Pastorale

天気もいいし柿の色が緑に映えてきれいだった。写ってないけど。
犬がまた長い散歩コースをニコニコ歩いてくれたし。
あそこではなくて家の向かいの畑はずっと腰の曲がったおばあちゃんが一人で仕切ってた。
風の強い日に大量の葉っぱを燃やして火の消えてないまま帰っちゃったりするからいつか家燃やされちゃうんじゃないかというのもあったけど、犬に挨拶をしてくれたりああ今日も来てるな・・
その畑に別な人が来てることに気付いたのはいつ頃だったか、一度も話さないけどあの人は多分娘さんとその旦那さんだろう。

このお店嫁さんが気にいっていたのに最近は変な魚が出てくるとか言い出していかなかった。
あれのことだなってのはわかるけど変な魚ではないとおもう。
最初に来た時は玄米ご飯お替りできるからね。お替り持ってくるから・・ちょっとなんていわずに食べなさいよ!みたいなおばさんがいたけれど最近見かけないしお替り自由ですよとも言われなくなった。
お替り禁止中なのでいいけど。

この席に案内されたのは初めてかな。
にぎやかな集団からちょっと離れて静かなここもいいね。
多分高校性のころから50年来のみたいな女子会がデザートを待っているところ。誰かの携帯が鳴って今お友達と会ってるところだから・・このままだと俺には友達も知人も一人もいねーみたいなことを書いちゃいそうだけどそういうの蹴散らせる元気があるうちはねとかないと。

選べる本日の魚は鰤の西京焼きでおいしかった。
手前には生ガキ・・何度か来ると多彩な季節のお皿もいくつかは毎回同じなことに気付いてくる。
なんだっていいのよおいしけりゃ。
畑の人、おばあちゃんがちょっと出られない間や野菜の世話を代行という感じだったけどどうも本格的な様相になってきた。
旦那さんは会社を定年になっているようにも見え、新しい人たちは恒久的に畑を守っていこうとしているように見える。
私には関係のないことだけど人間が嫌いすぎで家が建っちゃってそりの合わない人間がとか考えるよりのどかな畑が続いてくれた方が・・なんて書くと反感食らうかなと考えたり。

新しく明るくきれいで広いカフェというのはたくさんあるけど、妙に落ち着き気分のいい所とそうでない所があるのは何が違うのかなと今考えてみるけど正直よくわからない。
結構好きなここは土足厳禁。床はヒノキ?
スリッパとかはおいてなくて靴下で上がっていくところに思想が感じられるというか、日本人の心的な。
上がると書いたけど玄関的な段差はなくて戸を開ける前からずっと同じレベルで進むところが新鮮というか不思議というか・・
敷かれたマットがここまで靴を履いて入れるという区切を示してはくれる。
でもその後上がる感覚がないまま裸足で進んで行くところに当初若干の違和感のほか抵抗もあった。
もう慣れたけどあの段差こそが日本人の中の何かなんだとも思う。
とはいえ、自分もひざを痛めたりしますとバリアフリーの意味を一気に実感的に理解したりもして。
欧米人に限らず、うちの中でも靴を履きっぱなしな方がむしろ世界では当たり前らしいのはいいとして、フランス人は靴下を下着のようにとらえていて人前では絶対に見せず見えちゃったら下着が見えちゃってるのと同じくらいの抵抗を感じるという話をどこかで読んで印象に残った。
たまたま読んだそれが唯一の正解というわけでもないのはなんにでも共通で分かったうえで。
いまみんな気取った気分で飯食ったりしてますがこれ、フランス人が見るればみんなパンツ丸出しで飯食ってんのかなと思うとちょっと笑いそうになる。
https://www.youtube.com/watch?v=ca8H-u4nnxw
ストラヴィンスキーはロシアの人だけどあそこにとどまってるような人ではなく、フランスにいたこともあったと思う。
音大じゃなく法学部みたいなとこを出たんだったと思うけど5か国語だったかもっとだったかを読み書きし、ラヴェルによればフランス語の発音は完璧、フランスの法律にも精通し・・だったかな。
他の誰にも生み出せないような複雑な音楽をぽっと生み出したりしたこの人が同じころこんなにシンプルで牧歌的な曲を書いていたというところが面白いわけで・・これだけ聞いてこれがこの人ですよというんじゃない所が音楽出し人間だし・・
でまたこんなことを書きかけていた日帰宅すると玄関にゆずが・・
見た瞬間に向かいの畑の人がくれたものと分かった。
その際嫁さんが色々と話をしたしたようだ。
おばあちゃんのこと、ゆずも野菜もできたそばからとって行っちゃう泥棒がいること。
現場の一番近くに住んでるのは私だけど気が付かなかったな。
いろんなポケットに野菜を一杯詰め込んで不自然に歩く人、ギャーギャー言いながら人の畑の柿を盗ってく人たち、人の花を根こそぎ引っこ抜こうとしている人、いろいろ見たことがある。
前の二つは小学生くらいの子供がいて善良な家庭をもってまっとうに仕事をしている人間だと自分で信じ切っておりお前は泥棒だなんていわれれば真顔で怒りだしそうな人だった。
私もいずれ土いじり的な何かをやりたくなったりするんだろうか?
庭という程でもないわずかな空間は昔からある木が最近急にでかくなり場所を占有してしまっている。
これがある限り自分たちの好きな物を植えてというのはできないまま一生が終わっちゃうじゃないか・・なんて思ったりもするけれど、じゃあ今生きて実をつけたりする木、私を見てる気がする木を切っちまえるかというとできないな・・
海は遠かった
曲がったことのない交差点を曲がって気づかないような路地へはいるとそのお店はあった。
夢を形にしてますみたいなのが強く表現された外観だけど天気や周りの景色と合わせ写真あんまり絵にならず。
戸を開けると今は県内の方だけご案内していますという張り紙。
でも確かめるわけでもないのね。いろんな事情や考え、立場があるよね。

レビューによればケーキが名高くランチ時なんかは満員だったりするらしいけれど、私が行ったときは大学生風のカップルが一組だけ。
自分が学生のときカフェに行くなんて微塵も・・もうそんなのいいけど俺のあの頃彼らはまだ生まれてないわけか。
あのショーケースからのケーキは絵的に魅かれるチョコケーキの横にバスクチーズというのが目に入るとああそれも・・
だけど

シャインマスカットのショートケーキ。
今年ブドウ狩り行けなかったし。
飲み物プラス200円てなかなか素敵だよね。
見えるカップも何だかきれいで好き。
周りを囲ってるのはブドウソースじゃなくてはちみつだった。
なんかよくあっておいしかった。
シャインマスカットってそれ自体が果物を超えてお菓子と単体で張り合うような実力を持っちゃってるから・・ソロで食ってける人なのにオケに入るのか的な。
ソリストとして世界で食ってける級の技術や表現力を持ちながらでも自分はオケの中でやりたいという人もいるんだそうだ。
そんな話俺が知ったってしょうがないけど。

天井にサーフボード、壁に波の絵、ハイビスカスに星条旗・・BGMも含め店主はサーフィンやるだけじゃなくてなんかハワイ命な人なんでしょうね。
俺にはハワイとか海とかそんな明るく健康的な要素はみじんもないなとか、同じくハワイでもなさそうな学生カップルが相合傘で帰っていくのを見つつ俺の学生時代は・・と自虐を書こうとしてたけどなんか嫌だなそんなの。
流れてる音楽もウクレレと・・ハワイな音楽。
中学でクラシック音楽を知ったらたらそればっかりになっちゃて・・の先またクラシックも背が高い金持ちが聴いてると言えば素敵とか言うけど俺だと・・みたいなくだらないことを書こうとしてた。
誰が何だろうと好きなの聴けばいいだろうそんなの。
https://www.youtube.com/watch?v=VTd2aXLTA84
ブリテンに4つの海の間奏曲というのがあって多分結構有名。
中学生の頃テレビのクラシック番組で聴いてああいいなこれすぐにでもCD買おうと考えたのが昨日のようだとか毎回似たようなことばっかり考えてるけど当然持ってるだろうと思ったCDが今調べると一枚もないのか。いいけど。
それより今の学生くらいだともうCDなんか見たことがない人もいるんじゃないだろうか?
この4曲はピーター・グライムズというオペラの場面転換かなんかの音楽をまとめたものというのは知ってたけど、30年くらいたってやっとそのあらすじをどっかで読んでみた。
ベルクのヴォツェックも救いようのない内容に衝撃を受けつつどうも自分がそこにいるような気がしたけど、これもなかなか後味の悪い終わりようで。
なんで海の間奏曲なんだろう?なんて思ってたけどどうにも救われない主人公は漁師だった。
湘南生活とかいう本がたくさん置いてあったりいよいよそれ系だなこの場は。
ここも湘南みたいに戸を開けると国道があってその向こうはもう砂浜、海というみたいなイメージなのかもね。実際は海から遠くどちらかと言えば山の中の温泉街。天気も雨で・・
ケーキすごくおいしかった。店主に感じた若干とっつきにくい印象は多分間違えなんだろうなとちょっと思ったのと奥の方から聞こえてきたありがとうございましたーの声がなんだか温かい感じで好感をもって終わった。

すぐそばは駅。
昔国鉄と言えば固いところだったわけだけどあんな斜めストライプの塗装の車両が登場したときには斬新すぎてみんな衝撃を受けたと思う。
すぐに出てくる二番煎じ以降は消費され飽きられちゃったら忘れられ消えてゆくけど、最初にやったものは刻まれ残りって音楽みたいですね。
なんかあの車両ももうすぐ見られなくなるんだっけ?
とか書いてたら引退車両を撮影したい撮り鉄が電車を停めたり不法侵入とかいうニュースが流れた。テレビニュースが流した撮り鉄という言葉の蔑称的なニュアンスに刺激されて自分のコンプレックス自虐系ネタが頭の中でどんどん沸いてたけどそんなもん書くなと自分が言う。
在来線をゆっくり走るような特急列車に乗って、またどっか行ってみたいけど今はちょっとな・・
とこんなことを書いたとところで結局自分は何が言いたいんだろう?なんて思ってた
今日も自転車に乗って会社から帰ってきて、いつも通り楽器を練習。
ベストとはいえないまでも壊れ気味だったのも直せるな大丈夫だなと思ったところで

2年前の今頃奈良に行ったときの記憶がふっと頭の中によぎった。
その時私はこのままだらだら生きて終わってはいけない、なにかしなくちゃいけない・・楽器?とかいってたんだったか。
帰りの特急列車から降りてゆくおばさんが口にした
動けるうちに動いて、悔いのないように・・
という言葉が耳に焼き付いた。

その日とても古いお寺に行きしばらく意を置いたところだったので
私の頭はその言葉を仏さまからのメッセージだと解釈し、よし楽器習いに行こう!とか盛り上がったんだった。
今があるのはそのおかげ。
やりたいことを見つけて、嫁さんとケーキなんか食ったりして、犬はいつもそばにくっついてて、
これでいいじゃない。
人からかっこいいと思われる人間では全然ないけど、もうこの歳になればそんなことで悩むとかなんとかでもない。
今日、はるか南の海で台風が発生したかのようにこれから襲ってくるストレス源の発生を確認し、体と頭は身構えもう変な状態だ。
だけど大丈夫。
私は大丈夫。
何も悪くない。これでいいの。
夢を形にしてますみたいなのが強く表現された外観だけど天気や周りの景色と合わせ写真あんまり絵にならず。
戸を開けると今は県内の方だけご案内していますという張り紙。
でも確かめるわけでもないのね。いろんな事情や考え、立場があるよね。

レビューによればケーキが名高くランチ時なんかは満員だったりするらしいけれど、私が行ったときは大学生風のカップルが一組だけ。
自分が学生のときカフェに行くなんて微塵も・・もうそんなのいいけど俺のあの頃彼らはまだ生まれてないわけか。
あのショーケースからのケーキは絵的に魅かれるチョコケーキの横にバスクチーズというのが目に入るとああそれも・・
だけど

シャインマスカットのショートケーキ。
今年ブドウ狩り行けなかったし。
飲み物プラス200円てなかなか素敵だよね。
見えるカップも何だかきれいで好き。
周りを囲ってるのはブドウソースじゃなくてはちみつだった。
なんかよくあっておいしかった。
シャインマスカットってそれ自体が果物を超えてお菓子と単体で張り合うような実力を持っちゃってるから・・ソロで食ってける人なのにオケに入るのか的な。
ソリストとして世界で食ってける級の技術や表現力を持ちながらでも自分はオケの中でやりたいという人もいるんだそうだ。
そんな話俺が知ったってしょうがないけど。

天井にサーフボード、壁に波の絵、ハイビスカスに星条旗・・BGMも含め店主はサーフィンやるだけじゃなくてなんかハワイ命な人なんでしょうね。
俺にはハワイとか海とかそんな明るく健康的な要素はみじんもないなとか、同じくハワイでもなさそうな学生カップルが相合傘で帰っていくのを見つつ俺の学生時代は・・と自虐を書こうとしてたけどなんか嫌だなそんなの。
流れてる音楽もウクレレと・・ハワイな音楽。
中学でクラシック音楽を知ったらたらそればっかりになっちゃて・・の先またクラシックも背が高い金持ちが聴いてると言えば素敵とか言うけど俺だと・・みたいなくだらないことを書こうとしてた。
誰が何だろうと好きなの聴けばいいだろうそんなの。
https://www.youtube.com/watch?v=VTd2aXLTA84
ブリテンに4つの海の間奏曲というのがあって多分結構有名。
中学生の頃テレビのクラシック番組で聴いてああいいなこれすぐにでもCD買おうと考えたのが昨日のようだとか毎回似たようなことばっかり考えてるけど当然持ってるだろうと思ったCDが今調べると一枚もないのか。いいけど。
それより今の学生くらいだともうCDなんか見たことがない人もいるんじゃないだろうか?
この4曲はピーター・グライムズというオペラの場面転換かなんかの音楽をまとめたものというのは知ってたけど、30年くらいたってやっとそのあらすじをどっかで読んでみた。
ベルクのヴォツェックも救いようのない内容に衝撃を受けつつどうも自分がそこにいるような気がしたけど、これもなかなか後味の悪い終わりようで。
なんで海の間奏曲なんだろう?なんて思ってたけどどうにも救われない主人公は漁師だった。
湘南生活とかいう本がたくさん置いてあったりいよいよそれ系だなこの場は。
ここも湘南みたいに戸を開けると国道があってその向こうはもう砂浜、海というみたいなイメージなのかもね。実際は海から遠くどちらかと言えば山の中の温泉街。天気も雨で・・
ケーキすごくおいしかった。店主に感じた若干とっつきにくい印象は多分間違えなんだろうなとちょっと思ったのと奥の方から聞こえてきたありがとうございましたーの声がなんだか温かい感じで好感をもって終わった。

すぐそばは駅。
昔国鉄と言えば固いところだったわけだけどあんな斜めストライプの塗装の車両が登場したときには斬新すぎてみんな衝撃を受けたと思う。
すぐに出てくる二番煎じ以降は消費され飽きられちゃったら忘れられ消えてゆくけど、最初にやったものは刻まれ残りって音楽みたいですね。
なんかあの車両ももうすぐ見られなくなるんだっけ?
とか書いてたら引退車両を撮影したい撮り鉄が電車を停めたり不法侵入とかいうニュースが流れた。テレビニュースが流した撮り鉄という言葉の蔑称的なニュアンスに刺激されて自分のコンプレックス自虐系ネタが頭の中でどんどん沸いてたけどそんなもん書くなと自分が言う。
在来線をゆっくり走るような特急列車に乗って、またどっか行ってみたいけど今はちょっとな・・
とこんなことを書いたとところで結局自分は何が言いたいんだろう?なんて思ってた
今日も自転車に乗って会社から帰ってきて、いつも通り楽器を練習。
ベストとはいえないまでも壊れ気味だったのも直せるな大丈夫だなと思ったところで

2年前の今頃奈良に行ったときの記憶がふっと頭の中によぎった。
その時私はこのままだらだら生きて終わってはいけない、なにかしなくちゃいけない・・楽器?とかいってたんだったか。
帰りの特急列車から降りてゆくおばさんが口にした
動けるうちに動いて、悔いのないように・・
という言葉が耳に焼き付いた。

その日とても古いお寺に行きしばらく意を置いたところだったので
私の頭はその言葉を仏さまからのメッセージだと解釈し、よし楽器習いに行こう!とか盛り上がったんだった。
今があるのはそのおかげ。
やりたいことを見つけて、嫁さんとケーキなんか食ったりして、犬はいつもそばにくっついてて、
これでいいじゃない。
人からかっこいいと思われる人間では全然ないけど、もうこの歳になればそんなことで悩むとかなんとかでもない。
今日、はるか南の海で台風が発生したかのようにこれから襲ってくるストレス源の発生を確認し、体と頭は身構えもう変な状態だ。
だけど大丈夫。
私は大丈夫。
何も悪くない。これでいいの。
考えたこともなかった遠くの
音楽を能動的に聴こうとすると自分に調子のいい悪いがあって、この日はなんだか知らないけれども調子がよく妙にさえてた。
なんとなく午前中のこの時間が特に・・とかあるんだけど犬と散歩も行かないとね。

あれ爆睡中。
同じく散歩をしている人のなかに90歳を超えてるような夫婦を何度か見かけたことがあった。
よろよろで進むのも精いっぱいだけどお互い支え合って、そこには笑顔もあったような気がする。
微笑ましいというかすごいあそこまでいける人は、実はあんまりいないと思う。
勝ち組ってああいうのだろう?
先日行くところもないからここへきて

もうずっと火の入らない古参の兵はだいぶ色褪せ錆も出てた。
生まれは1928年だそうだから御年92歳か。
ケーブルテレビのローカルな番組を見ていたら解体予定だったが見て喜ぶ人がいるのでそのままにしてあるとのこと。
鉄道そのものが廃止されてもおかしくないところ市民の要望を受け公的援助が行われているというところがちょっと感動的だ。
利用するわけでも何でもない見物人が機関車の復活とか屋根下に保存と考えるのは筋違いだろう。
昨日テレビに出てた芸術家の老夫婦がとても仲良く楽しそうにしているのを見て、どうしたらああなれるのかなというようなことを嫁さんが言った。
ぶっちゃけ、そこにあるのはゆるぎなく安定した経済的基盤だろうと思ったりするけれどそこでそんなこと答えてちゃだめだろう。
お金もそうだけどまず自分が元気でいられることだよね身も心も。
あの老機関車が元気に走り回っている姿を

見に来たことがある。
複数の工場にむけ張り巡らされた線路を頻繁に行き来して貨車を引っ張り出したり、突放といって玉突きみたいに貨車を押し離して貨車に乗った作業者が手ブレーキだけで任意の位置にとめてゆくみたいな職人芸的世界が面白く・・

押し出された貨車はポイントを左にわてってゆく。
あれ多分でっかい紙のロールみたいなのが入ってるんだと思うんですけどね。
すぐポイント切り替えて

機関車は直進して別な貨車を捕りに・・
小さな車体であっちこっち走り回ってる姿は古参の武士というより若くて元気いっぱいな牧場の牧羊犬というか・・
ぽっ!みたいなホイッスルもかわいく、健気であった。
しかし80過ぎまで現役で元気いっぱい走り回ってたんだね。
この機関車最初に投入されたところでは能力過多で持て余され、続いて入った大手では他の車両たちとの違いからあまり好んで使われず・・で次に来たここにちょうどぴったりな仕事が長くあったから最近まで。
長く生き残るって結構運だったりしますよね。大きな会社だとたまたま転属になった部門が他社に身売りしちゃって戻れないどころか潰されてしまいとか
職安いってどの会社と出会うかもたまたまその時募集ががかかってるかみたいなタイミングというかくじ引きというか運みたいなもんだもんね。

501というのは車両形式と製造番号だけど分かる人にはわかるあれは名鉄のフォント。それを剥がさずそのままにしといた人たちの心みたいなものをまた感じてみたりして。
窓の曲線が昭和3年て感じですよね。
復元とかじゃないリアルなものにレトロという言葉を充てるのは違うと思う。
奇跡が起きて、どこかで大事に保存されないかと思うのは勝手すぎか。
それで、嫁さんとテレビで見た芸術家・・本人は芸術家と呼ばれたいわけじゃないかもしれないけど私から見れば芸術家なその人は、才能にあふれた人だから今でも仕事があるらしいのと若いころに大成功しているせいでお金には困ら・・そんな話じゃなくて、自分の作ったもので誰かの心に何かが届く‥感動させる・・みたいなものを持ってる人は死なないよね。
芸術家と言わなくても仕事でも何でもいいんだろうけどそういうのもってるうちは・・
退職したら何もなくなっちゃうとか飽きたら終わっちゃうと死んじゃうからできれば自分のなかから湧いてくるようなもの・・
そこまでいかないにしろ、人と触れ合い付き合うっていうのが大事なんでしょう?
そのへんが壊滅的にダメな私はどうしようかと思っちゃうけど、なんかこう・・なんとか・・
https://www.youtube.com/watch?time_continue=579&v=3pzIE7rx7JY
この話、最初は自分が死ぬときは・・みたいな事を書こうとしてた。
だけど変なことを書いてるとほんとにそうなっちゃいそうだからやめる。
読む人もみんな苦労や不安をしょってるからそんなもん書いたって何言ってんだてめーみたいな話ですね。

機関士さんは結構若い人のようにも見えてたけど今どうしているのかな。
走る貨車に飛び乗ったり下りたりしていた作業員の人たちもどうなったんだろう?
10年くらい前に当たり前のように目の前でやってるのを見たけれど、すでにあの時点で世間的には労働安全なんだかに抵触して禁止みたいな仕事だったかもしれない。
でも見事にこなしてた。
真っ暗ではないけどあの塗装、多分ぶどう色1号という国鉄標準色でSLのすすによる汚れが目立たないみたいな理由で多用されてたわけですが渋くていい色ですね。
ぶどうってこんな色だっけ?と思いつつ。

奥にいるあの機関車も古く貴重な・・
40年くらい前に各地に保存された蒸気機関車が自治体の負担となって次々解体されているというニュースを見たのは数年前か。
税金で維持してるコンサートホールのパイプオルガンをどこかへ売り飛ばしたいというニュースも最近見た。
誰かにとって宝でも、そうでない人にはお金を無駄に消費する厄介者であったり・・やっぱりぶっちゃけお金か。
お金ないです。

彼が走り回っていた所はもうレールもはがされてしまっていて、あの機関車に火が入ることはもうないのかと思うとちょっと泣けてくる。
90になって嫁さんと笑って散歩をするなんて自分は到達しない他人事だと思いながら書いたけど、そうじゃなくてそこ目指そうかな。
正直経済的には将来真っ暗闇である。
健康面も自信がない。
年金や退職金なんてものはあてにできず死ぬまで働くようなイメージがいま漠然とあるけど冷静に考えればそんな都合よく行くとも思えない・・とか言ってもしょうがないのか。
いまは、いまをがんばろうか。
今日も楽器吹いた。
油断して壊れかけたアンブシャを丁寧に・・もどったかな?とかやってるともう忘れちゃってるけど首の角度・・あそうか・・喉しまっちゃうから・・
みたいな。
やりたいことと大事な人がいればすぐに死んじゃったりはしないんじゃないかと思ってる。
なんとなく午前中のこの時間が特に・・とかあるんだけど犬と散歩も行かないとね。

あれ爆睡中。
同じく散歩をしている人のなかに90歳を超えてるような夫婦を何度か見かけたことがあった。
よろよろで進むのも精いっぱいだけどお互い支え合って、そこには笑顔もあったような気がする。
微笑ましいというかすごいあそこまでいける人は、実はあんまりいないと思う。
勝ち組ってああいうのだろう?
先日行くところもないからここへきて

もうずっと火の入らない古参の兵はだいぶ色褪せ錆も出てた。
生まれは1928年だそうだから御年92歳か。
ケーブルテレビのローカルな番組を見ていたら解体予定だったが見て喜ぶ人がいるのでそのままにしてあるとのこと。
鉄道そのものが廃止されてもおかしくないところ市民の要望を受け公的援助が行われているというところがちょっと感動的だ。
利用するわけでも何でもない見物人が機関車の復活とか屋根下に保存と考えるのは筋違いだろう。
昨日テレビに出てた芸術家の老夫婦がとても仲良く楽しそうにしているのを見て、どうしたらああなれるのかなというようなことを嫁さんが言った。
ぶっちゃけ、そこにあるのはゆるぎなく安定した経済的基盤だろうと思ったりするけれどそこでそんなこと答えてちゃだめだろう。
お金もそうだけどまず自分が元気でいられることだよね身も心も。
あの老機関車が元気に走り回っている姿を

見に来たことがある。
複数の工場にむけ張り巡らされた線路を頻繁に行き来して貨車を引っ張り出したり、突放といって玉突きみたいに貨車を押し離して貨車に乗った作業者が手ブレーキだけで任意の位置にとめてゆくみたいな職人芸的世界が面白く・・

押し出された貨車はポイントを左にわてってゆく。
あれ多分でっかい紙のロールみたいなのが入ってるんだと思うんですけどね。
すぐポイント切り替えて

機関車は直進して別な貨車を捕りに・・
小さな車体であっちこっち走り回ってる姿は古参の武士というより若くて元気いっぱいな牧場の牧羊犬というか・・
ぽっ!みたいなホイッスルもかわいく、健気であった。
しかし80過ぎまで現役で元気いっぱい走り回ってたんだね。
この機関車最初に投入されたところでは能力過多で持て余され、続いて入った大手では他の車両たちとの違いからあまり好んで使われず・・で次に来たここにちょうどぴったりな仕事が長くあったから最近まで。
長く生き残るって結構運だったりしますよね。大きな会社だとたまたま転属になった部門が他社に身売りしちゃって戻れないどころか潰されてしまいとか
職安いってどの会社と出会うかもたまたまその時募集ががかかってるかみたいなタイミングというかくじ引きというか運みたいなもんだもんね。

501というのは車両形式と製造番号だけど分かる人にはわかるあれは名鉄のフォント。それを剥がさずそのままにしといた人たちの心みたいなものをまた感じてみたりして。
窓の曲線が昭和3年て感じですよね。
復元とかじゃないリアルなものにレトロという言葉を充てるのは違うと思う。
奇跡が起きて、どこかで大事に保存されないかと思うのは勝手すぎか。
それで、嫁さんとテレビで見た芸術家・・本人は芸術家と呼ばれたいわけじゃないかもしれないけど私から見れば芸術家なその人は、才能にあふれた人だから今でも仕事があるらしいのと若いころに大成功しているせいでお金には困ら・・そんな話じゃなくて、自分の作ったもので誰かの心に何かが届く‥感動させる・・みたいなものを持ってる人は死なないよね。
芸術家と言わなくても仕事でも何でもいいんだろうけどそういうのもってるうちは・・
退職したら何もなくなっちゃうとか飽きたら終わっちゃうと死んじゃうからできれば自分のなかから湧いてくるようなもの・・
そこまでいかないにしろ、人と触れ合い付き合うっていうのが大事なんでしょう?
そのへんが壊滅的にダメな私はどうしようかと思っちゃうけど、なんかこう・・なんとか・・
https://www.youtube.com/watch?time_continue=579&v=3pzIE7rx7JY
この話、最初は自分が死ぬときは・・みたいな事を書こうとしてた。
だけど変なことを書いてるとほんとにそうなっちゃいそうだからやめる。
読む人もみんな苦労や不安をしょってるからそんなもん書いたって何言ってんだてめーみたいな話ですね。

機関士さんは結構若い人のようにも見えてたけど今どうしているのかな。
走る貨車に飛び乗ったり下りたりしていた作業員の人たちもどうなったんだろう?
10年くらい前に当たり前のように目の前でやってるのを見たけれど、すでにあの時点で世間的には労働安全なんだかに抵触して禁止みたいな仕事だったかもしれない。
でも見事にこなしてた。
真っ暗ではないけどあの塗装、多分ぶどう色1号という国鉄標準色でSLのすすによる汚れが目立たないみたいな理由で多用されてたわけですが渋くていい色ですね。
ぶどうってこんな色だっけ?と思いつつ。

奥にいるあの機関車も古く貴重な・・
40年くらい前に各地に保存された蒸気機関車が自治体の負担となって次々解体されているというニュースを見たのは数年前か。
税金で維持してるコンサートホールのパイプオルガンをどこかへ売り飛ばしたいというニュースも最近見た。
誰かにとって宝でも、そうでない人にはお金を無駄に消費する厄介者であったり・・やっぱりぶっちゃけお金か。
お金ないです。

彼が走り回っていた所はもうレールもはがされてしまっていて、あの機関車に火が入ることはもうないのかと思うとちょっと泣けてくる。
90になって嫁さんと笑って散歩をするなんて自分は到達しない他人事だと思いながら書いたけど、そうじゃなくてそこ目指そうかな。
正直経済的には将来真っ暗闇である。
健康面も自信がない。
年金や退職金なんてものはあてにできず死ぬまで働くようなイメージがいま漠然とあるけど冷静に考えればそんな都合よく行くとも思えない・・とか言ってもしょうがないのか。
いまは、いまをがんばろうか。
今日も楽器吹いた。
油断して壊れかけたアンブシャを丁寧に・・もどったかな?とかやってるともう忘れちゃってるけど首の角度・・あそうか・・喉しまっちゃうから・・
みたいな。
やりたいことと大事な人がいればすぐに死んじゃったりはしないんじゃないかと思ってる。
何でも自分が悪いことにしなくていいの
少し前に偶然見つけた喫茶店に行ってみた。
カフェじゃなく喫茶店、喫煙可?まあいいか。
入って顔を合わせたマスターははじめ愛想がない人かと思っちゃったけど全然違って優しい人だった。
メニューを持ってくるのと同時に何がいい?と聞いてきたお母さんにはえーよと思ったけどそうじゃなくて、教えたくてしょうがないんだね・・

マスターがはい野菜たっぷりとか言いながら持ってきてくれたサラダ。
大根の上にはじゃこも。これだけで腹が満たされそうになる。
そこへ出てきた

これなんかすごいでしょ?
玉ねぎと焼き肉が積み重なって山になってんの。
でバルサミコ酢。
大容量なアイスコーヒーは本物な味。
これサービス、初物です・・とか言って出てきた里芋は地元で名の通った・・
食い始めたところでお母さんが芋の説明をしてくれる。
お母さん結構しゃべる・・

嫁さんの煮込みハンバーグも鍋みたいだ。
食べてる最中から芋の話に始まり、お母さんとマスターといろんな話をした。
昔の話や今の人間模様・・結構話して楽しかった。
気が付けば結構な時間がたっていて・・
おいしかったしとても楽しかったで終わってそのままブログ記事になるはずだったんだけどお母さんが突然・・
細かいことはいいけど、ある人種にありがちな他人の言動から読み取ったものがトリガとなり自分は間違ってた迷惑をかけたみたいな思考が異常暴走しちゃう奴がはじまっちゃった。
調子に乗って喋ってたけど、本当は迷惑だったのか・・時間過ぎちゃってるんだもんな。
ある程度のところで切り上げなくちゃいけなかったのに、俺はいつもそこを間違え・・
歳の倍違う人に向かって生意気なことを言っちまったかもしれない・・
こういうの他人には馬鹿にしか見えないだろうしいらだちを隠さずぶつけてくる人も多い。
当の本人も馬鹿だなと思ってる。
意識の表層ではそんなことはない思い違いだと考えが整理されているのに止まらない。
もう具体的に何があったかとは関係なく気持ちだけがどんどん暴走し・・
病気ね。
最近調子よかったはずなのになんでこうなっちゃったんだろう?
落ち着かないからとりあえず車で走る。

ある所へ行き、あるものを眺め考え・・とやっているうちに暴走精神は落ち着いてくれた。
困ったもんだねこの頭。
それ自体は大した問題じゃないけど、昔からずっとこんなことを繰り返して無駄に悪い方へシフトした自分や世界観で生きてきた結果がこれなんだろうなという後味の悪さみたいなのが残った。
この異常に他人の言動から中身を読もうとし病的に自分は責められてるとか自分は間違っているという考えを走らせるこ・・やめましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=3_-RSnw8sK4
はじめはこれとは別な暗い曲を貼って暗いことを書こうとしていた。
時間がたち落ち着いてくればやめようと思うし私は病気じゃない。
ちょっと蚊に刺されたようなもんだろう。死にはしない。
たまたま聴いたアルバムに入ってたそんなことどうだっていいのよみたいなこの曲に差し替えたくなった。
確かこの人は虫に刺されたところが化膿してとかで亡くなってしまったんだったと思う。

家に帰った時間は遅くもう音出しできる時間もないけどちょっとだけ楽器を吹く。
・・よかった、調子がいい。
ここでまた変な風になってるとどうなっちゃうかわかんないから。
楽器も最近急にいろいろ見えてきたところがあって、鳴らないダメリードをちょっとでも吹いちゃうと力が入り体は余計息の出ない方向へ動くのね。それを受けてさらに頑張ろうとするから力が余計入り・・一種のパニック的な暴走だろう。
気づいてリードを変えてももう体の締まっちゃってるのは戻らないから爆鳴リードも鳴らなかったりする。
あれ?このリードでも鳴らない?おれはどっかまちがっちゃってるんだろう?と取り返そうとしたりするから全部壊れてめちゃくちゃになっちゃう。
もうちょっとでもおかしいと思ったら全部やめて一切触っちゃいけないみたい。
考えるのもやめる。
明日。
楽に結果の出る道具を使えばできるのは当たり前だ。そんなのは甘え・・という武士道みたいな考えが根底にあったりするけどそれは間違えだった。
そして思うのはそれは楽器だけじゃないということ。
大げさみたいですけどね、
楽器やってると自分の人生まで見直すような発見がある気がするのね。
何にもできずな自分で46になっちゃいましたけどね。
死ぬまでに少しでも一つでも勉強したいと思います。
カフェじゃなく喫茶店、喫煙可?まあいいか。
入って顔を合わせたマスターははじめ愛想がない人かと思っちゃったけど全然違って優しい人だった。
メニューを持ってくるのと同時に何がいい?と聞いてきたお母さんにはえーよと思ったけどそうじゃなくて、教えたくてしょうがないんだね・・

マスターがはい野菜たっぷりとか言いながら持ってきてくれたサラダ。
大根の上にはじゃこも。これだけで腹が満たされそうになる。
そこへ出てきた

これなんかすごいでしょ?
玉ねぎと焼き肉が積み重なって山になってんの。
でバルサミコ酢。
大容量なアイスコーヒーは本物な味。
これサービス、初物です・・とか言って出てきた里芋は地元で名の通った・・
食い始めたところでお母さんが芋の説明をしてくれる。
お母さん結構しゃべる・・

嫁さんの煮込みハンバーグも鍋みたいだ。
食べてる最中から芋の話に始まり、お母さんとマスターといろんな話をした。
昔の話や今の人間模様・・結構話して楽しかった。
気が付けば結構な時間がたっていて・・
おいしかったしとても楽しかったで終わってそのままブログ記事になるはずだったんだけどお母さんが突然・・
細かいことはいいけど、ある人種にありがちな他人の言動から読み取ったものがトリガとなり自分は間違ってた迷惑をかけたみたいな思考が異常暴走しちゃう奴がはじまっちゃった。
調子に乗って喋ってたけど、本当は迷惑だったのか・・時間過ぎちゃってるんだもんな。
ある程度のところで切り上げなくちゃいけなかったのに、俺はいつもそこを間違え・・
歳の倍違う人に向かって生意気なことを言っちまったかもしれない・・
こういうの他人には馬鹿にしか見えないだろうしいらだちを隠さずぶつけてくる人も多い。
当の本人も馬鹿だなと思ってる。
意識の表層ではそんなことはない思い違いだと考えが整理されているのに止まらない。
もう具体的に何があったかとは関係なく気持ちだけがどんどん暴走し・・
病気ね。
最近調子よかったはずなのになんでこうなっちゃったんだろう?
落ち着かないからとりあえず車で走る。

ある所へ行き、あるものを眺め考え・・とやっているうちに暴走精神は落ち着いてくれた。
困ったもんだねこの頭。
それ自体は大した問題じゃないけど、昔からずっとこんなことを繰り返して無駄に悪い方へシフトした自分や世界観で生きてきた結果がこれなんだろうなという後味の悪さみたいなのが残った。
この異常に他人の言動から中身を読もうとし病的に自分は責められてるとか自分は間違っているという考えを走らせるこ・・やめましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=3_-RSnw8sK4
はじめはこれとは別な暗い曲を貼って暗いことを書こうとしていた。
時間がたち落ち着いてくればやめようと思うし私は病気じゃない。
ちょっと蚊に刺されたようなもんだろう。死にはしない。
たまたま聴いたアルバムに入ってたそんなことどうだっていいのよみたいなこの曲に差し替えたくなった。
確かこの人は虫に刺されたところが化膿してとかで亡くなってしまったんだったと思う。

家に帰った時間は遅くもう音出しできる時間もないけどちょっとだけ楽器を吹く。
・・よかった、調子がいい。
ここでまた変な風になってるとどうなっちゃうかわかんないから。
楽器も最近急にいろいろ見えてきたところがあって、鳴らないダメリードをちょっとでも吹いちゃうと力が入り体は余計息の出ない方向へ動くのね。それを受けてさらに頑張ろうとするから力が余計入り・・一種のパニック的な暴走だろう。
気づいてリードを変えてももう体の締まっちゃってるのは戻らないから爆鳴リードも鳴らなかったりする。
あれ?このリードでも鳴らない?おれはどっかまちがっちゃってるんだろう?と取り返そうとしたりするから全部壊れてめちゃくちゃになっちゃう。
もうちょっとでもおかしいと思ったら全部やめて一切触っちゃいけないみたい。
考えるのもやめる。
明日。
楽に結果の出る道具を使えばできるのは当たり前だ。そんなのは甘え・・という武士道みたいな考えが根底にあったりするけどそれは間違えだった。
そして思うのはそれは楽器だけじゃないということ。
大げさみたいですけどね、
楽器やってると自分の人生まで見直すような発見がある気がするのね。
何にもできずな自分で46になっちゃいましたけどね。
死ぬまでに少しでも一つでも勉強したいと思います。
いてもいいところ

ここへ来るのは久しぶり。
何度か来てみたけど休みだったり今日はもう閉めると張り紙があったり。
最近は県境超えはNGとか。
ふと行ってみようと思わせたのは青空とやさしい日の光か。
出てきたお客さんがこんにちわーとあかるく声をかけてくれる辺りでどんな店かわかるというか。

入るとマスターがどうぞと手で奥の席を指してくれる。あの時と一緒。
音楽のことだけ書いてたこのブログにカフェとか言い出した最初の話がこのお店じゃなかったかな?自分で書いた自分のブログなのにさがしても見つけられなかったけど。
次はこの窓枠の中にある絵が冷たい雨の中に沈むのを見に来たいなんて思ったんだった。
今日は晴れてるけど。

木を生かしてどころじゃない、あのグネグネが面白いでしょう?
小っちゃくて見えないけど太い柱にかかった3枚の札は本日のケーキ。
前回気づかなくてメニューはありますかなんて言ったら奥さん?があそこにあるでしょなにいってんの?みたいな表情で指さしたとかそういうの忘れないね。
判ってるよ悪気もないだろうし悪い人じゃない。
前来た時はチーズケーキだったかな、嫁さんが迷わずシフォンケーキと言うので自分も乗っかる。
頼んでみると今日はリンゴのシフォンケーキですがいいですか?

リンゴが入って焼いてるのかと思ったけど添えられたジャムがりんご?
おいしかったよ。
またおっさんなのにウインナコーヒーとか頼んじゃって。コーヒーにこだわりのある店みたいなメニューの印象からするとのっかったあのカラースプレーが意外というか、そんなに堅い話じゃなくていいからというメッセージのような。
別な店ではマスターがコーヒーの魅力について0から色々教えてくれた。
ちょっとなんか飲ませてくれながら。
深くて幅広く細かいこの楽しみをみんなに知ってもらいたいという熱意みたいなのが伝わって感動的だった。
なんとなく感覚的外面的にどうこうという話じゃなく、細かいことを論理的に積み重ねてみたいな工学的側面を持っているところが音楽と似てるなと思ったり。
けど、次行くからにはそれに答えられる自分じゃいけないような気がしてその後行けなくなっちゃったよその店。
ものすごく控えめな音量聴いてもいなかったBGMのピアノがふと耳に入る。
クラシックじゃないけど知らないわけでもない。昔、弾いた。
弾いたの意味も色々で、ピアノって鍵盤をたたけばとりあえず鳴っちゃうから弾けたつもりなだけで実際は・・いいから。
今それ聴きたくないよと思ったら静かに耳から離れてくれた。
代わりに何かピアノ…と思ったらあたあの中でこれが鳴ったから。
https://www.youtube.com/watch?v=hlzF_jLZOL4
これを別れのワルツと呼ぶのは知ってたけどその経緯はずっと知らなかった。
有名なジョルジュ・サンドのほうはあんまり興味がないけどこっちの話は忘れられない。
おそらく作者自身もそうだったんじゃないかと勝手に思うんだけど。

窓の外を見たらテラス席があった。
木の枝が貫通しちゃってらとか思って写真を撮ってたらマスターがでてきて
あの扉から外へ出られますよ
写真撮ってる音が聞こえて、店に興味を持ってることが伝わったのかな

マスターこのお店を楽しんでもらいたいんだなというのが伝わったけどいきなりすぎて答えが浮かばず、あーなんて言いながらそのまま外に出・・あれドア開かねー?え?おいあけや‥あ開いた
夏はいいでしょうねきっと。

もうちょっと肌寒いけど。
戻ったらマスターもういなかったけど嫁さんがいろいろ聴いたらしく私に伝えてくる。
いま、一日の中でもわずかしかない日の光が一番いい状態で入るスーパー時間らしい。
そしてそれが一番よく見えるスーパー席はここで・・
すわるとマスターと対面になる。
ああ・・何にも言わなくてもこちらが感じ取ったことってのは伝わるもんでしょう?
写真撮っていいですか?と聞いて

だけど写真には光の魔法みたいなのは写ってなかった。
あっ!とか思ってスマホの電源入れてる間にみんな終わちゃったというのはよくあることだけど。
でもここに座ったおかげでマスターと少し話ができた。
あのグネグネ木はどこから来たのか・・
秋になれば、あの山は赤くなり・・
色んな季節の、いろんな時間の今しかないこの店の表情を楽しんでもらいたいと心底思ってるんだなぁ・・
勝手に考えてた
このお店、雨の日も素敵だと思うんです・・なんていってみると
そう、霧がね・・
そんな会話ができて何だか

満たされたような気持で家へ帰った。
どうも私は昔からの病的疎外感を根に持っているらしく、自分はここにいてよかったんだと確信できると満たされるみたい。
ふと、あそこ行きたいなという店が自分にもあるというのがなんだか嬉しい。
消したい思い出と最初から消えてた思い出

犬のあのピンクを新調した。
最近は年寄りぶって今日は歩けなーいとか言うけど騙されちゃいけない。
スイッチが入れば走り回ったりするんだから。そういうの見るとちょっとうれしい。
この日雨の予報だったのにいい感じの秋の青空。
どっかでかけないともったいないな。
有効期限の迫ったプレミアム商品券消化のため近いのに行ったことがなかったレストランに・・おいしいと言うレビューの間に接客態度で気分が悪いという話が一つや二つじゃないのが気になってたけど。
行ってみると店の入り口に立ってる人、戸を開けるとちっちゃいとこで窮屈に待ってる人多数・・ほかいこ。

ほんとにすぐそばで。
文化センターみたいなのに小さなレストランが入ってというのは定型フォーマットみたいなもんなんでしょうね。
お店は初めてだけどここ自体はほんの数年前に何度も来てた。
だけどみっともなく終わってしまったそれは黒歴史となってここも近寄りたくな・・こういうの傍目には馬鹿じゃない?くらいなもんでしょう。
もう、いいだろう。
毎週のように見かけつつ一度も入ったことのなかった店の入口を入ると
隅の方に間仕切りがあってその向こうに段ボールが積んであったりする感じとかいかにもこういうとこって感じね。

窓というか富士山を眺めながら食べられる席もあったけど雲に隠れてるし毎日見てるもんだし嫁さんの意向でこの席。
なんか固いデザインで病院か事務所みたいだけどでも明るくていいじゃない。
具体的に見覚えのある窓の外の景色にいろんなことを思い出しそうになるけどとめる。都合のいい美談みたいなのが出てきかけてるのがわかる解るけど勘違いだし自分を腐らせるから絶対駄目だよそんなの。
しかし消してしまいたい記憶も今へつながる大事な布石なのかもしれない。お前一回実際にダメな事を体験しといたほうがその先間違いがないだろと誰かが導いてくれたのかなと思ってみたり。
ここの多目的ホールは昔から自主公演で有名な歌手が来たり結構いろいろやってるようだ。クラシックもあるのかもしれないけど私は10年以上前に一度行ったきり。なんでかとかはいま書いたら余計だろう。
市内の中学校の吹奏楽部とかもここへきてなんかやったりするのかもしれない。
私の時はこんなものはなくて、高度経済成長期の前に建てられた小さな公会堂というか市民会館だったかな。
すごく狭いところに詰め込まれという印象で記憶されたそこでの演奏が最後となり引退というのをなんとなく覚えてる。
下級生たちとティンパニとかバスドラなんかを片付けている間に3年生全員がどこかで最後の記念撮影をしていたのを終わってから知った。憤慨しかけ、まあ俺らしいかなと思ったような。
卒業アルバムの部活かなんかのところに私は存在しないはず。
もうどっか行っちゃったアルバムに誰も気づいてないけど実は自分は載ってないという事実が私の中で忘れられない思い出。
なに思い出してもくだらねーなしかし。
とはいえあの頃は変な病的卑屈にはなってなかったし、なんだか楽しかったような印象もあるか。もう頭の中クラシック音楽で埋め尽くされていて、ブラ4は中2くらいから毎晩聴いてた。
https://www.youtube.com/watch?v=yDSJ5nYkUnM
ブラームスは交響曲第3番の最後で自分の人生を悟り受け入れたことを告白していると私は思ってる。
その先、人生の冬を見た者によって書かれた交響曲第4番は浮かれた気分でニコニコ聴くような曲じゃない。
だけど私は人生なんて訳も分かんない13歳ごろにこの曲にはまって、いい曲だなんて思ったりしていた。
あれから33年たって当時わからなかったことを感じるようにもなったけれど、この曲に対してあの頃感じ考えたことは今でも変わらない。
大好きな曲だから何度か生で聴きに行った。
ブラームスの交響曲第1番はどんなに優れた再生環境を持っていたとしても、生で今目の前に生まれる歌や爆発に遭遇すべき現場で体感したほうがいい曲だと思う。他のどんな曲も基本的にはそうだけど。
ブラームスの4番は、一人部屋に閉じこもって聴いていてもいい曲のような気もする。
ほんとは、この日近辺で聴いた別な曲を貼ったんだけど偶然なのかいらん思い出を引っ張り出して絡めるような内容になっちゃうのでやめた。
その曲が教えてくれるのは光を失ったなんて言ってると命もどんどん散ってなくなっちゃうよ。いいからはやく別な新しいものを探せよみたいなこと。
考えてみればブラームスも他じゃダメだった人だ。
女性好みな野菜中心的なメニューがいくつか
限定のなんとかは終わってるそうなので頼んでみた彩プレートというのを頼んでみる。なんか知らないけどいろいろ入ってそうだし。

あの鶏のから揚げに見えるものは大豆のなんとかなので精進料理かと思ったけど小魚がいるしパプリカの横にウズラの卵があるか・・でもそれ風で。
大豆のなんとかから揚げはしょうゆとショウガを効かせ竜田揚げみたいな味付けになっていて不自然さは全くないし満足感もあっておいしい。これができるなら肉なんかいらないんじゃないの?くらいの。
なんか、お浸しとか美味しかったなぁ・・こういうもんがいいなと思うような歳になってきたのか。
そのうち、肉はあんまり・・とかいう日が俺にも来るのかな?
BGMとして地元のFMが流れてた。
別な超絶おしゃれカフェではちっちゃなラジオからいい感じでこれが流れていて、ああいい時間と空間だなぁなんて思った。
同じ局なのに低音を不自然にブーストした音が馬鹿でっかい音量で流れてるとなんとか流通センターのたたき売り八百屋みたいな雰囲気になるのね。
それを嫌だとか悪いとか言おうとも思わない。いろんな人がいていろんな好みがあると思う。

冬みたいな柔らかい日差しと、のどかな景色がいいじゃない。
サクラって9月に入るとカレンダー見てんのか的に葉を落とし始め4月まで半年寝てるのね。なんて言ったらサクラは怒るかな。
気分も日差しみたいに柔らかくなってきた。
ごはんって、気取った店の高いやつとかじゃなくても幸せになれるのね。
一人で食べに来る人がいてみんな結構遅い時間。
ランチ時間の終わりが見えると早くしろとかもう来るな光線を店員が照射する店もあるけれど、ここはとっくに時間過ぎてるのにみんなゆっくり食ってた。
なんとなくいい気分で店を出る。
あえて、写真をあんまり撮らなかった。
場所から私が誰だか特定されると・・みたいな意識が裏にあったと思うけど実際こんなブログを見てそんなことをする人はいないいだろう。
まだ、頭は過去に縛られおかしいままだと思う。
まいいやちょっとドライブしようか・・どっかカフェにでも
ばれてた

まだ終わらないよとばかりに・・
あんまり意識をしていなかったけど、休日の朝目覚めるとまだ何にもないのにものすごく悲観的な日があると思えば翌日は妙に強気だったり強いバイアスのかかった気分に包まれちゃっているのは、どうも目覚める前に日の光が当たってるか雨音を聴いてるかとかそんなとこなんじゃないかという気が今してきた。
俺は植物か。
考えてみると子供のころから頭いかれちゃった高校時代まで朝日なんか絶対に当たらない暗い部屋で寝てた。
平日だけど仕事が休みだったこの日は晴れてはいないけど雨でもなく特に記憶がないから気分はニュートラルだったのか。
夜には楽器のレッスン。ボーとしてるとまた無駄に緊張してきたりしていけないし、いくつかあった用事をこなすことにする。
午前中は犬を病気じゃないけど定期的に通う病院に連れて行き・・

昼飯、用があるとか言って嫁さんの行きたがらない店に密かに行くことも考えたたけれど内緒じゃなくて正直に言ってみるとたまには一人で好きな所へ行っていいよ前はよく行ってたでしょ?
内緒で一人奈良とか大阪とかに行ってたのは多分全部ばれてる。
山越えをして一時間かもっとか、一度行ってまた来たいと思っていたこのお店はキッチンカーでイベントに参加する方に萌えてるらしくしょっちゅう休業していて前回来たときも休みだった。
電話が何度もなってたけどみんな行ったらやってなかったの経験者なのかもな。
メニューは一択で量を選ぶだけ。

前回うまかったのとちょっと足りないくらいだったので今度絶対に300gってのを食うんだとずっと思ってた。
150gが二つ出てくるのね。
生で食べても安全なお肉を・・とか説明を聞いている間鉄板を触ってしまいあっ!・・
大丈夫ですか?とか言われたら笑ってぼけようと思ったけどお店の人は瞬時に判断して何も見なかったことにしてくれた。
ハンバーグと言ってるけれど、

ひき肉ではない切り身みたいな肉がほとんど生で入って出てくる。
スパイスの効いたレアなのから始まって焼肉とステーキとハンバーグの要素を同時に楽しめるような・・食ってる間に全体に火が入ってゆくから味も変わってゆく。
300gって多いと思うけれどあっという間におわちゃった。
ご飯お替り自由ですよと言ってくれたけど炭水化物多量接種禁止令が出ているので控える。
おいしかったよ。

アイスコーヒーもよくあるちっちゃいコップにほとんど氷とかじゃなく・・
またかかってきた電話にやってるけど出来が埋まってるしもうすぐラストオーダーの時間だからというようなことを言ってた気がする。
土日はイベントへ行っちゃうから来てもやってなかったんじゃなかったかな。そういう意味で幻の店だなここは。
食いたかったものを食えて満足。
このあともう一つ大事な用を済ませてから自分の病院へ。
先ほど300gのハンバーグを食ってきばかりだけど、先生からの食事に気を付けていますか?という定型的な質問にはいと答える。
たぶん、こういうのもみんなばれているんだろう。
そのあとネットで注文してあったリードとケースをコンビニで受け取ってとやってたらもう夕方。
音階を一回だけ・・・あれ?ダメリードだこれ。
すぐ別なリードに替えるとまっとうに鳴る。
これだな・・これだったんだなぁ・・
回覧板を次の家へ置きに行き、レッスンに向かった。
https://www.youtube.com/watch?v=vWuZPaL-57A
確か初めてレッスンに行く時だったか楽器を買った日だったかエグモント序曲を貼ってここになんか書いた気がする。
ゲーテの戯曲に興味はないけど、英雄的な正義の味方みたいなのがモヤモヤネガティブを打ち負かし圧倒的大勝利な話らしいことを序曲が教えてくれる。
ずっとなんにもできずにいた自分はこれから明るい未来へ向かってつつき進むのだ・・実際、始まってみればヘロヘロで曲にもならないような。でもまだ終わらないで続いてるよ。
中学生でクラシックを知ったばかりの頃、テープにこれをダビングしてくれた人がいて結構聞いたような。
音楽に興味をもって中学で吹奏楽部に入り学生オケを経て社会人になってからはみたいな人は結構いると思う。ネットでなんか調べるとみかける「この楽器を吹いて30年のおばさんですが・・」とか、ああ同い年の人はもうそんな感じか・・金管だと引退考えたりしだすころかななんてちょっと思ったり。
で、自分はまだ始まってんだか始まってないんだかみたいな状態って何なのこれ?
なんて思わない。
小学校の鼓笛隊が音楽をやってるのが聴こえてきたり、unagiさん趣味は何ですか?なんかやってないの?なんてきかれ心の中で耳をふさいでるような糞変人だった私から見れば、ダメでも何でもやろうとしている自分はスーパーうらやましい人かもな考えてみれば。
よくここまで来てくれました。
余計な話だけど私の場合あんまりネットでなんか見ちゃうのはデメリットの方が多く危険。いろんなひとがいるから。

急遽引退するリードと、これから大量に養生する新しいリード。
急にリードのいい悪いが分かるようになった。
10本入りの箱の中で使えるのは1本、よくて2本なんて書いてあるのを見かけるけど・・
そうかもなと思うけれど高いうえに使えるものの寿命も短いわけでじょれから・・まいいか。
レッスンのことはもう書いちゃったのであれだけど、非常に明るく終わったので久しぶりに非常に充実したというか
生きてることを祝福されたような休みになった。
突然びっくりするほど明るくなる。

長雨の後、見慣れた景色がやけにきれいに見えた日。
ある人からもらって捨てられずにいた本を捨てた。
捨てれば何かが変わるかと言えばなんにも変わりは・・
というような話を書いてる途中で楽器のレッスンに行ってきた。
どんな内容であろうとこの次かその次でレッスンの話は書こうと思ってたけど頭の中がレッスンであったことでいっぱいになっちゃったのでここに
音出しと見せかけ練習して得たものを見てもらうべく吹いてみると
うん、いいですよから始まって最終的には
かなり練習したでしょう?今回は
そろそろ本格的なエチュードをやっても・・次回持ってきましょうか。
超絶微速で進めばいいやスタンスでやってるところ急にワープしたみたいな話で何だこりゃ的に沸き立つ。
そうなったのはなんとなくの偶然じゃなく実際ほんとに練習していろいろつかめてきたこと、リードのいい悪いが急に分かるようになりダメリードで自分を壊すことをやめられたこと、削って調整していたら偶然生まれた超絶高性能リードで勝負に出たこと・・
もうひとつ、前回先生にマウスピースが一ついかれちゃったんですがと言ってみたところ、いろんなマウスピースをもってきてくれて合うものがあるか吹いてみてくださいという事でやってみる。
ほんのちょっとの差なんだろうけど感覚的にはものすごく吹きやすく・・勘違いでもなんでもよしいける!と思えればほんとに行けちゃうから・・いやこれ勘違いじゃないだろう。
すごく楽に息が入ると今まで苦しかったり難儀してたりとかそんなの嘘みたいに消えて音楽のことを考えながら吹けるのね。
いい音が鳴ってますよという先生が嬉しそうなのが自分も嬉しい。
どうやってもどうにもならず自分のどこがおかしいのかわからなかった音程が高くなっちゃう件についても、
音程も完璧です。
どうしちゃったのこれ?
仕掛けでこんなに変わるのならもっと早く知りたかったは考えるの禁止。
https://www.youtube.com/watch?v=y1hiChMn5e0
幸せいっぱい という曲。
シューマンの子供の情景は何曲かが変奏曲ではないけどそれ的に連なることで一つの作品をなしていて、これだけ抜き出して聴くもんじゃないんだけど。
じっくり吹いて自分に合ったものを選んでくださいとマウスピースをいくつか貸していただけた。
大事さに急に気づいて注文してあったリードと養生用のケースも届いた。
この先の夢なんかもうどっかいっちゃってて今やめずにがんばれるかどうかが勝負みたいな世界だったけどまたこの先やりたいことなりたい自分がちょっと頭によぎったりして。
あんまり調子に乗るとまた落っこちるけどね。
今日くらいはいいじゃない。

あの見えてる景色の中に中学高校のころ見たりいたりしたいろんな場所が・・
楽しく明るく思い出せるものは一つもない。
はちょっと言い過ぎか。
真っ黒く塗りつぶされ異臭を放つ記憶・・もういいか。
それよりいまも読めばすぐわかるようものなのに楽器名じゃなく楽器のレッスンなんてかいたりしてるでしょ?
素直に楽器の名前を書くというそれだけのことが出来ないという病気みたいな頭が素直な頭になるところを目指す。
そんなに遠くないんじゃないかと思えると少し気分が明るい。
この気持ちをどうしても記録しときたいと思って書きかけの記事に乱入。
一晩明けるとまたいろんなことを考えるようになる。
だけどさっき借りたマウスピースと複数のリードを吹いてみた結果、
押さえる所を押さえれば急に来たこの行けるかも感は幻に終わらないはずだと思えた。

この日強い日差しがすごくあたると暑かった。
あの木陰、

嫁さんが来ないと思ったらずっとあそこにいたようだ。
風が吹き抜けるてとても気持ちがいいのねここ。
向こうに見える

あの景色を・・眺めて・・
風が富士山にあたって雲を作り
出来たくもが海の上まで流れて・・
ものすごくゆっくりだから止まってるように見えるけど。
ここに家を建てて、でっかい窓から一日ぼーっと眺めていられたら・・
家はなんでか外の景色を眺めるような窓がない。
そんな窓があって、外の景色を毎日眺めていたら違う人生があったかななんて訳の分かんないことを思うことがある。

家に帰って、嫁さんがスーパーで買ってきた大福を食った。
食いながら窓を開けてみると、壮大な景色は見えないけど山の稜線と青空くらいは見えた。
最初の写真に写っているあの山は物心ついたころから毎日見ており、小さな自分の知っている世界の西の端に立ちはだかる大きな壁だった。
10代後半で廃人みたいになりかけつつなんとか学校は出て、入った会社では洗脳状態のようになって夜逃げをし・・のあとここへ戻ってきた時あの山にどうしても登ってみたくなりいろんなルートから何度か登ってみた。
山の向こうに寝てると思ってた星はいなかったし、人生観を変えるような発見も体験もなかったのはさみしいけど当たり前か、あんな低い山だけど鎖場や薄皮一枚のような絶壁の上を歩く場所を見たのは衝撃的であった。
毎年死人が出ていたようだし今そこは立ち入り禁止とされたらしい。
考えは気分に支配されているけれどそれも諸刃の上を歩くというか何もないのにどちらかへ大きく傾き落ちてしまったりする。
あんなに寒かった日の翌日がこの明るく晴れて暑かった日なのだけど、ここを書いている今また外は冷たい雨でとても寒い。
明るいときにその勢いで書き留めたものを忘れても消えないようここにそのまま残しておこうと思う。
虹とゆっくり登ってく
外は激しい雨で肌寒い。
楽器を練習していてふと振り向くと

しわくちゃの中からしわくちゃ顔がこっちを見てた。
写真を撮ろうとスマホを向けると必ずそっぽを向く。
長雨でネタもないからここへ昔の写真を何枚か貼ってみれば、待ってましたとばかりに自分の頭はおかしいですみたいなのがうわっと吐き出されそうに・・
休み明けの晴れた朝、膝の不調でずっと控えていた自転車通勤をしてみた。
乗ってみると自転車って膝関節に負担をかけずに力を伝えられるものなのね。明るい風がなんだか気持ちがよかった。

帰りは全行程登り。久しぶりだから息が上がったりするかと思ったけれどそれもなく、ギアを落としてゆっくり登ってく。
家のそばで散歩に出ようという犬と遭遇。一緒に行こーっていうから犬と走って・・
そんなことやってると書いてあった公開できないような話をなんとかして人に見せられるよう書き換えられないかとか思い始める。

10年前のちょうど今頃、帯広で豚丼食ってた。
ものすごく有名で行列が出来たり観光客があったあった!と大声で騒いでるのが聴こえる店。
このとき時期と時間がよかったのか奇跡的に食べ終わるまでずっと私一人。普通の人が普通に一生懸命やっている小さく素朴な店で意外な印象。豚丼は私の好みと合わなかったけどあそこに行ったという思いでが残った。

次の日、とある山間の無人駅にいた。
小さな待合小屋に入ると目の前には電気ストーブ。
寒かったのに私はそれを自分が使ってはいけないものだと思い電源を入れずに我慢した。今思えば無駄に自分からダメな人であろうとするここに私の問題が表れてると思う。
耐え切れずスイッチを入れるとすぐ暖かくなって救われつつ知らない誰かに向かって罪悪感を感じたりして。
雨の中楽器を練習してるとき、全然できないというか意味が分からなかったことが急にできそうになりかけている感じがあってちょっと気持ちが明るかった。
気が付くと、練習曲を吹いてて半年前には難儀というか全然できなくて困ってたことがさらっとできてたりもするのね。
もう何が難しかったのかわかんなかったりして。
こういうの、素直に書けばいいのにこの一文を書くのに3日かかった。
お前が言うなみたいな声が聞こえるというか聴こえやしないんだけど勝手に自分でそう思ってるというか。
いまもここに、でも結局勘違いで全然できてないとかレッスンに行けばまたコテンパンになるのはわかってますとかそういうネガティブ下降文をどうしても書こうとしてしまう。そう思ってるからそうなるんであって。
でも、自分は微速ながらに前に進んでるんだといいきかせ、みえないどこかを目指しますよ。
果てしない坂を登ってくというか。

なんかサハリンみたいですね。行ったことないけど。
超絶ヒグマ地帯。
この線路は昭和に入ってから開通の新ルートで今は大出力の列車がゴーッとか結構なスピードで登ってゆく。
ずっと奥の方を通過していた旧ルートが開かれた明治時代はその工事自体が命懸けだっただろうしかなり悲惨な話もあっただろう。難所として知られ蒸気機関車牽引の列車がゆっくりゆっくりあえぐように登っていった・・という話と写真しか知らないけれど、乗ってみたかった。
この写真実際は坂を下ってるとこだけど。
今ここまた別な日。
楽器始めたころから先生に変なリードを吹くとどんどん下手になるからすぐに捨てろ!と言われてきた。
2年くらいたって今やっとその意味を実感的に感じ取れたかもしれない。
ダメリードでどんどん駄目になっていくことがこれからいくらかでも減らせれば・・
これもまだ勘違いかな?

列車の中から虹が見えた。
訳が分かんなくてそれどころじゃなかったものが少しずつ見えてくる。子供のころでも学生時代でも若いころでもいいから、一般人の100分の一の速度でしか進まなくてもいいからという体で何かやってこれたら人生違っていたかなぁ・・
過去形で考えると人生全否定が始まっちゃうから駄目よ。
最近読んだプロ演奏家かプロ教える人か本を書いたりしている人の指摘を読んでかなり楽になった。
それを自分で書いちゃうと逃げ口上みたいだから書かないけど、絶対あきらめず死ぬまでやればいいと今思う。
https://www.youtube.com/watch?v=YfprcvuHoG8
空気も天気ももやもやしていていけねーとか言いながらドンナーが雲をかき集め雷を落とすともやもや天気は消えてしまい、フローが虹の橋を架けると神々が渡ってゆく・・

チェロとホルンが虹のアーチをかける。
橋を架けたフローが神々に向かって
この橋は皆様を乗せるのに十分な強度を有しておりますからどうぞ安心くださいというようなことを言ってるのが今風みたいでちょっと面白い。
上演に4日間かかるこの物語は複雑でいろんな見方ができると思うけれど全体的にはどうしようもなく救いようのない暗い話でもあると思う。そしてそれは何度でも繰り返される。
とはいえ初日のラインの黄金はどこかコミカルな感じもあって・・そのラストとなるここでは神々が肩を揺らしガニマタで行進していくような超絶めでたい感じで終わる。
実際中身があってその自信に満ち溢れた人、病的に空虚な自信を振りかざす人、客観的にそれが正しいかはまた別だけど本人的には自信に満ち溢れている間は幸せなんだと思う。
反対に劣等感と自己嫌悪感だけに包まれて生きていると意外にもトラブルを避け長く生き延びられる可能性もあるのは事実なんだけど、その最後に自分自身を振り返り無駄な間違いだと思ってみじめに終わるようなことになりかねないと思う。
小さくてもいいから、具体的事実に基づく俺にはこれがあるという物を・・ひとつくらい・・
この録音の最後、壮大な感じをどうしても出したい録音プロデューサーが休憩とかなんとか言ってオケの人間に酒を一杯飲ませて録りなおしたところ巨大な音楽を録ることに成功したと本に書いてた。
聞いててそれが伝わってくるような気もする。

虹の日、これは駅ビルのコンコースにぽっとあった感じの店。もうここでいいよみたいな。
だけど私にはこれがおいしかった。
ちょっとコショウが強めなんだったかな。
おいしかったんなら、それでいいじゃない。
そうかいいのか。
それじゃよかった。
楽器を練習していてふと振り向くと

しわくちゃの中からしわくちゃ顔がこっちを見てた。
写真を撮ろうとスマホを向けると必ずそっぽを向く。
長雨でネタもないからここへ昔の写真を何枚か貼ってみれば、待ってましたとばかりに自分の頭はおかしいですみたいなのがうわっと吐き出されそうに・・
休み明けの晴れた朝、膝の不調でずっと控えていた自転車通勤をしてみた。
乗ってみると自転車って膝関節に負担をかけずに力を伝えられるものなのね。明るい風がなんだか気持ちがよかった。

帰りは全行程登り。久しぶりだから息が上がったりするかと思ったけれどそれもなく、ギアを落としてゆっくり登ってく。
家のそばで散歩に出ようという犬と遭遇。一緒に行こーっていうから犬と走って・・
そんなことやってると書いてあった公開できないような話をなんとかして人に見せられるよう書き換えられないかとか思い始める。

10年前のちょうど今頃、帯広で豚丼食ってた。
ものすごく有名で行列が出来たり観光客があったあった!と大声で騒いでるのが聴こえる店。
このとき時期と時間がよかったのか奇跡的に食べ終わるまでずっと私一人。普通の人が普通に一生懸命やっている小さく素朴な店で意外な印象。豚丼は私の好みと合わなかったけどあそこに行ったという思いでが残った。

次の日、とある山間の無人駅にいた。
小さな待合小屋に入ると目の前には電気ストーブ。
寒かったのに私はそれを自分が使ってはいけないものだと思い電源を入れずに我慢した。今思えば無駄に自分からダメな人であろうとするここに私の問題が表れてると思う。
耐え切れずスイッチを入れるとすぐ暖かくなって救われつつ知らない誰かに向かって罪悪感を感じたりして。
雨の中楽器を練習してるとき、全然できないというか意味が分からなかったことが急にできそうになりかけている感じがあってちょっと気持ちが明るかった。
気が付くと、練習曲を吹いてて半年前には難儀というか全然できなくて困ってたことがさらっとできてたりもするのね。
もう何が難しかったのかわかんなかったりして。
こういうの、素直に書けばいいのにこの一文を書くのに3日かかった。
お前が言うなみたいな声が聞こえるというか聴こえやしないんだけど勝手に自分でそう思ってるというか。
いまもここに、でも結局勘違いで全然できてないとかレッスンに行けばまたコテンパンになるのはわかってますとかそういうネガティブ下降文をどうしても書こうとしてしまう。そう思ってるからそうなるんであって。
でも、自分は微速ながらに前に進んでるんだといいきかせ、みえないどこかを目指しますよ。
果てしない坂を登ってくというか。

なんかサハリンみたいですね。行ったことないけど。
超絶ヒグマ地帯。
この線路は昭和に入ってから開通の新ルートで今は大出力の列車がゴーッとか結構なスピードで登ってゆく。
ずっと奥の方を通過していた旧ルートが開かれた明治時代はその工事自体が命懸けだっただろうしかなり悲惨な話もあっただろう。難所として知られ蒸気機関車牽引の列車がゆっくりゆっくりあえぐように登っていった・・という話と写真しか知らないけれど、乗ってみたかった。
この写真実際は坂を下ってるとこだけど。
今ここまた別な日。
楽器始めたころから先生に変なリードを吹くとどんどん下手になるからすぐに捨てろ!と言われてきた。
2年くらいたって今やっとその意味を実感的に感じ取れたかもしれない。
ダメリードでどんどん駄目になっていくことがこれからいくらかでも減らせれば・・
これもまだ勘違いかな?

列車の中から虹が見えた。
訳が分かんなくてそれどころじゃなかったものが少しずつ見えてくる。子供のころでも学生時代でも若いころでもいいから、一般人の100分の一の速度でしか進まなくてもいいからという体で何かやってこれたら人生違っていたかなぁ・・
過去形で考えると人生全否定が始まっちゃうから駄目よ。
最近読んだプロ演奏家かプロ教える人か本を書いたりしている人の指摘を読んでかなり楽になった。
それを自分で書いちゃうと逃げ口上みたいだから書かないけど、絶対あきらめず死ぬまでやればいいと今思う。
https://www.youtube.com/watch?v=YfprcvuHoG8
空気も天気ももやもやしていていけねーとか言いながらドンナーが雲をかき集め雷を落とすともやもや天気は消えてしまい、フローが虹の橋を架けると神々が渡ってゆく・・

チェロとホルンが虹のアーチをかける。
橋を架けたフローが神々に向かって
この橋は皆様を乗せるのに十分な強度を有しておりますからどうぞ安心くださいというようなことを言ってるのが今風みたいでちょっと面白い。
上演に4日間かかるこの物語は複雑でいろんな見方ができると思うけれど全体的にはどうしようもなく救いようのない暗い話でもあると思う。そしてそれは何度でも繰り返される。
とはいえ初日のラインの黄金はどこかコミカルな感じもあって・・そのラストとなるここでは神々が肩を揺らしガニマタで行進していくような超絶めでたい感じで終わる。
実際中身があってその自信に満ち溢れた人、病的に空虚な自信を振りかざす人、客観的にそれが正しいかはまた別だけど本人的には自信に満ち溢れている間は幸せなんだと思う。
反対に劣等感と自己嫌悪感だけに包まれて生きていると意外にもトラブルを避け長く生き延びられる可能性もあるのは事実なんだけど、その最後に自分自身を振り返り無駄な間違いだと思ってみじめに終わるようなことになりかねないと思う。
小さくてもいいから、具体的事実に基づく俺にはこれがあるという物を・・ひとつくらい・・
この録音の最後、壮大な感じをどうしても出したい録音プロデューサーが休憩とかなんとか言ってオケの人間に酒を一杯飲ませて録りなおしたところ巨大な音楽を録ることに成功したと本に書いてた。
聞いててそれが伝わってくるような気もする。

虹の日、これは駅ビルのコンコースにぽっとあった感じの店。もうここでいいよみたいな。
だけど私にはこれがおいしかった。
ちょっとコショウが強めなんだったかな。
おいしかったんなら、それでいいじゃない。
そうかいいのか。
それじゃよかった。
みんな食っちまえ

冷たい雨の中、もう咲く力もないのかと思ってた朝顔が小さく花をつけていた。
花に向かってありがとうと思いながら咲いたねーと言ってみる。
前日ある所でしゃぶしゃぶのチェーン店を見かけたことが何故だか気になっていた。
しゃぶしゃぶかぁ・・
ずっと食わなかったのは昔会社の後輩と食いに行ったはいいけどあたってひどい目にあった記憶のせい。
食ってる最中も何だかパッとしなかった記憶と合わせてしゃぶしゃぶ=悪みたいになっちゃってた。
ああでも稚内でタコのしゃぶしゃぶ食ったな‥あれは美味しかった。
ずっと雨で寒いし、

食べに行ってみた。
食い放題みたいなの。
肉は注文するともってきてくれるけど野菜そのほかはサラダバーみたいに置いてるところへ勝手に取りに行く。
今どこでもそうだけど透明ビニールみたいなものがかぶせてあるのと、取りに行く際はマスク着用の上ビニール手袋をつけてくださいという指示。
ええそうしましょう。
店員さんがとても親切丁寧なところに巨大資本系な店なことを感じ、別なところでみたサラダバーの上でべちゃくちゃ喋るり続けるような客もいなくて嫌な気はしなかった。

食べ放題と言えばまあしょうがないのかみたいなクオリティのものをとにかく食ってというイメージだけど、野菜はかなりちゃんとしててみんなうまかった。
周囲のお客さんは・・と調子よく食い始めたけれどこの後、
嫁さんに異変が現れる。
その少し前からそうなるかもしれないことが私にも感じられてそうならないことを・・
一線を越え、始まってしまう
過呼吸だ。
心理的トリガによって発症するものだけど
原因は何かというのをどんなに丁寧に書いてみても不特定多数の前では理解を得られないだけでなく反感を持たれることになると思うので書けません。こういう伏字みたいなのでグダグダ書いてるのを見てなんだこれなんて憤慨したこともあったし、じゃあ最初から全部書くなという声も聞こえるけどいいの。
初めての時は救急車を呼んだりしたけれど何度か経験したのでこちらもまず落ち着く。
自分が取り乱したり、やたらに心配する声をかけたり何かを促すのは絶対的逆効果だ。
平然と静かにしているべきなのではあるけれど・・消えない原因に対し具体・・やっぱやめ。
この歳になればもっとずっと悲惨な状態に追い詰められた経験がいくらでもあり、実際そんなにたいしたことではないんだけれど
だけどそれはそれ、非常に長く孤独な世界が続く。
そうじゃないと思いながらもいらんことを頭の中でつぶやいたりする。
神様も世の中も、全員にやさしくよくしてくれる訳にはいかないのかもしれない。
世の中は、人はみな敵だ・・
https://www.youtube.com/watch?v=dEgCQhgkE6w
人は・・
しばらくすると原因は消えてくれた。
嫁さんも身動きが取れないながらもパニックにはならずなんとかやり過ごそうとしている。
このまま落ち着くまで待って、それから食べればいいと声をかけると返事はあった。
この日、仕事の関係で平日休み。制限時間までまだ2時間以上あるし。
嫁さんが落ち着いて再び腕を上げられるようになるまで・・
かなり長い時間がかかった。
その間私は何してたのか・・

食べてましたよ。
私が心配そうな落ち着かないそぶりを見せたら当人は余計ひどくなっちゃうから黙々と・・
食ってたよ。
野菜を2時間・・俺は牛かってくらい。
そしておいしかったよ。
嫁さんはかなり長い時間ののちゆっくり回復してまた少しずつ食べられるようになった。
かなり濃くなってる出汁の中へ大根の薄切りをちょっと入れてやるともうつけダレなんかなくてもものすごくうまいのね。
豆腐もうまかったなぁタケノコも・・
肉もいくらでも頼めるんだけど食いたいのは野菜だった。
野菜でこんなに盛り上がれるなんてすばらしいな。
嫁さんは回復して、時間ギリギリまでなんか食って笑顔でデザートが間に合わなかったかなんか言うまでになった。
当たり前だけど終わって定常状態に戻れば世の中は全員敵だなんて思わない。
誰に文句を言おうとも思わない。
ほんとはいろんなことを考えているけど何を出して良くて何はしまっとかなくちゃならないかも考える。
今世の中は・・・そんな話はいいや
困ったことがあるのも生きてればこそ。
その困ったことがこれで済んだことは大変ありがたい。
野菜一杯食って体の中から毒みたいなのが抜ければ心の腐ったのも取れてくれるんじゃないのか?
そんな茶番ネタもいらないか。
いま穏やかでいられてありがたい。
ありがとう。