潰されても消えないもの
最近通っているスーパーが小さく駅弁祭りみたいなのをやっていた。
昔はこういうので盛り上がったもんだけどとか思いながら覗いたちっちゃなカートには数点の駅弁。
ひもを引っ張ると熱くなる系は仕掛けの割においしくな・・その横にある小さな弁当に見覚えがあった。

もう10年くらい前になってしまったけれど冬の宗谷本線で稚内を目指したこの時食ったもの。
稚内へ行くのが目的なら特急に乗ればいい訳だけどそうじゃなくて延々ローカル列車に揺られてみたかった。
前半途中までは厳しいと言えども通学等ある程度のお客がいる感じ。
こんなマイナス何度な北海道の冬なのにホームの女子高生が膝くらいまで素足な格好で楽しそうに笑ってたのが衝撃的だった。
寒くて足真っ赤になっちゃってる子がいて・・若いってスゲーよね。
ゴマフアザラシとかキタキツネを見つけたのと同じ気持ちになったけどカメラ向けたら通報されそうだと思って撮れなかった。
上の写真はもうローカルな地帯に入ったところ、駅そばが有名まで書けばマニアじゃなくても知っているかもしません。

線路わきに見える木造の舞台みたいなのはホームでここは駅。

この駅の待合室はヨド物置。
たしか付近に民家は一件のみだったか、このとき通学に使っている子がいたんだと思う。
別な機会に何度も来たけれど物置を開けると箱をひっくり返して作った椅子の上に敷物が敷いてあり利用者の気配があった。
いまは多分・・・

途中駅で皆降りてしまいずっと運転手さんと私以外には誰もいなかった。

途中駅でそこそこ停車し特急の通過を待つ。
ポール牧がここ出身だったような気がする。
だれもいない駅前には商店街や学校など消えてしまったた街の跡を見た。
調べると定期利用者は0人という事だけどたまたま行ったときには進学で都会へ出てゆく子供を両親が駅で見送る映画みたいなシーンが展開しているのを見た。

こういう木造仮設みたいなホームの駅は実はけっこうたくさんある。

あの物置に見える小屋は駅の待合室で、別な機会に中へ入ってみたこともある。
ヨド物置より古いけれどでも立派かな。

これは国鉄末期に経営の厳しいことが予想されるJR北海道への餞別として作られた車両だったと思う。
扇風機は廃車からの流用品だろう、JNRのマークが懐かしい。

夕暮れと兜沼。
自分の好きな時間に好きなところへ立ち寄れる車の旅と違い、決まった流れに身を任せるしかない汽車旅は音楽を聴くことみたいですね。
この後見通しの悪いカーブを曲がたところで鹿と衝突。
若い運転士さんがくそー!と言いながら一人点検に降りて行った。
ブレーキ管損傷すれば止まれなくなるもんね。
結構止まっていて・・でも手伝うったって何もわからないし・・
終点も近く少し乗ってきていたお客さんは皆何もなかったように静かだった。
きっと日常茶飯事なんだろう。
鹿がどうなったかはわからなかった。

着いたのは建て替え前の稚内駅。
写真撮ったりしてると改札で待ってる駅員さんの視線を浴びちゃって・・
でもまだかよみたいな表情を見せないようにしてくれてるんだなと感じたのは覚えてる。

駅前の食堂でカニ丼を食ったようだ。
この店の名物だったと思う。
こういう旅なら普通は酒場だろう。

ちょっとほっつき歩いたみたい。
旅というのは人と出会うことかもしれないけれどほとんど誰とも話さなかった。
そんなことができれば旅なんて言ってないから。
ホテルの屋上に露天風呂があって雪の降るのを眺めながら誰かと僅かに話したような記憶があるそれだけ。

翌朝、凍えて丸くなったハトは微動だにしない。
ちょっとかわいかった。

ローカル列車に乗っていってみたいところがあって

長い宗谷本線で海が見えるのはほんの一瞬のここだけ。
晴れていれば絶景なんだけれど・・
とは言え、見たかった利尻はうっすら見えた。

バスにあるような運賃箱を積んだ列車は珍しくもないんだと思うけど、
自分もここに切符入れたのはこれが初めてで最後かも。

警報機が鳴ってるから渡らずに待っていたら運転手さんがどうぞ先にわたって・・とジェスチャアで譲ってくれた。

もう少し雪が積もってラッセル車が走り出すとこの踏板は取り外されるんだったと思う。
除雪も保線用機械みたいなのがやるようになってラッセル車というもの自体がめずらしいんじゃなかったっけ?

この駅はテレビ番組で流れたりしてその種の人には有名かも。
別な機会に行ったときテレビな人が取材をしていて撮ってもいいですかというからはいと言い、顔も出していいと聞かれたから困りますと答えた。
全国放送で流れたその番組を嫁さんが録画したものをみるとプラプラ見物してる私がちょっとだけ映ってた。

歩いて利尻の見える港まで行こうと思っていたんだけど遠いのと寒いのでやめた。
夏ならレンタカーを乗り回すんだけど、本州でスキーに行ったくらいの経験で調子に乗ってると死ぬぞというような話をネットでたくさん読んであったので。
この写真の道がブラックバーンなのかはわからないけど、向こうから来る郵便配達のあの車はものすごい低速で慎重に走ってた。
ブラックバーンも怖いけど何より地吹雪がやばいらしい。
夏の間はたたんであるあの地吹雪対策の防風柵が立ち並んでいるので仮に車に乗れても夏みたいな景色は見えないんでしょうかね。

-2度だとこの辺では余裕?

待合室には誰もいなかったけれど、列車の時間になったらおばあちゃんが出てきた。
元駅務室だったところは保線作業員の詰め所になっているらしく、多分ストーブがあるんだろう。
そして、地元の常連さんはそこへ入れてもらえるのかもしれない。
https://www.youtube.com/watch?v=niF6Y7ZNqys
デンマークには行ったこともなからその景色や人の営みが脳裏に浮かぶこともないんだけど、なんとなくその代わりにサロベツ原野のあたりの景色と空気みたいなものが浮かんでくることがあったり。
国も民族も文化も自分たちの心も大国に潰されてなくなっちゃうかもしれないという不安を感じつつ人や自然への愛と強いアイゼンティティみたいなものが書かれているこの曲はもうポピュラーなものだろうと思う。
不滅と呼ばれていたけれど最近じゃ消しがたきもの
でも30年以上前のテレビで芥川龍之介の息子で作曲家の芥川也寸志がこの曲も作者についてもほとんど知りませんと言ってたのを覚えてる。
今時4番しか聴きませんなんて言ったらそれ系の人の中には鼻で笑うような人もいるだろう。
いたっていいしずっと笑ってればいいけど。

根室の先にあるのは納沙布岬。
稚内の先にあるのはノシャップ岬。
だれもいなかった。まだ昼過ぎ位だけどもう帰らなくちゃならない。
何だか寂しかった思い出。

ただの駅そばだけど駅が稚内だと思うと萌える。

蕎麦は自体は普通というか・・
それより帰りの特急列車は先頭自由席の一番前に展望席みたいな席があり
改札が空いたら誰よりも先にそこへとそればかり考えてた。
結局同種の人間はいなかったので余裕だった。

川が凍るのは北海道では当たり前?
私には超絶びっくり景色。

利尻の写真を何枚もとっており、青空の下に白く輝く利尻が見たかったのに的な無念が感じられる。

大スキ・・
私もです。

旭川からの帰りの飛行機は驚きのがら空きでわずかなお客さんは前の方に固まってる。
1人一番後ろに席を指定していた私に飲み物はともかくいろんなものを持ってこれはいかがですかとここまでくるアテンダントさんは迷惑だったかもしれない。というかはずかしかった。
土日でも行けたはずなのに有休をとった覚えがあるのはこの頃早い時期に閑散日の便を宿込みで指定するとびっくりするような低価格で買える商品があったから。
朝3時ごろ起き朝一の飛行機で北海道へとび、ローカル線を一往復して次の日の最終の飛行機で帰ってきた。
ばっかじゃない何が面白いの?と言う人が沢山いるのもわかる。
これがという事じゃないけれど、馬鹿か虫けらみたいにしか見えない人の中にも心があって記憶があって誰にも消せないものがあるのかもしれませんよね。
昔はこういうので盛り上がったもんだけどとか思いながら覗いたちっちゃなカートには数点の駅弁。
ひもを引っ張ると熱くなる系は仕掛けの割においしくな・・その横にある小さな弁当に見覚えがあった。

もう10年くらい前になってしまったけれど冬の宗谷本線で稚内を目指したこの時食ったもの。
稚内へ行くのが目的なら特急に乗ればいい訳だけどそうじゃなくて延々ローカル列車に揺られてみたかった。
前半途中までは厳しいと言えども通学等ある程度のお客がいる感じ。
こんなマイナス何度な北海道の冬なのにホームの女子高生が膝くらいまで素足な格好で楽しそうに笑ってたのが衝撃的だった。
寒くて足真っ赤になっちゃってる子がいて・・若いってスゲーよね。
ゴマフアザラシとかキタキツネを見つけたのと同じ気持ちになったけどカメラ向けたら通報されそうだと思って撮れなかった。
上の写真はもうローカルな地帯に入ったところ、駅そばが有名まで書けばマニアじゃなくても知っているかもしません。

線路わきに見える木造の舞台みたいなのはホームでここは駅。

この駅の待合室はヨド物置。
たしか付近に民家は一件のみだったか、このとき通学に使っている子がいたんだと思う。
別な機会に何度も来たけれど物置を開けると箱をひっくり返して作った椅子の上に敷物が敷いてあり利用者の気配があった。
いまは多分・・・

途中駅で皆降りてしまいずっと運転手さんと私以外には誰もいなかった。

途中駅でそこそこ停車し特急の通過を待つ。
ポール牧がここ出身だったような気がする。
だれもいない駅前には商店街や学校など消えてしまったた街の跡を見た。
調べると定期利用者は0人という事だけどたまたま行ったときには進学で都会へ出てゆく子供を両親が駅で見送る映画みたいなシーンが展開しているのを見た。

こういう木造仮設みたいなホームの駅は実はけっこうたくさんある。

あの物置に見える小屋は駅の待合室で、別な機会に中へ入ってみたこともある。
ヨド物置より古いけれどでも立派かな。

これは国鉄末期に経営の厳しいことが予想されるJR北海道への餞別として作られた車両だったと思う。
扇風機は廃車からの流用品だろう、JNRのマークが懐かしい。

夕暮れと兜沼。
自分の好きな時間に好きなところへ立ち寄れる車の旅と違い、決まった流れに身を任せるしかない汽車旅は音楽を聴くことみたいですね。
この後見通しの悪いカーブを曲がたところで鹿と衝突。
若い運転士さんがくそー!と言いながら一人点検に降りて行った。
ブレーキ管損傷すれば止まれなくなるもんね。
結構止まっていて・・でも手伝うったって何もわからないし・・
終点も近く少し乗ってきていたお客さんは皆何もなかったように静かだった。
きっと日常茶飯事なんだろう。
鹿がどうなったかはわからなかった。

着いたのは建て替え前の稚内駅。
写真撮ったりしてると改札で待ってる駅員さんの視線を浴びちゃって・・
でもまだかよみたいな表情を見せないようにしてくれてるんだなと感じたのは覚えてる。

駅前の食堂でカニ丼を食ったようだ。
この店の名物だったと思う。
こういう旅なら普通は酒場だろう。

ちょっとほっつき歩いたみたい。
旅というのは人と出会うことかもしれないけれどほとんど誰とも話さなかった。
そんなことができれば旅なんて言ってないから。
ホテルの屋上に露天風呂があって雪の降るのを眺めながら誰かと僅かに話したような記憶があるそれだけ。

翌朝、凍えて丸くなったハトは微動だにしない。
ちょっとかわいかった。

ローカル列車に乗っていってみたいところがあって

長い宗谷本線で海が見えるのはほんの一瞬のここだけ。
晴れていれば絶景なんだけれど・・
とは言え、見たかった利尻はうっすら見えた。

バスにあるような運賃箱を積んだ列車は珍しくもないんだと思うけど、
自分もここに切符入れたのはこれが初めてで最後かも。

警報機が鳴ってるから渡らずに待っていたら運転手さんがどうぞ先にわたって・・とジェスチャアで譲ってくれた。

もう少し雪が積もってラッセル車が走り出すとこの踏板は取り外されるんだったと思う。
除雪も保線用機械みたいなのがやるようになってラッセル車というもの自体がめずらしいんじゃなかったっけ?

この駅はテレビ番組で流れたりしてその種の人には有名かも。
別な機会に行ったときテレビな人が取材をしていて撮ってもいいですかというからはいと言い、顔も出していいと聞かれたから困りますと答えた。
全国放送で流れたその番組を嫁さんが録画したものをみるとプラプラ見物してる私がちょっとだけ映ってた。

歩いて利尻の見える港まで行こうと思っていたんだけど遠いのと寒いのでやめた。
夏ならレンタカーを乗り回すんだけど、本州でスキーに行ったくらいの経験で調子に乗ってると死ぬぞというような話をネットでたくさん読んであったので。
この写真の道がブラックバーンなのかはわからないけど、向こうから来る郵便配達のあの車はものすごい低速で慎重に走ってた。
ブラックバーンも怖いけど何より地吹雪がやばいらしい。
夏の間はたたんであるあの地吹雪対策の防風柵が立ち並んでいるので仮に車に乗れても夏みたいな景色は見えないんでしょうかね。

-2度だとこの辺では余裕?

待合室には誰もいなかったけれど、列車の時間になったらおばあちゃんが出てきた。
元駅務室だったところは保線作業員の詰め所になっているらしく、多分ストーブがあるんだろう。
そして、地元の常連さんはそこへ入れてもらえるのかもしれない。
https://www.youtube.com/watch?v=niF6Y7ZNqys
デンマークには行ったこともなからその景色や人の営みが脳裏に浮かぶこともないんだけど、なんとなくその代わりにサロベツ原野のあたりの景色と空気みたいなものが浮かんでくることがあったり。
国も民族も文化も自分たちの心も大国に潰されてなくなっちゃうかもしれないという不安を感じつつ人や自然への愛と強いアイゼンティティみたいなものが書かれているこの曲はもうポピュラーなものだろうと思う。
不滅と呼ばれていたけれど最近じゃ消しがたきもの
でも30年以上前のテレビで芥川龍之介の息子で作曲家の芥川也寸志がこの曲も作者についてもほとんど知りませんと言ってたのを覚えてる。
今時4番しか聴きませんなんて言ったらそれ系の人の中には鼻で笑うような人もいるだろう。
いたっていいしずっと笑ってればいいけど。

根室の先にあるのは納沙布岬。
稚内の先にあるのはノシャップ岬。
だれもいなかった。まだ昼過ぎ位だけどもう帰らなくちゃならない。
何だか寂しかった思い出。

ただの駅そばだけど駅が稚内だと思うと萌える。

蕎麦は自体は普通というか・・
それより帰りの特急列車は先頭自由席の一番前に展望席みたいな席があり
改札が空いたら誰よりも先にそこへとそればかり考えてた。
結局同種の人間はいなかったので余裕だった。

川が凍るのは北海道では当たり前?
私には超絶びっくり景色。

利尻の写真を何枚もとっており、青空の下に白く輝く利尻が見たかったのに的な無念が感じられる。

大スキ・・
私もです。

旭川からの帰りの飛行機は驚きのがら空きでわずかなお客さんは前の方に固まってる。
1人一番後ろに席を指定していた私に飲み物はともかくいろんなものを持ってこれはいかがですかとここまでくるアテンダントさんは迷惑だったかもしれない。というかはずかしかった。
土日でも行けたはずなのに有休をとった覚えがあるのはこの頃早い時期に閑散日の便を宿込みで指定するとびっくりするような低価格で買える商品があったから。
朝3時ごろ起き朝一の飛行機で北海道へとび、ローカル線を一往復して次の日の最終の飛行機で帰ってきた。
ばっかじゃない何が面白いの?と言う人が沢山いるのもわかる。
これがという事じゃないけれど、馬鹿か虫けらみたいにしか見えない人の中にも心があって記憶があって誰にも消せないものがあるのかもしれませんよね。