これから

昔、北海道の5月後半はまだ新緑の季節という感じでもなくやたらに曇りがちで・・峠を越えて斜里のあたりだったか日が暮れたところに霧が出ていてとても幻想的だったのだけど、後でモニターで見るとそうでもなく何だこれと思った記憶。
10年以上たったいま、ちょうど今の気分を表すような絵だなと思ったり。
昨日病院へ行き、腹に刺さったチューブは抜いてもらえた。
しかしぶり返しを防ぐべく抗生剤の服用はあと2週間続く。
副作用が耐えられないレベルまで来ていると訴えると先生はあっ、そうか!とやけに納得してくれた。
この気持ち悪さがあと2週間だと思うと滅入りそうになるけれどやめるわけにはいかないことは自分でもわかるし量を半分にしてもらったので幾分楽になるはずだと言い聞かせ。
入院中気持ちが悪い中でスマホを凝視していたらスマホを見るのが嫌になってしまった。
そして昨日ついに、パソコンの画面を見るのも嫌だと感じ明かりを落とした。
パソコンに触れるようになって考えてみればもう30年、30年間俺は何をしてき・・はいいとして、こんなことは初めてか。
することもないので嫁さん専用になっている目の前のテレビの電源を入れてみる。
受け入れられない映像や音声から逃げるようにチャンネルを変えつつもうこの世に俺の居場所はないなと思うのは前からだけど。
それでもまれに自分にも見てられる番組が見つかることが救いと言えば救い。

病気になっていろいろ止まったからか、自分の今後という物を考えるのだけど考えたって何も出てこない。
楽器を触ろうという気にはまだならないけれどあれしかないんだからまたやろうと思うようにはなった。
5月のレッスンは休みにしてもらってあるけどこれだと6月もダメかもな。
そうすると7月か
40になって俺もやっぱり音楽がしたいと思ったはいいけど
47の7月でまだ何もできませんとか
俺がどういう人間なのかがよくわかるだろう?
うるせーばか。
https://www.youtube.com/watch?v=KiD5mX3HmBw
腐ってないで明るくいかなくちゃなとは思う。
これも作者の人生中超絶よかったころに書かれた明るい曲…だけど終楽章はルーツをたどっていくと作者も自分の人生という物を意識しだしていたことがうかがわれると勝手に思っている。
薬一回間引いたけどまだ気持ち悪いな・・と今ふとなんでか知らないけど黄な粉の味がよぎった。

またここ行きたいけど嫁さんが超絶拒否してるのでいけるかどうか。
久しぶりに表へ出てみる気になり、草を何本か抜きスダチに薬をかけてやった。明日雨だけどな。
書きながら老人の日記みたいだなと思ったりして。
久しぶりにあたたかいココアを飲んでおいしいとか思ってる自分をみる。
音楽を聴こうという気になり
覚悟を持って聴くような重い曲を専用部屋で聴いた。
いや、
それはそれでいいけど、そうじゃないだろうという気がする。
病気が治ったってなにか画期的な私がいるわけでは全然ない。
気持ち悪い時に強く意識したものはみんな気持ち悪いと思うようになってしまう。どうか、自分で自分を気持ち悪いと思わないでください。