カレーと本音暴露
嫁さんがカレーを作ってくれた。
腹の都合でまだご飯にかけてもりもり食うわけにはいかないけれど、ちびちび食べたカレーがとてもおいしかった。

これはスリランカから来たスリランカの人が作ったカレーで、一つの鍋で単一のものを作るのではなく複数の鍋で作ったカレー味の総菜をたくさん乗っけて食べるのが本当のスリランカのカレーなんだそうだ。
ちょっと辛いかなというのもあったけど野菜そのものの味が生きている!みたいなとこがあってとてもおいしかった。
場所も茶畑を見下ろす山の上にあってちょっとセイロン島みたいな・・行ったことないけど。

これは別なお店のスリランカ風カレー。
上記の説明からするとちょっとちがうのかもしれないけれど、作ってる人は日本人ながら近所のスリランカ人がスパイスを調合しているという説明があったと思う。
このカレーはその後また進化して・・
ここへきて体も壊れたけどブログもなんか壊れちゃったことでふと・・
私は人と接することがないのと自己肯定感も低いから書いたものを複数の人に読んで肯定してもらえたと思えるブログの拍手の数に依存するようになってしまっていて、そうするとその数を少しでも増やしたいと願うようになりどんなことを書くと拍手が増えるかをとらえそれに沿ったようなものを意地になって書き重ねて・・それが
あれ?
俺なにしたいんだっけ?
いま、そんなところ。
今は子供のころからいろいろと個人の特性についての把握や配慮というものがあるのかもしれないというか知らないけど
私の頃はそういうのはなかったからおかしいのがいれば出来損ないとか人間じゃないとか死ねとかそういうのだった。
私は身体能力に異常があるらしく普通の子供がどんどんできるようになることがいつまでたっても全くできないので子供のころから人と知り合ったり団体の中に入ってもそこにいることが出来ずずっと一人で生きてきた。
そうじゃないと言い聞かせつつ自分をみっともない失敗作だと思い込んで気が付けば40歳。
それは分かったからもう一度と思ったとき実はまだ何もわかっていなくて、いろいろ失敗を再体験してようやく自分の置かれた状況を把握した。
わかったそれじゃ一人単独で病的にゆっくりでもいいからと楽器を習っている。
1000人に一人でもいいからそれを眺めていてもらえたらうれしいなと思いつつここに書いてみてもいるんだけれど、自分でも驚くほど事が進まず話もつながらないのでブログとして成り立たない。
また今こんなんでそれも止まったりして・・
いいけど。
音楽を聴きたくなって聴いた。
https://www.youtube.com/watch?v=mQO7XnL7oqs
ショルティーのマーラー9番なんてもう古い昔の演奏なんだろうけど、敬遠していたこれをいつだったか聴いてみたらとてもよかったことを思い出し・・・
82年の録音らしいけれど、第2楽章の

このヴァイオリンソロをコンサートマスターじゃなく2ndの頭の人が弾いてることがはっきり聴きとれ、ああ古い版の楽譜を使ってるんだな、こっちの方が絶対おもし・・というこんな話に乗ってくれる人がいるかなと思って始めたブログだったけど。
ショルティーのいろんな録音から連想されるあの感じでこの曲をやったらどうなるのかとも思うけど、全然そうじゃない昔のいい感じの解釈で外面的なテクニック感がどうのという事もなく、デッカ特有のくさいはっきり録音が嫌味になることもなく、本気で歌い嘆き泣き叫びあばれて死んでゆく・・そんな演奏であー聴いてよかったと思わせてくれた。
最近は古い慣習から独立した新しい解釈の演奏が沢山録音でも出ているだろうし、この曲が好きだっていうんなら取り上げる演奏会が発生するたびに駆け付けるくらいでなくちゃいけない気もする。
するけど全然そんな風にはならず、炎症は治まったはずなのになぜか怪しく痛む腹に恐怖感を感じつつ、犬の背中を撫でてる今。

おまえには、なにがあっても絶対にやらせないぞという力か声がどこかからきてるような気がすることもあるのだけど
そんなもん受け入れるわけにもいかないので楽器はあきらめないで続けようと思ってる。
話し相手もいないので、ブログもやめたくないと思ってる。
腹の都合でまだご飯にかけてもりもり食うわけにはいかないけれど、ちびちび食べたカレーがとてもおいしかった。

これはスリランカから来たスリランカの人が作ったカレーで、一つの鍋で単一のものを作るのではなく複数の鍋で作ったカレー味の総菜をたくさん乗っけて食べるのが本当のスリランカのカレーなんだそうだ。
ちょっと辛いかなというのもあったけど野菜そのものの味が生きている!みたいなとこがあってとてもおいしかった。
場所も茶畑を見下ろす山の上にあってちょっとセイロン島みたいな・・行ったことないけど。

これは別なお店のスリランカ風カレー。
上記の説明からするとちょっとちがうのかもしれないけれど、作ってる人は日本人ながら近所のスリランカ人がスパイスを調合しているという説明があったと思う。
このカレーはその後また進化して・・
ここへきて体も壊れたけどブログもなんか壊れちゃったことでふと・・
私は人と接することがないのと自己肯定感も低いから書いたものを複数の人に読んで肯定してもらえたと思えるブログの拍手の数に依存するようになってしまっていて、そうするとその数を少しでも増やしたいと願うようになりどんなことを書くと拍手が増えるかをとらえそれに沿ったようなものを意地になって書き重ねて・・それが
あれ?
俺なにしたいんだっけ?
いま、そんなところ。
今は子供のころからいろいろと個人の特性についての把握や配慮というものがあるのかもしれないというか知らないけど
私の頃はそういうのはなかったからおかしいのがいれば出来損ないとか人間じゃないとか死ねとかそういうのだった。
私は身体能力に異常があるらしく普通の子供がどんどんできるようになることがいつまでたっても全くできないので子供のころから人と知り合ったり団体の中に入ってもそこにいることが出来ずずっと一人で生きてきた。
そうじゃないと言い聞かせつつ自分をみっともない失敗作だと思い込んで気が付けば40歳。
それは分かったからもう一度と思ったとき実はまだ何もわかっていなくて、いろいろ失敗を再体験してようやく自分の置かれた状況を把握した。
わかったそれじゃ一人単独で病的にゆっくりでもいいからと楽器を習っている。
1000人に一人でもいいからそれを眺めていてもらえたらうれしいなと思いつつここに書いてみてもいるんだけれど、自分でも驚くほど事が進まず話もつながらないのでブログとして成り立たない。
また今こんなんでそれも止まったりして・・
いいけど。
音楽を聴きたくなって聴いた。
https://www.youtube.com/watch?v=mQO7XnL7oqs
ショルティーのマーラー9番なんてもう古い昔の演奏なんだろうけど、敬遠していたこれをいつだったか聴いてみたらとてもよかったことを思い出し・・・
82年の録音らしいけれど、第2楽章の

このヴァイオリンソロをコンサートマスターじゃなく2ndの頭の人が弾いてることがはっきり聴きとれ、ああ古い版の楽譜を使ってるんだな、こっちの方が絶対おもし・・というこんな話に乗ってくれる人がいるかなと思って始めたブログだったけど。
ショルティーのいろんな録音から連想されるあの感じでこの曲をやったらどうなるのかとも思うけど、全然そうじゃない昔のいい感じの解釈で外面的なテクニック感がどうのという事もなく、デッカ特有のくさいはっきり録音が嫌味になることもなく、本気で歌い嘆き泣き叫びあばれて死んでゆく・・そんな演奏であー聴いてよかったと思わせてくれた。
最近は古い慣習から独立した新しい解釈の演奏が沢山録音でも出ているだろうし、この曲が好きだっていうんなら取り上げる演奏会が発生するたびに駆け付けるくらいでなくちゃいけない気もする。
するけど全然そんな風にはならず、炎症は治まったはずなのになぜか怪しく痛む腹に恐怖感を感じつつ、犬の背中を撫でてる今。

おまえには、なにがあっても絶対にやらせないぞという力か声がどこかからきてるような気がすることもあるのだけど
そんなもん受け入れるわけにもいかないので楽器はあきらめないで続けようと思ってる。
話し相手もいないので、ブログもやめたくないと思ってる。