嵐の最中に考えてたこと
これを書いている今、

でっかい台風が接近中。
・・・だった。
その後各地での大きな被害を知ることとなり、今も大変な思いをしている人が沢山いると思うとなんといっていいかわかりません。
箱根には異常な量の雨が降り芦ノ湖もあふれたようだ。
私の家から見えるこの山も箱根山なのだけど長年手入れを放棄された人工林は保水力が足りない為大雨が降ると山ごとえぐられたように崩れる。何年か前には近くの家が川に流された。
局地的で異常な雨の当たる位置があとすこしずれていたら、このあたりもただ事では済まなかっただろう。
またちょうど風雨がピークに達したころに地震が来たりして・・
風もないのに家が揺れてるのを感じたときにはついに隣の山が崩れてきたのかと思いかけた。
そして今後それが絶対にないとは誰も言えないと思う。
大雨でも崩れない山を取り戻すためにはもりに光を入れて草から始まったり多彩な植物が根を張るようにしてやる必要があるんだと思う。宅にだろうかどこかからお金が出てそういう事もやってるみたいだ。
大雨みたいなのが来ても崩れないような心になるためには、いろんな成功体験と、友達相談のできる友達、人脈、遊び、豊かな・・
そういうのが根を張ることが必要だと思う。
一つもないね。
心に砂防ダムを設置しろ・・
こんなこと書いてたけれど時間がたった今読むとあほかと思われるだけだなとは思う。
心の砂防ダムって何だろうな。
酒?薬?歌?友達?子供・・
もういいから。

最近勤務先に一人の中学生がやってきた。
担当した人間の言葉によると、引きこもりで進学は難しいので就職をすることになった子の社会見学のようなものだそうだ。
進学は無理だけど就職ならできるというのはどうかとも思うけれど、停滞をよしとすると取り返しがつかないしな。
ちらっと見た彼は健全で聡明という印象だった。
本当は違う望みがあるんじゃないのかな・・
良かれと思う周囲の配慮が誤った方向へ・・・
だけど彼のことは知らないし私の感じたことには何の意味もない。
本当は彼のことじゃなく、あるはずだったなにかがないという意識の抜けない自分を重ねてみたかっただけかもしれない。
皆と同じになぜできないの!
をやめて、あなたにはそれがあっていますからあなたらしく生きましょう・・とかいうのが個性を尊重する正しい流れだと思っていた。
私も人にそんな言葉をかけたことがあるし、自分もそう言ってもらいたいなんて思っているかもしれない。
最近自分自身のあることでで思った。
受け手からするとそれは「お前はどうせそんなんだからそこでその程度でいればいいんだよ」ととも聞こえる。
もちろんそうじゃない場合もあるだろう。
私はあることで、わかってなんかもらわないほうがいいんだなと思った。
雨の音自体は嫌いじゃないけれど、音楽を根こそぎ聴きいときには邪魔をしてくるので雨が降ると音楽は聴けない。
そんなわけないだろ!が一般的な・・まいいかそんなの。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=2388&v=4S2FOCca3zc
グレートのフィナーレを聴いていると特に第2主題部のあたりで
みんないるよ・・ひとりじゃないんだよ・・大丈夫だから・・みたいなものをすごく強く感じる。

暖かく包み込んでくるかのようなそれはコーダで全地上を揺るがすかのような大きな力となって・・
シューベルトは確か30歳になるより前に無くなってしまったんじゃなかったっけ?
コレラなんかが蔓延していたんだろうあの当時それは特別珍しいことじゃなかったのかもしれない。
机に置き去りになっていた総譜をシューマンが発見したというこの曲、
こんなものを書いてしまったから神様がお前もういいだろうと言ったのか、もう時間がないのを知っている神様がこんな曲を書く力を与えたのか・・
聴いている自分はこの世に祝福された幸せな人間でいられる。
音楽ってすごいよね。
しかし最終音の余韻が消え孤独感が戻ってくる・・そんなことはいいから。

ファミレスのサラダ。
期待しないで手を付けると炒めたてをのせてくれるらしくキノコが温かかった・・こんな小さな幸せが・・
よくいう小さな幸せを拾い集めてというのは心の斜面に小さな下草の種をまいているんだろう。
だけど大雨が来るとあっという間に流されちゃって・・
もういいか。
危機管理といえば、

もう一つ書こうと思っていたけれどリアル問題過ぎて詳細を書いたらまずい気がしてきた。
世の中安心安全なんてなくて常に危機に瀕しているのかもしれません。
こんなことを言ってられるうちは平和で幸せなのかもしれません。

でっかい台風が接近中。
・・・だった。
その後各地での大きな被害を知ることとなり、今も大変な思いをしている人が沢山いると思うとなんといっていいかわかりません。
箱根には異常な量の雨が降り芦ノ湖もあふれたようだ。
私の家から見えるこの山も箱根山なのだけど長年手入れを放棄された人工林は保水力が足りない為大雨が降ると山ごとえぐられたように崩れる。何年か前には近くの家が川に流された。
局地的で異常な雨の当たる位置があとすこしずれていたら、このあたりもただ事では済まなかっただろう。
またちょうど風雨がピークに達したころに地震が来たりして・・
風もないのに家が揺れてるのを感じたときにはついに隣の山が崩れてきたのかと思いかけた。
そして今後それが絶対にないとは誰も言えないと思う。
大雨でも崩れない山を取り戻すためにはもりに光を入れて草から始まったり多彩な植物が根を張るようにしてやる必要があるんだと思う。宅にだろうかどこかからお金が出てそういう事もやってるみたいだ。
大雨みたいなのが来ても崩れないような心になるためには、いろんな成功体験と、友達相談のできる友達、人脈、遊び、豊かな・・
そういうのが根を張ることが必要だと思う。
一つもないね。
心に砂防ダムを設置しろ・・
こんなこと書いてたけれど時間がたった今読むとあほかと思われるだけだなとは思う。
心の砂防ダムって何だろうな。
酒?薬?歌?友達?子供・・
もういいから。

最近勤務先に一人の中学生がやってきた。
担当した人間の言葉によると、引きこもりで進学は難しいので就職をすることになった子の社会見学のようなものだそうだ。
進学は無理だけど就職ならできるというのはどうかとも思うけれど、停滞をよしとすると取り返しがつかないしな。
ちらっと見た彼は健全で聡明という印象だった。
本当は違う望みがあるんじゃないのかな・・
良かれと思う周囲の配慮が誤った方向へ・・・
だけど彼のことは知らないし私の感じたことには何の意味もない。
本当は彼のことじゃなく、あるはずだったなにかがないという意識の抜けない自分を重ねてみたかっただけかもしれない。
皆と同じになぜできないの!
をやめて、あなたにはそれがあっていますからあなたらしく生きましょう・・とかいうのが個性を尊重する正しい流れだと思っていた。
私も人にそんな言葉をかけたことがあるし、自分もそう言ってもらいたいなんて思っているかもしれない。
最近自分自身のあることでで思った。
受け手からするとそれは「お前はどうせそんなんだからそこでその程度でいればいいんだよ」ととも聞こえる。
もちろんそうじゃない場合もあるだろう。
私はあることで、わかってなんかもらわないほうがいいんだなと思った。
雨の音自体は嫌いじゃないけれど、音楽を根こそぎ聴きいときには邪魔をしてくるので雨が降ると音楽は聴けない。
そんなわけないだろ!が一般的な・・まいいかそんなの。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=2388&v=4S2FOCca3zc
グレートのフィナーレを聴いていると特に第2主題部のあたりで
みんないるよ・・ひとりじゃないんだよ・・大丈夫だから・・みたいなものをすごく強く感じる。

暖かく包み込んでくるかのようなそれはコーダで全地上を揺るがすかのような大きな力となって・・
シューベルトは確か30歳になるより前に無くなってしまったんじゃなかったっけ?
コレラなんかが蔓延していたんだろうあの当時それは特別珍しいことじゃなかったのかもしれない。
机に置き去りになっていた総譜をシューマンが発見したというこの曲、
こんなものを書いてしまったから神様がお前もういいだろうと言ったのか、もう時間がないのを知っている神様がこんな曲を書く力を与えたのか・・
聴いている自分はこの世に祝福された幸せな人間でいられる。
音楽ってすごいよね。
しかし最終音の余韻が消え孤独感が戻ってくる・・そんなことはいいから。

ファミレスのサラダ。
期待しないで手を付けると炒めたてをのせてくれるらしくキノコが温かかった・・こんな小さな幸せが・・
よくいう小さな幸せを拾い集めてというのは心の斜面に小さな下草の種をまいているんだろう。
だけど大雨が来るとあっという間に流されちゃって・・
もういいか。
危機管理といえば、

もう一つ書こうと思っていたけれどリアル問題過ぎて詳細を書いたらまずい気がしてきた。
世の中安心安全なんてなくて常に危機に瀕しているのかもしれません。
こんなことを言ってられるうちは平和で幸せなのかもしれません。