みれなかったけど今みれば奇麗じゃない
遠くから見に来たのに富士山が雲に隠れみれなかったと残念がっている方を時々見かけます。
そうなのかぁ・・
私にとっては北海道の利尻岳とか・・流氷。
流氷まだ見れてない。

これももう10年くらい前、仕事で行けないと思っていたところ不意にチャンスが来たので。
3時半ごろ起きで朝一の飛行機に乗れば高架化直前の旭川駅前に十時半ごろだっけ・・
休めるはいいけど直前じゃ女満別行きの飛行機は取れないか高額。旭川は・・朝の便が取れるか・・列車に乗ると網走につくのは午後・・次の日帰り便は・・取れない・・
釧路の最終便があいてるけど列車は空白的な時間で乗ろうと思えば流氷を見る時間なんかないなぁ・・ダメか・・
とあきらめかけたところ、昼頃北見へ列車で行くと釧路へ行く長距離バスがあることを発見。
網走にいられる時間はわずかしかないけれど、いけないと思うと意地でも行きたくなっちゃって・・
マスクをしない人が、マスクがないと聞くと意地でも買おうとするのと同じか。
たしか1本だけだったか長距離ローカル列車があってそっちの方が楽しそうだけど時間がないので特急オホーツクに乗り網走を目指す。

途中の峠にみかけるのは無人駅どころかお客さんも無人なので保線小屋になってしまった元駅。
元はあったのかもしれない集落ももう消えてしまってるとかかな。

そんな山深い峠で並走する高規格道路の立派な橋梁をみると鉄道の将来が危ぶまれた。
いつも電車か新幹線なのでエンジン音の響くディーゼル特急というのはなかなか面白く・・でも常時高回転で唸る発電用エンジンのヒステリックな騒音は旅情もへったくれもなく閉口した。
遠軽でスイッチバックし、マニアな人の写真でよく見る峠を越え網走湖にワカサギ釣りが見えたような気がすると網走到着。
冬の北海道は危ないけれど見てきた限り今日は大丈夫そうだ。レンタカーを借りてあの場所へ・・
ネットで散々見た流氷で埋まった浜のあの景色・・

こんなだってことはわかってたけど。
だけどないものはないんだからしょうがない。
優しい午後の光がかえって寂しかった。

この駅は中国だか韓国のドラマに出てたらしくみにくる外人向けの看板が立ってた。
何度も来て名刺を指したりもしたけどもうどっかいっちゃってるかな?
中にあるカフェにも何度か行った。
特に期待もせずに食ったカレーのホタテがすごくあまくて驚いたりして。
網走と言えばこの

死ぬどー
まだあるのかな?
観光流氷船で沖に出ればな期待も

携帯で何度も何度も確認した強風で運航欠航の表示に流される。

夜の街をほっつき歩いた記憶もあるけどなにを食べたかは覚えがない。
飲めないと損ね。
なんか寒くて虚しく寂しかったのを覚えてる。

翌朝、期待は裏切られると知りつつも車で走りだす。
つかえる時間もないし。

なんだこれ人生劇場か。
なんか見たことにしなきゃ終われねーよと思いながら写真を撮ってたような記憶が。

嫌いじゃないけどこんな絵。
ありがたいことに段々晴れてきて

ここは知床プユニ岬。
ここも流氷でいっぱいになるはずなんだけど・・
白いのは流氷というよりその割れた残骸というか、天ぷら鍋の天かすみたいなのか・・
でもこの写真今見ると意外にきれいで結構好きだったりして。
待ったって来るわけのない流氷を待つ。

写真を何枚とってみたところで海が流氷で埋まることもない。
まあ、しょうがないか。
いつも発想が極端で、またくればいいだけなのにもう二度と来ることのない月面にいるような気分に。
ほんとに見れないままとなっちゃってるのでそれはそんなに間違いでもなかったかも。
チャンスがあったら食らいつかなくちゃいけないのかなと思うこともある。
帰り道、

流氷みたいだけどこれは破片というよりもうただのシャーベットだ。
これじゃねーよとか思ったけれど今考えればこれだってよそじゃ見られない珍しい光景だよね。
変に目標がでかかったりはっきりしすぎてるとせっかくそこにある素敵なものに気付かなかったりするもんなのね。

青空の下、流氷の破片が打ち上げられているような場所があった。
降りられそうじゃない。

雪が積もっちゃっててなんだかわかんないけど
結構でっかい流氷の破片。

これをもって俺は流氷を見たんだと自分を納得させようとしたらしく何枚も写真を撮ってる。
https://www.youtube.com/watch?v=Mv6YBg7PLag
ヴォーン・ウイリアムズの交響曲第7番は南極交響曲というやつで学生のころCDを買ってきた。
けど立ちはだかる巨大な氷山をオルガンが・・なあたりを一回聴いてそれっきり。

なんかこの辺りを聴いた記憶が。
いいなぁと思う曲はみんな最初からそう思えたわけじゃなく、訳の分からない苦痛をこらえて何度も聴いていると何かが見えてきてということも多い。
そんな難行苦行じゃなくて時間をおいて聴いてみたら何故かすっとはいてきて・・というのもあるか。
だから、長く生きといた方が得だと思う。
ブリテンとかエルガーとかホルストとかイギリスの作曲家の曲を聴いていると共通するものがあるような気がしてる・・けど今すらすらとそれを書けないんだからやっぱりちゃんと聴いてないからだろう。
どうも私はイギリスの作曲家と相性が良くない気がする。
パーセルって人もいた気がするけど聴いたことがない。

まだ全然帰りたくないけど
昼くらいの列車で北見へ向かう。

これを食ったらしいけど・・
もう一泊してもどうせ流氷は見られなかっただろう。
でもそうすればよかったかなと今頃思う。
くそ真面目もいいけど仕事の一日くらいどうにかできただろう。
大事なのはなにかもっとでっかい視点で・・と、この歳になってみると思う。
思うならそれをそのまま今の自分にも言えばいいんだけど、
いえないなぁ・・

わかる人は数人だろうけど昔アルファコンチネンタルエクスプレスが出てきたときはびっくりしたし憧れた。
音楽に興味を持ってからはあんまり詳しいことも知らないけどあれもその末の弟みたいなのでしょう?
どうせならあんなのに乗りたかった・・

北見からバスで釧路へ・・
この車中は虚しさでいっぱい、楽しむとかじゃなかった。
次の年にも行ったったけどまたダメ。
訳があって出発前夜に泣く泣くキャンセルした日に限ってライブカメラには沖までぎっしり真っ白な氷と青い空・・
そういうもんだよね。
でも、生きていればいつかきっといいこともあるでしょう。
さっき、俺は何しにこの世へ出てきたのかなんてぐずってた。
流氷見に来たのかも。
見るまで死ねない。
そうなのかぁ・・
私にとっては北海道の利尻岳とか・・流氷。
流氷まだ見れてない。

これももう10年くらい前、仕事で行けないと思っていたところ不意にチャンスが来たので。
3時半ごろ起きで朝一の飛行機に乗れば高架化直前の旭川駅前に十時半ごろだっけ・・
休めるはいいけど直前じゃ女満別行きの飛行機は取れないか高額。旭川は・・朝の便が取れるか・・列車に乗ると網走につくのは午後・・次の日帰り便は・・取れない・・
釧路の最終便があいてるけど列車は空白的な時間で乗ろうと思えば流氷を見る時間なんかないなぁ・・ダメか・・
とあきらめかけたところ、昼頃北見へ列車で行くと釧路へ行く長距離バスがあることを発見。
網走にいられる時間はわずかしかないけれど、いけないと思うと意地でも行きたくなっちゃって・・
マスクをしない人が、マスクがないと聞くと意地でも買おうとするのと同じか。
たしか1本だけだったか長距離ローカル列車があってそっちの方が楽しそうだけど時間がないので特急オホーツクに乗り網走を目指す。

途中の峠にみかけるのは無人駅どころかお客さんも無人なので保線小屋になってしまった元駅。
元はあったのかもしれない集落ももう消えてしまってるとかかな。

そんな山深い峠で並走する高規格道路の立派な橋梁をみると鉄道の将来が危ぶまれた。
いつも電車か新幹線なのでエンジン音の響くディーゼル特急というのはなかなか面白く・・でも常時高回転で唸る発電用エンジンのヒステリックな騒音は旅情もへったくれもなく閉口した。
遠軽でスイッチバックし、マニアな人の写真でよく見る峠を越え網走湖にワカサギ釣りが見えたような気がすると網走到着。
冬の北海道は危ないけれど見てきた限り今日は大丈夫そうだ。レンタカーを借りてあの場所へ・・
ネットで散々見た流氷で埋まった浜のあの景色・・

こんなだってことはわかってたけど。
だけどないものはないんだからしょうがない。
優しい午後の光がかえって寂しかった。

この駅は中国だか韓国のドラマに出てたらしくみにくる外人向けの看板が立ってた。
何度も来て名刺を指したりもしたけどもうどっかいっちゃってるかな?
中にあるカフェにも何度か行った。
特に期待もせずに食ったカレーのホタテがすごくあまくて驚いたりして。
網走と言えばこの

死ぬどー
まだあるのかな?
観光流氷船で沖に出ればな期待も

携帯で何度も何度も確認した強風で運航欠航の表示に流される。

夜の街をほっつき歩いた記憶もあるけどなにを食べたかは覚えがない。
飲めないと損ね。
なんか寒くて虚しく寂しかったのを覚えてる。

翌朝、期待は裏切られると知りつつも車で走りだす。
つかえる時間もないし。

なんだこれ人生劇場か。
なんか見たことにしなきゃ終われねーよと思いながら写真を撮ってたような記憶が。

嫌いじゃないけどこんな絵。
ありがたいことに段々晴れてきて

ここは知床プユニ岬。
ここも流氷でいっぱいになるはずなんだけど・・
白いのは流氷というよりその割れた残骸というか、天ぷら鍋の天かすみたいなのか・・
でもこの写真今見ると意外にきれいで結構好きだったりして。
待ったって来るわけのない流氷を待つ。

写真を何枚とってみたところで海が流氷で埋まることもない。
まあ、しょうがないか。
いつも発想が極端で、またくればいいだけなのにもう二度と来ることのない月面にいるような気分に。
ほんとに見れないままとなっちゃってるのでそれはそんなに間違いでもなかったかも。
チャンスがあったら食らいつかなくちゃいけないのかなと思うこともある。
帰り道、

流氷みたいだけどこれは破片というよりもうただのシャーベットだ。
これじゃねーよとか思ったけれど今考えればこれだってよそじゃ見られない珍しい光景だよね。
変に目標がでかかったりはっきりしすぎてるとせっかくそこにある素敵なものに気付かなかったりするもんなのね。

青空の下、流氷の破片が打ち上げられているような場所があった。
降りられそうじゃない。

雪が積もっちゃっててなんだかわかんないけど
結構でっかい流氷の破片。

これをもって俺は流氷を見たんだと自分を納得させようとしたらしく何枚も写真を撮ってる。
https://www.youtube.com/watch?v=Mv6YBg7PLag
ヴォーン・ウイリアムズの交響曲第7番は南極交響曲というやつで学生のころCDを買ってきた。
けど立ちはだかる巨大な氷山をオルガンが・・なあたりを一回聴いてそれっきり。

なんかこの辺りを聴いた記憶が。
いいなぁと思う曲はみんな最初からそう思えたわけじゃなく、訳の分からない苦痛をこらえて何度も聴いていると何かが見えてきてということも多い。
そんな難行苦行じゃなくて時間をおいて聴いてみたら何故かすっとはいてきて・・というのもあるか。
だから、長く生きといた方が得だと思う。
ブリテンとかエルガーとかホルストとかイギリスの作曲家の曲を聴いていると共通するものがあるような気がしてる・・けど今すらすらとそれを書けないんだからやっぱりちゃんと聴いてないからだろう。
どうも私はイギリスの作曲家と相性が良くない気がする。
パーセルって人もいた気がするけど聴いたことがない。

まだ全然帰りたくないけど
昼くらいの列車で北見へ向かう。

これを食ったらしいけど・・
もう一泊してもどうせ流氷は見られなかっただろう。
でもそうすればよかったかなと今頃思う。
くそ真面目もいいけど仕事の一日くらいどうにかできただろう。
大事なのはなにかもっとでっかい視点で・・と、この歳になってみると思う。
思うならそれをそのまま今の自分にも言えばいいんだけど、
いえないなぁ・・

わかる人は数人だろうけど昔アルファコンチネンタルエクスプレスが出てきたときはびっくりしたし憧れた。
音楽に興味を持ってからはあんまり詳しいことも知らないけどあれもその末の弟みたいなのでしょう?
どうせならあんなのに乗りたかった・・

北見からバスで釧路へ・・
この車中は虚しさでいっぱい、楽しむとかじゃなかった。
次の年にも行ったったけどまたダメ。
訳があって出発前夜に泣く泣くキャンセルした日に限ってライブカメラには沖までぎっしり真っ白な氷と青い空・・
そういうもんだよね。
でも、生きていればいつかきっといいこともあるでしょう。
さっき、俺は何しにこの世へ出てきたのかなんてぐずってた。
流氷見に来たのかも。
見るまで死ねない。