中二病とレアハンバーグ
昔は遠出と言えば一日中走り数百キロのとかだったけれど今は小一時間走れば遠出。

世間の今とは関係なくもともと人のいっぱいいるようなところは苦手で近寄らない。
ここはそんな超絶観光地のすぐ裏みたいなとこだけどこんなに静かでのどか。
こういうところにある店はおもしろいと行ってみると定休日じゃないのにやってないという事が多い。
つぶれちゃってるわけじゃないんだろうけど。
この日も店の看板にcloseの文字を見てなんだそりゃと思いかけたけれどのどかな景色と暖かい陽射しがまあいいやと思わせてくれる。

逆光で写ってないけどこのあたり大樹に守られた小さな祠がいくつもあったり。
しかし他の店にったって結構遠い。
ランチな時間終わっちゃうなと焦りながらも
もんびりな景色。
10キロほど下って

こんなお店。
一度通り過ぎる。
レビューとか情報がなく外観だけだったら多分入らなかったと思う。
入ると誰もいなかったけれどていねいに迎えてもらえ、
当店メニューはハンバーグのみですがよろしいですか?
はーい。
意味も解らず返事をしちゃったけどほんとにハンバーグ一択で肉の量が選べるだけ・・いいじゃないわかりやすくて。
夫婦でやっているようで外にはイベント車。
カレンダーを見ると休日はいつもどっかへ出かけて営業してるみたいだ。
好きなんだろうな。
イベント会場みたいなところ、楽しいんでしょうね。
そういうのが苦手ってこんな人間はいかにも欠陥っぽいけどまあしょうがない。

肉は生でも食べられる安全なものだけど好みに合わせて焼いてねみたいな言葉とともに登場のこれ、
箸を入れてみて分かったけれど

ひき肉だけでできているのではなく
スライスした形のある大きな肉をひき肉でつないである感じ・・
これが食ってみるとうまい。
何というかこう・・野生な感じというか・・
ばらしてガンガン焼いてもいいんだろうけど私は半生な感じでどんどん食っちゃった。
まずは塩から始めて後でこのソースを・・と言う話だったけど
ソースも塩もなしでみんな食っちゃった。
あんまりうまかったからもとでかいのにすればよかったかなぁ・・と思いながら。
中学に入ってクラシックに目覚めるとはじめはバッハだった。
ある日管弦楽組曲とブランデンブルク協奏曲が入ったCDを買ってきて
https://www.youtube.com/watch?v=zwCAAKUc9Uk
何がブランデンだかも知らないままぼーっと聴いてると突然耳に焼き付いたあの音楽が鳴ってびっくりしたのを覚えてる。
今考えるとこの時点からわずか2年ほど前はまだ小学生で、給食の時間が終わることを知らせる音楽として毎日流れてたのはこの曲だというだけじゃなくこの演奏この録音だった。
小学生の私にそれがバッハなんてことはわかるわけもなく、興味も・・なくはなく結構好きで毎日聴き入っていた気もする。
このCDを買ったんだからその時はまだそうじゃなかったんだろうけど、この直後から私はカラヤンを極端に拒絶した。
この人は芸術家として優れていたのは間違いないんだと思うけれどメディアとうまく利用しあうことで成功してきた感もあり世界的大スターを超えもう神格化の域に・・まだそこまで考えなかったかもしれないけれどこのころ音楽に興味のない人間でさえあっちもこっちもカラヤンカラヤンと言ってるのがなんだか気に入らなかった。
この時中二だったしリアル中二病である。
そしてそれはまだ続いている。
もう一つ言うと音楽には演奏スタイルに流行のようなものがあり、1964年のこの演奏はかなり古く時代遅れで・・人によっては間違っているとか耐え難いとか言うかもしれない。
昨今の流行り系のも聞いたりもするけどね。
鼻で笑ったり、正しいことを知っている私が無知なお前に教えてあげようみたいなのを始める人もいると思う。
どこに何がいたって人間鎖国な私には関係ないんだけど、でもたまに脳裏浮かぶと回避のため何も言わないにしようと思ったり・・
でも何度も何度も聴き体の中にしみこんでしまったこの演奏は今でも時々聴くし私はこれが好きだとあえて書いときたい。

ランチのドリンクサービスで紅茶。
猫舌なのと楽器の練習で下唇が擦り切れたようになっており
熱くてしばらく飲めず・・
後から来た夫婦はいつものとか言って常連さんみたいだ。
ビールを飲みながら肉をばらして豪快に焼き煙の中に消えていた。
ここから国道は使わず昔からのという感じの狭い道をのんびり走ると何とも言えないのどかな景色が続く。

ところどころにまだこれから花開こうという河津桜の並木が見られた。
よく見るとどれも発電所用の導水路に沿って植えられているようにも見えるけど電力会社が植えてんのかな。

こんなあるわけのないところに4車線道路があるのは・・
は詳細を調べたらちょっと書く気がしなくなってしまった。
今は何もなかったかのように静か。
人生は一度きり。
リアル中ニのころは好景気を前にして人は個性を主張していくべきだみたいな話があふれていたような気がする。
思春期だったのと何一つまともにできないコンプレックスを抱えた私には何だかわかんないけどその話が都合よく、みんなと同じである必要がないとか、みんなと同じはくだらないなどと思った覚えがある。
クラシックなんて好んで聴くやつはいないばかりか馬鹿にもされたけれど、この訳の分からない主張には都合がよかった。
結果として今の私はこんなになっちゃって・・
こんなになっちゃった・・は、本当はあったあるべき姿とは違う今という逃げ口上なのであってその考えが色んな悪臭を生んでいると思う。
どんな内容であれ私はこうなるはずだったのであって、これが私なの。
こんなこと書いてんのも中二病臭いな。
ブログって中二病かもな。

ゆっくりわたっていく猫殿。
どうぞどうそまってます。
この日、田舎付近をボーっと走り回って私は心の腐ってるところが干されたような気がした。
来てよかった。

世間の今とは関係なくもともと人のいっぱいいるようなところは苦手で近寄らない。
ここはそんな超絶観光地のすぐ裏みたいなとこだけどこんなに静かでのどか。
こういうところにある店はおもしろいと行ってみると定休日じゃないのにやってないという事が多い。
つぶれちゃってるわけじゃないんだろうけど。
この日も店の看板にcloseの文字を見てなんだそりゃと思いかけたけれどのどかな景色と暖かい陽射しがまあいいやと思わせてくれる。

逆光で写ってないけどこのあたり大樹に守られた小さな祠がいくつもあったり。
しかし他の店にったって結構遠い。
ランチな時間終わっちゃうなと焦りながらも
もんびりな景色。
10キロほど下って

こんなお店。
一度通り過ぎる。
レビューとか情報がなく外観だけだったら多分入らなかったと思う。
入ると誰もいなかったけれどていねいに迎えてもらえ、
当店メニューはハンバーグのみですがよろしいですか?
はーい。
意味も解らず返事をしちゃったけどほんとにハンバーグ一択で肉の量が選べるだけ・・いいじゃないわかりやすくて。
夫婦でやっているようで外にはイベント車。
カレンダーを見ると休日はいつもどっかへ出かけて営業してるみたいだ。
好きなんだろうな。
イベント会場みたいなところ、楽しいんでしょうね。
そういうのが苦手ってこんな人間はいかにも欠陥っぽいけどまあしょうがない。

肉は生でも食べられる安全なものだけど好みに合わせて焼いてねみたいな言葉とともに登場のこれ、
箸を入れてみて分かったけれど

ひき肉だけでできているのではなく
スライスした形のある大きな肉をひき肉でつないである感じ・・
これが食ってみるとうまい。
何というかこう・・野生な感じというか・・
ばらしてガンガン焼いてもいいんだろうけど私は半生な感じでどんどん食っちゃった。
まずは塩から始めて後でこのソースを・・と言う話だったけど
ソースも塩もなしでみんな食っちゃった。
あんまりうまかったからもとでかいのにすればよかったかなぁ・・と思いながら。
中学に入ってクラシックに目覚めるとはじめはバッハだった。
ある日管弦楽組曲とブランデンブルク協奏曲が入ったCDを買ってきて
https://www.youtube.com/watch?v=zwCAAKUc9Uk
何がブランデンだかも知らないままぼーっと聴いてると突然耳に焼き付いたあの音楽が鳴ってびっくりしたのを覚えてる。
今考えるとこの時点からわずか2年ほど前はまだ小学生で、給食の時間が終わることを知らせる音楽として毎日流れてたのはこの曲だというだけじゃなくこの演奏この録音だった。
小学生の私にそれがバッハなんてことはわかるわけもなく、興味も・・なくはなく結構好きで毎日聴き入っていた気もする。
このCDを買ったんだからその時はまだそうじゃなかったんだろうけど、この直後から私はカラヤンを極端に拒絶した。
この人は芸術家として優れていたのは間違いないんだと思うけれどメディアとうまく利用しあうことで成功してきた感もあり世界的大スターを超えもう神格化の域に・・まだそこまで考えなかったかもしれないけれどこのころ音楽に興味のない人間でさえあっちもこっちもカラヤンカラヤンと言ってるのがなんだか気に入らなかった。
この時中二だったしリアル中二病である。
そしてそれはまだ続いている。
もう一つ言うと音楽には演奏スタイルに流行のようなものがあり、1964年のこの演奏はかなり古く時代遅れで・・人によっては間違っているとか耐え難いとか言うかもしれない。
昨今の流行り系のも聞いたりもするけどね。
鼻で笑ったり、正しいことを知っている私が無知なお前に教えてあげようみたいなのを始める人もいると思う。
どこに何がいたって人間鎖国な私には関係ないんだけど、でもたまに脳裏浮かぶと回避のため何も言わないにしようと思ったり・・
でも何度も何度も聴き体の中にしみこんでしまったこの演奏は今でも時々聴くし私はこれが好きだとあえて書いときたい。

ランチのドリンクサービスで紅茶。
猫舌なのと楽器の練習で下唇が擦り切れたようになっており
熱くてしばらく飲めず・・
後から来た夫婦はいつものとか言って常連さんみたいだ。
ビールを飲みながら肉をばらして豪快に焼き煙の中に消えていた。
ここから国道は使わず昔からのという感じの狭い道をのんびり走ると何とも言えないのどかな景色が続く。

ところどころにまだこれから花開こうという河津桜の並木が見られた。
よく見るとどれも発電所用の導水路に沿って植えられているようにも見えるけど電力会社が植えてんのかな。

こんなあるわけのないところに4車線道路があるのは・・
は詳細を調べたらちょっと書く気がしなくなってしまった。
今は何もなかったかのように静か。
人生は一度きり。
リアル中ニのころは好景気を前にして人は個性を主張していくべきだみたいな話があふれていたような気がする。
思春期だったのと何一つまともにできないコンプレックスを抱えた私には何だかわかんないけどその話が都合よく、みんなと同じである必要がないとか、みんなと同じはくだらないなどと思った覚えがある。
クラシックなんて好んで聴くやつはいないばかりか馬鹿にもされたけれど、この訳の分からない主張には都合がよかった。
結果として今の私はこんなになっちゃって・・
こんなになっちゃった・・は、本当はあったあるべき姿とは違う今という逃げ口上なのであってその考えが色んな悪臭を生んでいると思う。
どんな内容であれ私はこうなるはずだったのであって、これが私なの。
こんなこと書いてんのも中二病臭いな。
ブログって中二病かもな。

ゆっくりわたっていく猫殿。
どうぞどうそまってます。
この日、田舎付近をボーっと走り回って私は心の腐ってるところが干されたような気がした。
来てよかった。
時代も変わった。

暖かく気持ちのいい日。
嫁さんが最近見つけたパン屋に行こうという。
あそこかぁ・・
昔からの郷の中は狭すぎて車で入れないから手前に置いてこう。
手前ののどかな一体、今は都市計画道路が通り家が建ちスーパーが建ち・・
昔は家どころか道すらなかった。
ここへ来るには笹のトンネルみたいな狭い砂利道を歩くか、田んぼや畑のあぜ道を勝手に歩いて蜂に刺されたり鬼のような農家の親父に追い返され・・

富士山の溶岩流の上に乗っかるこのあたり、子供の頃よくこんな溶岩を目にした。昔の人が開墾しようにもどうにもどかしきれなかった巨大溶岩がそのまま藪山みたいになってて。
ちょっとしか離れていないけどうちの周りにはこういうのないからなんだか懐かしい。
こういうのは宝永噴火なんかよりずっと昔1万年前くらいのものらしい・・こんなの、他人にはそれの何が面白いの?でしょうけどそれはそういうもんだよね。
晴れて明るい日が当たってると何でも綺麗に見えるし気持ちも和らぐね。

この路地は昔未舗装だった。
その先右に曲がってまっすぐ行くと・・
記憶の底の方に折りたたまれていたこの辺りは、何がどう間違ってもお店なんか絶対にあるわけがないしあってはいけないというような場所だ。
なのにあそこに

パン屋ができたというのは冗談じゃなくて本当だった。
昔からあった民家の一部を改装してる。
最近思うけど、SNSで情報を得て人が動く今はこんなあるわけのないようなところにあるという事が逆にお店の武器になると思う。
入り口にはひとりづつお話したいから並んで待ってくださいという注意書き。
窓口でケースに並んだものをとってもらう対面販売みたいなのか・・
嫁さんはなんでもゆっくり選ぶ人なので・・相手のあることだからマイペースじゃまずいだろうとこちらが勝手に焦る。
生い立ちに問題があり過剰に人の表情を読み取ろうとする私はお店の人にはやくしろよ・・を見てしまった気が。
いつもの勘違いだよと言いきかせ、
これ写真撮っていいですか?
はい、ありがとうございます。

きれいだなぁ・・・
そう、まだ早い時間だから・
あそうかぁ・・
お店の人の笑顔を見て終われたので良し。
小学校では給食や掃除の時間にクラシック音楽が毎日流れていた。
クラシック音楽に興味なんかなか・・いや、自分でわかっていなかったけれど今でも脳裏に焼き付き流れるのは好きだったからかもしれない。
毎日聞えてきた何曲かの中に
https://www.youtube.com/watch?v=JoLaBx8WRyk
モーツァルトのホルン協奏曲もあった。
この曲、聞こえた瞬間から虫唾が走るような人もたくさんいるでしょう?
テレビのバラエティー番組みたいなので流れてたから、お茶らけ音楽と思って馬鹿にする人もいるでしょうね。
それでいいんでしょうそんなの人それぞれ。
私は実はモーツァルトは苦手というかあまりな感じなんだけど、でも昔聴いた誰のものかわからないホルンのあの歌が今でも頭に流れる。
そういえば、生まれて初めて自分の大事にしている物と自分をけなされ身の危険を感じたのもこのあたりだ。
世の中みんながみんな自分と同じように感じ考えてくれるわけじゃないんだと知った事件だったわけだけど、40年たった今もまだその衝撃にうろたえることがある。
出かけた帰り、以前見つけた謎のヤギな場所に

看板が出ていた。
やぎを愛でながら飲み食いする・・
のではなく

食べるのはヤギの方みたいだ。
人間用には飲み物の自販機が2台あるだけ。
箱に100円いれて・・
早速駆け寄ってきた若いヤギに、いい歳したおっさんが餌をやって喜ぶ。

ヤギ界にも序列があるらしくちょっと遅れてきた大きなおっさんを怖がって若い2頭は逃げ気味。
お前らわかっとるんかと威嚇するおっさんはさすがベテラン、手に持った藁を上手にとって食べる。
おっさんがあっち行った隙に食らいつく若手の1人も。
だけどもう一人は超絶不器用なのか俺の手まで食っちまうからいてーよ。
おまえ俺だろ?
中学校の部活は始めに入ったものを3年間やり通すのが大原則で転部と言えば脱藩して命を追われる人みたいな絶対的タブーであったのだけど私は2年生の途中位で当初夢にも思わなかった吹奏楽部へ転部するという事になった。
いろんな楽器の中でどれを・・と考えるより前におまえはこれ、と誰もやりたがらない楽器をあてがわれた。
よくある話であのとき別な楽器になんて考えていたこともあったけれど、この歳になり実際挑戦してみて、ほかの楽器をやってもきっと・・と思うに至った。

楽しそうでいいな。
あの小さなパン屋さん、おいしかったからまた行ってみればまた先客がいたしパンはほとんど売れちゃってた。
こんな場所だけどやっぱり繁盛してるのね。時代は変わったな。
パン屋の向こうの垣根は私が生まれて初めて猫が木の幹で爪を研ぐのを見たところだ・・昨日のような超絶リアル感で思い出したけどもう40年前だろう。
その隣に建てられてゆくのを眺め大工に少しあこがれたあの新築の家はもうなく分割され数軒の今風な家が立ち並ぶ。
小学生くらいの子供がいるらしいパン屋のお姉さんは私がこのあたりを歩いていた時にはまだ生まれていなかったんじゃないか?
時代もかわったな。
自分の体が読めない人の矛盾

こんなのを見るとその時だけは色々忘れられる。
寒いけど。
きれいだね。
なんか書こうと思ってたことももう忘れてしまった。
こんな光景が目に留まるのも犬の散歩があるから。
犬のおかげ。
よし、という思いで行ったレッスンはまたしても怒られっぱなしであった。
もちろん、それでいいんだけど。
あなたは楽譜が読めるんだからガンガン吹けて怖いものなしのはずなのに・・
音さえ出れば・・
楽器のレッスンに1年以上通って音が出ないとか言われているのはもはや怪奇現象であろう。

大丈夫。
こんなことを書いていられるのは少しづつでも前進していると思うから。
ただ4次元的な速度と進路なので他人には許しがたい馬鹿にしか見えないかもしれない。
でもそれも昔からのことで今更どうという事もない。
今は個人対個人だからいたたまれなくなって逃げる必要もない。
https://www.youtube.com/watch?v=ymouzrzzgZ0
星が降ってくるというか笑顔が宝石みたいな人というかいいでしょうこの曲。
ショパンのノクターンは単に夜想曲なんかじゃねーぞというのも多いけどこれは素直にノクターンでいいか。
一見2つのグループが単純に繰り返されているようだけど、聴いて全然退屈しないのは色々技が効いているからだろう。
同じことを馬鹿みたいに繰り返さず口数を減らして行ったり、転調したり、意表を突いたところから語り始めたり・・
よくわかり合えたもの同士の対話みたいでもありますね。
求める反応が得られるまで馬鹿みたいに一方的に同じことを繰り返し話す人・・じゃない。

最後はもう語り尽くし満足したのか寝言のように話始めた途中で笑顔のまま眠る。
多分昔からオーケストラ音楽の細部や構造を読み取りより深くよりよ聴きたいと思う聴き手のためにポケットスコアというものが印刷されて売られていて、自分もいろいろ買って喜んだ。
同じ考えで弾けるわけもないのにショパンのノクターンとかベートーベンのピアノソナタの楽譜を買ってきては眺めた。
弾けるわけもないけれど弾こうともした。
この曲も。
今はもう他人に絶対にそんなことは言わないけれど、一時期自分の中で弾けたことになった曲もないでもない。
それは弾けるとは言いませんみたいな話は今は置いといて黙っててください。
他人にどう言われようと実際なんだろうと自分でもやってみるくらいなのが音楽を聴くという事かとも思・・

きれいだね。
さっきから他人は知らないという事ばかり書いていて引きこもりそのものだ。
本気でそう思うのなら楽器も我流で好きな曲の楽譜を切り取り一人吹けたような気になって喜んでいればいい。
実際、そんな風にして生きてきた来た45年であった。
しかし、そうではなく本当に音楽がしたいと思った。
我流の自己満足ではなく世間標準に乗るために、無理かもしれないと思いつつ先生について習おうと思った。
傍目には1年以上無駄にしている人なのであるかもしれないけれど、この一年がなければ今はないと思う。
傍目にはゴミ糞みたいに見えるかもしれないけれど、目指したいところを目指そうと思っている。
ちょっと矛盾してるというか、
病的な肉体的劣等感を抱いた人間がでもやってやるわと思うためにはその間周りの人間の声や表情反応を一切遮断して自分だけの世界に入らないと逃げてしまい前へ進めない。
でも目指したいところはその遮断空間に一人いる我流じゃないところなんだという・・
ブログも書かなきゃいいと思いながら書かずにいられないとか矛盾してる。

はやくかえろうよう・・
一時期先生からもうこの人間のあいてを辞めたい感が感じられたことがあった。
昔からの病的な癖で事実と関係なく人にそういうのを読み取る癖もあるので実際どうだったかはわからない。
けどまたガンガンやりましょう!の言葉で終わったんだから。
がんばろう。

きれいでしょう?
もう終わり?
犬の散歩から帰ってくればもう昼飯にも遅いような時間。

地元の元商店街の裏みたいなところにあるてんぷら屋に行った。
スマホで何でも分かる時代の波はここにも押し寄せているのか、隠したような場所にあるお店はいつもいっぱい。
たまたま二人掛けのテーブルが空いてた。遅い時間じゃないと入れないと思う。
隣の夫婦はどこか遠くから来たようだ。

メニューはフライ系と天ぷら系に分かれるけれどミックスフライ定食を頼むとフライ系はほとんど網羅されるのでもうこれ一択。
嫁さんのから揚げが多すぎてまわってくるわけで、すごいボリュームは満足を超えてしまうんだから今度はもっと小さな丼でもいいかもしれない・・・と前回思ったのにまた同じことを凝り返す。
でもこれ!っと決めて頼むのも楽しみだもんね。
私たちの後からもう終わり?と言いながら入ろうとするお客さん登場。
えー・・何人様ですか・・えーっと・・・どうしようかな・・
この店のおばさんは、忙しかったりもう終わるつもりだったところに客が来ると切羽詰まった感がそのまま顔と言動に出ちゃうから・・
お客さんもやめると言わず粘ってる感じでその辺よくわかってんのかな?
しばらく入り口付近で押し問答みたいになってた。
でも、入れたみたい。
わるかったかな?とか言いながら。
知らないとなんだあの態度は?とか思ってしまいそうだけどおばさんに悪気は全くないことが前回判った。
余裕が出てくれば親切で丁寧、いいお店。

いつもどこへ行っても私たちが一番最後の客になるんだけど。
20年かもっと前、別なところにあったこのお店に入ったことがあった。
若い奥さんが料理を持ってきたと言う記憶があるのだけど、同じ人なのかなと毎回考えながら食ってる。
食い過ぎたので腹ごなしに歩いてみると公園があった。
そういえばこんなところに公園を整備したという話を聞いたのも20年どころかもっと前のような気もするけど実際来たのは初めてか。

だだっ広い中の美しい富士山もいいけど、
こんな富士山の方がリアルに本音を語りだしそうな気がする。
写真を撮ろうとすると通行人のおっさんがなんで俺の写真撮ってんだという顔をしている。
そういう人よくいるよね。
なにみてんの?みたいなの。
昔頭病気の時はそれに悩まされた。

ちょっと離れたところにあるこの神社、ここにあるのは知ってるどころの騒ぎじゃないけれど境内に入ったのは35年ぶりかもしかすると初めてだったかも。
田舎のちいさな神社と言えば元旦とお祭りの日以外は締め切られてひっそりとしているもんだけれど、驚いたことに社務所には明かりが灯り御朱印承りますとかお守りとか・・いろいろにぎやかに営業中であった。
社殿も戸が開いて明かりが灯ってる・・
この神社、鉄道を敷くため撤去されることになったとき明治天皇が「あの神社はよけるように」と命じ・・というようなことを昔本で読んだ。
そんな情報がいちいち天皇に行くのかな?ほんとかな?と思わなくもないけれど、祭られているのは鎌倉時代に後醍醐天皇側についた武将なのであって話の筋は通っていると思うし神社も塚もそのままの位置にあることは事実。
鉄道開通の明治22年、1889年はパリ万国博覧会の年でパリにはエッフェル塔が建ち・・それよりエジソンが発明した蝋管蓄音機で世界初のアーティストによる録音、ブラームスのピアノ演奏が録音されたというのが圧倒的に興味深い。
作曲家であると同時に超絶ピアニストでもあったブラームスの演奏と言えば地球外生命体なんかよりよっぽど見てみたい聞いてみたいものなのではあるけれど・・実際、残っている物は劣化が激しすぎいろんな手を使ってみても演奏そのものはもうほとんど聞こえず、今なんかなってたかな?くらいだったと思う。
聞こえたとしてもシャイなブラームスはちゃんと弾かずにやっつけ演奏みたいなのをしていたという話もある。
あんなに見たいと思ったのに、みえちゃったら・・みたいな話はいろんなところにあると思う。
こういうのは聴こえないところにロマンがあるんだろう。
最後の交響曲第4番はもう数年前に完成してた。
どうしても結果というか後ろから眺める格好になるから最後の交響曲が作曲家最後の姿であるような気がしてしまうけど、
でも違うのね。
単純に残された時間がなく書けなかった・・のではないのね。
https://www.youtube.com/watch?v=P0rnjsclOlo
5番として準備していたものが二重協奏曲に転用されているという話も有名。
これを聴きながら第5交響曲を想像してみるのも楽しいけれど、
でも幻の交響曲第5番は、聴けなかったからいいんだろうなぁ・・

さくら
明治天皇があそこはよけなさい・・というのを本で読んだのは中学生のころでクラシック音楽とか言い出す少し前だ。
そのころはそんな本読んでるとかじゃなくてスポーツとかカラオケとかファミコンとかテレビドラマとか外へ出て人とぶつかり・・と思うけれどもうその時点はそんな人間になっちゃってたんだからしょうがない。
じゃあどこまでさかのぼれば間違ってない自分があるのかと考えると、生まれない方がよかったということになっちゃうので考えない。
自虐癖で自分が重要なわけがないと思っているし、自分の地元に歴史的に重要な何かなんてあるわけがないという思いもあるかもしれない。
でもそんなことはないのか。
考えてみれば重要でない人とか重要でない場所なんてこの世にはないのかもしれない。
そういう事にしたい人間はいると思うけれど、そんなの関係ないんだから。

地元の元商店街の裏みたいなところにあるてんぷら屋に行った。
スマホで何でも分かる時代の波はここにも押し寄せているのか、隠したような場所にあるお店はいつもいっぱい。
たまたま二人掛けのテーブルが空いてた。遅い時間じゃないと入れないと思う。
隣の夫婦はどこか遠くから来たようだ。

メニューはフライ系と天ぷら系に分かれるけれどミックスフライ定食を頼むとフライ系はほとんど網羅されるのでもうこれ一択。
嫁さんのから揚げが多すぎてまわってくるわけで、すごいボリュームは満足を超えてしまうんだから今度はもっと小さな丼でもいいかもしれない・・・と前回思ったのにまた同じことを凝り返す。
でもこれ!っと決めて頼むのも楽しみだもんね。
私たちの後からもう終わり?と言いながら入ろうとするお客さん登場。
えー・・何人様ですか・・えーっと・・・どうしようかな・・
この店のおばさんは、忙しかったりもう終わるつもりだったところに客が来ると切羽詰まった感がそのまま顔と言動に出ちゃうから・・
お客さんもやめると言わず粘ってる感じでその辺よくわかってんのかな?
しばらく入り口付近で押し問答みたいになってた。
でも、入れたみたい。
わるかったかな?とか言いながら。
知らないとなんだあの態度は?とか思ってしまいそうだけどおばさんに悪気は全くないことが前回判った。
余裕が出てくれば親切で丁寧、いいお店。

いつもどこへ行っても私たちが一番最後の客になるんだけど。
20年かもっと前、別なところにあったこのお店に入ったことがあった。
若い奥さんが料理を持ってきたと言う記憶があるのだけど、同じ人なのかなと毎回考えながら食ってる。
食い過ぎたので腹ごなしに歩いてみると公園があった。
そういえばこんなところに公園を整備したという話を聞いたのも20年どころかもっと前のような気もするけど実際来たのは初めてか。

だだっ広い中の美しい富士山もいいけど、
こんな富士山の方がリアルに本音を語りだしそうな気がする。
写真を撮ろうとすると通行人のおっさんがなんで俺の写真撮ってんだという顔をしている。
そういう人よくいるよね。
なにみてんの?みたいなの。
昔頭病気の時はそれに悩まされた。

ちょっと離れたところにあるこの神社、ここにあるのは知ってるどころの騒ぎじゃないけれど境内に入ったのは35年ぶりかもしかすると初めてだったかも。
田舎のちいさな神社と言えば元旦とお祭りの日以外は締め切られてひっそりとしているもんだけれど、驚いたことに社務所には明かりが灯り御朱印承りますとかお守りとか・・いろいろにぎやかに営業中であった。
社殿も戸が開いて明かりが灯ってる・・
この神社、鉄道を敷くため撤去されることになったとき明治天皇が「あの神社はよけるように」と命じ・・というようなことを昔本で読んだ。
そんな情報がいちいち天皇に行くのかな?ほんとかな?と思わなくもないけれど、祭られているのは鎌倉時代に後醍醐天皇側についた武将なのであって話の筋は通っていると思うし神社も塚もそのままの位置にあることは事実。
鉄道開通の明治22年、1889年はパリ万国博覧会の年でパリにはエッフェル塔が建ち・・それよりエジソンが発明した蝋管蓄音機で世界初のアーティストによる録音、ブラームスのピアノ演奏が録音されたというのが圧倒的に興味深い。
作曲家であると同時に超絶ピアニストでもあったブラームスの演奏と言えば地球外生命体なんかよりよっぽど見てみたい聞いてみたいものなのではあるけれど・・実際、残っている物は劣化が激しすぎいろんな手を使ってみても演奏そのものはもうほとんど聞こえず、今なんかなってたかな?くらいだったと思う。
聞こえたとしてもシャイなブラームスはちゃんと弾かずにやっつけ演奏みたいなのをしていたという話もある。
あんなに見たいと思ったのに、みえちゃったら・・みたいな話はいろんなところにあると思う。
こういうのは聴こえないところにロマンがあるんだろう。
最後の交響曲第4番はもう数年前に完成してた。
どうしても結果というか後ろから眺める格好になるから最後の交響曲が作曲家最後の姿であるような気がしてしまうけど、
でも違うのね。
単純に残された時間がなく書けなかった・・のではないのね。
https://www.youtube.com/watch?v=P0rnjsclOlo
5番として準備していたものが二重協奏曲に転用されているという話も有名。
これを聴きながら第5交響曲を想像してみるのも楽しいけれど、
でも幻の交響曲第5番は、聴けなかったからいいんだろうなぁ・・

さくら
明治天皇があそこはよけなさい・・というのを本で読んだのは中学生のころでクラシック音楽とか言い出す少し前だ。
そのころはそんな本読んでるとかじゃなくてスポーツとかカラオケとかファミコンとかテレビドラマとか外へ出て人とぶつかり・・と思うけれどもうその時点はそんな人間になっちゃってたんだからしょうがない。
じゃあどこまでさかのぼれば間違ってない自分があるのかと考えると、生まれない方がよかったということになっちゃうので考えない。
自虐癖で自分が重要なわけがないと思っているし、自分の地元に歴史的に重要な何かなんてあるわけがないという思いもあるかもしれない。
でもそんなことはないのか。
考えてみれば重要でない人とか重要でない場所なんてこの世にはないのかもしれない。
そういう事にしたい人間はいると思うけれど、そんなの関係ないんだから。
超絶観光地とプラレール

先日見た近くの踏切。
奥は古い商店街でその先に大きな神社、横切る私鉄には小さな駅。
70代以上の人だとかつてこの駅前に路面電車がいたことを知っていて語ったりする。ネット上にも写真が沢山出てきたり。
でもそのもっとずっと前、明治時代くらいには路面電車がこの道を直進し鉄道と直交していたらしいことを知っている人はあんまりいないかもしれない。そういう自分だって何かでちょっと読んだというだけで写真も見たことない。
見てみたかったなその景色。

ありそうでないからこれ。
プラレールみたいだよね。
幼いころ、外をほっつき歩いていたら偶然同じ幼稚園の子数人と出会い、こんなところで会うなんてとお互い新大陸発見みたいに驚き喜んだ。
そのあとなぜがうちに来てみんなでプラレールで遊んだ・・40年以上前のたった一度の思い出がまだ忘れられない。
軌道が鉄道の踏切を渡るという場面は各地にあったんではないかと思うけど今残ってるのはここだけかな?

松山の・・なんだっけ昔見た。
ここも踏切の横には小さな駅があっていかにも都市部の地方私鉄という景色。
地元のあそこに似てるなぁなんて思いながら眺めた。
普通は松山に行ったと言えば松山城とか道後温泉とか坊ちゃんのなんとかとか・・これを見に行った訳じゃないけどこれしか見なかった。

ガタガタいう渡り音も面白いけれど、架線にも興味がありますよね。
こういうのがあると両者の電圧を合わせるのはよく言われることで、昔京阪は京都市電と交差するからずっと600Vだったとか・・
合わせるというと接続しているようなイメージもあるけれど、絶縁区分みたいなのを合わせているんであって回路的にはつながっちゃったらまずいんじゃないかと思う。
で実際どうなってるの?とか

あの真ん中の十字のスペーサーみたいなのはFRPかなんかで回路を絶縁しているように見える。
レール架線間の電圧をDC600Vにそろえてとか言っても実際負荷や電源の状況で変動し600Vピッタリであるわけがなく、上下線間にも別路線間にも電位差があるはずで電気的に接続すればこの四角い閉回路みたいになってる部分はあっという間に真っ赤になって焼け落ちると思う。一瞬青白く光って辺りにはパチンコ玉みたいな銅の塊が転がる・・とかかも。
短絡回路のインピーダンスが低いので許容値に対してけた違いな電流が流れるけど電位差自体は小さいから変電所の遮断器を動作させるための継電器が拾う電流はそれを作動させる値にならず、保護を考えることは結構難しいと思う。
こういうのは別にダイヤモンドクロスに限らずあらゆる場所にあり、電車のパンタグラフがちょうど異回路間を短絡する位置に停車してしまうと架線も集電版も焼け落ち・・それがどうしたってなもんだろうけど。

渡ってゆくとき集電装置がバチバチスパークするのはいったん回路が切れることを示していると思う。
前の晩も寒いのにずっと見てた。
途中うどんとかなんとか食った写真も挟まってるけど、正直失敗したという記憶なので載せない。
だけど写真があると、お茶がポットから出てこなくて文句言ったら解放のレバー押してないだけで普通に出てきてたとか、どうでもいい記憶が妙に鮮やかに蘇ってくるのね。
https://www.youtube.com/watch?v=pHR0VyEKOqs
これは交代する三度という曲で、交差じゃなくて交代だけど実際声部がというより手が交差するのが面白く・・そこはどうでもいいか。

楽譜の景色がアラベスクという感じだけど。
動き回る音同士がぶつかり合って偶然生まれるハーモニーがまた・・いまじゃ当たり前だけどこんなの出せばふざけてんのかと言われそうな時代にこれを堂々と発表する原動力としてやっぱりサティがいたのかなとか・・

瀬戸大橋の巨大なのに綿密な構造に見とれる。
音楽もいろいろだけど、多くの曲にあんな感じのイメージがあるのね。
細かいものがそれぞれ意味を持って組み合わさり全体を作ってゆく・・全体を見てもいいけど細部に注目しても・・
この時正月休みだったと思う。
小学生くらいの女の子に「そろそろおばあちゃんちいく?」と問いかけてた若いお父さん。
今はもう孫がいたりするんだろうか?
長い時間もあっという間に過ぎてっちゃうのね。
プラレールももう記憶の彼方に消えかけ思い出せることもあんまりないな。
20年後くらいに今度は子供のためにまた再会し、さらにその20年後に今度は孫のために・・という人もいるんでしょうね。
昔はデパートの最上階にでっかいおもちゃ屋があってプラレールが走り回ってたような気が。
最初の写真のあそこにもそんなデパートがあった。
ああいうのもう見ないな。

渡った瀬戸大橋を遠くに眺めるともう旅も終わりの予感。
このときなんだかものすごく虚しかった。
別に虚しくなる必要はなかったはずだけど。
夢と書き直した。
天気が良くて気持ちのいい日。
限定15食のランチはすぐ終わっちゃうみたいで前回は食べそびれたけど今日はどうかな。

ランチ大丈夫ですか?と聞くと
とっつきにくいかなという印象もよあったマスターがすごい笑顔で頷いてくれた。
ちょっと嬉しいそういうの。
カウンターしかあいてないんです・・とマスターはあんなところしかというような言い方だけど、

ここもいいね。
窓越しの木立の下には氏神様。
屋敷神というの?
幼いころに住んでいた古い家の庭にも小さな祠があった。
うちの神様なの?と親に聞くと違うと答えられ納得できなかったような記憶が。
借家だからということだったんだろうけどそんなことまだ理解できなかった。
その後借家は取り壊されアパートが建ったようだけど神様は今もあるのかな?
首輪をつけた太った猫とか首輪無しで痩せてるけど何だか元気な猫が通過してゆく。
振り向けば

青空と梅の花が絵みたいに。
いいねえ。
店内はマダム軍団でいっぱい。
でもありがちなぎゃーぎゃー騒ぐ若い集団はいなくて落ち着いた感じ。
最近は駐車場に並ぶ車種を見て店内の様子がわかり入るのをやめたこともあるけれどギャーギャーが悪いとは思いません。
子育てってすごく大変なんでしょう?発散しなくちゃね。私が変態的に苦手なだけ。

そしていいですね。
最近気に入っているちっちゃいお皿が沢山出てくる系な
丁寧なご飯。
野菜の天ぷらがあったかい。
天ぷらにすると何でもない野菜が肉を超えた推進力で迫ってきますよね。
大根の天ぷらがおいしい。
おばあちゃんのとメニューにあった漬物も特別美味かった。
デザートまで終わったある一団がお店を出ていきながらいろいろ展示してあるものを眺めて・・
たのしそうね。

いいねやかん。
毎日ご飯を作る人にとっては自分で作んなくていいということ自体がごちそうなんですよねきっと。
みんな家事とか子育てとか仕事とか普段色々あってそんな中での気の知れた仲間との美味しい食事・・とか、いいなぁと思います。
ほんとに。
・・・この先連鎖的に思いつくことを書いていったらいつのまにかある人を糾弾する内容になっちゃって、それをまた何日も書いたり消したりと繰り返してた。
こんなの書いちゃいけないよなとか思いながら。
その人のことはどうでもよくて別なところにある不満への代償行為なんでしょうね。
いい加減にしようと思うに至り削除した翌朝、他人のことより自分をみてみろとでもいうのか悲惨な末路みたいなリアルな夢を見て真っ暗い気分になる。
わかってるけど今それを思い出させないでよ。
夜、このところやっとつかんで慎重に重ねてきていた楽器がまたいきなり全然できない人みたいになってってうろたえる。
なこそれ。懲罰?
https://www.youtube.com/watch?time_continue=786&v=EwSTHzfqyek
全体的には調子よく踊り倒しているようなベートーベンの交響曲第7番の中で
第2楽章は永遠に続く苦しみや悲しみを背負っての行進のようでもあるけれど、

ふっと現れるクラリネットとファゴットに
世の中にこんな慰めがあるのかと思う。
聴いてる間は救われる。
でもこの救い、最後は思い出みたいに遠くへ消えていっちゃって
と書いてたけど、
今朝方見たまた妙にリアルな夢の中では木立の中をながれる川の向こうにアイスクリーム屋を見つけ
あそこなら間違いないとか思いながらそこへ行こうとしていた・・・はぁ?
三途の河とかそんな怪しいのじゃなかったと思う。
意味も分かんないしなんだか知らないけどその事を思いだしたら俺はまだ大丈夫だきっとと思った。
ちいさなチョコレートプリンみたいなのが乗ってたからそれがデザートかと思ってたら

さらに自家製チーズケーキというのも出てきた。
おいしかったよ。
お店の人が笑顔で嫁さんになんか説明してる。
沢山の小さなお皿は、マスターの奥さんのご実家が・・
よく聴こえないけど今いらないものを使わせてもらってて・・よかったらたらあそこで売ってるからみてって。
今はいらないという・奥さんのご実家・・
旅館だったとか?
超絶お金持ちだとか・・
焼き物というかお皿作ってたとか?
勝手に想像が広がる。
いいよねえこんな時間が。
母屋が開いてた。
ゲストハウスとかなんだって。

いいね軒下に碍子。
綿被覆線とかだったりして・・と思ったけど普通のビニール線で回路は死んでた。
牛乳配達のあの箱も懐かしい。ヤクルトだったかもしれない。
記憶の一番奥にこんな絵があった。
限定15食のランチはすぐ終わっちゃうみたいで前回は食べそびれたけど今日はどうかな。

ランチ大丈夫ですか?と聞くと
とっつきにくいかなという印象もよあったマスターがすごい笑顔で頷いてくれた。
ちょっと嬉しいそういうの。
カウンターしかあいてないんです・・とマスターはあんなところしかというような言い方だけど、

ここもいいね。
窓越しの木立の下には氏神様。
屋敷神というの?
幼いころに住んでいた古い家の庭にも小さな祠があった。
うちの神様なの?と親に聞くと違うと答えられ納得できなかったような記憶が。
借家だからということだったんだろうけどそんなことまだ理解できなかった。
その後借家は取り壊されアパートが建ったようだけど神様は今もあるのかな?
首輪をつけた太った猫とか首輪無しで痩せてるけど何だか元気な猫が通過してゆく。
振り向けば

青空と梅の花が絵みたいに。
いいねえ。
店内はマダム軍団でいっぱい。
でもありがちなぎゃーぎゃー騒ぐ若い集団はいなくて落ち着いた感じ。
最近は駐車場に並ぶ車種を見て店内の様子がわかり入るのをやめたこともあるけれどギャーギャーが悪いとは思いません。
子育てってすごく大変なんでしょう?発散しなくちゃね。私が変態的に苦手なだけ。

そしていいですね。
最近気に入っているちっちゃいお皿が沢山出てくる系な
丁寧なご飯。
野菜の天ぷらがあったかい。
天ぷらにすると何でもない野菜が肉を超えた推進力で迫ってきますよね。
大根の天ぷらがおいしい。
おばあちゃんのとメニューにあった漬物も特別美味かった。
デザートまで終わったある一団がお店を出ていきながらいろいろ展示してあるものを眺めて・・
たのしそうね。

いいねやかん。
毎日ご飯を作る人にとっては自分で作んなくていいということ自体がごちそうなんですよねきっと。
みんな家事とか子育てとか仕事とか普段色々あってそんな中での気の知れた仲間との美味しい食事・・とか、いいなぁと思います。
ほんとに。
・・・この先連鎖的に思いつくことを書いていったらいつのまにかある人を糾弾する内容になっちゃって、それをまた何日も書いたり消したりと繰り返してた。
こんなの書いちゃいけないよなとか思いながら。
その人のことはどうでもよくて別なところにある不満への代償行為なんでしょうね。
いい加減にしようと思うに至り削除した翌朝、他人のことより自分をみてみろとでもいうのか悲惨な末路みたいなリアルな夢を見て真っ暗い気分になる。
わかってるけど今それを思い出させないでよ。
夜、このところやっとつかんで慎重に重ねてきていた楽器がまたいきなり全然できない人みたいになってってうろたえる。
なこそれ。懲罰?
https://www.youtube.com/watch?time_continue=786&v=EwSTHzfqyek
全体的には調子よく踊り倒しているようなベートーベンの交響曲第7番の中で
第2楽章は永遠に続く苦しみや悲しみを背負っての行進のようでもあるけれど、

ふっと現れるクラリネットとファゴットに
世の中にこんな慰めがあるのかと思う。
聴いてる間は救われる。
でもこの救い、最後は思い出みたいに遠くへ消えていっちゃって
と書いてたけど、
今朝方見たまた妙にリアルな夢の中では木立の中をながれる川の向こうにアイスクリーム屋を見つけ
あそこなら間違いないとか思いながらそこへ行こうとしていた・・・はぁ?
三途の河とかそんな怪しいのじゃなかったと思う。
意味も分かんないしなんだか知らないけどその事を思いだしたら俺はまだ大丈夫だきっとと思った。
ちいさなチョコレートプリンみたいなのが乗ってたからそれがデザートかと思ってたら

さらに自家製チーズケーキというのも出てきた。
おいしかったよ。
お店の人が笑顔で嫁さんになんか説明してる。
沢山の小さなお皿は、マスターの奥さんのご実家が・・
よく聴こえないけど今いらないものを使わせてもらってて・・よかったらたらあそこで売ってるからみてって。
今はいらないという・奥さんのご実家・・
旅館だったとか?
超絶お金持ちだとか・・
焼き物というかお皿作ってたとか?
勝手に想像が広がる。
いいよねえこんな時間が。
母屋が開いてた。
ゲストハウスとかなんだって。

いいね軒下に碍子。
綿被覆線とかだったりして・・と思ったけど普通のビニール線で回路は死んでた。
牛乳配達のあの箱も懐かしい。ヤクルトだったかもしれない。
記憶の一番奥にこんな絵があった。
ひとそれぞれ、うまくやったもん勝ち
風がとても冷たかったけれど日差しは明るく気持ちのよかった日。

河津桜の並木は咲く寸前。
ダニエル・ハーディングという世界的に有名な指揮者がいて年齢は私の一つ下。才能とチャンスに恵まれ10代のころから世界の有名オケを振ったりしていた。
最初から大物だったわけだけどこれから成熟し巨匠になっていくのかなぁ・・と思ってたその人が、最近指揮者はやめて民間航空会社に就職しパイロットになったという。
はぁ?
どうせネット上のふざけた冗談だろうと思って調べたらどうも本当みたいだ。
いろんな才能や能力を持ったすごい人ですね。
一度きりの人生は時間と共にできることも変わってゆく。
指揮なんて歳食っちゃってからでもできるんだから出来る人はやりたいことをやればいいんだと思う。
私も民間企業に就職して一時はやりたいことが仕事になった私は幸せなんて思ってた。
過去形にする必要はないけれど、誰でもあるように今ちょっと色々ある。
今考えていることをここへ書きたくて仕方がない気持ちがあるのだけど、それにはちょっと写真なんかを載せすぎだ。
誰だかどこだか誰にも絶対解らないブログを用意するか、退職して10年くらいたってからでないと書いちゃいけないと思う。

でっかい岩山
登れるらしい。
現役時代の長嶋茂雄があの山でみたいな話らしいけれどあまり興味がない。
ブルックナーが散歩した山道とかだったら萌えるだろうか?
プロコフィエフが来たかもしれないあたりを歩いてみたけれど、そういう意味では何にも感じなかった。

川
子供の頃の一時期小さな団地のようなところに住んでいたことがあったのだけど、どこにでもみられた子供のソフトボールチームには一回も顔を出さなかった。
そうすると合わせる顔もないので誰のも合わないようにな・・そのコンプレックスは今へも直結している。
https://www.youtube.com/watch?v=ut8PuGVj3wU&list=RDut8PuGVj3wU&start_radio=1
なにかの用で親に連れられ近所の家へ行くと玄関先に譜面台を立てヴァイオリンを持たされている彼を見た。
彼をって一度も話したこともなかったけれど、活発な印象からヴァイオリンというのは意外で驚いた記憶がある。
彼は泣きそうな表情をしており、強要される練習が嫌で仕方ない気持ちが今思い出しても伝わってくる。
ヴァイオリンという楽器は始める年齢が一生ついて回り解決できないもでのあるようなことをよく読む。
歴史的な作曲家や演奏家について読むと言葉を話すより前に勝手に楽器を演奏し始めたなんて書いてあったりもするけれど大多数はそんなわけもなく親がやらせようと思うところから始まるのがこの楽器で、親の思い通りになることもあればならないこともあるだろう。
中学校でその彼が反抗して暴れたんだろう強面の先生に後ろ手を縛られどこかへ連行されていくのを見かけた時、やっぱりヴァイオリンなんか嫌だったんだろうなぁと思った。
あの人、今どこにいてどうしてるのかな?
楽器は・・多分やってないだろうなぁ・・
その団地のコミュニティーで母親は孤立していた。
ここに書けないような話も知っての上だったのかもしれない、1人だけよくしてくれた人がいた気がする。
その人が、ヴァイオリンのお母さんだった。
ていねい系なお店に甘いもんでもと思っていった。
何度目かのこのお店で初めて見る制服を着ていないあの人はもしかするとオーナーさんかな。
その親父さんは昔から玄米を中心とした食事と健康について説いてきた医学博士だそうだ。
フルーツパフェというのを頼んでみると

わっ、ちいせーなんて思っちゃったのは内緒。
これくらいで満足しといたほうがいいんでしょうね。

アイスクリームは豆乳でできてて・・でも変な癖がなくて素直に美味しかった。
鮮やかに凍ってるのは柿だ。
肉と牛乳は使わないがコンセプトのお店だから生クリームも豆乳製なのかな。
豆乳の生クリームは他所でも食べたけれど、ここのは癖が全くなくてちょっとさすがな感じ。
いつもはパフェにコーンフレークが入っていると嵩ましだろこれぇなんて思うけれど、コーンフレークまでやけに美味しかったなぁ・・

お客さんはみんな帰っちゃって、全員女性なお店の人も休憩してる。
少なくとも聴こえてくるのは和やかでみんなうまくいってくるような声色の会話だ。
少しホッとする。
日に光も柔らかい午後モード。
いいね、いい時間。
折角のいい時間なのに気にしても仕方がないこの先のことが頭の中でわらわらと騒いで・・
だめね。

今頃は満開・・ももう通り過ぎたかな?

河津桜の並木は咲く寸前。
ダニエル・ハーディングという世界的に有名な指揮者がいて年齢は私の一つ下。才能とチャンスに恵まれ10代のころから世界の有名オケを振ったりしていた。
最初から大物だったわけだけどこれから成熟し巨匠になっていくのかなぁ・・と思ってたその人が、最近指揮者はやめて民間航空会社に就職しパイロットになったという。
はぁ?
どうせネット上のふざけた冗談だろうと思って調べたらどうも本当みたいだ。
いろんな才能や能力を持ったすごい人ですね。
一度きりの人生は時間と共にできることも変わってゆく。
指揮なんて歳食っちゃってからでもできるんだから出来る人はやりたいことをやればいいんだと思う。
私も民間企業に就職して一時はやりたいことが仕事になった私は幸せなんて思ってた。
過去形にする必要はないけれど、誰でもあるように今ちょっと色々ある。
今考えていることをここへ書きたくて仕方がない気持ちがあるのだけど、それにはちょっと写真なんかを載せすぎだ。
誰だかどこだか誰にも絶対解らないブログを用意するか、退職して10年くらいたってからでないと書いちゃいけないと思う。

でっかい岩山
登れるらしい。
現役時代の長嶋茂雄があの山でみたいな話らしいけれどあまり興味がない。
ブルックナーが散歩した山道とかだったら萌えるだろうか?
プロコフィエフが来たかもしれないあたりを歩いてみたけれど、そういう意味では何にも感じなかった。

川
子供の頃の一時期小さな団地のようなところに住んでいたことがあったのだけど、どこにでもみられた子供のソフトボールチームには一回も顔を出さなかった。
そうすると合わせる顔もないので誰のも合わないようにな・・そのコンプレックスは今へも直結している。
https://www.youtube.com/watch?v=ut8PuGVj3wU&list=RDut8PuGVj3wU&start_radio=1
なにかの用で親に連れられ近所の家へ行くと玄関先に譜面台を立てヴァイオリンを持たされている彼を見た。
彼をって一度も話したこともなかったけれど、活発な印象からヴァイオリンというのは意外で驚いた記憶がある。
彼は泣きそうな表情をしており、強要される練習が嫌で仕方ない気持ちが今思い出しても伝わってくる。
ヴァイオリンという楽器は始める年齢が一生ついて回り解決できないもでのあるようなことをよく読む。
歴史的な作曲家や演奏家について読むと言葉を話すより前に勝手に楽器を演奏し始めたなんて書いてあったりもするけれど大多数はそんなわけもなく親がやらせようと思うところから始まるのがこの楽器で、親の思い通りになることもあればならないこともあるだろう。
中学校でその彼が反抗して暴れたんだろう強面の先生に後ろ手を縛られどこかへ連行されていくのを見かけた時、やっぱりヴァイオリンなんか嫌だったんだろうなぁと思った。
あの人、今どこにいてどうしてるのかな?
楽器は・・多分やってないだろうなぁ・・
その団地のコミュニティーで母親は孤立していた。
ここに書けないような話も知っての上だったのかもしれない、1人だけよくしてくれた人がいた気がする。
その人が、ヴァイオリンのお母さんだった。
ていねい系なお店に甘いもんでもと思っていった。
何度目かのこのお店で初めて見る制服を着ていないあの人はもしかするとオーナーさんかな。
その親父さんは昔から玄米を中心とした食事と健康について説いてきた医学博士だそうだ。
フルーツパフェというのを頼んでみると

わっ、ちいせーなんて思っちゃったのは内緒。
これくらいで満足しといたほうがいいんでしょうね。

アイスクリームは豆乳でできてて・・でも変な癖がなくて素直に美味しかった。
鮮やかに凍ってるのは柿だ。
肉と牛乳は使わないがコンセプトのお店だから生クリームも豆乳製なのかな。
豆乳の生クリームは他所でも食べたけれど、ここのは癖が全くなくてちょっとさすがな感じ。
いつもはパフェにコーンフレークが入っていると嵩ましだろこれぇなんて思うけれど、コーンフレークまでやけに美味しかったなぁ・・

お客さんはみんな帰っちゃって、全員女性なお店の人も休憩してる。
少なくとも聴こえてくるのは和やかでみんなうまくいってくるような声色の会話だ。
少しホッとする。
日に光も柔らかい午後モード。
いいね、いい時間。
折角のいい時間なのに気にしても仕方がないこの先のことが頭の中でわらわらと騒いで・・
だめね。

今頃は満開・・ももう通り過ぎたかな?
怪しいものでごめんなさい
嫁さんが買い物している間、付近を適当にほっつき歩く。
特に行くようなところも思いつかない。

いいね果てしない直線。
ずっと遠くにいる列車の前照灯が見える。
奥に白く見えるのは多分次の駅のすぐ手前にある建物なんだけどあんな遠くのもんが見えるはずないだろという意識が来る。
わけないったって事実として見えてるんだからしょうがないじゃない。
考えてみるとこのレールは遠く稚内とか根室までつながってると言えばつながってるわけですね。
新幹線を挟んでなら札幌まで、別な機会も合わせれば稚内まで鉄道を乗り通したことはあるけどスーッとすっ飛ぶ新幹線や特急列車じゃあんまり実感がないな。
鈍行を乗り継いで稚内まで行ってみたいけどなぁ18きっぷとかじゃない頃に。
鈍行でだと

花輪線までか。
静かでいい旅だった気もするけれど車内で乗り越し分の切符を買おうと女性の車掌さんに呼びかけると私を見てものすごく嫌そうな顔を・・
そんなことは思い出さなくていいんだけど。

電車の車庫みたいなところ。
子供の頃電車の窓越しに古い客車を改造したお座敷列車が休んでるのが見えた。
慰安旅行、並んだビール瓶と立ち込める煙草の煙、部長が歌ってら拍手しなくちゃとかそういうのですかね。
この先色々書いてみたけどみんな自虐になっちゃうから終了。
その後の高効率化追求な時代も30年を超え今はユニットバスみたいな顔の電車が並ぶ。
フェンス越しにこの写真を撮りふり返るとちょうど角を曲がってきた帰宅中の小学生が私を見て逃げようとしているところだった。
あ・・・怪しいものでごめんね。
昔、こんな場面でいちいち傷ついたりしてた。
思春期の初めごろにそれは実は勘違いで誰も自分を悪く見てなんかいないんだと気づきかけた。
さあいよいよこれから俺だって・・という矢先につぶれた。
今も周囲の人間に対して過剰に神経をとがらせ無駄に・・
だから飯を食っているときに周囲の会話が必要以上に聞こえてきたり、誰もいないお店が素敵なんておかしなことを言っているんだろう。
この日昼は店名の頭にとんかつとオムライスの文字が来るお店で

日替わり魚ランチ。
昼間っから刺身付き、ごはん一回お替り可。
イワシの刺身にシラスに鰤の塩焼きにフライはメダイだっけ。
刺身や焼き魚はもちろん美味いんだけど最後になっちゃって若干冷めかけてもいたフライが一口たべて白身のふわっとした美味さにびっくりした。
いくつかのランチの中で飛びぬけて安価なこれだけどでも一番手がかかっているようにも見えて、店主の主張がここにきているんじゃないかなと勝手に思った。
ベートーヴェンは交響曲という形態を他とは違う特別なものと考え9つの作品を残し、それはその後に続く者が大きな花を咲かせる原動力にもなった・・この魚ランチはきっと店主の交響曲で・・
こんなこと書くの好きだけどやっぱり読んでる人は馬鹿だと思うんでしょう?
とてもおいしかった。
お店の人にも笑顔で親切に接してもらえて・・そういうのが一番うれしいのね私は。
ありがとう。

人の目を見据えながらこっちに来るから
遊んでくれるのかなと思ったら

いっちゃった。
でも露骨に嫌な顔見せたりなんてしないのね。
ありがと。
何度も振り返りながら、
あんた・・
もってないんだろ?
なんか、
くいもんとか・・
歩いている間、
https://www.youtube.com/watch?v=OaO2qYsBS8M
頭の中でブルックナーの4番のフィナーレの一部分が繰り返し流れてた。
この曲思ったまま書いた最初のヴァージョンはあまりに前衛的過ぎ誰にも理解されなかったし今聴いてもすごい。
そんな誰も追いつけない未来みたいなところを行くこの人は同時に子供のころから慣れ親しんだんだろうかなり古い音楽に見られる手法を好んで使い倒すので同時にすごく古めかしくもあるところも面白いと思う。
旋律の音の上下を逆さに入れ替える反行形の多用もその一つで、

頭で鳴ってたのはこの辺り。
木管がやってるのは第1主題の反行形で、オリジナルの第1主題がでっかく荘厳なものが天から地まで突きさし神が作った絶対的不変なものという感じなのに対しひっくり返ったこれは逆に地上の人間がなにかを望むというか目指すというか考えるというか・・でもふっと立ち止まってみるみたいな・・
で、
ながら聞きみたいのじゃなく聴き入るという意味での音楽を聴こうという気持ちがじばらくというかずーっと枯渇していた。
でも、また湧いてきた。
よかった。
いきててよかった。
特に行くようなところも思いつかない。

いいね果てしない直線。
ずっと遠くにいる列車の前照灯が見える。
奥に白く見えるのは多分次の駅のすぐ手前にある建物なんだけどあんな遠くのもんが見えるはずないだろという意識が来る。
わけないったって事実として見えてるんだからしょうがないじゃない。
考えてみるとこのレールは遠く稚内とか根室までつながってると言えばつながってるわけですね。
新幹線を挟んでなら札幌まで、別な機会も合わせれば稚内まで鉄道を乗り通したことはあるけどスーッとすっ飛ぶ新幹線や特急列車じゃあんまり実感がないな。
鈍行を乗り継いで稚内まで行ってみたいけどなぁ18きっぷとかじゃない頃に。
鈍行でだと

花輪線までか。
静かでいい旅だった気もするけれど車内で乗り越し分の切符を買おうと女性の車掌さんに呼びかけると私を見てものすごく嫌そうな顔を・・
そんなことは思い出さなくていいんだけど。

電車の車庫みたいなところ。
子供の頃電車の窓越しに古い客車を改造したお座敷列車が休んでるのが見えた。
慰安旅行、並んだビール瓶と立ち込める煙草の煙、部長が歌ってら拍手しなくちゃとかそういうのですかね。
この先色々書いてみたけどみんな自虐になっちゃうから終了。
その後の高効率化追求な時代も30年を超え今はユニットバスみたいな顔の電車が並ぶ。
フェンス越しにこの写真を撮りふり返るとちょうど角を曲がってきた帰宅中の小学生が私を見て逃げようとしているところだった。
あ・・・怪しいものでごめんね。
昔、こんな場面でいちいち傷ついたりしてた。
思春期の初めごろにそれは実は勘違いで誰も自分を悪く見てなんかいないんだと気づきかけた。
さあいよいよこれから俺だって・・という矢先につぶれた。
今も周囲の人間に対して過剰に神経をとがらせ無駄に・・
だから飯を食っているときに周囲の会話が必要以上に聞こえてきたり、誰もいないお店が素敵なんておかしなことを言っているんだろう。
この日昼は店名の頭にとんかつとオムライスの文字が来るお店で

日替わり魚ランチ。
昼間っから刺身付き、ごはん一回お替り可。
イワシの刺身にシラスに鰤の塩焼きにフライはメダイだっけ。
刺身や焼き魚はもちろん美味いんだけど最後になっちゃって若干冷めかけてもいたフライが一口たべて白身のふわっとした美味さにびっくりした。
いくつかのランチの中で飛びぬけて安価なこれだけどでも一番手がかかっているようにも見えて、店主の主張がここにきているんじゃないかなと勝手に思った。
ベートーヴェンは交響曲という形態を他とは違う特別なものと考え9つの作品を残し、それはその後に続く者が大きな花を咲かせる原動力にもなった・・この魚ランチはきっと店主の交響曲で・・
こんなこと書くの好きだけどやっぱり読んでる人は馬鹿だと思うんでしょう?
とてもおいしかった。
お店の人にも笑顔で親切に接してもらえて・・そういうのが一番うれしいのね私は。
ありがとう。

人の目を見据えながらこっちに来るから
遊んでくれるのかなと思ったら

いっちゃった。
でも露骨に嫌な顔見せたりなんてしないのね。
ありがと。
何度も振り返りながら、
あんた・・
もってないんだろ?
なんか、
くいもんとか・・
歩いている間、
https://www.youtube.com/watch?v=OaO2qYsBS8M
頭の中でブルックナーの4番のフィナーレの一部分が繰り返し流れてた。
この曲思ったまま書いた最初のヴァージョンはあまりに前衛的過ぎ誰にも理解されなかったし今聴いてもすごい。
そんな誰も追いつけない未来みたいなところを行くこの人は同時に子供のころから慣れ親しんだんだろうかなり古い音楽に見られる手法を好んで使い倒すので同時にすごく古めかしくもあるところも面白いと思う。
旋律の音の上下を逆さに入れ替える反行形の多用もその一つで、

頭で鳴ってたのはこの辺り。
木管がやってるのは第1主題の反行形で、オリジナルの第1主題がでっかく荘厳なものが天から地まで突きさし神が作った絶対的不変なものという感じなのに対しひっくり返ったこれは逆に地上の人間がなにかを望むというか目指すというか考えるというか・・でもふっと立ち止まってみるみたいな・・
で、
ながら聞きみたいのじゃなく聴き入るという意味での音楽を聴こうという気持ちがじばらくというかずーっと枯渇していた。
でも、また湧いてきた。
よかった。
いきててよかった。
歪んだ認識と恥さらし

楽器の練習はずっと譜面台の上に鏡を置いて・・
だけだったのだけれどまた曲の楽譜が乗ることになった。
やっと。とはいえまだまだ全然調子にのっ・・
こういうのずっと書いてるけど自分で自分の恥をさらしてるということでもあるんでしょうね。
でしょうねじゃなくてそう思ってるのに何で書くんだろうか?
私は子供のころから体の知覚と制御が異常なほどうまくできないらしく、周りが当たり前にできることができないことを自覚し周囲に晒され辱めを受けることを恐れ自分を人から隠すように生きてきた。それは今でも続いている。
そうじゃないと思うよう努めたけれどいつからか自分で自分は恥さらしでみっともない存在だというような固定観念が生まれ固着していると思う。
隠したためどこにも存在しない自分というものを私が誰かを知らない人しか見ないことが前提になるブログという場所に吐き出そうとしているのかなと・・
ちがうよ、いつか必ずできるようになると思ってるからだよ。
こんなのも誰かには失笑の対象なんだろうけど。
先日流氷を見れてない全然だめだ・・と書いたけれど

写真を見ると次の年は結構な流氷が写ってるのね。
ダメじゃないじゃない。
なんでダメなことになっちゃってんのかな?
なんでも悪く考え記憶するようねじ曲がってるのかな。

喜べばいいのに多分見てるそばからいいはずがないダメだと受けた印象をネガティブな方向に捻じ曲げるロジックみたいなのが動いていたと思う。
基本的に何に対してもそう感じ考えるようになってしまい、俺がいいはずがないできるはずがないと思い込んでいるから実際できなくなったりもする。

こんな人間になった理由としてもう一つ考えていることについてここに書きたくてしょうがない気持ちもあったのだけど、その行為自体が恥さらしだと思うに至ったのでやめ。

ブログを始めるとき、まずタイトルを考えてみると
ダメ人間の恥さらしとか馬鹿の糞・・みたいなのばかりがどんどんでてきて止まらないことに自分で気づきちょっとまずいなと思った。
せめてタイトルくらい肯定しようと思ったのがこれ。
まいいやそんなこと。
やりたいことがあるという事は幸せ。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1470&v=ZVn5dshbpH0
ブルックナーの交響曲第7番の第2楽章は敬愛するワーグナーの死を・・とかは今いいとして
また物の捉え方がおかしいことを書いて恥を晒してみると、

こういう3拍子で書かれている美しい第2主題。
私はそれを

こういう4拍子の旋律として感じてしまい、今も頭で鳴らすとこうならんでしまう。
たまに小節線が思ってるのと違うところにあったりすることはあるけれど4拍子のつもりが3拍子だったなんてのは他にないから自分で驚いた。
3拍子の音楽を4拍子と誤認してる言えば
鯵はヒラメやカレイみたいな平べったい形の魚ですよ、海で泳いでいるところを見ました。
と真顔で言う人くらいな感じでしょう。
君、悪いことは言わないから音楽なんて言わずにただ黙っていなさい・・
こんなことをいえば鬼の首を取ったように馬鹿にして笑う人や高いところから正しい私が教えてあげましょうみたいな人がわらわら湧いてくるのも知ってる。
そう思うならこれも書かなけれないいのになんで書くのか。
は内緒。
ほんとはね、楽器やってて最近気づいた自分の身体的認知能力の異常みたいなのを具体的に書こうかと思ってたのね。
なんでもおかしくとらえる人・・みたいなの。
でもいいやそんなのどうでも。
やりたいことはそんなとこじゃないし。

誰もいない世界でわずかに見えた明かりを見失いたくない。
おいかけますから消えないで。
タンと大阪環状線
また日帰りで大阪にと言う気持ちもあったのだけど見送ることとした。
最近カフェで食ってきたみたいな事ばかり書いてるので何かほかのことでもと頭の中で文書化してみるとどれも遠回しに人を攻撃する内容か自虐ばかりだ。
だめね。
ふと大阪環状線が頭に浮かんで・・

同じのがひたすらぐるぐる回っている印象の山手線と違って、他線との出入りが多い大阪環状線はどっかから飛んできた流れ星がでっかい星の引力につかまって円軌道を半周まわり今度はまた全然違う方向へすっ飛んでゆく・・みたいなイメージがあります。
それがどうしたってなもんだろうけど。

昔仕事で大阪へ行った際、どこかの焼き肉屋へ連れて行ってもらった。
古い高架下、電車の音。
あれは大阪環状線だっと思う。
具体的にどこだったのかはもうよくわからない。
自分で焼くんじゃなくてカウンターに座ると目の前の鉄板で焼いたものを出してくれるというような形だったと思う。
忘れられないのがタン刺し。
そんなもん食ったこともなかったし知らなかった。
店の親父、何かそんじょそこらにはない特別なものを密かに扱ってるというような言いようで
あるよ・・と冷蔵庫から出してくれた。
私はそれを真に受けていたけどもしかするとどこにでもあるものなのかもしれない。
いいよなんでも。あれおいしかったなぁ・・・
親子でやってて、娘さんもでてた。
誰か嫁にもらってやってみたいな話に酔っぱらったおっさんたちがげらげら笑いながら答える・・
飲めずに素面な私はおねーさんが涙目で作る笑顔になんとも言えない気分になってた。
でも世の中そういうもんなんでしょう?
むかし、仕事関係のある人が飲み屋で笑って煽って肴にした相手がその晩のうちに自から命を絶ってしまった。
翌朝飲み屋の主人からその話を聞いたと少しショックを受けたような表情で私に語る。
最後の状況はむごすぎここに書くこともできない。
何がそのきっかけになったかは容易に想像できた。
しかしそのショックは近所でとか直前まで顔を見ていた人がというところに向けられているだけで自分がそのトリガを引いたとは一切考えていないように見えた。
私はむしろそのことに大きなショックを受けたのだけど、でもそういう人はどこにでもいて接し対処しなければいけないのが世の中だった。
タンと言えば子供の頃、父親に連れられて焼き肉屋へ行く機会が何度かあった。
親父はタン塩と言わず塩タンと言ったので自分も塩タンだと思っていたし今もそう思ってる。
親父は若いころいったん大阪へ出たらしいのでその影響かとも思ったけど違うかもしれない。
大阪のどのあたりに住んでいたのかを死ぬ間際に聞いたような気もするけれどもう忘れてしまった。
私の父親に対する感情は人として人前に出してはいけないものだと思ってる。
こういうことを書くと、何もないはずなのに突然家のどこかで物が落ちた音がする。
でもこれを思い出したおかげで、短い時間でも笑って向き合ったことがあったのを思い出した。
タンと言えば
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1560&v=5QCS1hUodqo
ファゴットという楽器は素早いタンギングをするのが構造的に難しいらしく、
昔からベートーヴェンの交響曲第4番のフィナーレがこの楽器にとっての難所として有名らしい。

奏者の技みたいなものも聴きどころになるだろう。
私は今そういう話がちょっと嫌いだけど。
曲は大好き。
中学生の頃、ベートーベンの交響曲を聞いてみようと思いよくわからないまま新聞を見てやってる時間に電源を入れた。
初めて聴こえてくるそれはまったく理解できなかったけれど怪しく執拗に音量の増減を繰り返す何か・・が聞こえたという記憶がある。
今思えばあれは4番のスケルツォだったんだろう。
親父と行った焼肉屋は代替わりしてから常連とだけ楽しくやりたいのか露骨に嫌な顔をしたりグダグダ言って追い返そうとするようなふざけた店になった。
追い返されそうになったときは人を招待するつもりだったので頭に来て大丈夫だよとかでっかい声で言いながら無理やり入ったりして。入ればちゃんとやってくれた。
そんなところなのに数年おきに行こうとしてしまうのは子供の頃のこの世のものとは思えないくらい美味しい‥みたいな記憶がどこかから消えなかったからかもしれない。
昼のランチはどんどん内容が劣化し先日行ってみたらさらにまずくなってたのでもうこれで最後だと思った。
帰りがけにその嫌な感じの人に無理やり何か話しかけてみると、しどろもどろで何か答えてるそのニュアンスの裏に散々の悪態は私が嫌だから投げつけられていたわけじゃなく悪気もないらしいことがわかった気がした。
最後にそう思えてよかった。

大阪駅へ入ってゆく
なんかすごいねあの屋根。
梅田がどこにあるか知ったのはつい最近。
大阪行きてーな。
最近カフェで食ってきたみたいな事ばかり書いてるので何かほかのことでもと頭の中で文書化してみるとどれも遠回しに人を攻撃する内容か自虐ばかりだ。
だめね。
ふと大阪環状線が頭に浮かんで・・

同じのがひたすらぐるぐる回っている印象の山手線と違って、他線との出入りが多い大阪環状線はどっかから飛んできた流れ星がでっかい星の引力につかまって円軌道を半周まわり今度はまた全然違う方向へすっ飛んでゆく・・みたいなイメージがあります。
それがどうしたってなもんだろうけど。

昔仕事で大阪へ行った際、どこかの焼き肉屋へ連れて行ってもらった。
古い高架下、電車の音。
あれは大阪環状線だっと思う。
具体的にどこだったのかはもうよくわからない。
自分で焼くんじゃなくてカウンターに座ると目の前の鉄板で焼いたものを出してくれるというような形だったと思う。
忘れられないのがタン刺し。
そんなもん食ったこともなかったし知らなかった。
店の親父、何かそんじょそこらにはない特別なものを密かに扱ってるというような言いようで
あるよ・・と冷蔵庫から出してくれた。
私はそれを真に受けていたけどもしかするとどこにでもあるものなのかもしれない。
いいよなんでも。あれおいしかったなぁ・・・
親子でやってて、娘さんもでてた。
誰か嫁にもらってやってみたいな話に酔っぱらったおっさんたちがげらげら笑いながら答える・・
飲めずに素面な私はおねーさんが涙目で作る笑顔になんとも言えない気分になってた。
でも世の中そういうもんなんでしょう?
むかし、仕事関係のある人が飲み屋で笑って煽って肴にした相手がその晩のうちに自から命を絶ってしまった。
翌朝飲み屋の主人からその話を聞いたと少しショックを受けたような表情で私に語る。
最後の状況はむごすぎここに書くこともできない。
何がそのきっかけになったかは容易に想像できた。
しかしそのショックは近所でとか直前まで顔を見ていた人がというところに向けられているだけで自分がそのトリガを引いたとは一切考えていないように見えた。
私はむしろそのことに大きなショックを受けたのだけど、でもそういう人はどこにでもいて接し対処しなければいけないのが世の中だった。
タンと言えば子供の頃、父親に連れられて焼き肉屋へ行く機会が何度かあった。
親父はタン塩と言わず塩タンと言ったので自分も塩タンだと思っていたし今もそう思ってる。
親父は若いころいったん大阪へ出たらしいのでその影響かとも思ったけど違うかもしれない。
大阪のどのあたりに住んでいたのかを死ぬ間際に聞いたような気もするけれどもう忘れてしまった。
私の父親に対する感情は人として人前に出してはいけないものだと思ってる。
こういうことを書くと、何もないはずなのに突然家のどこかで物が落ちた音がする。
でもこれを思い出したおかげで、短い時間でも笑って向き合ったことがあったのを思い出した。
タンと言えば
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1560&v=5QCS1hUodqo
ファゴットという楽器は素早いタンギングをするのが構造的に難しいらしく、
昔からベートーヴェンの交響曲第4番のフィナーレがこの楽器にとっての難所として有名らしい。

奏者の技みたいなものも聴きどころになるだろう。
私は今そういう話がちょっと嫌いだけど。
曲は大好き。
中学生の頃、ベートーベンの交響曲を聞いてみようと思いよくわからないまま新聞を見てやってる時間に電源を入れた。
初めて聴こえてくるそれはまったく理解できなかったけれど怪しく執拗に音量の増減を繰り返す何か・・が聞こえたという記憶がある。
今思えばあれは4番のスケルツォだったんだろう。
親父と行った焼肉屋は代替わりしてから常連とだけ楽しくやりたいのか露骨に嫌な顔をしたりグダグダ言って追い返そうとするようなふざけた店になった。
追い返されそうになったときは人を招待するつもりだったので頭に来て大丈夫だよとかでっかい声で言いながら無理やり入ったりして。入ればちゃんとやってくれた。
そんなところなのに数年おきに行こうとしてしまうのは子供の頃のこの世のものとは思えないくらい美味しい‥みたいな記憶がどこかから消えなかったからかもしれない。
昼のランチはどんどん内容が劣化し先日行ってみたらさらにまずくなってたのでもうこれで最後だと思った。
帰りがけにその嫌な感じの人に無理やり何か話しかけてみると、しどろもどろで何か答えてるそのニュアンスの裏に散々の悪態は私が嫌だから投げつけられていたわけじゃなく悪気もないらしいことがわかった気がした。
最後にそう思えてよかった。

大阪駅へ入ってゆく
なんかすごいねあの屋根。
梅田がどこにあるか知ったのはつい最近。
大阪行きてーな。