超絶観光地とプラレール

先日見た近くの踏切。
奥は古い商店街でその先に大きな神社、横切る私鉄には小さな駅。
70代以上の人だとかつてこの駅前に路面電車がいたことを知っていて語ったりする。ネット上にも写真が沢山出てきたり。
でもそのもっとずっと前、明治時代くらいには路面電車がこの道を直進し鉄道と直交していたらしいことを知っている人はあんまりいないかもしれない。そういう自分だって何かでちょっと読んだというだけで写真も見たことない。
見てみたかったなその景色。

ありそうでないからこれ。
プラレールみたいだよね。
幼いころ、外をほっつき歩いていたら偶然同じ幼稚園の子数人と出会い、こんなところで会うなんてとお互い新大陸発見みたいに驚き喜んだ。
そのあとなぜがうちに来てみんなでプラレールで遊んだ・・40年以上前のたった一度の思い出がまだ忘れられない。
軌道が鉄道の踏切を渡るという場面は各地にあったんではないかと思うけど今残ってるのはここだけかな?

松山の・・なんだっけ昔見た。
ここも踏切の横には小さな駅があっていかにも都市部の地方私鉄という景色。
地元のあそこに似てるなぁなんて思いながら眺めた。
普通は松山に行ったと言えば松山城とか道後温泉とか坊ちゃんのなんとかとか・・これを見に行った訳じゃないけどこれしか見なかった。

ガタガタいう渡り音も面白いけれど、架線にも興味がありますよね。
こういうのがあると両者の電圧を合わせるのはよく言われることで、昔京阪は京都市電と交差するからずっと600Vだったとか・・
合わせるというと接続しているようなイメージもあるけれど、絶縁区分みたいなのを合わせているんであって回路的にはつながっちゃったらまずいんじゃないかと思う。
で実際どうなってるの?とか

あの真ん中の十字のスペーサーみたいなのはFRPかなんかで回路を絶縁しているように見える。
レール架線間の電圧をDC600Vにそろえてとか言っても実際負荷や電源の状況で変動し600Vピッタリであるわけがなく、上下線間にも別路線間にも電位差があるはずで電気的に接続すればこの四角い閉回路みたいになってる部分はあっという間に真っ赤になって焼け落ちると思う。一瞬青白く光って辺りにはパチンコ玉みたいな銅の塊が転がる・・とかかも。
短絡回路のインピーダンスが低いので許容値に対してけた違いな電流が流れるけど電位差自体は小さいから変電所の遮断器を動作させるための継電器が拾う電流はそれを作動させる値にならず、保護を考えることは結構難しいと思う。
こういうのは別にダイヤモンドクロスに限らずあらゆる場所にあり、電車のパンタグラフがちょうど異回路間を短絡する位置に停車してしまうと架線も集電版も焼け落ち・・それがどうしたってなもんだろうけど。

渡ってゆくとき集電装置がバチバチスパークするのはいったん回路が切れることを示していると思う。
前の晩も寒いのにずっと見てた。
途中うどんとかなんとか食った写真も挟まってるけど、正直失敗したという記憶なので載せない。
だけど写真があると、お茶がポットから出てこなくて文句言ったら解放のレバー押してないだけで普通に出てきてたとか、どうでもいい記憶が妙に鮮やかに蘇ってくるのね。
https://www.youtube.com/watch?v=pHR0VyEKOqs
これは交代する三度という曲で、交差じゃなくて交代だけど実際声部がというより手が交差するのが面白く・・そこはどうでもいいか。

楽譜の景色がアラベスクという感じだけど。
動き回る音同士がぶつかり合って偶然生まれるハーモニーがまた・・いまじゃ当たり前だけどこんなの出せばふざけてんのかと言われそうな時代にこれを堂々と発表する原動力としてやっぱりサティがいたのかなとか・・

瀬戸大橋の巨大なのに綿密な構造に見とれる。
音楽もいろいろだけど、多くの曲にあんな感じのイメージがあるのね。
細かいものがそれぞれ意味を持って組み合わさり全体を作ってゆく・・全体を見てもいいけど細部に注目しても・・
この時正月休みだったと思う。
小学生くらいの女の子に「そろそろおばあちゃんちいく?」と問いかけてた若いお父さん。
今はもう孫がいたりするんだろうか?
長い時間もあっという間に過ぎてっちゃうのね。
プラレールももう記憶の彼方に消えかけ思い出せることもあんまりないな。
20年後くらいに今度は子供のためにまた再会し、さらにその20年後に今度は孫のために・・という人もいるんでしょうね。
昔はデパートの最上階にでっかいおもちゃ屋があってプラレールが走り回ってたような気が。
最初の写真のあそこにもそんなデパートがあった。
ああいうのもう見ないな。

渡った瀬戸大橋を遠くに眺めるともう旅も終わりの予感。
このときなんだかものすごく虚しかった。
別に虚しくなる必要はなかったはずだけど。