子供
ふと目に留まったブログの内容や書きように魅かれて読んでいくと、辛く大きな出来事に遭遇しているのを見ることがある。
究極的には自分が亡くなってしまうという事でしょうか。突然の中断の理由を察することができる場合もある。
さらにさかのぼっていくと、そこにいるその人はこの先起こること全く知らない。
当たり前なんだけれど、それゆえの無邪気な日常というものが印象に残る。
生きてくにあたって先を予測していくということは絶対的に必要だなと思うけれど、あんまり先のことなんか知らない方がいいし知らないから生きてられるのかもなと思う。
前振りのようだけどそれだけ。
峠というか山の上というかそんなところにあるカフェ。
しばらくぶり。

小さな子供がたくさんいる。
こんなことは書かないほうが良いに決まっているのに書くと
私は子供を見るのが嫌いとまではいわないにしろ苦手である。
でも子供一人ひとりのなかには大切で尊く壊してはいけない世界があることは知ってる。
なぜかお前が言うなという声が聞こえてしまうけれどお前も言うな。
ここは福祉施設でもありカフェは副次的なものなのらしいのを思い出した。

時間は遅いけれど・・
暖簾がかかってやっているみたいだ。
ご飯大丈夫ですか?というと何か確認めいたことの後に大丈夫と答えてくれる。
前回来たときとは違う人か。
柔らかい笑顔と丁寧な案内
奥の個室的スペースを進めてくれたけどなんか閉鎖的でつまんない気もしたので

前と同じ土間の囲炉裏の前にさせてもらう。
嫌とかめんどくさそうな顔も見せず笑顔で案内してくれてありがとう。
囲炉裏に火は入ってないけれど

ストーブをつけてくれた。
あったかいね。
囲炉裏で温まったこともないけれど、昔祖母の家へ行ったら火鉢を出してくれたことがあった。
こんなに小さな炭が?と思うけれどちゃんと暖かかった。
一人息子にできた孫には年に一度会えるか会えないかで、特別かわいがってもらえていることが幼い自分にもわかった。
しかし祖母の期待にこたえうるような私に私は・・・はいはいわかったわかった。
3択くらいのメニューから

ラム肉のオリジナルなんとかカレーだっけ。
正直結構割高だけど気持ち料が入ってると解釈して。
添えられた野菜にはハーブ系のなんか食べたことない味のドレッシングがかかっていた。
いいねそういうの。
ドリンクオプションとか普段は絶対に頼まないけれどジンジャーシロップとあるのを見てお湯割りを頼んじゃった。
先日のコーヒースタンドのはしょうが感が爆発していたけれどこちらのは飲みやすいやさしい飲み物という感じ。
きっとショウガも自家製だと思う。

静かでいい感じ。
椅子の上にあるもじゃもじゃはリアル羊の毛かな?
すぐ横のテレビには福祉施設としての活動を紹介する写真みたいなものが流れていた。
馬のほかいろんな動物がいて、何とか理論に基づき子供の・・

人を募集しているらしく目の前のテーブルで面接をしていた。
いろんな人がいるよね世の中って・・
さりげなく話した自分の子とのかかわりあいは成功例というか・・失敗例という札がついてる自・・はいやめやめ。
https://www.youtube.com/watch?v=JmgT1-pVc-U
バッハのオルガンのためのトリオ・ソナタは息子の教育用に書かれたといわれています。
教育用と聞くと優しい内容かと思っちゃったりしそうだけど技術的にも芸術的にも極めて高度なという話になっていて。
話になってるとかじゃなくて自分が聴いてどう思うかだけどね。
嫌いでもなんでもないのに考えてみると聴いたの15年ぶりくらいかな。
バッハは最愛の妻を亡くした後再婚したりして子供が20人いたと思う。
今と違い全員が成人できたわけではなく幼くしてとか生まれてすぐにという子もいただろう。
3人が作曲家として売れただけじゃなく後世に名を遺した。
やっぱり才能を見せずというかどうにもならない子もいただろうか。
DCDみたいなのはいただろうか?いる訳ないか。
名もなく消えていった子たちに、親父はどう接しただろうか?

なにかを通すために開けてあったと思われる穴。
星座みたいだな。
下の方には水道管を通していた痕跡。
この土間は元風呂か炊事場があったりしたのかな?
叔母の家は戦後すぐに建てた感じで風呂場というより台所へつながる土間に風呂桶や洗濯機が置いてあった。
考えてみるといろいろ行った古民家カフェなんかよりずっといい感じの古民家カフェになりそうだけどそんなことを考えたってしょうがないか。

鶏がうろうろしてたりすると絵になりそうですね。
幼いころ住んだ借家、大家だったのかすぐ下の家で鶏を飼っていて
上がってきた鶏と一緒に遊んだというか話をしたという記憶が一番古いところに。
あの頃はまだ自分は失敗だなんて思ってなかった。
いや今だって思ってないよ。
究極的には自分が亡くなってしまうという事でしょうか。突然の中断の理由を察することができる場合もある。
さらにさかのぼっていくと、そこにいるその人はこの先起こること全く知らない。
当たり前なんだけれど、それゆえの無邪気な日常というものが印象に残る。
生きてくにあたって先を予測していくということは絶対的に必要だなと思うけれど、あんまり先のことなんか知らない方がいいし知らないから生きてられるのかもなと思う。
前振りのようだけどそれだけ。
峠というか山の上というかそんなところにあるカフェ。
しばらくぶり。

小さな子供がたくさんいる。
こんなことは書かないほうが良いに決まっているのに書くと
私は子供を見るのが嫌いとまではいわないにしろ苦手である。
でも子供一人ひとりのなかには大切で尊く壊してはいけない世界があることは知ってる。
なぜかお前が言うなという声が聞こえてしまうけれどお前も言うな。
ここは福祉施設でもありカフェは副次的なものなのらしいのを思い出した。

時間は遅いけれど・・
暖簾がかかってやっているみたいだ。
ご飯大丈夫ですか?というと何か確認めいたことの後に大丈夫と答えてくれる。
前回来たときとは違う人か。
柔らかい笑顔と丁寧な案内
奥の個室的スペースを進めてくれたけどなんか閉鎖的でつまんない気もしたので

前と同じ土間の囲炉裏の前にさせてもらう。
嫌とかめんどくさそうな顔も見せず笑顔で案内してくれてありがとう。
囲炉裏に火は入ってないけれど

ストーブをつけてくれた。
あったかいね。
囲炉裏で温まったこともないけれど、昔祖母の家へ行ったら火鉢を出してくれたことがあった。
こんなに小さな炭が?と思うけれどちゃんと暖かかった。
一人息子にできた孫には年に一度会えるか会えないかで、特別かわいがってもらえていることが幼い自分にもわかった。
しかし祖母の期待にこたえうるような私に私は・・・はいはいわかったわかった。
3択くらいのメニューから

ラム肉のオリジナルなんとかカレーだっけ。
正直結構割高だけど気持ち料が入ってると解釈して。
添えられた野菜にはハーブ系のなんか食べたことない味のドレッシングがかかっていた。
いいねそういうの。
ドリンクオプションとか普段は絶対に頼まないけれどジンジャーシロップとあるのを見てお湯割りを頼んじゃった。
先日のコーヒースタンドのはしょうが感が爆発していたけれどこちらのは飲みやすいやさしい飲み物という感じ。
きっとショウガも自家製だと思う。

静かでいい感じ。
椅子の上にあるもじゃもじゃはリアル羊の毛かな?
すぐ横のテレビには福祉施設としての活動を紹介する写真みたいなものが流れていた。
馬のほかいろんな動物がいて、何とか理論に基づき子供の・・

人を募集しているらしく目の前のテーブルで面接をしていた。
いろんな人がいるよね世の中って・・
さりげなく話した自分の子とのかかわりあいは成功例というか・・失敗例という札がついてる自・・はいやめやめ。
https://www.youtube.com/watch?v=JmgT1-pVc-U
バッハのオルガンのためのトリオ・ソナタは息子の教育用に書かれたといわれています。
教育用と聞くと優しい内容かと思っちゃったりしそうだけど技術的にも芸術的にも極めて高度なという話になっていて。
話になってるとかじゃなくて自分が聴いてどう思うかだけどね。
嫌いでもなんでもないのに考えてみると聴いたの15年ぶりくらいかな。
バッハは最愛の妻を亡くした後再婚したりして子供が20人いたと思う。
今と違い全員が成人できたわけではなく幼くしてとか生まれてすぐにという子もいただろう。
3人が作曲家として売れただけじゃなく後世に名を遺した。
やっぱり才能を見せずというかどうにもならない子もいただろうか。
DCDみたいなのはいただろうか?いる訳ないか。
名もなく消えていった子たちに、親父はどう接しただろうか?

なにかを通すために開けてあったと思われる穴。
星座みたいだな。
下の方には水道管を通していた痕跡。
この土間は元風呂か炊事場があったりしたのかな?
叔母の家は戦後すぐに建てた感じで風呂場というより台所へつながる土間に風呂桶や洗濯機が置いてあった。
考えてみるといろいろ行った古民家カフェなんかよりずっといい感じの古民家カフェになりそうだけどそんなことを考えたってしょうがないか。

鶏がうろうろしてたりすると絵になりそうですね。
幼いころ住んだ借家、大家だったのかすぐ下の家で鶏を飼っていて
上がってきた鶏と一緒に遊んだというか話をしたという記憶が一番古いところに。
あの頃はまだ自分は失敗だなんて思ってなかった。
いや今だって思ってないよ。