昭和と食パンと犬
普段はバイパスを通るのでなかなか通ることのない旧道を最近何度か走った。
そこに嫁さんが昭和な喫茶店を発見し何故だか行きたがる。
Googleマップのレビューはなぜかなし。
正直若干の嫌な予感に気も乗らないんだけれど・・
まあいいか行きたいっていうから行ってみた。

家みたいだな。
ふと目に留まったクリスマス的なリーフをみて大丈夫かもな?とも思う。
戸を開けると

カウンターの中に笑顔で立つ女性が二人。
40年弱、毎日ずっと同じ位置で同じスタンスでやってきたという感じ。
いらんこと言わなくてもその絵がをで全部伝わりますみたいな・・よかった、変なお店じゃないな。
煙草の残り香‥
窓際の席に落ち着く。

いいね昭和なメニュー
サンドイッチかぁ・・ケーキの類はなし。
メニューの端にあるチョコパフェを頼んでみたら

こういうのが出てきた。
パフェというよりアイス盛り?・・
素朴でいいじゃない。
ちゃんとおいしかったし。
散々行きたがった嫁さんは若干盛り下がってて笑う。
お店の人は多分すごくいい人。
近所の人がこんにゃくかなんかをおすそ分けに来てた。
このお店も誰かには思い出の店だったりするんでしょうね。
サンドイッチもおいしそうですね。
昔、小学校の給食で出るパンの量が自分には多すぎ食いきれなかった。
他にもいたそんな子に管理栄養士みたいなのが目を吊り上げ、食べなさい!とやっているのをよく見かけた。
どうにもならないところ担任から食え!っとやられている所をみんなが囲い笑うとか、今考えるとちょっとどうかと思うけれど。
食べきれないパンを自己嫌悪感とともにナプキンでくるみカバンに隠して・・
そういえば今でもナプキンという言葉やあの白い感触に嫌なイメージがしみつき残っているかも。
野良犬にあげるのを楽しみにルンルンで隠すと言う発想ができればその後の人生も大きく違ったかもな。
成長の遅れからくる小食なんて時間が解決しほっといてもたくさん食うようになる。
いまじゃ、医者から食い過ぎを何とかしろと言われている。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1204&v=L__jruvYuCg&feature=emb_logo
ショスタコーヴィッチはベートーベンやブラームスと並ぶ作曲家として認識されていると思うけど、亡くなったのは1975年で昭和の人というか・・
この時代にロマン派みたいな音楽を書いているのは異常な事でありそれには厳しい訳があったりもするんだけれど、そのおかげで私にも理解でき楽しめる作品を残してもらえた。
次の日かなり久しぶりに、子供のころ住んでいた辺りをふらっと歩いてみた。

用水路に枕木をかけた橋を渡った先にはフェンス。
その向こうは線路。
昔、ここをよく歩いて渡った。
カーブの向こうからやってきた電車に轢かれそうになったことが2度あった。
踏切とはいえない畦道が線路を横切っているようなのはほかにもあり、通行禁止の立札が建っても人の往来した気配があったんだけどもう今の時代その存在は許されないということなんでしょうね。
まだ若く歩き回りたくてしょうがなかった犬と嫁さんの3人でここを渡ったのもかなり前のことになってしまった。
自分の何かまでふさがれ鍵を閉められてしまったような。
このあと昔歩いた道を歩けばあれから40年、当時なかったはずの家がもう古くなっていたりもする。
当時からつぶれそうだった飲み屋から仕込みの匂いがするのをなぜかうれしく感じ、万屋から建て替えられた豪邸の表札に店名と同じ苗字を見て懐かしく思う・・その先でふと一匹の繋がれた犬に目が留まる。
真っ黒くて熊みたいな顔に前足だけが白い犬。
40年前このあたりを毎日ほっつき歩いている野良犬がいた。
あの犬にそっくりだ。
小さな私は犬に相手にされてもいなかったけれど、毎日みかけ一緒に歩いてみたり、給食の残りのパンをあげたりした。
犬が40年生きるとは思えない。私に気付いてああお前かという顔をしてくれるんじゃないかとずっと見つめて・・やっぱりそんなわけないのか。
牛と遊んだ小さな牛小屋はもう跡形もなく、犬がもらったパンを穴を掘り埋めていた田んぼのあったところに立ち並んだ家がもう区画整理で取り壊されてたりするのね。
遠くに見える山の形だけがあの頃と同じ。

食パンを野良犬にあげようにもやっぱりちょっと怖くて投げるように渡した記憶が返ってきた。
犬はありがとうのそぶりも見せずに咥えて、田んぼに穴を掘って埋めちゃった。
それで何事もなかったようにどっか行っちゃった。
食ってるところを見たかったのに残念なのと、犬が穴掘って食べ物を埋めてるところが見れてちょっと面白かったのと・・
あのパンどうしかな。
掘って食ったかな?
たぶん忘れちゃって・・と思うとちょっと寂しいな。
あの犬のその後どうなったのか。
どこかで拾われて飼い犬になったといううわさを聞いたような記憶がかすかにあるようでないような。
あの頃に戻りたいとも思わないし会いたい人もいないけど、もう一度どあの犬に会って話しかけてみたい。
そこに嫁さんが昭和な喫茶店を発見し何故だか行きたがる。
Googleマップのレビューはなぜかなし。
正直若干の嫌な予感に気も乗らないんだけれど・・
まあいいか行きたいっていうから行ってみた。

家みたいだな。
ふと目に留まったクリスマス的なリーフをみて大丈夫かもな?とも思う。
戸を開けると

カウンターの中に笑顔で立つ女性が二人。
40年弱、毎日ずっと同じ位置で同じスタンスでやってきたという感じ。
いらんこと言わなくてもその絵がをで全部伝わりますみたいな・・よかった、変なお店じゃないな。
煙草の残り香‥
窓際の席に落ち着く。

いいね昭和なメニュー
サンドイッチかぁ・・ケーキの類はなし。
メニューの端にあるチョコパフェを頼んでみたら

こういうのが出てきた。
パフェというよりアイス盛り?・・
素朴でいいじゃない。
ちゃんとおいしかったし。
散々行きたがった嫁さんは若干盛り下がってて笑う。
お店の人は多分すごくいい人。
近所の人がこんにゃくかなんかをおすそ分けに来てた。
このお店も誰かには思い出の店だったりするんでしょうね。
サンドイッチもおいしそうですね。
昔、小学校の給食で出るパンの量が自分には多すぎ食いきれなかった。
他にもいたそんな子に管理栄養士みたいなのが目を吊り上げ、食べなさい!とやっているのをよく見かけた。
どうにもならないところ担任から食え!っとやられている所をみんなが囲い笑うとか、今考えるとちょっとどうかと思うけれど。
食べきれないパンを自己嫌悪感とともにナプキンでくるみカバンに隠して・・
そういえば今でもナプキンという言葉やあの白い感触に嫌なイメージがしみつき残っているかも。
野良犬にあげるのを楽しみにルンルンで隠すと言う発想ができればその後の人生も大きく違ったかもな。
成長の遅れからくる小食なんて時間が解決しほっといてもたくさん食うようになる。
いまじゃ、医者から食い過ぎを何とかしろと言われている。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1204&v=L__jruvYuCg&feature=emb_logo
ショスタコーヴィッチはベートーベンやブラームスと並ぶ作曲家として認識されていると思うけど、亡くなったのは1975年で昭和の人というか・・
この時代にロマン派みたいな音楽を書いているのは異常な事でありそれには厳しい訳があったりもするんだけれど、そのおかげで私にも理解でき楽しめる作品を残してもらえた。
次の日かなり久しぶりに、子供のころ住んでいた辺りをふらっと歩いてみた。

用水路に枕木をかけた橋を渡った先にはフェンス。
その向こうは線路。
昔、ここをよく歩いて渡った。
カーブの向こうからやってきた電車に轢かれそうになったことが2度あった。
踏切とはいえない畦道が線路を横切っているようなのはほかにもあり、通行禁止の立札が建っても人の往来した気配があったんだけどもう今の時代その存在は許されないということなんでしょうね。
まだ若く歩き回りたくてしょうがなかった犬と嫁さんの3人でここを渡ったのもかなり前のことになってしまった。
自分の何かまでふさがれ鍵を閉められてしまったような。
このあと昔歩いた道を歩けばあれから40年、当時なかったはずの家がもう古くなっていたりもする。
当時からつぶれそうだった飲み屋から仕込みの匂いがするのをなぜかうれしく感じ、万屋から建て替えられた豪邸の表札に店名と同じ苗字を見て懐かしく思う・・その先でふと一匹の繋がれた犬に目が留まる。
真っ黒くて熊みたいな顔に前足だけが白い犬。
40年前このあたりを毎日ほっつき歩いている野良犬がいた。
あの犬にそっくりだ。
小さな私は犬に相手にされてもいなかったけれど、毎日みかけ一緒に歩いてみたり、給食の残りのパンをあげたりした。
犬が40年生きるとは思えない。私に気付いてああお前かという顔をしてくれるんじゃないかとずっと見つめて・・やっぱりそんなわけないのか。
牛と遊んだ小さな牛小屋はもう跡形もなく、犬がもらったパンを穴を掘り埋めていた田んぼのあったところに立ち並んだ家がもう区画整理で取り壊されてたりするのね。
遠くに見える山の形だけがあの頃と同じ。

食パンを野良犬にあげようにもやっぱりちょっと怖くて投げるように渡した記憶が返ってきた。
犬はありがとうのそぶりも見せずに咥えて、田んぼに穴を掘って埋めちゃった。
それで何事もなかったようにどっか行っちゃった。
食ってるところを見たかったのに残念なのと、犬が穴掘って食べ物を埋めてるところが見れてちょっと面白かったのと・・
あのパンどうしかな。
掘って食ったかな?
たぶん忘れちゃって・・と思うとちょっと寂しいな。
あの犬のその後どうなったのか。
どこかで拾われて飼い犬になったといううわさを聞いたような記憶がかすかにあるようでないような。
あの頃に戻りたいとも思わないし会いたい人もいないけど、もう一度どあの犬に会って話しかけてみたい。