やったー

今年は富士山が雲に隠れてる率が高いと思う。
市街化調整区域のはずなのに家が結構建ってどこにでもあった絵的に素晴らしい富士山はもうない。
代わりに多分私よりずっと年下の絵にかいたような幸せ家族がやたらに目に入るようになり・・そんな話はどうでもよくて、久しぶりに楽器のレッスンに行ってきた。
事前の連絡にあった久しぶりなので基礎からやり直しましょうという言葉の裏側を読んだり、前々日くらいからまたスランプになっちゃったりとかでもあったりもしたわけだけど。
音出し。
音階を一回上昇し終わったところで
なにか曲を吹いてみてください何でもいいから・・
じゃこれを・・
なかなかいい・・から始まっていくつかの曲をやったけれどアンブシャがどうこうの話じゃなく
歌い方について教えられやってみる音楽のレッスンだった。
始めから最後までそれで終わったのは初めてで・・客観的に見れば非常に初歩的な段階でありとか、その素晴らしいという言葉は場に合わせたものであってとかそういうことは解っての話であって・・とかもいいから。
他人はいいから。
嬉しかった。
どうして、それがどれだけ嬉しいのか・・は省略。
入り口のドアは開けっ放しで消毒用アルコールが用意されてたとか、この距離がソーシャルディスタンスですとか言ってた先生との間はいつもとおんなじ距離のような気がしたとかそれどころじゃなくて。
https://www.youtube.com/watch?v=QrdwSnnhHBM
1938年だそうで結構最近まで生きてた気がするメニューインはバルトークとつながってたり演奏家としてはSP時代からの人なのか。
変な時代がかった演奏かと思って聴いてみたこのバッハのBWV1016の3楽章は結構よかったというか好き。
1楽章は悪くないけどちょっと美術館的というか陸軍大臣の別荘の茶室みたいな演奏でいいんだけど今の気分とちょっと違うかなぁ。
中学生の頃にあるコンサートでこの曲をやってるのをビデオに撮って何度も何度も見聞きした。
なんとなく雨のイメージがあるのはそれが今頃だったからだろうか?
自分がこの曲を演奏したいと思いつつそんな自分であるわけがないと思っていたし実際そんな私になることもなかった。
あれから30年以上か自分の頭の中で演奏し続けているので自分の演奏ができてしまい、誰のどんな演奏を聴いてもそこ違うなんて思ったりしてる。
とはいえ録音じゃなく目の前で真剣な演奏を聴くと自分の好みと合うあわないを超えて心を動かされ受け入れられることも経験上知っているけどね。
いろいろ経てきて人間が嫌いとか楽器をやっている人を見ると変な拒絶反応が出るとか頭がっぱっぱらぱーみたいになっちゃって今じゃコンサートも行けない。
ふと時々、どんなに音楽が好きだと言っても自分は傍から眺めるだけ、他人の家を覗いているだけの・・
でもこれでこのまま死ぬまで行くつもりはないから。
先日行ったカフェはギャラリーも兼ねていて、好きかどうかは別として目に力強く飛びこんでるく数々の絵が展示されていた。
作者のあいさつ文を読むと絵なんか勉強したこともなかったが60歳で急に描き始め今はそれがすべてだとあった。
46になっちゃってとも思うけれどまだ46だと思えばこの先に少しくらい楽しみを感じたっていいかもしれない・・・・・と、
これを書き終えたその後の展開も知ってる私としてはいろいろ言いたいこともあるけれど、これはこのまま締めとけばいいんだよ。
そして、今そのさらに後の私。
大丈夫だから。
まだまだずーっと続く。
がんばります。

毎日毎日、練習してるときには足元で付き合ってくれるこの方のおかげ。