白濁止水からちょっと戻れた

明鏡止水なんて言いますが、凍っちまえば動きようがないですね。
でもくすんじゃって鏡にはならないか。
私は10代後半くらいから・・
・・精神的な底に落ちてるときに書き始めたからこんなこと書いてて・・・
この同じ川に水面が鏡になって青空が映った素晴らしい景色を見た記憶があった。
あったけどあるはずの写真がみつからない。
かってに記憶が書き換わっちゃってるんだろうか?
みつかったのは

これで。
全然明鏡止水じゃない。
いまこんなかな。
自分が勝手に自分をつぶそうとしてる気がする。
外は雨がやみ日が出てくるところ、頼むから晴れないでくれとか思っていてちょっとおかしいわ。
一度人に見せられないような内容で書き終えてあったこの記事だけど、その後少し上がって書いた時とは違う自分になった。
この先に書いてあったことも修正せずにそのまま公開しようと思ってたけど、やっぱりやめる。
自分が変わっていく間に何度か書き換えたので3人か4人くらいの違う自分が手を入れたような文章になっていて変だけどまあいいや。
上がるにあたって思うことがあるんだけどそれは今言っても仕方がないし黙っとかなくちゃだめだ。
人間というのは誰かにわかってもらいたいと思って生きてく生き物だと思う。
思うが、いつでもみんなにわかってもらえるはずだと思うのは私の場合大きな間違いだ。
他の人は知らない。
移動はするけど実質引きこもりみたいな人間はこうやって作られていくのかもしれないけどこうなっちゃうので仕方がない。
あの川は春別川というんだったか向こうはオホーツク海でこの辺りは北方領土がキーワードというか。
誰も全然いない。
近くの尾岱沼というところはエビが有名だと何かで読んでいたので

たべた。
ご旅行ですか?なんて聞かれてその後会話を続けられなかったという事を強く覚えてる。
また病的不器用な私はエビを食べるという事に緊張し、失敗したなんて後から思った記憶。
なんだそりゃ・・でもこんなこと書けるようになってだいぶ戻った。
また落ちるのかもしれないけど、今無事ならいいし
落ちてもまたなんとか引っかかって戻ってきたい。

湖の氷が溶けているのは3月で暖かいからかもしれないけどそれよりこの砂浜は温泉が出てるんだったと思う。
ここは有名観光地なので居心地が悪く感じすぐ立ち去ったような記憶。
そんなことじゃいけない気もするし、今見るときれいだな。
明鏡止水というのは、何か極めるか大きな経験と実績を積んで自分に自信を持ちなにがあったってびくともしない人の心を言ってるんだと思う。
私は昔、心を守るために外部からの情報をすべて遮断し何も見ないし聞かないようにして生きてきてしまった。
波は立たないが何も映らない。
そのおかげでここまでこれたともいえる反面今いろんな支障が出てる。
そんな話は今いいか。
バッハの音楽は、短調の曲でも最後の最後で同主調の長調和音で明るく終わっていくことが多いというかほとんど必ずそうなってるのね。作品膨大すぎてそんな全部聞いてないけど。
https://www.youtube.com/watch?v=LY581qtEVIE
空からの明るい光が差しすべての苦しみや悲しみから解放され感謝の気持ちがそこにあるように聞こえる。
ピカデリー終止とか言って得意になって説明しだすとかじゃなくて、真っ暗な時にはこれがほんとに救いに聴こえるんだよね。聴いてる間だけだけど。

BWV535はフーガの終わりに前奏曲を回想するコーダみたいなのがついてて、終わる3小節くらい前から明るい光が差し始める素敵な曲。
それと一緒にしちゃったら全然いけませんが、私もここに何か書くとき最後には
でもがんばろうとか
まあいいや
とか肯定的に終わろうと努めてはいる。
いるけど言ってるだけでお前全然ダメだろというのがよぎるとすべてが安っぽく感じられてきちゃったり。
それでも書くけど
やっぱりがんばろう。