いらんこと
雨上がりだし今日はいいだろうと思ってみてみれば

富士山綺麗はいいけどなんでこんなにノイズめいた絵になっちゃうんだろうカメラ調子悪いのかな?
死ぬわけじゃないし別にいいか。
あれ見てるとでっかいアイスクリームとかパフェみたいで食えるんじゃないかと思うんだけど。
バニラじゃなくて牛乳だけの。
巨大パフェに巨大アイスクリームな写真があったけど絵的にちょっとどうかと思い載せられなかった。
子供のころに嫌だというまで食ってみたいなぁなんて思ったかもしれないけどほんとに嫌になるほど食べたら嫌だった。

美味しいものはちょっと足りないなぁ位が一番いいのかもね。
そういえば、どっか行って話してるとそんなつもりじゃないのにちっちゃいアイスクリームが出てくることある。
遠慮してもしょうがないとりあえずありがたく食っちゃうけど、これもう帰ってほしいよという意味かな?と思ったことが何度か。
わかんないからそのまま居座っちゃったけどあれ失敗だったのかなとか・・
人とあまり接触せず距離感覚がうまく取れない私は受け入れてもらってるなとか思うとのめりこみがち。
親しくなると必ずその先にあれ何でこうなっちゃったんだろう?が待っている私はちょっと物足りないくらいのほどほどほどにしておくのが一番いいのか・・もうそんな機会もないか。
先日ブルックナーの3番を聴きたくなったんだけど訳があって聴きそびれちゃって
https://www.youtube.com/watch?v=jtannEgBDZo
冒頭の交互に重なりながら降りてくる2つのバイオリンパートは小雪がふってるみたいですよね。
寒い寒い雪の中、手の中にはとても小さいけど大事な熱いものが・・
だけどこれびっくりするほど露骨にベートーベンの9番の冒頭のエコーでもありますよね。
ものすごくいろんなエピソードが絡んでるこの曲だけど

これ一番最初の稿でワーグナーに見せて褒められたその楽譜じゃないかな。
この人若いころからオルガン奏者として国際的に名声を得ていたらしいし、ウィーンなんとか音楽院の教授だったという時点で凡人をはるかに超えるところにいることが明白だったんだと思うけれど作曲家としてはかなりの遅咲きであったことがよく語られる。
それはいいけどあまりに素朴すぎ乞食と間違われるような風貌や無教養と勘違いされるきつい田舎の方言丸出しの言動とかが人の目を引いたらしく当時の風刺画なんかにもちょっとバカにして低く見てるようなトーンが見て取れる気がする。
この曲も世に受け入れられるまで何十年もかかって何度も大改訂をされるうちに違う曲みたいになっちゃてるんだけど、そこにその馬鹿にした感も被ってたんじゃないか・・は余計な話か。
歴史に名を遺すような人の中にはずっと誰にも理解されなかった人がたくさんいて、才能という言葉の中には何があっても絶対に消えてしまわない強い信念みたいなのも含まれてるんじゃないかと思う。
自分の発想を誰かにわかってもらいたいというのは芸術的行為の根幹みたいなものだと思うし、生きているということそのもののような気もする。
・・そんな偉大な人とは全然別次元に生きるこっちの話として、わかってほしいはほどほどにしとかないといけないんだろう。
わかってもらえるはず・・は甘え・・それより全然鳴らないと思ってゴミ箱行き寸前だった大量のリードを吹いてみたらどれもちゃんと鳴るじゃない。
単純に経済的にもありがたいけどやっぱり吹き方の点で・・
なんかこうちょっと気持ちが晴れてきた。
じゃいいか。
よし。これでいいにしよ。
修理に出していた楽器は細かいものまで全部ばらして消耗品を交換、調整してくれたということで、キイの細かいとこまで磨かれ昔のお召機関車みたいになって戻ってきた。
ちゃんとした人だと管内を清掃しただけで鳴りがよくなったと感じるそうだけど・・
やっぱり私はそんなとこまで行っていないようだった。
でも吹いてると嫁さんがすぐ来てやっぱり音が違うという。
違うというのはメンテ前とじゃなくて昨日までの中国製のおもちゃみたいな楽器と比べてということだろう。
こんなこと言ったらいけないんだろうけど、息の入りやすさはおもちゃ管の方がずっと楽で・・そんなこと言ってるから駄目なのか。
とはいえ、いつもの楽器に戻ったらまた全然ダメな人に戻っちゃったとかじゃなくてよかった。

楽器壊れてしばらく吹けなかったんだけど、それは悪い癖をリセットするチャンスというのを読んでまた一からやってるつもりなんだけど、それが多分い・
今ここは楽器戻って3日目。
押さえる所を押さえてまだ崩れてはないけど、でも全然油断できないなと思った。
まあいいかそんなの書かなくて
がんばります。

富士山綺麗はいいけどなんでこんなにノイズめいた絵になっちゃうんだろうカメラ調子悪いのかな?
死ぬわけじゃないし別にいいか。
あれ見てるとでっかいアイスクリームとかパフェみたいで食えるんじゃないかと思うんだけど。
バニラじゃなくて牛乳だけの。
巨大パフェに巨大アイスクリームな写真があったけど絵的にちょっとどうかと思い載せられなかった。
子供のころに嫌だというまで食ってみたいなぁなんて思ったかもしれないけどほんとに嫌になるほど食べたら嫌だった。

美味しいものはちょっと足りないなぁ位が一番いいのかもね。
そういえば、どっか行って話してるとそんなつもりじゃないのにちっちゃいアイスクリームが出てくることある。
遠慮してもしょうがないとりあえずありがたく食っちゃうけど、これもう帰ってほしいよという意味かな?と思ったことが何度か。
わかんないからそのまま居座っちゃったけどあれ失敗だったのかなとか・・
人とあまり接触せず距離感覚がうまく取れない私は受け入れてもらってるなとか思うとのめりこみがち。
親しくなると必ずその先にあれ何でこうなっちゃったんだろう?が待っている私はちょっと物足りないくらいのほどほどほどにしておくのが一番いいのか・・もうそんな機会もないか。
先日ブルックナーの3番を聴きたくなったんだけど訳があって聴きそびれちゃって
https://www.youtube.com/watch?v=jtannEgBDZo
冒頭の交互に重なりながら降りてくる2つのバイオリンパートは小雪がふってるみたいですよね。
寒い寒い雪の中、手の中にはとても小さいけど大事な熱いものが・・
だけどこれびっくりするほど露骨にベートーベンの9番の冒頭のエコーでもありますよね。
ものすごくいろんなエピソードが絡んでるこの曲だけど

これ一番最初の稿でワーグナーに見せて褒められたその楽譜じゃないかな。
この人若いころからオルガン奏者として国際的に名声を得ていたらしいし、ウィーンなんとか音楽院の教授だったという時点で凡人をはるかに超えるところにいることが明白だったんだと思うけれど作曲家としてはかなりの遅咲きであったことがよく語られる。
それはいいけどあまりに素朴すぎ乞食と間違われるような風貌や無教養と勘違いされるきつい田舎の方言丸出しの言動とかが人の目を引いたらしく当時の風刺画なんかにもちょっとバカにして低く見てるようなトーンが見て取れる気がする。
この曲も世に受け入れられるまで何十年もかかって何度も大改訂をされるうちに違う曲みたいになっちゃてるんだけど、そこにその馬鹿にした感も被ってたんじゃないか・・は余計な話か。
歴史に名を遺すような人の中にはずっと誰にも理解されなかった人がたくさんいて、才能という言葉の中には何があっても絶対に消えてしまわない強い信念みたいなのも含まれてるんじゃないかと思う。
自分の発想を誰かにわかってもらいたいというのは芸術的行為の根幹みたいなものだと思うし、生きているということそのもののような気もする。
・・そんな偉大な人とは全然別次元に生きるこっちの話として、わかってほしいはほどほどにしとかないといけないんだろう。
わかってもらえるはず・・は甘え・・それより全然鳴らないと思ってゴミ箱行き寸前だった大量のリードを吹いてみたらどれもちゃんと鳴るじゃない。
単純に経済的にもありがたいけどやっぱり吹き方の点で・・
なんかこうちょっと気持ちが晴れてきた。
じゃいいか。
よし。これでいいにしよ。
修理に出していた楽器は細かいものまで全部ばらして消耗品を交換、調整してくれたということで、キイの細かいとこまで磨かれ昔のお召機関車みたいになって戻ってきた。
ちゃんとした人だと管内を清掃しただけで鳴りがよくなったと感じるそうだけど・・
やっぱり私はそんなとこまで行っていないようだった。
でも吹いてると嫁さんがすぐ来てやっぱり音が違うという。
違うというのはメンテ前とじゃなくて昨日までの中国製のおもちゃみたいな楽器と比べてということだろう。
こんなこと言ったらいけないんだろうけど、息の入りやすさはおもちゃ管の方がずっと楽で・・そんなこと言ってるから駄目なのか。
とはいえ、いつもの楽器に戻ったらまた全然ダメな人に戻っちゃったとかじゃなくてよかった。

楽器壊れてしばらく吹けなかったんだけど、それは悪い癖をリセットするチャンスというのを読んでまた一からやってるつもりなんだけど、それが多分い・
今ここは楽器戻って3日目。
押さえる所を押さえてまだ崩れてはないけど、でも全然油断できないなと思った。
まあいいかそんなの書かなくて
がんばります。