またこれた
どんな日でも絶対に混んでないあの店

やっぱり誰もいなかった。
訳があってこのお店にしばらく来なかったけどもういいか。
去年はさっとカーテンを開けて夜景を見せてくれたけど、それも含め特ににもないけどそれでいいよ。
それより昭和40年代が保存されたままのトイレが改修されて明るく軽い今風になってた。
今の世の中の情勢から考えるとこの時期に積極的な改修というのはちょっと驚きで、まだまだこれからも続けるしその余裕もありますよという事でしょう?
そうですかじゃあまた来年も来れるのかな。

チキンソテーおいしかった。
どの料理にも共通して同じデミグラスソースが仕込んであるのが昭和の洋食屋って感じなんでしょうかね。
最近スマホのカメラはピントが全然合わないようになってきた。
そういう自分も老眼が劇的に進行して画面を見てて何だかわからない。
スマホ買ったの40になった時だった気がするからもう6ね・・あれそんなになるっけ?
ありがちな俺はスマホなんか絶対に・・だったけど、あの時急にいろんな人の輪に入るチャンスが来て、連絡取れないからスマホ買えよと複数方向から言われ・・
鳴らない着信音に諸行無常の響きあり。
多彩なメニューがみんな生きているんだから材料なんかを考えればお客さんは結構来ているはずでたまたま遭遇しない偶然が続いているだけか
あとから一組の家族かなんかがきて騒がれるといやだなと思ったけれど節度のある感じで・・酒が回るとだめね。
さあ次に行こう。

去年は駐車場側の裏口から入って嫁さんが表から入りたかったとかなんとか言ったような。たしか表から入ろうか?と言ったけど上着を車の中に置いてきて寒すぎるから・・一年なんてあっという間だな。
でっかい張り紙に手書きの営業時間。
時間短縮して営業か。

毎年決まって座る席はちょうど帰る先客の皿がまだ片付いていないので・・
何度か食べたクリスマスパフェをあんなでっかいの食えないなと思ったのは昨年。
もうこの先ずっとそうなんだろう。
ここまで内容的に去年の最終記事とまったく重複してる。
マンネリと言えばそれまでだけどそうじゃない。
あたりまえのようなこれが尊く得難い事なのかを今年は感じた。
感染症でじゃなくて。
来年の目標はいろんな意味で生き延びたい。
どうか、来年の今頃どろどろ真っ暗なことをここに書いたりしていませんように。
https://www.youtube.com/watch?v=JPEpeHvI_IM
苦しみや悲しみ、死の恐怖や人生のむなしさを抱える人たちへ向けて書かれたこの曲、両端楽章冒頭の歌詞は幸せである・・
訳や解説を読まなくても音楽がそれを語ってくれるこんな素晴らしい作品をブラームスは30代で作った。
その彼も歳を取るごとに暗く寂しいものを背負っていったと思うけど、芸術家のすごい所はその闇も作品の中に閉じ込め輝かせてしまうところですね。
そしてそれにかぎらず明るいもの、やさしいもの真っ暗なもの冷たく刺すようなもの、音楽はなんで生きてるんだかわかんないような人間にも語り掛け、ああこれを聴けたんだから確かに生きててよかったと思わせてくれる。
やればやろうとするほど私から遠ざかっていく気がする音楽だけど、聴くことに関してはまだ求めればいつでも答えてくれる。
そうね、それだけでも生きる意味があるよ。
去年はあったシュトーレンとかクリスマスな何かはメニューのどこにも見つけられなかった。

マスターが笑顔で持ってきてくれたこれはいつもあるものなんだろうけど、でもきれいだな。
小さいななんて思ったけれどものすごく濃厚なのでこれで十分だった。
毎年帰り際に笑顔で送ってくれるマスター、クリスマスイブに必ず来る私たちを覚えていてくれたら感動的だけどな。
そんなやり取りは特になく・・いいよそれは。
私たち以外だれもいないまま閉店かと思ったけれど終わり近くに一人のお客さんが入ってきてコーヒーを豆の名?で頼んでた。
さっきまで仕事だったのかもしれない。
一日のおしまいにおいしいコーヒーをって素敵ですね。
私はゴールドブレンドに砂糖を入れてとかだから・・
でも、こんな夜があって私もよかった。

やっぱり誰もいなかった。
訳があってこのお店にしばらく来なかったけどもういいか。
去年はさっとカーテンを開けて夜景を見せてくれたけど、それも含め特ににもないけどそれでいいよ。
それより昭和40年代が保存されたままのトイレが改修されて明るく軽い今風になってた。
今の世の中の情勢から考えるとこの時期に積極的な改修というのはちょっと驚きで、まだまだこれからも続けるしその余裕もありますよという事でしょう?
そうですかじゃあまた来年も来れるのかな。

チキンソテーおいしかった。
どの料理にも共通して同じデミグラスソースが仕込んであるのが昭和の洋食屋って感じなんでしょうかね。
最近スマホのカメラはピントが全然合わないようになってきた。
そういう自分も老眼が劇的に進行して画面を見てて何だかわからない。
スマホ買ったの40になった時だった気がするからもう6ね・・あれそんなになるっけ?
ありがちな俺はスマホなんか絶対に・・だったけど、あの時急にいろんな人の輪に入るチャンスが来て、連絡取れないからスマホ買えよと複数方向から言われ・・
鳴らない着信音に諸行無常の響きあり。
多彩なメニューがみんな生きているんだから材料なんかを考えればお客さんは結構来ているはずでたまたま遭遇しない偶然が続いているだけか
あとから一組の家族かなんかがきて騒がれるといやだなと思ったけれど節度のある感じで・・酒が回るとだめね。
さあ次に行こう。

去年は駐車場側の裏口から入って嫁さんが表から入りたかったとかなんとか言ったような。たしか表から入ろうか?と言ったけど上着を車の中に置いてきて寒すぎるから・・一年なんてあっという間だな。
でっかい張り紙に手書きの営業時間。
時間短縮して営業か。

毎年決まって座る席はちょうど帰る先客の皿がまだ片付いていないので・・
何度か食べたクリスマスパフェをあんなでっかいの食えないなと思ったのは昨年。
もうこの先ずっとそうなんだろう。
ここまで内容的に去年の最終記事とまったく重複してる。
マンネリと言えばそれまでだけどそうじゃない。
あたりまえのようなこれが尊く得難い事なのかを今年は感じた。
感染症でじゃなくて。
来年の目標はいろんな意味で生き延びたい。
どうか、来年の今頃どろどろ真っ暗なことをここに書いたりしていませんように。
https://www.youtube.com/watch?v=JPEpeHvI_IM
苦しみや悲しみ、死の恐怖や人生のむなしさを抱える人たちへ向けて書かれたこの曲、両端楽章冒頭の歌詞は幸せである・・
訳や解説を読まなくても音楽がそれを語ってくれるこんな素晴らしい作品をブラームスは30代で作った。
その彼も歳を取るごとに暗く寂しいものを背負っていったと思うけど、芸術家のすごい所はその闇も作品の中に閉じ込め輝かせてしまうところですね。
そしてそれにかぎらず明るいもの、やさしいもの真っ暗なもの冷たく刺すようなもの、音楽はなんで生きてるんだかわかんないような人間にも語り掛け、ああこれを聴けたんだから確かに生きててよかったと思わせてくれる。
やればやろうとするほど私から遠ざかっていく気がする音楽だけど、聴くことに関してはまだ求めればいつでも答えてくれる。
そうね、それだけでも生きる意味があるよ。
去年はあったシュトーレンとかクリスマスな何かはメニューのどこにも見つけられなかった。

マスターが笑顔で持ってきてくれたこれはいつもあるものなんだろうけど、でもきれいだな。
小さいななんて思ったけれどものすごく濃厚なのでこれで十分だった。
毎年帰り際に笑顔で送ってくれるマスター、クリスマスイブに必ず来る私たちを覚えていてくれたら感動的だけどな。
そんなやり取りは特になく・・いいよそれは。
私たち以外だれもいないまま閉店かと思ったけれど終わり近くに一人のお客さんが入ってきてコーヒーを豆の名?で頼んでた。
さっきまで仕事だったのかもしれない。
一日のおしまいにおいしいコーヒーをって素敵ですね。
私はゴールドブレンドに砂糖を入れてとかだから・・
でも、こんな夜があって私もよかった。