割れたら困る

いい気分でお店を出た足で近くの海へ来てみた。
潮風・・太陽の光もまだ若くて力がある感じ。
ちょっと見てすぐどっか行こうと思ってたけど
ちょっと歩こうか・・
砂浜じゃなくて石ころ浜だけど波が小さな石ころを転がす音がずっと聴こえていた。
去年だったか一昨年だったかでっかい台風でこの近辺の山から川から大変なことになった。ここにもきっと大量の流木が打ち上げられたんだろう。
いくつか残った流木は屍なのかもしれないけれど形をしっかりとどめて。これもどこかで葉を茂らせ風に当たってたんだろうなぁと思わせる。
木って、死んでも生き続けるんだよね。
法隆寺とかさ。
ストラディバリウスとか。

毎日構える楽器は木でできているので冷えた管にいきなり暖かい息を入れると割れてしまう。エアコンにあてたりしても割れるらしい。
それだけは絶対にしてはいけないと最初に教えられた。じゃどうするのかというと手で握って温める・・
寒くなってきたので気を付けないとね。
材料の木はなんだっけ・・どこに生えていたものか知らないけれどまさか自分が楽器になって歌うとは思っていなかっただろう。
楽器も生まれたからには人前で音楽を歌い何かを届けたいと思っているはず。
私の手元にあるものは音楽と言えないかもしれない。
かもじゃないか。
こんな人に買われてしまって嘆いているんじゃないかと思っていたこともあったけれど、いいから負けたようなこと言ってないで練習しなさいよと言ってくれてるんじゃないかと最近は勝手に思ってる。
楽器も物体が振動するわけで毎日どこをどう振動させるかで部分ごとの物性が変化してゆき全体的な特性が変化していくだろうことは想像しやすい。
うまい人が使えばいい音でよく鳴る楽器になり、そうでないと・・

何かをやろうとするとどうなるかを悟りずっと何もしなかった私は、40を過ぎた時にこのまま死ぬのは嫌だと思いやれるかどうかもわからないままアマチュア楽団へ入ってしまった。昔やっていた記憶があるあの楽器なら・・
良識ある人からまだ買うなと止められながらも俺は投げ出さないんだという決意のつもりで楽器を買おうとした。
そこへ出てきたいいカモがきやがったみたいな別要素にのっけられてることにも気づきつつ私なんかに不釣り合いな・・
残念ながら私の知る私パターンを進行。無垢で手に入れた楽器はダメになる方向へどんどん進んでいたと思う。
一生付き合うつもりだったけれどやっぱり縁がなかったのかなと思う頃にはもう楽器に情が移ってるのね。
いると迷惑になる団体にいられないのはいいとそして一人勝手に続けようかとも思ったけれど・・一人でやる類の楽器でないしその辺でレッスンが受けられるような楽器でもなかった。
手元に置いていつかはという事も考えたけれどどんどん駄目になっていくような気がして良い人の手に渡すべきだと思った。
売りたい趣旨の電話をある所に掛けるんだけど楽器に知られないよう部屋の戸を閉めてたりして。
査定の人もこんないい楽器を手放すとはあなたなに考えてるんですか?みたいなことを言ってたけど、私の手元に置いとくことはまちがいだとしか思えなくなってたから。
こんなもん何書いたところで他人から見ればそんなんだったら最初からやるなというところだろう。
楽器のその後は知らないけどいい人と巡り会ってるといいなと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=_Nx2-BRIc20
あんまりそういう話は好きじゃないけど、話の流れ的にこの人の持つ楽器に値段があるとすれば数億円とかだろう。
300年くらい前からの名のある楽器は大事にしまっておいてはすぐだめになってしまい、常に時代最高水準の人が弾いて維持されてきてるんでしょうね。
それよりこれ久しぶりに聴いたけど、カデンツァのおしまいでソロが熱く弾き切ってるのにバックのオケはそれにのってこないというかやけに遠く冷たく静かに動いてる感じが

大自然は人間とは関係なく静かにそこにあり人の都合に合わせるものではない。人はただその上で踊っているだけ・・という東洋的感覚のようでもあり衝撃を受ける。
ドイツ物に限らず普段聴いてるクラシック音楽というのは神が一番上にいて次に人間その下に自然みたいなキリスト教的感覚がベースとなっており人間基準の分かりやすい骨組みの上に乗っていることが大前提というか、ソロが返ってくると言えば待ち構えるバックと同期する点を聴き手にはっきり意識させ・・
もちろんマーラーとかそこをあえてそこを壊そうとしする作曲家沢山出てきてその後を作っていった訳だけど。
でもこれはなんとなくああここがシベリウスなのかな・・フィンランドに行ったことはないしフィンランド人とも話したことはないけれどあの辺の人間の持ってるものなのかなと考えてみたりする。
どうでもいいけどマーラーが指揮者としてフィンランドに演奏旅行に行った際シベリウスと面会したことがあったようだ。
互いの作品については全然理解し合えなかったんじゃなかったか?

昨日はまた練習していてどうにもならないどころかどんどん悪くなってゆく自分に焦り、やってる最中に声をかけてきた犬と嫁さんが私の異変に身を縮めていることに気づいた。
まずい、そんなことならやめたほうがましだ。
と思ったけどやめちゃったら私も終わりだ。
次の日、馬鹿みたいに力まない練習から・・
また次のレッスン間に合わないけどいいから。
海を歩いたこの日、近くに見つけた喫茶店でケーキでも食おうと思ってたけど嫁さんとプラプラしてるうちに日が暮れて行きもう帰って晩飯でいいやという話に終わった。
もし、嫁さんがいなかったらどうなってたかな。
もう生きてなかったかもしれないと思わないでもない。
嫁さんとの間が割れちゃったら困る。そこが一番大事だ。
今こうしていられるということは大変ありがたい。