

初めて聴いたのがいつだったのかも忘れたけれどこの楽章でまず引き付けられたの最初にクラリネットに出てくるこれ・・
呪文のような夜空の星のような・・・異国情緒感ありすぎの魔法の言葉・・
ものすごく難しいことをやっていそうなイメージがあったけれど改めて楽譜をよく見るとかなりシンプルな音階なのね・・逆に驚いたりして。
砂漠を渡り岩山を超えとか、今だってやばいのに昔は命がけどころの騒ぎじゃなかったんでしょうね。
途中に現れるオアシスにはぶどうの蔓があってみたいな・・
トルファンだっけ?一度行ってみたいけどなぁ・・
どこかの老人会みたいな団体が入ってきて並べられた椅子に座りだした。お経が始まりお坊さんの説法みたいなのが始まる雰囲気だ。
たくさんの仏像はすぐそばまで近寄ることが許されていて本当はしばらくここにいたかったのだけど、今ここはあなたのいる場所じゃないですがあなたなに?・・みたいな雰囲気を感じて外に出る。
音楽を好きだという気持ちが強まると究極的には自分が演る側になりたくなるものだと思う。
思ってそこへ行ってみるとここはお前みたいなのが来る場所じゃないんだよといわれ逃げるの繰り返しであった。
今また勝手にいきたいところに向かうべく落第寸前で楽器を習い、そこにこれまでの人生の失敗とやりなおしを重ね・

ちょっとトルファンみたいじゃん。
ちがうか。
寺がワインを醸造しているんだそうだけどこのブドウは関係あるのかな?

ラインが埋めてあったりしてここも駐車場なんですね。
拝観料を払ったときにもらったチケットみたいなのには案内図が乗っていて、指をさしながら帰りにはこちらへ回ってこの庭園を見ていってください・・
言われたとおりに戻ってきて案内板を探すとなんか建物へ入れと書いてあるので・・

鉢植えのシャインマスカット。
こんなのやってみたいけど素人には難しいんだろうなぁ・・
その庭園というのは確かにあったけれど、国宝の本堂と釣り合うようなものなのか私にはわからなかった・それより印象としては

ここで何か飲んだり買ったりしてくださいという感じなのかな。
奥には団体さんが入っていてお食事中・・
ここは別な団体さんも来てブドウ品定め祭り
お寺も経営しなくちゃなんないし色々大変なんでしょうね。

スーパーで売ってるのとは違う気がする。
何がって艶とかかなぁ・・迫力・・
70円負けろというおじさんにそこが儲けなのぉ・・
買って帰ろうか?というと嫁さんは
そんなもん買うならピノを大量に買ってくれだそうだ。
これはしばらく食えないと思う。
今日もスーパーでシャインマスカットを指して買う?と聞いたら
そんな高いものはいりません・・
かわりにタラミのぶどうが入ったPUREというゼリーを買って来た。
これちょっとおいしいのね。
変なネタ系とかじゃなくて国宝の本堂を持つ歴史のある寺であるらしく行ってみることにした。

鎌倉時代とかからここで睨んでおられるんでしょうか・・・
これ見よがしに置かれた案内板を読むまでもなく、歴史的すごみみたいなものが感じられる気がする。

国宝の本堂は鎌倉時代に再建されたものだそうだから事はお寺はもっと前からあるのか。
中へ入ると、平安時代からという薬師如来様は逗子の中にあってお姿は見えない。
お寺の人が丁寧に説明をしてくれる。
終わりかけたところで興味があったのでいろいろ聞いてみた。
薬師如来様がぶどうを持っているのは平安時代から・・そもそも薬師如来がぶどうを持って現れたというところがこの寺の起源であるだけでなく、甲州にぶどうが広まった原点なのだそうだ。
さらに聞くとぶどうの遺伝子解析により、タクラマカン砂漠にあるぶどうを祖として中国の色々なぶどうを取り込んだものがここへきていることがわかっているそうだ。
仏教と共にぶどうは伝来したのか・・ほんとにぶどうは仏さまが持ってこられたんですね。
なんかその話に心が魅かれ満たされる。
https://www.youtube.com/watch?v=oY6s20JYyyM
シェーラザードはペルシャかなんかで同じ砂漠でも全然違うとこなんだろうけどまあいいじゃない。
ルート的にはつながっていて、正倉院にはペルシャの何だかが収められているんじゃなかったっけ?

初めて聴いたのがいつだったのかも忘れたけれどこの楽章でまず引き付けられたの最初にクラリネットに出てくるこれ・・
呪文のような夜空の星のような・・・異国情緒感ありすぎの魔法の言葉・・
ものすごく難しいことをやっていそうなイメージがあったけれど改めて楽譜をよく見るとかなりシンプルな音階なのね・・逆に驚いたりして。
砂漠を渡り岩山を超えとか、今だってやばいのに昔は命がけどころの騒ぎじゃなかったんでしょうね。
途中に現れるオアシスにはぶどうの蔓があってみたいな・・
トルファンだっけ?一度行ってみたいけどなぁ・・
どこかの老人会みたいな団体が入ってきて並べられた椅子に座りだした。お経が始まりお坊さんの説法みたいなのが始まる雰囲気だ。
たくさんの仏像はすぐそばまで近寄ることが許されていて本当はしばらくここにいたかったのだけど、今ここはあなたのいる場所じゃないですがあなたなに?・・みたいな雰囲気を感じて外に出る。
音楽を好きだという気持ちが強まると究極的には自分が演る側になりたくなるものだと思う。
思ってそこへ行ってみるとここはお前みたいなのが来る場所じゃないんだよといわれ逃げるの繰り返しであった。
今また勝手にいきたいところに向かうべく落第寸前で楽器を習い、そこにこれまでの人生の失敗とやりなおしを重ね・

ちょっとトルファンみたいじゃん。
ちがうか。
寺がワインを醸造しているんだそうだけどこのブドウは関係あるのかな?

ラインが埋めてあったりしてここも駐車場なんですね。
拝観料を払ったときにもらったチケットみたいなのには案内図が乗っていて、指をさしながら帰りにはこちらへ回ってこの庭園を見ていってください・・
言われたとおりに戻ってきて案内板を探すとなんか建物へ入れと書いてあるので・・

鉢植えのシャインマスカット。
こんなのやってみたいけど素人には難しいんだろうなぁ・・
その庭園というのは確かにあったけれど、国宝の本堂と釣り合うようなものなのか私にはわからなかった・それより印象としては

ここで何か飲んだり買ったりしてくださいという感じなのかな。
奥には団体さんが入っていてお食事中・・
ここは別な団体さんも来てブドウ品定め祭り
お寺も経営しなくちゃなんないし色々大変なんでしょうね。

スーパーで売ってるのとは違う気がする。
何がって艶とかかなぁ・・迫力・・
70円負けろというおじさんにそこが儲けなのぉ・・
買って帰ろうか?というと嫁さんは
そんなもん買うならピノを大量に買ってくれだそうだ。
これはしばらく食えないと思う。
今日もスーパーでシャインマスカットを指して買う?と聞いたら
そんな高いものはいりません・・
かわりにタラミのぶどうが入ったPUREというゼリーを買って来た。
これちょっとおいしいのね。
日の光と季節を感じないとダメだった
出かけた先で昭和なレストランをみつけた。

すぐ隣は桃畑だけれどもう実は収穫されてのこってなかった。
そりゃそうか。なんにでも時期ってもんがあるもんね。
だけど青々とした葉はまだ勢いがあってやってやるわ!みたいだ。
ランチ終了2分前に駆け込んだのにお店の人は笑顔で迎えてくれた。
暖かく丁寧な対応はどんな料理よりも得難く忘れがたい。
かぼちゃのポタージュに始まって・・

食べている途中で先程の店員さんが窓に外から簾をかけてくれる。
いい感じのサラダにメインに・・
おいしいし、ゆったりとした気持ちのいい時間。
しかしなんだか暑くなってきた。
明るい方がいいかな思って座ったけど西日が、

デザートの頃にはここまで・・
巨砲のババロア。
ババロアって久しぶりに聴いたな。
おいしかったよこれ。
リンゴに見えるものは桃。
山梨って感じですね。
食い終わった後に嫁さんに桃だといわれるまでかわったリンゴだと思ってた。
いい時間を過ごさせてもらえました。ありがとう。
この辺り一帯は桃とブドウの畑でいっぱいだ。

これシャインマスカットでしょう?
まだ食ったことないよ高くて。
ただの畑も普段見ない景色だから見てて楽しい。
シャインマスカットが畑から盗まれるというニュースを見た。
このあたりだったと思う。
あんまり見てると通報されちゃったりして。

いいねぇぶどうの丘。
ちょっとヨーロッパみたいじゃない。
みたいって行ったこともないけれど。
ぶどうって日当たりが良くないといけないんでしょう?
私は昼間から雨戸や遮光カーテンを閉め切った真っ暗な家で育った。
書きだすと自制が効かなくなりそうなので詳細は省略。
子供心に異常なことと認識し反発したけれど、いつしか自分も厚いカーテンを閉めるようになっていた。
学生の時、朝私の部屋のカーテンを全開にした人がいて
なにしてんだ!?と驚いた次の瞬間明るい部屋を見てああこれが普通なのかと思った。
そこだけ見るといい思い出みたいだけれど全体像としてはお互い黒歴史。その後また長く暗いところにこもった。
あの人ちゃんと元気でいるかな?
今は嫁さんがブラインドや障子をあけて家じゅう明るい。
人間には日の光が必要だと心底思う。
成長期に日の光に当たらないと季節もわからずどっか腐って実もならない。

これは何だろう巨砲?
ぶどう狩りみたいなのじゃなくてちょっとだけ食ってみたいというのはどうすればいいのかな?
横で嫁さんが、スーパー行けってことじゃないの?
あそうですか。

あの白い紙を被せていないのはお酒用のブドウなのかな?
俺は食える実のがいいな。
近くの畑で何かを燃やした煙で辺り一面慰撫されてるみたいで・・俺は虫か。
さっきまで指すようだった強い日差しが少し傾いて夕日の予感。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=212&v=E4jZ21bLB_c
最後の4つの歌という曲集から九月という曲ですが、
詩の和訳を読むと夏が自身の最後を悟り静かに目を閉じようとしているようだ。
その夏というのは単に自然の季節を指しているだけではないだろう。
私は、
自分に夏が来ると思っていなかったので夏に気付かなかったし、夏を感じなかったので秋も来ない。
でも何かが終わりの方角に向かっているのは感じるようになった。
まだそんなすぐに終わるとも思わない。午後4時半の日差しみたいな。

桃が少しだけ残っていた。
実はつけられなくても枯れるまでは生きてるんだから
今からでも葉っぱの一枚でも茂らせられるように・・

すぐ隣は桃畑だけれどもう実は収穫されてのこってなかった。
そりゃそうか。なんにでも時期ってもんがあるもんね。
だけど青々とした葉はまだ勢いがあってやってやるわ!みたいだ。
ランチ終了2分前に駆け込んだのにお店の人は笑顔で迎えてくれた。
暖かく丁寧な対応はどんな料理よりも得難く忘れがたい。
かぼちゃのポタージュに始まって・・

食べている途中で先程の店員さんが窓に外から簾をかけてくれる。
いい感じのサラダにメインに・・
おいしいし、ゆったりとした気持ちのいい時間。
しかしなんだか暑くなってきた。
明るい方がいいかな思って座ったけど西日が、

デザートの頃にはここまで・・
巨砲のババロア。
ババロアって久しぶりに聴いたな。
おいしかったよこれ。
リンゴに見えるものは桃。
山梨って感じですね。
食い終わった後に嫁さんに桃だといわれるまでかわったリンゴだと思ってた。
いい時間を過ごさせてもらえました。ありがとう。
この辺り一帯は桃とブドウの畑でいっぱいだ。

これシャインマスカットでしょう?
まだ食ったことないよ高くて。
ただの畑も普段見ない景色だから見てて楽しい。
シャインマスカットが畑から盗まれるというニュースを見た。
このあたりだったと思う。
あんまり見てると通報されちゃったりして。

いいねぇぶどうの丘。
ちょっとヨーロッパみたいじゃない。
みたいって行ったこともないけれど。
ぶどうって日当たりが良くないといけないんでしょう?
私は昼間から雨戸や遮光カーテンを閉め切った真っ暗な家で育った。
書きだすと自制が効かなくなりそうなので詳細は省略。
子供心に異常なことと認識し反発したけれど、いつしか自分も厚いカーテンを閉めるようになっていた。
学生の時、朝私の部屋のカーテンを全開にした人がいて
なにしてんだ!?と驚いた次の瞬間明るい部屋を見てああこれが普通なのかと思った。
そこだけ見るといい思い出みたいだけれど全体像としてはお互い黒歴史。その後また長く暗いところにこもった。
あの人ちゃんと元気でいるかな?
今は嫁さんがブラインドや障子をあけて家じゅう明るい。
人間には日の光が必要だと心底思う。
成長期に日の光に当たらないと季節もわからずどっか腐って実もならない。

これは何だろう巨砲?
ぶどう狩りみたいなのじゃなくてちょっとだけ食ってみたいというのはどうすればいいのかな?
横で嫁さんが、スーパー行けってことじゃないの?
あそうですか。

あの白い紙を被せていないのはお酒用のブドウなのかな?
俺は食える実のがいいな。
近くの畑で何かを燃やした煙で辺り一面慰撫されてるみたいで・・俺は虫か。
さっきまで指すようだった強い日差しが少し傾いて夕日の予感。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=212&v=E4jZ21bLB_c
最後の4つの歌という曲集から九月という曲ですが、
詩の和訳を読むと夏が自身の最後を悟り静かに目を閉じようとしているようだ。
その夏というのは単に自然の季節を指しているだけではないだろう。
私は、
自分に夏が来ると思っていなかったので夏に気付かなかったし、夏を感じなかったので秋も来ない。
でも何かが終わりの方角に向かっているのは感じるようになった。
まだそんなすぐに終わるとも思わない。午後4時半の日差しみたいな。

桃が少しだけ残っていた。
実はつけられなくても枯れるまでは生きてるんだから
今からでも葉っぱの一枚でも茂らせられるように・・