河の流れの・・ってほんとだよね。

山に登った。
車でだけど。
ちょっと寒い。
そんなに高くはないんだろうけれど、なんとなく別世界に来たような気になる。

でっかいダムが見える。
その奥にはどこまでも続く山々と森。
川って山と森の出力ですよね。
川は谷間をながれその後、

反対側に見下ろす扇状地を作り海へ流れ出てゆく。
ダムとは別な方向からくる流れがもう一本あり、よい意味というより悪い意味でいろいろあった思春期の頃毎日その川を眺めていた。
いまでも、遠くに見えるあの川は全く知らない他人というわけでもない気がする。
この日風邪のひき始めで体が休みを欲していたのか目覚めたらいつになく遅い時間だった。
体内時計も風邪でボケているのか、冬になりかけた日差しの角度に混乱しているのか時差ボケみたいな感覚に陥る。
まだ昼前なのにもう夕方だと思っていたり・・
冬のような日差しの中朝顔は必死に花を咲かせていたり。
いま人生上のどこにいるのかわからない。
年齢的には中年であるけれど精神的には全く未発達な幼児期のようで、もうすぐ終わる手前に来ているような気がしたりもする。
子育てをしていないからか?
仕事・・人生上の大きな工程というか・・今色々思うところがあるけれど仕事についてはここに書かないことにしてる。
今人生のどこかなんて、わからない方がいいとも思うけれど。

小さな祠には昭和十二年修理の文字。
戦前、80年くらい前かぁ・・
ものすごく遠い昔のようで、
自分が生きてきた年月が45年だと思うと・・何だか混乱するな。
俺はあと何年生きられるのかな?
知らない方がいいけれど。

多分作者の死によって永久に中断されたブログを見ることが結構あります。
色々考えさせられるし、不意に続きが書いてあったりしないかと忘れたころに見に行ってみるものもある。
昨日偶然見かけたものにもまた考えさせられることがあった。

人生って軌跡というか結果なんですよね。
自分で自分をどう思うかという事は大事で必要なことなんだろうけど、間違った方向へ傾けば足を引っ張る邪魔でしかないかもしれない。
本人だけが大事に抱え温めた自分像なんて傍目には何の意味もないだけでなくむしろ・・
大事なのはやってきた結果や言ってきたこととその結果に対しての周囲の反応なのかもしれませんね。
今この時間何を考えなにをしていたかが大事でそれだけなんだろうなぁ。
しかしそう考えると他人は全く関係ないとかいって誰とも付き合えない私は最低じゃない。
急にこれじゃいけないと思ってもどうしていいのかよくわからない。
今ここでこんなことを考えるのにはきっと意味があるんだと思う。
残りの時間をより良いものにしようと思ったら何かをしなくちゃならないのは常に今なんだろうけど。
シューマンは訪ねてきた若者の才能に驚き感激し、次の世界を切り開く天才としてブラームスを世界へ紹介したことが有名。
ブラームスはその大恩人の嫁さんといい感じになりかけちゃって苦しみ、結局一生をそこにささげたことも有名。
この件いつも作曲家側から語られるけれど、若いころのポートレートを見ると少女漫画みたいな美少年だもん、奥さんも色々大変だったでしょうね。
彼は40歳、交響曲第1番のあたりから作風というか姿勢や考え方を大きく変えていると思う。
若い苦悩と情熱から生まれかけた交響曲第1番は20年以上かけその40過ぎに発表されたことも超絶有名。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=895&v=Swyq-TcEcOI
ピアノ四重奏の第3番はOp.60だけど着手は1番よりも前のすごく若いころで、交響曲と同じく自分のあるべき姿を悟ってから完成出版されたもののようだ。
初めて聴いたのは高校に入ったばかりの頃、室内楽だけど交響的な作品だなとか思っていたのは覚えている。
その盤はいまだ私の中で現役愛聴盤だけれどYoutubeには見つけられなかった。
部活の先輩がお前にCDを買ってやると言ってくれたのはいいけれどそのお金は拾った財布から出たものだった。
知っていながら買ってもらった私も犯罪加担という・・そういう思い出でもある。
思い出とか言ってちゃいけないですよね。しかしあのころかわいがってくれる先輩というのがいたんだよな。
今と同じ、誰でも簡単にできるようになる楽器を吹くということがほぼ一年かけてできるようにならず逃げようとしたときに引き留めようとしてくれたのもその人だった。
あの時逃げていなければ・・が20年くらい頭の中にあったのでまた同じような場へ出ていったのだけど同じ軌跡をたどってまた逃げた。
そしてどうすれば逃げずに済むのかを考えやつていることが今。傍目には・・はいいか。
若さが書かせ、いろいろなことを知り考えるようになったから仕上げたこの曲は人生をかけて作られたと言えなくもないか。

ピアノがいきなりベートーヴェンの運命主題で始めるフィナーレはこの後もこれみよがしに運命のモチーフが鳴っていていかにもあの若いブラームスという感じ・・でもこの楽章は後年新たに書き下ろしたものだそうだ。
破棄された当初のフィナーレがどんなだったか知らないけれど、きっとそこもやたらに運命にしばられてるとさけんでたんじゃないかな。
今、初めて聴いたあの頃と何か違うものを感じるか・・大きく変わるものはないな。
交響曲の3番4番なんかは年取ってきたら来るものがかなりあるけど。
この曲作者はいろいろ解ってできるようになったから仕上げたけれど、つらぬいている言いたいことは若いときに感じたものをそのまま大事に生かしたんじゃないかなぁ。
なんでもいいけどこの曲が好きだ。
間違って出てきちゃったのかもしれないこの世にあって、好きなものがあるという事は幸せなことだと思う。

なぞの後ろめたさと自分は間違っている直さなくてはならないという意識みたいなのが周りを埋め尽くしているのだけれど、じゃあ何をどうすればいいのかわからない。
解らなくもないけれどリア・・
まあいいや、何が正しいの前につぶされないようまく生きてくこともまず大事だし。