開き直ったら笑えて来たし海もきれい。
ふと思い出して行ってみようと思ったここ。

昔なんとなく走っていたらここへ出て、楽しそうな家族連れの海水浴客を見た瞬間に引き返した思い出。
勝手に浜岡砂丘みたいな広大なイメージを持っていたのであれ意外に狭いなとか思っちゃったりして・・でもそこがいいんでしょうね。

いつも出掛けるのが遅いからこの時期昼食が終わるともう夕方という印象で。
何にも見ないうちに夜になるというか・・
この時せっかくの綺麗な世界を前にしてるのに心が干からびてちょっと無感動な・・原因は他人にはくだらないだろう楽器が全然できなくてというもの。
でまたこれ書こうと思ったとき楽器が煮詰まるどころかもうだめだしこのまま続けても・・くらいまで追い詰められてて。
でまた私の人生は・・みたいなので写真間を埋めたりしてた。

だけどふと、
惨めで情けない思いをした挙句に自分で人にわらわれるようなことを書いたりしてなにやってんだろ?と思ったりして。
そんなんことを思い開き直って楽器を咥えたら息がいまだかつてない感じでスーッと抜けてあ!これじゃない?みたいな音が鳴った。
またいつもの勘違いなのかもしれないけどいいの。またあしたやりたい!と思って終われたんだから。
ここ数日もう駄目かもなと思いながら終わり、一晩立つともう一度の繰り返しだった。
消えちゃう幻でもなんでも小さな希望を持てればその日は生きてられるのね。
またなくなるのかもしれないけれど今がよけりゃいいの

雲が桃色だ。
地形的にここからは海へ沈む夕日を見ることはできないから、このあとそんなところへ行こうなんて思ってたけれど全然間に合わなかった。
真っ赤にやけた夕日を想像しながら・・

日も暮れた。
さっきまではあんまり人もいなかった浜には小さな子供を連れた家族連れが何組か歓声を上げて・・
もう、どっかいこうか。

帰りにみかけた風で砂が吹き上げて作るらしい小さな砂丘みたいなもの。
古い看板もあるので昔からサンドスキー場と言われてるみたいだ。
時間も時間で誰もいない。
ああいうのを見ると無条件でわーっと駆け寄るみたいな子供時代が俺にもあったんだよな。

月がきれいだった。
https://www.youtube.com/watch?v=QAGhBqHsNF0
サティの曲をドビュッシーがオーケストレーションしてるらしいのは知っていたけど聴いてみようとも思わず持ってる音源の中にそれがあることにも気づいていなかった。
スコアを見ると超絶有名な1番は後回しにしてちょっと陰に隠れたような3番を頭に据えてるのね。

私もいきなり1番の編曲が聴こえたらオーケストレーションなんて余計な事だとか言って聴くのやめちゃうかも。
チャイコフスキーの話で無視できないパトロンとして超絶有名なフォン・メック夫人という人がいるのだけど、ドビュッシーは若いころにそのメック夫人の娘のピアノ教師として雇われていたことがあるようだ。
そしてその最後は娘に手を出しちゃってクビとどこかに書いてあったのを見て・・
笑えると書こうとしてたけど、そういうもんだしそれくらいじゃなくちゃいけないんでしょうかね。
この人も女性といろいろありすぎで2重不倫で駆け落ちしちゃった話は有名だけど、相手の子は実はフォーレの子じゃないかと噂されるとかみんなやりたい放題なのね。
そういう話がじゃないけれど、私の信じてきたこと感じてきたこと考えてきたことなんてみんな寝ぼけた間違いだったんだろうなと思うことがよくある。もうしょうがないしいいけど。
俺は何しにこの世に出てきたんだろう?
なんて書いてあったけどいいよわかんなけりゃとりあえず美味いもんでも食っとこう。
帰りにあの大盛感満載なお店によったら繁盛していて忙しそうだった。
時間かかりますけどいいですか?なんて言われたけれど
いくらも待たずに出てきた。

ポークジンジャーはでっかいポークの上に刻んだショウガが山盛りになってってそのままかよみたいなの。
食べ応えがあっておいしかった。
お店のお母さんは忙しさから来るわさわさをそのまま客にぶつけてたけど
腹も立たずむしろ微笑ましかった。
あのね、もう11月も後半なのに
今朝ふと見ると朝顔がたくさんの花を咲かせて見せてくれてた。
なかには寒さで開ききれない花もあったり・・
だけどそれ見たら明るく力強いような気持ちになったりして。
俺もがんばりましょうね。

昔なんとなく走っていたらここへ出て、楽しそうな家族連れの海水浴客を見た瞬間に引き返した思い出。
勝手に浜岡砂丘みたいな広大なイメージを持っていたのであれ意外に狭いなとか思っちゃったりして・・でもそこがいいんでしょうね。

いつも出掛けるのが遅いからこの時期昼食が終わるともう夕方という印象で。
何にも見ないうちに夜になるというか・・
この時せっかくの綺麗な世界を前にしてるのに心が干からびてちょっと無感動な・・原因は他人にはくだらないだろう楽器が全然できなくてというもの。
でまたこれ書こうと思ったとき楽器が煮詰まるどころかもうだめだしこのまま続けても・・くらいまで追い詰められてて。
でまた私の人生は・・みたいなので写真間を埋めたりしてた。

だけどふと、
惨めで情けない思いをした挙句に自分で人にわらわれるようなことを書いたりしてなにやってんだろ?と思ったりして。
そんなんことを思い開き直って楽器を咥えたら息がいまだかつてない感じでスーッと抜けてあ!これじゃない?みたいな音が鳴った。
またいつもの勘違いなのかもしれないけどいいの。またあしたやりたい!と思って終われたんだから。
ここ数日もう駄目かもなと思いながら終わり、一晩立つともう一度の繰り返しだった。
消えちゃう幻でもなんでも小さな希望を持てればその日は生きてられるのね。
またなくなるのかもしれないけれど今がよけりゃいいの

雲が桃色だ。
地形的にここからは海へ沈む夕日を見ることはできないから、このあとそんなところへ行こうなんて思ってたけれど全然間に合わなかった。
真っ赤にやけた夕日を想像しながら・・

日も暮れた。
さっきまではあんまり人もいなかった浜には小さな子供を連れた家族連れが何組か歓声を上げて・・
もう、どっかいこうか。

帰りにみかけた風で砂が吹き上げて作るらしい小さな砂丘みたいなもの。
古い看板もあるので昔からサンドスキー場と言われてるみたいだ。
時間も時間で誰もいない。
ああいうのを見ると無条件でわーっと駆け寄るみたいな子供時代が俺にもあったんだよな。

月がきれいだった。
https://www.youtube.com/watch?v=QAGhBqHsNF0
サティの曲をドビュッシーがオーケストレーションしてるらしいのは知っていたけど聴いてみようとも思わず持ってる音源の中にそれがあることにも気づいていなかった。
スコアを見ると超絶有名な1番は後回しにしてちょっと陰に隠れたような3番を頭に据えてるのね。

私もいきなり1番の編曲が聴こえたらオーケストレーションなんて余計な事だとか言って聴くのやめちゃうかも。
チャイコフスキーの話で無視できないパトロンとして超絶有名なフォン・メック夫人という人がいるのだけど、ドビュッシーは若いころにそのメック夫人の娘のピアノ教師として雇われていたことがあるようだ。
そしてその最後は娘に手を出しちゃってクビとどこかに書いてあったのを見て・・
笑えると書こうとしてたけど、そういうもんだしそれくらいじゃなくちゃいけないんでしょうかね。
この人も女性といろいろありすぎで2重不倫で駆け落ちしちゃった話は有名だけど、相手の子は実はフォーレの子じゃないかと噂されるとかみんなやりたい放題なのね。
そういう話がじゃないけれど、私の信じてきたこと感じてきたこと考えてきたことなんてみんな寝ぼけた間違いだったんだろうなと思うことがよくある。もうしょうがないしいいけど。
俺は何しにこの世に出てきたんだろう?
なんて書いてあったけどいいよわかんなけりゃとりあえず美味いもんでも食っとこう。
帰りにあの大盛感満載なお店によったら繁盛していて忙しそうだった。
時間かかりますけどいいですか?なんて言われたけれど
いくらも待たずに出てきた。

ポークジンジャーはでっかいポークの上に刻んだショウガが山盛りになってってそのままかよみたいなの。
食べ応えがあっておいしかった。
お店のお母さんは忙しさから来るわさわさをそのまま客にぶつけてたけど
腹も立たずむしろ微笑ましかった。
あのね、もう11月も後半なのに
今朝ふと見ると朝顔がたくさんの花を咲かせて見せてくれてた。
なかには寒さで開ききれない花もあったり・・
だけどそれ見たら明るく力強いような気持ちになったりして。
俺もがんばりましょうね。