頭のおかしい人が落ち着ける場所へ
仕事中に謎の不安と焦りみたいなもので頭が満たされ思考を邪魔していることに気付く。
落ち着いてみると、すぐ先に控えた嫌なことへの小さな不安が心の奥に閉じ込めている全く関係のないいくつかの大きな不安を呼び起こして活性化させていることが分かった。
同じ日、楽器の練習場で支払時オーナーが何か言いかけ結局やめたように見えた。
私の頭は練習場に入るときにあったいつもと違うちょっとした出来事とそれを結びつけ、オーナーは私に対してもう来ないでくださいと言おうとしたんだという被害妄想へすり替えていくことが自分でわかった。
笑顔で飄々としたオーナーを見たはずなのに、困ったような表情でそっけなくお釣りを渡してきた・・と映像付きで記憶が勝手に書き換えられていくことにも自分で気づいた。
この流れはよく知っている。まずいなと自分で思ったが止められない。HSPとかそんなのじゃないなと思った。
不安を感じるとスイッチが入ったように常軌を逸した言動を見せ始める人を良く知っているのだけれど、何よりの問題は本人にその自覚が全くないことで・・・・この先書いたことは人前に出したら人でなしだと思うのでやめます。
今の私は大丈夫。
消しちゃったけれど書いた内容を自分で読んで、紙一重のあっち側じゃないと思えた。
全然別な休日。
地図上にみつけた隠れ家みたいなカフェは行ってみるとほんとに隠したようなところに隠れていた。
車から降りる前からインスタ映えな景色。
2台分しかない駐車場は塞がってる。
えーと・・なんて思ってたら後ろから外車がやってきて遮るように停める。
やったもん勝ちとボケっとした間抜けというところでしょう。
すぐそばにコーヒー専門店というのも見つけたのでそちらへいってみることにする。

行ってみると新しい建物は別にインスタ映えじゃない。
そこそこの飾りつけもあるけれど最近見慣れたおしゃれカフェみたいなのからすればごくごく普通。
入り口には張り紙があり、
「ここはコーヒー専門店です。
ランチや子供向けのメニューはありません。」
最近入り口に張り紙というのをよく見かけるような気もする。
自分の思ったのと違うと喚くような人がいっぱいいるのかな。
入るとどこでもいいですよーといわれ、

広く空いている席に座ってゆっくりする。
周りにお客さんはいないので静かだしなんか気にする必要もない。
コーヒー専門店だから本当は砂糖も入れずに珈琲の豆とか炒り具合の違いとかを楽しむんでしょうね。
なのにチョコレートと生クリームがたっぷり浮かんでんのを頼んじゃった。

モカジャバとチョコレートケーキ。
ケーキは手作りと書いてあったけどほんとにそれっぽい。
もちろんおいしかった。
BGMはよくあるようにジャズだったけれど途中で出てきた一曲は

チャイコフスキーのこれを使ってた。
https://www.youtube.com/watch?v=udDSfSI8I-k
シロップとブランデーにつけ込んだような第1主題の後に出てくる第2主題はまた濃厚なバターの上に砂糖をまぶしてみたいな・・
チャイコフスキーの音楽ってはちみつにチョコレートに生クリームに粉砂糖に・・ってのがこれでもかってくらい押し寄せてくると思うことがあります。
けど、甘さだけに頼ってるわけじゃなく絶対にもういらないとか飽きたとは言わせないというところが沢山いたんだろう他の忘れられちゃった人との違うところなんでしょうね。

椅子にふかく腰掛けて、あーっ とか言ってゆっくりする。
別にインスタ映えじゃないけれど、おいしく寛げた。
豆を買いに来る人が沢山いるみたいで何人も来ていた。
注文聞いてから挽くのね・・ってよくわかんないけど。
その方が香りとかがいいんでしょう?
別なところで教えてもらったけれど同じ豆でもフィルタの材質とか温度とかいろんな要素でいろんなことがどんどん変わっていくんでしょう?
奥が深く楽しそうですね。
オーディオにもそんな要素があって似ていると思った。
オーディオなんて一言でくくってもそこへ何を求めるか、どう感じるかどう考えるかは人により千差万別で全然違う方向を向いたりしている。なのに自分の考えが唯一無二の正解だと勝手に信じ合わせられないやつは馬鹿だみたいな人が何故か多い。
人それぞれだからと適当に笑顔で合わせていると馬鹿にしだして自分に服従するように求めたりし始める。
自分もその一人だったかもしれません。
オーディオに限らず音楽でもなんでもそうですね。
みんなそこをうまくやっているんだろうけど、私は自分の好きな物を好きそうな人や集団を見つけたら近寄るより逃げる。
ダメ人間である。
お店の壁にはでっかくのばした写真が額に入れられて飾られて・・オーナーかお客さんか写真好きな人がいるんでしょうね。
写真やカメラは素晴らしい趣味だと思うけれど、過去の経験から私個人としてはでっかいカメラの自慢話を始める人がいたら警戒に入り・・
こんなのダメ人間なんでしょうね。
いろんなお店に行ってここよかったなぁと思ったときに共通しているのはいつも周りに人がいなかったということ。
それじゃいけないんだとは思うけれど。
どうしてこうなってしまったかを記憶の最初まで戻って考えてみると・・もういか。
天気の悪い日だったのに

ふと窓の外を見るとまさかの青空。
とても落ち着いたよい時間を過ごせたと思う。
ここに人に言えないようなことをわーっと書いては消しを繰り替えし他人の前に出してはいけないと思って結局削除するというのが結構あります。
公開しなくても文字化しながらああでもこうでもないとやると考えが整理されて心おちついたりする。
多分最初から非公開なつもりで書くとかじゃダメで、実際誰かに読んでもらうつもりでというのがポイントなんじゃないかと思う。
本当は今、人前に出せば人でなしといわれかねないあることをここに吐き出したくて仕方がない。
でもそんなことをしたその先に何があるわけでもないことはわかる。
自分の一番の願いは一度でもいいから誰かにわかるよといってほしいことだという事もわかる。
ブログが話し相手とか相談相手みたいになっちゃっててそれはそれでまずいのかもしれないけれど、ありがとうブログ。
そしてそれは読んでくれる人がいると思うから成り立つ話なので、読んでくださる方ほんとうにありがとうございます。
落ち着いてみると、すぐ先に控えた嫌なことへの小さな不安が心の奥に閉じ込めている全く関係のないいくつかの大きな不安を呼び起こして活性化させていることが分かった。
同じ日、楽器の練習場で支払時オーナーが何か言いかけ結局やめたように見えた。
私の頭は練習場に入るときにあったいつもと違うちょっとした出来事とそれを結びつけ、オーナーは私に対してもう来ないでくださいと言おうとしたんだという被害妄想へすり替えていくことが自分でわかった。
笑顔で飄々としたオーナーを見たはずなのに、困ったような表情でそっけなくお釣りを渡してきた・・と映像付きで記憶が勝手に書き換えられていくことにも自分で気づいた。
この流れはよく知っている。まずいなと自分で思ったが止められない。HSPとかそんなのじゃないなと思った。
不安を感じるとスイッチが入ったように常軌を逸した言動を見せ始める人を良く知っているのだけれど、何よりの問題は本人にその自覚が全くないことで・・・・この先書いたことは人前に出したら人でなしだと思うのでやめます。
今の私は大丈夫。
消しちゃったけれど書いた内容を自分で読んで、紙一重のあっち側じゃないと思えた。
全然別な休日。
地図上にみつけた隠れ家みたいなカフェは行ってみるとほんとに隠したようなところに隠れていた。
車から降りる前からインスタ映えな景色。
2台分しかない駐車場は塞がってる。
えーと・・なんて思ってたら後ろから外車がやってきて遮るように停める。
やったもん勝ちとボケっとした間抜けというところでしょう。
すぐそばにコーヒー専門店というのも見つけたのでそちらへいってみることにする。

行ってみると新しい建物は別にインスタ映えじゃない。
そこそこの飾りつけもあるけれど最近見慣れたおしゃれカフェみたいなのからすればごくごく普通。
入り口には張り紙があり、
「ここはコーヒー専門店です。
ランチや子供向けのメニューはありません。」
最近入り口に張り紙というのをよく見かけるような気もする。
自分の思ったのと違うと喚くような人がいっぱいいるのかな。
入るとどこでもいいですよーといわれ、

広く空いている席に座ってゆっくりする。
周りにお客さんはいないので静かだしなんか気にする必要もない。
コーヒー専門店だから本当は砂糖も入れずに珈琲の豆とか炒り具合の違いとかを楽しむんでしょうね。
なのにチョコレートと生クリームがたっぷり浮かんでんのを頼んじゃった。

モカジャバとチョコレートケーキ。
ケーキは手作りと書いてあったけどほんとにそれっぽい。
もちろんおいしかった。
BGMはよくあるようにジャズだったけれど途中で出てきた一曲は

チャイコフスキーのこれを使ってた。
https://www.youtube.com/watch?v=udDSfSI8I-k
シロップとブランデーにつけ込んだような第1主題の後に出てくる第2主題はまた濃厚なバターの上に砂糖をまぶしてみたいな・・
チャイコフスキーの音楽ってはちみつにチョコレートに生クリームに粉砂糖に・・ってのがこれでもかってくらい押し寄せてくると思うことがあります。
けど、甘さだけに頼ってるわけじゃなく絶対にもういらないとか飽きたとは言わせないというところが沢山いたんだろう他の忘れられちゃった人との違うところなんでしょうね。

椅子にふかく腰掛けて、あーっ とか言ってゆっくりする。
別にインスタ映えじゃないけれど、おいしく寛げた。
豆を買いに来る人が沢山いるみたいで何人も来ていた。
注文聞いてから挽くのね・・ってよくわかんないけど。
その方が香りとかがいいんでしょう?
別なところで教えてもらったけれど同じ豆でもフィルタの材質とか温度とかいろんな要素でいろんなことがどんどん変わっていくんでしょう?
奥が深く楽しそうですね。
オーディオにもそんな要素があって似ていると思った。
オーディオなんて一言でくくってもそこへ何を求めるか、どう感じるかどう考えるかは人により千差万別で全然違う方向を向いたりしている。なのに自分の考えが唯一無二の正解だと勝手に信じ合わせられないやつは馬鹿だみたいな人が何故か多い。
人それぞれだからと適当に笑顔で合わせていると馬鹿にしだして自分に服従するように求めたりし始める。
自分もその一人だったかもしれません。
オーディオに限らず音楽でもなんでもそうですね。
みんなそこをうまくやっているんだろうけど、私は自分の好きな物を好きそうな人や集団を見つけたら近寄るより逃げる。
ダメ人間である。
お店の壁にはでっかくのばした写真が額に入れられて飾られて・・オーナーかお客さんか写真好きな人がいるんでしょうね。
写真やカメラは素晴らしい趣味だと思うけれど、過去の経験から私個人としてはでっかいカメラの自慢話を始める人がいたら警戒に入り・・
こんなのダメ人間なんでしょうね。
いろんなお店に行ってここよかったなぁと思ったときに共通しているのはいつも周りに人がいなかったということ。
それじゃいけないんだとは思うけれど。
どうしてこうなってしまったかを記憶の最初まで戻って考えてみると・・もういか。
天気の悪い日だったのに

ふと窓の外を見るとまさかの青空。
とても落ち着いたよい時間を過ごせたと思う。
ここに人に言えないようなことをわーっと書いては消しを繰り替えし他人の前に出してはいけないと思って結局削除するというのが結構あります。
公開しなくても文字化しながらああでもこうでもないとやると考えが整理されて心おちついたりする。
多分最初から非公開なつもりで書くとかじゃダメで、実際誰かに読んでもらうつもりでというのがポイントなんじゃないかと思う。
本当は今、人前に出せば人でなしといわれかねないあることをここに吐き出したくて仕方がない。
でもそんなことをしたその先に何があるわけでもないことはわかる。
自分の一番の願いは一度でもいいから誰かにわかるよといってほしいことだという事もわかる。
ブログが話し相手とか相談相手みたいになっちゃっててそれはそれでまずいのかもしれないけれど、ありがとうブログ。
そしてそれは読んでくれる人がいると思うから成り立つ話なので、読んでくださる方ほんとうにありがとうございます。