キンメダイと人生

紅葉はもう終わってた。
だけど日の光があたったらわーっという景色になっちゃって・・

キンメダイの粗汁というのを食べた。
ちょっと焼いてある香ばしさを含めおいしかったなこれ。
なんかこう赤い色も綺麗だし。
身はもう出汁が出ちゃってて・・と思ったけど食ってたらやっぱりおいしいじゃない。

シマアジ、キンメダイ、のどぐろ・・
みんなうまかった。
コンベアが持ってくる寿司だけど
プロの卵焼きは・・と期待したけどこれは普通だった。
学校出て就職すると寿司屋のカウンターに連れていかれたことがあった。ハッピーな話では全くなかったのはいいとして、何か頼めと言われたが寿司なんてパックに入ってるもんだと思ってたからわからない。
たままたま知ってるブリと言っ・・店主が低い声で
夏にな、ぶりなんかねーんだよ。
笑ってごまかすでもない感じで場はシラけ・・トラウマみたいなそれは多分今も大して変わらず、その後寿司屋のカウンターに座ったのは覚えてる限り2度だけ。
一度は隣の偉い人が言うままただ食ってればよかった。
2度目は探るように頼んでうまいうまいとやってたら職人さんがじゃあこれ食ってみてよと聞いたことのないネタを握ってくれて・・うれしく盛り上がるはいいけど、3人くらいの職人さんがさあこいつなんて言うかなと凝視してるわけだ。
食べる前からどうやってこれは美味いなを表現しようかかなんて考えちゃったりして味なんか分かん・・そんなの場数を踏めば慣れるという話だけどね。
その時それは実際あんまり好みじゃなかったけどおいしい!3人笑顔!・・なにこれ・・
これは違うなみたいなことをうまく表現しつつ、気に入ったものでほんとに喜んで・・とかいうやり取りができたら楽しいでしょうね。

ノイシュバンシュタイン城を作らせたルードヴィヒ二世という国王は騎士物語に狂っていたが、ワーグナーの楽劇にもはまって自分専用の劇場で自分だけのための楽劇に一人拍手を送り続けた・・みたいな話があったと思う。
最高の贅沢なようで、自分だったら大量の楽員や歌手の前で一人拍手なんて耐えられないけどな。
聴くのはいいけど残り1分くらいのところで逃げると思う。
昔、北海道の小さな水族館でアザラシのショーを見ていたら隣に沢山いた幼稚園の集団が途中で帰っちゃって嫁さんと私とショーのお姉さん3人の差しになってしまった。
若くまだ駆け出しという感じのお姉さんは照れが入ってしまい進行が止まりそうになる。
目でもうやめちゃっていいですか?みたいな。
こっちはこっちでそういうのが苦手で今すぐ逃げたい気持ちだったけれど、いやいかん踏ん張らなければと腕組みをして大丈夫だよ見てるよみたいな笑顔を返す・・内心必死で。
嫁さんとアザラシは輪投げキャッチみたいなので盛り上がってた。

あれから10年、いま水族館のサイトを見たらショーの紹介があって写っているのは紛れもなくあのお姉さんだ。
きっと素晴らしいショーが展開してるはず。
国が傾くレベルで道楽に興じたルードヴィッヒ2世は失脚させられ湖で謎の死を遂る。
https://www.youtube.com/watch?v=MCwXwpbSuvs
ローエングリンが好きだったんじゃなかったっけ?
白鳥にまたがってという話でどうしても昔のドリフを思い出してしまい・・
何かに熱中するはいいけどほどほどにしないと嫁さんから抹殺されるかもしれない。
10年くらい前のブログが盛んな頃にとある趣味関係のブログをよく見ていたけれど、この人嫁さんのフォロー大丈夫なのかなという人が何人もいた。あの人たち今無事かな?
嫁さんが切れちゃってもうなにもできないと腐ってる人がいたけどまだいい方だと思う。
こういうの他人事みたいに言ってるときは何も気づいていないだけの自分自分が一番危ない時でもあるかもしれない。
ご飯だよと呼ばれたら何をしているどんな場面でも絶対にやめてすぐ駆けつけるか駆けつけようとしてるそぶりを見せることだけは厳守してる。

次の日だったか、
社外で別団体から行われる永年勤続表彰みたいなのが感染症がらみで中止となったから社内でということだろう突然そんなのが始まった。
あいつ20年なのか・・そうかなんて他人事みたいに見てたら同じく20年の・・と自分の名前が呼ばれた。
あれ?
10年単位でなんかもらう同期の顔ぶれは締め日の設定で2種類あるからな。
何の予告もなく突然もらうでっかい賞状に何か感慨みたいなものもなく・・とかそういう事を言わないの。
私という人間を考えたとき、どこにも落ち着けず転職を繰り返すうちにみたいな話は十分考えられるというよりむしろそうなるはずだったのではないか、今のこの状況は極めて幸運な偶然を得ているのではないかと思う事がある。
嫁さんと会社は直接関係ないけれど、考えてみれば知り合うまでのきっかけは会社の中にあったわけでみんなつながってるのか。
幼少からの流れで常にお前は劣っており間違っているという声が聞こえ続けているけれど、同時に誰かによって守られ導かれているような気がしている。