遠いところを目指す。
正月休みは、もっぱら犬の散歩。
犬が楽しそうだとこっちもうれしくなってくる。

そっちいかないよーとか言い張っているところ。
犬のお散歩と言えば昔冬の稚内でみた

厳寒の海辺を行くでっかい犬と軽トラ・・
散歩が終わったら荷台に乗って帰るんでしょうかね?
これが忘れられなくて。

遠く海の向こうにはサハリンが見える。
遠くじゃないのか、ロシアはむしろすぐそこにある。
行ってみたいけどなぁ・・今なんかこわいよなぁ・・

宗谷岬へは何度か行ったけれど、なんか開けた観光地みたいになっちゃってあんまり萌えないというか。
最果て感なら野付半島とかのが面白いと思う。

多分日本で一番北にあるトイレ。
こっちのがおもしろい。

戦前は稚内からまだ先があり、連絡船が樺太に渡っていた。
列車を降りて桟橋まで歩く人を波から守ったアーチが今も残っている。
昭和50年代くらいまでは線路も残っていたようだ。
これが復活することはもうないのかな・・あるわけないのか。
今でもサハリンに行くフェリーがあるんだっけ?
稚内駅も再開発で奇麗になりましたね。

この時はまだ昔の稚内駅。
もう新しい駅舎の工事は始まってた。
奇麗になってから少なくとも一度は一度行けて・・それっきりだっけ?
サハリンへ船で渡り列車に乗ってもう一度船に乗り、シベリア鉄道経由でドイツへ・・とか行ってみたいなぁ。
死ぬまでに一度かなえたい夢をそこへ設定しようかなぁ・

行きも帰りも線路上はエゾシカだらけで、列車とぶつかっちゃったりしてた。
稚内へのルートはもう一本あったんだけど廃線になってもう30年か。
宗谷本線も危機的状況だろうと思う。
利用者がいなく経営が成り立たないのならなくなって当然なんだとは思けれど、時代や状況によっては国境に接するところに人を住まわせ鉄道を維持しみたいなのは国家的重要事項だったりするんですよね?
でも、この路線は名寄以北とか遠からずみられなくなってしまうような気がする。
https://www.youtube.com/watch?v=zwfPtU6TFn8
シンフォニックダンスという曲で、第1楽章はなんとなく人生というか運命の荒野を列車が驀進していくように聴こえなくもない。
ラフマニノフはロシアの人だけど、いつごろからかアメリカにいたんだっけ?
自分でこれが最後になるだろうと言ってたらしいけど泣かせる中間部には望郷の念が感じられますね。
こういう甘い旋律で聴かせるというのはもうとっくに時代遅れになっていたんだけれど、あえて若いころの得意技を用いて・・かは知らないけど、僅かに聴こえるピアノは若い自分を振り返っているようにも聞こえる。
この曲を教えてくれたのは学生のオーケストラで、雪の降り積もる晩のコンサートでだった。
この曲に冬のイメージがあるのは曲想や作曲家のイメージだけでなくその時の印象も重なっているのかもしれない。
一生懸命な学生をうらやましく思うのと同時にお前は何もできないじゃないかと嫌なところを暴いて刺激された気がした。
前にも書いたなこれ。
そのころ同時にいくつかの出来事が同じように自分に勧告してきて情緒不安定になったりして。
だけどそのおかげで自分も何かしようと思ったんだから、ありがとう。
とはいえ、
昔やってたつもりの楽器で入った団体は結局ダメでみっともない感じで逃げた。ちゃんと習おうと思った楽器はいつまでたっても・・
だけどそのことは過去にあったことは偶然や気まぐれじゃなくそうなるべくしてなったのだから悔んだり思い出したりしなくていいということを教えてもくれた。
喜んでる場合じゃない、前を向けば真っ暗で絶望的な状況。
大丈夫、希望の光が見えず誰にも何も話せないというときにその存在を感じさせてくれるのが神様でしょう?
やはり自分には無理だもう辞めようと本気で決断しかけるといつもその瞬間に反対向きの勘違いをさせてれる。
それは多分引き留めるためのものだから結局間違いですぐに消えてしまうんだけど。
だからここまで続けられたしこの先も続けられると思う。
具体的にどの神様かとか、宗教がとかそういう話じゃなくて。
また馬鹿が変なことを書いてると思ってるでしょ?

元旦。
嫁さんのカメラにポーズ取ったりしてるよねこれ。
しめ縄も新しくなってちぎれていた御幣も復活。
誰もいない頃に来て朝方参拝者を迎えた焚火の跡を見ることが私の正月。
しめ縄があっても正面におられるのは大日如来像で神社というわけでもない。
でもその隣に山の神様がいたりもする。
鈴を鳴らすけれど柏手は打たずに手を合わせる。
作法よりここで素直な気持ちになれるかどうかの方が大事だと思う。

採り残されたブロッコリーが花になって咲いてた。
きれいじゃない。

夕日がきれい。
犬が楽しそうだとこっちもうれしくなってくる。

そっちいかないよーとか言い張っているところ。
犬のお散歩と言えば昔冬の稚内でみた

厳寒の海辺を行くでっかい犬と軽トラ・・
散歩が終わったら荷台に乗って帰るんでしょうかね?
これが忘れられなくて。

遠く海の向こうにはサハリンが見える。
遠くじゃないのか、ロシアはむしろすぐそこにある。
行ってみたいけどなぁ・・今なんかこわいよなぁ・・

宗谷岬へは何度か行ったけれど、なんか開けた観光地みたいになっちゃってあんまり萌えないというか。
最果て感なら野付半島とかのが面白いと思う。

多分日本で一番北にあるトイレ。
こっちのがおもしろい。

戦前は稚内からまだ先があり、連絡船が樺太に渡っていた。
列車を降りて桟橋まで歩く人を波から守ったアーチが今も残っている。
昭和50年代くらいまでは線路も残っていたようだ。
これが復活することはもうないのかな・・あるわけないのか。
今でもサハリンに行くフェリーがあるんだっけ?
稚内駅も再開発で奇麗になりましたね。

この時はまだ昔の稚内駅。
もう新しい駅舎の工事は始まってた。
奇麗になってから少なくとも一度は一度行けて・・それっきりだっけ?
サハリンへ船で渡り列車に乗ってもう一度船に乗り、シベリア鉄道経由でドイツへ・・とか行ってみたいなぁ。
死ぬまでに一度かなえたい夢をそこへ設定しようかなぁ・

行きも帰りも線路上はエゾシカだらけで、列車とぶつかっちゃったりしてた。
稚内へのルートはもう一本あったんだけど廃線になってもう30年か。
宗谷本線も危機的状況だろうと思う。
利用者がいなく経営が成り立たないのならなくなって当然なんだとは思けれど、時代や状況によっては国境に接するところに人を住まわせ鉄道を維持しみたいなのは国家的重要事項だったりするんですよね?
でも、この路線は名寄以北とか遠からずみられなくなってしまうような気がする。
https://www.youtube.com/watch?v=zwfPtU6TFn8
シンフォニックダンスという曲で、第1楽章はなんとなく人生というか運命の荒野を列車が驀進していくように聴こえなくもない。
ラフマニノフはロシアの人だけど、いつごろからかアメリカにいたんだっけ?
自分でこれが最後になるだろうと言ってたらしいけど泣かせる中間部には望郷の念が感じられますね。
こういう甘い旋律で聴かせるというのはもうとっくに時代遅れになっていたんだけれど、あえて若いころの得意技を用いて・・かは知らないけど、僅かに聴こえるピアノは若い自分を振り返っているようにも聞こえる。
この曲を教えてくれたのは学生のオーケストラで、雪の降り積もる晩のコンサートでだった。
この曲に冬のイメージがあるのは曲想や作曲家のイメージだけでなくその時の印象も重なっているのかもしれない。
一生懸命な学生をうらやましく思うのと同時にお前は何もできないじゃないかと嫌なところを暴いて刺激された気がした。
前にも書いたなこれ。
そのころ同時にいくつかの出来事が同じように自分に勧告してきて情緒不安定になったりして。
だけどそのおかげで自分も何かしようと思ったんだから、ありがとう。
とはいえ、
昔やってたつもりの楽器で入った団体は結局ダメでみっともない感じで逃げた。ちゃんと習おうと思った楽器はいつまでたっても・・
だけどそのことは過去にあったことは偶然や気まぐれじゃなくそうなるべくしてなったのだから悔んだり思い出したりしなくていいということを教えてもくれた。
喜んでる場合じゃない、前を向けば真っ暗で絶望的な状況。
大丈夫、希望の光が見えず誰にも何も話せないというときにその存在を感じさせてくれるのが神様でしょう?
やはり自分には無理だもう辞めようと本気で決断しかけるといつもその瞬間に反対向きの勘違いをさせてれる。
それは多分引き留めるためのものだから結局間違いですぐに消えてしまうんだけど。
だからここまで続けられたしこの先も続けられると思う。
具体的にどの神様かとか、宗教がとかそういう話じゃなくて。
また馬鹿が変なことを書いてると思ってるでしょ?

元旦。
嫁さんのカメラにポーズ取ったりしてるよねこれ。
しめ縄も新しくなってちぎれていた御幣も復活。
誰もいない頃に来て朝方参拝者を迎えた焚火の跡を見ることが私の正月。
しめ縄があっても正面におられるのは大日如来像で神社というわけでもない。
でもその隣に山の神様がいたりもする。
鈴を鳴らすけれど柏手は打たずに手を合わせる。
作法よりここで素直な気持ちになれるかどうかの方が大事だと思う。

採り残されたブロッコリーが花になって咲いてた。
きれいじゃない。

夕日がきれい。