人の集まるところ
テレビニュースが旅行者を増やす政策と乗った人の笑顔を流していた日、道路情報板には県境を越える判断は慎重にという表示を見る。
相反するような要素がどちらも重要で同時進行すべきだというのはよくある話で。

また、ここへ。
若干時間が遅いのと駐車場いっぱいだったから限定15食はもう終わっちゃったかなと思ったけど大丈夫で。
いろんな店で適当に撮った料理の写真を見てて思ったけれど照明の演出が巧いと料理がすごく美味しそうに見えるのね。
この席は若干手暗がりだけどでも綺麗。写真がピンボケなのは急にきた老眼で目の前に持ったスマホの画面が見えず雰囲気でボタン押してるせい?
肉か魚を選べるときは魚にしようと思ってるのにまた肉って言っちゃった。
素朴な野菜の天ぷらがおいしいね。
今年もこの店で栗ご飯をみて1年を数える。

満員ではなかったけどお客さんはまだ結構いて、隣のテーブルでは女性同士盛り上がっていた。
結構大きな声なのにこちらの耳が逆立たないのは会話のなかに自慢や罵りがないからじゃないかな。
このお店、来るたびに地元の人が来る単なるカフェじゃなくなってゆくのを感じる。
もう自分の居場所じゃないな的展開をなんとなく予想しながら来てみたり・・
まだ大丈夫かなんて思ったり。
横ででっかいカメラを持った人が料理の写真をカシャカシャ撮ってる音がいつまでも聞こえてきてたけどどうもなんかの取材だったみたいだ。
それがまた、人を呼ぶだろう。

あそこ綿の花?があるのと、料理の案内みたいなボードがあるように見え気になったので見に行った。
ら、いつも気軽に話しかけてくれるお店のお姉さんが早速説明してくれる。
名前忘れちゃったけど精進料理がおしゃれになったようなのをいろんなところで作って食べさせる料理アーティストみたいな人がいるのね・・・
そのほか、いろんな作家さんがここへきてるらしいのと、隣の納屋を東京から来たなんだかの人が借りてこれから新しいことを始めるらしい・・畑も使ってみんなで・・裏のおばあさんは自給自足をしているだけでなく植物を使った染め物の・・ワークショップが何とか・・この作家さんは・・
要するに、場が人を呼び人が人を呼んでいろんな才能を持った人がどんどん集まっちゃってるらしい。
お店をオープンしてまだいくらも経たないのにお客さんはどんどん増えて・・
お姉さんもいろんなもんに参加して楽しそうだけどお姉さん自体が料理アーティストだし、さらにその旦那さんもサラリーマンじゃなく夢へ向かって突っ込んでく人生な人だった。
あー、いいなぁたのしそうだなぁ素敵だなぁ・・と本気で思う。
お姉さん笑顔でたった一度の人生ですから・・
そうだよね。
そこでというか私の頭の中で聞こえてくるのは

でお前何やってんの?
・・・・・・
ずっと閉鎖空間に生きてきて、もうそのことにすら気づかなくなりかけていたわけだけど
40になった時急に何かが来てそんな状態で人生を終わりたくないと強く思った。
思ったところへ絵に描いたようにちょうどいろんなチャンスがやってきたので意気揚々と人のいる所へ出て行ったりして・・
結果なぜ自分はこんな風に生きてきたのかを追体験することとなり、意気込みだけで解決するんなら最初からこうなっていないことを知る。
で今46歳。
だけどそのままうだうだ考えて暗くなっちゃたりしないのは場の魅力、料理の魅力、お姉さんのお人柄でしょうね・・

教えてもらった裏の納屋だとか、ご飯を炊いてるかまどだとか、庭から湧いてる温泉を見て回る。
昔の大きな、鶏がいたような庭。
https://www.youtube.com/watch?v=OFbffshku0k
第2楽章がジャズだということで有名なラヴェルのヴァイオリンソナタ、当時近くにずっといたらしいマニュエル・ロザンタールが曲の成立過程について本の中で詳しく言及していた。
完成していた第3楽章を破棄し、単体で見れば元々あったものの方が優れているにもかかわらず新しいものに差し替えることで全体のバランスを取ったというのが話の主であったような気がするけど、第1楽章について庭に鶏のいる郊外の農家で・・と作者自身が言ったとあったような気がする。
2楽章は都会に住んでジャズバンドのいるとこで飲んでたラヴェルなのであるしちょっと意外な気がした。
確かに

鶏が鳴いてる。
お客さんもギャラリーとかイベント的な人脈もどんどん増えてるらしいこのお店、うわーぁ楽しみですねーっとか言う明るい場面だと思う。実際そう思ってそう答えたけど内心そうなればもう自分はこれなくなっちゃう気がするとか言うと病気かもしれない。
何度も行ってるお店なのに初めて来た客にする案内をくりかえされ微妙な気持ちになることがあるというかその方が多いけれど
お店のお姉さんがさらっと、
いつも来てくださってありがとうございます・・
不意にそう言われてなんだかうれしかった。
相反するような要素がどちらも重要で同時進行すべきだというのはよくある話で。

また、ここへ。
若干時間が遅いのと駐車場いっぱいだったから限定15食はもう終わっちゃったかなと思ったけど大丈夫で。
いろんな店で適当に撮った料理の写真を見てて思ったけれど照明の演出が巧いと料理がすごく美味しそうに見えるのね。
この席は若干手暗がりだけどでも綺麗。写真がピンボケなのは急にきた老眼で目の前に持ったスマホの画面が見えず雰囲気でボタン押してるせい?
肉か魚を選べるときは魚にしようと思ってるのにまた肉って言っちゃった。
素朴な野菜の天ぷらがおいしいね。
今年もこの店で栗ご飯をみて1年を数える。

満員ではなかったけどお客さんはまだ結構いて、隣のテーブルでは女性同士盛り上がっていた。
結構大きな声なのにこちらの耳が逆立たないのは会話のなかに自慢や罵りがないからじゃないかな。
このお店、来るたびに地元の人が来る単なるカフェじゃなくなってゆくのを感じる。
もう自分の居場所じゃないな的展開をなんとなく予想しながら来てみたり・・
まだ大丈夫かなんて思ったり。
横ででっかいカメラを持った人が料理の写真をカシャカシャ撮ってる音がいつまでも聞こえてきてたけどどうもなんかの取材だったみたいだ。
それがまた、人を呼ぶだろう。

あそこ綿の花?があるのと、料理の案内みたいなボードがあるように見え気になったので見に行った。
ら、いつも気軽に話しかけてくれるお店のお姉さんが早速説明してくれる。
名前忘れちゃったけど精進料理がおしゃれになったようなのをいろんなところで作って食べさせる料理アーティストみたいな人がいるのね・・・
そのほか、いろんな作家さんがここへきてるらしいのと、隣の納屋を東京から来たなんだかの人が借りてこれから新しいことを始めるらしい・・畑も使ってみんなで・・裏のおばあさんは自給自足をしているだけでなく植物を使った染め物の・・ワークショップが何とか・・この作家さんは・・
要するに、場が人を呼び人が人を呼んでいろんな才能を持った人がどんどん集まっちゃってるらしい。
お店をオープンしてまだいくらも経たないのにお客さんはどんどん増えて・・
お姉さんもいろんなもんに参加して楽しそうだけどお姉さん自体が料理アーティストだし、さらにその旦那さんもサラリーマンじゃなく夢へ向かって突っ込んでく人生な人だった。
あー、いいなぁたのしそうだなぁ素敵だなぁ・・と本気で思う。
お姉さん笑顔でたった一度の人生ですから・・
そうだよね。
そこでというか私の頭の中で聞こえてくるのは

でお前何やってんの?
・・・・・・
ずっと閉鎖空間に生きてきて、もうそのことにすら気づかなくなりかけていたわけだけど
40になった時急に何かが来てそんな状態で人生を終わりたくないと強く思った。
思ったところへ絵に描いたようにちょうどいろんなチャンスがやってきたので意気揚々と人のいる所へ出て行ったりして・・
結果なぜ自分はこんな風に生きてきたのかを追体験することとなり、意気込みだけで解決するんなら最初からこうなっていないことを知る。
で今46歳。
だけどそのままうだうだ考えて暗くなっちゃたりしないのは場の魅力、料理の魅力、お姉さんのお人柄でしょうね・・

教えてもらった裏の納屋だとか、ご飯を炊いてるかまどだとか、庭から湧いてる温泉を見て回る。
昔の大きな、鶏がいたような庭。
https://www.youtube.com/watch?v=OFbffshku0k
第2楽章がジャズだということで有名なラヴェルのヴァイオリンソナタ、当時近くにずっといたらしいマニュエル・ロザンタールが曲の成立過程について本の中で詳しく言及していた。
完成していた第3楽章を破棄し、単体で見れば元々あったものの方が優れているにもかかわらず新しいものに差し替えることで全体のバランスを取ったというのが話の主であったような気がするけど、第1楽章について庭に鶏のいる郊外の農家で・・と作者自身が言ったとあったような気がする。
2楽章は都会に住んでジャズバンドのいるとこで飲んでたラヴェルなのであるしちょっと意外な気がした。
確かに

鶏が鳴いてる。
お客さんもギャラリーとかイベント的な人脈もどんどん増えてるらしいこのお店、うわーぁ楽しみですねーっとか言う明るい場面だと思う。実際そう思ってそう答えたけど内心そうなればもう自分はこれなくなっちゃう気がするとか言うと病気かもしれない。
何度も行ってるお店なのに初めて来た客にする案内をくりかえされ微妙な気持ちになることがあるというかその方が多いけれど
お店のお姉さんがさらっと、
いつも来てくださってありがとうございます・・
不意にそう言われてなんだかうれしかった。