オリーブの葉を咥えた・・
朝、ものすごい土砂降りの中車に乗りこむが濡れる。

もう10年くらい前になるのか何種類か蒔いた朝顔のうち、弱くて駆逐されそうな花が今日は結構咲いてることに気づく。
写真撮ろうにも窓も開けられないけど・・
きれいだね。
そして走り出せば雨はピタッと止み、挙句に晴れてくる。
世の中とはそういうもんでしょう。
嫁さんは最近夜眠れないみたいだ。
複数あるらしい原因を聞いてて更年期という言葉が浮かんだけど絶対に言っちゃいけないんでしょう?
そういう自分も寝返りを打つ際胸の中央部に激痛が走って目が覚めることが多くなってきた。
以前、全くおんなじことを言ってる人がいて他人事のように聴いてたのを思い出す。
調べるとティーツェ症候群というのが出てくるけど書けばご心配をいただいたりするのでもうやめる。
最近謎の痒みが前身の各所に現れる事もよくあってこれは更年期?と思わなくもない。
楽器にリードをつけようにも三次元的にぼやけて見えないの・・は老眼か。
楽器の・・とか書くとまたかってなもんだろうけど、
帰宅後練習しようと窓を閉めてもさほど暑くない。
クーラーつけなくても練習できるな。季節も変わったのかな・・
と吹き出してしばらくすれば暑くなってくる。
出来なかったことが出来るようになりかけたような気がして、
練習って気づきの連続ですよねなんてブログに書こうかというのが頭をよぎる・・・
気づきじゃねーよ勘違いだよ
お前全然できてねーよ。
あそうですか。
そうみたいですね。
また明日もやります。
https://www.youtube.com/watch?v=AJMueZyvnXI
オネゲルでも聞くかとCDを買ってきたのももう20年くらい前で・・と最近あれは何年前で・・ばかり書いてる気がする。
人生終わりだみたいな意識が内側に巣くってるのかな。
その20年くらい前は個人ホームページみたいなのが全盛のころで、あれもこれも思い出せばみんな10年前だ・・なんて書いてたのを思い出す。今から見れば30年前か。
思い出してばかりだと今は知らないうちに終わってしまうと思う。
あの頃はまだ地元のCD屋もクラシックを大きく扱っていたのを思い出した。それからすぐに衰退がはじまりあっという間にCDごとなくなってしまった。
クラシック音楽のいいところは、今意味が分からなくても20年後に急にピントが合ったように共振共鳴することがあるところだろう。
今急に聞きたくなり聞いてみると2楽章にしびれるものがある。
絶望的に厳しい状況、明日は生きていられないことが確定している夕方。美しく穏やかな空の青と白い雲、頬を撫でる風、そばに大切な人の・・いや、それは知識に引っ張られた偽の感想だな。
この先の悲惨な状況が予告されるけれどなんかこう、ここにいることに安心する・・

おしまいに姿を現すフルートは作者自身が鳥の主題と呼んだもので空高く旋回している。
長くとどまってくれるかどうかわからない危うさみたいなものを感じなくもない。
私はキリスト教徒ではないのでオリーブを咥えた白い鳩というのをどこかで読み知識として入れてからそれがそう見えるようになったけれど、何の説明もなく聴いただけどそれとわかる人たちもいるのかもしれない。
前の楽章では長く鳴り止むことのなかった怒りと破壊のざわめきを一瞬で沈め、あっというまにみなどこかへ連れ去っていってしまった。その時は白い鳩ではなく巨大な怪鳥のような姿で。
2楽章のはじめ、鳩の姿でほんの一瞬現れかけているのはこの平和を運んできてくれたということか・
色々考えているうちに全曲が何を言おうとしているかが急に見えてきて、長年聴くでもなかったこの曲が私にとって大事な曲の一つになった。
生きていればいいこともあるかもしれない。

紐を垂らしてみたら登ってきたこのあさがお、
もうこれ以上登るところはないんだと悟ると自分で生長点を枯らしちゃうのね。
分岐した新しい蔓がもう一度やってみればどっかいけるんじゃないかと・・・やっぱり駄目だと諦め
三本目は最初から絡むのやめちゃって・・
だけど今すごいいい絵になってるよあなた。
オケ奏者の日記を読んでいると生徒さんの中に70代の人がいることが書かれてあった。
私にとってはこの先まだまだ時間はあるのだという朗報のように思えたのだけど、
冷静に数えてみるとそこまでもう25年を切っていることにちょっと驚く。
25年なんて、昨日や明後日みたいにあっという間じゃないか。
時間を大事にしなくちゃとは思うけど、じゃあとか言って何かが急に進むわけでもない。
まだ全然諦められない。
死にたくない。
オリーブを加えた白い鳩・・
オネゲルの交響曲第3番の最後の部分を戦争で亡くなった人達へのレクイエムだと解釈する人が多いようだ。
私は聴いていて、これは希望と願いだと思う。
それは天からもたらされるものではなく、人間自身の中にあるものだとこの曲は言ってると私は思う。
生きるためには希望が必要だ。
私の願いが
確信的な希望となりますように。

もう10年くらい前になるのか何種類か蒔いた朝顔のうち、弱くて駆逐されそうな花が今日は結構咲いてることに気づく。
写真撮ろうにも窓も開けられないけど・・
きれいだね。
そして走り出せば雨はピタッと止み、挙句に晴れてくる。
世の中とはそういうもんでしょう。
嫁さんは最近夜眠れないみたいだ。
複数あるらしい原因を聞いてて更年期という言葉が浮かんだけど絶対に言っちゃいけないんでしょう?
そういう自分も寝返りを打つ際胸の中央部に激痛が走って目が覚めることが多くなってきた。
以前、全くおんなじことを言ってる人がいて他人事のように聴いてたのを思い出す。
調べるとティーツェ症候群というのが出てくるけど書けばご心配をいただいたりするのでもうやめる。
最近謎の痒みが前身の各所に現れる事もよくあってこれは更年期?と思わなくもない。
楽器にリードをつけようにも三次元的にぼやけて見えないの・・は老眼か。
楽器の・・とか書くとまたかってなもんだろうけど、
帰宅後練習しようと窓を閉めてもさほど暑くない。
クーラーつけなくても練習できるな。季節も変わったのかな・・
と吹き出してしばらくすれば暑くなってくる。
出来なかったことが出来るようになりかけたような気がして、
練習って気づきの連続ですよねなんてブログに書こうかというのが頭をよぎる・・・
気づきじゃねーよ勘違いだよ
お前全然できてねーよ。
あそうですか。
そうみたいですね。
また明日もやります。
https://www.youtube.com/watch?v=AJMueZyvnXI
オネゲルでも聞くかとCDを買ってきたのももう20年くらい前で・・と最近あれは何年前で・・ばかり書いてる気がする。
人生終わりだみたいな意識が内側に巣くってるのかな。
その20年くらい前は個人ホームページみたいなのが全盛のころで、あれもこれも思い出せばみんな10年前だ・・なんて書いてたのを思い出す。今から見れば30年前か。
思い出してばかりだと今は知らないうちに終わってしまうと思う。
あの頃はまだ地元のCD屋もクラシックを大きく扱っていたのを思い出した。それからすぐに衰退がはじまりあっという間にCDごとなくなってしまった。
クラシック音楽のいいところは、今意味が分からなくても20年後に急にピントが合ったように共振共鳴することがあるところだろう。
今急に聞きたくなり聞いてみると2楽章にしびれるものがある。
絶望的に厳しい状況、明日は生きていられないことが確定している夕方。美しく穏やかな空の青と白い雲、頬を撫でる風、そばに大切な人の・・いや、それは知識に引っ張られた偽の感想だな。
この先の悲惨な状況が予告されるけれどなんかこう、ここにいることに安心する・・

おしまいに姿を現すフルートは作者自身が鳥の主題と呼んだもので空高く旋回している。
長くとどまってくれるかどうかわからない危うさみたいなものを感じなくもない。
私はキリスト教徒ではないのでオリーブを咥えた白い鳩というのをどこかで読み知識として入れてからそれがそう見えるようになったけれど、何の説明もなく聴いただけどそれとわかる人たちもいるのかもしれない。
前の楽章では長く鳴り止むことのなかった怒りと破壊のざわめきを一瞬で沈め、あっというまにみなどこかへ連れ去っていってしまった。その時は白い鳩ではなく巨大な怪鳥のような姿で。
2楽章のはじめ、鳩の姿でほんの一瞬現れかけているのはこの平和を運んできてくれたということか・
色々考えているうちに全曲が何を言おうとしているかが急に見えてきて、長年聴くでもなかったこの曲が私にとって大事な曲の一つになった。
生きていればいいこともあるかもしれない。

紐を垂らしてみたら登ってきたこのあさがお、
もうこれ以上登るところはないんだと悟ると自分で生長点を枯らしちゃうのね。
分岐した新しい蔓がもう一度やってみればどっかいけるんじゃないかと・・・やっぱり駄目だと諦め
三本目は最初から絡むのやめちゃって・・
だけど今すごいいい絵になってるよあなた。
オケ奏者の日記を読んでいると生徒さんの中に70代の人がいることが書かれてあった。
私にとってはこの先まだまだ時間はあるのだという朗報のように思えたのだけど、
冷静に数えてみるとそこまでもう25年を切っていることにちょっと驚く。
25年なんて、昨日や明後日みたいにあっという間じゃないか。
時間を大事にしなくちゃとは思うけど、じゃあとか言って何かが急に進むわけでもない。
まだ全然諦められない。
死にたくない。
オリーブを加えた白い鳩・・
オネゲルの交響曲第3番の最後の部分を戦争で亡くなった人達へのレクイエムだと解釈する人が多いようだ。
私は聴いていて、これは希望と願いだと思う。
それは天からもたらされるものではなく、人間自身の中にあるものだとこの曲は言ってると私は思う。
生きるためには希望が必要だ。
私の願いが
確信的な希望となりますように。