ちょうどいいとこ
この日昼飯食をとある店に向かう途中心変わりして向かった店は人がいっぱいで萎えた。やっぱり最初の店へともどる道を間違えついたらラストオーダーの時間。仕方がないのでみつけたまだ間に合う店はいってみるとやってなかっ・・もうモスバーガーでいいや。いいやは失礼か。
いつもいっぱいな駐車場に車は一台だけ・・なのに窓越しの店内には人影がたくさん揺れて見える。
?と思いながら入れば女子高生の集団。ああ学校早く終わったのね。このまま休みに入るんだっけ。
何時も座るあの席も空いてはいたけれど女子高生軍団付近はちょっと・・

チキン南蛮だったかでっかいハンバーガーもおいしかったけど、この後裏にある普通のチーズバーガーを一口食って驚いた。
美味い。
そのうまさはシンプルな構成のバランスというか・・枠の中でちょうどいい重量感、配置感、空間占有感・・
ちょうどいいってすごいね。
趣味でも仕事でも自然を愛でるでも芸術でも何でも、ベストな所はMAX.とは違うというのはよくあることで・・
バッハはピアノという楽器をまだ知らなかったかどこかで生まれたばかりのそれを知ってたとしても実際演奏することはできなかったわけだけど、ピアノを弾く人がバッハを避けて通れな・・どうでもいいか。
ブランデンブルク協奏曲第5番がチェンバロでなくピアノで演奏されることも別におかしなことじゃないんだろう。
だけど私はずっとチェンバロで聴いてきたのでなんとななく
塩焼きでいいのにわざわざ油でこってり揚げちゃってマヨネーズどばーみたいなのだったらいやだなとか・・
https://www.youtube.com/watch?v=qBOJDTvG0DQ
でもこの現代を生き抜く演奏家がそんなことするわけはなく色々思う事はあるけれど音楽として普通に聴けるばかりかむしろこれはこれとして新しい楽しみを知った気もする。
マックス・レーガーが残したこの曲の楽譜を見ると、

100年くらい前まではバターと生クリームの上からはちみつと溶かしたチョコレートみたいな演奏をしてたんだろうことが想像される。
現代の感覚からするとそれは異常でおかしなものであっても当時はみんながそれをいいと思って楽しんでいたわけで、後ろの時代から自分たちこそ正しいのだという顔でどうこう批判するのは筋違いだろう。
時々聴こえてくる会話がSNSベースなのが今風だねとかいちいち思う私は年寄ね。
若さからくるあふれるような歓声はしかし一定の節度が保たれていて・・とかいちいち思う私は年寄ね。
最後にありがとうございますくらい言いながら出て行った・とかいちいち思う私は年寄ね。

みんな帰っちゃうと静かになる。
昔、女子高生は憎悪と危機感を生む対象であり・・こんな糞みたいに生きてきた事とかそれで今はどうかとかはどうでもよく、
自分にもし子がいたとするとあの年齢より少し上くらいになるはずだったのかな・・等と考えていた。
この後人のいないところへ・・とあのお店へ行ってみた。

誰もいないお店に入ればまたていねいに迎い入れてもらえて、
今日は前回先客がいて入れなかった奥の部屋を進めてくれた。
ケーキ単体かと思ってた価格はセット価格か・・

始めは無音だったけど、途中から音楽を流してくれたみたいだ。
隣の部屋で静かに鳴っているのがなんとなく聞こえるくらいでちょうど心地いい。

なんだっけこれ・・
幼稚園の時こんなのをやって、自分の鉢というのがあった気もする。
すごく面白いと思った覚えがあるのにあれっきりだな。
嫁さんが台所で切った人参とか大根を捨てずに水につけて葉っぱをのばして眺めてるのもあれと同じと言えば・・

珈琲はブラジル・・なんだけ、飲みやすくておいしかった。
砂糖入れちゃってるから語るような何かもわかんないけど、でも味や口当たりが違うことはなんとなくわかるよ。
今日は自家製米粉シフォンケーキじゃなくもう一つの・・
近くのケーキ屋さんとタイアップじゃないけどなんかそういうのみたいでこれもおいしかった。

壁には黒井健の絵。
黒井健の絵が好きな嫁さんは前回来たときから気になっていたようだ。
清里だったか彼のギャラリーを見つけていったことがあった。
おとぎ話をテーマにした連作をずっと見ていくと最後に作者の言葉があり、
本当はこの主人公が好きでない・・いやもうちょっと具体的に内面から嫌いみたいなことが告白されてたのが忘れられない。

照明とかいろいろ置かれたものとか、そういうのはオーナーの主張というか自己表現みたいなものだと思うけれど、この店はなんとなく性に合うというか。
やたらに主張してねーいいでしょこれ?とか言わない感じがもいいのかも。
帰りがけ、
以前来ていただいた方ですよね?
自己肯定感を自動的に削除するロジックをもって生きている人は
自分の存在を肯定的に認識してもらえたと感じるとそれだけでうれしいの。
それが一番のごちそうなの。
ありがとう。
いつもいっぱいな駐車場に車は一台だけ・・なのに窓越しの店内には人影がたくさん揺れて見える。
?と思いながら入れば女子高生の集団。ああ学校早く終わったのね。このまま休みに入るんだっけ。
何時も座るあの席も空いてはいたけれど女子高生軍団付近はちょっと・・

チキン南蛮だったかでっかいハンバーガーもおいしかったけど、この後裏にある普通のチーズバーガーを一口食って驚いた。
美味い。
そのうまさはシンプルな構成のバランスというか・・枠の中でちょうどいい重量感、配置感、空間占有感・・
ちょうどいいってすごいね。
趣味でも仕事でも自然を愛でるでも芸術でも何でも、ベストな所はMAX.とは違うというのはよくあることで・・
バッハはピアノという楽器をまだ知らなかったかどこかで生まれたばかりのそれを知ってたとしても実際演奏することはできなかったわけだけど、ピアノを弾く人がバッハを避けて通れな・・どうでもいいか。
ブランデンブルク協奏曲第5番がチェンバロでなくピアノで演奏されることも別におかしなことじゃないんだろう。
だけど私はずっとチェンバロで聴いてきたのでなんとななく
塩焼きでいいのにわざわざ油でこってり揚げちゃってマヨネーズどばーみたいなのだったらいやだなとか・・
https://www.youtube.com/watch?v=qBOJDTvG0DQ
でもこの現代を生き抜く演奏家がそんなことするわけはなく色々思う事はあるけれど音楽として普通に聴けるばかりかむしろこれはこれとして新しい楽しみを知った気もする。
マックス・レーガーが残したこの曲の楽譜を見ると、

100年くらい前まではバターと生クリームの上からはちみつと溶かしたチョコレートみたいな演奏をしてたんだろうことが想像される。
現代の感覚からするとそれは異常でおかしなものであっても当時はみんながそれをいいと思って楽しんでいたわけで、後ろの時代から自分たちこそ正しいのだという顔でどうこう批判するのは筋違いだろう。
時々聴こえてくる会話がSNSベースなのが今風だねとかいちいち思う私は年寄ね。
若さからくるあふれるような歓声はしかし一定の節度が保たれていて・・とかいちいち思う私は年寄ね。
最後にありがとうございますくらい言いながら出て行った・とかいちいち思う私は年寄ね。

みんな帰っちゃうと静かになる。
昔、女子高生は憎悪と危機感を生む対象であり・・こんな糞みたいに生きてきた事とかそれで今はどうかとかはどうでもよく、
自分にもし子がいたとするとあの年齢より少し上くらいになるはずだったのかな・・等と考えていた。
この後人のいないところへ・・とあのお店へ行ってみた。

誰もいないお店に入ればまたていねいに迎い入れてもらえて、
今日は前回先客がいて入れなかった奥の部屋を進めてくれた。
ケーキ単体かと思ってた価格はセット価格か・・

始めは無音だったけど、途中から音楽を流してくれたみたいだ。
隣の部屋で静かに鳴っているのがなんとなく聞こえるくらいでちょうど心地いい。

なんだっけこれ・・
幼稚園の時こんなのをやって、自分の鉢というのがあった気もする。
すごく面白いと思った覚えがあるのにあれっきりだな。
嫁さんが台所で切った人参とか大根を捨てずに水につけて葉っぱをのばして眺めてるのもあれと同じと言えば・・

珈琲はブラジル・・なんだけ、飲みやすくておいしかった。
砂糖入れちゃってるから語るような何かもわかんないけど、でも味や口当たりが違うことはなんとなくわかるよ。
今日は自家製米粉シフォンケーキじゃなくもう一つの・・
近くのケーキ屋さんとタイアップじゃないけどなんかそういうのみたいでこれもおいしかった。

壁には黒井健の絵。
黒井健の絵が好きな嫁さんは前回来たときから気になっていたようだ。
清里だったか彼のギャラリーを見つけていったことがあった。
おとぎ話をテーマにした連作をずっと見ていくと最後に作者の言葉があり、
本当はこの主人公が好きでない・・いやもうちょっと具体的に内面から嫌いみたいなことが告白されてたのが忘れられない。

照明とかいろいろ置かれたものとか、そういうのはオーナーの主張というか自己表現みたいなものだと思うけれど、この店はなんとなく性に合うというか。
やたらに主張してねーいいでしょこれ?とか言わない感じがもいいのかも。
帰りがけ、
以前来ていただいた方ですよね?
自己肯定感を自動的に削除するロジックをもって生きている人は
自分の存在を肯定的に認識してもらえたと感じるとそれだけでうれしいの。
それが一番のごちそうなの。
ありがとう。