逃げられません
この週末に入るとき、
思いきり休んでなにかゆっくり楽しめると・・なんて思ってた。
ようはストレスから逃げたいということで実際それじゃあという展開に移行するわけでもない。

だけど久しぶりに行ってみたこのお店のシフォンケーキはやっぱりおいしかった。
そんなにいろいろ知ってるわけじゃないけど、ふわふわ感しっとり感きめの細かさ味のバランスがこれを上回るものをまだ知らない。
男女を意識して選ぶお皿の柄を逆にしちゃったとか言ってるのも微笑ましくウインナコーヒーの甘さもゆっくりしたい心にぴったり。
お店はとてもいい雰囲気、押し付けることもなくでもセンスのいい音楽。
でもあれね、
週末だけ逃げたってまた直面するものが解決されていないかぎりはそこに縛られちゃってダメなのね。
頭の中でへんなのがずっと毒電波みたいなの放射しちゃって。逃げたってダメなのよ。

机、既製品じゃなく店の内装と一体で作られてんのね。
対面になることがないよう一部机の配置が変更されたりしてたこのお店、もう何度も何度も来てるんだけどいつも駐車場が満車どころか道路にはみ出た車を見てああ人間だらけいやだいやだなんて入らず帰ってた。
だけどお前なんで自分が遠慮しちゃってんの馬鹿じゃないの?と自分が言うから無理やり入ってみたりして。
そしたらみんなどんどん帰っちゃって結局誰もいない静かなお店に。
俺が来たからみんな嫌がって出てったとかじゃなくて。
むかし、リアルでそういう経験もあったよ。
それで今、ここは家。
向かいの空き家へはその家族が時々草刈りをしに来るようになった。
エンジン草刈り機に消音機みたいなものがあるかはわからないけど、盗んだ原付のマフラーを外して走ってるような草刈り機だ。
田舎でなので草刈り機の音なんて当たり前で文句も言わないけど、あれはちょっとなぁ。
とは言えしばらく待ってりゃや終わるだろう。
大変ですねと笑顔で話しかけるみたいなのもない。
うぐいすの鳴き声もいいけど、セミが鳴きだしたなぁ・・
これからしばらく音楽は聴けないかな。
音楽を聴いてると音のない無音の瞬間はなってる音よりも遥かに大事だったりするんですが
https://www.youtube.com/watch?v=etb__Zs9U6Y
たとえばたまたま今頭の中にで流れてるこの曲の

最初に聞こえたフレーズは風が去っていくように引いていく・・次の風が吹くまでのふっという無音向こうに無限に広がるどこかにある世界に自分はいる・・楽譜もよく見ると音量の指示はボリュームじゃなくてニュアンスみたいなことをすごく言ってるわけじゃない、そういうのを楽譜読んだ屁理屈でじゃなくて聴いた感触で感じたいわけじゃない・・ここで蝉のジーとかエアコンの風音がコーとか、エンジン音がうなってとかそんなのが聞こえてるんだったら最初から何も聞かない方がまだまし・・
馬鹿だと思ってんでしょ?
こういうの書くと理解や共感を得られないどころか嘲笑よりも反感を食らったりするだろう。
まいいやそんなこと。それより
家の修理で来てもらった大工の棟梁みたいな人に部屋の防音工事もできるの?なんて聞いてみたことがあった。
目測でざっくりの見積金額を聞いたかきかなかったか・・どちらにしろそんなお金ないけど。
そのとき、
あなた音楽が好きならあそこのこういう名前のお店に行ってみなさい。
珈琲の美味しいお店だけど音楽が好きな人間が集まっているから。
と教えてくれた。
店名を紙に書いてくれたと思うけど人に何かを教えてもらっても全然やらないのが私でそれはおかしいことだと気づいたのは結構最近のこと。その文字の雰囲気や場所なんかからそれはシフォンケーキ無敵なあの店だったんじゃないかと思う。
店の入り口付近にコアなコンサートのポスターが貼ってあるのを見たことがある。
オーナー夫婦と自分たちしかいないんだから、何か話しかけてみればそこから新しい世界が広がるのかもしれない。
だけど、
そういうのできず全くなしで生きて来ましてこの通りです。
2重窓というのは自分でも付けられるので音楽部屋につけてみた。
ある種の外界ノイズには効果があった・けど音って水みたいに漏れるから一か所だけ塞いだって駄目なのね。

長らく雨だったけどちょっと日が差してきた。
昔、夏の空や草の青さを見ながら、
おかしいななんでむなしいんだろう?と考えた日をよく思い出す。
一人電車の中で。
今思えばちょうどあの辺りから頭がいかれていったんだったかな。
今、風が入ってとても気持ちがいい。
どこかへ出かけないと損かと思いかけたけれど、家で過ごすでもいいか。
ボンタンは3月にしか剪定しちゃいけないことになってるんだけど、ちょっとそれおかしいでしょ的に伸びた何本かの枝を切る。
ついた実はもうけっこうおおきくなってて。
先日犬がおしっこしちゃった玄関に水を撒いて洗うはいいけどその排水が予想外に隣へ流れてっちゃって焦る。
マスのふたを開けそちらへ水を誘導し・・出てきた隣の人に詫びると
いいよそんなの遠慮しないで・・
ちょっと気が楽になる。
それもそうだけど、相手や内容にかかわらず人と話すといちいち脳が刺激されたりしてることがあって。
やっぱり人間って人と付き合って人と話をしないとダメなんでしょうね。
俺は、そっちはもう無理だ。
だけど、違うかだからそこからどうするかだけど。
死ぬまでは生きてくんだからできることやってうまく生きてかなくちゃね。
しかし玄関掃除しただけでなんでちょっと心が軽くなるんだろう?
どっかの年寄りの教えみたいじゃない。
今これ書いてるのは休日で、これ公開するころは平日の海に沈みかけてるのかもしれない。
また来週末までたどり着けますように。
思いきり休んでなにかゆっくり楽しめると・・なんて思ってた。
ようはストレスから逃げたいということで実際それじゃあという展開に移行するわけでもない。

だけど久しぶりに行ってみたこのお店のシフォンケーキはやっぱりおいしかった。
そんなにいろいろ知ってるわけじゃないけど、ふわふわ感しっとり感きめの細かさ味のバランスがこれを上回るものをまだ知らない。
男女を意識して選ぶお皿の柄を逆にしちゃったとか言ってるのも微笑ましくウインナコーヒーの甘さもゆっくりしたい心にぴったり。
お店はとてもいい雰囲気、押し付けることもなくでもセンスのいい音楽。
でもあれね、
週末だけ逃げたってまた直面するものが解決されていないかぎりはそこに縛られちゃってダメなのね。
頭の中でへんなのがずっと毒電波みたいなの放射しちゃって。逃げたってダメなのよ。

机、既製品じゃなく店の内装と一体で作られてんのね。
対面になることがないよう一部机の配置が変更されたりしてたこのお店、もう何度も何度も来てるんだけどいつも駐車場が満車どころか道路にはみ出た車を見てああ人間だらけいやだいやだなんて入らず帰ってた。
だけどお前なんで自分が遠慮しちゃってんの馬鹿じゃないの?と自分が言うから無理やり入ってみたりして。
そしたらみんなどんどん帰っちゃって結局誰もいない静かなお店に。
俺が来たからみんな嫌がって出てったとかじゃなくて。
むかし、リアルでそういう経験もあったよ。
それで今、ここは家。
向かいの空き家へはその家族が時々草刈りをしに来るようになった。
エンジン草刈り機に消音機みたいなものがあるかはわからないけど、盗んだ原付のマフラーを外して走ってるような草刈り機だ。
田舎でなので草刈り機の音なんて当たり前で文句も言わないけど、あれはちょっとなぁ。
とは言えしばらく待ってりゃや終わるだろう。
大変ですねと笑顔で話しかけるみたいなのもない。
うぐいすの鳴き声もいいけど、セミが鳴きだしたなぁ・・
これからしばらく音楽は聴けないかな。
音楽を聴いてると音のない無音の瞬間はなってる音よりも遥かに大事だったりするんですが
https://www.youtube.com/watch?v=etb__Zs9U6Y
たとえばたまたま今頭の中にで流れてるこの曲の

最初に聞こえたフレーズは風が去っていくように引いていく・・次の風が吹くまでのふっという無音向こうに無限に広がるどこかにある世界に自分はいる・・楽譜もよく見ると音量の指示はボリュームじゃなくてニュアンスみたいなことをすごく言ってるわけじゃない、そういうのを楽譜読んだ屁理屈でじゃなくて聴いた感触で感じたいわけじゃない・・ここで蝉のジーとかエアコンの風音がコーとか、エンジン音がうなってとかそんなのが聞こえてるんだったら最初から何も聞かない方がまだまし・・
馬鹿だと思ってんでしょ?
こういうの書くと理解や共感を得られないどころか嘲笑よりも反感を食らったりするだろう。
まいいやそんなこと。それより
家の修理で来てもらった大工の棟梁みたいな人に部屋の防音工事もできるの?なんて聞いてみたことがあった。
目測でざっくりの見積金額を聞いたかきかなかったか・・どちらにしろそんなお金ないけど。
そのとき、
あなた音楽が好きならあそこのこういう名前のお店に行ってみなさい。
珈琲の美味しいお店だけど音楽が好きな人間が集まっているから。
と教えてくれた。
店名を紙に書いてくれたと思うけど人に何かを教えてもらっても全然やらないのが私でそれはおかしいことだと気づいたのは結構最近のこと。その文字の雰囲気や場所なんかからそれはシフォンケーキ無敵なあの店だったんじゃないかと思う。
店の入り口付近にコアなコンサートのポスターが貼ってあるのを見たことがある。
オーナー夫婦と自分たちしかいないんだから、何か話しかけてみればそこから新しい世界が広がるのかもしれない。
だけど、
そういうのできず全くなしで生きて来ましてこの通りです。
2重窓というのは自分でも付けられるので音楽部屋につけてみた。
ある種の外界ノイズには効果があった・けど音って水みたいに漏れるから一か所だけ塞いだって駄目なのね。

長らく雨だったけどちょっと日が差してきた。
昔、夏の空や草の青さを見ながら、
おかしいななんでむなしいんだろう?と考えた日をよく思い出す。
一人電車の中で。
今思えばちょうどあの辺りから頭がいかれていったんだったかな。
今、風が入ってとても気持ちがいい。
どこかへ出かけないと損かと思いかけたけれど、家で過ごすでもいいか。
ボンタンは3月にしか剪定しちゃいけないことになってるんだけど、ちょっとそれおかしいでしょ的に伸びた何本かの枝を切る。
ついた実はもうけっこうおおきくなってて。
先日犬がおしっこしちゃった玄関に水を撒いて洗うはいいけどその排水が予想外に隣へ流れてっちゃって焦る。
マスのふたを開けそちらへ水を誘導し・・出てきた隣の人に詫びると
いいよそんなの遠慮しないで・・
ちょっと気が楽になる。
それもそうだけど、相手や内容にかかわらず人と話すといちいち脳が刺激されたりしてることがあって。
やっぱり人間って人と付き合って人と話をしないとダメなんでしょうね。
俺は、そっちはもう無理だ。
だけど、違うかだからそこからどうするかだけど。
死ぬまでは生きてくんだからできることやってうまく生きてかなくちゃね。
しかし玄関掃除しただけでなんでちょっと心が軽くなるんだろう?
どっかの年寄りの教えみたいじゃない。
今これ書いてるのは休日で、これ公開するころは平日の海に沈みかけてるのかもしれない。
また来週末までたどり着けますように。