割れても始まる年
割れてしまった楽器は楽器屋さんで修理してもらえるはずですが、楽器屋も正月休みなのとその場ですぐにというわけにはいかないだろうから暫く練習も休み。
楽器の世界も練習を一日休むと自分でそれがわかるとか言ったりする。昨年は多分出張でできなかった2日間以外は毎日楽器を吹いて・・お前が言うなというところだろう。

大晦日に近所のおばあちゃんからまたいろいろいただいて、今抜いてきたネギに自家製たくあん自家製こんにゃく。
あの沢庵すごく美味しくて一切れでご飯一杯いけそう。
多分昔からの製法で大量の塩を使ってるんだろうなというのも感じる。医者から塩と炭水化物をとりすぎだと怒られている人としては嬉しい爆弾みたいなもんで。
200年とか続いてるらしいあの家、12月30日になると親類が集まって餅つきをする。
そのお餅が近くの馬頭観音にも備えられてるのを見ると大晦日。今年は年越しの前になんかに食われてなくなっちゃってたけどまあいいんだろう。
最近急に野菜を笑顔で頂くと人間になれたような気がしてうれしい。
おばあちゃんの前に大おばあちゃんという人がいて20年くらい前にいろんな昔話を教えてもらった時もちょっとそんな気がした。俺今相手にされてんだな・・あのときもっといろんな話を聞かせてくれと図々しく頼めばよかったと今でも思ってる。

元旦は朝からお散歩。
もうちょっとちゃんと構えて撮りたかったけど犬のリードを握っており犬は飼い主がどっか行っちゃわないように引っ張ってるつもりだったりしたので
10年くらい前まではあの電線も建物も何にもなくて富士山が超絶絵になる場所だった。今もうそんなところはない。
このお地蔵さまは誰か熱心にお世話する人がいて寒くなるとマフラーを巻いてくれたり・・今日はお餅と大根。
きっとその人亡くなるときには迷わないようにお地蔵さまがエスコートしてくれるんだよね。へんな意味じゃなくてほんとにそう思う。
このお地蔵さまも結構古いんじゃないかな?
いつ頃、だれがどんな気持ちでここにお迎えしたんだろう?

この馬頭観音には馬の顔が彫ってあって、よく見るとその馬が笑ってるように見えるのね。
彫った人の馬への愛情みたいなものが伝わってきてちょっと泣けてくる。
大おばあちゃんから馬をどんなに大切にしていたか聴いた。
裏を見ると文化十五年寅・・1818年か結構古いな。
ベートーヴェンだと交響曲第8番と9番の間。
個人的に色々あって音楽どころじゃないという人生のどん底みたいなところだったようだけど、そのままつぶれてしまうどころかここからいよいよという高みへ登っていく年・・だったようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=06O5TWFMmPs
その幕開けみたいなところにいるらしいこの曲はものすごく有名で、音楽的にも技術的にも飛躍しすぎて作曲当時弾ける人間が作者しかいなかったという・・
はいいけど私はなぜかこれをほとんど聴いてこなかった。
なんでかな?
バックハウスは晩年の録音でこの曲だけ残せなかった。
やっぱり今でも難しいの?
とりあえず体力的に大変そうで聴き終えるとお疲れ様でしたとか言いたくなる。
どん底にいた人が書いたとは思えないねこれ、すごい人だよね。

帰ったら、でかい樹の日陰で冷遇されてる小さなボンタンに新芽が出てた。
まだ時期的に早いけど・・で、楽器見たら割れてた。
楽器治るまで練習は中止。
年明け最初のレッスンはキャンセル。
出来てもできなくても楽器やるんだに没頭することで私はいろんなことから目をそらしてたところがあって、急にそれがなくなったら蓋してたもんがいろんなところから駄々洩れになってくんのね。
壊れる時って、いつも突然来てあっという間だよね。
もう戻せないのかと気づいた瞬間に、あっあの時とかいくつもの是正ポイントが思い浮かぶ。
気持ちが落ち着かないので自転車で走ることにする。街全体が坂の上にあるので行きが登りになるようにし、とりあえずあそこまでは行こうという目標地点があって

この踏切なんだけど・・なんでここなのかな。
子供の頃の思い出がここにあるにはあるけど自分に直接絡むものじゃないし
あのころもうあんなだったけどほんとは俺だってとかなんとか思ってるのかな俺が。
失敗な人にありがちな感じで10代のころから正月は敵みたいに思って拒絶してきた。
寂しさみたいなのでつぶれそうになる正月休みも楽器楽器練習練習言ってればそれですぎてゆくだろうと思ってた。
思ってたけどなくなちゃった。
年末くらいからいろんな人にいただけたコメントがとてもうれしかった。
どうもありがとうございました。
楽器の世界も練習を一日休むと自分でそれがわかるとか言ったりする。昨年は多分出張でできなかった2日間以外は毎日楽器を吹いて・・お前が言うなというところだろう。

大晦日に近所のおばあちゃんからまたいろいろいただいて、今抜いてきたネギに自家製たくあん自家製こんにゃく。
あの沢庵すごく美味しくて一切れでご飯一杯いけそう。
多分昔からの製法で大量の塩を使ってるんだろうなというのも感じる。医者から塩と炭水化物をとりすぎだと怒られている人としては嬉しい爆弾みたいなもんで。
200年とか続いてるらしいあの家、12月30日になると親類が集まって餅つきをする。
そのお餅が近くの馬頭観音にも備えられてるのを見ると大晦日。今年は年越しの前になんかに食われてなくなっちゃってたけどまあいいんだろう。
最近急に野菜を笑顔で頂くと人間になれたような気がしてうれしい。
おばあちゃんの前に大おばあちゃんという人がいて20年くらい前にいろんな昔話を教えてもらった時もちょっとそんな気がした。俺今相手にされてんだな・・あのときもっといろんな話を聞かせてくれと図々しく頼めばよかったと今でも思ってる。

元旦は朝からお散歩。
もうちょっとちゃんと構えて撮りたかったけど犬のリードを握っており犬は飼い主がどっか行っちゃわないように引っ張ってるつもりだったりしたので
10年くらい前まではあの電線も建物も何にもなくて富士山が超絶絵になる場所だった。今もうそんなところはない。
このお地蔵さまは誰か熱心にお世話する人がいて寒くなるとマフラーを巻いてくれたり・・今日はお餅と大根。
きっとその人亡くなるときには迷わないようにお地蔵さまがエスコートしてくれるんだよね。へんな意味じゃなくてほんとにそう思う。
このお地蔵さまも結構古いんじゃないかな?
いつ頃、だれがどんな気持ちでここにお迎えしたんだろう?

この馬頭観音には馬の顔が彫ってあって、よく見るとその馬が笑ってるように見えるのね。
彫った人の馬への愛情みたいなものが伝わってきてちょっと泣けてくる。
大おばあちゃんから馬をどんなに大切にしていたか聴いた。
裏を見ると文化十五年寅・・1818年か結構古いな。
ベートーヴェンだと交響曲第8番と9番の間。
個人的に色々あって音楽どころじゃないという人生のどん底みたいなところだったようだけど、そのままつぶれてしまうどころかここからいよいよという高みへ登っていく年・・だったようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=06O5TWFMmPs
その幕開けみたいなところにいるらしいこの曲はものすごく有名で、音楽的にも技術的にも飛躍しすぎて作曲当時弾ける人間が作者しかいなかったという・・
はいいけど私はなぜかこれをほとんど聴いてこなかった。
なんでかな?
バックハウスは晩年の録音でこの曲だけ残せなかった。
やっぱり今でも難しいの?
とりあえず体力的に大変そうで聴き終えるとお疲れ様でしたとか言いたくなる。
どん底にいた人が書いたとは思えないねこれ、すごい人だよね。

帰ったら、でかい樹の日陰で冷遇されてる小さなボンタンに新芽が出てた。
まだ時期的に早いけど・・で、楽器見たら割れてた。
楽器治るまで練習は中止。
年明け最初のレッスンはキャンセル。
出来てもできなくても楽器やるんだに没頭することで私はいろんなことから目をそらしてたところがあって、急にそれがなくなったら蓋してたもんがいろんなところから駄々洩れになってくんのね。
壊れる時って、いつも突然来てあっという間だよね。
もう戻せないのかと気づいた瞬間に、あっあの時とかいくつもの是正ポイントが思い浮かぶ。
気持ちが落ち着かないので自転車で走ることにする。街全体が坂の上にあるので行きが登りになるようにし、とりあえずあそこまでは行こうという目標地点があって

この踏切なんだけど・・なんでここなのかな。
子供の頃の思い出がここにあるにはあるけど自分に直接絡むものじゃないし
あのころもうあんなだったけどほんとは俺だってとかなんとか思ってるのかな俺が。
失敗な人にありがちな感じで10代のころから正月は敵みたいに思って拒絶してきた。
寂しさみたいなのでつぶれそうになる正月休みも楽器楽器練習練習言ってればそれですぎてゆくだろうと思ってた。
思ってたけどなくなちゃった。
年末くらいからいろんな人にいただけたコメントがとてもうれしかった。
どうもありがとうございました。